雑踏に踏み入れると、熟れた果実の香りから、知らない香辛料の香り。シナモンだろうか? 知らない香りの中に知った顔も混じってる。
そんな異国に来たんだなぁ、と感じるような香りが鼻先を掠めて朝の景色へと消えていく。ブランシェも鼻がむずがゆそうな表情を浮かべてる。……気がする。
朝からこんなにも出店やら露店がひしめき合っている。聞くところによると、祭りが近いのも相まって近隣や遠方の様々な人たちが集まってきているらしい。
耳を澄ますと、ざわめきの中に神の教えを説いていたりする声も聞こえたりもする。そんな感じに朝の喧騒はちょっと混沌染みていた。
声を掛けられたり、人にぶつかったり、朝日を浴びた糸の素晴らしさを聞いていたりしたけど、そろそろ物珍しさも限界。おなかがキュルキュルと鳴りだしている。ひょいと露店を離れ、食べ物の匂いにつられるようにふらふらと歩く。
お腹が主張する通りに、美味しそうな匂いのする場所に足を運んでいく。朝ごはんはやっぱり重要だよね。
ちなみに本来は朝ごはんは食べる人食べない人様々だ。家畜になるぞなんて脅し話があったり、単純に食べる暇がなかったり、習慣がそもそも根付いてなかったりと色々あるけど、そんなので食べないなんて贅沢だ、なんて私は思う。
だって現に、お店は出店しているし、チキンの塩漬けやら、名物のパンやらがずらりと並んでいる。中には今朝方処理したお肉を焼いている店もあって目を引いている。そんな中で食べないのはきっと私には出来ない。というかしたくない。
ちなみにここは麦の名産地。なので、パンの麦から作ったビールなんてものもあったりする。美味しいかどうかは別として、冒険者なんだか旅人だかよく分からない格好をした人たちが、それを片手に朝から、あから顔で騒いでいる。
そんな騒がしい人たちを横目に私も私で、りんごを齧りつつも店を回る。一番の注目はやっぱり新鮮なお肉だったりするけど、あまりにも人が多い。流石にそこで待っていたらいつの間にかお昼になっていそうと、泣く泣く見送った。
次に、目星をつけたのは、露店から漂う独特の香り。大鍋をかき回すお店へとふらりふらりと歩いていく。
大鍋の中身こと、私の目的の近くにやってくると、ふわりと香るここら辺の動物だろうか? いわゆるジビエみたいな独特の香りと、煮込まれたニンジンやらカブ。ぶどう酒につけ込んだパンをつなぎに使ったあるものが煮込まれている。それは、私たちにとって馴染み深いあの食料。
「んー、シチューのいい香り」
ただようシチューの色香に吸い寄せられるように近づいていく。収穫時期のこの頃。私じゃなくても長袖が増え始めている。そんな肌寒くなってきた今日この頃。そんなときのシチューは誰であっても虜になるはず。
お腹が限界と不平不満をあげている。そんな声に逆らわずに店へと入っていく。店主に銅貨を手渡し、器を受け取った。
お皿を覗き込むと、良く煮えた野菜たちと、お肉の匂い。先程の香辛料も入っているのか、この土地独特の香りと濃く煮込まれたスープがお腹を刺激する。
さらにこれは欠かせないと、カリカリに焼き上げられたバゲットも注文し、もう一つチップを渡す。
さて、いただきます! としようとしたところで、ブランシェの恨めしそうな目が視界に入る。いけないいけない忘れてた。と干し肉を注文し、塩を落としてから、ひょいと放り投げた。それを上手い事キャッチするブランシェ。相変わらず芸達者だ。
仲良く朝ごはんを終え、また町へと繰り出していく。開けた広場に出てみると、朝から騒がしい光景が広がっている。
お祭りで使うのか、やぐらのようなものが組み上げられている。その下では親方さんが怒号を飛ばし、小僧さんやらお弟子さんがひーひー言いながら物を運んでいた。
そんな光景を横目に、ふんふんと鼻歌交じりに広場を横切っていく。旅行者は気楽でいい。大変そうだなー、なんて思いつつも広場を後にした。
お腹膨れたし、どこへ行こうかなとプラプラしていると、何やら店に向かって貴族風の人が罵声を飛ばしている。ご飯が気に入らなかったとかだろうけど、お金あるのに暇だなぁ。とかそんな事を思ってしまう。
とりあえず、祭りの際に現れるスリとかを躱しつつ人の波に乗っていく。ブランシェはそれなりに大きいので踏まれることはない。けど、様々な臭いとか気になる様でちょっと難しい顔をしてる。ごめんね、の意味を込めて頭を撫でつつ煉瓦やら木の街を進んでいく。
いつの間にか見覚えのある風景。歩いている内に昨日も来ていた場所にたどり着いていたようで、辺りを観察。すると、見覚えのある後ろ姿を発見した。
キャロがまるで昨日の再現かの様に路地裏へと入っていくのを見て、こっそり後へついていく。せっかく仲良くなったのに、昨日みたいになったら嫌だ。
狭い道を抜けていくと、聞き覚えのあるトンテンカンテンという金槌の音、モクモクと煙を上げる煙突。煤だらけの周辺、暗い路地裏に吊るされたランプと看板。路地裏にそんな鍛冶屋が現れた。農具でも取り扱っているのか、それなりに繫盛しているような様相だ。
そんな鍛冶屋の目の前で、キャロは立ち止まる。そして古めかしくて重厚な扉をノックをした。そんな様子に、なんとなく邪魔してはいけないと思ってブランシェを細い道に押し込みつつ、私も隠れる。
ぎぃ、と扉を開けたのは、まだ若い男。鍛冶屋の作業着で身を包んでいる。その顔立ちは幼さを残しつつも、精悍な未来を予想出来そうで、ちょっとカッコいい。
そんな彼に、キャロは手に持っていたバスケットを渡す。そしてそのまま話し始めた。その横顔はとても可愛くも美しい。そういった事に疎い私でも、恋をしているんだな。と分かるような表情を見せていた。
話まで聞いてみたかったけど生憎、遠いのと鍛冶の作業音でまるで聞こえてこない。しばらく眺めていると、鍛冶屋の中の親方にでもどやされたのか、慌てて男は戻っていった。
しょぼんとするキャロ。そして、来た道を戻って来る。慌てて隠れようとして後ろを振り向くと、何故か真っ黒い犬が居て思わず声を上げてしまう。
「うわっ!?」
「きゃっ」
慌てて身構えて後ろに飛び退くと、もう一つ悲鳴が上がる。それはすぐ近くに来ていたキャロのもので、それと真っ黒い犬だと思っていたのは、煤にまみれたブランシェで。つまるところ、私が自爆して見つかってしまったということに他ならなかった。
「え、オリヴィエ? そんな煤だらけで……」
「あの、あ、あははは」
目を逸らし、笑いを返すことしか出来ない私に何かを察したようで、キャロは手で頬を覆う。
「あの……オリヴィエ。ひょっとして、見てた?」
「え? あ、いや違うの。たまたま通りかかっただけで、鍛冶屋のカッコいい男の人なんて見て無くて……あ」
ブランシェを見ると、あきれ顔っぽい表情を。そして、ギギギとキャロを見ると、赤く染まった顔を。
私はというと、ああああと混乱していた。やっぱりいきなり事態が急変するのは苦手だ。いつもこれだけは上手く対処出来ない……そんな事を思いつつ、とりあえず立て直す。
「ごめんなさい! ホントに覗き見るつもりは無かったの!! ただ、昨日みたいになったら嫌だなって思って……」
思い切り頭を下げる。ともかくとして、覗きみてしまったのは事実だ。……興味がなかった訳じゃないし。
キャロは顔を赤く染めたまま、ぼそぼそ気味に話す。
「……とりあえず、私の部屋に来てくれない?」
という訳で、キャロの部屋に……そのまま行くには私もブランシェも汚れ過ぎていたので、再びのお風呂。帰ってきたのがお昼前だったので、ちょうどよく親父さんがパンを焼いていたのが幸いした。
まさか一日で二度のお湯である。流石に今回はお湯といっても蒸しタオルだけだけど。
真っ黒になったタオルをじゃぶじゃぶと洗っていると、キャロが着替えてお風呂場にやってくる。ぶるんぶるんと身体を振るうブランシェを見て笑いつつ、タオルはいいよと言ってくれる。流石に悪いといって断ると、ちょっと悩んでから自分の部屋にいるね。と伝え去っていく。
「あー、やっちゃったなぁ……」
そんな声を風呂場に響かせる。キャロは気にした様子を見せてなかったけど、本心はどうなのか分からない。これは困った事になりそうだと、勝手に悩む。
悩んでも結局答えなんてものは出ず、諦めて断罪の地へ。戦争裁判なるものがあるらしいけど、捕虜達はこんな気持ちだったのかな? なんて考えながら、あの屋敷よりも重い(気がする)扉を開く。
「お、お邪魔しまーす」
そろそろと扉を開いていく。(ちなみにブランシェは私の貸し部屋に置いてきた)すると、思い詰めた様子のキャロが目に入る。ひぇぇ、とか思いつつも部屋へと一歩一歩入っていく。そして、やたらと大きく感じた扉の閉まる音が聞こえると、キャロは口を開く。
「オリヴィエって、王都から来たんだよね?」
「え? うん、その通りだよ」
ちょっと予想と違った質問にたじろぐ私。これはあれだろうか、金品とか要求されるやつだろうか?
あのね、オリヴィエ。とキャロは紡ぐ。そんな様子に金品ならマシかなぁとか思っていた私。そんな矢先、私の予想を遥かに超える一撃をキャロは繰り出してきた。
「私の、恋愛の先生になって下さいっ!」
「…………うん?」
「オリヴィエは王都から来たんだよね。だったら恋愛経験も豊富だよねっ!?」
「あ。いや、ちょっと」
何故か物凄い剣幕に押され、部屋の角に追い詰められる私。なんだろう、戦争中の人たちより怖い気がする。そんな屈強な傭兵さんにも負けない女の子さんは矢継ぎ早に連続攻撃。
「王都にはカッコいい男の子とかいた?」
「あ、えーと、うん」
「求婚の経験は?」
「……いや、まぁ、されたことはある、よ?」
「回数は? どのくらい?」
「えーと、その……毎日ように?」
「嘘っ、毎日!?」
そんな返しにキャーと黄色い声を上げるキャロ。そんな様子を見て不安になってくる。嘘では……ないはず。うん。アイツには毎日されてたはず……うん。
今は何処にいるんだろうなぁ……とかちょっと思う。もちろん会いたくない意味で。
「その人はかっこいいの!?」
「う……その……」
認めたくないけど、顔は整ってると思う。けど、これだけは正直に伝えるのが憚られて、思わず言葉を濁してしまう。
「もしかして……かっこよく、ない?」
そんな態度を見て、同情の色をのせた質問が飛んできてしまい、慌てて答える。
「あ、いや、顔はいいんじゃないかな!? 顔は」
「えーいいなぁ。オリヴィエが羨ましい」
「そんなにいいものじゃないよ……たぶん」
「私なんて、まだパンを渡すのが精一杯で……」
うまい事話題が移ってくれた事に感謝しつつ、話に乗っかる。
「あの男の人はなんて言うの?」
「ジョセフっていうの。かっこいいでしょ?」
「そ、そうだね……」
やっぱり恋って凄いなーと思う。名前すらも恋のアクセントに変えてしまう。まだ私には分からないけど、きっと、それくらいの凄い力を秘めているんだと思ってしまう。
とりあえず、のろけが始まってしまいそうだったので、話を進める。
「そのジョセフと……?」
「そう。その手助けが欲しいの! いいでしょ?」
うっ、と詰まってしまう。宿を借りている以上、この依頼は断りづらい。部屋で待っているブランシェの為にもここは譲れない。しかし、私にはいかんせん経験も知識も不足している。アイツならここで的確なアドバイスを出せるんだろうけど、生憎とここにはいない。
再び、キャロの目を見る。キラキラとした希望の輝きがその目に宿っていた。悩んでいる暇も無く、断る理由には弱いものだらけ。
ごくり、と生唾を飲み込み、首を縦に振る。正直いままで受けたどんな依頼よりも難しい依頼を、私は受けてしまった。
「私程度じゃ、力になれないかもしれないけど……」
「やった、ありがとうっオリヴィエ!」
手を掴みぶんぶんと振られる。そんな目の前のキャロとは対照的に私の心はどうしようという考えでいっぱいだった。
助けを求めるように、窓の外を見上げるとからっとした綺麗な蒼天が目に映る。女心と秋の空。雲一つない空に私はため息でも吐いてしまいたかった。
けれど、私はまだこの時は思わなかった。この役目を受けてしまったことで、後にとんでもない事態に巻き込まれてしまうなんて……
それは、祭り全体を揺るがしかねない事態に発展していくのであった。