ハリー・アップッ!!   作:炉心

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 ある意味で、『全力全開』って感じですね。





ハリー・アップッ!! ~In the rain~

 

 

 

「――――いきなりやったなぁ。ほんまに……」

 

 閉め切ったバスルーム。立ち昇る湯気が白靄となって室内を覆い尽くしている。

 

 頭上のからの熱いシャワーにその身を晒しながら、見慣れぬ天井を眺めていた少女はボンヤリと呟いた。

 

 今日ここに至るまでの過程で、それなりの運動をこなすはめになった少女の身体は軽い倦怠感に包まれ、線が細くも締まりのある肢体はシャワーの熱気も相まって上気した状態を維持している。

 

 ゆるゆるとした緩慢な動作。右手に手にしたボディソープを泡立てたスポンジ。それを己の柔肌へと這わせる。普段から何か特別な手入れをしているわけではないが、それでも少女の若さ故の瑞々しさと張りを保った肌は抵抗なく真っ白な石鹸液を受け入れた。

 

「あっ」

 

 腕から始まり、胸、脇周り、お腹、腰まできたところで一時中断。凝視したのは通過したばかりの腰より上のとある部分。たとえ常日頃からどれほど鍛えていようと、10代の乙女としては色々と気になって仕方がないシークレット&デンジャラスゾーン。

 

(だ、大丈夫……やよね――――って!! 何考えとるんよ、ウチは!!)

 

 浮かびに浮かんだ変な思考にセルフツッコみを叩き込み、頭を左右に全力で振って人様には絶対に教えられない知られたくないような己の妄想を振り払う。

 

 一度大きく深呼吸。

 

(……よしっ、大丈夫。振り払ったよ。もう、考えない。考えたりしない)

 

 気を取り直して身体の洗浄を再開し、下半身まで軽く流したところで一先ず終了。スポンジを首筋付近へと戻したところで、斜め前に設置された上半身全部が納まるくらいのサイズの鏡に映った事実に少女は小さく声を挙げる。

 

「あ~、やっぱり痣になってしもうてる。……まぁ、仕方ないしことやし、ええんやけど」

 

 左側面の首筋の丁度真ん中あたり。少女の玉の肌の一部分が赤くなっている。どうにかならないものかと気にかけるが、結局は何もせずに意識を転じて残りの汚れを取ることを優先する。内出血のようなものだ、放っておけばすぐに消えるだろう。

 

「髪の毛は……時間も必要やし、軽く流すだけで我慢するしかないよね」

 

 全身を流し終えたあと、少女は膝まで届くほどの長さを持つ自身の黒髪を手に取ってしばらく眺める。

 

 多少の癖はあっても、それ以上の黒真珠にも似た聖純な艶を湛えた長い髪。少女の密かな自慢のひとつだが、今この場でゆっくりと手入れをしている時間は残念ながら無い。己に言い聞かせるように口にした妥協案で納得するしかない。

 

「人様の家やし。流石にこれ以上はね」

 

 多少は気心が知れている相手とはいえ、あまり長い時間バスルームを占拠するのは気がひける。

 

 バスルームを貸してくれた相手もそれなりに汚れているし、汗だってかいているのだ。「こうなったのは、俺が不注意も原因のひとつだから」と言って優先的且つ多少強引に少女をバスルームへと追いやっていたが、やっぱりここは断固とした態度でこの家の住人である少年を優先すべきだったのではないのだろうか。

 

(そうやよ。いっそのこと、一緒にとか……)

 

「うにゃぁっ!!」

 

 奇声を上げて勢い良くその場にしゃがみ込む。両手で顔を覆って視界を遮ると、数刻前の妄想が再び浮かび上がる。

 

 全体の輪郭をぼかすような不透明フィルターが下りた世界の中、少女に向けて笑顔を見せる少年の姿。

 

 降り注ぐシャワーの熱さとは別のジンワリとした温かさが胸の奥から広がるのと同時に、頭が沸騰しそうなくらいに熱くなるとんでもない妄想。

 

 さほど広くない湯船の中で今にも触れ合いそうになる異なる色の肌と肌。立ち込める湯気の靄を越えて交じり合う視線と視線。お互いが吐き出した吐息がその場で揺蕩い、境目をなくしてひとつへと溶け合おうとしていた。

 

 膝を三角に立てた体育座りの状態で湯に沈めた身体。両腕は身体の前面で組まれ、縮こめた身体の輪郭をひた隠すようにしている。しかし、濁りのないお湯に浸かった少女の身体へと正面から注がれ続ける熱い視線は時を追う毎に熱を増し、隠しているはずの少女の全てが少年の注ぐ視線によって曝け出させられていくかのような感覚に陥ってくる。

 

 不意に伸ばされる少年の手。少女の髪へと向けられた手は、いつの間にか剥き出しの感覚器官へと変貌していた髪の毛の一本一本を掬い取るようにして触れてゆく。

 

 視界は歪み、呼吸は薄く荒く、どこかの芯から疼く感覚が頭を麻痺させる。

 

 あっ……。

 

 髪から離れた手が視界を掠め、微かに漏れた思いを引き摺るように視線は宙を移動する少年の手を追いかける。

 

 湯船へと沈む手。その行き先を追い続ける少女だが、少年の声によって紡がれた自身の名前が耳朶をうち、視線を上げた先には予想よりも近くにある少年の顔。少女の中の何かを強く刺激する感情を湛えた少年の瞳が迫っていた。

 

 再び囁かれる名前。少女の名前。それだけで少女は全ての束縛から解放され、同時に目の前の存在に己の全てが囚われていく感覚に陥る。それは、恐ろしくもこの上なく甘美な感覚であった。

 

 少女の両の二の腕がお湯の中で掴まれる。硬く組まれていたはずの腕はいとも容易くほどかれ、自由になった少女の手は逆に縋るように少年の腕へと向けられる。

 

 迫り来る存在をもはや押し止めることなど叶わず、湯触の縁に背を預けた状態で崩れゆく姿勢。晒されるのは少女の身体か心か。

 

 もはや少女の瞳に映るものは唯ひとつ。この世界で少女が心から身を委ねたく思うその存在に対して、不意に己の中に在る全てを伝えたくて、数度口を小さく瞬かせる。

 

 音に変わる寸前まできていた言葉。だが、それが成るよりも早く少女の身体は少年の元へと強く引き寄せられる。

 

 お互いの身体の前面の肌と肌が触れ合い、接した部分からふたつをひとつに溶け合わせるかのような熱さと異なるリズムの心音が少女の思考回路を瞬時にオーバーヒートさせる。

 

 そして今やゼロ距離に近づきつつあるその到達の瞬間に向け、静かに瞳を閉じた少女は、薄く開いた口から微かに甘い声を漏らして…………

 

「ス、ストーーーップ!! 終了! 終了やよ!! はい、ここまでっ!!」

 

 思わず声を荒げて静止の言葉を叫び、妄想ワールドを強制的に打ち切る。

 

 な、なんという有無を言わせぬパワー……。己の繰り広げた妄想、そこに秘められた甘美で抗い難いダイエット中の甘いお菓子の誘惑にも似た強制力。圧倒的なイマジネーション。内なる悪魔もたらす逃れざる欲望の囁き。

 

「あ、危なかった……」

 

 危うく人様の家のバスルームで、とんでもない世界へと旅立ってしまうところだった。

 

 ゼイゼイとまるで全力疾走後のような荒い息を繰り返し、自業自得とは言え物凄い疲労感を感じる。

 

「――――え~と。ジーク、大丈夫? なんか叫び声が聞こえたんだけど?」

 

「ふひゃい!?」

 

 多少くぐもった声がバスルームの外にある脱衣所の扉の向こうから届き、不意を突かれた妄想少女……もといジークは、裏返った叫び声を応答として返した。

 

「え? ジ、ジーク? ほんとに大丈夫? それとも、何か間が悪かった?」

 

「ああ、うん。いや。大丈夫やよ。ちょっとビックリしただけで。セアレも待ってるのに、長くなってもうてほんまにゴメンな。もう出るから」

 

 見られているわけでもなく、隠す必要もないはずなのに、何故か思わず胸のあたりを両腕で隠してしまう。乙女心の不思議だが、今のジークにそんな永遠のテーマについて考察している余裕はない。

 

「いいよいいよ。そんなに焦らなくても、ゆっくり入ってくれればさ」

 

 バクバクと五月蠅い心臓の鼓動を感じながら、焦る気持ちが高まるジークの耳に届く声は予想外なくらいに穏やか。ジークの浅い経験やら偏った知識からくる思い込みかもしれないが、この手のシチュエーションになった場合、男の子側というのは結構慌てたり焦ったりするのが普通なのではないかと思うのだが、今聞こえている声の感じからだけだとそんな印象は受けない。勿論、内心でどう思おうと表面に出さないように必死に取り繕っているだけの可能性が高いが、そうは言っても勘ぐってしまいたくなるこの感じ。まるで、そう、こういった状況になることに慣れているかのような。

 

(あ、あれ? な、なんやろうか。この感じは……)

 

 物凄く気分が悪くなった。下腹の奥辺りからムカムカしか感覚が込み上げてきて、思わずバスルームの扉の取っ手を握り締める。メキッと言うヤバい音が聞こえてきて、慌てて手を放したが。

 

「……出よか」

 

 これ以上バスルームでグダグダしていると、何か別の意味で頭に熱が集まってきそうな気がして、ジークはスパッと気持ちを切り替えることにする。

 

 思えば、今のこの状況自体が特殊で想定外で予想外なシチュエーションなのだ。変に色々と思いあぐねたりするよりは、もう流れに任せつつも出来るだけ普段どおりの自分でいるべきだろう。

 

 思考がようやくの着地へと至ったジークだが、そこでふと思い出すことがあった。それは、友人であるヴィクターの言葉。「世の中のほとんどの男性は基本的に狼なんですから、ジークみたいな可愛い子は常に気を付けなければいけませんわよ」と口を酸っぱくして言っていた。だが、彼という人物は信頼に足る相手だとジークは思っているし、ある意味で幸運なこの状況(何故、『幸運』と思うのか? という疑問はこの際無視だ)。何よりこんな状況でもなければ、同年代の男の子の家にジーク自身から行くなんてことはまずありえなかったであろうし。

 

「なし崩し的やったけど。それにしても、やっぱりセアレは結構強引なとこがあるんやね」

 

 そう、ほんの数時間前からなし崩しになし崩しが続き、結果的に今に至っている。その最も大きな原因は何かと言われれば。それはきっと、

 

「雨……まだ降っとるんかな?」

 

 突然の雷雨に見舞われたからに他ならないだろう。

 

 

 

*      *      *

 

 

 

 いつもと何ら変わらない日のはずだった。

 

 早朝から日課となっている肉体の鍛錬をしていたジークは、昼前頃から空気に雨の気配を感じていた。だが、ロードワークの途中でクラナガン市内という人工物も多く意識も散漫になってしまう都市部に入ったことで勘が鈍ったのか、まだ遠いと思っていた雨雲は予想よりも近くに忍び寄っていて、「あっ」と思った時にはもう手遅れ。降り出す雨粒から逃れようと、近場にあった店の軒先へと非難するはめになっていた。

 

 最初は通り雨程度かと思っていたジークだが、時間が経つにつれて雨足は激しくなる一方で、日々の生活上慣れていることもあって多少の雨で少し濡れるくらいならばジークもそんなに気にしないとは言え、流石に今寝泊りしている場所まで帰るまでの数時間を雨に打たれ続けるのには抵抗があった。当然ながら傘など常備しているわけでもなく、そうなれば必然的に移動することも叶わず、完全にその場で足止めを食う結果となっていた。

 

 「はよう、止まんかな~」と軒下から空を見詰めて呟き、手持無沙汰なジークは軽くシャドーなどをして時間を潰す。即効性のある対策法自体はあるのだ。すぐさま思い浮かぶ方法としては、知り合いのお嬢様な少女に連絡して迎えに来てもらうという手などが挙げられるが、彼女にあまり迷惑を掛けたくないジークとしては出来ればその手段は極力避けたかった。勿論、頼った相手がそんなことを気にしないし、むしろジークが頼ってくるのを歓迎していることすら分かってはいるのだが、だからこそその厚意に甘え過ぎてしまうわけにはいかなかった。

 

 しかし、本当に一体これからどうしたものか。

 

 差し迫った用事があるわけではないが、実は少々問題が起きそうな気配がしているのだ。

 

 何かと言えば、今現在進行形でジークが雨宿りの場としているのはとある店の軒先なのだが、現在は閉店中となっているこの店の壁看板に書かれている営業時間を見れば、あと数十分もすれば開店時間を迎えることになる。そうなった場合、ジークとしてはこの場所に非常に居づらくなる。今日のお財布事情とか、恰好が雨に濡れたスポーツウェア姿だとか、色々と理由はあるが、一番の理由はこの店が所謂『大人の社交場』的な店であり、10代のスレてない少女にはあまりにも敷居が高すぎる場所だからだ。

 

 店の人に露骨に追い払われるか、或いは運が良ければ傘などを貸してもらえる可能性もなくはない。だが、無難な選択をするのであれば、雨に濡れることを覚悟で他の雨宿りできそうな場所まで全力ダッシュが一番だろう。行く場所はスポーツセンターとかの公共の施設関係。持ち合わせの関係上、他の飲食店とかに入る選択は不可決定だった。

 

(……よし。行こうか)

 

 心を決め、降り頻る雨の舞台へと身を躍らせようとしたジーク。だが、

 

「もしかして……ジーク?」

 

 寸前に掛けられた声に急遽行動をキャンセルする。

 

 声のした方向に視線を動かせば、そこには雨の中にビニール傘を広げて佇む人影。傘の縁を軽く持ち上げられ、その先から見知った色の髪をした少年の顔が現れる。

 

「え、あ、セアレ? どうしたん、こんなところで?」

 

「……それ、俺の台詞だって。ジーク」

 

 セアレ・ルシーブルなるジークにとって数少ない同年代の異性での……知人? 友人? それとも……。まあ、少なくとも顔見知り以上の交友関係にある少年である。

 

「え~と。雨宿り……だよな。もしかしなくてもさ」

 

「うん。まあ、急に降り出してもうたし、ウチも傘を持ってなかったし、緊急避難みたいな感じで」

 

 キョロキョロと周囲と主にジークが軒先を借りている店の看板などを確認し、何とも微妙な表情で言ってくるセアレに対し、ジークも何とも微妙な笑顔的な何かな表情を浮かべて肯定する。全体的にぎこちなく不思議な感じの二人だが、そこはまあ、今いるこの場所に大きな原因があると思っていただければいいだろう。要は健全な青少年と少女が会合するにはあまり相応しいとは言い難い場所なのだ。

 

 で、あれば。普通の少年であるセアレの次に取る行動はある意味で必然であるだろう。

 

「ちょっと傘が狭いけど……入る? どこかに行くつもりならばその場所でもいいし、もし帰る途中だったとかなら、近くの駅でも……いや、いっそのことジークが今住んでいるとこまで送るけど?」

 

「そんな……ええのん? こんな雨やし、セアレに迷惑ちゃうん?」

 

「全然大丈夫。用事も特にないし。俺もこの雨でもう家に帰る途中だったから」

 

 最良の案とばかりに送迎の提案をしてくるセアレだが、提案を受けたジーク的には嬉しい反面やはり気が引ける思いがあった。そんな心情もあってなのか、不安気にお伺いを立てるような態度のジークだが、それもセアレの迷いのない言葉で一蹴されてしまう。

 

 とは言え、いくら相手が問題ないと言っても、頼る側のジークの性格的にそう簡単に提案を受け入れることもできず、「でも、やっぱり……」と言いよどむジークだったが、

 

「それにむしろ、ジークをこの雨の中でほっぽりだして帰りでもしたら、きっと俺は今日一日の残りの時間をずっとそのことが気になって仕方なくて、絶対に後悔するに決まっているからさ」

 

 何でもないような感じのまま早口で捲し立てられ。そして、

 

「お互いを助け合うってことで、ここはサクッと俺の提案に乗ってくれると助かるんだけど?」

 

 「お願い!」って感じでセアレに言われた日には、ジークに断るすべなどなかった。

 

 そんなこんなで、「じゃ、じゃあ、お邪魔します」「はい、どうぞ」といった多少トンチンカンなやりとりを行いつつもセアレの傘へと入るジーク。

 

(ど、どないしよぅ……)

 

 しかし、傘に入ったまではいいが、ジークはその立ち位置に頭を悩ますこととなった。傘を持つセアレから距離を取り過ぎれば身体の一部を雨に晒さらすことになってしまうが、かと言ってあまり近づきすぎれば色々と気になる事柄が発生してしまう。所詮はその場しのぎ用の簡易なビニール傘。大した面積があるわけでもなく、二人で使用する分には些か小さいと言えるサイズの傘の中で、程度な距離とは一体どのくらいの距離なのか。

 

(こ、このくらいでええかな?)

 

 結局、ジークが選んだのは近すぎず遠すぎず、お互いの肩と肩の間に握り拳が三つ入るくらいの距離を置いた位置だった。

 

 だが、

 

「え~、ジーク。もうちょっとだけ、こっちに寄れない? その位置だと流石に濡れると思うんだけど?」

 

「う、うん。そやね」

 

 セアレの提案と指摘。その言葉に頷き、おずおずと二人の間の距離を詰めるジーク。

 

 開いていた空間は徐々に狭まり、近づくにつれてお互いの身体から発散される体温の熱が触れ合っていくような気さえする中、それぞれが着ている服の生地が微かに押し合うくらいの距離で停止。ジークが止まった瞬間、不意に世界に満ちている雨水の匂いの壁を突き破って鼻孔を擽るのは、自分自身とは異なる他者の匂い。

 

「……うっしゃっ。それじゃあ、行きますか。どこまで送ればいい? やっぱ、ジークが今住んでる場所まで行くのがいい?」

 

「え、ええよ。ええよ。そこまで気を遣ってもらわんでも。ほんま、近場の駅まででも送ってもらえれば、あとはウチがどうとでもするから」

 

 一瞬、お互いに視線を合わせたあと、同時に明後日の方角を向いたセアレとジーク。

 

 仲良く二人揃って少々赤くなった顔をお互いに逸らしたまま、視線を彷徨わせながら何故か微妙に早口な状態で会話を行いつつも、降り頻る雨の街へと歩き出す。

 

 奇妙な沈黙を保ったまま、雨の中を歩く二人。

 

 雨は弱まる気配を一向に見せず、周囲から聞こえる音は雨音とそれ以外のノイズのみといった感じで、道行く人達も皆傘を差して歩いていることで表情が見えない為か、全ての人が画一された無個性な存在となっているような印象を受ける。

 

 雨の日の街は、皆が傘と言う名の各々の世界に引き籠っている。そんな寂しい日なのだと――――何故かジークはそんな哲学的な考えを、ボンヤリと周囲を見渡しながら物思ったりした。

 

 ふと、感じた違和感。

 

 見えざる感覚の正体を探し求めるようにジークの視線が宙を移動し、真横へと導かれる。

 

 そして、自身の真横を歩くセアレの姿を捉えたジークは、感じていた違和感の正体に気付く。何と言うことはない。全てがボンヤリと雨で霞む世界の中で、そこだけは、自分の両手を広げたくらいの小さな範囲の世界だけは、霞むことなく鮮明に存在を感じることができるのだ。

 

 クスッ。と、ジークの口から漏れる小さな笑い。

 

(……なんよ。これ、マンガとかのシチュエーションみたいやね)

 

 雨宿りしていて知り合いの男の子に声を掛けられ、その子の持っていた傘に入れてもらって家まで送ってもらう。まるで、昔の少女マンガの王道パターンのようなシチュエーション。あの手の話では、ヒロイン達は大抵が学生の身分のことが多いが、すでにジークは義務教育課程を修了しているので、残念ながら今は学生の身分ではない。それに、諸々の個人的な事情から所謂『華の学園生活』などといったものとも縁遠かった。そう考えれば、このような本当に学生の青春的な出来事を体験できるのは、非常に貴重な機会と言えるだろう。

 

(でも、確かこの手の話になった時のパターンって……)

 

 そこまでマンガや恋愛小説などに詳しい方ではないが、それでも少ないながらの知識を思い返すと、こういった状況になったヒロイン達にはその直後に何かしらのハプニングが起きることが多かったように思える。思いもよらない接触から急にお互いを強く意識しだしたり、抱いていた心情を思わず口走ったり、共通の知り合いに見つかるのを避ける為に一緒に逃亡したりと、様々な王道パターンがあったが、そのどれかが今から現実にジークの身に起こるかと問われれば、「そんな、いくらなんでも。少なくともウチには在り得へんって」とジークは思った。

 

(他にも何かあったやろうか……)

 

 何となく止めるタイミングを掴めず、つらつらと思考を続けるジーク。そんな中で、不意に思考の片隅に浮かんだシチュエーション。

 

(あっ……)

 

「おわっ!!!」

 

「きゃっ!!!」

 

 ジークが心の中で小さく声を上げた瞬間、突如強烈な突風が吹き、不意打ちを食らって声を上げる二人の身体を激しく煽る。

 

「くそっ、最悪だ。ジーク、濡れてな――――」

 

 突風の影響で横殴りとなって叩き付けられた雨に対して悪態を吐きながら、セアレは少しでもジークが雨に濡れないようにと傘をジーク側に傾ける。だが、その行為はあきらかに失敗だった。運悪く再度吹き荒れる突風が斜めになっていた傘を直撃。次の瞬間。

 

 メキャッ! バンッ!!

 

 傘の骨が見事にへし折れる音。そして、風で傘が裏返し状態になる音が続けざまに響いた。

 

 そして、頭上を覆い尽くすものを失った二人に対して、更に雨足を強めた無数の雨の矢が無慈悲にも降り注ぐ。防ぐ手立ては無く、成すがままの二人。あっという間にその身が濡れ鼠へと変貌する。

 

「「…………」」

 

 無言でずぶ濡れになったお互いの姿を見る二人。

 

 共に特別着飾った一張羅と言うわけでもなく、濡れて下が透けることを気にして見るのを憚ってしまう必要性があるような薄着でもない。だが、正直言って気分がいいものでもない。

 

「っあ~~…………」

 

 深く頭を垂れて低く唸り、急に髪の毛をガシガシと掻き、水分を含んだことで額に張り付いていた前髪を掻き上げるセアレ。嘆息を数回繰り返し、ジークに向けて上げた顔に浮かべていた表情は何とも微妙なものだった。

 

「ごめん。送るとか調子良いこと言っといて、こんな状態になっちゃって」

 

 ジークへの申し訳ない気持ちと、自身に対する自嘲が複雑に入り混じった表情を浮かべながら、セアレは持ち上げた手に握っていた壊れた傘を示す。どう見ても使い物になるような状態ではなかった。

 

 「そんな、セアレは悪うあらへん」と言おうと口を開きかけたジークだが、その前にセアレが再び口を開いた為、喉まで出かかっていた言葉を飲み込む。

 

「それで、俺がこんな提案をするのも随分と勝手な気がするけど……」

 

 雨は止む気配がまるでなかった。

 

 肌寒い時期ではないが、これ以上の時間を雨に打たれ続けるのはいただけない。体温や体力の低下は免れないだろうし、下手をせずとも風邪をひいてしまう可能性が高い。

 

(どうするつもりなんやろ? もしかして、ここで別れてそれぞれ帰るとか? それとも、どっかの建物に一時避難して、服が乾くのを待つとか? ……いや。そやったらいっそ、ウチがヴィクターに連絡して迎えに来てもらった方がええんちゃうんやろか)

 

 何故か言いよどむセアレ。その様子からジークはセアレが何かジークに対して言い難いことを言おうとしているのではないのかと当たりをつける。すぐさま次善策を検討しだすジーク。何であれば、ヴィクターに頼ることすら視野に入れ始める。いろんな人に迷惑をかけることになるかもしれないが、それでもこれ以上セアレに迷惑をかけたくなかった。

 

 次にセアレがどんな提案をしようと、ジークは素直に従おうと決める。返答の言葉は『うん』一択だけだ。

 

「この場所なら、俺の家がそんなに遠くない場所にあるんだ。だからとりあえず、俺の家で雨宿りしないか?」

 

「うん。…………うん?」

 

 だから、即答で了解の返事したジーク。

 

 彼女がセアレの台詞の意味を理解し、顔を真っ赤に染めて絶叫するのは、この数秒後のこと。

 

 

 

 

 






 To be continued......?

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