ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 記念すべき、第100話でございます。
 これからもベルセルク・オンラインをよろしくお願いします!




第10話 わたしのヒーロー

 ――――その姿が、オレが小さい頃のモノだった。

 

 

 夢にした鮮明で、見渡すような俯瞰的な視点ではない。

 走馬灯と呼ばれる現象がある。死に際で見ることが出来る、己の人生の様々な情景を見ては過ぎ去っていくと言われるアレだ。

 

 正にオレは、それを体験している。

 現在進行系で、見に覚えのある光景が、オレの眼に焼き付いていた。

 

 近場の公園。

 昔、住んでいた家からさほど遠くない。世田谷区内にある、大きな公園のベンチにオレは腰掛けていた。

 大きな公園と言っても、その規模はかなりのものだ。景色に溶け込ませている円形の噴水、数百台近く止められそうな駐車場もあり、数が多く多種類の遊具が敷地内に設置されていた。広場もあり人工芝が敷き詰められており、そこでシートを広げて遠足に来たような気分も味わえることだろう。

 

 眼に映るのは、遊具で遊ぶ子供。そしてソレを見守る、親らしき存在だった。

 特に珍しくもない光景だ。かなりの規模の公園だ、親子連れで遊びに来るなどさほど珍しくもない。

 

 

 だがそれは、オレにとって――――。

 

 

「……ッ!」

 

 

 ――――地獄のような光景だった。

 

 幼い頃のオレは、今よりも精神面でもガキだったようだ。

 今でもガキということは自覚があるが、昔のオレは更に酷い。クソはクソでも、クソガキの部類と言える。

 

 何せ、眼に映る何もかもが憎たらしかった。

 道理も知らずに笑う子供も、子供と遊んで笑顔で応じる父親も、それを見守るかのように笑みを零す母親も、何もかもが気に入らなかった。

 

 どうしてあんな奴らが生きていて、父さんと母さんが死んで、オレがこんな目に合わなければならないだ、と本気で思っていた。

 この感情が、オレが宿している憤怒、憎悪が八つ当たりであることは理解している。第三者である彼らには何一つ関係ないことだ。当事者というわけでもないし、オレや父さん達のことを知らない、本当に関係のない第三者で何一つ関わり合いのない人達だ。

 八つ当たりだ。昔のオレが抱いている感情は、八つ当たり以外の何物でもない。だというのに、昔のオレは。本気で目の前で幸せを謳歌している連中を、叩き潰してやりたいと考えていた。

 

 今となっては、子供の頃のオレを殴ってやりたい。不貞腐れて、性根も腐りかけているオレを、力いっぱい殴ってやりたい衝動に駆られている。

 

 だが生憎、口惜しいことに昔のオレは精神が幼すぎた。

 何もかもが憎かった。自分を取り巻く環境も、理不尽にオレからあの人達を奪った世界も、目の前で広がる吐き気がするような幸福も、生き残ってしまった自分すら、憎しみの対象となっていた。

 

 信じられる人間もいない。

 父さん達の葬儀が終わって、一言二言オレを労る言葉を吐いた思ったら、遺産の話をしてくる。

 誰もがそうだった。あの人達に関わりのあった連中、昔の友達であったという友人達、親族すらも同じセリフが出てきた。

 

 身寄りがなければオレを預かりたい、と。

 文字にすれば、博愛で友愛に満ちた言葉だ。だがその本質は違う、誰も彼もがオレを見ていない。全員が全員とも、オレではなくあの人達の遺した財産に目を向けていた。

 汚い、本当に汚い。何でこんな屑が生きて、オレの親が死ななければならなかったのか。道理が違うだろう。汚物は他人を救わずに、自分ばかり。対して、あの人達は他人を数え切れないほど救ってきた。

 

 世界は本当に不平等に平等だ。

 誰であろうと平等であり、不平等に奪っていく。

 

 

『……チッ』

 

 

 大きく舌打ちをする。

 数日もすれば住んでいた家は売り払われて、オレは天涯孤独となる。

 

 こんな地獄のような場所にいるのは、家にいればあの人達との思い出が蘇ってしまうからだ。

 今となっては裏目に出てしまったわけであるが、家にいるよりかはマシだった。

 

 誰もが信用できない。

 とは言っても、全ての人間が遺産目当てという訳ではない。

 オレの身元保証人であった叔父、そして家族で付き合いのある結城の人達だけは、財産関係なくオレの面倒を見てくれていた。

 

 幸運なのはオレは恵まれていたということ。

 不運なのは昔のオレはそれに気付いていなかったということだ。

 何一つ、見ようとしなかった。両目を瞑り何も見よとせず、両耳を塞ぎ何も聞こうともせずに、両足を抱えて立ち上がろうともしなかった。

 

 そんな腐りかけている人間に何を言っても無駄だ。

 だと言うのに――――。

 

 

『ゆーき、くん……』

 

 

 ――――コイツだけは違った。

 いつの間に立っていたのか、オレの目の前にはアイツが立っていた。

 フリルの付いたスカート、ブランド品なのか上品な衣類を身に纏い、新品同然のクマのぬいぐるみを抱えて、オレを伺うような視線を送っている。

 

 育ちが良い、と誰もが見てもそう言うだろう。

 振る舞いと言うか、上品な雰囲気というのか、子供の頃からアイツは身に付けていた。

 

 走ってオレを探しに来たのか、履いている靴には泥が付着している。

 息も上がっており、頬も僅かに紅潮しており、汗が滲み出ている。

 

 

『……テメェ、何をしに来やがった?』

 

 

 対するオレはそんなアイツの状態など、何も気付いていない。

 アイツをオレは睨みつけている。冷たすぎる声に、肩をビクつかせてアイツはたどたどしく言葉を紡いでいく。

 

 

『ゆ、ゆーきくんをさがしに、きたんだよ……』

『何の為だ、笑いにでも来たのか?』

 

 

 そんなわけがない。アイツはいつだって優しかった。

 探しに来たのだって、オレを心配してのことだろう。なのに昔のオレは、それにすら気付けない。

 

 

『そ、そんなことしないよっ……!』

『ハッ、どうだか』

 

 

 鼻で笑い、鬱陶しいモノを追い払うような口調で。

 

 

『失せろよ。何をしに来たのか知らねぇが、オマエの顔なんぞ見たくもねぇ』

『ゆーきくん……』

『邪魔だ。叩き潰されてぇのか?』

『…………っ!』

 

 

 それだけ言うと、アイツは泣きながらオレの前から走り去っていった。

 当然だ。折角の善意を足蹴にするようなクソガキに付き合う道理もない。

 

 オレも追うような真似はしなかった。

 清々した、その程度の認識しかない。本気で邪魔だと思っていた対象が消えたのだ、追うわけがなかった。

 

 だがオレの心は晴れない。

 アイツを泣かせてしまった罪悪感などではなかった。状況は何も変わらない。気持ちが悪い光景は依然そのままであるし、オレを取り巻く環境も変化もしない。

 先のことなど考えたくもなかった。このまま生きていても地獄であることは変わらない。

 

 

 ――どうして、オレは生きているんだ。

 ――こんなことなら、あの二人が生きてオレが死ねばよかった。

 ――ンでオレなんかを助けたんだよ……。

 ――父さん、母さん。

 ――なんで、オレなんぞを……ッ!

 

 

 歯を食いしばり、両手の拳を握りしめる。

 他人を幸せなど見るのも吐気がするのなら、そのまま閉じてしまえばいいと眼を閉じた。

 

 生きているのも苦痛だった。息をするのも、世界にオレが存在すると考えただけで、嫌気がさす。

 考えるのは生き残ってしまった罪悪感、そしてどうやって死ぬか、それだけだった。

 

 このまま目を開きたくもない。永遠に閉じたままで、消え去れてしまえばどれだけ楽だろうか。

 だが――――。

 

 

『……あ?』

 

 

 それは許してくれなかった。

 ベンチに座るオレの隣に、誰かが座る。

 

 鬱陶しい、とオレは再び眼を開けて座った人物を見る。

 それは――――アイツだった。泣きながら走り去っていたアイツは、クマのぬいぐるみをかかえたまま、どこで買ってきたのか大量の菓子が入った袋を片手に持っている。

 

 

『消えろ、って言ったつもりだが?』

『……』

 

 

 アイツは答えない。

 泣いたせいもあって、眼を真っ赤に充血させている。いいや、今もその双眸からは涙が溢れ流れていた。

 

 それがどうやら癪に障ったのか、オレは睨みつけてもう一度口を開けた。

 

 

『テメェ、本当に叩き潰され――――!』

『わ、わたしここにいるからっ……!』

 

 

 泣きながら、それでいて怯えながら、オレと目線を合わせることが出来ないまま、アイツは言った。

 声を震わせながらも続ける。

 

 

『もういちど、ゆーきくんとあそびたいから! わたし、うごかないから!』

『それがウゼェって言ってんだッ! 恵まれてるバカが、さっさと消えろよ!』

『やだもん!』

 

 

 そこで漸く、アイツはオレを見る。

 大粒の涙を流して、嗚咽を漏らしながら、必死に言葉を紡いでいく。

 

 

『このままだと、ゆーきくんもとおいところにいっちゃうもん! そんなのやだよ、やだ! ぜったいに、いや、だもん!』

『……ッ』

 

 

 今、思えば。

 ここでオレはアイツに救われたのかもしれない。アイツが素直に消えていれば、アイツがオレを見捨てていれば、オレは勝手に死んでいたと思うから。

 

 見捨てられても良い存在だった。

 誰彼構わずに嫌い、誰彼構わず憎悪している迷惑な存在だった。

 なのにアイツは、オレを見捨てなかった。どれだけ汚い言葉を並べられても、自分が傷つけられてもアイツはオレに手を伸ばし続ける。

 

 感謝してもしきれない。

 腐らずに、今のオレがあるのは、アイツのおかげでもある。

 だから助けようと思った。オレがどんなことになろうとも、アイツだけは必ず助けたいと思った。

 

 もう二度と、泣かせたくないと思った。

 なのに、オレは何度もアイツを泣かせてしまう。もう二度と見たくなかったのに、アイツが泣いている顔なんて見たくないと思ったのに。

 

 

 

 

 

 

 

「優希くん……ッ!」

 

 

 目を開けると、またアイツは泣いていた。

 

 久しぶりに横になった。

 鎖で繋がれている両手は、自由となっており。

 地についていなかった身体は、人肌のような温もりに包まれている。

 どうやらオレは、アイツに抱きかかえられているらしい。

 

 繋がれていたオレを床におろして、抱きながら、必死にオレの名を呼んでいる。

 小さい頃と同じように、涙を流して、膝枕をしながらオレの顔を覗き込むようにして呼びかけている。

 

 あの時のように必死に、涙を流して、オレが眼を開けると泣き顔は酷くなるばかり。

 

 

 あぁ、オレは、またオマエを――――。

 

 

「ぁ……あ……す、な……?」

 

 

 ――――泣かせてしまったのか。

 

 

 

 

 

 

 

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 時刻不明

 世界樹の内部 特別実験体格納室

 

 

 外傷はない。血も出ていないし、骨が折れているというわけでもなかった。

 

 当たり前だ。

 ここは現実世界ではなく、仮想世界である。

 ならばここにある身体は全て作り物。データとテクスチャで作られている紛い物である。身体には血液が流れているわけでもないし、肉体があるわけでもない。

 それなのに、だというのに―――――。

 

 

「優、希くん……」

 

 

 その身体は冷たかった。

 繋がれていた鎖をユイに断ち切ってもらい、力なく頭を垂れている彼――――優希の身体を抱えて地面におろした。

 

 外傷はない。

 だというのに、優希は明らかに衰弱しきっていた。身体は冷たすぎるほどで、生気が宿っている印象が湧かない。

 抜け殻、そんな表現が正しいのかもしれない。そんな曖昧で、不確かな存在と、変わり果てていた。

 

 

「優希くん……ッ!」

 

 

 その叫び声は絶叫に近い。

 心から、魂の限り、精神をすり減らして、明日奈は叫んだ。

 だがそれでも、優希は眼を開けなかった。呼吸はか細いモノで、それが生きている証拠になりえないほど弱々しい。

 

 途端、明日奈の背筋が凍りつく。

 今にも消え入りそうな優希を見て、いつも自分の前を歩いていた彼が消えるような、初めて見る優希の姿に明日奈は恐怖する。

 もう二度と、自分が追いつけない場所に優希が行ってしまうような、もう二度と名前を呼んでくれないような、もう二度と自分を見てくれないような、圧倒的な消失感。

 

 

「優希くん、起きてよっ!」

 

 

 それを払拭させることは出来ない。

 彼女に出来るとすれば、必死に優希の名前を呼んで抱きかかえるのが精一杯だった。

 

 そこで。

 

 

「ぁ……あ……す、な……?」

 

 

 漸く優希は眼を開けて、ゆっくり眼球だけを明日奈へと向ける。

 

 

「オマエ、なんで……?」

 

 

 無傷であるものの、どう見ても喋ってもいい状態ではない。

 現に今も蒼い双眸には生気が宿っておらず、焦点も定まっていない。ぼんやり、と明日奈の存在を確認するだけだ。

 

 だが、それでも。優希は緩やかに上体を起こす。

 もしかしたら、その行為は無意識だったのかもしれない。泣いている明日奈を心配かけまいと、起き上がる程度には元気であると証明するための行動だったのかもしれない。

 

 

「クソッ、どうなってる……? ンでオマエがここにいんだ?」

「お、起きちゃ、ダメだよ!」

 

 

 静止を促されようとも、優希は従わなかった。フラつき身体の軸がぶれながらも、両足に力を込めて立ち上がる。

 今にも倒れそうになりながらも、辺りを見渡して様子を伺っていたユイに視線を止めた。

 

 

「……オマエ、ユイか?」

「はい。お久しぶりです、ユーキさん……」

「久しぶり、か。オレ達が捕まってから何日経ってる?」

「……六ヶ月、です」

 

 

 それはソードアート・オンラインがクリアされてから数えてなのだろう、と優希は理解した。

 それと同時に、そこまで経っているとは思わなかったのか若干眼を丸くさせるや否や忌々しげに舌打ちをすると。

 

 

「オベイロンだったか、あのホスト崩れはなんだ?」

「……須郷、伸之」

 

 

 ポツリ、と今度は明日奈が答える。

 口にするだけでも嫌なのか、彼女らしくもない苦い顔で淡々とした冷たい声色で説明する。

 

 

「わたし達がいるのは、アルヴヘイム・オンラインっていうゲームの中なの。須郷は運営する側の人間、その中でもゲームマスターでもある」

「……ゲームマスターねぇ。あの野郎、須郷って言うのか」

 

 

 軽口を叩きながら、妖精王オベイロン――――須郷伸之がいかなる立場にいるのか優希は分析する。

 

 ゲームマスターと明日奈は言ったが、それは数あるうちの立場の中の一つでしかないのだろう。

 何せたかがゲームマスターにしては、彼の行動は逸脱している。

 SAOのプレイヤーを301人拉致し実験材料をしようとし、明日奈を檻の中に監禁し、優希自身を拷問まがいな実験を繰り返すような男だ。

 どう考えても、いちゲームマスターの出来る行動ではない。

 

 となれば、もっと上の立場。

 ソードアート・オンラインのプレイヤーを拉致できるくらいの役職に、須郷伸之は就いているということになる。

 それこそ彼の気持ち次第で――――拉致されたプレイヤーの命を断つ程度の事が出来るくらい容易い筈だ。

 

 

「……なるほど」

 

 

 言葉だけを聞けば、静かなものだった。静かに、冷静に、今の現状を受け止めるような言葉だった。

 

 だがこの場にいる、明日奈とユイは気付いた。

 幼い頃から彼の人となりを知っている明日奈はもちろん、付き合いが浅い部類であるユイですら、優希の言葉の裏側にある感情を感じ取った。

 

 

 それは――――怒り。

 果てしなく単純で、どこまで純粋で無垢な感情。

 極限にまで圧縮された憤怒が人の形を為した姿が、今の茅場優希であると断言できる。

 

 それでも。

 

 

「優希くん」

 

 

 明日奈は臆さずに、声をかけた。

 対する優希は振り返らない。ユイによって破られた鉄格子を睨みつけたまま明日奈の声に応じた。

 

 

「何だ?」

「……須郷に何もされなかった?」

「何もされてねぇよ」

「嘘」

 

 

 間髪入れずに明日奈は否定すると。

 

 

「嘘、絶対に嘘。どうして、嘘つくの?」

「嘘じゃねぇ」

「嘘だよっ! わたしわかるもん、優希くんが嘘言ってるってわかるもん!」

「仮に嘘だとしても、オマエに関係があるのかよ?」

「……え?

 

 

 ここで初めて、優希が振り返った。

 その表情は拒否、その言葉は拒絶、その眼は明確な敵意を宿していた。

 いつも呆れながら、ぶっきらぼうな優しさを見せていた彼の表情ではない。昔、幼い頃に向けられたことがある怒り。それが今になって、明日奈を真っ直ぐに射抜く。

 

 

「前々から言おうとおもってたんだけどよぉ、何でテメェは、オレの何もかもをわかっているような面をしてやがんだ?」

「ゆ、うき、くん……?」

 

 

 呆然と、明日奈は見る。キョトンと目を瞬かせた。

 彼が何を言っているのか、瞬時に理解が出来なかった

 

 そして遅れて理解する。

 いつもの『オマエ』ではなく『テメェ』と言われた意味を、残酷なまでに明日奈は理解すると、信じられないモノを見るように優希を見た。

 

 

「ガキの頃から思ってた、鬱陶しいんだよテメェは。何をするにしても、オレの後を着いてきやがって」

「え……?」

 

 

 明日奈は、自分の心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。

 鼓動は激しくなり、胸が苦しい。一歩も動いていないのに、呼吸を速めながら明日奈は震える声で問う。

 

 

「ど、どうしてそんなことを――――」

 

 

 言うの、と続く言葉は最後まで続かない。

 それよりも早く、単純な答えを冷酷で冷たい声色で示す。

 

 

「ウゼェし、ムカつくんだよテメェは。人が我慢してりゃ、調子に乗りやがって。何様だよ?」

 

 

 その答えに、明日奈は今度こそ全身を強張らせた。

 今まで感じたことのない、優希の殺意にも似た威圧が寒気となり、その背中を走り抜ける。

 

 

「ハッキリと言葉に出さねぇとわからねぇか――――」

「待って……!」

「オレはな、テメェのことが――――」

「ゆう、き、くん……!」

「――――ッ嫌いだよ」

 

 

 ――――同時に、石造りの壁が変貌を遂げる。

 白い壁、白い床、鉄格子から除く景色も壁に覆われ、瞬く間に四方を取り囲まれてしまった。

 

 優希はチッ、と大きく忌々しげに舌打ちをすると。

 

 

「思ったよりも対応が速いじゃねぇか……! ユイ、破れねぇのか!?」

「は、はいです!」

 

 

 急に話を振られたユイは、両手で白い壁に触れた。

 プログラムを書き換えて、無理矢理入り口を作る。こうして明日奈が閉じ込めれていた鳥籠も、優希が囚われていた檻も、鎖の縛鎖すらも破ってきた。

 

 だが――――。

 

 

「だめ、です……。高位のIDによるファイヤーウォール、破れません……!」

 

 

 それから何度か試すも反応はない。

 数分もしないうちに、ここに優希達を閉じ込めた連中が押し寄せてくるだろう。

 

 そうなっては詰みだ。

 折角、ユイのおかげで明日奈が脱出する事が出来たというのに、また逆戻りとなってしまう。

 いいや、もしかしたらもっと酷い待遇が待っているかも知れない。

 

 

 ――考えろ、何か突破口がある筈だ。

 ――無駄にアイツを傷つけただけじゃねぇか……!

 ――その為に、クソのような言葉を並べたわけじゃねぇんだぞ……!

 ――何だったら、この壁を“力”使って叩き壊して……!

 

 

 そこまで優希が考えていると、途端にユイの動きが止まった。

 必死に破ろうとしていた表情が眼を丸くさせて、自身の背後へと振り返る。

 

 

「パパです……」

 

 

 そして、ポツリと。

 

 

「この下に、パパがいます!」

「キリト、だと? 間違いないのか?」

「はい、間違いありません! パパです、パパがいます!」

「……そうか」

 

 

 文句がない、といえば嘘になる。

 優希としても、プライドを捨てて須郷に頭を下げたのだ。関係がないから手を出さないでくれ、と恥も外聞も捨ててみっともなく懇願したのだ。

 

 だというのに、どうして首を突っ込んでくるのか。

 キリトがこの世界にどうしているのかわからない。気分転換に遊んでいるのか、それとも別の目的があるのか、それを判断するには材料が少なすぎる。

 だが今、この場においては――――。

 

 

「――――好都合だ」

 

 

 ニヤリ、と不敵に笑みを零す。

 キリトがいるならば問題はない、と優希は残された力を、意思による絶対的な力を開放する。

 

 “蒼炎”が身体を奔る。そして余すことなく、全てを右手に収束されていく。

 恐らく、これが最後の力の解放である。今の茅場優希に全盛期の力はない。『アインクラッドの恐怖』として力を振るっていた頃よりも、“黒炎”を見に纏っていたあの頃よりも、数段も力が劣っていることは自覚している。

 

 所詮、今の優希は灰だ。

 燃焼したあとに残る、ただの残滓に過ぎず、無理矢理に“蒼炎”を発現させているだけに過ぎない。

 それでも、だとしても、守れる者が、大切な者を守れるのなら――――。

 

 

 既に右手は握られていた。

 ここで最後になろうとも、二度と“蒼炎”を行使出来ずとも構わない。

 固く握りしめれた拳は、壮絶な速度と共に放たれた。

 

 

 けたたましい轟音が鳴り響く。

 同時に、直径三メートルほどの大きな穴となり白い壁を貫いた。そこから見える景色からは青い空。雲ひとつない空が広がっていた。

 

 茫然自失。

 明日奈は虚空を見つめたまま、何の反応も見せなかった。

 痛ましい姿。思わず優希は口を開きかけるが、直ぐに閉じる。こうさせたのは自分だ、今更になって言葉をかける資格はない。

 

 そう言わんばかりに、乱暴に明日奈の襟首を片手で掴むと。

 

 

「……オマエは、一般人に戻れ」

 

 

 開けた大穴から外へと放り投げた。

 だが優希はその後に続かない。重力に従い落下していく明日奈を見送ると、背後に残っているユイに言葉を投げた。

 

 

「オマエも行け。須郷が来るぜ」

「……教えて下さい。どうして団長さんにあんなこと言ったんですか?」

 

 

 ユイにあるのは怒りでも、悲しみでもない。ただ混乱していた。

 明日奈が優希を、優希も明日奈を大切にしていることはわかっていることだ。優希がソードアート・オンラインに君臨するフロアボスを単騎で攻略していた根底に合ったのは、、明日奈に傷ついてほしくない、剣を握ってほしくないという願いだった筈だ。

 ただそれだけの為に、彼は自分自身を文字通り削りながらも、前進し続けて来た。

 

 だからこそ、理解が出来ない。

 優希の言葉の意図が、理解が出来なかった。何故あそこまで、明日奈を拒絶したのか、ユイには理解が出来ない。

 

 

「……オマエ達がここまで来たのは、オレを助けるためだろ?」

「はい。団長さんも、わたしも、望んでました……」

 

 

 やっぱりか、と穏やかな口調で言うと、優希は首を横に振って。

 

 

「それじゃ駄目だ。オレとアイツが脱出して、それで終わりじゃねぇんだ。その意味、オマエならわかんだろ?」

「それは……」

 

 

 確かに優希の言うとおり、ここに囚われているプレイヤーが優希と明日奈の二名だけなら問題はなかったかもしれない。

 直ぐにでも牢屋から抜け出して、システム・コンソールでステータスを弄り、ログアウトでもすればよかった。だがそれは、二人だけであればの話しだ。

 

 

「オレ達がこの世界から抜け出せたとして、残りの299人はどうなる? ンなもん、火を見るより明らかだ。逆上した須郷は必ず、残りの人間を殺すに決まってる」

「ユーキさんは、それを防ぐために、残るんですか……?」

「まぁ、簡単に言っちまえばな。昔から、嫌われるのは慣れてる。得意分野ってもんだ」

 

 

 子供の頃は親族全員を敵に回し、小学校の頃は後輩から注意を逸らすために全校生徒の必要悪にもなった、ちょっと前ではアインクラッドの恐怖としてプレイヤーからもPKからも恐れられていた。

 

 ならば今回も造作もない。

 対象が須郷という個人に変わるだけだ。むしろ楽になったと言えるモノである。

 

 

「だとしても、尚の事、団長さんにどうしてあんなことを言ったんですか!?」

「……ああでも言わなきゃ、アイツはまたオレを助けようとするだろ」

 

 

 叫ぶように声を荒げるユイに対して、優希の静かな態度は変わらない。

 困ったような苦笑を浮かべて、優希は続ける。

 

 

「アイツはオレの為に、またここに来ちまうことだろうさ。今のアイツは戦えないのに、非力な癖にアイツは必ず無理をする。オレは――――」

 

 

 ――――それが我慢ならない。

 と、優希はここで感情を露わにした。悔しそうに、悲しそうに、奥歯を噛み締めた。

 

 言い分はわかる。

 明日奈に傷ついたほしくないから、敢えて優希は突き放し、嫌われようとする。

 このまま逃しただけでは、戦える身でもないのに、明日奈は必ず無理をすると判断したのだろう。いくらゲームの世界とはいえ、今の明日奈は普通のプレイヤーではない。一応ヒットポイントはあるようであるが、ゲームオーバーとなればアルヴヘイム・オンラインの仕様の通り復活できるとも限らないのだ。

 だったら、戦わないという選択をした方が良いに決まっている。

 

 

「それに、だ。今回はあの野郎がいる。問題はねぇだろ」

「それだけ、パパを信頼しているんですか?」

「……業腹だけどな」

 

 

 忌々しげに吐いた言葉には、確かな信頼が宿っていた。

 キリトであれば任せられる、キリトがここにいるのなら明日奈を託せる、そんな全幅の信頼を置いた感情が確かに存在していた。

 

 

「行け。明日奈を頼む」

「……わかり、ました……ッ!」

 

 

 納得などしていない。

 だがここに残っても、やれることは何もなかった。

 自分に出来ることといえばキリトのサポートに回り、ここまで導き優希と囚われている299人のプレイヤーを開放させる手助けしか出来なかった。

 

 ユイは走り大穴に飛び込みながら。

 

 

「必ず、必ずパパともう一度来ます! 団長さんに、絶対に謝ってもらいますからねっ!」

「…………」

 

 

 優希は答えない。

 ユイが落下したのを確認すると、ガクッと崩れ落ちて膝を地に付けた。もう、立っているのも限界だった。肩で息をしながら、何とか意識を保つ。

 視界はぼんやり徐々に狭まり、少しでも気を抜けば意識が手放されることになる。

 

 それは出来ない。

 何せもう一仕事、残っているのだから。

 

 それから数秒もかからなかった。

 長身の男が音もなく、白い壁に閉じ込められた牢獄に侵入する。

 足早にその男は優希の前に立つと、何も言わずに優希の顎を蹴り上げる。衝撃は、脳へ信号が走り、いつしか痛覚へと変わる。

 

 悶える優希に、男は容赦しない。

 何度も何度も、優希の顔面を踏みつけてやっと満足したのか、息を荒げながら問いを投げた。

 

 

「ティターニアは、どこだ?」

「それ、誰だよ?」

 

 

 小馬鹿にするように笑みを浮かべる。

 舐められた、と認識したのか男は再び優希を思いっきり蹴りつけると、怒りのあまり声を震わせて問いを投げた。

 

 

「僕のティターニアを――――明日奈をどこへやった!?」

「落ち着けよ。余裕がない男はみっともないぜ、須郷伸之クン?」

「貴様――――……ッ!?」

 

 

 ここでやっと男――――須郷は気付いた。

 牢獄を取り囲んだはずだ。最高位ID権限を行使して、何者も脱出できないファイヤーウォールを生成したはずだ。

 絶対破られない障壁、なのにどうして、それが容易く、やぶられているのか――――。

 

 

「な、何をした!?」

「言っただろうが。オレは『アインクラッドの恐怖』って呼ばれてた怪物だ――――」

 

 

 ゆっくりと、恐怖を煽りながら、優希は立ち上がる。

 その蒼い双眸は不気味なほど爛々と輝いており、口元には薄く引き裂くような笑みを浮かべて、殺意を言葉に乗せて。

 

 

「――――この程度の壁、叩き潰すなんざ造作もねぇんだよ」

「ぼ、僕に手を出せば残りの実験体を――――」

「殺すって言いてぇんだろ? わかってるよ、だからこうして生かしてやってんじゃねぇか」

 

 

 そこまで言うと、優希は確かな足取りで須郷に近付く。

 対して須郷は身動きが取れない。蛇に睨まれたカエルように、石にでもなったかのように優希から視線を動かすことなく向けている。

 

 

「だが、そうだなぁ。女一匹逃げたくらいで騒がれるのも迷惑だ。今度騒いだら――――」

 

 

 ポン、と軽い調子で。

 須郷の肩を叩くと、引き裂く笑みのまま親愛と憎悪を込めて告げる。

 

 

「――――叩き潰すぞ、伸之クン?」

「ぅ、うわぁぁぁぁ!!!」

 

 

 言葉に乗せられた殺意が引き金になったのか、須郷は片手で振り払うと叫び声を上げながら告げた。

 

 

「じ、実験を開始しろ! 今すぐだ! こいつを痛めつけろぉ!!」

 

 

 須郷はメイン・メニューウィンドウを開いて、ログアウトをした。

 もはや優希に眼もくれない。一目散に逃走するように、脱兎の如くこの世界から須郷は姿を消す。

 

 そこまでだ。

 そこまでで、優希は限界だった。

 身体が倒れ、意識を失う。暗転に包まれる中、口元には笑みを浮かべていた。

 

 

 ――よかった、今度こそ、守ることが出来た。

 ――オレは何度も助けられてきた。

 ――何度も死にたいって思った。

 ――あの人達を見殺しにして、本当に辛くて罪悪感に押し潰されそうになった。

 ――でもオマエがいたから、オレはギリギリ踏みとどまった。

 ――ずっと一緒にいてくれたから、頑張って生きてこれた。

 ――明日奈、オマエのおかげなんだ、今までずっとずっと、オレはオマエに助けられてきた。

 ――守れるのなら、オレは何でもやってやる。

 ――恨まれようとも構わねぇ。

 ――オマエを守れるのなら、オレは……。

 

 

「――――なんでも、やってやる」

 

 

 

 

 




>>ショタ優希
 だいぶ擦れている。今となっては優希の黒歴史。荒れに荒れているナイフ時代。
 当時は明日奈のことが嫌い。見ててムカつくから。

>>ロリ明日奈
 クマのぬいぐるみを標準装備。臆病な性格。
 当時の優希のことが怖い。見てると睨んでくるから。

>>あの人
 ユイを送り込んだあの人。
 今は色々と暗躍しているから忙しい。

>>クマのぬいぐるみ
本名:旺士郎さん(優希命名)

>>――――その姿が、オレが小さい頃のモノだった。
 荒れに荒れていたあの頃。
 憎しみ増々、怒り倍々、もう何もかもが気に入らない。
 Vol.- で描写出来たらいいなーって思ってる(妄想)


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