ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 愉悦タイム(後半戦)です。
 長らく放置していた伏線を回収できて良かった。
 詳しく言うと『閑 話 茅場優希の罪』からの伏線回収です。

 うたたね。さん、AREICIAさん、サンド☆さん、塩太郎さん、神羅さん、えりのるさん、藤原マイケルさん、誤字報告ありがとうございます!


第19話 いつか覚める夢

 けたたましい音が、部屋中に鳴り響く。

 それはケータイのアラーム。朝であることを知らせるモノだった。

 

 

「んー……」

 

 

 苦しいのか気持ちいのか、どちらともとれる声を漏らし部屋の主は寝返りを打つ。

 それは少年であった。シーツに包まって、ベッドに体を預け眠っている。

 カーテンから照らされる日差し。8月中旬であるためか、比較的その陽射は強いものであった。照らすというよりも、刺すと言った表現が正しいのかもしれない日差しを少年は受けている。しかし、不思議と居心地の悪くもなく、少年の表情も苦悶に満ちたモノではない。どちらかというと穏やかなモノ。

 

 その為なのだろうか。

 少年は直ぐに起きることなく、両手を縦横無尽に伸ばしまさぐる。どうやらケータイのアラームを止めようとして、ケータイを探しいているようだった。

 

 だが一向にケータイのアラームは鳴り止まない。

 今の少年はうつ伏せで寝ている。それが原因となっているのか、ケータイがどこに有るかまったく分かっていない状況。

 既に、アラームが鳴ってから30秒は経過しているものの、未だにケータイのアラームを停止することが出来ずに居た。

 

 

「…………」

 

 

 そこでようやく少年は顔を上げた。

 その髪の毛は黄金。そして、眠たそうにしている双眸の瞳は碧眼。高校生なりたてのような、幼さを残した顔つき。

 

 何はともあれ、少年は寝ぼけ眼を擦りながら、ケータイのアラームを消して今の時刻を見る。

 今の時刻は7時30分。そろそろ学校へ行く用意をしなければ間に合いそうにない時間だ。

 

 だが少年は慌てることなく、ケータイの電源を切り身体を伸ばす。

 何かを忘れている気がする。それは漠然としたモノで、何を忘れたのか思い出そうにも、自分は一体何を忘れたのかすら思い出せない。大事なものであったはずだ、忘れてはならないものであった筈だ。それなのに、どう言うわけか思い出せずに居た。

 

 辺りを見渡す。

 就寝前と何一つ変わらない自身の部屋。

 物は最小限のもので、ベッドと机がある程度。十代の若者の部屋にしては何もなさすぎており、伽藍堂のような室内とも言える。

 少年も流石にどうか、と思っているようで、その有様を苦笑を浮かべて見渡した。どうしようもない。もちろん、少年にも物欲がある。だが今の現状が落ち着くのだ。必要最小限の部屋の中で、ぽつんと設置されている机とベッドが落ち着く。若者らしくないことは少年が一番良く理解しているものの、こればかりは仕方ないと言える。

 

 

「起きるか。そろそろだしね……」

 

 

 ポツリと呟いた瞬間、少年の部屋と廊下を隔てる扉が開かれる。ノックがないのは、少年を驚かせようとするイタズラ心故なのだろう。

 

 入ってきたのは少女だ。

 白色のヘアバンドをつけて、中学生のような幼い顔つきの少女。学校指定の制服を着用しており、その姿はいつでも学校に行けるというスタイル。

 

 笑顔で入ってくると同時に、面白くなさそうな顔つきに少女は変わる。

 ブーブー、と少女は唇を尖らせて文句を言いたげな顔で。

 

 

「なんだぁ、兄ちゃん起きてたんだ……」

「勝手に入ってきて何だよ。兄ちゃんは悲しいよ?」

 

 

 困ったように少年は笑みを浮かべて、少女の苦言を受け止めた。

 どうやら二人の間柄は兄妹のようだ。お互いがお互いとも、悪い意味ではなく良い意味で、気を使っている様子はなかった。兄妹特有の慣れ親しんだ雰囲気、それは二人から醸し出されている。

 

 兄の余裕に満ちた表情と態度が面白くなかったのか、少女は、むぅ、と頬を膨らませる。

 

 

「僕だって兄ちゃんを起こしたいもん! だから……ね? もう一回寝て?」

「無茶言ってくれるなぁ……」

「だってぇ、兄ちゃんを起こせれてるの明日奈だけじゃん。僕や詩乃起こす時は、絶対に起きてるのにさぁ。不公平だーっ! ふーこーへーいーだー!」

「そうかな?」

「そうなの!」

 

 

 ワガママな妹の言い分に、ため息をつく。

 別にイヤというわけではない。幼い頃から、父親に兄とは妹を守る存在である、と教育されてきておりこれが少年にとっては当たり前となっている。何よりも少年にとっては、少女は可愛い妹。ワガママの一つや二つに目くじらを立てるわけがなかった。

 

 

「わかったよ。今日、木綿季の好きなアイス買ってやるから、機嫌直してくれよ。な?」

「……雪見だいふく、食べたいな」

「いいよぉ」

 

 

 少年はベッドから起き上がって、妹――――木綿季に近付いた。ニッコリと満面の笑みを浮かべて頭を撫でる。

 木綿季は眼を細めて、気持ちよそうに顔を綻ばせて。

 

 

「うん、許してあげるね!」

 

 

 太陽のような温かい笑みを、兄に向けるのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっ、起きたか寝坊助」

 

 

 あれから学校指定のブレザー式の制服に着替えた少年は、二階にある自室から降りて一階のリビングに向かった。

 そのソファーには一人の男性が上に腰を掛けて、新聞紙をテーブルの上に広げている。男性は少年がリビングに入ってくると、ニカッ、と気持ちのいい笑みを向けて声をかけた。

 タンクトップに短パン。比較的その姿はラフであり、肌を露出したモノだ。それ故に、男の筋肉質な身体が映えて見える。

 

 医者なのに、相変わらず凄い身体だ。

 と、ぼんやりと少年は思いながらキョロキョロとリビングを見渡す。

 身嗜みは整えている。シャワーも浴びて、顔も洗い、歯も磨いた。あとは学校に向かうのみで、何かを探すこともない。しかし少年は見渡す。妹がいる、父親である男性がいる。残りと言えば――――。

 

 

「父さん、母さんは何処に行ったの?」

 

 

 そう、母親であった。

 いつも笑みを浮かべて、包容力の塊であるかのような女性の姿が。妹が大変懐いていた母親の姿が見当たらない。

 寝坊、という可能性はないだろう。母が寝坊しているのなら、いつも起こされている父はこうして呑気に新聞を広げている筈もない。何よりも少年が記憶している限り、母が寝坊している姿など見たことがない。生真面目、といっても過言ではない。いつも何をするにしても、少年の母は10分前行動を心がけている。そんな人間が寝坊するなど考えられない。

 

 父は訝しむ視線を、少年に送る。

 そして呆れるような口調で。

 

 

「何いってんだオマエ? アイツなら昨日から、学会に行ってただろ」

「あれ、そうだっけ?」

「昨日、オレが作った飯を木綿季と一緒に不味い不味い馬鹿にしてただろうがよ……」

 

 

 そういえばそうだった、と。少年は先日の夜の状況を思い出す。

 不味い、なんてレベルでもなければ代物ではない。例えようのない料理。父のだした自信作は、少年と妹の胃にクリティカルダメージを与えてとんでもない負価値を叩き出していた。

 命名するのなら『物体X』。卵料理だということはわかったものの、テラテラ光り、ヌルヌル蠢いていたアレは何だったのか。今だに何なのか少年は聞き出せずにいる。むしろ聞き出しはならない。正体不明の第六感が、少年に告げていた。

 

 

「オマエも木綿季も、よくもまぁ人の料理を不味いって言えたもんだよなァ?」

「だって不味かったじゃんか。父さんも食って、固まってたろ?」

「……全部食ったぞ?」

「それはオレ達もだよ。出された物を残したら、母さんが泣いちゃうじゃん」

「……まぁな」

 

 

 父と子。二人揃って遠い目で、彼方を見つめる。

 居てわかるありがたみ、居なくなってわかるありがたみ。二人は勝手に味わっていた。

 そして何よりも、またあのおぞましい料理を食わないとならない憂鬱。死刑宣告にも似ている状況が、少年の眼を更に殺していくことになる。

 

 まるで生気を感じさせない眼で明後日の方向を見つめて、ポツリ、と一言だけ呟いた。

 

 

「明日奈に、作ってもらおうかな……」

「あっ、テメっ卑怯だぞ!?」

「え、なんでさ?」

「明日奈ちゃんはダメだ、料理が美味すぎる。オレの料理が霞む。何よりも、京子に何言われるか分んねェだろ!?」

「いや、父さんの料理は料理じゃないし。むしろ兵器に近い何かで、晶彦くんの方が作った物のほうがなんぼかましだし。京子さんも何も言わないと思うよ?」

「わかった、じゃあこうしようぜ。晶彦の作った料理とオレの料理、どっちが美味いか対決だ」

「地獄だよそれ……」

 

 

 ため息を深々と、これでもかというくらい少年は吐き出した。

 兄さんは治すのは上手だが、何かを作り出すのは下手だ、というのは叔父である茅場晶彦の言葉。確かに晶彦の言い分は的を得ていた。それは少年を含め妹である木綿季も経験している。

 そして学習している。父には金輪際、台所には立たせまいと。料理対決などさせてはならない。今日の食事当番は自分が担当しようと決める。

 

 となれば問題になるのはメニューだ。

 作る物によっては、学校帰りにでも買い物に行かなければならなくなってくる。

 それは妹に手伝ってもらおう、とぼんやりと考えて木綿季に声をかけようとするが、彼女の姿が見当たらない。

 

 

「ねぇ、父さん」

「何だよ息子」

「木綿季はどこにいったの?」

「アイツなら外で明日奈ちゃんと話してるぞ?」

「えっ、もういるの?」

「おう。さっさと行ってやれ」

 

 

 新聞紙から眼を離さずに、片手を振る。

 いるならいると言ってほしい。文句はあるが時間が惜しかった少年は、慌ててカバンを持ちリビングを出ようとドアノブに手をかける。

 同時に。

 

 

「そうだ――――」

 

 

 背中から声がかけられた。

 その言葉は何気なく、誰しもが耳にしたモノ。それが少年の父の口から放たれた。

 

 

「行って来い――――優希」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ありえた未来、経験したかった物語、手放してしまった光景。それを一人の“彼”が呆然と観測していた。

 

 それは少年――――優希と呼ばれた少年に瓜二つの顔。髪の毛は黄金で、双眸は碧眼。高校生になりたてといった幼が残る顔つき。

 ただ差異があるとすれば、その顔つきだろう。先程優希と呼ばれた少年の顔つきは穏やかなもの。対して観測している“彼”の顔は険しく、鋭い眼で優希少年とは比べくもない厳しい顔をしている。

 

 観測と表現をしたのは、何も比喩としてではない。

 様子を見て、成り行きを推し測ること。そう言う意味では正しいと言える。“彼”には優希少年に干渉出来ない。触れることもなく、あちらから認識されることなく、ただ黙認し優希少年を“彼”が観測している。

 何度も見てきた。ありふれた幸福、それを享受する優希少年を、“彼”は何度も見てきた。義務としてではなく、そうあるべき未来として。“彼”は自身が観測している光景を、深々と記憶と脳内に刻みつけていく。

 

 

「――――これでわかっただろ?」

 

 

 声が聞こえた。

 いつの間にかソレは、“彼”の隣に立っている。肩を並べて、視線の高さは違えど同じ光景をソレと共に見ていた。

 

 ソレは片手を掲げて、優雅に小気味よく指を鳴らす。

 

 風景が変わった。

 今度は優希少年と仲良く登校する三人の少女の姿があった。

 それは妹の木綿季であり、後輩である朝田詩乃であり、そして――――幼馴染である明日奈でもあった。

 

 仲睦まじく、四人は登校する。

 ときに冗談を言い、ときに勉学のことで相談し合いながら、最後にはやはり冗談を言い合っている。

 途中から黒髪の少年――――キリト、茶色の頭髪の少女――――リズベットも合流し、比較的大人数で学校へ登校を始める。

 

 仲の良い集団だ。

 それを証明するように、誰もが笑みを零す。楽しそうに、愉快であるかのように、心の底から笑みを浮かべていた。

 

 まるで見せつけるようだ。

 自分には記憶にない光景。きっとこれは、“彼”と肩を並べている者が作り出したものだろう。

 

 ソレは下卑た笑みを顔に張り付かせていた。

 妖精王オベイロンの姿をかたどったものではなく、長身でメガネを掛けたソレは現実世界でのモノ。

 ソレの名は――――須郷伸之。件のSAOプレイヤー301名拉致の主犯格でもあり、全ての元凶の姿がそこにあった。

 

 

「アレはね、僕が作り出した君だ。両親を犠牲にすることなく、共に生還した君の姿」

 

 

 趣味が悪い、と“彼”は表情を変えずに優希少年を――――自身では出来なかったことを偉業を達成した自身の上位互換とも言える存在に目を向けた。

 しかし悪態を付く様子はない。須郷が何を言いたいのか理解しているし、何が狙いなのかもわかっている。それでも“彼”は否定しなかった。間違っていると、口を開けなかった。否定も拒絶もしないのは単純な理由だ。

 

 

「君が君でなければ、あんな悲劇は生まれなかった。そう思ってさ、彼を作ったけど根本的に間違っていたよ」

 

 

 そもそもな話し、と須郷は言葉を区切ると再び指を鳴らす。

 “彼”の瞬き一つで世界は、風景は、舞台は切り替わる。そこには――――。

 

 

「――――君という存在がいなければ、今までの悲劇は起こらなかったんじゃないか?」

 

 

 ――――茅場優希という人間が、存在しない世界が、創造されていた。

 

 それは須郷の言うとおり、“彼”という存在が消失したモノだった。

 木綿季は“彼”の両親が引き取っており、幸せそうに暮らしている。

 茅場晶彦はその世界ではVRMMOの更なる発展と遂げさせ、悠々自適に暮らしていた。

 リズベット、ユイ、そしてストレアは楽しそうにVRMMOで遊んでいる。

 それは後輩の朝田も同じであった。どういう経緯で知り合ったのか、その輪に彼女も存在している。

 何よりも――――仲睦まじく、明日奈とキリトらしき少年が共に歩いている。

 

 自分という異分子がいない世界、自分という汚点が存在しない物語。

 誰もが笑っていた。誰もが幸せそうだった。泣かしてばかりだった、幼馴染でさえいつも笑みを零していた。

 

 “彼”が否定しないのはそう言うことだ。

 須郷は語る――――君の存在など不要であると。

 須郷は殺す――――茅場優希の心を。

 須郷は見せつける――――その結果を。

 

 故に、否定しなかった。

 それが正しい、と思ったから。間違いではない、と常に感じていたから。

 

 

「君がいなければ、君の両親は自身を犠牲することはなかった―――」

 

 

 ――――間違いではない――――。

 

 

「君がいなければ、君の妹さんも新しい両親と共に幸せを噛み締めていた」

 

 

 ――――間違いではない――――。

 

 

「君がいなければ、朝田さんの母親のカウセリングも上手く行っていただろう。君の両親のおかげでね」

 

 

 ――――間違いではない――――。

 

 

「そうなれば、茅場先輩は狂うこともなかった。兄がまだ健在なのだから」

 

 

 ――――間違いではない――――。

 

 

「ソードアート・オンラインもデスゲームとなることもなく――――」

 

 

 ――――間違いではない――――。

 

 

「――――明日奈は今も笑っていたことだろう」

 

 

 ――――何も、一つも、一片も、間違いでは、ない――――。

 

 目を閉じることなく、心も閉ざすことなく、膝を折ることもなく、無言で須郷の言い分を肯定する。

 須郷は口角を釣り上げるように薄く笑みを零し、下劣さを深めていく。事が思い通りに進んでいることを信じて疑わない表情で、甘く“彼”の心を掌握せんと毒のように浸透させていく。

 

 

「でもね、僕は君の未だに折れない心の強さというやつを評価してるんだ。君は見失っているだけさ、進むべき道というやつを。でもさ、もう休んでも良いんじゃないかな?」

「……休む?」

 

 

 今まで無反応であった“彼”が自身の言葉に反応する。

 墜ちた、と確信したのだろう。須郷の笑みはますます深まっていった。気分が高揚し、抑えが効かんと言うかのように両手を広げて一度力強く頷いた。

 

 

「そうさ! もう君は休んでも良いんだ。だって君はこれまで頑張ってきたじゃないか! 意識を沈ませて、心を溶かし、もう休みなさい。もう君は頑張る必要なんて、ないのだから」

 

 

 そこまで言うと、須郷は明後日の方向を見る。

 そして直ぐに顔を喜色満面に変えて、“彼”に背を向けて歩き出した。直ぐに振り返り、下卑た笑みを浮かべて“彼”に告げる。

 

 

「安心しなさい。君は僕が上手く――――使ってあげるから」

 

 

 それだけ言うと、須郷は消えた。

 文字通り、この空間から、塵も残さずに消える。

 何処に消えたのか、使うとはどう言う意味なのか、理解出来ずに“彼”は精気を失った眼で見送る。

 

 須郷の言うことは何もかもが正しかった。

 自分というバグがいなければ、この世界はもっと円滑に回っていたに違いない。もっと上手く物語が紡がれていたに違いない。

 常に考えていた。自身が生き残ってから、“彼”は考えていた。自分が生き残ってしまったのは間違いであると、常に、考えていた。

 

 実際に間違いだらけだった。

 一人ひた走り、誰かを泣かせる。他人が傷つくのが我慢出来ないから行動していると、誰かを悲しませる。手を伸ばしても救えなかった命なんて、両手の指だけでは足りない。

 そもそもな話し、自身ではなく両親が生き残っていれば、叔父は狂気に走ることもなかったはずだ。そうなれば、ソードアート・オンラインがデスゲームとなることもなく、健全なVRMMOとして愛されていた筈だった。

 そうなれば木綿季は無理して自身に付いてくることもなく、ストレアは自らを犠牲にし自身を救うこともなく、何よりも明日奈はもっと笑っていたはずなのだ。

 

 何もかもが間違いだった。

 前提からして破綻していた。

 ――――自分という人間は、生き残るべきではなかった――――。

 

 ならば眼を瞑ろう。

 歩みを止め、心を溶かし、存在を闇に帰そう。

 そうすれば終わる。カーテンコールなど起こることもなく、“彼”という間違った存在は葬られる筈だ。

 そう、それだけで終わるのだ。たったそれだけで、終わるのだ。それなのに、どうして――――。

 

 

「……」

 

 

 “彼”という存在はまだそこにあった。

 認めたはずだ。間違いであると、肯定したはずなのに、“彼”は眼を閉ざすことなく自身がいない世界の幸福を焼き付けていた。

 

 心など折れたはずだ。もう限界だったのに、闇に溶けてしまえば楽であるとわかっているのに、“彼”は未だに留まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――楽だけじゃ嫌なんだろ?」

 

 

 背後から声が聞こえた。

 ビクッ、と“彼”の肩が大きく揺れる。

 聞き覚えのある声、懐かしい声、何度も“彼”のうちにあった力強い声が聞こえた。

 歓喜と悪寒。どちらともつかぬ入り混じった複雑な感情が“彼”を駆け巡る。あまりにも恐ろしく、あまりにも懐かしい声、そちらに“彼”は振り向いた。

 

 

「心が折れた? 冗談。もう限界? 馬鹿言うな。まだオマエがいる、それが物語ってるじゃねぇか」

 

 

 筋肉質の男性が、呆れた口調で首を横に振って。

 

 

「そうですね。私達の子供は、本当に諦めを知らない。実に誇らしいことですよ」

 

 

 柔和な笑みを浮かべて、金髪碧眼の女性が自慢気に断言する。

 

 

 夢か幻か、二人は――――“彼”の両親は変わることなく肩を並べて立っていた。

 数刻前に見た二人とは違う。表情は悪鬼羅刹のそれではなく、言葉は怨霊怪異の如く呪詛を含んだものではない。

 生前と変わらない調子で、両親は“彼”を見守っている。

 

 

「何で、だ……」

 

 

 ポツリ、と。

 “彼”は意図もせずに呟いていた。それは無意識なものだ。決して考えて紡がれた言葉ではない。

 しかし感情は濁流のように。一度吐き出してしまったモノは、収まることなく“彼”の口からとめどなく流れ始める。

 

 

「何でアンタ達は、オレを助けた……」

「……」

「……ッ」

 

 

 父は目を閉じて受け止め、母は申し訳なそうに顔を付す。

 もはや止まらない。“彼”の言葉は次々と溢れ出す。

 

 

「オレは、助けられるべきじゃなかった。なのに何故、オレを助けた……っ! 何故、アンタ達は自分を犠牲にした。何故、オレを見捨てなかった。アンタ達なら、自分達だけでも治療出来た筈だろ。死にたくなかった筈なのに、アンタ達なら知らねぇ連中を助けられた筈なのに、何万人以上も救えた筈なのに……。何で、何でぇ……ッ!」

 

 

 それは後悔であった、懺悔であった、遺恨であった。

 吐き出せなかった“彼”の淀み。恐らく長い付き合いである幼馴染ですら知り得なかった“彼”の闇が、ここに来て一気に放出されていく。

 ぶつける対象がいなかった故に、それはずっと溜め込んできた。吐き出されることもなく、自身に向けた憤怒、そして憎悪によって辛うじて抑え込んできた。

 

 しかし限界であった。

 夢か幻か、はたまた須郷の罠かしらないが、両親が生前と変わらずに目の前に現れた。

 それが引き金となる。爆発した感情は決壊したダムのごとく、際限なく溢れ始めている。

 

 奥歯を噛み締めて、両手に握りこぶしを作り、“彼”は感情のまま叫んだ。

 悲鳴にも似た声で、両親に向かって思いっきり叫んだ。

 

 

「何で、何で……ッ、オレなんぞを選んだんだ、アンタ達はッ!」

「バカ野郎がよォ」

 

 

 対して父の声は静かなものだった。

 腕を組み眼を瞑った状態で清聴していたが、今は眼を開けて真っ直ぐに“彼”を見つめる。

 そして――――。

 

 

「――――自分(てめぇ)子供(ガキ)を救わねェ親が何処にいんだ? 親ならよォ、何が何でも生き残れって言うもんだろうが」

「そうですよ。私達は間違いではない。貴方を助けたことは決して、間違いではありませんよ」

 

 

 そもそもよォ、と父は大股で“彼”に近付いて、その頭を小突いた。そらから今も繰り広げられている、“彼”が存在しない世界を親指で乱暴に指さし、聞き分けの悪い子供を叱るように、父は呆れた口調で言う。

 

 

「こんな幻に、何をマジで見てやがんのオマエ? ンなもん、ただの妄想だろ。シコシコ虚しく夢想してるだけだろ」

「……間違ってはいないだろ。アンタ達が生きていれば、こうなった筈だ」

「ならねェよ。オレ達は神サマじゃねェんだ。こんな上手く行かねェし、オレ達にも救えないものはある」

 

 

 そこまで言うと、父は頭をガシガシと面倒くさそうに掻いた。

 それから直ぐに、“彼”に向かって勢いよく指差すと。

 

 

「まさか、オマエ。オレ達の願いを忘れたわけじゃねェだろうな」

「願い……?」

「いいや、忘れたわけじゃないか。単純に、聞こえないフリをしていただけか」

 

 

 呆れたように、父は深くため息を吐いた。呆れているのは母も同じようで、彼女も困った笑みを浮かべている。

 チッ、と舌打ちをする父は“彼”に再び向き直った。真正面から、堂々と、目を逸らさずに、心に訴えるように、願う。

 ソレは――――。

 

 

「『生きろ。オマエはオレ達の生きた証だ』」

「あ――――」

 

 

 ピシリ、と音を立てて罅が入った。

 それは比喩ではなく、今まで繰り広げられていた“彼”という存在が消失した世界が軋む音だった。

 父の言葉。それは“彼”が救われる前、意識を失う前に聞こえた言葉であった。耳に入ってこなかったと思っていた。だがソレは違った。“彼”は自身を否定している、だからこそ聞こえなかったフリをしていたのだ。

 生き残るべきではない、“彼”の出した結論の根底が揺るがされる言葉であるからこそ、“彼”は敢えて耳を塞いでいた。

 

 呆然と立ち尽くす子を、母は思いっきり抱きしめた。

 碧眼の双眸には涙を浮かべて、漸く抱きしめることが出来た我が子の存在を感じながら、声を震わせて紡いでいく。

 

 

「貴方は立派に頑張りましたよ? 本当に、今までずっと見てきました。直ぐにでも貴方の下へ行きたかった、貴方を抱きしめて上げたかった……!」

「オレは、立派なんかじゃ……」

「いいえ、立派でした。私達なんかよりもずっと。それにずっと苦しんでいた。もう大丈夫です、もう自分を攻めなくてもいいんですよ」

「……ッ!」

「――――貴方はもう、自分を許してあげても、いいんです」

「そうだな、よくやったよオマエ。――――さすが、オレ達の子供(ガキ)だ」

 

 

 褒めてもらいたかったわけではない、認めてもらいたかったわけではない。

 だというのに、母の言葉は、父の言葉は、“彼”という心の闇を晴らすには、充分なきっかけとなった。

 

 もはや“彼”が消失した世界は粉々に砕け散っている。

 しかし、新たな光景が視界に入り、“彼”は困惑気味に呟いた。

 

 

「なんだ、これは……?」

 

 

 恐らく世界樹内部の映像なのだろう。

 翅を広げている者達が上層へと登っていく。大きく屈強な巨人に何十人かかりで挑んでいる者がいれば、天をも覆い尽くす騎士達に歯を食いしばりながら拮抗している者達までいる。

 何よりもその光景だ。とても現実味がない光景、まるでゲームの世界であるかのようなファンタジー要素の高い状況。

 

 そこで“彼”は目を見開いた。

 見覚えがある姿を見て、その者達に“彼”は注目する。

 それは黒ずくめの男であった、それは桃色の頭髪の少女であった、それは紫色を強調とした少女であった、それは幼い長い黒髪の幼女であった。何よりも――――。

 

 

「明日、奈……」

 

 

 それは――――『紅閃』と呼ばれた彼女そのものであった。

 

 抱きしめていた身体を離し、そっと母は“彼”の肩に手を乗せた。

 

 

「貴方の仲間ですね」

「あぁ、どうしてアイツら……」

「みんな、貴方の為に戦っているんですよ?」

「……ッ!?」

 

 

 何を馬鹿な、と“彼”は困惑していた。

 “彼”の仲間は先陣を切って上層へと駆けている。となると、他の者達も仲間達によって担ぎ出された可能性が高い。

 

 

「オマエはオマエが思っている以上に、大事にされてたってわけだ」

「そう、みたいだな……」

「わかったら、さっさと親離れしやがれ。死んでる奴らに悔いてる暇あったら、今を楽しめってんだよ。笑ってるやつは大抵強いもんだ、オレから言わせてみればオマエは笑顔が足りねェ」

 

 

 だから、と背後から。

 ですね、と後ろから。

 

 

「――――行って来い、息子!」

「――――助けられてきなさい!」

 

 

 力強い張り手。

 後押しする手。

 同時に“彼”の背中に叩き込まれた。

 

 思わず“彼”は前へと足が進む。

 振り向きたかった、最後に顔を見たかった。これで多分、両親と会話できるのは最後になると思うから。

 だがそれは出来ない。親離れしろ、と父は言った。自分をもう許して上げなさい、と母は言った。きっとこれが、振り向かずに歩くのが、親元から離れるということだと思うから――――。

 

 

「…………」

 

 

 未だに“彼”のうちからは炎が灯っている。

 収まることなく、弱まることなく、自身をこれからも焦がしていくことだろう。

 今は無理でも、それでも。いつかは、きっと。母の言うように、自身を許せるようになるまで、付き合っていくしかない。後悔もある、未練もある、自身を許すことなど直ぐには出来そうにない。

 母は仕方ない子と笑うだろう、父は一旦受け止めてそれでも精一杯生きてみろ、と後押しすることだろう。

 

 “彼”は笑みを零す。

 

 道標は得た。

 心は最後まで折れることなく、膝を屈することもなく、目を閉ざすこともなく、闇が晴れたわけでもない。

 それでも、前を見る。道標を見つけて、答えも得た。あとは進むのみ。

 

 

「――――父さん、母さん。行って来るよ」

 

 

 いってらっしゃい。

 そんな声が聞こえた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――横に一閃、斬りつけた――――。

 

 黒色に染まった方天画戟は一片の狂いもなく、標的の上半身と下半身を両断する。そして傷口から、炎が、蒼き焔――――蒼焔が発火し始める。

 その火力は明らかに上がっている。何もかもを焼き尽くす焔、自身すらも焦がす蒼焔は、猛々しいまま、何よりも神々しく輝いていた。

 

 それを玉座から見守っていた妖精王オベイロンは立ち上がる。

 歓喜してではない。目を見開き、ありえないものを見るかのように、自身がベルセルクと名付けた白銀の騎士を見つめていた。

 いやいや、と首を横に振る。現実に起きた現状を受け入れられないように、白銀の騎士を指差して――――。

 

 

「き、きさ、貴様ぁ! どうして、どうして――――!」

「チッ、ンだこれ暑苦しい」

 

 

 白銀の騎士は答えない。

 悪態をつきながら頭部を守っていた兜に手をかけて、強引に脱ぎ捨てる。そして自身の戦果を見やった。

 

 斬り伏せたのは異型の二足歩行の怪物、その数五体。

 紅閃の少女の身体は――――無傷。

 

 白銀の騎士は君臨する。

 蒼焔の上に、斬り伏せた怪物を足蹴に、片手で方天画戟を持ち穂先を怪物たちに向ける。

 

 

「悪い、手間取った」

「ううん、信じてたから」

 

 

 背中合わせに。

 紅閃は剣先を玉座に君臨する妖精王に向ける。

 それから万感の想いで彼女は言った。

 

 

「おかえり――――優希くん」

 

 

 加速世界(アクセル・ワールド)のメンバーが一人。アインクラッドの恐怖が、ここに復活を果たす――――。

 

 

 




 優希少年のいる世界は異聞帯とかになってそう。
 そういえば、Fate風ステータスが見たいというご要望をいただきました。そのうち、活動報告にのせようと思いますので、よろしくお願いします!

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