救済の技法   作:倉木学人

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6.万象の奇夜

 あれからカウンセラーは、ツタヤでウォッチメンのDVDをレンタルし、繰り返し見てみた。

 それだけでは分からなかったので、ネットの感想、考察を読んだりもして見た。

 

 分かったこととして、あの作品は作品自体が最悪のジョークであるらしい。

 

 最悪のジョークとは、映画の中に出てくるヒーローもヴィランも、善も悪も、全ては冗談にすぎない、ということらしい。

 この冗談、というのは今一つ、カウンセラーには理解しがたい概念ではある。

 だが、決して心当たりがないわけではない。映画では触れられていないが、漫画では語られた、ある概念。

 つまりは、ニーチェの哲学であるのだ。

 

 神は死んだ、との言葉で語られるニーチェの哲学。存在することの無と超人への憧れを語った異端の哲学者の言葉。あまりにも有名すぎて、当たり前となってしまった概念。

 

 つまり全てが冗談とは、この世の全てが無であるというニヒリズムである、と解釈できないか。ヒーローの価値が死んでしまった世界、つまりキリスト教の神が死んでしまった世界、物事を単なる善と悪で判断できなくなった世界が、あの世界であるのだろう。

 

 そう考えれば、コメディアンとロールシャッハの行動も理解できる気がする。何も信じるものの無い世の中で、神を信じながらも好き勝手をするコメディアン。禄でもない世の中を見限り、自分の信じる正義を突き通そうとしたロールシャッハ。

 

 とはいえ、なぜ、彼女がウォッチメンの世界を、コメディアンを好いたのかが理解できない。何故、この作品なのだろう。言っては何だが、この娯楽天国である日本では、善と悪の無意味さに拘った作品など、いくらでもありそうなものだが。

 

 というか、彼女の嗜好がちょっと分からない。艦これとウォッチメンってどういう組み合わせだろうか。カウンセラーの想像でしかないが、ウォッチメンの世界観と、艦これの世界は違いすぎるのではないか。

 

 だが、二つの世界の影響を受けたであろう、この捻子曲がったこの世界こそが、彼女の生きる世界だとしたら。

 

「となると、この世界も、冗談なんでしょうね」

 

 世界に艦娘がいることも、人が艦娘になることも、彼女が艦娘であることも、全く何の意味もない。

 そして、それは彼女にだけ価値がある。

 

 カウンセラーが思うに、彼女はコメディアンというより、ロールシャッハに近いのではないかと思ってしまう。コメディアンを尊敬しているところもそうだが。恐らく、この世界の冗談を見て、笑えなかったのであろうから。

 

 とはいえ、彼女がロールシャッハのようになっても、それは決して不思議ではないのかもしれない。今ここが、我々の生きる世界なのだから。それに耐えきれなくとも、全然不思議なことではない。

 

 カウンセラーの考察を聞いた叢雲は、ひどく、蒙昧な表情をしていた。

 

「頭が下がるわ。自分の、台詞に対して、ここまで考察してくれる人は、中々いないから」

 

叢雲はゆっくり頭を下げる。

 

「正直。先生には、感謝、しているのよ。ここまで自分を見つめてくれる人は、本当に、いないから」

「そういってもらえると、私も頑張った甲斐がありました」

 

やはり、貴方のことを理解している、ということを伝えることはいいことだとカウンセラーは思う。

 これなら、自信の回復にもつながりそうである。

 

「うん。じゃあ。先生。あなたはこのジョークに対する回答は?」

 

 そこでカウンセラーは再び考える。

 

 ニーチェのニヒリズムは、神の死、あらゆる物の価値が無であることから出発する。ここで大事なのは、これは出発である、ということだろう。

 神が死んだ、じゃあどうするのか。つまり、新しい価値、新しい神を各々が見出さなければならない、ということである。

 

 彼女にも、何か、価値のあるものを示さなければならないだろう。

 

「どうぞ」

 

 そこで、カウンセラーはつい最近、自分が読み終わった、一冊の本を差し出す。

 

「読め、と?」

 

 叢雲は本を読み始める。

 

「スピリチュアル、か」

 

 本の初めと、最後の部分だけを読んでいるようだ。

 

「ふん」

 

 目を細めじっとカウンセラーを見つめ、不機嫌そうだ。

 なんだか蔑まれているような気がする。

 

「答えが、スピリチュアル、か。そうかそうか」

 

 天を仰ぎ、深いため息をついた。

 

「ま、いいわ。詳しくは帰ってから読むわ。借りるわよ」

 

 そうやって本を手元に置く。

 不満そうだが、一応は受け取ってくれるらしい。

 

「お気に召さなかったですかね」

「答えとしては、悪くないとは思うけどね」

 

 時計のコチコチ音が聞こえる。

 

「ただ、スピリチュアルでは、私は救われないのよ」

「そうですかね。現在の日本で、精力的に活動を行っている人の本なので、何かの御役に、と思ったのですが」

 

 カウンセラーとしては、感性の強い彼女のことだから、この本を読んで、何か感じるものがあれば、と思ったのだが。

 スピリチュアルと侮るなかれ。信じる物は救われるのだ。彼女に何よりも必要なのは、信じる物だと踏んでいる。

 

「別に、偏見とかじゃないわよ。実体験よ」

 

 カウンセラーはほう、と思った。

 

「叢雲さんは、スピリチュアル的なものを体験したことがある、と」

「そうよ。といっても、大分昔の話よ」

 

 叢雲は再び、深い溜め息をついた。

 

「自分が、大学にいたころ、そう、スピリチュアル的、というより、宗教的な人が居てね。私はその人と触れる機会があったのよ」

 

 カウンセラーは大学で宗教と言うと、アレを思い浮かべるのだが。

 

「ひょっとすると、それ、カルトだったりしません? カルトが悪いとは言いませんが」

「ああ、そんなんじゃないのよ。ある意味宗教的ではあったけど、本人は宗教を否定していたし。まあ、だから、あー。スピリチュアル、でいいと思うわ」

 

 どうやら、本人曰くカルトではないらしい。

 ここでは、素直に彼女の言葉を受け止め、宗教的でないスピリチュアルの専門家と出会った、と受け取っておこう。

 

「その頃の自分は、その人に啓蒙されて、スピリチュアリティに目覚めたのよ」

 

 大学でスピリチュアルに目覚める、というのはカウンセラーには上手く想像できないのだが。

 とはいえ、そこまでおかしい話でもないのかもしれない。

 

 例えばだが、哲学か何かの講師が、そういう話を語る、ということがあったのかもしれない。

 

「あのころは、楽しかったわねぇ。今までの自分から抜け出せると、信じていた。自分には未来があると、まだ信じることができていた」

「彼、にも、そういう時期があったのですね」

 

 少し、カウンセラーは不安に思う。恐らく彼女の口ぶりからして、話の続きはよくない方向に傾くのだろう。

 

「ただ、ある日、気づいたんだ。気づいてしまったんだ」

 

 叢雲は俯いた。

 

「誰も自分と同じものを求めていないと、スピリチュアルに目覚めた自分を、誰も求めていないのだと」

 

 自分を求めていない、と。彼女は強調する。

 

「例えばだけど普通、身内の人が、新興宗教なんかに嵌まったらどうすると思う?」

 

 カウンセラーは少し考える。

 身内が宗教にはまる、というのはよく、景気の悪い話として語られているはずだ。

 

「止めるのではないですかね」

「まあ、普通、止めようとするよねぇ。普通だったらそうするわ。自分たちと同じ世界に、引き留めようとするよね」

 

 叢雲は薄く笑い、首をふり、顔を左右に揺らす。

 

「“あなたは騙されているんだ。それは本当の幸せなんかじゃない”ってね。馬鹿馬鹿しい」

 

 叢雲は忌々しく、吐き捨てる。

 

「その人が宗教に嵌まるのは、その人の周りの人が、社会がその人を救ってくれないからでしょうに」

 

 カウンセラーは彼女の言い分はわかる。しかし、普通の人々の言い分もわかってしまう。

 日本において、新興宗教とは悪名高いのだ。

 

「宗教は、悪ではないのですけどね」

 

 日本人は宗教のことをよく知らないでいるのが普通なのだろう。

 偏見は無知からくるものだ。葬式であったり、お地蔵さんであったり、宗教は身近に存在するものなのに。

 

 密接すぎて、分からなくなっているのかもしれないが。

 

「悪でしょう。社会悪よ」

 

 叢雲はきっぱり言い切る。

 

「宗教は、本質的にとても、反社会的な存在だ。社会は全ての人を救わない。人が人と対立し合う構造的に、全ての人の意見を政治に反映させることは不可能であるから」

 

 社会は全ての人を救わない。日本では、民主主義が採用されて久しいが、それでも完璧ではない。

 例えば、待機児童の問題であったり生まれの格差であったり、社会システム故の困難が全てカバーされているとは言い難い。民衆から声が上がらないだけで、他にもいろんな問題も潜んでいるかもしれない。

 

 日本は他の国と比べて幾分マシかもしれないが、それでも最高の社会とは言えないだろう。

 

「社会で救われない人がいるから、宗教が起こる。キリスト教や仏教だってそうでしょう?既存の宗教が、ユダヤ教で、バラモン教で救われない人がいたから、彼らは活動を始めたのでしょう」

 

 だからこそ、宗教なのだろう。

 例えば、日本で政党になって与党と連立政権を組んだりすることで有名な某団体は、昭和の頃に農家の二男坊三男坊やら都会に出稼ぎにきた人間を吸収して、大きくなっていった経緯がある。彼らは貧困に喘ぐ彼らを、助け合いと教育によって支援することで、信者を増やしていった。

 社会からこぼれた人間を救うことで、彼らは一大集団を作り上げるのだ。

 

「そしてそれは、既存の社会を壊そうとする試みだから」

 

 勿論、既存の集団からしたら面白くないだろう。集団の中から新たな集団ができることを彼らは歓迎しない。

 集団そのものの母数が減る上に、社会に反抗的な集団ができるのだ。

 

「だから、宗教は悪とされるのよ。社会によって見捨てられた人の声を無視して、ね。まあ、中には自分の考えを人に押し付けようとする人もいるから、ってのもあるでしょうね。そういうことをする人間は、どの集団にもいるからなあ」

 

 カウンセラーは深く納得する。

 

「なるほど。詳しいですね。元々そういう仕事をしてたりしてません?」

「素人の物好きよ。本で読んだことでしかないわ」

 

 叢雲はそっぽを向いた。

 

「ともかく、ある宗教学者が、信仰は歩行具であると言っていた。始めだけ頼るべきものだが、いずれ抜け出さなければならないものだと」

 

 宗教は習熟につれて害をもたらすものである。キリスト教然り、仏教然り、イスラム教然り。

 宗教は社会集団より生まれるが、宗教が社会を作り出すと、社会になるが故に弊害が生まれてくる。

 社会を否定して生まれる宗教が、社会を作るのはある意味滑稽だが。

 

 まあ、そんなものなのだ。

 これも、人の業なのだろう。宗教の根は、思ったより根深い。

 

「でも、本当に抜け出さなければならないものなの? 自分には、そこが理解できないでいる」

 

 カウンセラーは、何も言えないでいる。宗教の問題は、あまりにも大きすぎる問題だ。

 人間は宗教から脱却できるか、と言う問題はことさらに大きい。

 

 人は弱い。弱いからこそ、古代から人間は宗教に依存してきた。

 とはいえ、そんな時代も昔のこと、宗教に依存しない人間が主流となってきた。

 

「人は、皆が皆、強くなれるのかしらね。全ての人間が、皆が同じ、強さを持っていることを強制されるのであれば、そこは、地獄だろう」

 

 だが、宗教から、完璧に脱却できるものなのだろうか。

 皆が皆、宗教なしで生きていけるとは、強く在ることができるのだろうか。

 

「話が逸れたわね。あああ。ほんとに、上手く伝えることができないな」

 

叢雲は頭をかき混ぜる。

 

「結局の所、スピリチュアリティの目的は、キリストや仏陀の本来の教えとそう変わらないはずだ。自らに神の国を見出すこと、あるいは悟りを開くこと。つまりは、この世の生の苦しみからの解放だ」

 

 確かにそうである。この世の苦しみ、本人の抱える問題からの解放が、スピリチュアルの目的ではあるのだが。

 

「この世の人は、普通の人は、悟りを開くことを求めていないと?」

「逆に聞くけど、求めていると思うの? 求めているって思うなら、貴方はとんだ、大馬鹿ものね」

 

 そういわれると、納得するしかない。

 

「そうですね。求めてません、ね」

 

 普通の人間は、スピリチュアルを求めていない。最近のスピリチュアルは宗教に寄らないものも増えてきているのだが、それでも一般に受け入れられているとは言い難い。

 

 カウンセラーとしても普通の人間というのは中々難しいと思っている。

学生の頃に、彼らを学ぶ機会があったが、彼らは本心を表に出さず、往々にして靡かない。彼らの心を開くのは、非常に骨であった。

 

 スピリチュアル的に言うならば、彼らもまた、目覚めるべき人間であるのだが。

 

 そういった意味では、目の前の彼女は素直だと思う。

 ただし、非常に敏感であり、深淵で難解な本心を持っている。

 

 恐らく彼女の闇は、素直すぎるその性格から来ているのだろう。

 

「連中が求めているのは、不幸でしょうよ。自分の不幸を慰めるために、他人を不幸せざるにいられない人間が、連中なのでしょうよ?」

「そうかもしれませんが」

「連中が望むと思う? 悟りを開いた人間だなんて。不幸にできない人間なんて。自分の不幸に靡かない人間なんて。そんな、つまらない皆の玩具(オモチャ)を求めるのかしら?」

 

 カウンセラーは皆の玩具、という表現に嫌悪感を覚える。

 人でもてあそぶ、という人の姿は、あまり心地よくない。

 

「私が目覚めて、私が“幸せ”になったとしても、誰もそれを私の幸せだと認めないだろう。嬉々として、足を引っ張るだろう。変人、あるいは狂人扱いして遊ぶのだろう」

 

 どうして、どうして彼女はそこまで悲観的なのだろう。

 

「WATCHMENの話の中にこういうジョークがあっただろう。

 

ある男が精神科医を訪ねて、こう訴えた。

“私の半生は悲惨の一言だ。もう人生に何の希望も持てないんだ”

 

“世間だってひどいものだ。先の見えない社会を、たった一人で生き抜く辛さがわかりますか?”

 

医者はこう答えた。

“簡単な事ですよ。今夜、あの有名なピエロのパリアッチのショーがありますから、行ってきなさい。笑えば気分もよくなりますよ”

 

突然、男は泣き崩れた。

そして言った。

“でも、先生…”

 

“私がパリアッチなんです”ってね」

 

 叢雲はハハハと軽く笑う。

 

「コメディアンを評したジョークとしては、不適切だけど、とても良いジョークよね」

 

 映画にもあったジョークだ。秀逸だと思うが、とてもじゃないが、笑えないジョークだった。

 

「最初はこのジョークが理解できなかったけど、今なら理解できる。パリアッチは何で泣き崩れたか解るかな」

「皆が求めているのは、ピエロの自分であって、本当の自分ではないのですよね」

 

 精神科医とやらも、あんまりな対応をしたものだろう。世間を笑えない、救いを求めている人間に、皆が求めているのはあなたの笑える姿なんです、と答えたことは。

 

「そう。結局は本当の自分なんて、誰も求めてはいないんだ」

 

叢雲は天を仰いだ。

 

「結局、自分を救えるのは自分だけなのに。皆がそれを邪魔しようとするとは、ね。これじゃあ、本当の自分なんて」

 

そして、俯いた。

 

「本当の自分を見れるのは、結局自分自身を支えるだけの力を持った者だけなんだろうな」

 

 ひょっとしなくても、彼女もパリアッチであるのかもしれない。

 

 何故彼女がそうであろうとするのか。

 カウンセラーはどうしたら彼女を救えるのか。改めて考え始めることになった。

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