ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 西郷龍馬さん、-シロ-さん、白よもぎさん、誤字報告ありがとうございます!

 アンケートに答えていただき、皆さんありがとうございます!
 なるほど、そう見えているのか、と勉強になりました。まだまだ活動報告にてアンケートは募集していますので、よければ答えていただければ幸いであります!

 


第21話 現状報告

 

 ――――最初に彼が目にしたのは、涙で濡らした顔であった。

 

 だがそれは、幼馴染のものではない。ならば付き合いの長い後輩であるのかと言われればそうではなく、今となっては唯一の家族である義妹のそれとは違う。

 それは力強く、彼という存在を世界に留めるようにしっかりと、茅場優希を抱きしめていた。

 

 その眼からは大量の涙。

 恰幅の良い初老の男性――――結城彰三は、年甲斐もなく恥も外聞もないまま、感情のままわんわんと泣きながら茅場優希を抱きしめる。

 

 とはいっても、優希も一年と半年は寝たきりであった身だ。

 デスゲームに巻き込まれる以前、お世辞でも体格の良い少年とは言えない。むしろ平均よりも痩せていたとも言える。そんな華奢であった男が、一年と半年も寝たきりだったのだ。華奢であった身体はより一層、頼りないモノになっているに決まっている。それを遠慮なく、力いっぱい抱きしめる。息苦しくもあり、苦痛でもあったことだろう。

 

 故に、優希は口を開きかける。

 痛いものは痛く、苦しいものは苦しい。自分をそんな状況に追い込んでいる彰三に文句の一つや二つ、むしろ怒鳴りつけてやろうと鋭い目で睨もうとする。

 だが、

 

 

 ――あぁ、そうか。

 ――そういう、ことか……。

 

 

 苦しげに見渡し、抗議を上げようとする口を固く閉ざしてしまった。

 

 優希が見たのは数人の表情だ。

 ホッと胸をなで下ろし安堵したのか涙を流す明日奈、優希に向かって微笑み夫を非難するように声を上げる京子、満面の笑み浩一郎は優希と肩を組み始める。そして妻からの叱りを受けて優希へと何度も頭を下げる彰三の姿があった。

 

 何度も世話になった、結城家の姿がそこにあった。

 

 見てみれば、優希の隣に明日奈の寝ていたであろう病院のベッドがある。

 恐らく、明日奈が眼を覚ましたと連絡があった結城家は何もかもを放り出して、この病室まで駆けつけたのだろう。

 言い切れる理由は簡単なことだった。彰三のスーツと髪型は乱れており、いつも生真面目な京子はスーツの上着を着ていない。浩一郎に至っては、履いている両方の靴がそれぞれ別である始末。

 

 それだけ、彼らにとって明日奈という存在は大切であったことがわかる。もちろん、それは優希も同じであるのだろう。そうでもなければ、愛娘と同室の病室にするわけがない。目に届く範囲で見守りたいからこそ、明日奈と同じ病室にしているのだ。

 何よりも、優希が大切でなければそれぞれが、涙を流したり、安堵したり、自分のことのように喜ぶ筈がない。

 

 

 『攻略はオレなんぞのような、誰も帰りが待っていない人間がするべきだ。オレのような、生き汚いクソのような人間がやるべきだ』

 少年はかつて、そう言った。

 それを否定するつもりはない。誰がなんと言っても、茅場優希という人間はクソのような人間であることには変わりなく、生き汚くこれまで朽ちることもなく存在していた。

 間違いがあるとするならば、そこではない。帰りを待っている人間がいない、父も母も自分を犠牲にすることによって優希を生かし、親戚も既に縁を切っている。だからこそ、優希は必死に戦ってきた。フロアボスを単騎で攻略するという無茶もしたし、実験体として痛めつけられても音を上げることはなかった。適任だと思っていたから、現実世界に帰還を待ち望んでいる家族や友人がいないからこそ、ありとあらゆる無茶も出来た。

 しかしそれこそが、間違いであった。

 

 

 ――あぁ、クソ。

 ――オレは何も見ようとしていなかった。

 ――こんなオレでも、泣いてくれる人がいた。

 ――喜んでくれる人がいた。

 ――今も昔も、オレは間違ってばかりだ……。

 

 

 固く目を閉ざすのは、ただ今の光景が見たくなかったわけではない。

 その行為は否定ではない。父や母に対する罪悪感が消えることはない。これは一生、茅場優希が負うべき罪であり、背負うべき業であると優希本人が承知している感情だ。しかしそれ以上に、中に渦巻くのは晴朗なモノ。言葉に出来ない心地よい幸福感に包まれながら、優希は今の光景を目に焼き付けようとしていた。忘れないように、もう二度と間違えないように、優希は脳髄に焼き付ける。

 

 目を開ける。固く閉ざしていた口が開いた。

 浮かべるのは笑み。それは獰猛なそれではなく、不敵な笑みというわけでもない。

 年相応の笑顔。少年が少年らしく笑う――――涼風のような微笑みを浮かべて、優希は声に出した。

 

 

 ――――みんな、ただいま――――。

 ――――そして、ありがとう――――

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 2024年10月24日 PM14:45

 埼玉県所沢市 病院 優希の病室

 

 

「――――って、確かにオレは言ったけどよぉ……」

 

 

 部屋の主――――優希が不満気に呟いた。

 眉間を片手で揉みながら、ため息をこれでもかと深く長く吐く。

 

 彼が居るのは病室のベッドの上。

 上半身だけ起こしながら来訪者へと視線を向けて。

 

 

「ンで、オマエがオレの病室に居るわけ?」

「きみが心配だからに決まってるでしょ?」

「決まってねぇよ。オレにだって一人の時間が欲しいんだけど、そこら辺どうお考えなのよ実際」

「まぁまぁ」

「さてはオマエ、最初から聞く気ねぇな?」

 

 

 ジト目で睨まれる来訪者――――明日奈はプイっとそっぽを向いて答えた。その態度の通り、最初から彼女は聞く耳などなかったようである。

 思わず、優希は再びため息を吐く。もちろん、それは呆れてるが故だ。

 

 

 

 ――――アレから、SAO未帰還者が現実世界に帰還して、二ヶ月が経過していた。

 

 世間ではやはりと言うべきか、特集や特番が組まれ、大々的に日本中―――いいや、世界中が報道を行っていた。

 その渦中に、自分も巻き込まれると優希も予想していた。何せ、戸籍上で言えば全ての元凶である茅場晶彦は優希の叔父にあたる人物である。デスゲームに巻き込まれ、攻略組に属しており、なおかつSAO未帰還者の一人でもある優希は無視される訳がない。むしろ世論は進んで、残された甥の話しを聞きに来ることだろう。

 それが不思議と、誰一人として茅場優希の下へ訪れる第三者は現れなかった。来るとすれば見舞いに来る知人。それが優希の後輩であったり、家族の義妹であったり、結城家であったり、桐ヶ谷兄妹であったり、リズベット改め篠崎里香であったり、エギルやその家族であったり、クラインであったりする。

 

 これは優希の予想でしかないが、恐らく茅場晶彦は事件を起こす前、自身の身辺を全て抹消していたのかもしれない。

 警察やジャーナリスト、好奇心旺盛な民間人が調査したところで、誰一人何一つ茅場優希という存在にたどり着けないように、細工を施していたのかもしれない。そうでもなければ、優希の周囲が静寂を保っているわけがないのだ。

 

 先も言ったが、これは優希の予想でしかない。

 確かめようにも、本人は行方不明。死んでいるのか生きているのか、調べることも出来ない状態である。

 

 調べることが出来ない状態というのは――――。

 

 

 

「だってしょうがないでしょ? 優希くん、まだリハビリが出来る状態じゃないんだから」

 

 

 その分、わたしがしっかりお世話しないとね! と、どこかやる気満々で、両手に握り拳を作る明日奈を見る。

 

 そう。

 優希の身体は、他のSAO未帰還者と違い、回復が遅れている状況だった。

 とは言っても、障害が残るといった状態でもない。飲食は出来るし、睡眠もしっかり取れている、精神状態も良好そのもの。それなのにどう言うわけか、身体の筋力の回復が遅かった。

 心当たりはある。恐らく、先の過度な実験による影響によるものだろう。レベル3まで落としただけでも、現実世界で障害が残る可能性があるのにも関わらず、優希はその身にレベル0相当の痛覚を味わってきた。それこそ寝る間もなく、半年間休むことなく、その身体を痛めつけられてきた。

 

 だと言うのに、五体満足でいる。

 加えて、いずれは回復し、問題なく歩けるのだ。これを奇跡と言わずして、なんと言うだろうか。

 

 

「ンなことしなくてもいいって、何度言えばわかんだオマエ? 自分のことは自分で出来るつーの」

「そうは言っても、心配なんだもん。せっかく同じ病室だったのに、今じゃ部屋変えられちゃったし……」

「当たり前だろうが。若い男女がひとつ屋根の下とか、モラルもクソもねぇだろ」

「……今更だけど、優希くんってその辺りしっかりしてるよね? SAOのときだって、わたし達が一緒の部屋ってなかったし」

「母さんの教育が行き届いてるってことだろ。つか、マジでこんなの当たり前だろ」

 

 

 とは言っても、明日奈の様子は不満だらけと言ったところだろうか。理解しても納得はしていない。そんな様子である。

 対する優希はそんな明日奈の態度に疑問を呈していた。聞き分けのない、危機感がない少女であったのなら、別に不思議に思うことはなかった。しかし、優希が知っている明日奈は違う。常識があり、危機感があり、恋人でもない男と一つ屋根の下で寝処を共にする少女でもない。

 

 だからこそ、優希は首をかしげる。

 様子がおかしい。というよりも、どこか意固地になっているというべきか、優希という人間が気になって仕方がないというべきか。

 普段とは違う態度をとる幼馴染に、優希は腕を組みながら問いを投げた。

 

 

「……オマエさ」

「なぁに? 今、りんご切ってあげるね」

「それはありがたいけどよ、何かあったか?」

 

 

 へっ? と、素っ頓狂な声を上げて明日奈は片手でりんごを持ち、もう片方の手で果物ナイフを持ち、これまた器用にりんごを剥きながら首を傾げて続けた。

 

 

「何かって?」

「いや、なんつーか、雰囲気が違うっつーか。オマエがやたらオレの世話を焼きたがるのはいつものことだが、今回はそれが度が過ぎてるかんな」

「それは……」

 

 

 どうして、世話を焼きたがるのか。

 その疑問に答えるのは簡単なことだ。彼女は知っている、今まで優希が何をされてきたか、どんな苦痛を味わってきたか、どれほど屈辱と恥辱に塗れてきたか、明日奈はよく知っていた。

 知っている、と言ったがそれは正確なものではない。須郷伸之、かつて妖精王と自称していた男から聞かされた。ありとあらゆる手を尽くして、苦痛を与えてきた朗々とした口調でと明日奈は説明された。きっとそれは、明日奈からは想像が出来ないモノなのだろう。囚われるだけの自分とは違い、優希は外すら見えない檻の中で身体と精神を常に痛めつけられてきた。

 

 故に、心配なのだ。

 以前と変わらず、むしろ若干であるもののどこか精神的に丸くなった彼が、偏に心配していた。

 

 かと言って、それを伝えることも出来ない。

 優希は語らない。自分が何をされたのか何も語らない。むしろ彼は「なにも、なかった」と嘘までついていた。

 それは優希の覚悟であり矜持でもある。心配かけまいとする、彼なりの気遣いでもあるのだろう。心配されるために耐えていたわけではない、褒められる為でもなければ、礼を言われる為でもない。ただ自分がそうしたかったから、音を上げなかっただけにすぎないという、彼らしい捻くれた理由なのだろう。

 明日奈にとって、優希の覚悟と矜持は眩しいモノでああり、彼以外の口から告げるのは彼の矜持を傷つけるに等しい行為。明日奈にはそんなこと、出来るわけがなかった。

 

 だからこそ。

 

 

「きょ、今日はいい天気だねー……」

 

 

 誤魔化すしかない。

 りんごの皮を剥きながら、窓から見える景色に目を向ける。

 だが相手は優希だ。長い付き合いの幼馴染をジーっと凝視しながら、彼は口を開く。

 

 

「めっっちゃ曇ってんだが?」

「……外でお昼寝すると、気持ちよさそうだよね?」

「もう11月なんだけど」

 

 

 そして、沈黙。

 シャリシャリ、とりんごの皮を剥く音だけが病室に響く。

 

 互いに無言を貫く。

 視線と意識を明日奈に向ける優希と、そもそも視線すら合わせずに眼を泳がせる明日奈。

 二者二様、二人が二人とも異なる反応を見せる中、その沈黙を破ったのは――――優希であった。

 

 彼は深々とため息を吐くと、諦めた口調で呟く。

 

 

「わかった、もういい。オマエにも事情があんだろ。これ以上は詮索しねぇよ」

「……いいの?」

「聞くなよ、ばか。絶対に話さないって面してる癖によぉ?」

「うん。ごめんね」

「……フン、謝る暇あるならりんご寄越せりんご」

 

 

 不貞腐れるように、視線を明日奈から窓の外へ移しながら、優希は片手を差し出した。

 どんよりと、厚い雲が空を覆っている。雪――――が降るにはまだ早い時期だ。かと言って、雨が降る気配すらない。

 

 中途半端な天気だ、とぼんやりと眺めているものの、一向に片手に向いていたりんご一切れが乗る気配がない。

 何をしているのか、優希は窓の外から明日奈へと視線を戻すと。

 

 

「あ、あーん」

 

 

 りんごの一切れをフォークで刺し、それを恥ずかしそうに差し出している明日奈の姿があった。

 

 見る人間によっては、ご褒美とも言える光景なのかもしれない。

 SAOでも明日奈の美貌は、数少ない女性プレイヤーでも五指に入るほどレベルが高い。クライン辺りからすれば、直ぐにでも食いつく光景。

 

 だが生憎、相手は茅場優希である。

 自分を否定し続けた男が、他人からの好意に気付ける筈もなく、これでもかと顔を顰めて問いを投げつける。

 

 

「何しとんだ、オマエ?」

「な、何って食べさせてあげようと……」

 

 

 恋する乙女はときに部類の強さを発揮するが、惚れている人間の前では基本弱い存在だ。言い淀みながら、言葉が小さい声になっていく明日奈。

 優希は呆れた口調で。

 

 

「嫌ならやらなければいいだろ」

「い、嫌じゃないわよ! ただ恥ずかしいだけ!」

「同じようなもんじゃねぇか?」

「全然違うし! カリフラワーとブロッコリーくらい違うし!」

「例え下手かよ」

 

 

 肩を大きく竦めて、優希は続けた。

 

 

「ったく、オマエといい朝田といい、ンでこうも食べさせたがるんだかよ。もしかしてそう言うの流行ってんのか?」

「……え? 朝田くんって来てるの?」

「おぉ。オマエがリハビリに精を出してる間にな。そう言えば、オマエらって顔合わせたことなかったっけ?」

「うん、ないわね。わたし、朝田くんに会ってみたいな」

「アイツも会いたがってたな。何でも挨拶しておきたいらしいぜ?」

 

 

 そこまで言って、ふと思い出す後輩の表情。

 どこか鬼気迫る面持ちで、気迫染みた声には得体の知れない力強さがあった。それはまるでこれから戦いに赴く兵士のようで、標的を狙い澄ます狙撃手でもあるかのように鋭い。

 殺気――――とまではいかないものの、威圧と表現が出来る雰囲気を後輩――――朝田詩乃は身に纏っていた。

 

 どうしたのか、と優希が訪ねても「……これは私達の問題。先輩は絶対に首を挟まないで頂戴」とピシャリと言い放たれる始末。

 普段から物静かな朝田がここまで言うのだから、何か理由があるのだろう。それに朝田ならば、明日奈に危害を加えることもない。優希はそう判断していた。

 

 

 ――確執があるのなら、本人達で決着を着けたほうがいいだろう。

 ――関係のない第三者が首を突っ込むのも野暮ってもんだ。

 ――……まぁ、会ったこともないのに確執があるってのも、妙な話だが。

 

 

 ぼんやりと、優希はそんなことを考えていると。

 

 

「……あ、あのぉ」

「あ?」

 

 

 思考の海へ沈んでいた意識を、現実へと引き上げる。

 視線の先には未だに、りんごの一切れをフォークに刺し、それを差し出している明日奈の姿があった。

 

 プルプルと身体が震えているのは、疲労によるものではない。羞恥心によるものなのか、頬を若干紅潮させて明日奈は弱々しく問いを投げる。

 

 

「食べて、くれないの?」

「――――――」

 

 

 ここで食べない選択肢はもちろんあった。

 自分は子供ではない。大人――――と言い切るにはまだ早いものの、食べさせてもらうほど子供ではない。

 素直に口を開けばいいのだが、それが優希には出来そうにない。他人が見ればなんとつまらないプライドなのか。素直に口を開けば、自体は滞ることなく進むというのに。

 だが男とはそういうもの。少なくとも、茅場優希の行動原理は突き詰めれば、つまらないプライドが原動力となっている。つまらないプレイド、小さな矜持があるからこそ、優希は戦える。

 

 だが。

 

 

「…………あーん」

「ッ! はい、あーん!」

 

 

 優希は折れた。

 昔も今も、そしてこれからも。茅場優希は結城明日奈に勝てそうにない。幼馴染に対して甘すぎる。そんなもの、当の本人がわかっていることであるものの、それはこれからも治りそうにない悪癖でもあった。

 

 対する明日奈は弱々しいモノから、満面の笑みへ変貌を遂げる。

 今まで蕾で咲くにはまだまだであったにも関わらず、瞬きした瞬間で花咲いたように、劇的な変化を彼女は遂げていた。

 ローテンションから、ハイテンションへ。高低差の激しい感情のまま、明日奈は笑みを絶やすことなく、優希へ問いを投げる。

 

 

「美味しい!?」

「……まぁな」

「まだまだあるよ。大丈夫、わたしが食べさせてあげるから!」

「まったく、だいじょばないんだが?」

 

 

 軽い抗議。

 まるでそよ風であるものの、それは確かな抗議であった。

 しかし、明日奈は聞く気はないようだ。むしろ聞いた上で敢えて無視するように、彼女は満面の笑みで残っているりんごの一切れを差し出して。

 

 

「あーん!」

「……あー」

 

 

 シャリシャリ、と。

 新鮮なりんごを噛み砕く音が、優希の口内に響き渡った。甘く、そして甘く。果汁が染み渡り、とても添加物では表現が出来ない甘さが口の中に広がっている。

 癪ではあるが、確かな美味みを優希は感じている。

 

 と、そこへ。

 

 

「お邪魔しまーす」

 

 

 声と同時に、スライド式のドアが開いた。

 優希と明日奈、二人は同時にそちらへと視線を向ける。ノックがなかったのは、入ってきた人物が非常識であるからというわけではない。勝手知ったる間だからこそ、優希と新しい来訪者にはそんなもの必要がなかった。

 

 黒コートに黒ズボン。全身を黒でコーディネートされた少年の姿。

 来訪者――――桐ヶ谷和人は、おっ、と声を上げると明日奈に向かって片手を上げて挨拶をする。

 

 

「やっぱり明日奈もいたのか」

「うん。いらっしゃい、キリトくん」

 

 

 明日奈は笑顔で応じる。

 しかし気にらないのは部屋の主たる優希だ。彼は、チッ、と舌打ちをすると不満気に言葉を漏らす。

 

 

「どいつもこいつも、オレの病室を溜まり場にしやがって。集会場じゃねぇんだぞ?」

「……言われてみれば、ユーキのところに集まってるよな?」

「集まりやすいからかな?」

「プライバシーもクソもないっつーの……」

 

 

 口ではそう言っても、その言葉には棘がない辺り、本気で迷惑をしているというわけではないのだろう。

 その辺りは和人も明日奈も理解しているのか、優希の悪態を受け止めることもなく、むしろ受け流すように和人はベッドの横に丸イスを持っていき。

 

 

「調子はどうだ?」

「ぼちぼち、ってところか。11月にはリハビリ始めるらしいぜ?」

「そうか。それなら4月からの臨時学校には間に合いそうだな」

 

 

 和人の言う臨時学校。

 都立高の統廃合で開いた校舎を利用した学び舎である。学び舎というからには、それは学校であり、それ故の臨時学校である。

 主に通う学生は、SAO帰還者(サバイバー)の中高生である。入試も必要なく、卒業すれば大学受験資格も与えられる。約二年の年月を仮想世界で暮らしていた和人達にとって、帰還者学校はありがたいものである。

 

 そう、彼らからしてみたら、帰還者学校の設立は悪い話ではない。

 悪い話ではないのだが、優希にとっては気に入らない話でもある。帰還者学校の存在ではない、もっと小さなもの。まるで自分が通うことが決まっているような和人の言い草に、彼は気に入らない何かを感じていた。

 

 

「……オレはまだ通うとは言ってないんだが?」

「通わないのか?」

「……誰が教えるか」

「大丈夫だよ、キリトくん」

 

 

 明日奈は断言すると、これまた自信満々に、堂々と胸を張って、居丈高に和人に告げる。

 

 

「間違いなく優希くんは通うから! だって学費免除だもの!」

「…………」

 

 

 悪気はないのだろう。

 だからこそ、明日奈は笑顔で後ろめたい様子もなく、捻くれ者の小さなプライドを消し飛ばす。

 

 それが癪に触ったのか、優希は無言で明日奈を手招いた。首を傾げながらも、子犬のように素直に従う明日奈の頬に片手をあてがうと。

 

 

「……………」

「いひゃーい! いひゃいよー!? なんへ、なんへ、ひっはるのー!?」

 

 

 軽くつねる。

 後にならない程度に、されど痛みを多少を与える程度に、優希は柔らかい明日奈の頬をつねった。

 長時間ではなく短時間で、一回り二回りこねくり回して手放して、悪びれもなく優希は簡単に言った。

 

 

「ムカついたから」

「むかつっ!? えっ、なんで!?」

「……君達、本当に仲良いな?」

 

 

 苦笑を浮かべて見守っていた和人は、明日奈に話を振る。

 

 

「明日奈はどうなんだ?」

「わたしも通うよ? お母さんが面白くないみたいだったけど……」

「あの人ならそういう反応するだろ。彰三さんはどうなんだ?」

「お父さんは好きにして良いって。須郷さんの件で責任感じてるみたい」

「……あの人のせいでもないのに。律儀と言うか、何というかよぉ」

 

 

 彰三の人となりをある程度理解している優希はどこか面白くなさそうに呟いた。

 優希の中では彰三は同じ被害者の立場。罰するべきは全て、須郷に他ならない。全ては須郷の暴走、そして独断での行動が原因だ。決して、彰三が指示したわけでもないのだから。

 その辺りは明日奈や和人も同じ意見なのか、否定する様子も声も上がらない。むしろ同意するように、頷いて和人は切り出した。

 

 

「そういえば、須郷なんだけど……」

「あのクソがどうした――――」

 

 

 そこまで言うと、どこか和人の様子がおかしいことに気付いた。

 どこか言い辛そうに、言葉を選んでいるようでもある。それはつまり、明日奈の耳に入れることは好ましくないということだろう。

 

 

「――――明日奈」

「えっ? ……あぁ、うん。飲み物、買ってくるね」

「悪ぃな」

「ううん、気にしないで」

 

 

 対して明日奈は和人の様子に気付いた様子はない。

 彼女が気を利かせて席を立ったのは、優希の様子を見て判断したからだ。

 

 阿吽の呼吸と言うやつなのだろう。優希が何を言わんとしているのか理解し、明日奈は迅速に行動に移す。

 不快に思わずに、むしろ人の良い笑みを浮かべて明日奈は和人に「ゆっくりしていってね」と言うと、切りそろえたりんごを並べた器をテーブルに置いて、静かに病室を後にした。

 

 

「ごめん。気を使わせたみたいだな……」

 

 

 本当に申し訳なさそうに顔を少しだけ伏せて言う和人に、優希は意地悪く笑みを浮かべて鼻で笑うと。

 

 

「ハッ、バカを言うな。オレが勝手に気ぃ回して、明日奈を出て行かせただけだろ。オマエに非があるわけじゃねぇ。むしろオレに非があるだろうがよ」

 

 

 それだけ言うと、優希は明日奈が置いた切りそろえたりんごを並べた器の中からりんごを無造作につまむと乱暴に口に運ぶ。

 暗に語る。悪いのはオレだ、だから気にするな。と、優希は和人に語る。思わず和人から苦笑が溢れるのも仕方ないことであった。それを言葉に出来れば、誤解されることもなかった筈なのに、目の前の捻くれ者は多くを語らない。

 

 言葉足らずとは、恐らくコイツのことを言うのだろう。

 和人はそう思いながら、先程の話を続けた。

 

 

「須郷のことなんだけどさ、お前はどこまで聞いてる?」

「……どこまでって、逮捕されたんじゃねぇのか?」

 

 

 訝しむように優希は問いを問いで返す形で応答する。

 妙な質問であった。逮捕されているものの、どこか全てが真実でないかのような言い草でもある。

 

 和人は頷く。

 優希の言葉を肯定し、彼は淡々とした口調で続けた。

 

 

「逮捕されたさ。明日奈のお父さんは責任を取るようにCEOを辞職、レクトプログレスは解散、VRMMO自体も大きな打撃を受けている」

「……それが全てじゃねぇのか?」

 

 

 あぁ、と和人は頷き。

 

 

「須郷は確かに逮捕された。でも、様子がおかしいんだ」

「どういうことだ?」

「何でも、何かに怯えてるというか、精神が食われたような、重度な統合失調症になっているらしい。一日黙っているときもあれば、火がついたように暴れることもあるって」

「……何があった?」

 

 

 その問いに、和人の首が横に振るわれる。

 

 

「わからない。俺達から逃げるとき、アイツは確かに正気だった。未帰還者達をログアウトさせるときも、アイツの姿を見ていない。つまり――――」

 

 

 逃げてから何かがあった、と和人は語る。

 優希は不快気に目を細める。須郷に同情したわけではない。あの場で、世界樹の頂点にいたのは、須郷や自分達だ。それはつまり、須郷に何かあったことが自分達にも起こっていた可能性があったということ。

 

 得体の知れない、何かもわからないモノに、自分達が巻き込まれていた可能性すらある。

 

 

「気味の悪い話しだ」

「……それに関係しているのか知らないけどさ」

 

 

 そう言うと、和人は懐から三枚に折られたA4の用紙2枚を取り出し、優希に差し出した。

 疑うことはないものの、訝しむような表情を和人に向けて、優希はそれを受け取る。

 

 

「ンだこれ?」

「開けてみれくれ」

 

 

 いまいち要領を得ない。

 疑問を口にするのは、用紙を開けてからでも遅くないだろう。そう判断した優希は、とりあえず一枚の用紙を開いていく。

 そこに映っていたのは――――。

 

 

「あぁ?」

 

 

 ――――鳥かごのような檻の中で閉じ込められているアスナの姿。

 それは鮮明で、疑う余地ももなく彼女のものである。もう一方の用紙を開いて、訝しんでいた優希の表情は変わる。

 疑問から驚愕へ。目を見開いてもう一方の用紙を見る。そこに映っていたのは――――両腕を鎖で縛られ天井から吊るされている自分の姿。

 

 

「おい。コイツはどこで――――」

「わからない。メールと一緒に送られてきたんだ」

 

 

 それがこれだ、と和人は自身のスマートフォンを取り出し、優希へとそのメール画面を見せた。

 アドレスはどうにもバグっていた。

 辛うじて読めるのはのは『ALfheim』という単語のみ。

 件名もバグっている。意味がわからない『え は も う に 1 ナ ゛ ら らりるろ』という文字の羅列。

 本文には『Welcome to ALfheim Online!! It's Show Time!!』という英単語。

 それと添付されている先程の画像。

 

 

「『Welcome to ALfheim Online!! It's Show Time』? ショーの始まりだ、てか。随分と調子に乗っているみてぇだな……?」

「……最初は、ユイがこれを送ってきたんだと思った」

「その口ぶりだと違ったってか」

「あぁ。ユイでもなければ、ユイを復元させたヤツでもなかった」

「復元させたヤツって……」

「お前の思ってる通りの人間さ」

「茅場、晶彦か……」

 

 

 チッ、と忌々しげに舌打ちをすると確かにな、と納得した。

 『It's Show Time』などと、洒落の効いた台詞を、あの叔父が呟くわけがない。それだけは断言が出来る。

 

 

「確かにありえねぇな。天然ではあるが、アイツは遊び心のない野郎だ。もっと淡々とオマエに伝えてただろうさ」

「となると、あの場には4つの勢力がいたことになる」

 

 

 一つ目、と和人は人差し指を立てる。

 

 

「俺達、加速世界(アクセル・ワールド)。二つ目、須郷。三つ目、目的はわからないがユイを復元したヒースクリフ。そして――――」

「何者かも目的もわからねぇ四つ目、ってことか」

 

 

 人差し指、中指、薬指、そして四つめの勢力たる小指を立てて、和人は頷いた。

 

 

「俺の携帯にお前達の画像を添付させて、救出させるように仕向けた第四の勢力。多分、そいつ、もしくはそいつらが、須郷に何かしたんだと思う」

「つまり、こう言いてぇのか」

 

 

 面倒くさそうに、忌々しげに優希は呟いた。

 その言葉は重く、何よりも深い。そんな声色で、事実を再確認するように。

 

 

「――――ソードアート・オンラインは、まだ終わってねぇ」

「……多分な。何かが、俺達を視ている。それは間違いないと思う」

 

 

 チッ、と舌打ちをすると、優希は和人に問いを投げる。

 

 

「コイツは、オレとオマエ以外に誰が知ってる?」

「誰も知らない。須郷のことを教えてくれたのは菊岡って役人だけど、画像が送られてきたことは誰にも話してない」

「なら都合が良い。これ以上誰にも言うな。特に明日奈には言うな」

「一応聞くけど、どうしてだ?」

「……須郷の件で、アイツは充分キツイ目にあっただろうが。これ以上、首を突っ込ませたくねぇ」

「わかったよ。あとさ――――」

 

 

 まだ何かあるのか、とうんざりした表情で和人を見た。

 しかし、次に聞く言葉にその表情は変わることとなる。それは聞いた覚えのある名であった。遠い昔、という程ではないが彼の口から聞いたことがある名。

 その名前は――――。

 

 

「お前さ、神代凛子って人知ってるか――――?」

 

 

 




 次回で最終回です

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