夜の帳が落ちようと、お祭りの足音はまだまだ耳に届く。近場の酒場では労働者たちが大声をあげ、明日の英気を養っている。ワインやビールの香りが店の外まで漂ってきそうだ。
そこに混ざる様に、流れてきた音楽隊が楽器をかき鳴らす。更に売り上げを伸ばそうと、酒を両手に抱えた小僧たちが、ホールを駆け巡りチップをねだる。
街はまだまだ眠りそうにない。
住宅街に建ち並ぶ窓からこぼれる、ランプの明かり。その陰に映るのは、針仕事を熱心に教わり教える親子の姿。祭りの熱気が、今か今かと爆発の時を待っていた。
時はちょっと戻り、街のパン屋。傾いた日がオレンジ色に煉瓦の壁を明るく照らし出している。
喧噪を抜けて、木の階段を昇り、パン屋の二階部分。いくつかの部屋があり、その中の空き部屋を使わせてくれるそう。
もともとは宿屋でも経営していたのか、客間のようなものがあり、そこに通された。
ぎぃ、とドアを開けると窓が開いていたのか、ふわりと外の香りと喧噪が飛び込んで来る。落ちかけた陽の光が忍び込むその部屋を、くるりと見渡す。
「あー、久々のベットだ」
思わず声が出てしまう。簡素な木組みと藁にシーツを掛けたベット。こじんまりとはしているが清掃が行き届いていて小綺麗な印象を受ける。
しばらくはここで寝れるんだと思うと、思わず頬がにやけてしまう。
そんな素敵な夜に思いを馳せていると、すぐ後ろから声が掛かる。
「あの、この部屋で大丈夫ですか?」
にやけていると後ろから声が。ふんわりとした金髪を揺らし、首を傾げる女の子。少し心配そうな色を浮かべる、優しそうなたれ目がちの目。その視線が私へと向いていた。
部屋に入った瞬間に、忘れていたとは言えず、つい声が裏返る。
「え!? あ、もちろんです! 充分過ぎますよ!」
「あ、良かった。ここは自慢の部屋だったんです」
にこり、と柔和な表情を浮かべる彼女。その後、部屋のあれこれを説明してもらい、礼を言う。すると、困ったら下に降りて来て下さいねーと、部屋から出ていく。
ぱたん、と扉が閉まる音を聞き。ふぅ、と一息。思わず独り言が漏れてしまう。
「あー、本当に感謝しなきゃねー」
そんな事を言いつつ、ブランシェの真白い毛並みをわしゃわしゃする。ちょっと迷惑そうに目を細めるが、されるがまま。そんな態度に感謝しつつ、抱きかかえるように抱きつく。
「んー、ふさふさ」
ブランシェに掛ける独り言。そんな行動はいつものことで、ブランシェも慣れたもの。迷惑そうに尻尾を振りつつそのままにしてくれる。
「んー、ありがと」
ついついウトウトとしてしまいそうになるが、なんといっても今日は寝床がある。吹きっ晒しの中、ブランシェに抱き付きつつ眠る必要もないのだ。
こんなありがたい状況になれたのも、先ほどの会話から始まる。
「コ、コンニチハ」
昼間に出会ったパン屋さんとの再会。色々と聞いた後なのでちょっと気まずいものの、背に腹は代えられない。
そんなギクシャクとしたやり取りを感じ取ったのか、女の子はこちらとあちらに視線を交互に向ける。
「あれ? 二人とも知り合い?」
その言葉を聞きおやじさんと顔を見合わせる。そんな状況に口火を切ったのは親父さん。
「あー知り合いって程じゃないんだが……とりあえず、うちの娘がお世話になったみたいだな」
ちらり、と視線が向けられる。そんな視線に先程道に迷っていたのもあり、手をぶんぶん振って否定する。
「いえいえ、大した事ではないですよ!」
「しっかしまぁ、本当に騎士様だったとはな」
そんな親父さんの声。感心したようなそんな様子は、私にとってはちょっと慣れない。こそばゆいというか端的にいって褒められ慣れてないのだ。けれど、寝床も確保したい。そんな思いの間を彷徨っていると、困っている私を見かねてか、金髪の子が私の手をとり、現在の部屋まで案内してくれた。
ちなみに彼女は階段の途中で名乗ってくれた。彼女はカロリーナ。キャロと呼んでほしいと言っていた。
名乗られつつもちょっと気まずい空間を脱出。正直助かった。という気持ち。当の親父さんは、まだ言いたいこともありそうだったけど、特に何もいうことなく私たちを見送っていた。
そんな訳で、案内も一段落し、人心地つく。この部屋は祭りが終わる頃までは貸してくれるそうで、肩の荷が下りた気持ちだ。
ブランシェをモフった後、ベットに腰を下ろす。久しぶりの感触を味わい、ボフボフと身体を上下させる。結構楽しい。パタン、と横になると、床越しに親父さんの下ごしらえの音が階下から聞こえてくる。
なんだかんだ馬車旅に疲れていたのか、瞼が重い。つい、うとうとしてしまう。
くわぁ、とあくびを一つ。結局、夜の喧騒が冷めやらぬままに私は蝋燭を消した。
「じゃあ、ブランシェおやすみー」
──雨が、降っていた。
ぽつぽつと自分にあたる。
枝よりも細い自分の腕が見える。ぽつりと私は言葉を零す。
「おなか……すいた……」
レンガに挟まれた狭い空を見上げ、ぼろきれを抱きよせる。
「さむい……」
雨はいつまでも止みそうになかった。
かんかんと鍋を叩く音が遠くから聞こえる。ごうごうと、朝を告げる宿の主人のけたたましい声が、遠雷のように窓をすり抜けた。すでに炊事の煙は立ち上り、忙しそうに走り回る商人たちの足音が耳元まで届く。
部屋には階下で焼き上がるパンの香り。全てをない交ぜにした朝の景色が出来上がっていた。
「う、うーん」
耳に届く音で目が覚め、薄いブランケットの中で、もぞもぞと足を動かす。固い地面のはずなのに何故か心地いい。しばらくもぞもぞとした後に、あれ、と違和感を覚え、むくりと起き上がった。
「……ベット?」
寝ぼけた目をこすりつつ首を傾げる。えーと昨日は確か。とベットの近くにある窓をのぞき込む。騒がしい往来の中で野良犬が果実屋の前をうろうろとし、物乞いが朝から熱心にパンを乞うている。しばらくぼーっと外の世界を眺めていると。
「ワン!」
そろそろ起きなさいと、ブランシェが一鳴き。その声で、私は覚醒へといざなわれる。
んー、と、背伸び一つ。体が小さくぱきぱきと音を立てた。そしてあくび混じりに挨拶を返す。
「ふぁふ、おはよう。ブランシェ」
「ワン」
と、もう一鳴き。尻尾もぱたりと一振りし応える。
ぼけーとしつつも、この部屋に満ちるパンの香りをいい香りだなーとばんやりと思いつつ、ぽりぽりと体を搔く。
「そういえば、水浴びしたいな」
そんなことを呟いていると、ドカンと扉が開く。
「おはようございます! オリヴィエさん! お風呂沸いてますけど入ります?」
「うわぁっ!?」
なんだかんだいっても田舎のこの街。おおらかなのは分かっていたけど、ここまでだとは思わず、ベットから転がり落ちる。
なんとか受け身を取りつつ、低い姿勢のままにキャロの方を見ると、口に手を当て驚いている様子。
「あの、ごめんなさい。そこまで驚くとは思ってなくて……」
「あ、あはははは。いやうん、よくあることだから」
笑ってごまかす私。ブランシェの方を見ると、驚きのあまり目を大きくしてドアの方を見て固まってる。……いやうんそうだよね。
固まっている空気をどうにかしようと、とりあえず話を進めてみる。
「あ、そうそうお風呂だったよね! じゃあボク、入ってくるね!」
「……ボク?」
と、開け放たれた扉をくぐり抜けてそのまま廊下へと飛び出す。ばたばたと階段を降りようとすると、後ろから声が追いかけて来る。
「お風呂そっちじゃないですよー!!」
「あ、あはは。……はい」
くるりとUターン。そのままに、そそくさと指さす場所へ。
──お風呂。実はあんまり馴染みのないものだったりする。
私が住んでいた場所には縁遠いものだったし、今の立場、特に旅の最中なんて野宿が多い。水浴びとかの方が必然的に当たり前になってしまう。それもこれも……いや、とりあえず考えないようにしよう。
宿に泊まる事もあったから、その時にお風呂利用してるから使い方とか分からない訳じゃない。うん。水の代わりにお湯が張ってある釜だもの。間違えようがない。
ガチャリと扉を開けると、もう一つ奥に扉が見える。どうやら脱衣所のようで、編み籠がちょこんと置かれていた。室内はパン窯を彷彿とするような蒸し熱さ。収穫間近の時期なのに、じんわりと汗が滲んで来る。
熱さたまらず、ぱさりと長袖の肌着を脱ぎ捨てる。ついでに、んーと呻き声上げながら、ぐぐぐと背伸び。これが気持ちいい。
いざ入るぞと、色々脱ぎ捨てガチャリと扉を開ける。
「……あれ?」
木組みの部屋に声が反響する。困ったことに、私の想像と違っていたのだ。私の経験だと鍋とか浴槽が置かれていて衝立が置かれているものだったのだけど、そういったものが無く、湯気が立ち込めている。(あとで教えてもらったのだけど、これはパンを焼くときの熱を利用した「蒸し風呂」と言うらしい)
ただ、この時、私は深々と観察出来なかった。なぜなら──
「騎士様、お背中流しますねー」
「え? あ、ちょっと!」
ガチャリと音を立てつつ、脱衣室に入って来るキャロの声を聞いてしまったからだ。
そんな音と、行動に驚きつつ、一瞬自分の身体を見遣る。
(うげ、油断したかも……)
素直にそう思う。いつも水浴びの際はブランシェが吠えてくれるので、誰かが入って来る可能性を失念していたのだ。
だって、私の身体は……
「はい、騎士さまー観念してくださいねー、私のマッサージを──」
風呂の扉が開いた音に続いて、彼女の持つタオルが落ちる音が聞こえる。
彼女の視線が彷徨って、私の身体を這っていく。別に分かんないことじゃない。私だって逆の立場だったらそうする。
「あの……その傷は……? オリ、ヴィエさん?」
何かいけないものを見てしまった。そんな風に怯える相貌がゆったりとこちらへ向く。
……そう、私の身体。正確には、急所と言えるような場所以外には、傷跡がまんべんなく残っている。それは戦争の傷跡でもあって、でもこの傷なくして私はここには立っては居なかっただろう。
とてもじゃないが人に見せられるような身体ではない。
身体を隠そうとして、やめた。そして、今も怯えるキャロに向かって、わたしは、笑顔を「作る」。
「あははははは、見られちゃった? ごめんねーこんな身体で。傷だらけで気持ち悪いでしょ?」
「いえ……そうじゃないです……」
「いいよ? 無理しなくて。とりあえずタオルだけ置いて出ていきなよ」
ちょっと言い方が荒くなったかも。と思いつつも出て行ってもらうように促す。正直このままじゃ気まずいだけだ。
すると、キャロは何故か腕まくりをし始める。
何をするのかな。と思いつつ見ていると、その両腕を私に向けて差し出して来た。
「オリヴィエさん……これ見て下さい」
そう言われ、腕をまじまじと見る。金髪で背が高く若干おおらかな所はあるものの、美人の条件は整っているキャロ。彼女の持つその手は、皮が厚くとても逞しさを感じる形であり、腕にはたくさんの火傷痕が残っていた。
「これはかまどを触っちゃった痕。これは油が跳ねた痕」
しかも傷跡の説明もしている。いたたまれなくなって止めると、キャロはいつの間にか怯えの消え去った目をこちらに向けた。更に彼女はにっこりと笑う。
「オリヴィエさん。私だってパン屋の仕事のせいで傷がたくさんあります。ですから、仲間。ですよね?」
「いやいや、私はアレだから」
「いえ、どっちも仕事での怪我です。違いません」
何故か押しの強い、彼女に言い込められる私。これ以上やっても彼女のペースだと思い、口を閉ざす。
「はい、じゃあマッサージ受けてくださいねっ!」
結局、押し込められて色々とされることに。痛くないですか? とか聞かれつつ、身体に触られる。元々いた場所ではまずありえないような対応。
元いた場所なんて、見られても色々と言われるだけで、こんな風な人ほとんど居なかった。……まぁ、例外は居たんだけどね。
世界って意外と広いのかも?
そんな事を思いつつもお風呂から出る。チップをきっちりと渡し、長袖に腕を通す。そして、今度はブランシェと共に一回のパン屋へと降りて行った。
「おう、嬢ちゃん。良く寝れたかい?」
「あ、おはようございます。とても良く寝れましたよ!」
「そうか、そいつは良かった」
にっこり笑顔な親父さん。パンはいるかい? と聞いてきたけどやんわり断って、朝の喧騒へと身を躍らせる。とりあえずの宿は確保出来たので、お次は祭り前の空気を全力で吸い込もうと、大きく深呼吸。
風に運ばれて来た麦の香りと、香ばしいパンの産声。荷馬車の音に運ばれて、ロバが小さく嘶く。雑踏の中に含まれる歓喜の色と期待の味。朝の景色は、独特の色を混ぜ込んで町を取り囲んでいた。
革靴で土を踏みしめる。色々あったけど、まずは腹ごしらえ。もう一度背伸びをしつつ、町を見る。
──さて、何を食べようかな。立ち並ぶ屋台に目を向けると、自然と口がにやけた。