ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~ 作:兵隊
glintさん、スッズムシーさん、oouoさん、誤字報告ありがとうございました!
2024年1月31日 時刻未明
第一層 『はじまりの街』
「ユーキさん……」
「……心配すんな」
不安そうな声を出すユイに、ユーキは右手に持つ剣を持ち直す。
そして左手でユイを抱き寄せて、周囲を注意深く見渡した。その場に居るのは彼らだけではない。周囲には人影がひしめいていた。
数千という膨大な数のプレイヤー達の姿。
重装な鎧に見を包んでいる男性も居れば、軽装で明らかにフィールドに出る装備ではない少女も居る。麦わら帽子を被り釣り竿を持つ年配の男性も居れば、年端もいかない布製の衣類に身に纏った少年もその場に立ち尽くしていた。
恐らく、彼らもユーキ達と同じく強制的にこの場に転移させられたのだろう。
全員が全員、事態が掴めないのか、数秒間ポカンと押し黙り辺りをキョロキョロと見渡すと、空を見上げて表情が凍りつく。
――――それは、あの時の再現だった。
広大な石畳。中性ヨーロッパを思わせる石造りの建造物。その正面には他者を威圧するようにそびえ立つ、黒光りする宮殿『黒鉄宮』の存在。
そして空は真紅に染められていた。時刻からして、まだ昼前後。日が落ちるには早いし、何よりもその色は夕暮れ特有の橙色のそれではない。言ってしまえば血の色のような、見るものを不安にさせるおどろおどろしいナニかだ。
そんなおぞましい色の空に、文字が交互に点滅を始める。その単語は『Warning』と『System Announcement』の二文字。
忘れる事が出来ない、忘れる筈がない。
今の状況、眼に映る光景、そして突拍子もない強制転移。
そう、これは――――デスゲームの始まりを告げた運命の日を再現しているかのようだった。
周りがザワつき始める。
初日の悪夢が蘇り必死に顔を横に振り否定する人間も居れば、ただただ状況が読めず思考を放棄する人間も居る。だが大半は、苛立ちを覚える者が多いのか怒声のような喚き声が上がり始めた。
それは爆弾のようなものだ。一発どこかで爆発したものなら、二発目が直ぐに暴発する。三発目、四発目と続き叫びは直ぐに数千を超えていた。だがどれもこれも純粋な怒りの声ではない。確かに声を荒げてはいる、しかし全てが不安から生じる叫びである。
一抹の不安を紛らわせようとする、健気な延命行為。
ギュッと、ユーキの左手をユイは強く握り始める。微かにその身体は、震えていた。
彼女はAI。メンタルヘルス・カウンセリングプログラムだ。この手の感情は彼女の特性上、容易く読み取ることが出来てしまう。不安、恐怖、絶望、それらが一気に数千という数となって観測する事が出来てしまうのだ。
ユイが怯えるのも無理はない。
かと言って、彼らの気持ちもわからないでもない。
ソードアート・オンラインのユーザーにとっても、今の状況は悪夢といっても差し支えない。言ってしまえばトラウマのようなものだ。もう二度と見たくなかった光景を見せつけられて、冷静でいられるほど人間は強く設計されていない。
そんな中、ユーキは舌打ちを小さくした。
どうすることも出来ない歯がゆさ。この混乱を押さえつける発言力も、ユイを安心させるほどの説得力もユーキにはない。ただ時が解決してくれるのを待つしか出来ない己の情けなさに、ひたすら苛立ちを募らせていた。
――アイツらはどうした?
――ここに居る連中が生き残っているプレイヤー共だとしたら、アイツらもここにいる筈だろ。
――無事なのか?
――クソっ、何も状況がわからねぇぞ……!
考えた所で、何も好転はしなかった。
混乱の渦に叩き落されて、何も状況は掴めない。顔馴染み達は無事なのか、今から何が始まるのか。まったく予想が出来ずに、混乱だけが加速していく。
そこに。
「ユーキくん!」
「にーちゃん!」
安堵の表情で、ユーキ達に駆け寄る女性プレイヤーの姿――――アスナとユウキの姿があった。
アスナは不安だったのか双眸には涙が溜めており、ユウキもいつもの天真爛漫な様子はなくどこか不安そうに落ち着きなく辺りを見渡した。
何の変わりないユーキの姿に、ホッと胸をなでおろすのや否や、直ぐに膝を折ってユイと同じ目線に合わせると切羽詰まった様子で確認する。
「ユイちゃんは無事?」
「は、はい。わたしは大丈夫です……」
「オマエらだけか?」
ユーキの問いに、ユウキは「うん」と一度頷いて。
「キリトとリズは確か、エギルのお店に行くって言ってたよ」
「なら問題はねぇな。あの野郎が一緒にいるんだ、下手なことにはならねぇだろう」
いつの間にかギルドメンバーが死んでいた、という最悪な状況がひとまず回避されると、ユーキは左手にしがみついていたユイを努めて優しくアスナの方へとやった。
ポカン、と眼を丸くしているユイとアスナを見て、ユーキは簡潔に伝えた。
「ソイツは任せる」
慌てながらユイを抱き寄せたアスナは、切羽詰まった声で問いを投げた。
「えっ、ちょ、ちょっと待ってよ! ユーキくんはどこに行くの!?」
「別行動だよ。嫌な予感がする」
「……それってなに?」
ユウキも薄々勘付いているのか慌てる様子はなく、敢えてユーキに問いかけた。
「状況はあの時の再現だがよ、一つ足りないモノがあんだろ。オレ達はいったい誰に、デスゲームの開始を宣言されたよ。ソイツが現れてねぇだろ」
ユーキは空を指差して事実だけを話す。
「茅場晶彦だ。あの野郎は確実に――――この中にいる」
もはや周囲は混乱を極まっていた。
空に向かって叫んだ所で応答はない。叫びは空に飛び、また新しい叫びによって掻き消されていく。
ある物は絶望を訴え、ある者は不安を嘆き、ある者は悲観に明け暮れる。阿鼻叫喚、正に地獄絵図。このまま放置したものなら、たちまち暴動へと繋がることだろう。そうなっては保たれていた秩序は崩壊し、混沌へと変貌を遂げるに違いない。
冷静でいるプレイヤーなど限られており、ほとんどの者が呆然と事態を飲み込めていなかった。
それはアインクラッド最強ギルド『血盟騎士団』も例外ではなかった。団員はわけもわからず辺りを見渡し、立ち尽くすのみであった。
わけがわからなかった。
先程まで、自分たちはギルドホームにいたはずだ。数日後には第五十層のフロアボス攻略会議を開き、他の攻略組と連携し攻略する。そういう手筈だったはずだ。
だがこれは、団員たちの目に映る地獄はいったいなんなのか。悪夢の再現がその眼に広がっていた。『血盟騎士団』というだけで一目置いていたプレイヤー達は誰もこちらを見ない。誰もが好き勝手叫んでいる。この状況から逃避するかのように、想いの丈を叫んでいた。
ここで団員たちは理解した。
この場において、自分たちは平等であるのだ、と。攻略組も中層プレイヤーも、初心者も。大人も子供も、関係がない。誰もが平等に、誰もが等しく混乱していた。
その瞬間、血盟騎士団の纏っていた矜持という名の檻が壊れかけた。彼らも一人の人間なのだ。この状況は怖いし、恐ろしい。攻略組最強ギルドだと持て囃されても、所詮は同じ人間。不安なものは不安であるし、恐ろしいものは恐ろしいのだ。
それを紛らわせるのが叫びだというのなら、自分たちが同じ行動しても問題はない。
ならばいっそのこと、この狂気に身を任せた方が楽だというのなら――――同じく叫ぼう。
団員たちは口を開きかけるも。
「落ち着け!」
凛とした大きな声。
呆然と立ち尽くしていた団員ひとりひとりに、その男は声をかけていた。
周囲の叫声に負けない力強い声で彼――――ディアベルは続ける。
「オレ達が混乱してどうする! オレ達は血盟騎士団、最強のギルドと呼ばれてきたんだぞ! ここでオレ達がみんなを安心させずしてどうする!」
そこまで言うと、チラッと今だに静観している“団長”を見て、直ぐに団員たちに指示を出した。
「他のプレイヤー達に声をかけろ。虚勢でもいい、大丈夫だと励まし続けろ!」
血盟騎士団で一人、ディアベルだけ冷静だった。
周囲を見て、冷静に分析し、己が何をすべきなのか理解し行動に移す。『血盟騎士団』というブランドを最大限利用し、ことの事態の収拾に移る。人間とは肩書に弱いモノだ、攻略組最強のギルド『血盟騎士団』が大丈夫だというのだから、それだけで説得力はある。
団員たちはディアベルの鶴の一声に散ると手当たり次第に声をかけ始めた。
団員の中には、ぎこちなく笑う者もいれば、怯えた顔のまま声をかける者もいる。
だが少しずつ少しずつであるが、事態は収まっていた。怒声がなりを潜み始めて、喚声は穏やかになりつつある。
だが事態が好転することはない。空は真紅に染まったままだし、『Warning』と『System Announcement』の二文字が点滅を続けている。
これではまた同じことの繰り返すことになる。
最悪、押さえつけた反動で悪化して暴動が起きるかもしれない。
その前に、この状況をなんとかしなければならない。ディアベルはそう考えていると――――。
「――――君も“彼”と同じく、随分と強くなったものだな」
今まで静観していた団長――――ヒースクリフが静かな口調で、感慨深いといった調子でディアベルに話しかけてきた。
「私が声をかけた時から比べると見違えるようだ。あの時の君は何も出来ずにいたのに、今はまるで違う。自分が何をすべきなのか考え、行動に移せる力を身に着けた」
「団長……何を……?」
ディアベルの目に映るヒースクリフは変わらない。
彼はいつだって冷静で、的確な指示を団員たちに与えてきた。ときに意味不明で理解が出来ない指示も、最終的にこれ以上にないという采配であった。その指示は未来予知でもしているのではないというくらい、先を見据えてのモノであった。
そう、いつだってヒースクリフは冷静だ。
それは変わらずに、今の状況でも彼は“冷静だった”。
思わず、ディアベルは一歩後ずさる。
この状況で静かな眼をするヒースクリフに、純粋な得体の知れない感情がディアベルから湧き上がってきた。
遠くを見据えていたヒースクリフの眼が、今度はディアベルに注がれている。
「頃合い、か……」
ヒースクリフは左手を振り、出現したウィンドウを素早く操作する。
瞬間――――。
「なっ……――――!?」
ディアベルの身体が膝から崩れ落ちた。
彼だけではない。血盟騎士団の数十名、団員でもないプレイヤーや攻略ギルドである『聖竜連合』『風林火山』『月夜の黒猫団』の数名も同じように、不自然な格好で倒れていた。
何がどうなっているのか頭の中で混乱するディアベルの視界の隅に、HPバーが目に留まる。
色はグリーン。HPも全開のままであるが、一つ違う普段とは違う点があった。HPバーがグリーンのまま、点滅している。麻痺状態である。
周りからはうめき声が聞こえる。
歯を食いしばりもがこうとも、立ち上がることは誰もが出来ない。
「すまない。現在、生き残っているプレイヤーのレベルが高い者達から百名のみ動けなくさせてもらった」
まるで創造主の御業のような口ぶり。そんなことが出来るのはゲームマスターくらいのものだ。
発現者をディアベルは力無く縋るように見上げる。ありえない、そんなことありえないといった縋るような眼。向けられているヒースクリフは無視するように、静かに朗々とした口調で続けた。
「諸君は不思議に思わなかっただろうか。この事件の元凶、茅場晶彦はどうやって自分たちを観測しているのか、と」
しん、と辺りが静まり返る。
何もかもが凍りつき、生命の息吹すら感じさせない状況になっても、ヒースクリフの様子は変わることはない。
「気付いた者もいるようだが、諸君らには改めて宣言するとしよう――――私が茅場晶彦だ」
それでも周囲は静かなものだった。
血盟騎士団の団長ヒースクリフに騙されたという怒りよりも、考えが追い付かずに判断が出来かねているのだろう。
「予定では第九十五層に到達した直後にでも明かすつもりだったのだが、予想外のことが連続で起きてね。幾分か前倒しをさせてもらった」
やれやれ、と言うかのように肩をすくめる。
無機質で、無感情。彼らがテレビや雑誌などで見たことがある茅場晶彦とはまったく違う顔。だがその雰囲気は、この場に君臨したローブのアバターそのものであった。
観測者にして創造主。この世界に自分たちを囚えた看守長であり、このデスゲームのすべての元凶。
信じていた者からの裏切り。
ディアベルは「嘘だ!」と叫びかけるも。
「アンタは、私達を騙したのか!?」
凍りついたように動きを止めていたプレイヤーの中の一人が絶叫する。
赤い頭髪の女性――――ロザリアはその両手に十文字槍持ち、その刃先をヒースクリフに向けていた。
何故彼女が動けるのか、少しだけぼんやりと考えて百名以下であることを納得してヒースクリフは変わらずに静かに問いを投げる。
「君は……ロザリア君だったかな? 私が茅場ということを隠していたというのなら、君の言うとおり騙していたということになるな」
「ふざ、けるな……!」
ギリッ、とロザリアは歯を食いしばる。
その槍の剣先は震えるも、真っ直ぐにヒースクリフに向けられていた。
その震えは何なのか。恐怖なのか怒りなのか、悲しみであるのか失望であるのか。恐らく全ての感情が内訌しているのだろう。
「私はアンタを信じてきた! アンタを信じてここまでやってきたんだ!」
「あぁ。君達、血盟騎士団には世話になったよ。よく今まで私に付き従ってくれた」
礼を言う、と軽く顎を引いて頭を下げた。
その態度がロザリアの琴線に振れたのか、悔しそうに唇を震わせながら涙を流す。
「私だけじゃない! アンタの指示で犠牲になった仲間もいる、ディアベル様だってアンタを信じていた! それをアンタは何も思わなかいのかっ!?」
「だから最初に言ったじゃないか――――」
無感情に、冷たい声で言う。
「――――すまない、と」
「あ……、アァァァァァっ!!!」
その言葉が引き金となり、ロザリアはヒースクリフに駆ける。
何の変哲もない刺突。ソードスキルを使用していなければ、緩急もなく、ただ単純な感情任せの刺突。そんなもの、アインクラッド最強の剣士として君臨していたヒースクリフに通用するはずもなかった。
彼は直剣を左手に装備して、ロザリアの刺突を受け流す。それから直ぐに返す剣で彼女の首元へと横薙ぎに振るう。
それで彼女は絶命する。それだけで彼女の首が飛び、また新しい悲劇がアインクラッド内に生まれる――――。
「――――オイ」
――――筈だった。
ヒースクリフとロザリアの間に入るのは金色の影。
横薙ぎに振るわれたヒースクリフの直剣を両手剣で受け止めた金色――――ユーキは敵意むき出しの声で言う。
「――――何やってんだテメェ、相手は、女だぞ……っ!」
「――――見ればわかる」
ヒースクリフの背に、もう一人の黒い影。
ユーキが割って入ると同時に、その影も駆け出していた。まるでユーキがロザリアを庇うのを知っていたかのように、黒い影はヒースクリフの背後取る。
派手なソードスキルはいらない。
最速最短距離で、ヒースクリフに黒い直剣『エリシュデータ』を叩き込もうと振り被る。
“斬った”。黒い影――――キリトは確信する。だがしかし。
「遅いな」
一言呟くと、ヒースクリフは自由になっている右手でユーキの片手を掴み、強引にキリトの方へと放り投げた。
いつもの彼ならば、その程度の拘束振りほどくことだろう。いいや、いつもの彼ならばヒースクリフの直剣を受けたのと同時に弾き、キリトと共に斬りかかっていたに違いない。
だがどういうわけか、ユーキはされるがまま。ヒースクリフに放り投げられてキリトに激突する。
それから二人は何とか体勢を立て直し、地面に転がりながら直ぐに立つも、
「く、そっ……!」
キリトは片膝をついて。
「……っ!」
ユーキは何とかその場に立っていた。
様子がやはりおかしい。ヒースクリフは少しだけ考えて分析する。
「君達の意志の力は、システムすら凌駕したということか。だがその様子だと、立つのもやっとだろう」
「わかったような、口を、聞いてんじゃねぇぞ……!」
「わかったようなもなにも、事実だろう。『アインクラッドの恐怖』だった君ならまだしも、今の君では立つことは出来ても、それ以上のことなど出来はしない」
それだけ言うと、ヒースクリフは背を向けた。
言いたいことは言った、この場には用はないと。ヒースクリフはユーキ達に興味を失った。
そして宣言する。
「2月1日0時まで待つ。この世界から帰還したくば、第一層の迷宮区、最上階まで来たまえ! 私を倒すことが出来れば君達の勝利、ゲームクリアだ。特典として、現実世界に返そう。もしタイムリミットまで間に合わなければ、第百層まで攻略してもらうことになる。どちらでも構わない、君達の判断に委ねよう!」
一方的な勧告であった。
今だに状況をつかめない周囲を置き去りに、ヒースクリフは歩を進めていく。
何を言っても届かない、ヒースクリフは氷のように冷たく凍りついていた。
それでも、ユーキは問う。立っているのがやっとの状態でも、それこそが精一杯の反抗であるとでも言うかのように。
「なんでだ……。何でアンタは、こんなことをしたんだ。関係ない連中まで巻き込んで、アンタは――――!」
「なんで、か……」
こんなことというのが何のことなのか、ヒースクリフは理解していた。
つまるところ、デスゲームのことを言っているのだろう。どうしてヒースクリフがデスゲームを始めたのか問いているのだろう。
それを踏まえてヒースクリフは行動する。
一方的に宣言したときのように、真紅のフード付きローブを身に纏う。その姿は『アインクラッドの最強の剣士』としての姿ではなく、『デスゲームの全ての元凶』の姿であった。
目深くフードを被り、表情を読み取れなければ、感情すら聞き取れない声で言う。
「キミは知っていた筈だ。キミだけは、分かっていた筈だ――――」
そう言うと、彼の身体は青い柱に包まれる。
転移だ。向かった先へ宣言通り、第一層の迷宮区の最上階。かつて『イルファング・ザ・コボルドロード』が君臨していた玉座、そして――――『アインクラッドの恐怖』の始まりの地だ。
残されたプレイヤー達は、呆然と立ち尽くすしか、なかった。
ローブ装備したヒースクリフを描写したかった人生だった。
あのアバターってカッコイイと思います。