「この忙しい時に……」
ソロライブの準備中。
気付いたら、主役である森久保乃々が衣装とともに消えていた。
何を言っているのかわからないと思うが、俺もどうしてこうなったのかわからなかった。というかわかりたくない。
……前々から、事あるごとに仕事から逃げたいと言っていた。実際に脱走したこともあった。だが……
「まさか、こんな大事なライブから逃げ出すとは……」
ソロライブなんて、名前が知れ渡った人気アイドルでなければ不可能なことだ。
特に、今回のライブの会場は、それなりに大きな会場だ。その会場は、既にすべての座席のチケットが売れている。
つまり森久保乃々というアイドルは、それなりに大きな会場が満員になるほどのライブが出来るアイドルということになる。
正直、予想外だった。そのレベルに至るまでの仕事はちゃんとやれてきた。なんだかんだ言っても逃げ出すやつではなかったのに。
いや、でもそういや前回逃げ出していたしなぁ……。
くそ、あいつ、無駄にアグレッシブになりやがって。
「っと、グチってる暇もないか、とっとと見つけないと」
隠れるほどだ。どうせ見つけたところで説得するハメになるだろう。物や食べ物でどうにかなる相手ではない。
……さすがにアイドルだし。とりあえず説得する方向で。いや、でも実力行使でいいんじゃないか、アイツの場合。
……はぁ、なんでこんなことで悩まなきゃいけないんだろう。
探しだしてから5分くらい経ったころ。
色々と疲れが溜まって、適当になり始めた頃。
事務所内に書類やらゴミ箱やらを担当アイドルの名前を呼びながらひっくり返す男が現れた頃。
担当アイドルに白い目で見られているダメプロデューサーが出現した頃。
俺の机の下で、膝を抱えている少女を発見した。
「…………………………………………………………………………」
「……なんで……なんで気づくんですか……んぐ!」
無理やり引っ張りだそうとする。が、負けじと抵抗してくる森久保。
「おら……! さっさと出てこい……!」
「んぐぐぐぐ……いーやーあー」
コイツ、ほんとに動く気ない。梃子でも動かないつもりだ。梃子でも働かないつもりだ。
「森久保、ライブの準備だ。まだまだやることは残っているぞ」
「ソロライブとか命の火が消えます……ほんとにむーりぃー……」
そう言って、涙ぐむ森久保。そこまで嫌なのか。
「泣くほど嫌なのか? でもやめるってわけには行かないぞ。せっかくのライブ、それもソロでだ。これはチャンスなんだぞ、森久保」
「……そんなチャンス、来なくていいです。プロデューさんの机の下で……お仕事します……」
「いや、それはないだろ」
「もう、ここに住みます……」
「却下だ、却下。とにかく仕事だ。ライブだ」
あんな大きな仕事、本人が嫌だというだけでやめさせるる訳にはいかない。
というか、森久保……
「今おまえ、目合わせて話せてるじゃないか」
「頑張ってプロデューサーさんの目を見てますけど……」
森久保……お前……
「そこまで出来るんだったらソロライブだって余裕だな! 頑張ろうぜ、森久保!」
「プロデューサーさん……もりくぼいぢめ、楽しいですか……?」
うん、わりと。
「…………………………………………………………」
「…………………………………………………………」
無言が続く。そして、しばらくの静寂のあと、森久保が目に零れそうなほどの涙をためながら口を開いた。
「涙は女の武器と教わりました、プロデューサーさん」
「うん?」
「私、涙を見せてるんですけど……」
「うん」
「……効かないんですか?」
「うん、全然」
「…………………………………………………………」
「…………………………………………………………」
そしてまた無言タイム。
「乃々」
名前で呼ぶと、ビクッ、と森久保の肩が震えた。
「頼むよ」
「……プロデューサーさんにそんなお願いされたら……断れないですけど……」
そういった森久保の目からは、涙がこぼれ落ちていた。
「これだけ涙で訴えてもダメですか……プロデューサーさんはきちくです。おに、あくま……わたしはもう、にげられないの……」
そういって崩れ落ちる森久保に、今できる精一杯の笑顔で笑いかけながら、こう言った。
「乃々、ライブだ」
「うぅ、いぢめですか……」
俺は、乃々の頭を撫でながら、高断言した。
「大丈夫、お前ならやれるさ、乃々」
「あはははは……あははあ……もうわからないです……だんだん変な気持ちになってきましたけど……」
リハーサル中。どこか吹っ切れたような笑顔の森久保が、ステージの上に立っていた。
「らぶりーののたんが、みんなをキュンキュンさせちゃいます……」
「……こっちを見るな。ちゃんと客席の方を向け」
そう苦笑しつつも、素直に感心する。
やはりこのライブは成功する。そう確信させるだけの何かが、彼女にはあった。あの様子なら、逃げ出す心配もないだろう。なんか吹っ切れたみたいだし。
リハーサルが始まる前に、森久保に言われた言葉を思い出す。
「すっかりプロデューサーに染められましたけど……好きにしてください……期待に答えられるよう、頑張ってはみますけど……」
そこには、諦め以外の心境の変化もあったはずだ。
どんなことであれ、前を向けたというのなら悪いことではない。
「頑張れ、乃々」
ちなみに。
森久保乃々のソロライブが成功してからしばらく経ったある日のこと。
気づいたら森久保乃々が、衣装とともに消えていた。
そして、俺の机の下で膝を抱えている少女を発見。
「……なんでみつけるんですか」
そして目が会うなり、こんなことをぬかしやがった。
「はぁ……いいから仕事行くぞ、森久保」
「今日はちょっと……ね、プロデューサーさんも一緒に休みましょう」
「駄目だ」
うぅ、と涙目でこっちを見つめてくる森久保。
「プロデューサーさん、この前のライブのご褒美とか欲しいんですけど……今日は休みましょう、ね」
「ご褒美ならあとでなんでも好きなものやるから、今は仕事行くぞ」
「……なんでも……ですか?」
森久保の言葉にああ、と適当に返す。すると、森久保が机の下から出てきて、妙にやる気に満ち溢れた顔でこう聞いてきた。
「今日の仕事も、頑張ったらご褒美くれますか……?」
「ああ、やるやる。だから仕事行くぞ」
「そうですか……」
まだまだ仕事は残っている。急がなければならない。
「私をこんなにした責任……とってもらいますから……」
早く仕事に向かおうとする俺に、変に火の着いた彼女のつぶやき言葉は聞こえなかった。