誰かが言った。
〝人が想像できる事はいずれ実現する〟と。
その日、懐かしいセリフを思い出しながら、これまで死をもっとも恐れてきた老人は腰を抜かしていた。
かれこれ何百年と違法に体を取り替え、寿命を無駄に延ばしてきたが「まさか……こんなことが……」と、本当に腰を抜かしてしまう出来事に遭遇するとは夢にも思っていなかった。
頭上を黒い矢じり型の宇宙船が通過していく――。
冥王星に移住しておよそ50年――。
人里離れて暮らしていた老人は、ちょっとした小遣い稼ぎにと近くの岩場に出掛け魔石掘りをしていたところ、赤ん坊を発見した。
なにより問題なのはその発見の仕方だった。
始めは、小遣いどころか家が買えてしまう魔石の発見だと思ったのだが、含まれているのは魔石特有のフラクタル構造の粒子ではなくその赤ん坊だったのである。
当然もう死んでいるものと思い、老人は心を痛めた。
きっと恥知らずの馬鹿な親が捨てたに違いないと――。そこからどうやって琥珀に閉じ込められた大昔の蚊のようになってしまったのかについては何もわからない。
その時ふと哀れみが老人の手を動かした。
腰を抜かす出来事はここで起こった。
石のように硬質な膜に裂け目が走り、中から赤色の液体が漏れ出す。するとそれによって本来の色を取り戻した赤ん坊が突如泣き出したのだ。
(生きている……。こやつ生きているぞ!)
今日まで思う存分自分勝手に生きてきた老人はこれを試練だと悟った。
(この赤ん坊さえ生かしきれば許される。これまでの事は全て……)
日本の国籍を取得していた老人は、さっそく赤ん坊を養子に迎え入れる準備に取りかかった。
――とはいえ。
たまたま出くわしただけの赤ん坊に悠々自適な日常を邪魔されては困る。テキトーに育ててある程度でかくなったら、施設にでも入れてしまおう。
老人はぽりぽり尻をかきながらそう決意した。
――冥王星 52番エリア クザハ湖
そこは季節が夏でも肌寒さを感じる地域だった。地下には氷の層(永久凍土も含む)があり、そこから発する冷気が地上まで伝わってくる。
巨大な生きもののような雲が浮かぶ明るい空の下。
湖のほとりには二人の人間がいた。
一人は齢18の比較的小柄な少年で、青黒いセミロングの髪を垂らしており、その下には生意気そうだがどこか憎めない顔が「もうどうにでもなれ」といった半ば無気力な表情を浮かべている。
彼――ジュノ・ネペンテスは、顔を真っ赤にしている女を魔力の糸をもちいて近くの変な樹に吊し、必死の抵抗をちょっとずつ毟り取ってやろうとしているところだった。
「イヤァアアアアアアア! お願いです! やめてください! 早く下ろしてぇええええ!」
「おいおい音を上げるのはまだはえーだろ。人様のバッグを勝手に漁っておきながら、自分のスカートの中を漁られるのはダメって、そりゃあないぜぇ」
「違うんです! ぜんぜん違うんですよ! ワタシはただ貴方のバッグに招待状をこっそり入れようと思っ、ヒイイイイイイ!」
ジュノが手に込めていた力をすこしばかり強めると、ついに太ももの先っちょがこんにちはと顔を出した。思わず、おう、と悦びの声が漏れる。
対する女のほうはトイレでも我慢しているのかといった感じで思いっきり力んでいる。
そんな彼女は、法的には人間だが見る者によってはヒトならざる者だった。
〝ヒトに属する冥王星生まれの冥王族〟
これが公的に正しい位置付けである。
エルフと呼ぶ者もいれば悪魔と呼ぶ者もいるその種族は、火星に続いて特殊な変化を続けてきた冥王星にヒトが移り住むため、遺伝子操作や肉体強化などを施した人間を実験的に送り込んで徐々に生活圏を広げさせた結果うまれた、謂わば改造人間の力を自然的に受け継いだ新人類なのだった。
とはいえ、見た目はヒトとさほど変わりない。
ただヴァンパイアさながら小さな牙を持ち、興奮すると瞳が血に飢えた怪物みたく妖しい光を帯びるだけだ。
つまり悪魔と呼ぶ人の大半は彼らを〝吸血鬼〟だと思い込んでいるわけだが、実際は冥王族がヒトの血を吸ったなどという例は一度たりとも存在しない。単に表に出ていないだけというのもあるかもしれない。だがそれはヒトであっても同じこと。こそこそ隠れて非人道的な行為をする輩は、どの時代にも、どの世界にも存在する。
そしてそんな冥王族の彼女は、泣き叫んでいる事と口にするセリフの内容を除けば、妖艶な青白い月がよく似合いそうな見目麗しい女だった。
齢はジュノの一つ年下の17歳。にもかかわらず彼女のほうが大人っぽく見える。亜麻色の髪を少女っぽくツインテールにし、身に纏うドレスもフォーマルさを極力廃した可愛らしいものを選んでいるところを見ると、どうやら心はまだ幼いようだが――。
「さてさて、そろそろシメに取りかかろうか。お前はどう思う? ん?」
「も、もう、限界です……許してください……。本当にもうこれ以上は……」
風に吹かれようとも絶対にめくれないようにと、せっかくロングスカートのドレスを着ているのに、なんて哀れなんだろう。――今にも落っこちてしまいそうなスカートの裾を、えいえい、と引っ張っているジュノはクスクスほくそ笑む。
「そういや、その柄の入った黒のタイツって、メイドインジャパンだろ? おれ好きなんだよなー、その模様。なんつったっけ、えーっと……」
「教えます! 今すぐ地面に下ろしてくだされば今すぐなんて模様かお教えしますから! どうか下ろして!」
「下ろして、じゃなくて下ろしてくださいだろ、豚」
「下ろしてください!!」
「やだ」
「そんなぁあああああ! 知りたくないんですか!? 模様の名前! すてきな名前ですよ!? 知ったらきっとハッピーになってワタシの事が大好きになりますよ! シャムエルちゃん大好きって!」
「ならねえよ」
イラッときたジュノは今までで最も強い力で、ぐいっと裾を引っ張る。それによって市松模様入りの黒タイツに包まれた太ももが完全に露わとなった。付け根まで残すところもうわずかだ。
「ごめんなさい! 調子乗りましたっ! もう二度と言いません! ですから下ろしてください! 一生のお願いですっ!」
「で、それ何模様なんだよ。早くいわねーとその黒タイツ破くからな、いいのか?」
「破く!? 三日間お店に並んで三日目にようやくの思いでぎりぎり手に入れた、この市松模様入りのすてきなタイツを!? 破くんですか!?」
「ああ、そうそう、それそれ。市松模様だ」
「ううううううううう! 言っちゃった! 言っちゃったよぉワタシィイイイイ! もうダメかもしれない! ふぎぃいいいい!」
「落ち着けよ。泣くなって。べつにスカートのなか見られたからってあの老いぼれが決めた制約(ルール)を律儀に守る必要ねーだろ。見られてませんって顔して堂々としてりゃーいいんだよ」
「そんなの無理です! 見られてしまったら、ワタシはもうワタシではなくなってしまいます!!」
「ふーん。つうか、なんか飽きてきたな」
悪戯好きのガキんちょが何か面白い事を思いついた、みたいな笑みを浮かべるジュノは、くるり、とシャムエルに背を向け「じゃあまたねえー、シャムエルちゃん」とまたクスクスほくそ笑みながら去って行く。
「そんな……、ま、待って! 待ってください! 会ってまだ二回目なのにこの仕打ちはひどいですぅ! ジュノさん! ジュノさあああん! 解いてえええええええええ!」
精一杯声を張り上げて名を呼ぶが、届いているはずなのに彼は振り返るそぶりすら見せない。そして必死の叫びも虚しくジュノの姿はしだいに遠のいていき、すぐに見えなくなった。
やがて……。
辺りを照らしていた陽の明かりが薄れていく。
鬱蒼とした森がもうじき夜の闇に飲み込まれる。