異世界に行こう(凍結)   作:紺色メガネ

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1話 そうだ、異世界に行こう

『風呂で国歌を歌うと異世界に行けるらしいんだが、誰か検証はよ』

 

 

そのスレを見たのは夕飯を済ませ、風呂に入る前に食休みしていた時だった。居間の炬燵(こたつ)に入ってテレビを見つつ2ちゃんねるを流し読みしていたら見つけた与太話。他にも信じられない話をしているスレは沢山あったが、何となくこのスレが気になった。多分異世界に行けるってところが高校3年生になっても消えそうにない中二心をくすぐったのだろう。

 

だが、いくら読み進めても信じる奴は居なかった。スレは荒れに荒れて草が生えていて最早収集が着きそうにない。かくいう俺も「有り得ねぇからwww現実見ろってwwwww」と僅かながらにスレ内の増草を手伝った。

 

そうだよな有り得ないよな、異世界に行けるなんて。陳腐な夢から覚めたような気分になって何かがストンッと落ちた。それと同時に今しがた食べた鯖の味噌煮と白米、豆腐の味噌汁も消化されたように感じた。

 

 

「………風呂、入るか。」

 

 

炬燵から抜け出し、炬燵とテレビの電源を切る。寒い。自室に戻ってタンスの中から下着を取り脱衣場の洗濯機の上に、干してあったバスタオルと共に置く。そこまでしてから着ていたスエットと下着を洗濯籠に脱ぎ捨てる。

 

風呂場に入って熱いシャワーを頭から浴びる。風呂には入る気にはなれなかった。今日はシャワーで済まそう。

 

 

「『風呂で国歌を歌うと異世界に行けるらしいんだが、誰か検証はよ』。」

 

 

そう呟いて少し笑った。さっき有り得ないと断じた筈なのに検証しようと思ったからだ。

 

 

「有り得ないっつうの。」

 

 

頭からシャワーを浴びながら乾いた笑いを風呂場に響かせた。異世界に行きたいなんて、自分が本気で思ってるとは思いもしなかった。そんなに現実から逃げたかったのだろうか、それとも現状に退屈していたのだろうか。解らない。解らないけど、この気持ちは本物だろう。

 

 

「なら、試してみるのも一興。……だよな。」

 

 

このまま何もしなければただの風呂場で独り言を呟いている悲しい奴だ。でももし異世界に行けたら。そう考えたらワクワクしてきた。

 

国歌って君が代でいいんだよな?歌詞は確かめなくても解る。今すぐにでも歌える。そして俺は下らないスレの検証をすべく、目を閉じて風呂場で国歌を歌い始めた。

 

 

君が代は(きみがーよーは) 千代に八千代に(ちよにーーやちよに)

 

 

シャワーの音と俺の歌声が風呂場に響く。お世辞にも上手いとは言えないが、下手とも言えない歌声だ。顔と胸当たりにぶつかり体の表面を滑り落ちるお湯が足の甲にあたりくすぐったい。

 

 

「さざれ 石の(いしの) いわおと な りて」

 

 

体がふわふわと浮かんでいるように感じる。シャワーの音がやけに遠い。まるで夢の中のようだ。このまま歌い続けたらどこか遠くへ、もしかしたら異世界に……なんて思いが湧き出る。

 

 

「こけの むーすー ま ーーで」

 

 

シャワーの音が止んで、風の音が聞こえる。濡れた体に当たるそよ風が冷たくて、俺の暖まった体を冷ましていく。

 

そしてゆっくりと目を開けた。そこには、見渡す限りの草原が広がっていた。右側には遠くに森らしき物も見える。さっきまで冬の夜だったはずがさんさんと太陽が降り注ぐまるで夏の昼間のような天気に変わっている。

 

 

「……まじか。」

 

 

マジだった。本当に風呂場で国歌歌うと異世界に行けたらしい。2ちゃん民に教えてあげたい。でも、待てよ。異世界じゃない可能性も大いにあるよな。

 

 

その1。実は俺は風呂場で倒れていて、これは夢の中の出来事。

    俺の妄想の産物説。

 

その2。これはドッキリで俺が目を閉じて歌っている間に草原に運びこまれた。

    ドッキリ大成功説。

 

その3。まじで風呂で国歌を歌って異世界に来ちゃった。

    2ちゃんねるスゲー説。

 

 

可能性が高いのはその1だ。だけどもこれはないと思う。だって風は冷たいし、足元の草はくすぐったいし、石かなんか踏んでるのか足の裏は痛い。

 

次に可能性が高いのはその2なんだが、これもない。俺の家の近くにこんな草原はないから運ぶのもあの短時間じゃ無理。そして芸人でもない俺の全裸をテレビには映せないだろう。

 

最後にその3、多分これが正解。何故かって?それは俺の目の前にゴブリンらしき生物が1匹いるからさ。

 

ゴブリン。3頭身ほどの体格で頭が大きく手足が不気味に細い。体色は緑色で目と口が大きく、ギラついている。スライムと並んで異世界雑魚魔物の代表格だが、その生態は殺す、奪う、犯すの最悪とも言える三原則を備えておりエロゲでは種馬として活躍している。また、上位種のボブゴブリンやオーク、ハイオークなどといった同種族とコロニーを作る知能も備えているし、ボロ布だが服も着ているし武器も防具も使う。また、ゴブリン・ソルジャーやゴブリン・マジシャンなどの職業持ちもいて数が揃うと厄介である。

 

………………うん、詰んだんじゃないかな。仮に俺が正規の手順(異世界召喚の正しいの手順なんて知らないが)で送り込まれ、チートで俺TUEEEをしていたなら一瞬でミンチを出来るのだが、生憎とお風呂で国歌歌って異世界に来た身なのでチートどころか服さえ持ってない。全裸だ。もう一度言おう。全裸だ!何だったら目の前のゴブリンの方が立派な格好をしている。

 

せめてこのゴブリンがくりくりお目目で「ごぶぅ?」なんて可愛い声を出していたら良いんだが、目の前のゴブリンは真っ赤な目をギラギラさせて口を開けて手に持ったこん棒で威嚇してくる。鳴き声だって「ギギャギャギャ」だ。口から見える歯だってまるで刃のよう。

 

 

「おいおい、異世界召喚ってこんな感じなの?普通は目を開けたら美人なお姫様が「勇者様、この世界をお救い下さい!」とか言って大冒険が始まるんじゃないの?なんで目が覚めたら全裸でゴブリンの前なんだよ。いきなり詰んでるんですけど?神様にチート貰ってないし、お国に伝わる聖剣も引き抜いてないし、頼りがいが在りつつも俺に好意を寄せるハーレムパーティーもない!」

 

 

人間死にそうな時ほど良く喋るというのは本当らしい。俺の口はかつてないほどに饒舌にこの現状に対する不満を吐露していた。

 

いや、まぁね、異世界に行きたくて風呂場で国歌なんて歌ったんですがね、まさかこんな絶体絶命のピンチに陥るとは思わないじゃないですか。すいませんね、ゆとりで。異世界召喚(されてない)なんだからチートや聖剣の1つでもなきゃやってらんねぇんですよ。

 

俺がぐちぐちと異世界不満を漏らしていると、ゴブリンがこん棒片手に飛びかかってきた。友好的なゴブリンだったらなぁーという淡い期待も打ち砕かれたことだし、何とかしないと本当に不味い。

 

140㎝程度のゴブリンが飛び上がり右手に持ったこん棒を俺の頭目掛けて振り下ろす。俺はそれをサイドステップで左に避け、がら空きとなったゴブリンの脇腹に右手で裏拳を打ち込む。利き腕じゃないし、しっかりと振り込めなかった俺の拳はゴブリンにとって大したダメージにならなかったようだ。

 

しかし、しっかりと怒りは買ったようで真っ赤な目を更に見開き涎を撒き散らして俺を向かって吠える。怖い。まじで怖い、チビりそう、でも戦えそうだ。体が軽い。これが身体能力強化系のチートなのか、それとも命の危機に貧した体が脳のリミッターでも外したのか。何にせよこのゴブリンをあしらい、逃げるか倒すかしなければならない。

 

再度突進してきたゴブリンは今度は飛び上がらず、こん棒を凪ぎ払うようにして俺の脛を狙う。木を削っただけっぽいこん棒だが、当たれば痛いでは済まないだろう。ゴブリンの腕とこん棒のリーチをしっかりと確認して後ろにステップ。

 

 

「痛っ!」

 

 

着地した右足の平に痛みが走る、多分石でも踏んだんだろう。でも確認している暇はない。今は少しの隙が命取りになる。

 

こん棒を振り切って体制を崩したゴブリンの横っ面に左足でヤクザキックを入れる。振り込んだ右足に激痛。肉が裂けてゴリゴリと嫌な感触が右足の平を伝う。それを無理やり晴らすように倒れたゴブリンの上に乗りマウントポジションをとる。膝でゴブリンの両肩を抑え、左手で右手首を掴む。絶対に離さない。そして右手を固く握りしめ、振り下ろす。

 

何度も何度も振り下ろす。拳が痛いが気にしない。

 

更に振り下ろす。徐々に拳の感覚も無くなってきた。

 

まだまだ振り下ろす。ゴブリンの抵抗が弱まってきた。

 

油断せずに振り下ろす。遂にゴブリンは動かなくなった。

 

もともと醜かったゴブリンの顔が見るも無惨に凹んでいた。もうゴブリンは一切の抵抗をしない。だがまだ生きている。

 

俺はよろよろとゴブリンの上から立ち上がると最後まで離さなかったこん棒を奪い、頭上に振り上げ、ゴブリンの頭部に振り下ろした。その時、頭の中で何かが鳴った。だが、今の俺には確認する余裕なんてなかった。湿った肉の音とびちゃっとした液体の音。そして骨を砕いた感触が手に伝わってきて思わず吐いた。

 

命を奪った実感が、生き物を殺した事実が、まるで俺責めるように胃を搾り上げる。

 

そして夕飯を吐いて、胃液まで出尽くした頃、ようやく吐き気が収まった。

 

見渡すと朝日は夕日に代わり、ゴブリンの死体が無くなっていた。倒したら消えるのだろうか?俺はまだこの世界についてなにも知らない。

 

 

ただ、現実から逃げても異世界に来ても辛いのは確かだった。

 

 

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