結局のところ、食堂でなんと夕方まで過ごしてしまい、会話に興じたせいでもう疲れたので、金剛は病棟に戻って寝ることにした。
赤城が食べ終えた後にやってきた比叡たちは金剛の説明を納得のいかない様子で聞き入っていたが、偶然見つけた金剛使用済みのスプーンを見つけ、それが再び彼女たちの戦いの火種となった。しかし、すでにそれが赤城によって犯されていることに気がついていない。勝ち取って喜んでいた比叡は哀れと言うべきか。
誰かがノックをする音に、布団にくるまってうとうとしていた金剛は重たい身体を上げ、入室を促した。
「失礼しますね」
入ってきたのは明石だ。時計を見れば夕方から夜へと差し掛かる頃合いであり、夕食の時間が来たのかと悟る。
明石が持って来たのはうどんだ。小さめのお碗に入っているそれは熱い湯気が立ち、美味しそうな匂いが金剛の鼻腔を刺激した。
「食べれますか?」
「うん、たぶん食べれるよ」
明石から箸を受け取り、お碗を片手で持った。
「大丈夫?」
彼女に頼ってばかりではいけない。いつまでも彼女の好意に甘えるわけにはいかないし、また『あーん』されるのも恥ずかしい。
不器用に箸を動かしながらなんとか一本挟むことに成功し、ずずっと啜った。
「実は今日、霧島さんに『お話』をされまして……いや、ホント金剛さんが好きなんですね」
それはもう病的なほど。
嬉しいは嬉しいが、もう少し自重してほしいものだ。
明石は疲れたようにため息を吐いた。
「金剛さんへの愛を耳にタコができるほど聞かされましたからねぇ」
「妹がごめんね……」
「いえいえ、気にしないでください」
ゆっくりとした食事だがほぼ完食し、空腹は満たされ、しだいに眠気が金剛を襲った。
「あれ? そういえば敬語をやめたんですか?」
「うん、比叡と赤城にそっちのほうがいいって言われたからね」
明石から受け取ったコップに水を注いでもらい、一気に飲み干した。
「もう1日目が終わったんだね……」
「そう、ですね」
「明日は楽しみだな〜。食堂でたくさんの人に話しかけられて全員の名前が覚えられなかったから、今度はちゃんと覚えたいなぁ」
目が回るほどの人に囲まれて、多方面から話しかけられ、淡白な返事しか返すことができなかった。聖徳太子であるのならば対応しきれたかもしれないが。
まぶたが無意識に閉じ、静かに眠気の海へと沈んでいった。
◆
偵察機が一機、海上を飛んでいる。
偵察範囲を飛んでいるはずだが、未だ目標は発見できていない。
もう少し奥に進んでみる。
見えた。
姫、三。鬼、五。
こちらには気づいてはいないようで、偵察機は悟られないようにその周りを飛び回る。
目標とは、姫と鬼の混合艦隊のことではない。目標『たち』ではない。これらだけでも圧倒的脅威であることに変わりはないが、偵察機の目はその中心に鎮座するものを写す。
闇を具現化したような黒いワンピース。それに異議を申し立てるような真っ白い肌。身長はあまり高くないように見える。推定でしかないが150㎝に届かないくらいだろう。そして、武装はない。
これが目標だ。
情報通り。間違いない。はっきりとした目標の写真を撮ろうと接近しようとした瞬間、目標がこちらに気づいた。
この偵察機は簡単には察知されないようにできている。
サイズは最小。飛行機雲も全く発生せず、エンジン音は注意深く耳を済まさない限り聞き取ることは不可能。おまけに空に紛れるように塗装も施しており、そうやすやすと察知されることはまずない。
なのにだ。目標はそれに気づいたのだ。
なんとか撮影に成功し、データが送られる。
送信が完了した瞬間、死角からの攻撃によって、偵察機は破壊された。まさにギリギリであった。
◇
「目標の撮影に成功。画像、出します」
プロジェクタールームで大淀がスクリーンに偵察機が撮影した写真を映した。
「なんなのだろうな、この深海棲艦は」
長門が顎に手を当て、眉間にしわを寄せる。
「そんなに怖い顔しないの」
「む……」
陸奥に指摘され、今度は腕組みに移行する。腕に乗った長門の長門がその豊満さを強調している。龍驤あたりがここにいたら、女の戦場になっていたことは明らかだ。やはり女の世界は世知辛い。
「見てもわかるように、こいつが例の深海棲艦だ」
「金剛たちを追い詰めたという……」
「そうだ」
提督は10ページほどで綴られた一冊の資料を長門、陸奥、大淀に配った。
「あの封筒は情報が少なすぎたからな。それには現時点でわかっていることが全て書いてある」
3人はぺらぺらとページをめくり、中身を確認する。
これから議論するのは目標……あの深海棲艦についてだ。ここには提督含めて4人しかおらず、比叡ら以外の艦娘は誰もこれを知らない。
時計をちらりと見れば、針は深夜の3時を迎えようとしている。皆、寝静まっているころだろう。夜更かしをしている子がいないことを祈る。
「こんなクソ眠い時にこんな難しい話を持ち出して悪いな」
「そんなことはありませんよ。気にしないでください。……コーヒーを入れますね」
大淀はカップを用意すると、コーヒーを入れた。
「皆さんどうしますか?」
「俺はブラックで」
「ブラックだ」
「長門に砂糖たっぷりで」
「なっ! 陸奥……!」
「提督の前だからってやせ我慢しなくてもいいのよ」
「いや、これは目覚ましに……わかった」
少し抵抗したが、やがて長門は折れ、素直に陸奥に従うことにした。
辛いのが苦手なのは知っていたが、まさか苦いのまでとは初耳である。暁たちとの食事が合うかもしれない。
「あれか、身体は大人。心は子供ってところか」
「ち、違う!」
必死にかぶりを振る長門。普段は堅く、威厳に溢れた人物のように見えるが、意外に子供な部分がある。これを広めたらこれまた面白いことが起こりそうなのだが……。
「長門さんは砂糖たっぷりですね。陸奥さんは?」
「もちろんブラックよ」
「裏切ったな⁉︎」
「別に裏切ってないわよ?」
大淀がコーヒーをそれぞれの手元に運んでいく。皆感謝をし、一口を啜ってから真剣な表情になる。提督たちはここにコーヒーを飲みに来たわけではないのだ。
ちなみに大淀は砂糖を一本入れた。
「こいつは武装がないから攻撃力はおそらくゼロだ。でも断定はしないでおく」
「この資料によると、直接的な攻撃は一切なかったらしいな。しかし……」
長門が資料のある1ページに目が止まる。
「姫や鬼を率いる深海棲艦……か」
「金剛らが会敵したのは姫、一、鬼、ニ。ヤツは戦闘開始早々離脱したらしい」
「もし全員揃っていたら……この程度では済まなかったのでしょうね。罠にかかった獲物……なのでしょうね、金剛さんたちは」
「そして取り巻きが……これは酷いわ」
記録に記されているのは、その数だ。
姫鬼で三。
……取り巻きが、約四十。
帰投中でのこれだ。皆、疲労しているのにこの数はまさに地獄と言えよう。
ヤツの罠にハマり、味方が分断され、混乱の渦を掻き回すように襲って来た深海棲艦。このような戦術はこれまで一度もなかった。しかし、これはヤツの出現と同時に起こったのだ。ヤツの戦術……知性が高いからこそできる諸行。指揮にとてつもなく長けているということだ。これはかつてない強敵になりそうだ。
「報告によると、そのうち姫一体を中破、鬼一体を小破にはできたらしい」
「特に姫や鬼が強化されているわけではないのだな?」
「おそらく。言っておくが、今ここで話していることは全て推測だ。あまり鵜呑みにするなよ」
提督がコーヒーを半分ほど飲む。苦みが喉を通り、眠気に襲われた提督の意識を叩き起こす。
憶測でしか話せないから、事実は何もわからない。もしかすると、姫、鬼が本気を出していなかっただけかもしれないし、ヤツが砲撃ではなく、格闘を得意としているのかもしれない。
近接戦闘でやりあえるとしたら、おそらく……あの娘しかいない。
「そういえば、あの深海棲艦は言葉を話すのでしょうか……」
いつの間にか資料を読み終えた大淀がスクリーンを見つめながらまるで独り言のように呟いた。
姫や鬼となると、流暢ではないが、意味ある言葉を発することができることを既に確認している。
「それはわからないな」
「毎回手をこまねくあいつらを率いているのだ。きっと上位に君臨しているはず。なら必然的に話すんじゃないのか? それも片言ではなく」
「あまりにも情報が少なすぎるわね……」
なにせ、わかっていることは、姫、鬼を率いる。武装がない。姿。たったそれだけだ。もうこれは仕方のないこと。
陸奥が発言の許可を求めた。
「どうした」
「もう一度調査することを進言するわ。それも、偵察機ではなく、艦娘でね」
「言っていることの意味がわかっているのか?」
「ええ、もちろんよ」
決しておふざけではない、凜とした瞳が提督を射す。
実力も未知数の敵にいきなり艦娘を送り出すのはいささか酷ではないのだろうか。ヤツの戦術、ハマってしまえば容易に脱することはできない。以前のように数の暴力で大打撃をうける可能性だって有り得る。
「……却下する」
「どうして……」
不安そうに提督を見るが、結論は揺るぎなかった。
「金剛のアレがあってからまだ一週間も経っていないんだ。戦艦がああなるほどの力を持っている敵を偵察しに行けなんて言われたら、俺だって尻込みする」
現実として、この4人と比叡たち以外はどんな敵なのかも知らないのだ。それをいきなり呼び出されて、姫、鬼を率いる規格外の深海棲艦の偵察を命じられても……。実際に目の前に立って、恐怖で動けなくなる艦娘が絶対現れるはずだ。
艦娘は意思ある兵器だ。
ましてや女の子という身体を得ている。恐怖に怯えるのは本能的で、人間的である。具体的に挙げると、睦月らへんが気になる。
「……」
「俺が今、出撃頻度を最低限まで減らしているのはなぜだと思う? 陸奥、お前にはわかるか?」
「……わからないわ」
「こちらがヤツを認知したってことは逆にヤツもこちらを認知したってことだ。そしたら自然に相手の本拠地を叩こうとするのが普通だ」
「そう……ね」
「ヤツには知性がある。それも俺たち人間と同じくらい高い知性がな。発見されたら次こそ終わりだ。ここまで尾けられて、総攻撃されるだろう。だから慎重に行動しないといけない」
この鎮守府には艦娘が他の鎮守府に比べると多い。もしここを攻撃されても、迎撃できる装備は用意しているが、それでもヤツを撃退できるとは思えない。
素直に言ってしまえば、こちらには何もかもが足りないのだ。準備、分析、あるゆるものがだ。
「陸奥の言う通り、艦娘での調査はいずれにせよしなくてはならない。が、まだ早い。一度大本営に報告して、指示を待つことにする」
どうせ手は出さずに様子見、を押し付けられるのだろうが。どうせ嫌われているのだから、面倒ごとを起こされるのは御免
だと思われているはずだ。
「明後日、爆撃機を数機出撃させて、ヤツの出方を見る」
「なぜ明日ではないのだ?」
「ちょっと俺自身、用事があるんだ。悪いな」
「そうか。ならしょうがない」
長門は最後の一口を飲み、この空間とは対照的に甘い味を堪能する。
そして、3人が彼女よりも苦いコーヒーを飲んでいるのを見て、いつかは自分もブラックに挑戦する、と密かに胸に決心する。
「ん、今日はこれで終わりだ、ご苦労様。大淀、今じゃなくてもいいから、大本営に提出するための書類を用意してくれ」
「わかりました」
大淀が全員分のコーヒーを片付け、スクリーンに映した画像を消す。
「提督」
「ん?」
「ずっとヤツ、とかこの深海棲艦って私たちは呼んでいましたが、さすがにそのまま提出するのはマズイので、何か名称をつけませんか?」
大淀の言う通りだ。
姫でもない鬼でもない。かといって既存の深海棲艦のどれにもあてはまらない。全くの新種。これから立ちはだかるであろう、強く、高く、硬い壁。それを超えた時、何かが変わるかもしれない。
「これで頼む。名称はーー」
何かあれば指摘よろしくです