カウンセラーは、手元の本を見つめる。それは一種の自己啓発本だった。
自己啓発本といっても巷でよく売れているようなビジネス本とはまた違った、スピリチュアリティ(“霊性・精神性“などを表す抽象的な概念)の高い本である。ビジネス本は科学をうたい文句にするが、この系統の本は既存の宗教を主軸としている。
内容の主題は極めてシンプル。従来の古い人間から脱却し、新しい人間へと進化しよう、という本である。この本によれば、現代の人間が抱える様々な問題、つまりの所、いじめであったり貧困の停滞化であったりは、古い人間の無意識によって引き起こされている、とされている。よって、様々な問題を解決するために、新しい人間への意識へと目覚める必要がある、という訳である。
そして、目覚めるべきは、あなたである、と。
まあ、カウンセラーがよく目にするタイプの本である。深海棲艦によりグローバル社会が崩壊し、以前ほど情報に満ち溢れていないこの日本社会ではあるが、出版業界は衰えを見せない。
艦娘以前に人間が悩んでいるこの社会、未だに線路に飛び降りる人の絶えないこの社会、こういった本が売られるのも道理であろう。
カウンセラーがこの本を手にしたのは、艦娘らに関する興味深い批判の記述があったからだ。
曰く、艦娘は古い人間の奴隷にして奉仕者である、とのこと。
曰く、妖精さんや深海棲艦は我々の欲求が生み出した“キリスト的な悪魔”である、とのこと。
叢雲の言葉を鑑みるに、興味深い考察であると思う。恐らくだが、この著者は艦娘たちが何で出来ているかを見抜いている。科学的とは言い難い文章であるが、何を言わんかは伝わってくる。
艦隊これくしょんはゲームである。妖精さんの手を借り、艦娘を集め、深海棲艦を打倒する。
そういったゲームだったのだろう。著者はゲームへの知識は無いようであったが、直観的にこれらを見抜いているようだ。
ふと、カウンセラーにある考えがよぎる。自分自身が観てきたこと、これらを本にするのはどうだろうか、と。
今、ここは日本艦娘のカウンセリングの最前線である。学問的な徒の中で、恐らく自身が一番艦娘に触れ、その心を知っている。
それらの成果を本、あるいは論文にできないか、と。
カウンセラーもかつては心理を学ぶために大学院に通った身だ。学問に貢献したい、という考えがなくもない。
今も大学の方では艦娘の心理の研究が行われているが、自分がその中の輪に入ることもできるだろうか。
そこで、カウンセラーは考えを打ち切る。こういった妄想は楽しいし夢も膨らむが、現実に帰ってくるべきだろう。夢を見て、現実をおろそかにすれば、いつのまにか現実はズタボロになるだろうから。
どうも前任のカウンセラーは、無謀な欲張りにより艦娘との関係が上手くいかず、辞任に追い込まれたらしい。自分は、そうあるべきではないだろう。
夢が叶うのは、いつだって目の前のことを片付けた後である。
しかし、自分は艦娘のカウンセラーとしてどうあるべきか。答えはまだ、見つかってない。
そして、それは恐らく見つかることはないだろう。
そうした中、今日もカウンセリングが始まる。
のだが、今日は叢雲がやって来ない。まあ、こんなことは珍しくない。 艦娘は基本的に軍人で、忙しいのだ。カウンセリングの予約を入れても、そこそこの頻度でドタキャンされる。
これは彼女らが不誠実という訳ではない。
基本的に彼女ら艦娘は、カウンセリングを軽視する傾向にあるのだ。カウンセリングより、仕事の方が大事、という理由が大半である。
だから、そのうち連絡か何かが来るのだろう。あるいは、何も来ないかもしれないが。彼女がここに来ることは彼女の仕事の一環であるので、何もないとは考えにくい。
本でも読んで、時間を潰すことにする。
すると、約束の時間の十五分後、叢雲はやって来た。
いつもの恰好とは違い、頭に赤く光るウサ耳ユニットを載せ、紺色のジャージを着ている。
息が荒いことから、急いで来たのだろう。
「御免なさい。少し、遅れたわ」
「大丈夫ですよ」
カウンセラーにとっては、来てくれるだけで嬉しいのだ。
「今日は何か、ありました?」
「ちょっと、作戦の後で。中破したから、後処理に手間取ったのよ」
カウンセラーは納得する。これもよくあることだからだ。
「たいしたことは無いから、あまり気にしないでくれる?」
「分かりました」
当たり障りのない話、つまり仕事の話でもしようと思ったが、これでは厳しそうだ。
「とはいえ、話を遮ってしまったわね。代わりに何か話そうかしら」
開始早々、沈黙が場を支配する。
「あの。いいですか?」
「何よ」
「叢雲さんは、何か、したいこととか無いのですか?」
叢雲は露骨に顔をしかめる。
「その話題は不愉快ね。かつての父親を思い出すわ」
「それは、申し訳ありません」
カウンセラーは頭を下げて謝罪する。これは言い方が不味かった。
「ふん。いいわ。私がしたいことは。そうね、恥ずかしいけど、無いわね」
答えてくれるのはありがたいが、彼女が恥ずかしがる理由はわからない。
したいことがない、というのは、それはそれで彼女の望んだ普通のことではないのだろうか。
その辺りは、彼女は理解しているのだろうか。
「強いて言えば、私は仕事がしたいわね」
「仕事ですか」
叢雲は頷く。
「私の願いは。まあ、一応、叶っているからね。軍隊で戦うことも、私の夢の一つだったのよ」
カウンセラーは少し考える。
「それは意外ですね」
なるほど、彼女は他の艦娘より人間味が強いが、彼女も艦娘だということだろう。
「こう言っては何なのですが。叢雲さんは、内向的な人間のようですから。芸術や、哲学といった方面の仕事を望まれるものと思っていましたが。そういったことも夢の一つではありませんでした?」
すると叢雲はカウンセラーを見上げ、じっと見つめる。
「そうね。それもかつての夢の一つだったわ」
あくまでそれが全て、という訳ではないが、彼女は内向的な傾向が見える。
神経質さ、数々の自問自答、そして、クリエイティブな活動。
しかし、あくまでそれが全てで、外交的ではない、という訳ではない。彼女には、外向的な傾向も見られるのだから。
オープンさ、おしゃべりであること、そして周囲の人間への極端な関心。
一見、矛盾しているようにも見えるのだが。しかし、存在している。
どちらが本当で偽物か。あるいは、これらを両方持ち合わせている、と見るべきか。
カウンセラーとしては、内向的な彼女が正直な彼女により近い、と考えている。
「正直、自分は軍人に向いてない性格だったから。この性格と、無能な働き者だなんて、軍人に向いているとは思っていなかった」
叢雲は下を向く。
「戦は怖くて、辛いことだし。海はとても過酷な場所だけど。でも、全ては私が望んだことだから」
再び顔を上げ、カウンセラーを見つめる。
「私は、戦ってから、それからそこで死にたいのよ」
カウンセラーはゆっくり頷く。
「人間として、戦いを望まれるのですね」
そして、再び叢雲は顔を下げる。
「おかしいかしら?」
「私にはとても人間らしいと思うのですが」
どこもカウンセラーにはおかしいとは思えないのだが。
「確かに、戦争は悪で、平和は望ましいことでしょう」
カウンセラーは日本に生まれていながら平和というものの価値が信じられないでいる。
戦争というのは所詮、経済行為であったり、あるいは人間の進化の歴史であるのかもしれない。
世間で主張される平和が、人類共通の絶対的な価値を持っているのだとは信じることができない。
そして、恐らく、皆は言わないだけで、気づいているのかもしれない。
「ですが、心の平安のために戦うことは、その人にとって戦争をするだけの価値があるのだと思います」
戦争を肯定するわけではない。
戦争を否定するのではなく、ただ、存在を認めるだけである。
果たしてこれが人として正しいのかは悩ましい。
ただ、カウンセラーは艦娘のカウンセラーとして、こういう立場に立つべきである、と思っているのだ。
「なんなのよ。平和のために喜んで戦争をするとか、それぐらい性質の悪い冗談なのに」
この気持ちが彼女に伝わればいいのだが。
私は貴女のことを理解しようとしているのだと。
「確かに、他の皆のように、仲間やお国のため。ではないわね。私は自分のために戦っているわ」
叢雲は沈黙する。恐らく、自分の中で何かを考えている。
「私が戦う理由か。私だけの戦争。私だけの、艦隊これくしょん」
叢雲はユニットに邪魔されながら、手で頭をかき混ぜた。
「うん。艦これの世界観は好きだったけど。ゲーム自体はあまり好きではなかったわね」
「はあ」
「そもそも私、あまりネットゲームとかって好きじゃないのよね。何だろう。今一つ、最終的な目的のない中での、艦娘を集めるって作業というか」
ネットゲームが好きじゃない、というのはカウンセラーにも共感できる。一時期、友人に勧められていくつかやってみたものの、どれも長続きはしなかった。
友人が言うには、ネットゲームはコミュニケーションツールである、らしい。皆で戦う、皆で語り合う、皆で共有する、そういったことが本当の目的である、と。
彼らにとってのネットゲームが、自分にとってのロックや映画である、とそういう風にカウンセラーは納得している。
「でも、やっぱり、私には価値があったのだと思う。携帯機のやつは結構やってたし」
叢雲は頭に手を載せ、考える素振りを見せる。
「艦これの魅力は、いや、間違いなく、所有することにあったのだと思う」
躊躇いながら、彼女は話し続ける。
「先生は二次創作、あるいはファン活動についてはご存じ?」
少し、カウンセラーは頭をかしげる。友人の一人に思い辺り、理解する。
「ええ。既存の作品を基に、ファンが作品を作り、ネットや同人誌即売会などで共有するのですよね」
「そう。艦これは。うん。体の良いジョークグッズだったわね。東方と同じく、一部で嫌われるぐらいには規模も大きかったのだし。ああ、そういや東方もそうか」
彼を見て、東方というジャンルも知っている。それで、言わんことが理解できた気がする。
「艦これには、作者たちが自分のものとしたい、というだけの魅力があったのだろう。艦これの場合は、ありのままの現実を切り出したように見える、各々のイメージとしての艦、戦闘美少女が、多様に用意されていた」
創作物については理解に苦しいが、彼らの創作したいという熱については素直に感心していた。
それは、何の意味もなかったり、特殊な性癖であったり、成人向けであったりするのだが。陰鬱でなく彼らは実に楽しそうで、生き生きしていた。
「作品を自分のものとして分解し、再構成することがどんなに素晴らしいのかは、言うまでもないわよね」
叢雲は、はははと軽く笑う。
「だって、この私がやってることなのだから」
カウンセラーは沈黙する。彼女にどういっていいのかわからない。
「話を続けるわよ。先生は、神様転生というジャンルの創作物はご存じかしら」
「えーと、いえ」
これは、カウンセラーには思い当らない。転生、は思い浮かべても、神様と上手く結びつかない。
「死んだ人間が、神様と呼ばれる存在と出会い、二度目の人生を謳歌する。まあ、デウス・エクス・マキナを最初に持ってきたって話よ。シンデレラストーリーとも呼べるかしらね」
「はあ」
神が出てきてどうにかなった。
救われない物語を無理やり救う手法、としての印象を受ける作品である。転生により、救われない人が救われる、ということだろうか。
「叢雲さんは、これがそうであると?」
叢雲は沈黙し、じっとカウンセラーを見つめる。
「叢雲さん?」
「ねえ。先生もこう思うかしら」
叢雲は俯く。
「神様を求めている人に必要なのは、神様なんかじゃないって。彼らに本当に必要なのは、神様じゃなくて、良識のある大人だって」
「それは」
カウンセラーが固まる。
カウンセラーはその職業上、“良き大人”であることが求められている。カウンセラーも社会人の一人であり、そして人を支援するという役割上、多様な人間を受け入れるために、高度に人としての成熟が必要なのだ。
「私は。後悔しているのかな」
彼女は、カウンセラーのことをどう思っているのだろう。
良き大人に期待しているのだろうか。あるいは、良き大人に失望しているのではあるまいか。
そうであってほしくはないが。そう思っているのだろうか。
「ランプの魔人が、万能の願望器が目の前にあったら、どうすればいいかなんて決まっている。 助けはいらない。そう答えるのがベストだろう」
「どうしてですか?」
「そんなものに頼る以前に、自力で欲しいものは手に入れることができるのが健全だと思ってる」
確かに、カウンセラーには、彼女の言い分を理解できないでもない。
一般に成功者と呼ばれる人間が、ランプの魔人に頼る、ということを想像しにくい。彼らは既に夢を叶えるだけの力と、自身の手に負えない夢を持たない、という自制ができるものと考えられる。
ランプの魔人は、宝くじと同じだろう。当たると嬉しいが、後に幸福になるかは本人次第。
だから、自身を幸福にできるだけの力を、既に持っているのが望ましくあるのだが。
それを全ての人に望むのは間違っている。それができないから、彼女はここにいるのではないだろうか。
「分かってる。そんなことは贅沢なんだって」
叢雲は首を振る。
「思いが叶うだけで私は幸福で、幸せ者なんだから」
カウンセラーは、彼女が幸せそうに見えないのだが。ひょっとしなくても、彼女は幸せと言うものを求めていないのだろうか。
そして、しばらくして口を開いた。
「ただ。ランプの魔人のような。神様転生、神様は、あっては欲しいと思うし、ジョークとして必要なものだと思っている」
神か、とカウンセラーは考える。
彼女の場合、願いを直接叶える神、ということになるだろうか。ギリシャ神話のピグマリオンのような話もあるが、あまりいい印象を抱かない。
神に近いものであれば、彼女の言う所のランプの魔人の伝承、あるいは、ファウストのメフィストフェレスに代表される悪魔が挙げられる。
彼女の言う創作物にもそういった信仰、あるいは伝統があるのだろう。
「だから。だからこうして、妄想で世界を塗りつぶして正しかったと思うわ。こんな世界になって、私は正直嬉しくないし、面白くもないし、何より、誰も喜ばないけど。それでも、こうして正解だった」
「正解、ですか」
カウンセラーは彼女が曲がりなりにも、自らの行いを、この世界を肯定しているのに少し不思議に思った。
「だって世界は、塗りつぶさなきゃ、塗りつぶされるのだもの。自分がやらなきゃ、塗りつぶされるのは自分なんだ」
思い通りにいかない自分、思い通りにいかない世界を見て、嫌になり否定するのはよくあることだ。
「だから、私が世界を塗りつぶしたのは、過ちではあるけれど、間違いじゃないんだから」
彼女は自らの行いを肯定していないと思っていた。
だが、彼女は、彼女なりに自らの行いを肯定しようとしているようだ。
彼女は自身を認めてはいないが、世界を認めている、ということなのだろうか。