ラブライブ! feat.仮面ライダー555   作:hirotani

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あとがき

 ファイズは格好いい、μ’sは可愛い、というだけで終わらせる作品にはしない。

 

 それが本作『ラブライブ! feat.仮面ライダー555』を執筆するにあたり、私が自身に課した課題でした。実のところ始めからこのような心持ちで作品を書いていたわけではなく、それどころか最初の頃は『555』をメインに据えて『ラブライブ!』はおまけ程度という、ラブライバーの読者様にとって怒り心頭な感覚で書いていたことは恥ずかしい限りです。

 

 元々、2作品を原作とした二次創作は別々の作品として構想していました。『ラブライブ!』原作のSSはことりの兄という設定のオリ主がμ’sに関わっていくというストーリーで、もはやこのサイトにおいてはテンプレート化し目新しさのない作品に成り果てるところでした。一方で『555』原作のSSは『仮面ライダー4号』の後日談とし、海堂を主人公として巧亡き後の世界を描く予定でした。しかし海堂直也という人物は心情を読み取りづらく、彼を語り口として物語を展開することに限界を感じお蔵入りを考えていました。

 

 そこで考え付いたのが、両作のクロスオーバーという形です。恥ずかしながら、『555』のシリアスさを『ラブライブ!』の明るさで緩和させよう、という悪ふざけから発した試みでした。『ラブライブ!』側のストーリーは原作のアニメ版に準じているのだからμ’sを癒し要因として機能させよう、と。なので穂乃果を巧の近くに置いていたのは推しメンというわけではなく、単純に『ラブライブ!』の主人公だからという理由です。しかし途中から意識が変わっていきました。何のためのクロスオーバーなのか。巧がμ’sの夢を守るために戦うのなら、何故μ’sが守られるに値するか。彼女らの何がファンの心を打ったのか。何故、高坂穂乃果がリーダーたる存在なのかをしっかり描写するべき、と考えを改めていくようになりました。そこから、巧の視点でμ’sの活躍を見守り、巧が人の夢を守る理由を追従していくという本作の形が出来上がっていきました。そのために1話がとても長くなってしまうという事態が起こりましたが、そこは私の原作への想い入れの強さ故とご勘弁ください。

 

 クロスオーバー化にあたり乾巧を主人公に据えるのは私にとって大きな挑戦でした。オリ主であれば、自分の趣向のまま自由に描くことができます。しかし既存のキャラクターであればそうはいかず、読者様に半田健人さんが1年かけて演じ上げ、放送から現在まで「たっくん」とファンから愛されてきた乾巧と認識してもらわなければなりません。物語のなかで成長させるにしてもキャラクター性の根幹を失い、名前が同じだけの実質的なオリジナルキャラクターにすることは絶対に許容できないことでした。その理由は、私が『仮面ライダー555』の15年来のファンであることに他なりません。

 

 大切なふたつの作品だから、元気を貰えた作品だからこそ組み合わせた本作をただのお祭り作品にはしたくない、と思いました。原作を片方しか知らない方にはもう片方の原作を手に取るきっかけとして、既に原作を知っている方には魅力を再認識すると共に新しい発見のある作品にすること。読み終わった後もサイトを覗き、再び読み返してもらえる物語に仕上げること。それが私にできる、作品とキャラクター達に対する恩返しという思いもありました。しかし、hirotaniという作者としての私を主張するためオリジナルの要素を入れてしまったことも事実で、それは原作では描かれなかった巧の生い立ちと、オルフェノクについての考察として表れています。流星塾生たちの義父である花形が、巧の実父という設定も考えていました。ファンの方なら承知かもしれませんが、『555』においてそのような血の因縁という要素は必要ないのです。血や種族を超えた生き様こそが乾巧の物語なのですから。

 

 本作の方向性として恋愛は無し、ということは最初から決まっていたことです。しかし読者の皆様はラブコメを期待しているのでは、という葛藤があり巧とμ’sの誰かを恋仲にさせる展開も考えはしました。ですがμ’sで1人だけ主人公の恋人と特別扱いすることは、安易な恋愛で『ラブライブ!』の作風を崩してしまうという危惧があり方向性を貫いて良かったと思っています。『555』本編でも巧と真理の関係は深まっていても恋人にはならないところに悶々としていたので、子供向け番組故の制約かもしれませんが主人公とヒロインに恋愛をさせないのが『555』らしいかなと。それに巧という男は「自分はオルフェノクだから誰かを愛してはいけない」という意識があったのだと思います。

 

 実は木場勇治を登場させる構想もありました。本編の最終話でブラスタークリムゾンスマッシュを食らう直前にアークオルフェノクから永遠の命を授かるという設定で、完全なオルフェノクとして巧の前に立ちはだかるという展開を考えていましたが、木場の死があって後の『仮面ライダー大戦』や『4号』での巧が形成されたのではと思い、登場させるのは断念しました。本作の巧は死者の想いを受け継ぐというコンセプトだったので、いたずらに復活させるのはまずいかなと。もうひとつ、木場さんを演じてくださった泉政行さんの訃報による心境の変化が理由です。近年は半田健人さんがライダー作品に巧役で出演なさっていたので、泉さんも木場勇治として出演してくれるのではないかと期待していました。しかし泉さんが若くしてご逝去されたことでもう叶わぬ夢となってしまい、『555』に散見される死の儚さを本作で演出することが、泉さんに対する「ありがとうございました」のメッセージになればと思いました。そのために別の切り口を見出せず、本作にオーガを登場させられなかったことは私の実力不足です。

 

 泉さん、ありがとうございました。泉さんの演じた木場勇治は紆余曲折あり悪へと転じてしまいましたが、最期の最期は紛れもなく子供達の夢や希望を守る「仮面ライダー」であり、その雄姿はこれからも仮面ライダーの歴史に深く刻まれていきます。

 

 本作は「たっくんは満足して逝ったんだ」という私なりのけじめとして、構想を練っていた時期から第2期で完結させる予定でした。穂乃果が巧の夢を覚えていてくれたら十分ハッピーエンドと思っていたのですが、巧の視点で物語を書き進めていくうちに「たっくんが幸せになれなくて何がハッピーエンドだ! ふざけんな‼」と思い立ちこのような結末へと至りました。『ラブライブ!』劇場版がμ’sメンバー達の未来を祝福する物語であるなら、『555』とのクロスオーバーである本作で巧に祝福がもたらされないことなど、ファンである私には受け入れがたいことでした。同時にもし本作を読んで涙して頂ける読者様がいるのなら、最後は悲しみではなく喜びの涙で見届けてもらいたいと思い、蛇足かもしれませんが二次創作という何でもありのコンテンツだけでも巧を救済させる運びとなりました。

 

 本作のその後については皆様のご想像にお任せします。プロの作家でない私が読者様に後の解釈を委ねるなんて丸投げするのは大変生意気なのですが、その後の巧がどうなるのかは本当に私にも想像がつきません。ですが、人間として生きる世界での巧はありふれた人生を送り、ありふれた幸福を享受することができるのは確かと明言させていただきます。

 

 どうか本作で『ラブライブ!』と『仮面ライダー555』の魅力を皆様にお伝えすることができたら嬉しい限りです。最後まで見届けてくださった皆様、応援してくださった皆様、アイディアを提供してくださった皆様、『ラブライブ!』と『仮面ライダー555』の制作陣及び出演者の皆様、私の執筆活動の原点となってくださった伊藤計劃先生へ厚く感謝御礼を申し上げます。

 

 ありがとうございました。

 

 私が新しい作品を投稿したら、その時は「またしょうもない話を書いているな」と優しい嘲笑を頂けたら幸いです。

 

 

hirotani

 


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