ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 ムーパパさん、藤原マイケルさん、誤字報告ありがとうございました!

 長くなってしまった。あと、最後の結末、絶対に、引かれる……(確信)


第20話 終局焔武・絢爛炎帝

 

 時刻不明

 世界樹内部 謁見の間

 

 

「答えろ! な、何故、ききき貴様は――――!」

 

 

 その声は、絶叫に良く似ていた。

 ありえない現象を眼にして理解を拒むかのように、自分の想像を遥かに超える状況を否定するように、男は目の前に起きた現実を受け入れられない。

 男はその辺り、大きく致命的に、欠けている。科学とは想像力と発想力の最たる分野だ。いくら勉学に励もうと、机上の空論を並べようと、最後には想像と発想が決まってしまう。その点で言えば、男は致命的に欠けていると言えるだろう。適正がないにも関わらず、科学という神域の領域に手を伸ばし、そして届かなかった者。それこそが男――――須郷伸之の正体であった。

 

 もはや彼の仮面は崩れ、何重にも塗り固められたメッキはとうの昔に剥がれている。

 須郷は歯をむき出しに、大きく開けた口からは唾が激しく飛ぶも気にしていない。それよりも注目する者が、無視できない者がここに一人、確かに存在する。

 心を砕いたはずだ、存在を否定した筈だ、幾重にも重なる苦痛を与え、恥辱と屈辱に塗れさせ、人としての尊厳を取り上げてきた。だというのに、彼は再び立ち上げってくる。絶望の底へ叩き落としてやったに、彼は再び這い上がり、須郷の眼の前に立ち塞がって来た。

 

 ふいに、待て、と。

 須郷の背筋が凍りついた。何かに気付いたと言ってもいい。須郷は捲し立てていた口を、ポカン、と開けて呆然と彼を見やる。

 いつからだ。いつから、自分は彼の心を折ったと錯覚していたのか。もしかしすれば最初から、心など折れていなかったとしたら、自分は最初から眼中に入っていなかったとしたら――――?

 

 そこまで考えて、須郷は首を横に振った。

 ありえない、と。今までの自分の行動を無駄に終わらせない防衛本能が、須郷の中で働いている。それはささやかなプライドを守るため、極小さい矜持を守るための必死な行動であった。

 

 

「何を無視している茅場ァ! 僕の質問に答えろ! 僕は神だ、この世界を掌握し支配する選ばれた存在だ! 貴様程度、僕の思い通りに動かせない筈がないんだ! 何かをしたに決まってる……。そうさ、貴様は何かしたんだろォ!?」

「――――あぁ? 居たの、オマエ?」

 

 

 グルン、と。

 彼は須郷の玉座へと振り返り、視線を向けた。

 ここで初めて須郷の存在を認めて、意識を彼に集中させる。その視線はまるでレーザーサイトだ。標的へ照準を合わせるための装置であるように、明確な敵意と威圧を須郷へと向けている。

 

 そして揺らめくは焔。

 蒼くも黒い焔、神々しい“蒼”に禍々しい“黒”が複雑に絡み合い内紛している焔――――黒蒼焔を彼自身と漆黒の方天画戟へ纏わせていた。

 

 強靭的な意志の強さを見せる眼光を真正面から受けて、須郷は一歩二歩、よろめくように後ろへ後退する。危険から逃れるように、身を守るために下がるが、彼は決して逃しはしない。

 ジッと須郷だけを見つめる。標的から眼を逸らさずに、須郷だけを見つめて彼は言った。

 

 

「別にオレがどうこうしたわけじゃねぇ。オレは周りに恵まれていてな、そいつらがオレをここに導いてくれた」

「恵まれているだと? 笑わせるなよ、貴様の存在は間違いだと何度も言っているだろう。何故それがわからない」

「……ッ! 貴方、いい加減に――――っ」

 

 

 彼の隣りにいた少女――――明日奈が須郷へと食って掛かる。

 その剣幕は凄まじいものであり、これ以上須郷が妙なことを言うものなら殺到する。そう断言できかねない程の勢いと迫力を有していた。

 だが彼はそれを制する。方天画戟を持っていない左手で、明日奈へ手のひらを向けて制すると。

 

 

「確かにな」

 

 

 一度頷いて肯定した。

 思わず明日奈は彼の方へと向いて、須郷は口元へ笑みを張り付かせる。

 そんなことない、という視線。見たことか、とせせら笑う視線。両方を受け止めて彼は続けた。

 

 

「オマエの言うことは間違いじゃねぇ。オレがここにいるのは間違っている。オレよりも出来が良い人間がいれば悲劇は回避することは出来たし、何よりもオレがいなければ世界は上手く回っていたかもしれねぇ」

 

 

 だがよぉ、と言葉を区切り彼――――茅場優希は真正面から斬って捨ててみせる。

 

 

「――――ンなもん、知ったこっちゃねぇんだわ」

「な、に……?」

 

 

 呆気にとられている須郷を置いていくように、優希は己の主張をぶつけた。

 

 

「考えてみればよぉ、オマエの話しは全て仮定だ。“IF”って曖昧なモンを、オマエは延々と講釈を垂れていたってわけだ。オレも随分と弱っていたらしい、忌々しいが認めてやるよ。オレはあの時点だけで言えば、オマエに負けていた」

「貴様……ッ!」

「オマエなんぞにいちいち見せられなくても、こちとら理解してんだよ。これまで十数年、伊達や酔狂で自分自身憎んでねぇんだ」

「貴様、開き直るつもりか!」

 

 

 そこで優希は、ニヤリ、と笑みを浮かべた。

 口元を裂くように薄く、不敵とも呼べる笑みを張り付かせて、優希は臆面もなく言い放つ。

 

 

「応とも。オレの存在は間違いだ、わかってるさ。でもよぉ、だからと言って、オマエなんぞにオレの体を好きにさせる道理なんざあるわけねぇだろ?」

「道理がない、だと? あるさ、あるに決まってる! 誰に口を聞いてるんだ、僕は神だ。この世界の支配者、魂を改竄させ、他人を好きに動かえる存在だ。それを貴様――――!」

「笑わせんなよ三流野郎。オレのようなスクラップの歩みすら満足に止めることが出来ねぇ指し手が、支配者を語るなんざ出来の悪い冗談にも程がある」

 

 

 そこまで言うと、ゆっくりと。優希は右手に持つ方天画戟の穂先を須郷へと向けた。

 到底片手だけでは支えきることができない重量を誇る獲物を、優希は苦もなく片手で持つ。あまりにも規格外な膂力に、須郷の足がまたも後ろへと下がる。

 

 

「よくもまぁ、オレを……いいや、オレ達を舐めてくれたよなぁオマエ? そこで待ってろ、きっちりケジメは取ってもらう」

「ケジメ、だと……?」

「あぁ。まぁ、具体的に言うとだ――――」

 

 

 轟、と焔が奔る。

 異型の怪物達を牽制していた黒蒼焔が更に温度を上げ、猛りを増していく。それはまるで優希の心を表しているようでもあった。己を激しく憎悪する禍々しい黒炎、そんな自分を受け入れて生きようとする神々しい蒼炎、二種類の焔が複雑に混じり合った焔を激しく猛り奔り、そして眩しいほど輝いている。

 

 そのまま、優希は口を開いた。

 

 

「―――――オマエに朝日は拝ませねぇ。覚悟しろよイケメン。今からその涼しい顔を、これでもかってくらい歪めてやる」

「―――――ッ!?」

 

 

 その視線には敵意があった、その言葉には威圧があった、その姿勢には――――逃れられない敗北があった。

 ゾクリ、と須郷の背筋が凍りつく。いいや、凍るなんて表現は優しすぎる。まるで頭から氷柱を突き刺されたかのように、須郷の身体は動けなくなっていた。それは万国共通、生物である以上存在する純粋な感情。誰もが抱くモノを、須郷は感じている。それこそが――――“恐怖”であった。

 金髪碧眼の怪物は、ただ見つめる、ただ声を発する、ただ獲物を向ける。それだけで、須郷の精神を掌握していた。

 

 今の須郷は神などではなく、ましてや支配者や王などではない。彼は被食者だ。ただ食われるのを待っているだけの存在。それは蛇に睨まれた蛙のように、何もしなければこのまま捕食される運命しかないことを、彼は悟ってしまっていた。

 だとすれば、須郷の取る行動は一つしかない。

 

 

「――――囲め!」

 

 

 逃走という選択を取れれば、彼はまだ生き残れただろう。しかし、それは出来ない。己の中にある矮小な矜持が、ただ逃げることを拒否している。自身が見下していた存在に、茅場に背を向けることを、彼は許さなかった。

 ともすれば、一つしかなかった。現存する戦力で、目の前の怪物を葬り去る。これしか、須郷に残された選択肢は存在しなかった。

 

 

 命じられた怪物達は、グロテスクな外見とは裏腹に統率の取れた動きで、瞬く間に優希と明日奈の両名を包囲する。

 警戒を怠らずに、過敏に観察しながら、緊張感がない口調で優希は呟いた。

 

 

「見た目とは裏腹に、命令には忠実なんか」

「……多分だけど、彼にはゲームマスター権限があって、それで操ってるんだと思う」

「なるほど、晶彦くんとはまた違う使い方しやがる。種がわかっちまえば、ンな権限どうにでもなるが」

「……それよりも、さ」

「あぁ?」

「――――変わったね、優希くん」

「そうか?」

「うん、余裕が出たと言うか、今の状況を少しだけ楽しんでるしょ?

 

 

 まぁな、と言葉を区切り優希は続ける。

 

 

「……懐かしい夢を見たんだ」

 

 

 ポツリと呟いた言葉には、どこか哀愁が漂っている。

 懐かしむように、悲しむように、されど嬉しそうに、先程見たいつか覚める夢を思い出すように、優希は言った。

 

 

「久しぶりに叱られて、何か心が軽くなった。あの人風に言うと、親離れしたって言うのかな? まぁ、わかんねぇと思うけどそんなとこだ」

「そっか」

 

 

 それだけ言うと、明日奈は眼を閉じた。

 幾分かであるが、優希の声は穏やかなものであった。自分へ向けた苛立ち、自己犠牲の狂気、歪んでいる前進思考、それらはなくなることはないものの、確かに優希の声は穏やかなものであった。

 恐らく、彼は答えを得たのだろう。憎悪する対象である自分すらも受け入れて、前進する糧としている。そこに明確な生きようとする意思が感じ取れていた。

 

 良かったと思う半面、悔しいという感情もある。

 自分には出来なかった。何者かが優希を変えたのだ。それこそは、明日奈自身が変えてあげたいと思っていたことに等しいモノであった。

 彼を想う幼馴染として、何よりも彼に恋する一人の女として、破滅に突き進む彼を止めたかった。

 

 だが彼は変わった。

 明日奈ではない何者かのおかげで、多少であるが良い方向へ茅場優希は変わった。

 それは勿論、嬉しいに決まっている。それでも少しだけ悔しいと思ってしまうのは、彼女が人間であり、彼に恋をしているが故なのだろう。

 

 そこまで考えて、明日奈は眼を開けてポツリと語り出す。

 

 

「良かったし、嬉しいよ。でも結局、わたしは君の役に立たなかったね……」

「……なに言ってんだよ?」

「だって……」

「あのクソにも言ったけどよ、オレはどうにも周りに恵まれているらしい。オレが変わったのは、周りの連中がいたからだ」

「それは、わたしも含まれてるの……?」

「当たり前だろ。オレがいくら突き放しても、汚い言葉を並べても、オマエは見捨てなかった。オレが変われたのも、これまで生きてこれたのも、前に歩いてこれたのも、間違いなくオマエのおかげでもあるんだよ」

 

 

 視線を周囲に向けて、されど意識を明日奈に向けて、優希は静かに告げる。

 万感の想いを言葉に乗せて、いつもの彼らしくない、素直で純粋な謝意と感謝を言葉に乗せた。

 

 

「悪い。それから、ありがとうな、明日奈。オレはオマエに、何度も助けられている」

「―――――」

 

 

 言葉が出なかった。

 強くなろうとした、今度は自分が優希を守るために、彼女は強くあろうとしていた。

 しかし前提からしてそれは違ったのだ。強くあろうとしたのは別に間違いではない。彼女は自分を低く評価していたのだ。優希は言った、何度も助けられている、と。それはつまり――――彼を守っていたことに他ならない。

 

 感涙極まって涙が溢れそうになるのを堪える。

 今は泣いている場合ではなく、眼を曇らせている場合でもない。今の状況は窮地だ。何百体もの異型の怪物達に囲まれている現状、打破する手段は力のまま抗うしかない選択肢は存在しない。

 

 争いとは数が物を言う。

 多ければ多いほど有利であり、少数側を蹂躙する摂理だ。

 ともすれば、優希と明日奈は手も足も出ずに終わることだろう。多少拮抗出来るかもしれないものの、疲労が蓄積され、精神は疲弊し、やがては蹂躙される。

 加えて、五体満足であるのは明日奈のみ。幾重にも拷問に近い実験を繰り返された優希は今にも倒れかねないほど弱り切っている。

 

 戦力差は覆らない。

 それこそ、奇跡でも起きない限り、彼らの五体は引き裂かれることだろう。

 だがここに。

 

 

「な―――――」

 

 

 例外が存在する――――。

 

 

 それは眩い光であった。

 目を覆うほどの眩い光。それは優希と明日奈の目の前で光り輝く。

 予期もせぬ現象に、思わず須郷は声を漏らした。何が起きるかなど、ゲームマスターである彼ですらも予想もつかないイレギュラーが起こっている。

 

 光が収まっていく。

 それは徐々に人形に形成されていき、光が収まる頃には――――。

 

 

「みん、な……!」

 

 

 呆然と呟いた明日奈の目の前には、一人の少年と、二人の少女、そして二名の幼女が現れていた。

 誰もが優希と明日奈に背を向けて、この世の支配者を自称する須郷を睨みつけている。これまで自分達の仲間を傷つけてきた元凶に、混じり気のない純粋な敵意を向けていた。

 

 それも長くは続かない。

 パープルブラックの長髪の少女が勢いよく振り返る。

 その眼からは大粒の涙が流れ、一目散に優希へと走り寄って抱き着いた。

 

 

「うわぁぁん! にーちゃーん!!」

「うおっ!?」

 

 

 よろめきながら、何とか受け止める事が出来た。

 長いこと見ていなかった姿を、ソードアート・オンラインにて家族になることが出来た妹――――ユウキの存在を受け止めた。

 

 

「やっと、やっと会えたよぉ! 僕ぅ、僕ぅ……!」

「……心配かけて悪かったな。その、泣くなよ」

「うぅ、むぅりぃー……!」

 

 

 嗚咽を漏らすユウキを宥めるように、彼女の頭を優しく撫でる。

 効果はあるようで、安心するのかユウキは徐々に落ち着きを取り戻していた。

 

 再び、視線を前方に向ける。

 見たことがある背中であった。そこにはリズベットがいて、ユイがいて、そして――――キリトがいる。更にもう一人の姿もあった。

 

 

「オマエら、どうして……」

「あんたを助けるために決まってんでしょ」

 

 

 バカね、とリズベットは大きく肩を竦めた。

 あまりにも当たり前のことを優希が尋ねるからか、その口調は呆れ混じりのものとなっている。

 

 

「……悪い。手間ぁかけたな?」

「いつものことよ。あんたが無茶して、あたし達がフォローする。そうやってここまでやって来たじゃない」

「……それも、そうだな。でもどうやってここまで?」

「それは――――」

 

 

 そこまで言うと、リズベットは視線をもう一人へ向けた。

 見覚えがなかった背中、ユイと同じくらいの背丈で華奢な姿。ただ違うとすれば、ユイとは違い白いワンピースではなく、黒いワンピースを着ている。

 

 もう一人が振り向く。

 薄紫色の髪の毛に赤い瞳。最後に見た姿とは大きく異なる姿、かつて優希の命を救い、その身を犠牲にした少女。

 少女の名は――――。

 

 

「スト、レア……」

「……久しぶり、アナタ」

 

 

 おずおずと、どこか気まずそうに小さな右手を優希に振る。

 対する優希は呆然と問いを投げる。礼を言わなければならないと思った、謝罪しなければならないと思った。しかしそれよりも、疑問が彼の中で勝る。

 

 

「何でオマエがここに……?」

「……実はね、アタシ死んでなかったんだ。ユーキにアタシのPCデータを取り込ませてから、ユーキの中でアタシは生きてんたんだ。何度か呼びかけたことがあったんだけど、聞こえてなかった?」

「……」

 

 

 覚えはあった。

 何度か彼女の声が聞こえたことがある。それはソードアート・オンラインの中で、殺人鬼との戦いの中で、それが終わった頃に、そして最後の戦いに赴く瞬間に、幾度も彼女の声が聞こえていた。

 優希は彼女は自分のせいで死んだ、と考えていた。それは今も同じである。だがそれでも、彼女は眠ることなく、優希に絶えずに声をかけてくれていた。

 

 

「そうか。オマエはずっと、オレを見守ってくれてたのか」

「……んー、まぁそういうことになるね。ちょっと照れくさいけど」

「悪かったな。でも、何で今になって姿を表したんだ?」

「大丈夫だと思ったから、かな? アタシがアナタの中にいなくても、もう自分を傷つけないと思ったから。だからみんなを呼んだんだ」

「……まったく、オマエには世話になりっぱなしだな」

「ううん、気にしないで。アタシも好きでやってることだから」

 

 

 首を横に振って満面の笑みで答えるストレアに、顎を引いて頭を下げた。

 

 彼女はずっと見守ってくれていた。

 優希が罪悪感に押しつぶされないように、自身を焼き尽くすほどの炎で焦がれないように、彼女はずっと彼の内側で守ってくれていた。

 彼からしてみれば、気にするなというのが無理な話しだ。自分はどれだけ、仲間達に借りを作ればいいのかわかったものではない。もはや返しきれない恩がある。であれば、一生をかけて返していくしかないだろう。

 

 そんなことを考えていると、気を使うようにユウキが訪ねてきた。

 

 

「ねぇ、にーちゃん。アイツに何もされなかった?」

 

 

 アイツとは須郷のことを言っているのだろう。

 須郷がどんな人間なのか、粗方であるものの明日奈から話しは聞いている。自分の邪魔をする人間には苛烈に危害を加える、それがユウキが須郷の印象でもあった。

 

 明日奈を逃がすために、優希が残った。

 ともすれば、須郷に何かされたと思うのは当然の思考の帰結と言えるし、ユウキが兄を心配するのも無理はない。

 

 結論から言えば、何もかもされた。

 ユウキが想像しているよりも遥かに人道から反する非道を、その身に経験してきた。苦痛に顔が歪まなかったことなどなく、その心は屈辱と恥辱に塗れていた。

 しかし――――。

 

 

「心配すんな。――――なにも、なかった」

 

 

 彼は嘘をつく。なにもなかった、と妹の頭を撫でて、兄は嘘をつく。

 

 しかしキリトは、それを見逃さない。

 真相を知る明日奈、外側から見てきたユイ、そして彼の中にいたストレア以外の人間で、彼だけは何となく察していた。具体的にはわからないものの、須郷になにかされたのだ、と。キリトだけは理解していた。

 

 何度も剣を交えてきたからこそ、何度も優希と争ってきたからこそ、キリトは気付いた。

 だが敢えてそれを指摘がしない。優希が誰にも言わないと決めたのなら、キリトは何も言わずにそれに応じるのみである。

 

 ともすれば、キリトのやることは変わらない。

 背中に挿しているエリュシデータを勢いよく引き抜いて、周囲を囲む異型の怪物達に意識を向ける。

 

 

「絶体絶命って奴か? この数、切り抜けることが出来ると思うか?」

 

 

 言葉とは裏腹に、その口調は気軽なものであった。

 挑戦的な軽口といっても過言ではない声に、優希は口元に笑みを浮かべる。ユウキから離れると、片手で持つ黒色に染まる画桿の方天戟。その穂先を床に向けて応じる。

 

 

「さぁな。これ以上増えたらヤベェかもな?」

「安心しろよ。その時は、俺がお前よりも多く斬ってやるさ」

「面白いギャグぶっこむじゃねぇの。もしかして、オマエも戦うのかよ?」

 

 

 ソードアート・オンラインをクリアしてから半年。

 久しぶりに会ったにも関わらず、そのやり取りは半年前から何も変わらなかった。売り言葉に買い言葉、ノーガードの殴り合いの応酬に、リズベットのため息は深くなる。まったく変わらない男達に苦言の一つを漏らそうと口を開きかけるが。

 

 

「――――ゲームマスタ権限執行、設定変更、ペインアブソーバレベル0ォォォ!」

 

 

 叫び声。

 青色の管理者専用とされるシステムウィンドウを開き、須郷は涎を撒き散らしながら大きく口を開けて叫ぶ。

 その瞳は愉悦に染まっていた。ペインアブソーバとは、10段階に分かれている。それがレベル0ともなれば、受けた痛みは脳へ直接伝わるようになってくる。つまり、斬られれば斬られた痛みとして、焼かれれば焼かれた痛みとして、現実世界の身体へと伝わるようになってくる。

 

 それが須郷の狙いでもある。

 彼は確信していた。次に来る彼らの恐怖を、仮想世界で受けた痛みが現実世界に伝わる怖気を、そして顔を歪める自身に歯向かう彼らの無様な醜態が晒されることを、須郷は確信していた。

 ともなれば、彼は上機嫌となり、口も軽くなるというものだろう。

 

 

「これは困ったねぇ。ずっと仲良しごっこしてきた君達に、この痛みは絶えきれるかなぁ? だってペインアブソーバをレベル0にしたんだよ? 普通なら――――」

「団長さん! 分析、終わりましたよ! この人達、大きな爪と噛み付くことしか、攻撃手段がありません!」

 

 

 遮るように、ユイの声が謁見の間に響き渡った。

 

 彼は失念していた。というよりも、考えもしなかっただろう。

 科学者として、彼は致命的に想像力が欠けている。全て自分の本意でしか、物事を考えることが出来ない。

 

 そう。

 ペインアブソーバのレベルが最低になろうとも、彼らはひるまない。彼らは妖精王の想像を遥かに超えていく。

 この程度の修羅場に慌てるほど、元攻略組最高ギルド『加速世界(アクセル・ワールド)』は軟な集団ではない――――!

 

 

「魔法攻撃もない。些末なアルゴリズムで組まれているから動きも単調。みんなには相手にもならないよー!」

「それじゃ、アタシはいつもどおり、ユイと戦えないストレア守るから、あんた達頑張りなさい!」

 

 

 ストレアが結論を伝え、リズベットが二人に寄り添いながら片手に持つメイスを振り上げて鼓舞した。

 

 受けた四人は、一歩前に進み出る。

 細剣を引いて明日奈は構え、キリトはエリュシデータを片手で握り直し、ユウキは黒色の直剣を腰に挿していた鞘からから抜き放ち、優希は無手であった左手を首元まで持っていきコキリと骨を鳴らした。

 臨戦態勢。少しでも敵が動いたものなら、それを上回る最速で以て四人は動く。

 

 戦うつもりである。それ以上に、勝つつもりである。

 明日奈は目を閉じて、そして開ける。同時に凛とした声が、戦場に響き渡った。

 

 

「聞こえたね、みんな! 相手は大したことがない。ちゃちゃっと片付けて、現実世界に帰りましょう!」

 

 

 殺せ、と悲痛ともとれる宣言が命じられ、妖精王への叛逆が始まった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そうして、グランドクエスト。いいや、ソードアート・オンライン最後の戦いが始まった。

 開幕を告げるのは異型の怪物達の声にもならない咆哮。全てが天を仰ぎ、鋭利な歯を剥き出しに、加速世界(アクセル・ワールド)の四人へと殺到する。

 

 外見は奇形、その有り様は異様、ソードアート・オンラインでも見たことがない気味が悪い生物が、数を誇って四人へと押し寄せる。

 それは波濤する大波の如く。世界樹の内部にいた騎士達のような統率のとれた陣形ではなく、各々が好きに行動し引き裂かんとしている。だからこそ、統率の取れていないからこそ、何よりもその姿は悍ましい。

 

 それでも四人は引かない。

 むしろ――――。

 

 

「ハハッ――――!」

 

 

 一人の人影が、四人から飛び出して先鋒へと推進してく。

 獰猛に笑みを浮かべるソレは、正に肉食獣を連想させるほどの猛々しい笑みである。彼――――優希はそのまま、勢いを殺すことなく右手に持つ方天画戟を横に薙ぐ。

 

 瞬間、引き裂かれる異型の怪物達の体躯。

 たった一撃、されど一撃。それだけで、数十体もの怪物達は斬り飛ばされ、その斬圧は後方に存在する怪物達にも届いた。

 そして二撃目――――突き。三撃目――――払い。そして四撃目で斬り捨てる。複数の用法を用いることが方天画戟の強みというのなら、優希は自身の持つ獲物を荒削りであるものの使いこなしていると言えよう。

 的確に、かつ迅速に、なおかつ力強く斬り裂いていく。相手が異型の怪物の群れであるというのなら、立ちはだかるはアインクラッドの恐怖の強さは鬼神の具現と言える。

 

 生まれて何も知らぬ怪物を、死を以て恐怖をそのむき出しの脳髄へ叩き込んでいく。

 

 一撃の重さは並ぶことのない怪力。

 比類なき膂力から放たれた一撃は、容易く怪物の首を撥ね飛ばした。

 だが甘い。怪物はそれでも止まらない。首を飛ばしても、凶爪を振り上げ、優希の白銀の鎧へ刻もうとするも。

 

 

「――――ッ!」

 

 

 一息に叩き込むは四突。

 銃弾の如き速度による速度を伴った突きは、怪物の四肢を軽く消し飛ばした。

 

 その姿は紅閃、その輝きは星のように、あるべき場所である優希と背中合わせ立つようにして明日奈は口を開いた。

 

 

「――――大丈夫?」

「助かった。また疾くなったな、オマエ?」

 

 

 戦場であるにも関わらず、そのやり取りは軽い。

 しかし技の冴えに淀みはなかった。優希の一撃が雷であるのなら、明日奈の一突は風のように軽やかなもの。一息に幾重にも突かれる一撃は鋭く疾く、何よりも正確である。

 その刺突は舞い。荒々しい優希とは違い、確実に一片も狂いもなく怪物の体躯へと打ち込んで行く。

 

 黒い直剣――――エリュシデータの剣が怪物を裂いていく。

 その数は四。ソードスキル『バーチカル・スクエア』によく似た斬撃が、怪物の四肢を削いでいった。

 

 

「これは首を狙うよりも、手足を斬った方がいいな……。ってことで、どうだろうアスナ!」

「はいっ、キリトくんの案を採用します!」

「ハハハッ、直ぐ決めるねぇ!」

 

 

 笑みを浮かべながらユウキが言うも、キリトの案に不満はないようである。

 襲いかかる凶爪を、類まれなる反応速度で以て避けると、すれ違い様に眼にも止まらぬ斬撃にて怪物の四肢を切り落としていく。

 

 対して不満な輩が一人。

 優希は、チッ、と舌打ちをすると面白くなさそうに呟いた。

 

 

「ンなことしなくてもよぉ、一撃で叩き潰しまえばいいじゃねぇか」

「それが出来ないから言ってんだよ、このゴリラ!」

 

 

 売り言葉に買い言葉。

 両名にスイッチといった、連携の言葉は必要としていない。数えきれないほど争ってきたからこそ、次に相手がどう動くか、キリトと優希はお互いに理解している。だからこそ、合図は必要としていなかった。

 ときに交差し、ときに巻き込みながら、敵を圧倒していく剣と戟。悪態を突き合うはじまりの英雄とアインクラッドの恐怖は目ぐるましく戦場を駆けながら、異型の怪物達を圧倒していく。

 

 

「でも随分と、やる気満々じゃないか。楽しそうに戦ってるお前を見るの、始めてたぞ?」

「うるせぇよ、ヘタレ剣士。他人を詮索してる暇があるなら、さっさと斬れや!」

「あっ、それはね。みんなとまた戦えて、嬉しんだと思うよ?」

 

 

 横から説明する明日奈の声に、キリトの剣がわずかに緩む。

 はじまりの英雄は不意を突かれたように顔を凍らせて、

 

 

「ハハハッ、そうかそうか! いやぁ、お前にも可愛いところがあるんだな。なぁ、アインクラッドの恐怖?」

「……言うじゃねぇのよ、はじまりの英雄。オマエから先に、叩き潰してやってもいいんだ、ぜッ!」

 

 

 一撃は感情を乗せて、一段と力強く振るわれた方天画戟は怪物の身体を抉り、多段の上にある玉座へと斬り飛ばしていく。

 ヒィ、と須郷には当たらなかったものの、短い悲鳴を上げた。

 

 チッ、と忌々しげに舌打ちをする優希に向かって、妹は満面の笑みを浮かべて。

 

 

「大丈夫だよ、にーちゃん! 僕も同じ気持ちだから!」

「……何を持って大丈夫って言い切るのか、オマエの感性がわからねぇよ」

 

 

 億劫そうに呟いて、また新しい怪物を斬り捨てる。

 それから優希は周囲を見渡すも、一向に数が減る兆しはなかった。むしろ――――。

 

 

「アスナー! 新手よー!」

 

 

 リズベットの声を聞いて、優希は思わずため息が出る。

 病原菌の如く、その繁殖力は目を見張る物がある。斬っても薙いでも突いても、怪物達は減ることがない。ともすれば、際限なく増殖するように設定されているのだろう。

 

 このままではジリ貧。今は余裕でも、これからずっと戦っていられる保証もない。

 黒く蒼い焔を奔らせ、ある程度であるが異型の怪物達を一掃し、優希は明日奈へ指示を仰いだ。

 

 

「どうするよ? このままじゃ飽きてくるぞ」

「うん、大本を潰しに行こう」

 

 

 決断は早かった。

 しかし明日奈の表情は晴れない。彼女には一つの懸念があった。

 

 

「でも、須郷は多分ゲームマスター権限を持ってる。自分がゲームオーバーにならないために、不死属性を付与していると思うの」

「それなら心配ねぇよ。オレが何とかしてやる」

 

 

 ホント? という質問を、優希は「あぁ」と頷いて。

 

 

「ただし、チャンスは一度っきりだ。それ以降、オレは動けなくなる。だから一撃でキメろ」

「それじゃ、俺とユウキはここに残って踏み止まるよ」

「うん。リズ達を置いていけないしね」

 

 

 ギュッと、明日奈は自身の愛剣であるランベントライトを握りしめ、首からぶら下がっている蒼色の宝石がついたペンダントをもう片方の手で握りしめる。

 不安なのだろう。何せチャンスは一度きり。それを逃せば、全ては終わってしまう。自身は閉じ込められ、キリト達も囚えられるかもしれない。それよりも、須郷の逆鱗に触れている優希は殺されるかもしれない。

 

 動悸が早くなっているのは気の所為ではない。呼吸は落ち着かず、意識を集中できない。

 自分よりもキリトやユウキの方が適任ではないのか、そんな考えが明日奈に過る。失敗してしまえばこれまでの努力が無になり、未帰還者301名は一生現実世界に戻ることはないだろう。

 やれるだろうか、と。明日奈は自問自答を繰り返し、答えが出ない思考の袋小路に閉じ込められてしまう。

 

 だが、

 

 

「――――え?」

 

 

 いつの間にか、握っていたペンダントの上から手が包み込まれている。

 顔を上げると、真っ直ぐに明日奈を見つめる優希の顔があった。思いつめる彼女に対して、優希の表情は涼し気なそれである。何も気負うこともなく、力強い言葉を明日奈へ送る。

 

 

「オレが前に言った言葉、覚えてるか?」

「――――あ」

「挫けそうになったとき」

「辛い時、思い出せ……」

「「オマエは弱くない。オマエは強い」」

 

 

 その言葉には熱が宿してあった。

 忙しなく動いていた心臓は落ち着きを取り戻し、意識は須郷へと集中していき、思考も澄み渡っていく。

 大切な幼馴染、彼女が恋した少年が、ここまで自分を評価してくれているのだ。その期待に答えずして、どこで答えるというのだろうか。

 

 ランベントライトを握り直す、ペンダントをギュッと握りしめる。

 既に、優希が包み込まれていた手は離されている。あとは一人で明日奈が歩き出すのみ。

 覚悟は、決まった――――。

 

 

「――――行こう、優希くん」

「あぁ」

 

 

 短いやり取り。それだけで事が足りる。

 片手に細剣を持ち、方天画戟を片手で担ぐ。

 その足取りは確かなもので、軽くもなく重くもない、気負っている様子はどこにもない。

 自分ができることをやる。ただそれだけだ。

 

 

「へぇ、わざわざ僕に殺されに来たのかい?」

 

 

 対する妖精王は軽薄な笑みを浮かべて、二人の挑戦に応じていた。

 油断しきっているとはこのことだろう。帯刀すらしておらず、無手で彼は両手を広げて迎えている。

 

 一歩、一歩。また一歩。着実に、妖精の王との距離を詰めていく。

 それでも妖精王の余裕は剥がれなかった。当然だ、彼の身体は今や不死となっている。ゲームマスター権限によって、HPゲージが削られることのない絶対死なない身体となっているのだ。

 だらこその余裕。絶対に死なないのだから、逃走に対する緊張感すらもない。彼と明日奈達では、戦いの心構えが違いすぎた。

 

 そして、二人の歩みは止まった。

 明日奈は身を低く構える。

 低く、更に低く、尚低く。片手を地面に付いて、片手を細剣を持つ。その姿はまるで、クラウチングスタートのようでもある。引くことを拒否するかのような、攻撃的な構え。

 

 そして優希は――――。

 

 

「一つ、オマエに言うことがある」

 

 

 方天画戟を天に掲げて、須郷に向かって言い放った。

 ニヤニヤと、軽薄な笑みを浮かべて須郷は応じる。

 

 

「何だい? 命乞いなら聞いてやるよ。もちろん、聞くだけだけどねぇ!」

「あぁ、そうだな。――――吠え面、かきやがれ」

 

 

 刹那、轟、と音を立てて黒焔と蒼焔が方天画戟に殺到する。神々しくも、禍々しい、心意によって作り出された優希の己すらも燃やし尽くす焔。

 炎熱によってか、纏っていた白銀の鎧はたちまち融解を始め、ところどころ素肌が露出していく。重度の火傷によって、優希の表情には苦痛が垣間見ることが出来る。

 だがそれよりも、眼を見張るのは、彼の方天画戟に集った焔。焔は形となり、形は一つの武器となる。それはあまりに巨大で、あまりにも大きすぎる、大雑把すぎる大矛。刃幅は100cm程あり、その刀身は170cm以上はある。

 

 それこそが、優希の最奥に眠っていた焔が形となったもの、己すらも焼き尽くし滅する焔の具現、己殺しの大矛であった。

 

 優希の周囲で、焔が無数の蛇のようにとぐろを巻巻きながら唸っている。

 もはやこれ以上、出すものがない。即ち、これこそ正真正銘、優希の捨て身の力。己の身体や生命すら省みない、必中一撃なる一撃必殺。

 

 呆然と立ち尽くす妖精王は、一歩後ろに下がる。

 それでもあの焔から逃れられないだろうと、彼の本能が悲鳴をあげる。何をするのかわからない、検討もつかない。なのにも関わらず、妖精王は畏れる。

 大嵐を思わせるほど膨大で、凝縮されたエネルギーはありえない威力を放つ。

 

 震える手で、青色のシステムウィンドウを開き、一本の剣を取り出そうと試みる。

 それこそは片手剣、最強のレジェンダリーウェポン『エクスキャリバー』に他ならない。あの剣であれば、目の前に存在する暴力に、途方もない恐怖に対抗できるかもしれない。そんな淡い期待を懐き、呼び寄せようとするも――――。

 

 

「ぁ――――」

 

 

 遅かった。

 ゆっくりと、掲げていた大矛の剣先は、妖精王へと照準を合わせる。

 照準は合わせた、弾も込めた、あとは引き金を引くのみ。

 

 待て、と妖精王は呼びかける。

 しかしそれよりも速く――――。

 

 

「――――権限なんざ灰に変えてやる」

 

 

 終局焔武・絢爛炎帝。

 凝縮された焔は、収束された砲撃となって妖精王へと真っ直ぐに撃ち抜いていく。

 己すらも焦がしていた焔。優希の心意は何もかもを焼き尽くす焔へと昇華されていた。それは膨張もなく、何もかもを灰に変える。物体から固形であるものから、概念のような曖昧なものまで。

 それは、もちろん。

 

 

「――――行け」

「――――はい!」

 

 

 ――――ゲームマスターの権利すらも、灰に変える究極の焔。

 

 膝から崩れ落ちる優希を尻目に、明日奈は駆けた。

 止まることはない。彼が行けと言ったのだ、ならば駆けねばならない。最速で最短で、誰よりも疾く、この身は疾走しなければならない――――!

 

 視界の隅は矢の如く。

 それでも意識は妖精王をしっかり捉えている。乱れことなくただ真っ直ぐに、明日奈は偽りの王を目指す。

 

 見えた。

 何が起きたのか、妖精王はわかっていない。

 膨大な熱量の炎熱による砲撃をまともに食らったのに、無傷である自分が理解が出来ないのだろう。彼は呑気に、自分の身体へ見ていた。

 

 

「須郷、伸之――――!」

「なっ――――!?」

 

 

 ここで漸く、明日奈の存在を認識する。

 一歩二歩、無様に後退するもそれでは遅い。音速を超え、神速で駆ける彼女に対して、何もかもが遅かった。

 そして――――。

 

 

「――――ッ!」

「やめっ……!」

 

 

 明日奈の刺突は、何の狂いもなく、一片の淀みなく、須郷の胴体へと、突き刺さる。

 

 

「ぎゃ、ぎゃぁぁあぁぁ!? 痛い、痛い!? 僕が、どうして!?!?」

「…………」

 

 

 無言で見つめると、明日奈は妖精王――――いいや、ただの須郷となった彼の身体から細剣を抜き放った。

 ふと、須郷のHPゲージを見れば、4分の1しか削られていない。この戦いは、須郷を倒せずに終われない。自分達が倒されるか、須郷が倒されるか、そのどちらかでしかありえない戦いであった。

 

 須郷はみっともなくのたうち回る。

 これ以上の苦痛を、優希に与えたにも関わらず、彼は恥も外聞もなく己の苦痛を訴えていた。

 明日奈はそれを冷ややかに見つめて、優希へと視線を向けた。膝を付き、妹に抱き寄せられて、それでも明日奈から視線を逸らさない。

 

 視線は語る。

 オマエに任せる、と。

 ならば明日奈の取る行動は。

 

 

「消えて」

「き、貴様ぁ! 僕に向かって――――」

「これ以上口を開けば、わたしは今度こそ理性を抑えることが出来ません。もう一度言うわ――――消えなさい、須郷伸之」

「―――――ッ!!」

 

 

 言いたいことはあったのだろう、明日奈を殺意を伴った視線で睨みつけて、一言も発することなく彼は走り去って行った。

 

 思わず、深々とため息を吐く。

 剣を下ろし、肩の力を下りている明日成に対して、優希は皮肉げに口元を歪めて。

 

 

「甘いヤツだ」

「彼には戦う力はなかった。それでも剣を向けたら、彼と同じになる。それに、優希くんも同じことしてたでしょ?」

「……フン」

 

 

 優希は目を閉じる。

 視界が暗転し、視界が狭まっていく。

 遠退く意識のまま、彼は一言――――。

 

 

「流石に、疲れた――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソっ、クソっ、クソっ! なんだよ、なんなんだよ! どうして僕に管理者権限がなくなっている!?」

 

 

 妖精王と自称していた男は、無様に走っていた。

 向かう先は専用のシステムコンソールがある部屋。そこに行けば、とりあえずログアウト出来る。その後は――――。

 

 

「必ず報復してやるぞ。絶対に許さない、僕をこけにしやがって! どいつもこいつも、殺してやるとも。皆殺しだ!」

 

 

 須郷は目に浮かぶ未来へ思い馳せて、笑みを零していた。

 下卑た笑みを浮かべて、自身に命乞いをする憎き加速世界(アクセル・ワールド)の者達。そして最たる者は、やはり茅場優希であり、自身の所有物でもあった癖に逆らった結城明日成でもある。

 

 刺された腹部は激痛が走る。

 管理者権限が焼失されたことにより、あの場にいたプレイヤーに設定したペインアブソーバの数値が彼にも反映しているようだ。

 それがますます苛立ちを募らせる燃料となっていく。負う必要のなかった傷を刻まれ、感じる必要がなかった痛みが奔っている。選ばれた存在であるのに、自分は王であり、支配者でもあるのに、どうしてこうも無様に逃走していなければならないのか。

 

 須郷は走る。

 息を切らし、追ってくることのない標的に怯え、須郷はシステムコンソールがある部屋を目指す。

 

 そしてたどり着いた。

 見ると、まだ加速世界(アクセル・ワールド)の連中は到着していないようでもある。

 

 須郷の笑みは深まっていく。

 これならば先手を打てる。先に脱出し、ナーヴギアに繋がれている明日奈と優希の脳を焼いてしまえばいい。

 

 

「勝った。……ハハッ、勝った! やっぱり僕は選ばれた存在なんだ!」

 

 

 しかしそこで、数体の人影が、須郷の背後から気配がした。

 思わず、彼の肩が大きく揺れる。恐る恐る確認すると、直ぐに安堵した表情へと変わった。

 

 それはベルセルク。

 自身が作り上げた異型の怪物達であった。

 数は既に3体にまで減っている。どれもこれもが、手足のどれかが欠損していた。

 むき出しの脳髄もさることながら、今となっては五体満足でないことが痛々しく見えてくる。

 

 須郷が近付いて無反応――――というわけでもなかった。

 喉を鳴らし、大きく開いている口。そこからは鋭利な歯、そして大量の涎が流れている。

 

 思わず須郷は首をかしげる。

 ゲームマスターである自分には何の反応を見せなかった。自身に忠実で、命じれば必ず遂行する。それこそが自分の作り上げた異型の怪物達である。

 疑念はある。だがそれよりも、須郷は優先すべき目的があり、特に考えることもなく三体のベルセルク達に背を向けた。

 

 だが失念していた。

 今の須郷は――――。

 

 

「――――え?」

 

 

 ゲームマスターの権利を、焼失されていたことを――――。

 

 衝撃があった。次に浮遊があった。衝撃は熱となり、すぐに痛みへと転換していく。

 須郷は恐る恐る、自分の腹部へと視線を向ける。そこから生えているのは鋭利な凶爪。それは自分がデザインした―――――異型の怪物『ベルセルク』のものであった。

 

 足が地面に着いていないのは単純な話し、須郷は突き刺されたまま持ち上げられているからに過ぎない。

 そして、彼はそのまま、放り投げられる。

 

 

「がァァァァ!?」

 

 

 腹部を抑えて、須郷はのたうち回った。

 明日奈の刺突など、眼ではない激痛が、須郷の全身を駆け巡る。

 その無様な姿を見て。

 

 

「――――――――!!」

「――!! ――――!!」

「――? ――――!!」

 

 

 笑みを、浮かべていた。

 彼らはこの短時間で、感情を学習してしまったのだ。敵うこともない怪物達、三人の剣士と一人の戦士と戦わせられ、逃げたくても逃げられずに、彼らに挑んでいく。

 そこには恐怖があった、憤りがあった、そして何より――――怒りがあった。

 

 許せない。

 自分達をこんな目に合わせた者が、こんな自分達の命を考えない命令をする者が、妖精王が許せない。

 それこそが彼らの共通認識であった。故に――――彼らは笑みを零す。ゆっくりと、ゆっくりと、近付いていく。金髪碧眼が教えてくれた“恐怖”を実践するように、少しずつ追い詰めていく。

 

 

「な、なんで? やめて、やめてくれぇ! ぼ、僕はお前達には何も――――!」

 

 

 それが最後となった。

 怪物達は、身悶えている須郷に殺到する。

 鋭利な歯を剥き出しに、爪を掻き立てて、敵を殲滅する。設定されたアルゴリズムに則って、怪物達は目の前にいる敵に襲いかかった。

 

 

「痛い痛い痛い! やめっ、やめて! お願いしますお願いします、痛痛い痛い! ヤダヤダヤダァァァ!! 刺さないで下さいお願いしますお願いします! もう、もう、あ、あぁァァァァァ!! 食べないで、食べるなぁ! 僕は、まだ! なんでなんで、僕は僕は。やめろぉぉぉぉ!嫌だ、嫌だァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!」

 

 

 その声は虚しく、辺りに響いた――――。

 

 

 

 

 





 はい、ドン引きですね。
 何ベイロンさん、モグモグされました。生きたまま、えぇ、そのとおりです。ドン引きですね。誰がこんな酷い話を書いたのか(ブーメラン)


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