ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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第12話 朝田詩乃の分岐点

 

 

 走った、走った、走った――――。

 あの場に入れなくなった私は、言い返すという選択肢よりも、逃走を選んでいた。

 

 息を切らすほどの全力疾走。

 足がもつれるほど必死に動かし、妹ちゃんが私の名を呼ぶ声が聞こえる。それでも私は立ち止まることは出来なかった。

 

 否定したかった。

 悪夢であってほしかった。

 気のせいであってほしかった。

 私の聞き間違いであってほしかった。

 しかし現実は非常である。私はあの人に、私の全てであった人に、私は彼に――――先輩に否定されてしまった。

 

 彼は言った――――足手まといだと。

 彼は否定した――――私の手は必要が無い、と。

 彼は評した――――役立たずであると。

 そして彼は結果だけを残した――――鬱陶しいだけの女であった、と。

 

 それは嘘だと言い返したかった。

 あれだけ優しくしてくれたのに、あれだけ私を守ってくれたのに、あれだけ私の傍にいてくれたのに。

 

 だがそれは本当に――――?

 本当の意味で、彼は私を想ってくれていただろうか。

 本当は嫌だったのではないか。私は先輩を素直ではないと考えたこともあったが、本当は違っていて、彼の言葉通りの意味だったのではなかろうか。

 私を守ってくれたのも、私を害する連中が目障りだっただけで、私のことなど眼中になく、むしろ目障り程度の存在だったのではないだろうか。

 

 いいや、ありえない。そんなことは、絶対にありえない。私の先輩は、そんなことは決して――――。

 ――――だが本当に?

 

 生まれてしまった疑念を否定出来なかった。

 小さな小さな疑念。確かに小さかったそれは、今となっては大きく成長し、化膿のように私を苦しませる。

 

 だってあの敵意は本物だったから。

 私を睨み付ける先輩の眼は、敵を射抜くように見つめるそれは、拒絶された剣呑な雰囲気は、確かに本物だった。

 だから私は否定できない。今までの先輩の行動を見ても、アレは演技であることが分析出来るが、現場証拠がそれを許さない。

 

 今までの振る舞いは私に気を使っての振る舞いであり、本当は私のことなんて鬱陶しいだけの存在だったのなら。

 

 

「……っっ!」

 

 

 私にはそんな真実耐えられない。そこまでの耐えれるほどの防衛機構を私には――――朝田詩乃には備わっていない。

 当然として私は逃げた。最後の防衛手段のように、これ以上私という人間が壊れないように、私は先輩の前から逃げてしまった。

 

 もし先輩の口にした言葉の数々が本当であったのなら、私は絶対に耐えられず、必ず破綻してしまうから。

 私の世界にとって、全てとも呼べる存在が、よりにもよって私を否定し尽くすのなら、私が生きる理由や目的が消えてしまう。それほどまでに、私にとって先輩の存在は大きく深く、私の全てでもあった。

 

 だからこそ、私は逃げてしまった。

 言い返せる筈もない、対立出来る筈もない、敵対なんて以ての外。

 

 

 気がついた頃には、私は座り込んでいた。

 総督府、プレイヤー達には『ブリッジ』と呼ばれている地区だ。体感的には永遠走ってきたつもりだったが、思いの外直ぐに私は挫けてしまったらしい。

 何せブリッジとBoB予選会場は目と鼻の先だ。ブリッジから地下へと下るエレベーターに乗ってしまえば、BoB予選会場に着いてしまう、その程度の距離。

 

 周囲のプレイヤー達はブリッジ上部に配置されている、大画面のパネルモニターに釘付けになっていた。

 映し出されるのはBoB予選試合の様子。乾いた銃弾の音、モニター越しに見える戦塵、そしてプレイヤー達の裂帛とした気迫に満ちた表情。画面越しとはいえ、臨場感溢れる光景に、見ている側も胸が躍り釘付けとなっていた。

 

 そんな状況だ。

 私がブリッジの隅で、無様に膝を抱えていようと誰も気に留めなかった。

 勿論、私も構って欲しいわけではない。むしろそっとしてほしい。何だったら、大音量で流れているBoB予選の戦闘音ですら邪魔だった。

 アレだけ夢中になっていたのに、この日のために研鑽を重ね、腕を磨き、万全の状態で臨んだ。今となってはそれが煩わしい。全ては先輩と対等になりたいから始めたことだ。それが無駄となっては、BoBなんて私にはどうでもいい。

 喧騒の中に溶け込み、そのまま消えてしまいたい。

 

 

「あの……」

 

 

 周囲とは真逆の、どこまでも墜ちている私に話しかける人は、きっと物好きなのだろう。

 

 

「あ、あのっ……!」

 

 

 応答がない私に、再び声をかける。

 そこでやっと、私は顔を上げた。睨み付けるように、八つ当たりするように、何もかもが億劫であるように、私は声をかけた人物を見上げる。

 

 長い黒髪の女性。

 現実の彼女とは似ても似つかない妖艶な雰囲気を纏った美女がそこにいた。

 奇妙な光景だった。今の彼女の容姿は、他人を手玉に取る艶やかな色気があるそれだ。にも拘らず、私を心配そうに見下ろす様子は今の彼女には似合わない。

 

 眉を八の字にしながら、彼女は必死に私にかける声を模索していた。

 きっと彼女は心配してくれて、私の後を追ってくれたのだろう。かける声も思いつかないまま、ただ心配だったからというだけであの場を離れて、私を追ってきてくれたのだろう。

 

 本当に優しい娘だ。

 でもごめんなさい、本当にごめんなさい。

 今の私は、その優しさに応える余裕すらないの。

 

 

「大丈夫、シノン?」

 

 

 妖艶な彼女――――ユウキは、妹ちゃんは本当に心配そうに声をかけてくれた。

 私の視線に合わせるように、今とってな高身長な妹ちゃんの身体。両膝を折り、しゃがみながら妹ちゃんは私の様子を見守る。

 

 言うべきか言うべきではないか、彼女はわかりやすく表情を百面相に変えて、意を決するかのように口を開いた。

 

 

「にーちゃんも本気で言ったわけじゃないよ」

 

 

 その言葉は私には無視できないものだった。

 よりにもよって、今の私に、そんな心にもない、吐いて捨てる戯言を口にするのか、と。

 

 私の視線は既に、妹ちゃんに向けられていない。

 顔を俯かせて、意識は内側に向けて、驚く程冷淡な声色で応じていた。

 

 

「……どうして、言い切れるのよ」

「ボクにはわかるんだ」

 

 

 ハッ、と鼻で笑ってしまった。

 彼女に何がわかるというのか。

 

「……どうかしらね。アレが先輩の本音かもしれないじゃない」

 

 

 間違いなく最低だ。

 誰なのかなんて聞くまでもない。私自身が、最低で最悪だ。

 行き場のない憤りを妹ちゃんにぶつけようとしている。私を心配して来てくれた優しい子に、感情をぶつけようとしていた。

 

 それはあってはならない。それだけは違う。お門違いにも程がある。

 暴走する感情を堪えて、極めて冷静に、静かな声で何とか口を開く。

 

 

「貴女にはわからないわよ。先輩の身内である貴女には、私の気持ちなんて……」

「……わかるよ」

「っ! わからないわよっ!」

 

 

 嗚呼、本当に私は、どうしようもない。

 冷静でいるように決めていたのに、妹ちゃんは関係ないのに、私はいつの間にか彼女に向かって叫んでいた。

 

 視界が歪み、頬には眼から溢れた涙が、一滴となり伝って行く。

 熱く熱く、なおも熱く。あふれ出した涙は止まらない。どうして私は泣いているのか。悔しいからか、悲しいからか、それとも怒りからか。きっと全部なのだろう。

 

 先輩の妹という立場から、ありきたりな「わかる」なんて肯定をして欲しくない。わかるわけがない、先輩の妹という彼の大切な存在の一人である彼女に、蚊帳の外である私の気持なんてわかるわけがない。

 何も知らないくせに、何もわからないくせに、冷たくあしらわれたことすらないくせに、彼女は何がわかるというのか。

 

 視界が歪む。

 嗚咽を漏らし、顔面をぐしゃぐしゃに歪めながら、私は妹ちゃんを見上げた。

 

 彼女は――――。

 

 

「わかるよ」

 

 

 悲しそうに、困ったように続けて。

 

 

「――――ボクもそうだったから」

「えっ……?」

 

 

 耳を疑った。

 聞き間違いだと思った。ありえないと思った。

 

 私から見た彼女と先輩の関係性は明らかに仲が良いそれだ。

 彼女は感情のまま先輩に懐き、先輩はわかり難いものの妹ちゃんを大事に扱っている。

 そんな先輩が、そんな彼が、妹ちゃんに対して私と同じだったとはどういうことだ――――?

 

 私に気を使って、出任せを言っている――――とは思えない。

 彼女は困ったように、本当に辛そうに、当時のことを思い出しているのか言い辛そうに続けて言う。

 

 

「SAOで初めてにーちゃんと会ったときなんて、本当に冷たかったんだよ?」

「……本当?」

「うん。足手纏いはついてくるなって言われ事もあるし、ボクが倒れたときなんてくたばるなら街でくたばれって言ったんだよ?」

 

 

 女の子に言う言葉じゃないよね? と妹ちゃんは少しだけ怒っている口調で呟いて、

 

 

「嫌われていると思った。付き纏われて、僕のことを鬱陶しいと思っているんだって。でも今だからわかるよ。にーちゃんはボクに傷ついてほしくなかったんだよ」

 

 

 迷わず、妹ちゃんは力強く断言してみせる。

 そのまま確信を得たまま、彼女の口調は澱むことなく続けて。

 

 

「当時のにーちゃんのやってることは本当に危なかった。一人でSAOを攻略しようとしてた」

「……それは」

 

 

 今なら私でもわかる。

 数ヶ月とはいえ、私もVRMMOに本気で取り組んでいた。だからこそその無謀であることをわかってしまう。どう贔屓目で見ても、一人では決して成し得る筈がない。むしろ一人で攻略を出来てしまってはならない。数人がかり、多いときは二桁の人数でダンジョンやレイドボスを攻略するのがVRMMOという世界だ。一人で踏破出来てしまっては、前提が破綻しているにも程がある。

 

 妹ちゃんも私の気持を汲み取ってか、一度頷いて。

 

 

「うん、絶対に無理。でもにーちゃんは止まらなかった。ううん、止まれなかった。にーちゃんは一人で前に進んで行く。諦めればいいのに、にーちゃんは、絶対に、諦めなかった……」

 

 

 安易に想像がつく。

 きっと彼は顔を下げなかった。痛々しいほど真っ直ぐに前だけを見つめて、歯を食いしばり、何かもを押し殺し、諦めを鏖殺し尽し、前進し続けたのだろう。

 そんな先輩だから私は――――。

 

 

「だからボクはにーちゃんを一人にさせないように付き纏ったんだ。放っておけないから。目を離しちゃうと、にーちゃんが死んじゃうと思ったから……」

「それで先輩はどうしたの?」

「さっきも言った通りだよ。にーちゃんは冷たかった。ボクが付いていく度に、嫌な顔はするし、意地悪を言うんだよ?」

 

 

 本当に酷いよ、と呟いて妹ちゃんは続ける。

 

 

「でも理由がなかったわけじゃないんだよ。最前線で攻略している自分につき合わせたら、付き纏っているボクが絶対に傷ついてしまう。だからボクを冷たくあしらって遠ざけてたんだ」

「それは……」

「うん、シノンと一緒だよ。だからわかるんだ。今のにーちゃんはシノンにも、自分にも嘘をついているって」

 

 

 彼女の表情が暗に語っていた。

 それは悲しいことであると。誰もが幸せにならない結末になり、誰もが癒えない傷を負うことになると。

 

 だが先輩はどうして、そんな手段を取ってしまうのだろうか。

 妹ちゃんの言葉が真実であれば、このような状況になったのは初めてではない筈だ。現に、私も似たような状況を見たことがある。私が虐められて、彼が助けに入り、私以上の悪者になることで標的を私から自分に逸らしていた。何度も何度も、先輩は自分を憎まれ役にし、周りへの被害を最小限にしてきたのだろう。ということはつまり、これまで彼はそういった行動を何度も繰り返していたことになる。

 

 なぜそんな、何度も自分から辛い状況へと進んでしまうのか――――。

 

 

「……どうして」

「え?」

「どうして、先輩は悪者になろうとするの?」

 

 

 思わず私は疑問を口にしていた。

 妹ちゃんは答えていいものか思案していると、

 

 

「――――それしか他人を守れる方法を知らないからだと思う」

 

 

 私の疑問に答えたのは妹ちゃんではなかった。

 どこまで話を聞いていたのか、キリトの姿がそこにあった。きっと彼も、私の後を追ってきてくれたのだろう。

 

 キリトも私の視線に合わせるようにその場に座り込み胡坐をかいて、深いため息を吐きながら、呆れた口調で続けて言う。

 

 

「アイツは必要以上に他人を突き放そうとする。誰かが傷つくことを許さず、自分を傷つくことは是としている。幸せを放棄しているといってもいい。どうしてあんな歪んでいるのかはわからない。昔何かあったのか、何もなかったのか」

 

 

 そこで妹ちゃんを一瞥し、直ぐに私に視線を合わせて。

 

 

「まぁ、どうでもいいけどな。あんな自分勝手なやつのことなんて」

「先輩が、自分勝手……?」

「勝手だろ。死なせないように、傷つかないように、俺達が頼んでもいないのにアイツは勝手に行動する。本当に進歩もない奴だよ」

 

 

 呆れ半分、怒り半分。

 そんな口調でキリトは先輩を評していた。自分勝手な奴であると、彼は本気で先輩のことをそう断じていた。

 

 違う。それは違う。

 先輩は勝手ばかりではない。

 それは反射的な否定だった。私は考えるまでもなく、口を開きかけるがキリトに遮られることになる。 

 

 

「だから俺達がアイツに出来ることは限られてくる」

「……先輩に、出来ること?」

 

 

 私の力のなく、ポカンとした間抜けな問いに、キリトは頷いて。

 

 

「証明するしかないんだよ。お前が余計な真似をしなくても、俺達は大丈夫だってアイツに証明し続けるしかない」

 

 

 そこまで言うと、彼は立ち上がり。

 

 

「シノンは俺達がアイツと並び立つのが羨ましいといったけど、実はそれは違う、大きな間違いなんだ」

 

 

 

 何が間違いだというのか。

 私には本気でわからなかった。

 

 だって貴方達は、先輩と分かり合えているじゃないか。私の欲しかった見解を、先輩と共有しているじゃないか。

 それを並び立つと称さずに、なんと表現すればいいのか。

 

 私の疑念が顔に出ていたのか、キリトは困ったような笑み浮かべて。

 

 

「だって、ほら。並び立つっていうのは、つまり同じ敵を見てる、もしくは同じ視線を持ってるってことだろ?」

 

 

 そこまで言ってキリトは私に問うた。

 勿論、私はその通りだと素直に頷いた。しかしキリトは首を横に振る。つまりそれは、否定であった。

 

 

「違うんだよ。俺達は――――戦っているんだ」

 

 

 思いもよらない言葉だった。

 戦っている、戦っているといった。キリトは間違いなく、そう口にしていた。

 

 それは誰と?

 考えるまでもなくそれは――――先輩と。

 

 

「アイツは俺達の言い分なんて聞かずに勝手に前に進む。俺達はアイツの行動が許せずに必死に追いかける。ムカつくから、気に入らないから、俺達は対立する」

 

 

 そこまで言うと、涼風のような笑みを浮かべてキリトは続けて言った。

 

 

「ほら、戦いだろ? 誰一人として、相手の言い分に頷かないし、納得しない。となると、もう戦うしかない。曲がらないなら、譲らないなら、白黒ハッキリさせて止めるしかない」

「…………」

「君が本当にアイツを認めさせたいなら戦うしかない。俺達がやったように、力尽くでわからせるしかないんだ」

「私が、先輩と……?」

 

 

 考えつかなかった、選択肢すら現れなかった。

 だっておかしいと思った。先輩を認めさせるために、先輩から見てもらうために、先輩と戦い、あまつさえ勝利するなんて、私には想像もつかない。

 

 無理だ。

 そんなこと絶対に無理だ。

 だって先輩は強い。私の全てである先輩に勝つなんて、そんなこと決して――――。

 

 

「――――シノン」

「……っ!?」

 

 

 その声は光のように。

 混乱の渦の中にいた私の心を現実世界へと引き戻した。

 

 キリトは片膝をついて、座り込んでいる私に再び視線を合わせて問う。

 

 

「君の感情も何となく俺にはわかるよ。でも敢えて聞く、君にとっては残酷な問いかもしれない」

「……それは、なに?」

 

 

 我ながら白々しいと思った。

 聞くまでもない。キリトは口を開く。私が想像したとおり、私では考え付かない問いを朝田詩乃に投げかけた。

 

 

「今回だけじゃない。君はアイツと、これからも喧嘩し続ける覚悟はあるか?」

        「まだ君の中に、アイツを振り向かせたいって気概が残っているか?」

 

 

 私は、私は、私は――――。

 私は……。

 

 

 

 

 

 

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