ハリー・アップッ!!   作:炉心

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 本編10作目。シリーズ通算では15作目ですね。

 シリーズ開始時から、ふた桁突入時の記念回は当然ながら彼女と決めてました。

 最近、ヒロインとしてのパワーが弱いとの指摘もあったので、今回は少しだけヒロインらしい彼女を書いてます。

 尚、このシリーズでは初のオリ主の一人称形式でのお話ですので、よければその点も楽しんでいただけたらと思います。





ハリー・アップッ!! ~バイトをしよう!:喫茶編~

 

 

 俺、セアレ・ルシーブルのおかれている危機的現状。

 

 現在進行形での眼前にある事実だけを端的に伝えよう。2W1H形式で。

 

 『メイドさんに』

 

 『路地裏に連れ込まれて』

 

 『絡まれています』。

 

 ……このような表現の仕方をすると、現実と妄想の区別もつかない頭の可哀相な人に思われるかもしれないが、実際には一切合切事実そのままなのだから人の世の奇事とは時として摩訶不思議アドベンチャー。現実は小説より奇なりとはよく言ったものだと思う。

 

「何か言い残すことがあるのなら聞いてやる」

 

 殺気の篭った眼で睨めつけ、仄暗く呟くメイドさん。

 

 チャコールグレーのワンピースタイプに純白フリル付きエプロン、同じく純白のニーハイソックスと黒のローファー、仕上げにカチューシャをお馴染みのポニーテールの髪型の頭に冠れば、『完全無欠』にして『正真正銘』と呼ぶべきこれぞ王道たるメイドスタイルの完成だ。敢えて安易な萌えや奇策には走らず、昨今の多様化したニーズに背を向け、本来在るべき本質的様式美を尊重する為にこの服を選んだ提供者の姿勢は称賛に値すべきだと思う所存だ。

 

 スタイルは仕上げられている。あと必要なのは、奉仕を生業とするその姿に備え付けられるべき最後のオプション。それは笑顔。

 

 いかなる時、いかなる状況に於いても絶えることのない清楚で献身的な心持ちを体現した微笑み。

それこそが、この姿を日夜夢見る者達が追い求める浪曼と理想像の一端なのではないだろうか。……実際には正反対の表情だったけど。

 

 今の姿にも本来の彼女にも似つかわしくない表情だが、それを指摘するだけの勇気はない。それは無謀という名の蛮勇だ。

 

「ほら、何か言いたいことがあるのならば言えよ。聞くだけは聞いといてやる」

 

 どこのヤクザかチンピラか、台詞にまったく救い余地がない。

 

 どうしてこんな絶望的状況になったのだろう?

 

 ただ俺は、ミア達からハリーが喫茶店でバイトをしているとの情報を得て、それは面白そうだと、揶揄いのネタでも出来ればラッキー程度の気持ちで足を運んだだけなのだ。

 

 それがどういう成り行きか、喫茶店に入ってオーダーを取りに来た店員の顔を見た瞬間に襟元引っ掴まれ、そのまま有無を言う間もなく店外の路地裏に連れ込まれ、今やこの有様だ。

 

 先人曰く、好奇心は猫を殺すということなのか?

 

「個人的には、この場からの放免を切実に希望するんだが……」

 

「却下だ」

 

 断崖絶壁。オーバーハング。取り付く島もない切り返し。どうあっても、救いの手が差し伸べられることはないようだ。

 

 あぁ、人の世は無情。

 

「それだけか? なら、今日の日にサヨナラを告げな。執行のお時間だ」

 

 「執行」ってなんだ? と思う間もなく、空気が切り替わった。

 

 甞めつけるように繊指を眼前の俺の頬に這わせ、弦月に歪められた口と細めた目元、普段の快活なイメージからは想像も出来ないような妖艶な雰囲気を醸し出すメイドさん。或いは凄絶さの裏返しからくる表情なのかもしれないが。

 

 これは誰だ? 本当に自分のよく知った相手であろうか?

 

 想像外のギャップ。未体験の雰囲気。

 

 彼女の性が持つ本性の一端の発露に当てられ、速まる心音が五月蝿く鼓動する。平素なら決して湧かない感情に呑まれそうだ。確か俺には被虐嗜好の覚えはなかったはずだが。

 

 薄く開いた口の奥で見え隠れする真紅の物体に視線は否応無く引き寄せられる。思考が逃げ場なく絡め取られていると言ってもよい。

 

 駄目だ。ここで何かを言わないと、全てが終わる。言及できない何かが大きく変わる。

 

 何か回天となる一言。たとえそれが我が人生最後の言葉となろうとも、伝えることで己を保つことの出来る言葉。起死回生の台詞。

 

 それは――――これだっ!!

 

「き、嫌いじゃないぞ、ハリーのメイド服姿。うん、是非ともご奉仕とかして欲しいと思う!!」

 

 …………今すぐこの世から消えてもいいですか?

 

 誰かに指摘されずとも、自ずと理解する。口に出した瞬間、ミスったと思ったよ。強烈なプレッシャーからくる心的疲労が思考にまで影響を与えたんだよ。

 

 我ながら恥の多い人生を送ってきたが、誰かに「人生最大の恥が何か?」と問われれば、間違いなくこの瞬間だと答えられるよ。

 

 若さ故の過ちって、本気で認めたくないよな~。

 

 ああ、なんだこれ? 目を瞑れば十数年分の人生の軌跡が、高速走行中に過ぎ去る標識や看板のように次々に思い起こされては去っていく。そうか、これが走馬灯と言うやつか。

 

「…………」

 

 ――――あれ? やけにハリーからの反応が静かだな?

 

 てっきり、俺の人生終焉級の失言に対する大爆笑か激昂に任せたストレートパンチでも飛んでくると思っていたのだが?

 

「……ハリー?」

 

 不信に思って目を開け、恐る恐るハリーの様子を伺ってみれば、これまた予想外の状況にご対面。

 

「見るなよ……バカ」

 

 耳たぶまで真っ赤になった顔と涙を溜めて潤ませた瞳、両手で必死に隠すように顔全体を覆い、唇が噛み切れるんじゃないかと思うほど強く噛み、何かに耐えるように小刻みに身震いする体を小さく丸めて、俺に正面から相対するのを避けるように横を向いている。

 

 一瞬、不機嫌な時に向けてくる視線に似た視線を俺に寄越してはいたのだが……ハッキリ言ってそこから感じ取れた感情は、

 

「いいさ、どうせそんなこと言ってたって、内心じゃあ『似合わね~』とか『イメージと違うな~』とか思ってんだろ?」

 

 不貞腐れたような口調で、自虐的な感じで言葉を捲し立てる姿は、

 

「分かってんだよ。自分でも、この手のお淑やか系な女の子ぽさを前面に出すような衣装は似合わないってことくらい」

 

 一寸前の死をも覚悟させる雰囲気とはまるっきり異なる様子は、

 

「でも、仕方ねぇだろ。バイト先の制服なんだよ。ミアに頼まれて受けちまった以上は、勝手に放り出して帰るわけにもいかねぇし……」

 

 どうすればいい?

 

 メイド服姿のハリーが見せる、普段とのギャップが与える精神攻撃による影響か……

 

「大体、普通の喫茶店のはずなのにメイド服って……本気で理解できねぇ。納得も出来ねぇ」

 

 正解が導き出せない。どんなリアクションで接するのが一番なのかを決められない。

 

 何より知られてはマズい思考ばかりが浮かんできて、まともに考えが纏まらない。

 

「……おい、セアレ。さっきから何をずっと黙り込んでやがる?」

 

「……?? あ~、なんだっけ?」

 

 本気でヤバい! 窮地到来!!

 

 どれだけハリーにジト目で見られようと、ハリーに知られては非常に困るのだ。内容的にも些細な男のプライド的な部分でも困るのだ。

 

 ついでに今後のハリーとの関係に多大な影響がでそうな予感がするし。

 

「……もういい。なんかもう毒気抜かれちまった。さっさと店に戻るぜ」

 

 そりゃそうだろう。

 

 考えてもみてくれ。普通に今の様子のハリーのことが、『可愛いな~』とか『こんなハリーも意外と嫌いじゃないな~』などと思っていたなんてのは……流石に、な。

 

 

*      *      *

 

 

 ……さて。

 

 運良くハリーから何もされずに済んで(なんでかは知らないが)、ハリーがバイトしている喫茶店に戻ってきたわけだが、当然だがハリーは店長さんに怒られた。

 

 まあ、仕事中に行き成りお客さんを引っ掴んだ挙句にそのまま連れて何処かに行けば、普通は怒られるよな。常識的に考えて。

 

 で、何故かハリーへとお説教が終わったあとに店長さんから、今日は人手が極端に少ないので、もしよかったら俺も一緒にバイトをしないかと誘われた。

 

 ハリーが俺のことを何か言ったらしい。

 

 ウェイターのバイト自体は前に一度経験したことがあったが、あまりに急過ぎて最初は渋っていたのだが……ハリーの縋るような目と裏腹な強引な説得によって敢無く了承させられ、急遽臨時ウェイターとしてバイトをすることになった次第です。

 

 でも、行きずりのお客さんをその場で誘ってバイトに雇うって、どんだけ人手不足なんだよこの店は。

 

「むぅ……、似合わないな……」

 

 お店の奥のバックヤードにある更衣室内に設置された姿見鏡を見ての感想。

 

 所謂、執事服とかに近い感じの黒のネクタイとベストにズボンの制服に袖を通しているわけだが、我ながら全然似合ってなかった。個人的なイメージでは、知り合いの現役執事であるエドガーさんみたいなスマートな感じが憧れなのだが。

 

「おい、セアレ、もう着替えたか? 入るぜ」

 

 更衣室の扉をノックして、扉の向こうからハリーが声を掛けてくる。俺の了承の声を聞いて、扉を開けて中を覗き込んでくるハリー。

 

「……『馬子にも衣装』ってやつか?」

 

 更衣室に入ってきて、俺の制服姿を頭の先からつま先まで凝視したハリーが発した第一声がこれである。

 

「それ、確か褒め言葉じゃないよな?」

 

 人の格好に対して失礼なやつだ。まぁ、俺も似たり寄ったりな意見だったけど。

だけど……このまま言われっぱなしは癪だな。

 

 よし、ここはひとつ。

 

「非道い言いようですね、お嬢様。私はお嬢様たっての頼みで、この様な衣装に身を包んでご奉仕しようとしているというのに」

 

 見よう見まねの執事風対応(参考はエドガーさん)。ゆっくりと右手を胸に当て、礼儀正しく慇懃な感じで礼をしてみる。

 

「うなっ!? バ、バカ野郎!! だ、誰がお嬢様だ!? 変なことしてんじゃねぇよ、バカセアレ!!」

 

 目を見開いて、顔を上気させ、全力で狼狽するハリー。この手の攻めに免疫がないのは何も俺だけではないようだ。面白くらいの慌てっぷり。

 

 ふっ、勝ったな。

 

「ま、冗談はこれくらいにして、さっさとお店の方に行くか。店長さんも待ってるだろうし」

 

 平静を取り戻したハリーに何か報復される前に、ちゃちゃっとここから脱出することにしよう。

 

「―――あ、おい、待てよ」

 

 待ちません。止まりません。タイムイズマネーだよ、ハリー。

 

 さっさと更衣室を出て店の表フロアに足を向ける俺。背後から扉を閉める音と早足で俺についてくる足音が聞こえた。

 

「アトデオボエテロヨ」

 

 ……何も聞こえなかった!! ボソっと片言で呟かれた宣告など俺の耳には入ってない!!

 

 

*      *      *

 

 

 幾つかの注意と説明を受け、バイト開始から約2時間。意外と順調に仕事は進んでいた。

 

 以前のバイト経験が思ったよりも功を奏し、接客や会計等は殆ど問題がなかった上に、運が良いのか喫茶店の来客数自体が然程多くないことあって、問題らしい問題が起こることもなく済んでいる。

 

 難点と言えば、メニュー数が結構多い上に、この店はオーナー兼店長さんの趣味全開で運営してる店らしく、様々な管理世界から輸入した茶葉や菓子を取り扱っている為、そちらの知識に乏しい身としてはとてもじゃないがお役に立てない状況だということだ。臨時のバイトとは言え、お金を貰う以上は微妙に心苦しい気持ちなのだが(店長さん自身は、お客さんの応対とオーダー取りさえ当たり障りなくしてくれれば特に問題無いと言ってくれてはいるが)。

 

 あともうひとつの難点が、本当に人手不足だということだ。

 

 今この店で働いているのは店長さんも含めて四人だけ。しかも、その内の二人は臨時のバイト(俺とハリー)という有様。正規バイトの一人は奥の厨房での調理等担当で、殆どフロアに出ない為、実質は三人で接客・会計・お客さんが帰った後の掃除・片付けをしてる状態だ。お客さんが少ないからまだマシだけど、もし一気に客足が増えたらとてもじゃないが対応出来るとは思えない。

 

「なぁ、ハリー。なんでこの店、こんなに人手不足なんだ?」

 

「オレが知るかよ。辞めたとか、病欠とか、サボりとかじゃねぇの?」

 

 俺の疑問を軽く流して、今し方帰ったお客さんの使っていたカップや皿をトレーに載せて店奥の流し場へと運んでいくハリー。

 

 実は結構意外だったのが、ハリーが想像よりも上手くこの仕事をしているようだったことだ。接客時の笑顔が微妙にぎこちないところもあるが、それ以外のお客さんへの応対や店長さん達との遣り取りは危なげなくこなしている。

 

 接客業には向かないかな? と、勝手な思い込みをしていたのだが、基本的に根が真面目だから、受けた以上は仕事をシッカリとこなそうとした結果なのだろう(既に数日働いていて、若干の慣れもあるだろうが)。

 

「ん?」

 

 店の外から車の停車する音が聞こえ、入口の方を振り向くと、磨りガラスの入口扉越しに新しいお客さんの来訪を確認出来た。

 

「いらっしゃいま―――あれ? ヴィクター?」

 

「……え? セ、セアレさん!?」

 

 なんと、ヴィクターじゃないか。

 

 相変わらずの綺麗なプラチナブロンドの髪に眉目秀麗な容姿、完璧なお嬢様スタイルの出で立ちで颯爽とお店に入って来たヴィクターが、応対した俺の存在に驚きの声を上げている。

 

 瞠目し、驚きと疑問の感情が混ざった表情をしたヴィクターは、店に入った瞬間の凛としたお嬢様然とした姿と違ってどこか親しみが感じ取れ、意外な一面を目撃したことに内心ラッキーと思ったりもした。

 

 と、いけない。接客をしないと。

 

「いらっしゃいませ。まさか、ヴィクターがお客様で来るとはね。―――それではお客様、お好きな席にどうぞ」

 

「え、あ、えっと、わたしは頼んでいた茶葉を取りに……―――いえ、そうですわね。折角ですからお茶をしていきましょう」

 

 俺の案内に少しだけ戸惑いの表情を見せたヴィクターだが、すぐに持ち直して笑顔で俺に促されて空いていた席に着く。

 

 何か最初は断りを入れようとしていたようだったけど……気のせいか?

 

「お客様、先にこちらがメニューでございます」

 

「ありがとうございます……」

 

 俺が差し出したメニュー冊子を受け取り、開いてメニューに目を通すヴィクター。それを横目に見ながら、一度奥の厨房に向けて声を掛け、お客さんが来たことを伝える。

 

「あの……、セアレさんは何時からこのお店でアルバイトをしていらっしゃるので?」

 

 メニュー冊子から視線を上げ、注文が決まったのかと思って近付いた俺に対して、何故かヴィクターは注文とはまるで関係のない質問をしてきた。

 

「あ~、実は今日だけの臨時バイトなんだよ。だから、何時からと聞かれれば今日からだけど」

 

 どこか探るような視線が気になったが、とりあえずは特に気にとめず答える。

 

「そうなんですか……臨時ということは、もう今日以降は入るご予定はないのですか?」

 

「多分ね」

 

 何故か複雑な表情をしたあと、更に続けた質問に俺が答えると、今度はガッカリしたような表情になるヴィクター。なんだか、微妙に表情豊かだな。

 

「こうなっ…ら……この機会……出来るだk……セアレさん……姿…目に焼き付けt……」

 

「ヴィクター? どうかした?」

 

 何やら急に真剣な表情でヴィクターがブツブツ独り言を呟きだす。俺のことを言ってるようにも聞こえるが、俯いている上に吹き出しが小さすぎてよく聞き取れない。

 

「……いえ、なんでもありませんわ。それよりセアレさん――――」

 

「ほら、水だ。存分に飲め」

 

 顔を上げてニッコリ微笑み、俺に向かって何かを言おうとしたヴィクターの言葉を遮るように、彼女の前のテーブルに叩きつけるような勢いで水の入ったグラスが置かれる。

 

 思わずヴィクターの方から視線を外し、ヴィクターの真正面方向を見れば……うん、駄目、無理、表現出来ない。

 

 世の中の人に是非とも知ってほしい。この世には、『笑顔』と書いて『コロス』と読める表情が現実に存在することを。……知らない方が絶対に幸せだろうけど。

 

「……お客に対する対応がなってませんわね、この店員は」

 

 声のトーンを二つ程落とし、テーブルを挟んだ対面でトレー片手に傲然と立つハリーに向けて言い放つヴィクター。

 

 一瞬前までの和やかな空気は霧散し、行き成り喫茶店の店内が地獄の一丁目に世界変換されたような錯覚に落ちる。気のせいか空間が歪んで見え、軋む音すら聞こえてくるようだ。

 

「ポンコツ不良娘が、また随分と似合わない格好をしてるじゃない。バリアジャケット姿の方がまだ見ていられるわ」

 

 ハリーのメイド服姿を上から下まで睥睨し、揶揄するような表情と口調でハリーの姿に対しての感想を口にするヴィクター。友好的な雰囲気は一切ない。

 

 次はハリーからの『喧嘩上等』的な反論がある。そして、そのまま互いに辛辣な口撃合戦となる……そう思ったんだが。

 

「ふっ」

 

 あれ?

 

 何故かハリーは余裕の笑みを浮かべている。その顔は、どこか勝ち誇った者のみが持つ優越感満載のものだった。

 

「…………?」

 

 ハリーの不可解な態度にヴィクターも怪訝な表情だ。

 

 そんな状況を見ながら、俺は今猛烈に悪い予感に晒されていた。何故が脳内で警鐘が鳴り響いている。

 

「ま、ヘンテコお嬢様にはわからないだろうな~。だけどな、世の中にはこういう格好が好きな奴もいるし、オレのこの姿が嫌いじゃないって言って、ご(・)ほ(・)う(・)しされたいって言う奴もいるからな――――」

 

 まてまてまて。ちょーーーと待て、ハリー。

 

 何言うつもりだ!? 何を言うつもりだ!?

 

 メイド服の裾を摘んで、ヴィクターに見せびらかせるような仕草で、まるで今言っていることが世界の真理であるかのような表情で、一体何を言いのけるつもりだ!?

 

 意趣返しか!? 更衣室で俺がしたことに対する当て付けのつもりか!?

 

 ホント、ヤメて! マジでヤメて!! 後生だから勘弁して!!

 

「――――セアレみたいに」

 

 ノオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッ!!!!!!!

 

「な、なんですってっ!?」

 

 ……終わった。いろんな意味で俺は終わった。

 

 もう、ヴィクターとこれからまともに顔を合わせることはできない。下手すれば特殊な性癖の人を見るような蔑みの目で見られるかもしれない。

 

 ははは、もういいさ。今この店にいるお客さんはヴィクターだけだ。それだけの被害で済んだと思えば御の字さ。

 

「セアレさん!!」

 

 来た。罵倒か軽蔑かよくて憐れみか。

 

 いいよ、どんな未来でもドンと来いだ。男は黙って全てを受け入れる生き物なんだ。

 

「じ、事実なんですの!? ポンコツ不良娘に言ったことは!?」

 

「…………」

 

「そ、そんな……事実なんですわね……」

 

 目頭が熱くなるのを感じながら、ただ無言を貫く俺。

 

 言い訳はしない。ハリーに言ったことは事実だし、それをハリーの目の前で否定するような真似は出来ない。俺は自分でもヘタレな時があるのは認めるが、それでも最低な嘘吐き野郎になるつもりはない。

 

「くっ……こんな……盲点…で…わ……」

 

「現実を知ったか、ヘンテコお嬢様。所詮、お嬢様には無理な世界があるのさ。まあ、オレとしてもこの格好は気が進まなかったんだが……セアレは好きみたいだからな。仕方ねえよな~」

 

 呆然とした表情から一転、顔を顰めて呟いているヴィクター。何か悔しがっているような雰囲気も感じるが、きっと俺の妄想だろう。ヴィクターが悔しがる理由が思い当たらない。

 

 てか、ハリー。ヴィクターに喧嘩腰で話しかけつつも、俺のガラスのハートに追い打ちをかけるのはヤメて!!

 

「いっそ……私…に……そう…家の……メイド服を……チャレンジす……―――それしかないですわ!!」

 

 俺が多大な精神ダメージを受けている間も、なおも己の思考に没頭していたヴィクターだが、不意に決然とした表情で顔を上げ、俺の方に視線を向けてくる。

 

「セアレさん!!」

 

「は、はい」

 

 急にヴィクターに名前を呼ばれたが、あまりの威勢に吃ってしまう。彼女にこんな勢いで話しかけられたのは初めてだ。

 

「わたし……頑張りますわ! 『雷帝』の血を(ほんの少し)引く身として、このようなことで敗北などいたしません!!」

 

「はっ!! 無駄な努力はヤメときな、恥かくだけだぜヘンテコお嬢様」

 

 ヴィクターが鋭い視線を伴って俺に何やら宣言してくる。それを横合いから鼻で笑って一蹴しているハリー。

 

 正直、二人の遣り取りがまったく分からない。敗北がどうとかって、次のインターミドルの大会云々のことだろうか?

 

「―――くっ……今日のところはこれで失礼します。いずれまた必ず」

 

 ハリーとお互いの視線をぶつけて睨み合っていたが、苦々しい表情で呻いたあと、席から立ち上がるヴィクター。

 

「では、ごきげんよう」

 

 俺に向けていつもの高貴な笑顔で別れを告げたヴィクターは、ハリーには一瞥もせずにそのまま踵を返して喫茶店から退出した。

 

 ヴィクターが向けてくれた笑顔に悪感情が読み取れなかったので、実は内心ホッとしている俺がいます。

 

「一昨日来やがれってんだ」

 

 ハリーのとてもお客さんに対するとは思えない台詞を横で聞きながら、注文もせずに帰っていったヴィクターの来店目的に疑問を覚える。

 

「……結局、ヴィクターは何しに来たんだろう?」

 

「さぁ? 知らねぇし、興味もねぇな」

 

 口を付けられることもなかったグラスを回収し、再び奥の流し場へと引っ込むハリー。

 

「なんだかな~」

 

 とりあえず思ったことは、今後この店でバイトするのだけは絶対にお断りしよう。少なくとも、ハリーと一緒に入るのだけは……と心に固く誓った俺である。

 

 

*      *      *

 

 

「あ~、やっと終わったぜ~」

 

 最後のお客さんが帰り、俺が『CLOSE』の看板を入口に吊るしたところで、床掃除とテーブルの片付けを終えたハリーが伸びをしながら声を上げた。

 

「お疲れ様~。ありがとうね、今日は無理言って手伝って貰ってしまって」

 

 レジを締めていた店長さんが、俺とハリーに向かって感謝の言葉を掛けてくれる。

 

「いえいえ、いいですよ。俺の方こそあまりお役に立てずにいて、申し訳ないです」

 

「そんなことないよ。本当に助かった。あ、トライベッカさんも今日までありがとう。また機会があったらうちの店でバイトしてくれないかな? 歓迎するからね。―――それで、これが今日の分のお給金。チョットだけ色をつけてるからね」

 

 用意していたらしい茶封筒を俺とハリーにそれぞれ手渡す店長さん。

 

 思わぬ臨時収入だな。少し金欠気味だったから、次のバイトを見つけるまでの中継ぎには丁度いい。

 

「それじゃあ、私は奥を片付けてくるから。あとは掃除道具だけ片付けてくれたら、もう今日はあがりにしよう」

 

「了解です。お疲れ様でした」

 

 売り上げ袋を持って店の奥へと戻る店長さんに挨拶し、俺はモップ等の掃除道具を纏める。

 

「七時過ぎか。セアレ、帰りにどっか寄ってなんか食ってこーぜ」

 

 店内の時計で時間を確認したハリーが、この後の予定を提案する。

 

「いいよ。……なあ、ハリー。この店でのバイトって今日までだったのか?」

 

 頭の中で何を食べようかと考えながら、店長さんが先程言っていたことをハリーに聞き返す。

 

「まあな。元々、数日だけの臨時でミアから頼まれていただけだしな」

 

「ふ~ん」

 

 つまり、俺が今日この店に来なければ、ハリーのこのメイド服姿を拝むことは下手すれば一生なかったということか。

 

「……どうだ、セアレ。オレのこの姿はこれで見納めだぜ。シッカリとその目に焼き付けておけよ」

 

 今日ヴィクターに向けていたような、優越感に満ちたドヤ顔で己の着ているメイド服を強調するように全身を俺の前で晒すハリー。

 

「だから、いい加減にそのネタを引っ張るのはヤメてくれよ」

 

 頭を抱えたくなるのを必死で堪えながら、我ながら情けない声を搾り出す。ハリーの方から視線を逸らしたのは、決してメイド服姿のハリーを直視するのが恥ずかしかったからではない。

 

「素直じゃんないな、お前も。……ああ、あれか。名前じゃなくて、確かこう呼ばれてみたいんだよな」

 

 俺の悲痛な様子などどこ吹く風で、話を進めるハリーは随分と上機嫌だ。だから、この時点で気づくべきだったのだ。

 

「もう、勘弁してくれよハリー……」

 

 エプロンの裾を左右で軽く持ち上げ、覗き上げるような上目遣いで、天使と小悪魔が同居したような微笑みを湛えて。

 

 次にハリーが紡ぐ台詞を、

 

「誠心誠意、ご奉仕させて頂きます―――」

 

 愚かにも反応の遅れた俺は、

 

「―――ご(・)しゅ(・)じ(・)ん(・)さ(・)ま」

 

 直撃で喰らったのだった。

 

 

 

*      *      *

 

 

 

 某日某所の夜に、

 

「……お嬢様、何をなさっておいでなのですか?」

 

「エ、エドガー!! ええっと、これは……そう、服! 服を見ていたのよ!!」

 

「こちらは使用人用の衣装部屋なのですが?」

 

「わ、わたくしだって、堪には使用人の皆や他の人の着ている服を見てみたいと思うこともありますわよ」

 

「個人の服に関しては使用人個別のロッカーが別室に用意されていますので、鍵がないとお嬢様でも勝手に見ることは出来ませんが?」

 

「そ、そうなの。それは知りませんでしたわ……」

 

「それと、今お嬢様がお開けになっている衣装棚は予備のメイド服が入っている棚になるのですが」

 

「あ、あらそう。それは気がつかなかったわ」

 

「おや? 何かお手に持っていらっしゃるようですね?」

 

「こ、これは……デザインの確認がてら棚から出していた服よ」

 

「そうですか。あぁ、手に取ったので少し皺が出来ておりますね」

 

「そ、そうね」

 

「お貸しください。私の方で洗濯室へと持っていきますので」

 

「え……い、いいわ。わたくしが直接持っていくから」

 

「いえ、お嬢様にその様なお手を煩わせる訳にはいきません。私が後始末いたしますので、お気になさらずに渡しください」

 

「だ、大丈夫よ。わたくしが後でちゃんと持っていくから、エドガーは気にしなくてもいいわ」

 

「……畏まりました。お嬢様がそこまで仰っしゃるのでしたら、そちらの服はお嬢様にお任せいたします」

 

「ええ、問題ないわ。任せておいて」

 

「では、申し訳ないのですが、私は別の所用がありますので、ここで失礼させていただきます」

 

「―――あっ……いえ、わたくしのことは気にせず、貴方の仕事を優先なさい」

 

「お心遣い感謝致します。……因みにお嬢様、カシューシャとエプロンは部屋の奥の右棚に、ソックス類は左の棚に入っておりますので」

 

「…………」

 

「それでは、失礼いたします。どうぞごゆっくり」

 

「…………―――エ、エドガーーーー!!!!」

 

 お嬢様と執事の仲の良い会話があったとかなんとか。

 

 

 

 






 謝意:

 前回のお気に入り登録250件突破報告の後、気がつけば350件を既に突破中。

 登録して下さった皆さん。毎回読んで下さっている皆さん。

 本当にありがとうございます。

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