その日は酷い嵐が横須賀を襲っていた。叩きつける雨は割ることなどできないはずの窓を今にも突き破りそうなほどに叩きつけて、雷も落ちる。まず海上に出ることなどできない。
そんな中で、横須賀女子海洋学校の校長室に白いブルーマーメイドの制服に身を包んだ少女が、この学校の校長“宗谷 真雪”の前に立っていた。ブラウンのツインテールに快活そうな雰囲気とあどけなさが残るその少女は直立不動で脱帽し、真雪の前に立っている。紫のその奥に強い意志を感じさせる瞳は真雪の眼を覗き込むように見ている。
ふた回り以上はこの少女の容姿より生きているというのに、僅かに気圧される。そのことを自覚した真雪は本当に、彼女は実戦を知り生きて来た人物であると思わざる得ない。
「陽野 ほまれ教導官。忙しいところ悪いわね」
真雪は目の前に立つ、少女を“陽野 ほまれ”と呼んだ。陽野はそれに対して僅かながら眉を動かしたが何も動じない。ただ真雪の言葉を待っている。なるほど、と真雪はつい先日陽野から聞いた「絶対に聞く姿勢は崩さない」ということが真実であると確信すると同時に、悲しくもなる。陽野ほどの、自身の娘と同い年ぐらいの彼女がこんな、こんなにもまるで軍隊の兵士のような雰囲気を携えていることに。
「さて、わかっているとは思うけど初めてあなたを教導官と呼んだ意味は理解していると思う。私も極力、あなたにはましろたちと同じ立場でいさせようと思っていたわ」
座っていた椅子から立ち上がり、彼女は大嵐となっている外を見やる。雨がひどくて視界がほぼなくなっている。・・・まるで、これからのいく先のように。
「でも、そうもいかなくなった。残念なことにね。まずはこれを見てちょうだい」
デスクの上に置いてあった複数枚のプリントが纏められた書類を真雪は陽野に手渡し、陽野はすぐさま書類に目を通す。表紙には「横須賀海洋女子遠洋航海艦隊編成表」と題されて、つい先日合格者が決まり、入学してきたブルーマーメイドの卵となる女子たちが乗り込むそれぞれの艦の編成要項が記されていた。
海洋の治安維持活動を一手に引き受ける国際組織である「ブルーマーメイド」の育成を主とするこの学校では、恒例の入学式直後に行われる遠洋航海実習でこの編成表が毎年校内の教員幹部に配られるため何も特別な書類ではない。
「海のことを知るには実践が最適である。期間は三ヶ月。遠洋航海実施中は各艦、艦長及び副長に仮階級を与え現職ブルーマーメイド同等の活動を行わせる」
「えぇ、そうよ。もちろん実務に関しては現役のブルーマーメイドが行うわ。だから学生たちはもし現場に出くわしたらその初動、ブルーマーメイド本体のサポートをさせる。現に、これまでの実習で実際に救助活動に従事した新入生も多いわ」
「・・・・・過去に実習で死傷者は」
「正直に言えば、10年に一度何らかの事故でそれは起っている。事故死、自殺、その他いくつかの要因・・・・・ただ武装による戦死はいままで“0”よ」
海上において、どこにいっても艦艇に乗る以上“そういった”ことは年端もいかない少女たちの間で起こるものなのだと陽野は認識する。むしろ、精神的に成熟していない少女たちだからこそ起こりやすいと思っている。
だが、それを見越して入学時に遺書を書かせるあたり普通でいてはいけないということを暗に入学前に彼女たちに伝えているのだろう。まるで、普通の人になる人魚が様々な苦難を受けていったように。いっそ普通のままでいたいなら来るなと言わんばかりだ。陽野はそう思った。
「わかりました。それで、わたしにこんなの見せて、こんな格好をして、どうしろというのかしら」
「編成表の最後の艦を見て」
「最後、最後・・・っと。陽炎型航洋直接教育艦“晴風”編成表。うーん?晴風なんていたっけ」
「そちらではいなかったのね。でもこっちではいるわ」
「へー。それでこの子がどうしたの」
「搭乗員を」
陽野は晴風の搭乗員の名簿を見る。そういえば、と陽野は晴風の噂を以前ここにきてからしばらくして聞いたことがあった。曰く「最底辺の成績の入学生が集められる愚連艦」曰く「まともに遠洋航海をしたことがない航洋艦」。とにかく悪い噂しか聞かない。
なるほど、ではこの艦の教育のために自分は呼び出されたのか。確かに的確といえばそうだろう。陽炎型駆逐艦のことはよく知っている。
だが、搭乗員を艦長から見始めた陽野はその表情を怪訝に満ちたものに変えていく。
「どうしたの?」
「晴風の話は噂で聞いたことがあったけど、これ、どういうこと」
「そのままよ」
「ふーん。じゃあこの武蔵の搭乗員と比較するとなんで?」
「搭乗員はそれぞれ適正に合わせて決めているわ」
「なら、尚更疑問ね。こっちは学年の首席と次席。三位がそっち。以下、適正クラス別の最優秀者がなんでこっちに?・・・・・・贔屓?」
「まさか」
真雪の表情は変わらない、余裕のある表情だ。しかし、内面はヒヤヒヤものだ。この異質な編成表を見て彼女が反応しないわけもなく、こうして疑問をぶつけてくることは必須だった。曲がった事が嫌いで、正義感のある陽野のことなのだからと。
陽野は心を見透かすかのように真雪を見つめる。しばらく沈黙が続き、結果的に折れたのは陽野だった。
「・・・・ま、深くは聞いとかないであげるわ。今のわたしに逆らうことなんて不可能だし」
「ごめんなさいね。卑怯そのもの、だというのは理解しているわ」
「あなたは悪い人じゃないからそこんところは大丈夫。・・・・では、陽野 ほまれ確かに委細任務について了解致しました」
「よろしく頼むわ。晴風をお願いね」
真雪の言葉に陽野は敬礼し、直れば制服の帽子をかぶりまったくブレない動きで体を回れ右して校長室から退室していく。その小さな背中を真雪は見送り、扉が閉まると同時に敬礼する。
「(ごめんなさい、ましろ。私はあなたたちに未来を託す。そのために、彼女を預けるわ。司令官として失格かもしれないけど、ごめんなさい。陽炎)」
沈痛な面持ちで真雪は立ち尽くすことしかできない。これから来る嵐を知っていながら進路変更できないような気持ちで彼女は席へと戻るのだった。
航洋艦“晴風”。陽野の視界に写ったこの本来であれば“駆逐艦”と呼ばれるべき艦種のフネは横須賀女子海洋学校の桟橋に係留され、タラップが下されていた。入学式が終了し、すでに配属された生徒たちが艦に乗り込み始めている中、現職のブルーマーメイドの制服を着ている陽炎は嫌でも目立つ。
おまけに階級章は「二等海佐」。同じ制服を着ている学校の教官たちからも顔を知らない左官、しかも新入生たちと同い年ぐらいの少女がこんなところにいるのがあまりに不可思議だった。
「(あー、やっぱり怪しまれるか。まぁいいか。ちゃんと立場あるし)」
陽野は周りの自身を見る目を理解するとそう思いながら晴風に近づいていく。本来であれば教官は学生たちの艦に同乗しないのだが陽野は特別だ。成績最底辺クラスの艦と言われがちな艦に、教官が乗るということは自然と“そういうこと”だと思われるのだから何らおかしくない。
タラップに踏み入れさて乗艦と思った瞬間、陽野は背後から声をかけられた。
「あの」
「はーい?なになにー?」
顔だけ振り向ければ同業者ということになっているブルーマーメイドの教官の一人が陽野に声をかけていた。階級は三佐。一つ自分より低い階級のメガネの女性だ。
「二佐、私は今回の遠洋航海実習司令艦、猿島の艦長及び実習航海管理責任者を任されました古庄であります。失礼ですが、二佐はなぜ晴風に」
物怖じせずに聞いてくる古庄に陽野はどうやら校長は現場には何も言っていないと知る。こまったことになった。下手なことを言えば晴風に乗れなくなる。
「古庄・・・・教官、まずは自己紹介から。わたしは陽野ほまれ二等海佐。今回の遠洋航海実習にあたり、晴風同乗の上直接教導を行うこととなっています」
「直接教導・・・・・少々お待ち下さい。確認を」
古庄は手に持っていたタブレット端末を操作し、晴風に関するデータを観覧する。そうすれば、確かに晴風は“成績不良者に対しての補助・指導要員”として陽野 ほまれの名前があった。
「(確かに晴風は“そういう”艦だけど、こんなこと一度でもあったかしら・・・・けれど、これは校長まで全て通して決定されている編成表。となれば、陽野二佐は正式な辞令を受けてここにいるということになる・・・・)」
もう一度陽野の顔を見れば彼女は首を傾げている。入学生と同い年にしか見えない左官のブルーマーメイド。話題になってもおかしくないはずなのに、今日初めて彼女の存在を知った古庄の疑念は膨らむばかりだったが、公的な書類が彼女の確かな立場を証明しておりこれ以上の追及はできない。上官なのもそうだ。失礼にあたる。
「大変失礼しました陽野教官。確かに晴風の教官として編成表に組まれていますね」
「でしょ?まったく大変よ」
砕けた調子で陽野は首をふってみせ、やれやれといった様子を古庄に見せる。確かにこれから三ヶ月いくらブルーマーメイドを目指す生徒たちとはいえ普通の女子学生たちだ。下手な共学の普通校の教員より大変だろう。
古庄は「お疲れ様です」とだけ告げてその場から立ち去っていった。陽野は学生たちの間に消えていく古庄を見届け、ため息をつく。いきなりこれでは晴風の乗組員たちと顔を合わせたら何を言われるかわかったものではない。
ただ、これから起こることを思えばこの程度のことは苦労と大苦労のトレードオフだ。甘んじて受けよう。
「あのぅ・・・・・あのっ、私、わたしぃ、こもりされるほど、ひどいんですかぁ」
「え?」
ようやく消えた古庄を見届けタラップの入り口で止まっていた陽野にブルブルと震えながら声をかけてきたのは黒髪にツインテールの横須賀女子の生徒。まるで臆病な小動物のような印象を受ける。
陽野は彼女を知っている。会ったのは初めてだったが。だが、まずいことを言ってしまったなと生徒から視線を逸らし頭をかいた。
「あー、えー、知床 鈴さんだっけ」
「はぅ!?なんでわたしの名前ぉ!?」
「いやいや、これからしばらく乗る艦の生徒は教官なんだからそりゃ覚えておかないと。わたしはこの艦の教導官になった陽野 ほまれよ。よろしくね!」
元気よく手を差し出せば鈴は恐る恐るといった様子で陽野の手を握り握手を交わす。すると鈴は陽野の手がとても暖かく、不思議と落ち着く。
「(な、なんだろう、この人の手すごい暖かくて・・・・・)」
「正式な挨拶はまた後ですると思うから、今はとりあえず乗っちゃいましょ?」
「え、わわわっ!」
鈴の手を引いて、陽野はタラップを駆け上がる。陽野は鈴の手を握って即座にわかったことが一つある。
「(この子は大物になるな)」
生まれたての子鹿のような鈴にそんな印象を抱いたのだった。
晴風艦内の集会室に晴風の搭乗員たちは集められていた。出港前の諸注意やこの艦一つをクラスとする各部署の委員長からの挨拶をさせるためだ。宗谷ましろは、そんな中事前に配られた晴風の各部署の配属表を見てただでさえ“愚連隊”である晴風に配属されたことやおまけに艦長ではなく「副長」になっていることに気を静めてしまい、艦長になった岬 明乃というツインテールの快活な同級生になんでという気持ちが拭いきれなかった。
その隣にいる明乃はもう全員の顔と名前が一致しているのか配属表など読んですらいない。この時点で彼女が見た目に反して優秀なのではと認めざるえないが実際に航海に出ればわかるはずだと後ろ向きな気持ちと前向きな気持ちを同居させて教官がくるのを待った。
そして、ガラッと集会室の扉が開き白い制服を身にまとった現職ブルーマーメイドの教官が入って・・・・・来たのだが、ましろは思わず動揺した。それはましろだけでなく、これから晴風クルーとなる全員が同じ気持ちになり室内がどよめく。
「(私たちと同い年ぐらいの女の子・・・・・!?)」
入ってきた陽野の姿を見てましろはでかかった言葉を心の中で出す。明らかに学生にしか見えない年齢の少女がブルーマーメイドの制服を纏い階級章を携えている。しかも二佐。軍隊であれば中佐という駆逐艦の艦長を任される階級だ。
教壇に立つと陽野はましろの内心などよそに「ほい、それじゃ艦長はごうれーい」とゆるく声をかけてくる。あまりの事態に真横にいた明乃も「は、はい」とワンテンポ遅れて反応し「起立、礼」とかけて全員が陽野に礼をして再び着席する。
それを見て陽野はうんうんと何かを頷いて、パンパンッと自身に注目させるかのように手を叩き口を開いた。
「みんなまずは入学おめでとう!私は陽野 ほまれ。もう編成表を見た人は知ってるかもしれないけど、この晴風の同乗教官をこの遠洋航海中はつとめることになるわ!」
快活な、体育会系とでもいうべき勢いにましろは苦手なタイプだと思ってしまう。あの姉と同じタイプのように見えて。
「航海中は主に艦橋で全体の補佐をさせてもらうから、基本的に私が何かを命令したりってことはないと思うんでそこんところはよろしく。ただ、何か航海中にトラブルが起きたり、実際にもし救助活動に参加するっていうことが起きたら私の権限で責任とれるから、そん時はみんな思う存分実習に励んでね!」
簡潔に言えば非常時に何か起きたら責任を取ることができる保護者のようなものだとましろは理解する。尚更この艦が成績不良者の掃き溜めのようだと言っているようなものだ。
「それじゃ出航時間まで余裕あるから艦長以下、艦橋員をつとめる各委員長の子はでてきてねー。みんなもそれぞれの部署の長の指示には従うこと!海の上では上下関係を最低限守らないと大変なことになってしまうからね〜」
陽野の軽い口調にましろは彼女が出港前の緊張感をほぐすためにわざとやっているのだろうと思いたかった。でなければあまりにも無責任な人に見えてしまう。
そして、実際彼女をそう思ってしまった人がいるのか「教官!」と声を張り上げて挙手した生徒がいた。ましろも含め全員が目を向ければ、少し目がつりあがった気難しそうな癖のあるロングヘアの少女が陽野を睨んでいた。
「ん?なにかなー機関助手の黒木 洋美さん」
陽野はその視線にまったく動じずに発言を許可するかのように応える。それが洋美にはふてぶてしく見えたのか苛立ちを覚え、相手が教官ということを少々軽視して発言する。
「その大変なことになる前に、なんでそうならないようにできる人が艦長ではないのですか?」
「ん?編成に関しての質問なら受け付けないよ。これは学校の方が決めたことだからわたしが知ったこっちゃない」
「そんな・・・・その言い方は無責任じゃないですか」
「だって私はそのことに関して“責任を持てない”もの。私ができることは実習中に例えば・・・・・黒木さんがもし事故で死んでしまった時に責任を取ることだから」
突然、声音を下げて陽野は「死」という単語を洋美にぶつけた。その瞬間、陽野に見つめられていた洋美は感じたことがないゾクッとした感覚を受けた。同時にこれまで少し騒がしかった室内がしんと静まり返る。
陽野は続ける。
「彼女に限らず、みんな入学時に遺書と同意書を書いたりしたと思うけどアレ脅しじゃないから“本当に起こるから”毎年書かせてる。海はね、人が思う以上に・・・・・怖いよ」
陽野の表情は語りながらも貼り付けたように微笑が残っている。この言葉を聞いて、壇上にあがりかけていた明乃は思わず顔を俯かせる。そう、彼女の言う通りだ。海は人を助けてくれることなんてない。むしろ、理不尽に人を飲み込んでいくのだ。そうならないように多くの人を助け出すブルーマーメイドになりたくてここにいる。
陽野はその覚悟を今ここで問おうとしているのだと明乃は感じた。
「とまぁ、いきなり怖がらせて申し訳ないけど、最初に言っておけば私がこれからガタガタ言わずに済むでしょ?ほらほら!それじゃあ、各委員長たちには面白おかしく自己紹介してもらいましょ!」
冷え切った空気を再加熱する声で陽野は立ち止まっていた生徒たちに手招きする。そうすれば自然と空気もまた盛り上がっていき、ついさっきまでの凍えるような雰囲気は払拭されていく。とても手慣れた陽野の様子に確かに彼女は教導官なのだろうとましろは認めた。
集会室での顔合わせを終え、出航準備を艦長に指示出しさせた陽野は一度艦内の自室を確かめようと集会室を出て少し通路を歩くと「すいません!」と誰かに呼び止められた。これで今日二回目だと思いながら陽野は振り向いた。
「あ、あのっ!陽野教官!」
「どーしたの?岬ちゃん」
声をかけてきたのはどこか陽野と似ている容姿をしたこの晴風艦長“岬 明乃”である。気が合いそうだと陽野は思っていたがいきなり声をかけられるとは思っていなかった。
「えっと、あの、どうして私が艦長なのでしょうか・・・・・私とても、艦長になれる成績では・・・・」
なにを言っているんだとと思わず陽野は吹き出しそうになったが堪える。今年度の首席が「そんな成績」だなんて言えば今艦長になれず意気消沈している校長の娘が早々に問題を起こしかねない発言である。
だが明乃は大真面目に自身が成績がよくないと思っている。偶然試験の問題が前日に勉強したところが出るという豪運で合格したようなものだ。ここに来る前はとても成績優秀などではなく、親友から何度も教えられていたのだから。おまけに中学生の時に受けた検査では合格率E判定で絶対に受からないはずだったのである。
だから、もっと適した人物がいるはず。明乃はそう思っていた。
「気になっちゃう?」
「はい・・・・・」
「そっかぁ、んじゃ一つ。試験で“実践”に関した内容、あった?」
「・・・・え、それってどういう」
「早い話がこの遠洋航海は試験の続きみたいなもんなの。この実習でそれぞれ配属された部署での働きを見て実習後はそれに適した配置替えを行う・・・・・っていうね。だから正直言うとあんまりこの編成に意味はないよ」
「えぇ!?」
大嘘だ。実習後の配置換えは確かにあるがそれは“ランダム”だ。艦橋員に関しては少々特別なので違ってくると陽野は真雪から聞いているが、それはここで説明する必要もない。
「まぁ一応入学前の面接とか、心理テストでそれぞれの適性にまずは合わせて配置してるだけだから。最初は与えられた役目をやってみなさい、ってことだよ。多少は希望もあっての選出だけどね」
悪戯っぽくウィンクしながら陽野は言った。明乃は希望ポジションに艦長と確かに書いたが本当になるとは思わなかった。私はこの艦の、海の中のお父さんになりたい。だから艦長になりたい。その希望が通って今、艦長になっているのだと。明乃は拳をぎゅっと握り顔をぱぁっと明るくする。
「納得してくれたみたいね。それじゃ、艦長。よろしくね。私こんな見た目だから、非常時以外は好きに呼んでちょうだい」
「えっと、それじゃあ・・・・ほまちゃん先生で!」
「ほまちゃんか、いいわねそれ!それじゃあわたしは一度自室に戻ってから艦橋に行くわね、ミケちゃん」
「あ、その呼び方私の親友と同じです!えへへ、なんだかほまちゃん先生とは仲良くなれそうな気がします!」
「そうなんだ。ならよかった!あと、先生はながったらしいからいいよ!」
明るい会話が通路に響き、まだ集会室からの移動を済ませていない生徒には今の会話が丸聞こえだった。そんな聞こえていた一人の機関長である“柳原 麻侖”は思わず周囲に同じ機関委員たちに聞こえるかのようにつぶやいた。
「ま、私ら含め全員素人だかんな、まず言われたことぐらい出来んと文句言うのは厳しいわな。洋美」
「うっ・・・・そうだけど麻侖・・・・」
「っちゅーこって、さっさと出航準備!やるぞ!」
麻侖はだれがどう上に立とうと自分に任されたことはキッチリやる。仕事とはそういうものだと実家の両親のことを思い浮かべながら、これから部下となる幼馴染の洋美を含む少女たちを引き連れて集会室から出て行く。彼女たちで集会室に残った人員は最後だった。
明乃が艦橋に入るとすでに他の艦橋員は揃っていた。が、なにやら騒がしくその騒動の中心は羅針盤の上に載っている大きな猫だった。
「あれ?五十六?」
「や、やっときた・・・・・お、おま、じゃなくて艦長!この猫をどうにかしてください!」
「勝手に乗り込んじゃったんだね。ほいっと」
両手で五十六と呼んだ猫を抱えて明乃は誰についてきたのと五十六に問えば、ましろの方を向いた。
「そっか、しろちゃんについてきちゃったんだね」
「なっ、そんなわけあるか!私は猫が苦手でっ。それより『しろちゃん』ってなんだ!?」
「えっと、宗谷ましろさんだから、しろちゃん」
「い、いきなりそんな気安く」
五十六を抱えたまま明乃は艦橋にいるクルーたちを見渡す。それぞれ個性が強そうな面々だがきっと仲良くなれる。そんな気がした。
「航海長の知床さんだよね!りんちゃんって呼んでもいいかな?」
「は、はいぃぃぃぃ!よ、よろしくお願いします、艦長!」
鈴がなぜか怯えなが舵を握り応える。
「それと、砲術長の立石志摩さんはタマちゃん!」
「たま・・・・うん、よろしく・・・・」
鈴の次に声をかけたのは砲術長を務める立石志摩。わずかに黄みがかかった白髪の小柄などこか寡黙な印象を受ける不思議な少女。彼女はとくに戸惑うことなく明乃のあだ名を受け入れる。
「それと、水雷長の西崎芽衣さん!メイちゃんだね!」
「うん!よろしくね艦長!」
制服の上にライトブラウンのパーカーを羽織っている茶髪にポニーテールのいかにも今どきの女子高生という風体の水雷長、西崎芽衣は努めて元気よく返事をする。
「あと、書記の納沙幸子さん!ココちゃん!」
「いきなりあだ名で呼ばれるのはちょっとびっくりですけど、よろしくお願いします。艦長さん」
「よろしくね!」
艦橋員それぞれの点呼をとった明乃は五十六を抱えたまま、定位置につく。それを見て、隣に立ったましろが指摘する。
「艦長、まさかこの猫をそのまま連れていくつもりですか」
「いやぁ今から降ろすのも無理だし、それに猫はネズミをとってくれるからねー」
「うぅ・・・・いきなり・・・不幸だ」
「じゃあ五十六は大艦長ってことで」
「しかも私より階級上!?」
漫才のような会話に艦橋がの空気が和むが、そんな中に陽野が入ってくる。
「おっ!みんな早いわね!」
「ほまちゃん!」
「きょ、教官に対してその呼び方はまずいんじゃないですか!?
「ミケちゃん、状況は?」
「いいんですか!?」
ましろのツッコミが完全にスルーされていくこの状況に幸子はクスクスと笑い、芽衣は腹を抱えて笑っていた。笑い者にされたましろは早くも涙目になっている。
「もうすぐに出るところです。錨鎖をあげます」
その言葉と同時にあまりにあんまりな音程が完全に外れた出航を知らせるラッパが鳴り響き艦橋は明乃とましろ以外ドッと笑ってしまった。
「アハハハッ!まったく最初からトバしていくねー!晴風は!こりゃ愉快な子達だ」
「(クルーがクルーなら教官も教官・・・・・・!母さん何を考えてこんな人を)」
「でも、なんだかみんなならこの航海、楽しくできそうな気もします!」
明乃の言葉に艦橋員は皆、頷いた。なんであれ、楽しいという感情が共有できるのはいいことなのだから。・・・・早々にいじられ役にされ始めたましろは少し不服だったが。
「錨鎖収めよーし!機関前進微速!晴風出航!」
「き、機関前進微速!出航しますぅ!」
明乃の号令とともに鈴が復唱し、機関を微速まで上げる。それが機関室に伝わり機関員たちが制御する。晴風がゆっくりと水上を割り始め、前へと進んだ。
「演習は西ノ島新島沖・・・・・はてさて、時間通りに着けるかしら?初航海、きぼっていこー!おー!」
「「「「おー!」」」」
「(本当に大丈夫なのか。この艦)」
一抹の不安を感じながらもましろは渋々「おー」と掛け声を合わせた。
出航して二日が経過した晴風は本来であればもう西ノ島が見えているはずなのに未だ海上を走っていた。
「マロンちゃん、機関はどうですか?」
『もう駄々っ子をいわせねーよ!ただあんま無茶するとすぐグズるから無茶はさせんなよ!』
「わかりました。到着時刻に遅れているのでこのままの速度を維持します。大丈夫ですか?」
『べらんめい!コッチの仕事はまかせときな!』
麻侖の勝気な声が明乃を安心させる。晴風は試験用機材で同型の陽炎型よりは高速航行が可能だが、肝心の機関の高圧缶が故障しやすいという欠点があるため、遠洋航海実習の集合場所への航海でさっそく故障したのである。
近代化された晴風の AIが高圧缶のセーフィティーを発動させたため自爆などという物騒なことは起きなかったがその修理に時間をとられ大遅刻となってしまった。
「まるで天津風みたいね」
「確かにそうですね。陽野教官」
「悪かったわよ宗谷さん」
「何も謝る必要はないと思いますが」
「うーむ」
ましろは出航時のことでまだ陽野に態度を堅くしていた。陽野はまぁしょうがないと思っているが、もう少しましろの態度を軟化させたかった。
「うぅ・・・・私が方角間違えたりしたから・・・・」
「鈴ちゃん、それは大丈夫だよ。すぐにココちゃんが修正してくれたし」
「見た目はレトロチックですけど中身は最新式なので便利ですね〜」
タブレット端末で自分たちの位置を表示させている幸子は気楽そうに言い、鈴は涙目のまま舵を操作している。志摩と芽衣はしりとりをして時間をつぶしており、艦橋の空気は完全に和んでいる。
「ま、遅刻の連絡ぐらいはいれとかないとね」
「それについては既に通信員の八木に打たせています」
「優秀優秀。言われる前にやれるクルーは戦場で強いぞ〜」
「晴風はもう駆逐艦ではないですよ教官」
ましろと陽野の会話に芽衣が「そういえば駆逐艦ってなに?」と疑問をつぶやき、ましろは思わずため息をついた。
「砲術長、駆逐艦とは本来の晴風の艦種のことだ」
「ふーん。なんかつよそーだね。あとそれと芽衣でいいよましろさん」
「実際駆逐艦については教官に聞いたほうが早い」
「ここで私に振るかー。まぁ簡潔に述べると、駆逐艦っていうのは艦隊における梅雨払い役を務める艦艇だね。小回りがきくから敵艦隊への攻撃で先鋒とか突撃をかけたり・・・・いろいろ役目があるわけだ」
「とつげきっ!?晴風も突撃するんですか!?」
「あはは・・・メイちゃん、もう晴風は書類上戦闘艦じゃなくて航洋艦だから基本的に戦闘はしないよ」
「えー!?あたしとかタマちゃんなにすんの!?やることないじゃん!」
絶叫する芽衣に志摩がよしよしと頭を撫で、陽野は苦笑しながらもフォローする。
「いやまぁ、ほら、状況によっては障害物排除で砲撃とか雷撃が必要だからそういう時に打てるよ」
「あーもーはやく障害物きてよ!うーちーたーい!」
「砲術長はトリガーハッピー・・・・・・」
ましろは頭を抱えてしまうが彼女以外特に芽衣の言葉を気にするそぶりもなくあははうふふと笑っている。とても実習に遅刻しているとは思えない空気にましろは胃痛がした気がする。あとで医務室にでも行こう。そう思い、姿勢を正したところで背後の鈴から悲鳴のような声が届いた。
「あ、あれぇ!?前方に艦影!距離ろ、6000!」
途端に艦橋の空気がガラリと変わる。笑っていた陽野の表情が真剣なものに変わり、明乃も笑みなど一瞬で消して真面目な表情に切り替える。
鈴は操舵輪の基部に備え付けられたコンパス兼電子レーダーが前方から迫る艦影に気がついたのだ。優秀な晴風に搭載された戦術観測補助 AIが迫る艦の速度を計測し、画面に表示する。
「速度はさ、36ノット!」
「早い・・・・衝突コースに載ってる?」
「は、はいぃ!あと6分もかからずに交差しちゃいます!」
明乃は双眼鏡を覗き、正面を見やると確かに接近する艦影を確認する。遅刻しているとはいえ演習場の近く。となれば航洋艦に違いなく36ノットという高速ということは教導艦に類するものだと思うが。
「しろちゃん、電信室にIFFの確認を」
「もうしました。応答あり、教導艦『猿島』です」
「わざわざ迎えに来たかな」
陽野は今回の教導艦のIFF反応に疑問を感じつつもそう言うしかない。明乃に続き、ましろも双眼鏡を覗き、確かに接近してきている艦が三胴体の艦影を持つ教導艦であるとおぼろげに確認できた。
「こちら艦橋明乃。見張りの野間さん接近中の艦艇を視認しました。そちらはどうですか」
『こちら野間。接近中の艦影を確認。トリマラン、教導艦と思われますがどうぞ』
「 IFFからも教導艦の応答です間違いありません」
『了解。引き続き捕捉します』
見張り員の野間 マチコの確認もとれ間違いなく相手は今回の遠洋航海の司令艦である『猿島』のようであった。明乃は大方お叱りに来たかこちらを心配に思い迎えに来たかいずれにせよどちらかだろうと思い、鈴に衝突コースからの退避を命じる。
「しかし我々が遅刻したといえ、迎えにくるものだろうか」
「うーん確かにしろちゃんの言う通りなんだけど、それ以外に向かってくる理由が・・・」
「え・・・・か、艦長!猿島38ノットに増速しました!」
「なにっ!?」
鈴の言う通り、猿島の速度は上がり“38ノット”とレーダーの艦影横に表示されている。36ノットでさえ出しすぎなのにこれでは相手は最大船速だ。ましろの疑念がさらに深まってくる。
「陽野教官、何かがおかしいです。こんな急いでくる必要があるのでしょうか」
「ん?あるんじゃない?もう演習の準備に取り掛からないといけない時間のはずだし」
「では尚更教導艦が直接くる必要性が感じられません。これなら同じく遠洋航海を行っている五月雨あたりを寄越すべきでは」
「ごもっともだね。ミケちゃ・・・いや艦長。速度は落とさせないように。ちょっとやっぱおかしいわ」
「はい。鈴ちゃん、転身します。右3点回頭。2時方向へ」
「み、右3点回頭、2時方向に向けます」
「速度そのまま、回頭かかれ」
陽野の鋭い視線が艦橋に緊張をもたらさせる。これが功を奏した。晴風がゆっくりとその進行方向を変わり始めた瞬間、見張りの野間からの怒声が響いた。
『猿島発泡!』
何が起きたか、学生の反応はワンテンポ遅れる。だが陽野は違った。一瞬で状況を把握し、叫ぶ。
「耐ショック!」
艦橋の全員が身をかがめ、周囲の手すりなどをつかみ直後に衝撃。艦体が揺れ、鈴が悲鳴をあげた。
「きゃぁぁぁぁっ!?」
「撃ってきた!?何故!?」
『着弾!右舷30!』
ましろの疑問は当たり前だ。だが状況はそれに答えなど用意させてくれない。陽野の次に動き出したのは明乃だった。
「総員対水上戦闘用意!配置につけ!鈴ちゃん面舵いっぱい!回頭!」
「りょ、了解!面舵いっぱい!回頭します!」
「マロンちゃん機関増速!第四船速!あとダメコン用意、全艦のダメコン制御を ASCに移譲!」
『了解!第四船速っ!ダメコンは機械制御でい!』
明乃の指示が飛び、晴風はあっという間に戦闘体制を整えていく。
「ココちゃん!猿島に緊急通信!野間さんと山下さんはそれぞれ手信号と信号弾白色で“我に戦意なし”!」
「はい!・・・・こちら航洋艦晴風!猿島応答してください!」
『野間、山下了解!』
「これでわかってくれればいいけど・・・・・!」
信号弾とマチコの手信号により戦意がないことを伝えるがそれをした直後である、再び猿島からの砲撃が行われる。
『着弾!左舷20!夾叉されています!』
夾叉。つまりクロスポイントに晴風は入り、次からは直撃コースの砲撃が来る可能性が高い。陽野はこの状況を見て、動いた。
「納沙さん、応答は?」
「それが教官、ありません」
「うんともすんとも?」
「はい」
「ふーん・・・・・」
陽野はレーダーを、目を細めて見つめて、幸子に受話器を納めさせる。それを見たましろが叫んだ。
「教官!?なぜ通信を」
「聞く耳もってないっぽいよ、ほら」
「それは?」
「教官専用の通信端末。この通り猿島の艦長の古庄教官はなんでか圏外扱い。衛星電話がバリバリ通じるのにおかしいよねぇ〜」
陽野がましろに見せつけた小型の時計型の端末の画面には確かに「古庄」という名前と番号が通じない状態であることを示していた。陽野は端末を腕につけなおしながら言葉を続ける。
「とりあえず一つ言えることは、あっちはこちらを沈めにきてるってこと」
『猿島発泡!』
「っ!?おもーかーじ!いっぱい!」
「お、おもかじいっぱーい!」
大きく晴風が右に傾き、回避運動をとる。猿島に搭載されている主砲は晴風とは比較にならない性能を持つ速射砲だ。連射されたのか三発の砲弾が晴風に襲いかかる。
衝撃。どこかに着弾し、被弾した。ましろが伝声管を使用した。
「全艦状況報告!」
『こちら機関室!第12ブロックで浸水発生!柳原以下機関員全員無事!』
『見張り台野間、無事です』
『第一魚雷発射管、損害なし!』
『同じく第二、姫路、損傷なし』
『主砲被弾!自動装塡装置故障!砲塔旋回はできるけど撃てません!人的被害は擦り傷だけです!』
『す、炊事室!炊飯器壊れたりお茶碗割れちゃいましたけど全員怪我はないです!』
『電信室、八木、宇田両名無事です』
『医務室、鏑木美波、健常』
ましろが聞く限り、リストの全員の返事はある。誰も欠けてはない。状況分析を始める艦長の代わりに指示を出す。
「鏑木さん、主砲部で負傷者有り。対応をお願いします」
『了承。すぐに向かう』
「あー割り込んで悪いけど外には出ないでね」
『了解』
陽野の忠告に頷き鏑木は行動を起こした。
状況は早くも悪い兆候を見せている。運が悪いと自負しているましろはなんで、と思わざるえない。ただの遠洋航海のはずだった。だが今、意味もわからず教導艦から砲撃を受け、明らかに実弾により沈めにきている。
このままではどうなるか素人でもわかる、沈む。
『猿島主砲、旋回中!照準を向けています!』
「教官、猿島のデータを確認しているのですが相手はもっと撃てるはずなのにさっきから散発的にしか撃ってきていないような気が」
「納沙さんの言う通りだよねぇ。殺意はあるのに相手の攻撃に意志が感じられない」
「さ、さつい〜〜〜〜!?や、やだぁ、ころされちゃうの・・・・!?」
「教官!知床さんが不安になるような言い方は控えてください!」
「あ、ごめんごめん。でも、このままだと本当に沈むよ。どうするミケちゃん」
陽野は明乃に問いかける。まるで試すように。明乃も感じている。相手の攻撃のどこかおかしい点に。最新鋭の装備を持つ相手が本気ならもうとっくにこの艦のクラス全員が海の藻屑と化していておかしくないが、まだ損傷軽微で浮かんでいる。
性能差もあり逃げ続けるのは困難。いつ沈められてもおかしくないのだから。ならばどうすればいいのか。明乃の、誰も気がついていない異常な思考が冷静に道筋を組み立てていく。
「教官、実弾使用許可を」
「何を馬鹿な!相手は教官だぞ!沈める気か!?」
「ううん。相手の足を止めるだけでいいの」
「撃っちゃう!?ついに撃てるの!?」
ましろと芽衣の反対の反応に陽野はクスクスと笑う。この状況で笑うことにましろは信じられないものを見たかのように陽野を見つめる。
「きょ、教官。まさかこの提案を・・・・」
「うん、ミケちゃんならそういうとおもってた。許可しよう」
「なぁ!?」
「ありがとうございます。艦長命令です、副長。セーフィティー解除を」
「ま、待て艦長!もう少し呼びかければなんで攻撃されてるのかわかるかもしれない!反撃なんてしたら・・・・・!」
反撃なんてして相手に怪我をさせれば入学早々退学になる。それを言いたかったが、すでに明乃の決心はついていた。その表情からはとても同い年には見えない、何かをましろは感じてしまった。
「うっ・・・・・!」
「しろちゃん、私はこの船の艦長だから。本当はね、撃ちたくない。でも撃たないと」
『猿島発砲!』
この状況の中、明乃の声は砲撃音よりも小さいのにそれよりもよく聞こえた。伝声管を開けたままなせいで明乃の声が艦内に放送されてしまっている。
「このまま逃げ続けてもいつか沈められる。そしたらみんな・・・・・死んじゃう。私はねしろちゃん、家族を守りたいから艦長になったんだ。海の上にいる人、そして自分の艦のみんなを守りたいから。だから」
『着弾!右舷30度!』
艦が再び揺れる、だか明乃の言葉はまったく震えず、揺れない。陽野はそれを見て満足そうな表情だった。その表情を見たのはすぐ近くの幸子のみ。恐怖に震えまいと気丈に振舞っているのに、隣の教官はまるで自然体なことにこれがプロなのかと思ってしまう。
「だから、晴風のみんなを私は守る。艦長なんだから」
明乃の声明と共に、陽野は「よく言った」とつぶやく。明乃は陽野に目もくれず正面を向いて、指示を下した。
「魚雷、模擬弾を使います。模擬弾なら当てても沈まない。右舷雷撃戦よういー!第一発射管一番管使用!訓練弾頭を使います!」
「・・・・・わかった、やるしかないんだな」
「うん。ごめんねしろちゃん」
「謝らないでください、艦長。キーを」
「うん・・・・・総員!これより攻撃装置のセーフティーを解除します!以後は各兵装使用自由!取り扱いに気をつけて!・・・しろちゃん!」
「了解!セーフティー解除、せーのっ!」
明乃とましろが艦橋に備え付けられた火器のロックを同時に二つの鍵穴にキーを差し込み回すことで解除する。一瞬の警報の後、機械音声で「全兵装のロックが解除されました」と全艦放送で流れた。
「よし!距離25まで近づけて!取り舵2点!反抗戦用意!」
「とーりーかーじ!」
「右方雷撃戦用意!水雷長!」
「りょーかい!ここが腕の見せどころってね!」
ついに、こちらから仕掛ける。艦内全体に緊張が走る。
「距離40!」
「面舵一点!距離を詰めて、交差時に一撃で仕留めて!」
『猿島発砲!』
「舵もどせ!」
必死の操艦で鈴が晴風を猿島とすれ違う形にもっていかせる。反抗戦。進行方向がそれぞれ交差する形の戦闘状況。
『着弾!右舷20!』
「マロンちゃん!一瞬だけ速度を最大まであげられる!?」
『いける!でも一瞬だけ!一瞬だけだかんな!』
「ありがとう!最大戦速!」
『まわせー!最大戦速!』
晴風が一気に増速する。これによりさらに交差する速度はあがり、雷撃の難易度はあがる。
「距離30!」
「魚雷発射用意完了!」
芽衣の言葉に明乃は頷く。そして、
「距離25!」
「攻撃はじめ!」
明乃の号令とほぼラグなく魚雷は発射管から飛び出していく。着水し、魚雷は白い航跡を残して猿島に向かう。
「あたれーーーーーー!」
「ありゃ当たるよ」
「えっ!?ほんとですか!?」
ポンッと芽衣の肩を叩きながら陽野が雷撃の行くすえを見ていった。晴風と猿島がすれ違い、直後に猿島の側面で大きな水柱が起きる。直撃だ。
「魚雷命中!よっしゃー!」
『猿島速度を落とします!』
「機関最大!一杯!本海域を離脱します!」
『一杯まいど!』
「面舵いっぱい!」
「もうやってますぅぅぅぅ!」
晴風は損傷し停止した猿島を置いて離脱行動に入る。陽野は離れていく猿島を見ながら冷めた視線をぶつけていた。
「(始まった。こんなところまでご苦労様、と言いたいわね)」
「教官!?見た!見た!?」
「ん?見てた見てた!芽衣ちゃんすごい!」
「だって私、水雷長ですから!」
芽衣に声をかけれ、我に返った陽野はいつもの調子で勤めて明るく返す。そのせいで、わずかに猿島の艦体が赤くボゥっと光ったことを陽野は見逃した。ただ、見張りのマチコはそれを見たがあまりに一瞬のことで光の反射だろうと特に気にしなかった。
「ASCによるダメージコントロール作動しています。浸水は防がれました」
幸子の報告に、ましろは安堵し一先ずの危機は脱したと判断する。なんであれ、教官を撃ってしまった。そのことがどうしても気がかりだ。明乃を見れば制帽を手に持ってため息を短かく吐いていた。彼女もこの状況で混乱せずに指示を下したのだ、一瞬浮かんだ言葉はすぐに消えて、お疲れ様ですと声をかけるしかなかった。
「ほまちゃん、学校に報告を」
「りょーかい。さすがにこれは言っとかないと面倒なことになるねー」
陽野は明乃に言われて教官用の端末を操作し緊急事態発生の報を学校に送る。これで何が起きても最低限生徒たちに罰は与えられないだろう。
この戦闘で双方の死者は0だった。しかし、この一戦が後に語られる事件の初戦になるとは誰もがこの時は思っていなかった。ただ一人、異物としてこの世にいる彼女を除いて。