ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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 アリシア・アースライドさん、ムーパパさん、誤字報告ありがとうございました。
 
 活動報告にてアンケートを募集していますので、よろしくお願いします。


第25話 心ガ欠ケル音

 2024年1月31日 PM23:53

 第一層迷宮区 最上階

 

 

 その戦いは、最初から勝ち目がないものだった。

 少年の身は文字通り、既に満身創痍。全身傷だらけ、なんてモノではない。立っていることすらやっと、いいや息をしていることすら奇跡の状態だった。そんな状態で、己の武器を振るうことなど不可能だろう。

 

 それでも立ち上がり、片手で剣を握り、黒ポンチョの殺人鬼と数合打ち合えたのは少年の常人ならざる精神力によるもの。勝ち目があれば抗う。立ち上がり、震える両足に激を促し、心に炎を灯し、諦めを踏破する。百に一つ、千に一人、万に一つ、どれだけ勝ち目が薄かろうと少年は立ち上がり、勝利を無理矢理もぎ取ってきた。

 全ては少年の意志の力。無様に転がろうと、勝ち方など少年にとってそれしか知らなかった。

 

 少年が敗北するとするのなら、確実に息の根を止めるか。

 もしくは――――強靭過ぎる心をへし折るしかないだろう。

 

 

「さて、やっと諦めたか」

 

 

 ノイズ混じりの言葉と共に、パンパンとホコリを払いながら黒ポンチョの殺人鬼――――PoHはつい先程まで剣を交えていた者に視線を向ける。それは少年、床にうつ伏せに転がっている少年をただ見下ろした。

 

 剣を交えた。

 言葉にするとまともに打ち合ったように見えるが、それは一方的な攻撃だった。

 PoHが声を掛けると同時に、少年は獣の様に弾け斬りかかる。だが少年が攻めに回ったのはそこまで、あとは一方的な防戦。殺人鬼が繰り出す殺人に特化した剣に、少年は抗うすべなどない。徐々に、身体を刻まれ、致命傷を避けるのがやっとであった。

 

 そうして殺人鬼は少年を徹底的に痛めつける。

 楽しむように、紙一重で防がれる速度で剣を振るい、皮一枚で拮抗できる程度の力を込めて。

 殺人鬼の表情には笑みが溢れていた。その笑みは、自身を打ち破った者に対する復讐による感情ではない。もっと歪んでいて、愛する者が喜んでいる姿を見るかのような恍惚とした笑み。

 

 対象は倒れたまま、指一つ動かす気配もなければ、うめき声の一つも上げない。

 もっと眺めていたい欲求を抑えるように、名残惜しそうにPoHは少年から、デスゲームの全ての元凶たる茅場晶彦に視線を向ける。

 

 

「さて、貴様が茅場晶彦だな?」

 

 

 砕かれた玉座に背を預けている隻腕の茅場に、朗々とした口調で問いを投げた。

 その右手には、茅場の片手を斬り落とし、少年を切り刻んだ凶器『友切包丁(メイト・チョッパー)』が握られていた。

 少しでも妙な事を口走れば、容易く茅場の首を跳ねられる。そう断言できるほどの狂気を、殺人鬼は孕んでいる。それを踏まえて、茅場は感情を押し殺した声で吐き出すように。

 

 

「そう言う君は、笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のギルドマスターPoHかな?」

「良く知ってるな。さすがはゲームマスターと言ったところか」

 

 

 クツクツと楽しそうに喉を鳴らしながら笑みを零す。

 対称的に茅場は無表情を貫いていた。一瞬だけ倒れている少年に視線を向けて、直ぐにPoHが握っている短剣へと目を向ける。

 

 

「一つ聞いてもいいかな?」

「冥土の土産ってヤツだ。答えてやろう」

「その短剣は、なんだ?」

 

 

 茅場の視線の先にあるのは、PoHの愛剣である。プレイヤーをキルすればキルするほど、強化されていく魔剣。それは茅場もよく理解している。何せこの世界のデザインしたのは彼本人なのだ。文字通り全てを創造し、余すことなく記憶している。

 だからこそ、茅場は『なんだ』と問いを投げた。自分がデザインしたモノとはかけ離れている短剣。刀身は赤黒く、柄がどこかPoHの右手に一体しているような、見ていると吐気を催すような気味が悪い剣。

 

 何よりもその短剣は、あの時の戦いで、少年との戦闘の果に折られた筈だ。剣が破損したものなら、消滅するのがこの世界の理である。

 だと言うのに未だに殺人鬼の手元に残っている不可解。

 

 

「あぁ、これか」

 

 

 訝しむ茅場の問いに、PoHは何気ない口調で自身の手にある魔剣を一度、二度振り、これまた軽い口調で答えた。

 

 

「コイツは友切包丁(メイト・チョッパー)だ。と言いたいところだが、色々と弄らせてもらった」

「弄った、だと?」

 

 

 茅場が眉を顰めるのも無理はない。

 弄ったというのだから、武器のテクスチャを改ざんしたのだろうか、と考えるも直ぐにその疑問は否定されることとなった。外見だけの問題ではないのだ。アレは外面のみを取り繕った優しいものではない。

 

 もっと内面の話。武器の性能というよりも、もっと根深く武器のそのものが変質を遂げている。となると、この世界そのもののプログラムに何かしらの細工をしたのだろうと、茅場は予測を立てる。

 しかしそんなことを見逃すほど、茅場晶彦という人間は間抜けではない。外部からハッキングをされたのなら必ず気付くし、それは内部からであろうと同じことであった。現に、カーディナルが二人の少年に接触したことだって気付き、メンタルヘルスカウンセリングプログラム試作一号と二号が同じ少年達のもとに身を置いていた事もわかっていた。

 大きな事件であろうと、小さないざこざであろうと、茅場の手の内から溢れることなどなかった。

 

 だというのに、この男は茅場の眼を盗んで、友切包丁(メイト・チョッパー)を自分で弄ったと、不可能を口にしていた。

 

 

「そんなことは不可能だ、って面ァしているなぁ?」

 

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべる殺人鬼に図星を突かれようとも、茅場に動揺はなかった。本当の意味で茅場が気にかけているのは別にある。

 

 

「そうか、貴様。どうやって、俺を殺そうか考えているな」

「ほう、わかるのかね?」

 

 

 極めて冷静な口調で茅場は応じるが、その心はマグマの如き熱量で煮えたぎっていた。

 PoHへと向けている視線は敵意むき出しに、むしろ殺意を抱いているといえる。何故自分が、ここまで目の前の殺人鬼に殺意を抱いているのか考えなかった。

 茅場はその理由を理解している。理解しているからこそ、その身に迸る憤怒を受け入れていた。

 

 対してPoHは平然と受け止める。

 殺意を圧縮し、凝縮し、集約し、見つめただけで殺せるような視線を受けても尚、PoHは平然――――というよりも、それすら愉しいと言わんばかりにフランクに茅場に言葉を送った。

 

 

「おいおい、仲良くやろうや。俺はこれでも貴様に感謝してるんだぜ?」

「君が私に? 覚えがないな」

 

 

 吐き捨てるように、吐き出された言葉を聞いて、己の愛剣を掲げて剣に意識を向けた殺人鬼は。

 

 

「この世界は、本当に面白ぇ」

 

 

 ニヤリと笑みを浮かべて、両手を広げて言葉を紡いで言った。

 愛する者を迎え入れるように、自分という存在をこの世界に注目させる舞台役者のように。

 

 

「自分がイメージした通りに何でも動きやがる。現実世界にはねぇ、本当に、偽りなく、思った通りに動くこの世界が、俺ぁ堪らなく愛おしい!」

 

 

 茅場の片眉がピクリと動いた。

 引っかかったのはある単語。イメージという抽象的なモノだった。

 何度も観察したことがある、何度も――――その奇跡を眼にしてきた。

 超人的な意志の力によって、システムすらも超越し、己のイメージに上書き(オーバーライド)する幻想のような現象。最初は机上の空論であった、こんなことはあり得る筈がないと科学者としての思考が結論を出した筈だった。

 

 その名も――――心意(インカーネイト)システム。

 今も倒れている少年と、はじまりの英雄と称される少年にのみ発現した絶技。

 だがここに、ここにもう一人。使いこなす規格外の存在。二人の少年よりも使いこなしている怪物――――PoHは己の力を誇示するように続ける。

 

 

「俺の力は奪うモノ。ガキの頃から他人から奪う生き方だったからな、イメージがしやすかった。それにこの剣(コイツ)とも相性ががよかったしな」

「奪うとは、つまり……」

「そう、俺の力は――――強奪だ。他人の力を奪い取り、拿捕し尽くし、使いこなす。生きているのなら、何でも奪い尽くしてやる」

 

 

 それこそがPoHの心意、他人の命を奪ってきた彼だからこそと到達することが出来た一つの到達地点。

 一人の少年が自分すら燃やす事によって心意を“炎”として使っていたのなら、PoHは他人から奪うことによってその心意を十二分に発揮する。

 

 

「私が動けないのも、その力によるものか」

「応とも。貴様の行動を“奪って”やったのさ」

 

 

 指先一つ動かない現象に、茅場は納得した。

 妙であった。眼の前で少年が殺人鬼と打ち合っていたというのに、どう言う訳か力が入らなかった。少年が刻まれる度に怒りが灯り、少年が苦悶な表情に変わる度に拳を握りしめた。だというのに、立ち上がることが出来ない不可解に漸く回答を得ることが出来た。

 自身にはない力、心意を想いのままに使いこなす怪物。だと言うのに、茅場の心は萎えることなく今もなお沸騰していた。頭の中ではどうやって殺すか、これしか考えられない。

 

 

「おいおい、そんな眼をするなよ。貴様には本当に感謝してるんだぜ俺ぁ」

 

 

 その思考は視線としても現れており、射殺すかのような眼を向けられていたPoHは肩を竦めて続ける。

 

 

「貴様はこの世界と、この力を俺に与えてくれた。そしてコイツとも――――“俺の恐怖”とも出会わせてくれた」

「俺の恐怖、だと?」

 

 

 平静な声色だった茅場のそれが、若干の苛立ちを込められたモノに変わる。それは僅かな、ほんの僅かな差異であり、気付ける者は誰一人としていない。

 

 それはPoHも例外ではなかった。倒れている少年に、ゆっくりとした足取りで近付く。

 殺人鬼は喜々とした表情で片膝をついて、愛しい存在に近付くように慎重に、壊れ物を扱うように、倒れている少年の頭を撫でた。その頭髪は金色、輝かしい金色の髪の毛だった。

 

 

「コイツの出会いは運命と言っても良い。俺がクソッタレな現実世界を生きてきたのは、コイツとここで出会える為だ」

 

 

 浮かべる笑みは、下卑た笑みではなく他人を慈しむような慈愛に満ちた笑み。自分本位で行動する人間が出来る表情ではない。自分よりも他人を優先にするよう人間のような、存在感を今のPoHから放たれていた。

 だからこそそれはより、明確に狂っている。殺人鬼が浮かべていい表情ではないのだから。

 

 

「コイツの怒り、憎しみ、全てが心地よいモノだった。闇には闇の理解者が必要であるように、俺にはコイツが、コイツには俺が必要だった。だというのに、コイツの牙は折れちまっている。心にあった闇がいつの間にか消えかけている」

 

 

 だから、と言葉を区切り変質した友切包丁(メイト・チョッパー)の剣先を茅場に突きつける。

 引き裂くように、言葉に善意を込めて、殺人鬼は要求する。

 

 

「――――ゲームマスターの権利を俺によこせ。デスゲームは終わらせない。もう一度地獄を創り出して、コイツの牙を取り戻す」

 

 

 ゲームマスターとしての権利。

 それは文字通り、この世界を思いのままに支配できる代物だ。

 だからといってHPバーがなくなれば、ゲームオーバーとなり現実の死が待っているという絶対のルールだけは覆せない。だが言ってしまえば、それ以外は変革できるという事実に直結する。

 自身を無敵にすることも出来るし、撃破不可能のモンスターを生み出すことも可能。一日一人プレイヤーをキルしなければ、自動的にゲームオーバーになるという世界に改変することも可能である。

 

 

 思わず茅場から笑みが溢れる。

 小馬鹿にするように、口元を小さく歪めて、侮蔑しきった声色で口を開いた。

 

 

「馬鹿か君は。私が素直に渡すとでも?」

「俺としては別にどうでもいいんだがな。“力”を使って強奪しちまえばいい。アンタに選択肢を与えたのは、せめてもの礼だ。この世界を造り、“俺の恐怖”と引き合わせてくれたせめてもの礼さ」

 

 

 人を恋のキューピットのように称す彼が、虫唾が走った。

 茅場は奥歯を噛み締める。ふざけるな、と。不快に、不愉快に、忌々しげに、苛立ちを隠すことなく茅場は目の前の殺人鬼を睨みつける。

 

 その程度の理由で、そんな浅い考えで、自分の甥を傷つけられて怒りを露わにしていた。

 茅場はその胸に負の感情を抱いていたのは、そんな理由だった。自身の世界を滅茶苦茶にされかけているよりも、自身の腕を斬り落とされたことよりも、目の前で今も倒れている少年のために、茅場は感情を露わにしていた。

 

 

「……ヘイヘイ、まさか貴様キレてんのか?」

 

 

 その問いに茅場は無言で貫き、穿つような視線で応じる。

 対するPoHは――――。

 

 

「プ――――」

 

 

 堪えきれないと言わんばかりに――――。

 

 

「ギャハハハハハ――――っ!」

 

 

 爆笑を、その口から弾かれていた。

 もう堪えきれないと、苦しそうに背をくの字に曲げて、腹を抱えて笑う。

 

 

「オイオイ、マジかよ貴様。少し前まで、俺も貴様も似たような者だったろ。血も涙もない、大量殺人犯だっただろ。なのに何だ貴様は。今更情でも湧いたのか?」

 

 

 そう言いながら、PoHは引き裂くように口元に笑みを浮かべて、茅場に近付く。

 そして座り込んでいる茅場に視線を合わせるように、両膝を折り事実だけを告げる。茅場が自分の罪から逃げないように、自分という罰から目を逸らさせないように。

 

 

「貴様も俺も、一生闇の中なんだよ。アイツを一人救った所で、今までの人生がチャラになるわけがねぇだろ。貴様は何者も救えないし、貴様は絶対に救われない」

 

 

 そんなこと、茅場が一番理解していた。

 本当に今更だ。今まで少年を含めて、ありとあらゆる存在を利用してきた。踏み躙り、屍の山を築き上げ、その頂点に君臨してきた。地獄があるのなら、特等席は自分が座ることになるだろうという覚悟もある。

 だが、だからといって――――家族が傷つけられて黙っていていいという理由にはならないだろう。

 

 少年は茅場にすら手を差し伸ばしていた。

 殺すのではなく、止めると剣を振るい、その先の道すらも示してくれていた。

 そんな人間を、過ちを気付かせてくれた家族を傷つけれて黙認できるほど、茅場は少年との絆を断ち切れてはいない。

 

 

「……なるほど。その様子から見るに素直に俺に権利を譲渡するつもりはねぇ、と?」

 

 

 口も開かない。反応もなく、頑なに視線のみで茅場は応じる。

 ヤレヤレ、とPoHは大げさに肩を落とし首を横に振る。それから立ち上がり、友切包丁(メイト・チョッパー)を握りしめて。

 

 

「それじゃ死ねよ半端者。安心しな、貴様の後釜はこの俺が座ってやるからよ」

 

 

 振り上げる刃に、茅場は目を背けない。

 彼は最後までその凶器を目に焼き付ける。死ぬ間際まで、自身の脳天に刃が抉り込むまで、茅場晶彦は目の前の殺人鬼を睨めつける。

 だとしてもそれだけの反抗で、殺人鬼の刃が鈍る筈がない。予定通り、従来通り、予想通り、茅場は為す術なく凶刃の刃に抵抗できずに――――斬り抉られる。

 

 

「あ?」

 

 

 ――――筈だった。

 殺人鬼は掲げた刃を振り下ろすこともなく、間の抜けた声を上げて振り返る。同時に――――。

 

 

「――――――――」

 

 

 ――――斬り飛ばされていた。

 文字通り、いつの間にか背後に立っていた存在に、横一線に振り抜かれてPoHは反応できることもなく吹き飛び壁に激突する。

 ダメージよりも衝撃が勝ったのか、吹き飛ばされたPoHの顔面は信じられないモノを見るような、衝撃的なそれだ。

 

 茅場も同じようなもの。

 その存在は斬り飛ばした後、よろめきながら茅場を守るように殺人鬼と対峙していた。

 茅場から見た背はまだ小さい物。とてもではないが、青年とは程遠くまだ少年のそれだ。だがどう言うわけか、その背は何よりも逞しく、何よりも気高いモノであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ズン、という重い音が聞こえた。

 それは剣を地面に突き刺す音。満足に立つことも出来ないのか、全身の身を預けている。

 鼓動が聞こえる。何度も味わった躙り寄る死の気配を、感じ取る。拭いきれない、何度味わっても慣れることのない怖気に震える。

 だがどうした。たかがその程度、所詮はその程度。自分は生きている。ここで終わりではない。ならば立ち上がれる――――。

 

 

「――――勝、手に話を進、めるな」

 

 

 その存在、少年――――茅場優希は何度も立ち上がる――――。

 

 

「不死身か、貴様は……」

 

 

 余裕の態度だった殺人鬼はそのメッキが剥がれ、明らかに動揺していた。

 少年がどれほど重症だったのか、それは斬り合ったのだから熟知している。もはや立ち上がることすら奇跡であったはずだ、剣を振るえる事自体があり得なかった筈だ。なのに、少年は、再び、立ち上がっている。

 あまつさえ、先程はなった一撃は、何よりも重たいモノだった。それこそ、決してありえない、ありえてはならない。

 

 今も優希からは、ミシミシと身体が軋むような嫌な音が聞こえる。更にその身体からは、血液のような鮮紅色の光点を噴出させ、怯えることなく蒼い双眸は真っ直ぐにPoHだけを見つめていた。

 

 だからこそ、殺人鬼は首を横に振る。

 ありえない姿を、幻視してしまった。

 何度も立ち上がる、唯の人間が、何の力も持たない何一つ才能を持たない少年に、ありえないものを重ねてしまった。

 歯を食いしばり、苦難を物ともせずに、諦めを踏破し尽くし、何者かの為に、何度も立ち上がるその姿に――――“ヒーロー”なんてありえない姿を連想してしまった。

 

 

「まさかと思うが、俺を倒し、茅場を救う気か?」

 

 

 動揺を悟らせないように、“余裕”を演出するようにしてPoHはゆっくりと立ち上がる。

 少年は自分と同じ、闇の存在だ。世界を呪い、どうしようもない怒りを自身の中に内包した、もう一人の自分とも呼べる存在である。そうでなくてはならない、と自身に言い聞かせながら殺人鬼は続ける。

 

 

「ソイツは俺と同じクソ野郎だろ。なのに貴様は、救うというのか?」

「関係ねぇんだよ」

「正気か? その男は俺と同じ殺人鬼だ。助けて貴様に何のメリットがある?」

 

 

 PoHのもっともな言葉に、優希は迷わなかった。。

 当然のような口調で、不自然な内容を口にする。

 

 

「誰であろうと、オレの手が届くのなら助ける。命に大も小もねぇんだ、例えかっこ悪くても無様でも、しがみついてでも、オレは助けたい」

「――――」

 

 

 言葉を失った。

 眼の前に立っている少年の異常とも言える潔白過ぎる精神に、今度こそ言葉を失う。

 

 

「あとな、ぶっちゃけメリットだとか特別な理由はねぇんだよ。コイツがたまたま、オレの手の届く範囲にいたからついでに助けただけさ」

「ついで、だと……?」

 

 

 訝しむような眼でPoHは少年を見ると、何てことはない極めて軽い口調で優希は応じる。

 

 

「テメェという存在が気に入らない。テメェのような汚物が企んでいる何もかもをひっくり返してやらなきゃ、オレの気がすまねぇ」

 

 

 オレが立っているのはその程度の理由だ、と優希は暗に語る。

 だがPoHはそれこそありえない、と否定するように首を横に振った。

 

 明らかに優希が立ち上がったのは、一度程度で倒れて諦めずに立ち上がったのは、明らかに――――茅場晶彦を守るためだ。

 今だって優希はフラつきながら、呼吸も肩で息をしており、片腕だって千切れたままだ。勝ち目などない、勝ち筋など途切れている、勝機など見えない。そんな状況下で立ち上がれたのは、守る存在がいたからこそだろう。

 

 叫びたい衝動に駆られながらも、PoHは耐える。

 

 

「なるほど」

 

 

 それだけ言うと、PoHはゆっくりと歩く。

 顔を伏せて極めて静かに、不気味なほど静寂を保ちながら、反復するようにこの現状を飲み込む。

 

 

「なるほど、わかった、そういうことか」

 

 

 そして顔を上げると同時に――――優希の視界から消えて。

 

 

「もういい」

 

 

 ガギン、と金属同士がかち合う轟音が鳴り響き、辺りに火花が散る。

 

 横一閃。

 優希の首を狙った殺人鬼の凶刃は、寸前の所で防がれる。

 防げたのは奇跡に近い。優希の第六感が警報を鳴らし、首を愛剣で辛うじて守っただけだ。決してPoHの速度に追いつけている訳ではない。

 

 現に咄嗟に反応したせいで、優希は充分な態勢で受け止められずに一撃で吹き飛ばされて床に転がる。

 何とか踏み止まり、顔を上げた頃には何もかもが遅かった。

 

 

「貴様がそこまで堕ちたというなら仕方ない」

「……っ!!」

「俺がもう一度、思い出させてやる。貴様がどんな人間なのか、貴様が何故“恐怖”と恐れられていたのか」

 

 

 優希の眼には、魔剣を振りかぶったPoHが映っていた。

 絶体絶命、かつてない身の危険。為す術などありはしない、このまま抵抗する間もなく振り下ろされることだろう。

 

 だがそれでも、優希は諦めることなくPoHを睨みつけていた。

 絶望に朽ちることなく、希望を捨てることなく、命を投げ出さない。

 その態度が不快に映ったのか、PoHは顔を顰めて感情なく言い捨てる。

 

 

「達磨にしてやるよ。貴様なら両手両足斬り落としたところで、“その程度”じゃ死なねぇだろ?」

 

 

 戸惑いなどありはしない。

 容赦なく、一片の慈悲などなく、殺人鬼の刃は振り下ろされる。そして――――斬、という音が辺りに鳴り響く。

 

 

 

 

 静寂。

 PoHの刃は、身体に食い込んだ。

 それは文字通り、他人の命を吸い強化されていた魔剣は、今回も同じように他人の身体を傷つけて、その生命を燃料とし自己を熱していく。

 

 だというのに、PoHの表情は奇妙なものだった。

 達成感も、不快感も、ましてや悲壮感もない。あるとすれば――――疑問。眼を見開き、自分が傷つけたありえない存在に、呆然と問いを投げた。

 

 

「貴様が、どうして……」

 

 

 それは優希も同じだった。

 自身に食い込む筈の刃は、その者の身体に。

 両手を広げて優希を守るように、肩口に深くPoHの魔剣が抉っていた。

 見覚えがない背中、されど見覚えがある気配。何度も眼にしてきた、何度も感じてきた。幼い頃から見守られてきた者の名を、優希は思わず口にした。

 

 

「晶、彦くん……?」

 

 

 間に入るように、その者――――ヒースクリフ、いいや茅場晶彦は立っていた。

 その両の手は無手。最強の剣士の象徴とされる剣も、神聖剣の証ともされる十字盾もその手にはない。ただ自身の甥を守る為に立ち上がった、茅場晶彦というただの人間がそこにいた。

 

 PoHは身体を後ろに引く。

 動けない筈なのだ。PoHの心意による強奪は絶対、行動を奪ったのだからもう二度と動けない筈だ。

 

 なのに、どうして、どうやって、何が。

 疑問が疑問を生み出し、答えが出ないまま新たな疑問が浮かぶ。

 

 

「何をした……?」

 

 

 未だに実感を抱けないまま、PoHは呟いた。

 答えなどでない。出ないが、このままこの場にいては危険である、とPoHの経験が告げているのか。殺人鬼は後ろに下がろうとするも、茅場がそれを許しなしなかった。

 

 グッ、と。

 片手で友切包丁(メイト・チョッパー)を掴み、PoHをその場に留まらせる。

 

 舌打ちは聞こえた。

 忌々しげにPoHは顔を顰めると、全力で刃を引き抜こうとする。だがそれでも――――。

 

 

「貴様……っ!」

 

 

 ビクともしなかった。

 どれだけ力を入れようとも、ピクリとも動かない。

 ならば、とPoHは押し込めた。離脱が無理ならば、邪魔な茅場から先に消してゲームマスターの力を“強奪”してしまえばいいだけのことだ。

 

 

「彼のような男に、奪わせはしない」

「あぁ?」

 

 

 口を開かなかった茅場が、漸く口を開く。

 PoHにとってそれは意味がわからない言葉だった、茅場は一体何を言いたいのか理解が出来ない。何故なら――――。

 

 

「私は告げた。私を倒せば、生き残っている全プレイヤーを現実世界に戻すと」

 

 

 何故なら――――。

 

 

「ならばその先はありえない。私が君に倒された時点で、その先はありえてはならない」

 

 

 何故なら――――その言葉は、殺人鬼に向けられた言葉ではないのだから。

 

 

「これまで私も君達も、彼の掌の上だったのだろう。ここで私が倒れるのも計算し、彼は行動していた。ゲームマスターの力を得るために」

 

 

 そして今度こそ、その言葉はPoHに向けられる。

 

 

「だがその先は白紙だ。ここで彼を倒せば、何もかもがご破産になる」

「なんだ、まさか貴様が俺を殺すというのか? 何も武器を持たない、貴様が?」

「何を馬鹿な。もう一人、いるじゃないか。剣をその手にしている人間が」

 

 

 それが誰なのか、この場にいる全員が理解した。

 PoHはその者に視線を向けて、その者も自身の手にある愛剣に視線を向けた。

 

 それから直ぐに、PoHは皮肉気に口元を歪める。

 小馬鹿にしたように笑みを零して、そんなことは出来ないと断じる。

 

 

「出来ねぇよ。以前ならばそれも出来ただろう。だが今は、牙の抜けたソイツには絶対に出来ねぇ――――!」

「彼は私達とは違う」

 

 

 しかしPoHの予想を覆す否定があった。

 茅場は一秒も間も置かずに、静かに否定する。

 

 

「彼は選択から逃げない。痛々しく真っ直ぐで、誰よりも先へ進む彼は、決して逃げない。君如きが彼を語るんじゃあない」

 

 

 それに、と言葉を区切り茅場は続けた。

 

 

「彼にも、どうすればいいのか、何が最善なのか、わかっている筈だ」

 

 

 そう、わかっていた。

 何をすべきなのか、どうすればいいのか、“彼”は理解していた。すでに選択肢などない、最初からそれしかなかった。

 このまま茅場が殺され、PoHがゲームマスターとなってしまえばそれこそ終わりだ。真のデスゲームの始まり、現実世界へ帰還することなど不可能となるだろう。

 ならばこの場で、この状況で、PoHを倒すしかない。

 

 わかっていた、わかっている。

 それでも心が、理解を示すことを拒否している。

 

 時間がない。五秒もかからずに、茅場は殺されてその力を簒奪されることだろう。

 最短で倒すにはどうすればいいのか、立つこともままらないこの身で何が出来るのか、剣を振るう余力もない。

 

 ならばどうすればいいのか、何が出来るのか―――――。

 

 

「あ――――?」

 

 

 何かを口を開いたPoHが間の抜けた声を上げた。

 トン、と衝撃が胸部を貫いていた。ゆっくりと、視線を下げると――――刃が突き立てられていた。

 それは茅場を貫いて、自分をも貫いている。

 

 それが誰の仕業なのか、理解すると思わず笑みを零した。

 嬉しそうに、楽しそうに、待ち望んでいた光景。自身を殺す少年の姿に、高揚とした口調で言う。

 

 

「ヤれば出来るんじゃねぇかよ――――俺の恐怖」

 

 

 刃が震えた。

 怒りからか、悲しみからか、失望からか。その刃は震えていた。

 その震えは両手から、両肩から伝い刃へと流れて行く。

 

 守りたい者があった、止めたい者があった、捨てたくない者があった。

 だがどうしようもなかった。何かを守るのなら、何かを斬り捨てなければならない。

 小を救えば大は救えない、大を救えば小を救えない、救うことを拒否すれば何もかもを救えない。袋小路、どうしようもない状況で“彼”――――茅場優希は結論を出した。

 

 大を救う為に、小を斬り捨てる覚悟を、心が欠けそうなりながら、悲痛にも優希は結論を出した。

 

 慟哭は口の中で、耐えるように歯を食いしばる。

 カタカタ、と震える。

 後悔、憤怒、絶望、失望、ありとあらゆる負の感情が刃を震わせ、貫かれている茅場の身体に伝わる。

 

 

「すまない、優希君。君には苦労をかけっぱなしだな――――」

 

 

 そこまで言うと肩口から視線を優希へと落す。そしてハッと眼を見開き、茅場は眼を閉じる。

 目に映ったのは一滴。優希から流れた物を確かに見た。

 

 

 ――君は兄さん達が亡くなっても泣かなかった。

 ――君の涙、初めて見るな……。

 

 

 辺りに木霊する。

 世界に鳴り響く無機質はアナウンスは告げる。

 

 

               ――――ゲームはクリアされました――――

 

 




 次回でアインクラッド編は最終回です

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