ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 其処は暗く、底は深かった――――。
 少年の周りにあるのは闇だけ。
 それだけで少年は自分が『死んだ』のだと受け入れた。

 光も音もない海の中に浮かんでいる。その身に纏うモノはなく、何も飾らないまま、■■■■という名前の人形が沈んでいく。
 
 底には果てがなかった。
 どこまでも深く、どこまでも暗く、そして――――どこまでも闇が広がっている。
 
 この場所には何もなかった。
 光がないのではなく、闇さえもない。
 “無”“虚無”だけが、少年の眼に映っていた。

 この場所はまるでキャンパスだ。真っ黒な、漆黒を塗ったくったようなキャンパス。
 その中に浮いているだけの少年は、染みのようなモノ。少年だけが浮いており、眼も背けたくなるほどの毒々しい色彩を放っていた。

 何もないこの場所で、確かに“ある”存在は何もかも毒々しく、毒気が強いのだろう。
 ならばいっそのこと――――。


「あぁ、そうだな。いっその事ここで――――闇に溶けるのも悪くないかもしれない」


 呟く声ですら、闇の中へと消えていった。
 消えるモノと言えば、あとは少年くらいだろう。むしろそれしかない、消えるモノと言えば少年しかありえない。
 
 ここには、何もない。
 ずっとずっと、ずっと遠くを見つめていても、何も見えない。
 ずっとずっと、ずっと時が経つのを待っても、何も見えない。
 何せこの場所は“死”であり、“無”でもある。何もないのは、当然といえるだろう。

 だが、不可解だ。

 死者しか到達し得ない世界、生者では観測できない世界。
 だというのに、少年は、少年だけが“生きていた”。

 それあってはならない矛盾である。
 その場所には“死”しかないのに、“生者”が存在するという矛盾。
 この場所が死後の世界であるのなら、少年は死んでいなくてはならない。死んでいないと道理が合わない。


「―――――――」


 だが、少年は静かに抗うことなく、清聴していた。

 耳に入るのは、声だ。か細く、弱い声。
 それは嘆きであり、悲しみであり、憤りであり――――怒りであった。
 悔しくてやりきれない、そんな声がこの“何もない”空間で、細く弱々しく、耳をすまさない限り聞こえない声であるが、確かに木霊していた。


「クソが……」


 少年は確信する。
 この声は、全て余すことなく、例の黒ポンチョの男が殺した者達の嘆きであると。

 この声達に、やりたい事がどれだけあっただろうか、なすべきことがどれだけあっただろうか。
 現実世界に帰りを待っている家族がいる父がいた、子供と一緒にデスゲームに巻き込まれた母がいた、一日を乗り越えて何とか生き延びていた子供もいた。
 恋人同士もいた、救いようのない小悪党もいた。

 だが、その尽く全て、余すことなく黒ポンチョの男は奪い尽くした。


「ふざけんなよ、クソッタレ。こんなものを、聞いたら――――」


 冷え切っていた心が再燃し、何も見えていなかった瞳の瞳孔は広がり、受け入れていた“死”を拒絶する――――。

 結局のところ、少年は――――茅■優■は本当の意味で諦めていなかった。
 どれだけ苦難があろうと、どれだけの事実を突き立てられようと、少年は我慢が出来なかった。

 彼らの何でもない毎日を奪った、黒ポンチョの男を野放しにするのが我慢が出来ない。
 そして何よりも――――。


「ストレアを守ったのはいい、オレにしては上出来だろうさ。だがそれで死ぬのは、ありえないだろう」


 ここまで嘆きを聞いて黙っている自分に、仲間を残して死ぬだけの自分に我慢が出来ない――――!

 茅場優■は奥歯を噛み締める。
 ぎこちなく、右手を天に掲げて、このまま闇に溶けることを拒否し続ける。

 難しくない筈だ、簡単な筈だった。
 何せ、この世界はHPゲージがなくならない限り、死ぬことはない。逆を言えば、HPゲージが残ってさえいれば生存し続ける事も可能ということだ。
 であれば少年は死んでいないし、今は“寝ている”だけ。誰よりも自分に厳しい少年は、たかがその程度と己を奮い立たせる。

 死んだからどうした。
 死んだのなら起きればいい、起きてアイツを斬りに動けばいい。
 少年は“死”すらその程度、と嘲笑う。


「守って死ぬな、このマヌケが……っ。せめて、助けてから死ね!」


 すると、新しい声が聞こえた。
 今度はハッキリとした声で、被害者である声とは違うモノ。

 踏みにじるように、嘲笑うように、己の行為を正当化するように、加害者であるその声は、確かに謳った。
 ――――貴様も俺が殺していった糞袋共のように養分になりやがれ――――。


「……あぁ、それを言われちゃ――――」
          「――――黙ってはいられない」


 その声が引き金となり少年は――――茅場優希は意識を取り戻し、再び起動する―――。





第14話 笑う棺桶 ~結~

 

 

 

 

 2023年7月5日 PM22:46

 第十八層 丘の上

 

 

 ミシリ、と身体を軋ませて、ユーキは確かにその両の足で立っていた。

 

 現在でも彼の身体は大きく抉られ、左腕は斬り落とされている。

 左眼の視界もボヤケていれば、今度こそ右眼の視力も消失してしまったようだ。現状の少年は、何もかもを抜け落ちて辛うじて立っている状態。

 

 少しでも気を抜けば、膝の力を失い地面に崩れ落ちることだろう。

 

 とても戦える状態とは言い難い。

 自分自身の体重すらも満足に支えられずに、眼球の焦点も合っておらず、不規則にグラグラと揺れる。

 

 しかし、その蒼い双眸はしっかり眼前の敵へと狙いを定めている。

 

 重力にすら負けそうな、己を支えきれていない。肩で息をしてかろうじて立っているユーキを見て、PoHは漸く笑みを零した。

 悪意に満ち歓喜するような、自分勝手な笑みを携えてユーキを両手を広げて歓迎していた。死んだと思っていた想い人が、こうして再び蘇ったのだ。彼の歓喜もひとしおであろう。

 

 

 対するストレアも同じような感情であった。

 歓喜がある、愛情がある、安堵がある。違うとすれば、その姿に対する印象だろう。

 今のユーキはお世辞にも『カッコイイ』姿ではない。むしろ見窄らしく、痛々しく、無様で、見るに堪えない姿であろう。現に、PoHですら『無様』と称するほどのものであった。

 

 しかし、ストレアは違う。彼女の胸中にあるのは、『憧憬』であった。狂おしいほどの尊敬と、こうありたいという憧れ。

 今にもユーキは死にそうな姿である。ゴミクズのように、ボロクズのように、今にも消え入りそう痛ましい姿であった。

 だがそれでも――――彼は立ち上がった。

 

 勝算などない、勝ち目もない。

 それでもユーキという人間は立ち上がる。

 ストレアの前に立ち、まるで彼女を『守る』かのように。

 

 そうだ。

 いつだって、いかなる時だって、どんな状態であろうが。

 少年は変わらない、ユーキはいつだってこうして――――他人を守ってきた。

 そんな彼に、ストレアは憧れて、惹かれていったのだ。そんな彼をどうして『無様』と蔑むことが出来ようか。

 

 

「ヒヒヒ―――――」

 

 

 PoHは嗤う。

 ユーキの無様さを、ユーキの健気さを、ユーキの生き汚さを。

 全てが愛おしく、全てを受け入れるかのように、両手を一杯に広げながら笑みを零した。

 

 

「あぁ、嬉しい。俺は嬉しいぜ、俺の恐怖……。よく立ち上がってくれたな、よく立ち上がってくれたよ。俺は思わずイッちまいそうだ……」

 

 

 彫りの深い顔は更に深く、笑みは益々深めていった。

 彼の言葉は、完全にストレアを素通りして、自分と対峙しているユーキにだけ投げつけている。

 

 

「本当に最高だよ、この時この瞬間、この展開以上のことは生きている中で出会えないだろう。何せ貴様の命は、運命は、今正に、俺が! 握っているからなぁ!」

「そう、思うか……?」

「おいおい、まさか俺に勝つつもりか? 今の貴様が? この俺を?」

 

 

 肩をすぼめて呆れるその言葉は「その見窄らしい姿で何が出来る?」と暗に語っていた。

 

 

 それにはストレアも同意見である。

 多くの人間を観てきたストレアだからこそ、この世界を知り尽くしているAIだからこそ、わかることがある。

 

 ――――立ち上がった所で、ユーキの身体は数分と持たない。

 中身は完全に抜け落ちており、あとは消えるだけの身。

 今のユーキは吹けば崩れてしまう、少しの風も、微弱な波にも耐えることの出来ない砂上の城に過ぎない。

 

 ならばストレアの取る行動は決まっていた。

 守られるのではなく、守る。

 背に背負っている両手剣を引き抜き、少年の前に立ちふさがる。今度こそ守る為に、少年を救うために。

 

 しかし少年は右手を、ギチギチ、と動かすとストレアの行動を制した。

 下がっていろ、と行動のみで語ったユーキは、そのまま続けた。

 

 

「一つ、聞かせろ」

「なんだ?」

「何を思って、テメェは人を殺してんだ?」

 

 

 もはや時間すらない、ユーキは至極当然の疑問を口にする。

 口から言葉を紡ぐのも苦痛であるのか、その声は重々しいモノであった。

 

 その問いが予想外だったのか、PoHは少しだけ眼を丸くさせて、一瞬だけ考えると。

 

 

「考えたこともねぇな」

 

 

 魔剣を弄びながら、詩を送るようなつらつらと、眼の前の愛しい少年に己の思考をつらつらと彼は語りだした。

 

 

「生きるために殺したのが最初だ。だがここに来てからは、八つ当たりだな」

「…………」

「考えても見ろよ? 俺は、俺だけがこんなに苦労してんのに、どうしてここにいる日本人共はのうのうと生きいやがるんだ? どいつもこいつも、争いを知らねぇって面をしてやがる。生きるか死ぬか、なんて経験をしたことがねぇって呑気な面をしてやがる。だからムカついたし、だから殺してやった」

 

 

 あまりにも身勝手で、あまりにも理不尽な理由であった。

 

 同時にストレアは、ビクッ、と身体を震わせる。

 その理由は明らかに逸脱しており、ユーキが怒るのには充分過ぎるモノである。

 ならば少年は力を振るうだろう。怒りを力に変えて、自身すら焼き尽くす『黒炎』を噴出させて、力を炸裂することだろう。

 そうなってしまえば、残り少ない余命は削られる。ストレアが『助ける』ことすら困難になってしまう。

 

 しかし――――。

 

 

「安心したよ。やっぱり、テメェは斬ってもいい――――畜生だった訳だ」

 

 

 静かに受け止めていた。

 あまつさえ、口元には若干の笑みを零して。

 

 

「……オレの後輩に、こんなやつがいる」

「あん?」

「そいつは何かを守る為に、人を殺したんだ。どうようもなかった、そうしなければ誰かが殺されていたかもしれない。アイツは、人を守る為に、人を殺した」

「貴様、何を言っている……?」

「だがそいつは、今も苦しんでいる。テメェやオレのような殺されて同然だったクソを殺して、自分が悪いって今も苦しんでんだ……」

 

 

 その言葉の意味はストレアが理解して、PoHにも意味がわからないものだった。

 どうしてこの状況で、この場面において、少年は穏やかな口調で、そんな言葉を吐き出すことが出来るのか、理解が出来ない。

 

 しかし状況は進む。

 彼が理解が出来ないまま、ユーキは続けた。

 

 

「声が聞こえた」

「貴様……」

「それはガキの声だった、男の声だった、女の声だった」

「待て、貴様……!」

「どいつもこいつも叫ぶんだ。死にたくないって、痛いって、怖いって、無数に叫びやがる」

 

 

 ここでPoHだけが理解した。

 この少年は、自分など見ていないということを、PoHだけが理解した。

 

 先程、PoHは問うた。そんな姿で、勝ち目はあるのか、と。

 それこそ間違いだった。最初から眼中にない、だから勝ち目など考える必要もない。

 

 ユーキの言葉の意味。

 それが意味するのは、PoHにとって残酷で、絶望するに値する意味である。

 

 PoHは縋るように、振るえる声で呆然と声に出した。

 

 そうだ。

 このユーキは最初から――――。

 

 

「――――貴様は俺を……」

「テメェは斬る。必ず斬る、絶対に斬る。テメェが奪った毎日を過ごす筈だった奴らの為にも、そんなモンすら手に入らなかった奴らの為にも――――テメェは必ず、オレが斬る」

「俺の為に立ち上がった訳でもなく、俺を見ているわけでもねぇのか――――!?」

「馬鹿か、テメェは」

 

 

 ここで本当の意味で、ユーキはPoHという存在を認めた。

 道端に転がる石ころを見るように、邪魔だから蹴り飛ばす程度のモノをみるかのように、侮蔑しきった眼と声で彼の想いに答えた。

 

 

「――――視るに及ばず。テメェなんざ、眼中にねぇんだよ」

「――――――――――――」

 

 

 瞬間、突き刺さるような殺意がPoHから炸裂した。

 睨みつけただけで殺しそうな視線で、ユーキを睨みつける。

 

 黒く変色した魔剣は、更に黒く。墨よりも黒く、闇よりも黒く。

 PoHの絶望に呼応するかのように、更に変体を遂げていった。

 

 

「ってことだ。オマエはさっさと逃げろ」

「え?」

 

 

 ユーキは振り返らずにストレアに話を振った。

 突然話を振られたストレアは思考が追い付かず、変な声を上げる。

 

 

「え、じゃねぇよ。逃げろって言ってんだが?」

「で、でも……!」

 

 

 アナタを置いていけない、という言葉が続くことはなかった。

 振り返らず右手の人差指を上げて、口を閉じさせるようなジェスチャーをしながらユーキは続けた。

 

 

「あのクソ虫はオレが連れて逝く。スクラップ同然の身体だが、その程度のことは出来んだろ」

「……アナタはどうするの?」

「言ったろ、野郎はオレが連れて逝く」

 

 

 帰りなど気にしていない片道切符。行き先は勿論、地獄。それこそ自分に相応しい、無様に果てるのが報いだ、と言うかのようにユーキには戸惑いがなかった。

 

 だからこそ、なのだろう。

 自分が死ぬと理解して、どうしようもない結末を受け入れることで、彼は穏やかに敵と対峙することが出来た。

 ある種の悟り。死ぬ運命を受け入れることで、ユーキの心は平常心を保っていた。

 

 

「野郎を斬る、それこそがオレの最初で最後の功績ってヤツだろう。野郎を斬れば、PKなんてバカげたことをしでかすクソッタレはいなくなるだろうさ」

「……」

「その後は、キリトに任せる。攻略するも良し、このままこの仮想世界で暮らすも良し。過ぎ去るオレがとやかく言える義理はない」

「アスナとユウキはどうなるの?」

 

 

 その言葉を聞いて、ユーキは一瞬だけ肩を震わせて。

 

 

「守りたかった女を残して、やっと出来た家族すら残して、オレは逝く。……もう、謝るしかないな。いいや、謝ることも出来なくなるが」

「後悔しているの?」

「いいや。ただ、未練はある。悪いが、アイツらには謝っていてくれや―――」

「それは――――」

 

 

 ストレアは遮ると。

 

 

 

 

 

                 「――――アナタが、ちゃんと謝って」

 

 

 

 

 

 

 強く、優しく、愛しそうに、背後から抱きしめた。

 何をしている、と問いを投げる間もなく、ストレアから光が放たれ、辺りの闇を照らし始めていた。

 

 同時に、ユーキには奇妙な感覚が襲う。

 身体に流れてくる。途方もない情報量が渦となり、塊となり、帯となり、余すことなく尽くがユーキの中へと入り込んできていた。

 

 こんなことが出来るのは一人しかいない。

 抱きつかれたと同時に、不可思議な現象は始まった。でるのなら、原因は一つしかない。

 

 首だけ動かして、背後で抱きついている原因を視界に収める。

 視力の戻った右眼が、ストレアの存在を収めた時には――――彼女は満面の笑みを浮かべていた。

 

 

「オマエ、何を……」

「……アナタの身体はボロボロで、中身も全て抜け落ちている。あとは自然消滅するしかなかった」

「そうだ、だから――――」

「――――そう、だからアタシが埋める」

 

 

 それこそが、ストレアの出した結論だった。

 中身がなくて消滅するのなら、何かを埋めればいい。身体を構成するリソースが致命的に欠けているのなら、何者からか補えばいい。

 

 ストレアにしか出来ない救済方法。

 ソードアート・オンラインというゲームの中に存在するAIだからこそ出来る。

 

 

「……良かった。これなら、何とかなるね」

「オ、マエ……!」

 

 

 満足気に笑みを浮かべるストレアに対して、ユーキは悔しそうに奥歯を噛み締める。

 

 これで二度目だ。

 一度目は両親に、二度目はこうしてストレアに。他者の生命を犠牲にして、再び生き永らえようとしている。

 ユーキにとって、茅場優希にとって、それは最大の禁忌であった。自分のような人間が生きるべきではない、と一度目で痛感した筈が、こうして繰り返している。

 

 悔しそうに、何よりも泣きそうになりながら、ユーキは想いの丈をぶつけた。

 

 

「何でだ、何でだよ! どいつもこいつも、オレなんぞの為に命を捨てやがって! 自分が生きることを考えろよ、オレに命を与えるなよ! オマエらが生きたほうが良いに決まってるだろ!」

「そんなの、決まってるよ……」

 

 

 左眼の視界が回復した。

 今度こそ、その双眸で、ハッキリと。ストレアの姿を、蒼い両目が捉えた。

 

 彼女は――――満面の笑みを浮かべて。

 

 

「そんなの――――アナタが好きだから決まってるじゃない」

 

 

 もはや彼女の姿は半透明となっており、実体が消失しかけている。。

 当然だ、彼女を構成するPCデータの大半は、今やユーキの身体の中へと流れている。それこそが彼女の望みであり、彼女が唯一持つ願望であるのだから。

 

 

「手、握って?」

「……あぁ」

「うん、ありがとう」

 

 

 首に抱きしめられていた手を、ユーキはギュッと握りしめる。

 感覚を忘れないように、彼女の存在を刻み込むように、右手と再生された“左手”の両の手で握りしめる。

 

 

「暖かいね、アナタの手って」

「そうか……」

「うん。……アタシね、カーディナルがどうして死を選んだのかわからなかった。だって、死ぬって怖いもん」

 

 

 ユーキには答えることが出来なかった。

 何せ彼女にこうした決断を下させてしまったのは、少年自身であるのだから。

 そんな諸悪の根源、全ての元凶である自分が今更何を言えば良いのか、ユーキは自分に苛立つように奥歯を噛み締める。

 

 対して、ストレアは困ったように笑みを零した。

 もはや彼女は既に、ユーキと一体になりつつある。少年の複雑な思考が手に取るようにわかっていた。

 

 少年はいつだって、いかなる時だって、原因を他人に向けることはしなかった。

 そして今も、ストレアが犠牲にするのは自分のせいだ、と怒りを憎しみを自分に向け続けている。

 

 

「でも、死って怖いだけじゃないんだよ? 誰かに託して、誰かが受け継いで、生命って巡るモノだから。そうして人は今日まで生きてきたし、AI(アタシ達)が出来るくらい繁栄することが出来た」

「……」

「アタシがアナタの為に犠牲になったって思ってるみたいだけど、それは違うよ。アタシは犠牲なんかじゃない、アタシはアナタに生きてもらいたくて、託すの」

 

 

 だから、と言葉を区切り優しい笑みを浮かべて、ストレアは誰よりも人間らしい言葉で紡ぐ。

 

 

「――――アタシのPCデータを全てアナタに託します。生きて生きて、生き抜いて。かっこ悪くても良い、無様でも良い、生きて下さい。そしてみんなを、助けてあげて下さい」

「オレなんぞに、そんなことが……」

「出来るよ。だって、アナタはいつも他人の為に行動していた。自分が傷ついても気にしないで、ずっと他人に手を差し伸ばしていた」

 

         「アナタは、アタシの――――ヒーローなんだから……」

 

 

 それだけ残して。

 彼女は消えた。

 文字通り、痕跡すら残さずに。

 AIである彼女は、誰よりも人間らしく――――消えた――――。

 

 

 

 

 

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 剣を握り、眼の前の“影”を睨みつける。

 

 

 

 ――――イメージするのは剣を持っている自分自身――――。

 ――――怒りのまま振りかぶり、目の前にいる影を切り捨てる――――――。

 ――――斬る度に、返り血を浴びる――――。

 ――――それだけで、力が湧いてくる――――。

 ――――怒りはとどまることを知らない――――。

 ――――返り血浴びる毎に、力が湧き出てくる――――。

 

 

 

 そうして、ユーキは力を引き出してきた。

 “影”を斬り、返り血を浴びて、その度に憤怒が湧き上がり、憎悪を燃え滾らせて、黒き炎を撒き散らしながら敵を斬り捨ててきた。

 

 VR実験のときも、モンスターキラーと対峙したときも、黒ポンチョの男を切り飛ばしたときも、フロアボスに挑むときも――――キリトと剣を交えたときも、こうして力を引き出してきた。

 

 その行為に迷いはない。

 力を引き出すという点においても、この方法は手っ取り早いし何よりも――――自分自身が望んでいることだ。

 

 

「…………」

 

 

 あの“影”を斬る。

 それこそ八つ裂きし、細切れにし、全てを引き裂いてやりたい。

 

 そんな願望が、ユーキの胸中を渦巻いている。

 “影”を直視することすら悍ましい、存在を認める行為こそ汚らわしい。

 突き刺し、抉り斬り、捩じ切る。一刻も早く、あの“影”を引き裂かなければならない、茅場優希はあの“影”を何よりも速く、早く、疾く、斬らなければならない。

 だが――――。

 

 

「――――――――」

 

 

 一向に剣を構えない。

 耳に入るのは女の声。それは違う、と。アナタは自分を許して良い筈だ、とずっと訴え続ける女の声。

 

 それが誰かなど、ユーキも“影”も問うつもりもなかった。

 己に命を預けて、生命を託した、AIの癖に、誰よりも人間らしい女の声を忘れる筈がなかった。

 

 

「……おい」

「――――」

 

 

 “影”に声を投げる。

 苛立ちを隠すことなく、憤怒の眼で睨みつけて、憎悪を感情に篭めて、ユーキは続けた。

 

 

「力を、貸せ」

「―――――」

 

 

 あの“影”はユーキ自身だった。

 彼の心の闇が具現化した存在、生き残ってしまった彼が罪悪感がカタチとなって生まれた存在。

 

 本来であれば有無を言わさずに斬り捨てる存在だ。

 現に、ユーキはアレが自分自身であると理解した上で、今まで斬り続けていた。何度斬っても止めない。返り血を浴びようが、無残に転がろうが、斬り続けて刺し続けてきた。

 

 だがここに来て、ユーキは己の闇を直視して、対話することを選んだ。

 

 

「オマエにとっても、それだけはしたくないだろう。オレもオマエなんぞに求めたくない。だが、状況が変わった」

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「オレはオマエを斬ることで、オマエはオレが自滅する顛末を見て、お互い望み通りの結末を迎える筈だった。だからオレ達は協力し合ってきた」

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「それこそが、オレとオマエの共通の見解だった。オレのようなクソは死ぬべき、その一点のみでオレ達は協力し合う事が出来た」

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「だがそれじゃ、ダメだとさ。自分の命すら使ったアイツの為にも、オレもオマエも生きなければならない」

 

 

 だから、と言葉を区切り少年は視るのも悍ましい自分自身に手を伸ばす。

 

 それは緩やかで、攻撃の類ではない。

 そして間を置かずに。

 

 

「――――――」

 

 

 “影”も手を伸ばす。

 ユーキが“影“自身であるのなら、“影”もユーキ自身である。答えは既に、決まっていた。

 

 問答の余地なく、選択肢など存在しない。

 ユーキの為ではない、自分達のために生命を使った愛すべきバカの為に、彼らは協力し合うことにした。

 だからこそ、握手ではない。

 

 対等などではない、ユーキも“影”も、己が最も嫌う自分自身である。

 だからこそ、握手などしない。出来よう筈がなかった。

 

 ユーキの差し出した右手に対して、“影”は左手で、パンッ、と大きな音を立てて弾いてみせた。

 目の前にる人間の右手を粉々に砕こうとするかのように、思いっきり“影”は叩く。

 

 対する、ユーキの顔は無表情を保っていた。

 ビリビリと衝撃が走る右手を見て、握り締めて――――“影”を殴り飛ばしながら一言。

 

 

「――――上出来だ」

 

『行こうよ、アナタ!』

 嬉しそうな声が、聞こえた気がした――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 第十八層 丘の上

 

 

「何が、起きた……?」

 

 

 ユーキを中心に発光したと同時に、轟、と音を立てて衝撃が空気の壁を叩いていた。

 あまりにも不可解な現象すぎて、直前まで抱えていた絶望すら消し飛ばされ、PoHは状況を把握することに全力を注いでいた。

 

 とは言っても、彼の理解を遥かに超えている。

 恐らくユーキが何かしたのかは予想ができる。しかし問題はその後。少年が何をし、これから先何が起きるのか、PoHには全く想像が付かなかった。

 それはまるで“恐怖”だ。何も知り得ない未知だからこそ、人は恐れる。正体不明であるが故に、人は怖れる。

 

 しかしその“恐怖”も長く続かない。

 一際眩しく発光し、一際激しい衝撃が空間を走る。

 

 いつの間にか――――雨は止んでいた。

 突風も止んでおり、無風状態。

 その中で、超然と、立っている少年の姿。

 

 斬り落とされた左腕はいつの間にか再生しており、大きく抉られていた傷も無くなっている。

 

 五体満足。

 数分前まで死にかけていた者と同一人物とは思えない。

 何よりも――――。

 

 

「貴様、誰だ……?」

 

 

 ――――気配が違った。

 

 その姿を認めた瞬間、PoHは自身の身体に妙な違和感を覚える。

 身体は冷えており、指先には痺れがある。心臓を直接握られたかのような息苦しさがあり、額には発汗。

 

 “恐怖”を振りまいている訳ではない。

 あれはそう、“威圧”だ。静かにただ静かに、視線すら合わせずにその場所に居るというだけで、PoHは少年に威圧されていた。

 

 何もかもが違う。

 自身が知る『アインクラッド恐怖』と何もかもが違う。

 ただ恐怖を振りまき、抜き身の剣であった少年とは、何もかもが違った。

 

 あんな人間、PoHは知らない。

 アレは正真正銘の怪物だ。力という力をヒトの形に圧縮し圧縮され尽くした存在、研ぎ澄まされた暴力、完成された兵器。そんな少年など、PoHは知らない――――。

 

 

「おいおい、冗談だろ……」

 

 

 呟いて、彼は額の汗を拭う。

 背骨から蜘蛛が伝うような、芯から冷え内蔵に染み入る寒気がある。

 それが吐き気である、と彼は数年ぶりに思い出す。

 

 と、そこで――――少年は動いた。

 同時に、PoHは脱兎のごとく飛びながら後退するが、少年は今だにPoHに意識を向けていなかった。

 

 少年は無造作に歩を進める。

 雨でぬかるんだ地面の泥を、グシャ、と音を立てて踏み潰していく。

 

 少年が用があるのは、PoHではない。

 地面に突き刺さっていた自身の愛剣――――『アクセル・ワールド』であった。

 

 引き抜いた。

 刀身に付いていた泥は滑るように、重力に逆らうことなく地面へと落ちていく。

 

 片手では扱うことすら難しい重量であるソレを少年は片手で難なく引き抜いて――――両手でギュッと握り締めた。

 一振り二振り、思いっきり振って一言。

 

 

「――――悪くない」

 

 

 瞬間、少年の身体から、両手剣から“炎”が噴き始めた。

 その炎こそ、少年の心の象徴。己すら焼き尽くす程の怒りと憎悪の結晶。それこそが少年の力の正体であり、根底にある心の闇、自壊する程の心意であった――――筈だった。

 

 

「おい」

 

 

 PoHはその炎を見た瞬間、呆然と呟く。

 信じられない、そんな表情で顔を横に振って否定しながら。

 

 

「何だよ、その色は……」

「…………」

 

 

 見向きもせずに、答えない少年に、感情が爆発する。

 PoHは表情も声も荒立てながら、再び大きく叫んだ。

 

 

「なんだよその――――炎の色はよぉ!」

 

 

 其の炎は、“黒”ではなく“蒼”。

 闇よりも黒い炎ではなく、光よりも輝かしい蒼。

 

 それが少年の変化。

 闇そのものを爆発される自壊する暴力ではなく、闇をも喰らい溶かし己の意思で制御する、精神の変異。

 

 ここで漸く、少年――――ユーキはPoHの存在を視界に収めた。

 右眼は蒼く、左眼は――――紅い。先程まで蒼かった左眼、まるで蒼い炎に呼応するかのように、その瞳の色も変色していた。

 

 

「ンだ、その眼の色は、あの女のようじゃねぇか……! 違う、違うだろう! 貴様の力は違う、そんな色じゃない。俺のように闇である筈だろ!」

 

 

 何があった、この短い間に、衝撃と発光で眼を眩んでいた間に、ユーキに何があった。

 もっと自分達は、どす黒いナニかであった筈だ。闇そのものであった筈だ。

 

 だが今のユーキは違う。

 それはまるで――――『はじまりの英雄』のように何者かを救う光であるかのようであった。

 

 PoHは今までを回想し、不愉快げに眉を吊り上げた。

 彼は今までユーキがいた場所を一瞥した。それは数分前に、乱入者がいた場所。招かざる客、彼女がいなければ今の状況になっていなかった。

 まだユーキと殺し合いをしており、生きる実感を感じさせられ、彼の心の闇の象徴たる“黒炎”を味わっていたことだろう。

 

 アレが現れたから、全ての予定が狂った。

 

 

「あの、女か……!」

 

 

 吐き出す言葉には、怨嗟が篭っていた。

 静かな声で、ユーキは肯定した。

 

 

「そうだ。そして、テメェを追い詰めたのも、アイツの功績だ」

 

 

 その言葉に、PoHは瞳を細めた。

 

 あの女が障害となった、とユーキは確かに言った。

 

 そんなことなど、ありえない。

 あんな女に、自分と少年の殺し合いを邪魔だけした女が、障害となることなどありえない

 いつだって、自分に立ち塞がってきたのは少年である。断じて、あの女ではない。とPoHは否定した。

 

 

「あんな奴が、俺を追い詰めた? 冗談にしちゃ笑えねぇな?」

「癪に障ったか? だが事実だ。テメェは、アイツに、負けたんだよ」

 

 

 そして、ユーキは一歩だけPoHに向かって前に出る。

 その足捌きはあまりにも自然で、PoHは反応が出来なかった。

 

 やはり、何もかもが違う。

 PoHは両手剣を片手で持っている少年を見つめた。

 

 先程まで、少年は憤りを隠していなかった。

 戦うために、対等に渡り合うために、PoHは関係のない人間を殺害して、魔剣の性能を極限まで高めてきた。更にその魂を魔剣に留ませる為に、心意に目覚めて魔剣を作り変えた。

 全ては少年の為に、己という存在を認めさせるために、PoHは今まで行動してきた。それこそがPKであり、笑う棺桶(ラフィンコフィン)の結成であり、今である。

 

 そんなPoHを許せない、と。

 無垢な連中の為に、少年は一度死んだにも関わらず生き返ってきた。

 

 だというのに、今、目前に居る相手と先ほど対峙していた少年が同一人物なのか、PoHは疑問に思っていた。

 

 蒼炎を刀身に纏わせて、ユーキは構わず歩いてくる。

 一歩も動けないPoHとは違い、その歩調は散歩をするかのような気負いのない、その中で退屈そうに少年は続けた。

 

 

「テメェがそこに“居る”ってだけで虫唾が走る。我慢が出来そうにない」

「ソレじゃ何か? 貴様は俺を殺すってことか?」

 

 

 PoHの軽口に答えずに、ユーキの歩みは止まらなかった。

 

 二人の間合いが段々と狭まっていく。

 数十メートルあった距離は、既に八メートル弱まで狭まっていた。

 

 一息で詰めることの出来る。

 そこで、ガチャ、とユーキの持つ両手剣から重々しい音が鳴る。

 それまで緩く握っていた剣の柄を、強く握り直した音だ。

 

 

「ハッ、馬鹿を言えよ」

 

 

 ユーキは小馬鹿にしたように鼻で笑いながら、今まで片手に持っていた剣の柄を、そっともう一つの手を重ねた。

 右手は力強く握り、左手も同じくらい強く握る。

 

 両手剣を構える。

 一番しっくりくる構え。剣先を天に向かって、柄を顔の横に。その構えはまるで示現流という古流剣術の構えに似ており、一撃に重きを置いている構え。

 

 

「命を奪うってことは、その命を背負うってことだ。誰がテメェなんぞの命など背負うか」

「それはつまり――――」

「――――背負う価値もない。一瞬で死ねると思うな、生きて地獄を味わう。それがテメェの末路だクソ野郎」

 

 

 今まで鋭いだけだった威圧が、明確な刃となり殺人鬼と呼ぶに相応しくない輩の全身を貫く。

 これこそが、今まで殺された人達への感情。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが引き金となった。

 PoHは口を開けて、涎を垂らしながら、獣のようにユーキへと距離を詰める。

 

 ユーキは変貌を遂げた。

 彼からしてみたら、その変貌は堕落と映る。アレほど深かった黒炎は視る影もなく、見るに堪えない蒼炎が少年の身体に纏わせている。

 それがPoHにとって我慢が出来なかった。自分と同じ存在が堕落した、であるのならこちら側に引き戻す。

 

 しかし、確かな寒気がある、吐気がある、得体の知れないナニかがユーキから感じる。

 だがそれでも――――PoHはユーキに敗れる事がないと、断言していた。

 

 

 今までユーキは命のやり取りを経験してきた。

 しかし経験値が違う。PoHは生きるために、殺してきた。それは現実世界でも仮想世界でも変わらない。常に彼は幼い頃から、命を奪ってきた。

 

 変貌など瑣末なことだ。

 感情の変化などで、個人の力量は変わらない。

 

 極めつけに心意である。

 ユーキは心意を完全に制御し、己を自壊させることなく力を十全に振るうことが出来ている。

 だがその程度。心意はPoHも使いこなしているし、負ける要素など見当たらない。

 

 

 故に、PoHがユーキに負けることない。

 

 

 今もこうして、PoHの方が早く反応し、行動に迷いなく、簒奪者のように迷うことなく行動する。

 思考と行動と殺意にタイムラグはない。標的を定めて、駆け出した瞬間に、ユーキの敗北は決定的な瞬間となった。

 

 だが。

 PoHは見た。

 自身の行動よりも遅く動き出した少年が、自身の行動より疾く活動する異様さを。

 

 ありえない。

 ありえない。ありえて良いはずがない。

 

 どう言う理屈なのか、どういう道理なのか。

 どうして自分よりも――――。

 

 

 ――何故貴様が、俺よりも疾く―――!

 

 

 驚愕と同時に、身体が反応していた。

 PoHは殺意を抑えて、距離を開けようと後退することを選ぶ。

 

 一度距離を取って、相手を観察する。

 その判断はあまりにも的確なもので、その行為は最善と言えるモノだ。

 しかしそれでも――――ユーキの疾走には遅すぎた。

 

 両手剣は振り上げたまま、文字通り“弾ける”ように、少年は距離を詰めていく。

 

 間合いに入ると同時に、無慈悲に両手剣は振り下ろされた。

 それは閃光と錯覚するかのような速度。上段に掲げられた剣は、ソレ以上の素早さで振り下ろされた。

 

 対して、PoHは自身の背筋が凍りつくのを感じる。

 刃など見えない。蒼炎が剣の軌道を描きなら、振り下ろされていく。

 

 彼は知っている。

 その一撃がどれほど重いか、一度身体に味わっている身だ。そんなもの嫌でも理解していた。

 

 同時にわかっていることがある。

 アレには二撃目はないということを――――。

 

 

 ――だったら、一撃は貴様にくれてやる。

 ――受け止めて防ぎ、麻痺毒が塗っている投げナイフを突き刺す。

 ――それで貴様は、終わりだ……!

 

 

 魔剣を構える。

 ―――振り下ろす蒼炎を纏った両手剣は、容易く魔剣を砕いた。

 

 投げナイフを持った。

 ―――そこで、ユーキの動きが止まった。

 

 投げナイフを突き刺す。

 ―――しかし。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 何故かPoHの身体が――――後方へと斬り飛ばされていた。

 その胸部には、大きな斜めに斬ったような斬り傷。

 

 あり得ない一撃。

 思考が一瞬だけ停止すると、彼は確かに見た。

 

 振り下ろされていた筈の両手剣が、何故か“振り上げられていた”ことを。

 簡単なことであった、難しいことではなかった。振り下ろした一撃に間髪入れずに――――二撃目を放っただけに過ぎない。

 防御されたところで、両手を使えるユーキに関係がなかった。受けたところで、躱したところで、逃げられたところで、関係がない。

 

 必ず、斬る。

 絶対とも言える強い意思が、PoHを逃しはしなかった。

 

 一瞬ともいえる攻防。

 たった二合。されど二合。

 戦いは、終わった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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 月明かりだけが、生きているようだった。

 泥まみれになりながら、敗者は倒れている。

 

 無様なものだ。

 しかしそれも、当然の結末と言えるだろう。

 彼はこれまで、自分の為だけに命を奪ってきた。奪い食い散らかし、次の命を食い物にする。

 

 そこに追悼の意思はない。

 人が生きるために食事するように、彼は自分の“当たり前”をこなしてきた。

 当たり前のように殺し、当たり前のように簒奪し、当たり前のように踏み躙る。故に、彼に後悔はない。人として明らかな欠陥、善性と呼ばれるモノが欠落していた。

 

 

 そのあり方が、勝利者――――ユーキにとって何よりも許せなかった。

 

 少年は侮蔑しきった声で問いを投げつける。

 既に蒼炎は纏っておらず、その両眼も元の蒼い双眸へと戻っていた。

 

 

「これで終いなわけだが、これで満足かクソ虫」

 

 

 対する敗北者――――PoHは倒れたまま、クツクツ喉を鳴らしながら笑みを零していた。

 満足、しているようには見えない。むしろユーキのあり方を滑稽と嘲笑うような調子で、彼は口を開く。

 

 

「貴様、敢えて俺の武器を狙ったな?」

 

 

 PoHの問いに、ユーキは答えない。

 

 

「甘いヤツだ。今の貴様ならば、俺を武器ごと斬って殺すことも出来ただろう。それをやらない貴様は甘すぎる。これで終ると思っているのか? 俺を牢獄に入れて、これで俺が止まるとでも――――」

「言った筈だ。テメェの命なんざ、背負う価値もねぇんだよ」

 

 

 遮るように、ユーキは事実だけを伝える。

 

 

「これで終わりだ。テメェは牢獄で、退屈に殺されろ。だがただで死ねると思うな、テメェが殺した連中が許さない、残した連中が許しはしない」

「あぁ、だから貴様は俺の武器を狙ったのか。俺に囚われていた、取るに足りないプレイヤーの魂を助ける為に」

 

 

 正義の味方気取りか、と口元を歪めて。

 テメェの敵ってだけだ、と空気を漂わせる。

 

 二人のプレイヤーはお互いの顔を見なかった。

 一人は見たくても見れない有様で、一人は見る価値もないと彼方へと視線を向けている。

 

 PoHは悪意に満ちた笑みを浮かべたまま、ユーキは星空を見つめたままで。

 

 

「それが貴様の覚悟か。殺す覚悟ではなく、殺さない覚悟――――」

 

 

 ギチギチ、と身体から軋みを上げて、PoHは立ち上がる。

 顔には泥が付着しており、黒ポンチョの格好はボロボロ。胸元には大きな抉り斬られたかのような、大きな傷がある。

 彼の生命線ともいえるHPゲージは、1ドットだけ残されており、何もすることが出来ない。

 

 加減をされたのは、明らかであった。

 

 

「――――そうだな、殺すのに覚悟はいらない。引き金を引けるかどうか。単純で、簡単な話しだ、人ってのは直ぐに殺せる。本当に難しいのは、直ぐ死ぬ人間を生かすことだろう」

 

 

 喝采するように、彼は力いっぱい両手を広げる。

 そして一歩、また一歩。ふらつきながら、一歩ずつ着実に、後退していく。

 その先に有るのは――――。

 

 

「ならば、俺は――――貴様の覚悟を嗤ってやる」

 

 

 ――――崖であった。

 高低差はゆうに数百メートル。落下してしまえば、先ず命はないだろう。加えて、PoHのHPゲージは1ドットしか残っていない。落下してしまえば、助かることはない。

 

 ユーキの身体が動いたのは無意識だった。

 頭が理解するよりも先に、身体が本能に従って行動する。

 落ちれば死ぬ、ならば手を伸ばす。そんな当たり前のことを、行おうとするが――――PoHが全力で拒む。

 

 彼はユーキの行動が分かっていたからか、同時に隠し持っていた投げナイフをユーキに向かって投擲する。

 ユーキはナイフを弾く。たったソレだけの攻防、だがその些細なやり取りが、致命的なタイムロスへと繋がる。

 

 

「いいか、俺の恐怖――――」

 

 

 PoHは後方へと大きく飛び、重力に身を預けていた。

 ただの人間であるPoHはそのまま、仮想世界の重力に従って――――。

 

 

「貴様を――――いいや、オマエを本当に理解できるのは俺だけだ!」

 

 

 PoHは大きく手を広げて、悪意に満ちた声で――――。

 

 

「これで終ると思うな。オマエは必ず俺が――――!」

 

 

 落下した――――。

 

 続く言葉はない。

 先の言葉を吐く前に、PoHは落ちていった。

 

 たったそれだけだった。

 彼がどんな言葉を並べたところで、ユーキの心に響きはしない。

 

 

「――――」

 

 

 少年は結末を見送ると、黙って空を見上げる。

 

 虚しい勝利。

 虚しい生存。

 虚しい――――覚悟。

 

 この戦いの勝利に意味があるだろうか。

 彼女を失って――――何の意味が――――。

 

 

 




 みなさん、お久しぶりです。兵隊でございます。
 恥ずかしながら戻ってきました。
 復活を待っているというメッセージ、感想をいただきありがとうございました。本当に、本当に嬉しかったです!

 色々と手直してして、再度投稿しました。
 久しぶりだったので元々拙かった文章が輪をかけてひどくなっております。これは酷い酷すぎる。
 これからボチボチ更新していきたいので、どうかよろしくお願いします。

 次回でVol3が終了です。
 どうかよろしくお願いします

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