シュペーとの交戦を終えた晴風は夜通し逃げ続け明け方近くになり、ようやく身を隠せそうな入江のついた小島を見つけていた。既に機関はまともに動かせず微速でノロノロといった状態で、なんとか持たせようと麻侖ら機関員たちが必死の稼働維持を行っている。
「ぅあちぃ!?」
「麻侖!?」
「洋美ィ!いいからスパナだスパナ!」
立ち込める蒸気に既に麻侖は上半身裸である。本来整備中にこのような格好は危険極まりないがそれ以上に室温が40度を超え、湿度も90%以上。水を飲んでも飲んでも水分が汗となって抜けて行く。
「マロンちゃんもうやめようよ!暑くてどうにかなっちゃう!」
機関員である若狭 麗緒からあまりの異常な状況に麻侖にそう声をかけるが麻侖はそんな麗緒に喝を入れた。
「まだこっちの仕事は終わっちゃいないんだ!あと少し、あと少し動かせ!晴風の足はまだ折れちゃいないんだ!」
「麻侖!なんでこんな!これじゃあ停泊前に、機関より先に麻侖が」
幼馴染を案じての言葉だろう洋美が麻侖の肩を掴む。だがそうしても麻侖は手を止めない。代わりに返ってきたのは洋美が久し振りに聞いた親友の怒声であった。
「麻侖は初めてだったんだ!あんな誰も彼も"家族"だなんて言い切っちまうやつなんて!あのバカ艦長は麻侖たち缶焚きを初めてだってのに、ここまで信頼してくれてこいつの足を任せてくれたんだ!その期待を無下にしちゃ女が廃る!」
「っ…!でも艦長は艦をほっぽり出してクルー25人よりも1人を優先したんだよ!?」
「そいつは違う!命に貴賎なんてあるもんか!むしろ麻侖たちが26のために1を切り捨てようとしてたんだ!そいつを誰も欠けずに、1を救ってみせた。天晴れじゃないか!」
麻侖と洋美の言い争いになりかけ、他の機関員たちが慌て始めるがそれ以上口論がエスカレートする前に伝声管からましろの声が届いた。
『目標の小島についた!後進微速制動かけ!後、機関停止!』
「後進微速!制動後に機関停止!」
麻侖が復唱し、機関員たちがあたふたしながらも機関を操作し、数分後僅かに制動の揺れが入り船が止まったことがわかった。麻侖はそのまま機関停止指示を実行しけたたましい異音と共に動いていた晴風の機関が黙る。
「はぁ、はぁ、すぐに、修理開始、だ。なんとか停泊中に一回は全開、できるように……しねぇ、と」
まるで機関の停止と連動していたかのように麻侖の意識が遠のいて行く。艦長は怪我をしなかっただろうか。晴風の高圧缶の状態はどうなっているんだろうか。思考そのままに麻侖の意識は遠のいていった。
麻侖が倒れたという報がブリッジに届きすぐに船医の美波が機関室に駆けつけ、機関員たちに麻侖を担架に乗らさせて医務室へと運んだ。
倒れた原因は極度の疲労と診断され麻侖はしばらくは安静という事となった。
これにより晴風の再出航は伸びる事となった。
この報告を聞いた明乃は後頭部を殴られたような衝撃を受けた。ただでさえ無茶をさせられない晴風の機関をあそこまで動かしてくれたのだ。それを麻侖は身体と引き換えに実現させていた。
足の止まった艦艇はただの的だ。だから麻侖は無茶を通してまで晴風の機関をここまで保たせてくれたのだと明乃は思うしかなかった。シュペーとの一件は明乃がクルーを優先すれば起きなかった事であり、麻侖が倒れることもなかった。
しかしそれが意味することはシュペーから脱出した小型艇の搭乗員を見殺しにすることであり「海の仲間は家族」だと思っている明乃にそんなことはできなかった。
「艦長。機関長の件は機関長の体調管理不足もあるにはあります。ですが無茶をさせてしまったことに艦長の責任もあると私は思っています」
「うん……」
艦橋でましろは明乃に対して責めるような口調で言葉をかけている。これは必要なことだ。副長という立場だからこそ艦長の身勝手を許すわけにはいかない。
「あなたは私たちを家族と言った。だからこそ、まず人を助ける前に私たち家族を守るべきなのではないですか」
「それは海の上ではみんな、家族だから」
「人を助けることを悪いとは言いません。ですが物事には順序があるんです。艦長が自分の艦を放り出して真っ先に飛び出して行くようなら、私は副長として艦長にクルーの命運を預けられない」
「ごめん……副長、みんな。私、私はただ」
助けたかった。それだけだと明乃は言いたかった。体が勝手に動いて助けなきゃと頭が一杯になった。結果があれ。明乃は叱られて当然だろうと甘んじてましろの言葉を受け入れる。
ましろも酷なことを言っているのはわかっているが一度釘を刺しておかないといずれ取り返しがつかなくなる。
「こんなことになるなんて思わなかった。そう思っているのであれば私もそうです。艦長から指揮権を託された以上あなたを見捨てることはできなかった。艦長という立場、意味を客観的によく理解して下さい。……これは返します」
制帽を明乃に渡し、ましろはこれ以上彼女への説教は止める。人としては正しいことをしたのだ。感情に任せて永遠に責めていいものではない。そう判断できる程度にはましろは冷静であった。
「艦長に6時間の休息と仮眠を進言します」
「……了承します。戻るまで、お願いします」
明乃がトボトボと艦橋から出て行く。それを鈴が見ていられず追いかけて行く。幸子が呼び止めかけたが志摩が制して首を振った。
自分では今の彼女に何を言おうと逆効果だろう。
「さて、後は教官。あなたについてです。伝声管は閉じていますし現状晴風の主電源は一部を除いて停止していますから録音される可能性も低い。話してもらいましょうか。あなたが何者なのか、何のために晴風に乗っているのか」
明乃への詰問とは明らかに違う敵意を剥き出しにした視線に陽野は動じない。艦橋の空気が一気にはりつめる。戦場から離れたはずなのに。
陽野はましろの質問に対して静かに応える。
「私は教官としてこの艦に乗っている。万が一の責任を取るだけにね」
「それはただの生贄というんです。我々がそういう意味の愚連隊であることは百も承知です。であるなら既に二回はこちらから指揮権を取り上げて教官の裁量で行動すべき事態が起きた。それをあなたはほぼ静観していた。シュペーの時も艦長を止めるべきだった」
ましろの言葉に陽野はごもっともだと頷くしかない。教官であるなら生徒たちの安全を最優先とすべきでありもうこの状況は生徒たちで判断できるラインを超えている。それでも対応できているのは彼女たちが優秀だからに他ならない。
「答えてください、陽野教官。あなたは一体何のために晴風に乗っているんですか」
陽野はその問に目を閉じる。これは話すまで納得しないだろう。校長の娘であるましろには告げていいかもしれないが、他の艦橋員にもバラしてしまうのどうなのだろうか。
だが、もうここまで疑念を持たれてはどうしようもないだろう。ならばと陽野は一つだけましろたちに明かすことにした。
「わかった言う。ここまで疑われちゃもう私も黙ってるわけにもいかないし、晴風のクルーを危険に晒してしまっているから。ただ教官の権限としてこの艦橋員のみの情報として箝口令をしきます。いい?」
「構いません」
「じゃあ……私が晴風に乗った理由、それは校長からの指示であって決してあなたたちを教導するだけのためではないの」
陽野が確かな意志を持って伝えた言葉にましろはやはりかと頷く。幸子が信じられないといった顔で思わず陽野に質問する。
「で、では何で晴風に」
「校長は今回の遠洋航海で何らかの事故が起きると踏んでいた。だから、西ノ島新島にこの艦を"到達させてはならない"と指示を私は受けていた」
「それではあの時の機関故障は!?」
「あれは偶然。私がやったのはそのために艦を止めただけ。本当は航行しながらでも修理できたんだけどね」
驚愕に値する事実だった。遠洋航海の艦隊に合流してはいけない。そんな前代未聞の指示を校長が出していたことが。ましろは母親である校長が何を考えているのか理解できなかった。
「後は知っての通り猿島襲撃から始まりシュペーの不可解な同士討ち。明らかに異常な行動が立て続けに起きた。これらが起きた時、晴風には事実の確認と情報を持ち帰らせることが必要だったのよ。でもまぁ、現状は情報が錯綜してこっちが反乱起こしたことになってるけど」
「そんな………!でもなんで晴風なんですか!?もっといい艦ならばとっくに学園に戻ってこの事態にブルーマーメイド本隊が動いているはずです!」
「なぜ晴風か。晴風なら"遅刻してもおかしくない"艦だからよ。偶然故障し、偶然遅刻して、相手に襲いかかられ正当防衛。どう?不自然なとこは何もないと思うけど」
陽野が悪びれることなく言い切りましろは拳を握る。晴風は最初からこうなることが決められていたのだ。何もかもレールの上。
「何が起こるかこちらもわからない。けれどアクションを起こさなければ取り返しのつかないことになる。重ねて言うけど校長はきっと、ブルーマーメイド本隊を動かす理由として西ノ島で起きたことをこの艦に確認して欲しかったんだと思う」
だとしてもそれはこの艦を生贄にしたのと同義だ。一歩間違えれば誰かが犠牲になったかもしれない。それをわかって校長は、母である真雪はこんな真似をしているのか。いやするはずだ。ブルーマーメイドとしての母の活躍はこの歳になれば嫌でも聞こえてくる。
母はキレすぎて、海洋学校の校長という名誉の閑職に回されているのだから。ましろは瞑目する。
「……ごめんなさい。こちらも状況が動くまでは何もできなかった。でもこうして二回も交戦し、異常を起こした艦のクルーを回収できた。これからは私も教官としての務めを果たす。必ずあなたたち全員を横須賀に生きて帰す。絶対に」
陽野が決意を持ってましろを見返す。少しだけそれは明乃と似た印象だった。まだ信用はできない。だが、事実として彼女はこの艦を守るつもりになのだろう。
なんであれ今の状況では一蓮托生だ。ましろはこれ以上の追求をやめた。
「校長が何を予期していたのかは知りませんが、教官には一つだけ言わせて頂きたい。今後は私も含め生徒たちをしっかりと教え導いてほしい。艦長や柳原さんのように、無茶をしないように」
「わかったわ。教官として、私も全力を尽くします。改めてよろしくね、副長」
差し出された陽野の手をましろは握るか一瞬諮詢したが握り、握手を交わした。
陽野も今日からは傍観はしないと決めたのだった。
艦橋での話が終わると艦橋を陽野と幸子に預け他のましろ、志摩、芽衣はそれぞれのセクションの状況把握を行うことにした。
ましろはその中でもまずは医務室へと向かった。もちろんそれは回収したがシュペーのクルーから話を伺うためでもあり、倒れた麻侖の容体を確認するためだ。
が、医務室の前にやってくればさっそく厄介ごとが起きていた。
「どの面下げて戻ってきたんですか」
「わ、私は……ただマロンちゃんのことが……」
「誰のせいで麻侖が倒れたと思っているんですか!?あなたがあの子よりもクルーを優先してればこんな……!」
「ち、ちがうの、わたしは…わたしは」
聞こえてきたのは機関員の洋美と明乃の声だ。当然といえば当然の起こり得た状況にましろは早々に頭を抱えたくなる。駆け足気味に医務室の前に立ち軽くノックして扉を開けた。
「なんの騒ぎだ」
「あっ、む、宗谷さん…!?」
「黒木さん、医務室で何を騒いでいるんですか」
「い、いえ、これは」
「艦長も、何をしに医務室に?仮眠するならここでも構いませんがもうベッドはシュペーのクルーと柳原機関長で埋まっています。どうか自室で」
「ご、ごめん……副長」
明乃が慌てて医務室から出て行く。ましろはそれを見送り、さっそく起こった問題に胃が痛くなる。
「黒木さんも、機関長が倒れている以上次席のあなたが指揮を取らないといけないはずです。持ち場に戻ってください」
「は、はい」
先ほどまでの明乃への態度など何処へやら逃げるように飛び出して行く洋美。彼女の反応にまさか、とは思うがましろは今はそんなこと後回しだと医務室に入った。
「失礼する。鏑木さん」
「機関長の容体は一先ずは寝てればどうとでもなる。最初は熱中症かと思ったが違うようでよかった」
「あぁ。報告では聞いていたが大事ならなくてよかった。だが今後は余計に機関を無理させられない」
布団に寝かされ、ぐごーといびきをかきながら爆睡している麻侖に一先ずは大丈夫だろうと安堵する。
鏑木はコーヒーを飲みながら「それで」とましろに聞く。
「問題は」
「シュペーからの脱出者、か」
「学生証などの携帯品もなし。ドイツ人ということだけしかわからない。検疫もしたが特に問題はない」
「そうか。今はただ寝ているだけなのだろうから、起きたら事情を伺おうと思う。……すまない苦労をかける」
「一番は仕事をしないことだがそうもいかないようだ。船医として全力は尽くす」
鏑木はずずっとコーヒーをあおり、コトンとデスクの上に置いた。それが丁度会話を切ってましろは医務室を出ることにした。
「二人に何かあったらブリッジに伝えて私を呼んでくれ。今日中はまだ艦長代理だ」
「了解。そうさせてもらう」
そして出て行く直前、
「あぁそれと鏑木衛生長」
「なにか」
「もしあるのなら、胃薬の処方を」
「ストレス性胃炎に効くものは一通り揃っている。用意しておく」
「ありがとう」
礼を言ってましろは今度こそ医務室を出て行く。後から思えばこの頃から胃が弱くなったとましろは後年思い返すのだった。
一方、艦外の損傷を確かめに作業中のクルーたちを志摩と芽衣は訪ねていた。
「うひー。第二主砲これもうダメじゃん」
「……ぅぃ」
後部甲板にやってくればそこら中木版甲板が剥がれて艦尾の第二主砲は完全に天板を撃ち抜かれている。シュペーからの後退時の受けた傷だ。
相手が徹甲弾だったおかげで貫通し誘爆こそしなかったが、もし入射角がもっと艦体に向いていたら砲術員を巻き込んで死傷者が出ていた。
「こりゃひどい」
「交換しないと無理、か」
砲術員の小笠原 光と武田 美千留が呆然と大破した砲塔の前で立ち尽くしている。
「ウチの発射管は無事か」
芽衣がすぐ近くの魚雷発射管を見れば無傷なのがわかる。無傷でなければとっくに晴風は消し飛んでいるが。
「………元気出して」
「砲術長!」
砲術員である二人は部下であり、志摩は気の毒に思ったか励ましに行っていた。寡黙だけど根は優しく、よく周りを見ている子だと芽衣はこの数日間の激動の航海で知った。
「(みんないい子なんだなぁ)」
艦長も無鉄砲なきらいはあれどそれは人として真っ当だからこそ。みんながみんな誰かを大切にできる人ばかりなのだ。
でも教官はどうなのだろうか、と芽衣はふと思う。思えば教官のことをあまりに艦長を含め知らなすぎではないだろうか。
同い年ぐらいなのに階級を持って現職のブルーマーメイド。そのはずなのに特に有名というわけでもない。
そして戦闘時の生き生きとした様子。まるで戦場こそが本来彼女が立っているような場所に見えて。
「芽衣?」
「あ、ごめんタマ。次行こっか」
一体、陽野という教官はどういう人物なのか。気になった。
数時間後、艦橋には明乃を除く主要メンバーが揃っていた。明乃の代理としてましろが司会を務める。
「教官と納沙書記に報告と記録を。晴風は現在艦体に右舷後部に至近弾による破損が複数。後部の第二砲塔は大破。機関は過負荷により損傷し応急修理が済むまでは微速での航行が限界です」
「深刻だね……」
報告を受けた陽野は額に指を当てる。シュペーとの戦闘はいわば盾になっていたようなものだ。当然被弾が増えることは覚悟の上だったがここまでとは思ってもいなかった。
「修理と同時に浸水箇所の排水も行いますがこれも所詮は応急手当です。これ以上被弾すると騙し騙しでも厳しいとダメコン班は言っています。それと機械制御によるダメコンも故障し今後は人力でのダメコンが必要となります」
「状況は悪くなるばかりだね。とりあえず機関長が復帰するまでどうする?私としては、機関長以外のみんなも一時的に休息させた方がいいと思ってるけど」
陽野の提案に幸子も同意する。
「はい。教官の言う通り、クルーたちのストレスはかなり溜まっていると思います。幸いこの入江は周囲を囲まれている上に船底が深い艦は入ってこれない浅瀬です。一度半舷上陸……もとい、艦付近での遊泳をさせてみてはどうでしょうか」
「それココっちが泳ぎたいだけじゃないの?」
茶化すように芽衣が指摘すれば「あ、バレました?」とイタズラっぽく舌を出して幸子は微笑む。
ましろはいつもの空気になりつつあることに安心しつつ幸子の提案を許可しようと思った。確かにずっと戦闘続きで缶詰である。どうせ修理に時間がかかるのなら一度休息を取らせるのは悪くない。
「わかった。納沙書記の提案を許可しようと思います。教官もどうですか?」
「いいと思うよ!せっかく海にいるのに遊ばないのも勿体ないでしょ?」
「遊びではなく休息です」
「まぁ肩の力も抜いてさ、副長」
「そうだよしーろちゃん!」
芽衣があだ名でましろを呼べば彼女は顔を赤くする。これはいけない流れだ。いつもの流れで私をネタにされるとましろは危惧して、強引に言葉を切り出す。
「とにかく!これより4時間の休息とする!納沙書記は全艦に連絡を!私はここに残って万が一の連絡に備える!」
「りょうかいでーす!」
「おっしゃーうみだー!タマいくよ!」
「ういー」
指示を出せば途端に彼女たちは活き活きとした様子で行動を起こす。どれだけ楽しみなんだとましろはため息をつくも、何故だかやれやれと気が楽になった。これで艦内の空気が一度リセットできればいいのだが、とも思った。
「教官はどちらに?」
「いや監視員必要でしょ?見張りついでに野間さんと交代してくるよ」
「了解しました。何かあったら連絡を」
「ハイハイ。じゃあねー」
陽野もマストへと上がっていき艦橋に一人ましろは残される。
一人だ。青い海が目の前に広がり外から徐々に少女たちの騒ぎごえが聞こえてきても一人なのだ。
「(艦長。私はあなたのように思い切った決断を即座にできない。少しだけわかってきた。やはりこの艦の艦長は岬さん、あなたでないといけないのかもしれない)」
その行動の良し悪しはあれど素人とは思えない即断即決をする明乃。彼女の無鉄砲さをうまく抑えるために自分が副長ならば、なるほど間違った人選ではない。
艦は一人で動くものではない。この艦に乗るクルーみんなで、家族全員で動かすものなのだから。
小島に停泊中の晴風は人員の休息を行っていた。昼食には主計科の腕をかけた料理が並び甲板上で小さな立食パーティーのような状態になっていた。
そんな中、仮眠から抜けた明乃も甲板に上がり開口一番に「ごめんなさい!」と謝罪していた。
「まったくね。あなたのせいで麻侖はあんなことになるし晴風はボロボロ。この世界のどこに艦を放り出して行く艦長がいるの」
「クロちゃん、わかってる。私がみんなに迷惑をかけてしまったのは」
「気安くそんな風に呼ばないで」
当然そうなれば洋美が明乃に突っかかった。ましろはまたかと胃が痛くなった。機関員の他のメンバーも洋美を抑えているが彼女の口は止まらない。
「だいたいね。そもそも宗谷さんの方がよっぽど艦長らしかったわ。シュペーとの戦いだって、宗谷さんが指揮したおかげで」
「そこまでだ黒木機関長代理。私はただ役目を果たしただけだ。それにブルーマーメイド同等の活動権がある程度許可されている以上、人命救助は第一にすべきであり艦長の行動も一概には間違いと言えない」
「しろちゃん…………」
ましろが明乃を擁護したことにどよめきが広がる。特に艦橋員の幸子たちが一番驚いている。
洋美もそうだった。憧れの宗谷家、その娘であるましろの艦長としての仕事ぶりはまさに理想の姿だというのに。
「艦はただ一人が動けばいいものではないんだ。私一人では喚くことしかできない。それにこのことは機関員のみんなもよく心得てほしい。柳原機関長を頑張らせすぎないように、ね」
「宗谷、さん」
僅か数日で人が変わったように穏やかになったましろに全員が固まってしまい。なんとも微妙な空気になってしまう。
当のましろは胃が痛くてあまり激しい感情を表に出せないだけだ。
「まぁほら、今はとにかく昼を食べよう。この後からまた艦の修理だ。艦長もしっかり食べて下さい」
「うん!」
再び甲板上が賑やかになり、明乃の横に控えるように立ったましろはまだ本調子ではない明乃をサポートする。バイキング形式のため、料理をよそい、その皿を明乃の代わりに持つ。体格差のあるましろと明乃はまるで姉妹のようだった。
「なんでぇ洋美、辛気臭い顔してよ」
「っ!?麻侖!?」
「おうよ。美味そうな匂いがしたから来ちまった」
いつの間にか横にいた麻侖は病衣姿で車椅子の上に乗っているが足はバタバタ動かしているため単純に少しでも体に負担をかけないための処置だろう。
「体は大丈夫?」
「大丈夫……といきてぇがダメだな。医者の話じゃあと3日は休養しねぇと体力が回復しないとよ」
「それまで私が代わり、か」
「悪りぃな。戻ったらまたバリバリ働くからよ」
一連の会話は幼馴染というよりはどこか夫婦のような印象があり、車椅子を押している明らかに晴風のクルーではない、異国の金髪ロングヘアの少女が感慨深そうに言う。
「おぉなんと深き絆よ。儂は涙がちょちょぎれそうだ」
「(またなんか変なのが来た)」
一人称ワシ、の女の子。しかも外国人。洋美の思考がオーバーヒートしそうだった。
「おっとそういえばいい忘れてたがこいつが艦長の助けたシュペーのクルーだとよ」
「アドミラルシュペー副長のヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルクだ。以後、お見知り置きを」
何故かドスの利いた声で自己紹介してきたヴィルヘルミーナ、ミーナに洋美の機関が停止する。様子のおかしい洋美にミーナは首を傾げるが麻侖は可笑しそうに笑う。
「はははっ!まだちと、刺激が強すぎたか。よしミーナ!他の奴にかちこみだ!」
「任せい!オラオラ!おんどれやんのかコラァ!」
何かが決定的に間違えた日本語でミーナが車椅子を押していく。向かう先は明乃とましろ。麻侖はミーナとほぼ一緒に目を覚まし、気がつけば意気投合したのだ。二人の気質がどこか似ていたのかもしれない。
突撃してきた麻侖とミーナに明乃とましろがぎょっとする。もうしばらくは寝ていそうだった麻侖が車椅子に乗って現れたのだから。もしかして体をどこか壊したのか、そう感じたのか明乃が血相を変えて駆け寄った。
「マロンちゃん!?どうしたの、歩けないの、大丈夫!?」
肩を掴んで目尻に涙を浮かべながら明乃は麻侖に問いかける。まさかここまでの反応をされるとはおもわず麻侖は若干引いたが、なんとも優しそうな表情になって明乃の頭に手をポンッと置いた。
「まったくいつもの勇ましい艦長はどうしたよ。麻侖は別にどこも壊しちゃいやしない。ただ疲れないようにって医者からの気遣いさ」
「でもっ、でも、私がずっと機関に無理をさせ続けたからマロンちゃんは!」
「気にせんでいい。これが麻侖の仕事だかんな、麻侖も死にたかないから」
できるなら力のあるものがやればいい。これは麻侖の持論だがそれが単純に麻侖だっただけだ。他の機関員も粒揃いだが麻侖が一歩先を行っていた。それだけの違いだった。
しかし、明乃は今の麻侖からいつもの頼り甲斐のどこかある彼女が感じられなかった。今にも崩れ落ちてしまいそうな儚い存在な気がして、思わず明乃は麻侖を抱きしめていた。
「ごめん・・・・ごめんねぇ・・・・わたしが、わたしがもっとみんなのことを考えられてれば」
「おいおい泣く奴があるか。せっかくの盛り上がってんのに湿っぽくなっちまう」
そう言いつつも麻侖も優しい手つき明乃を受け止める。自分よりもよっぽど今にも壊れそうな明乃に麻侖はどうしようもない母性を感じる。なぜこの子はこんなにも辛そうなのだろう。さみしそうなのだろう。一人ぼっちは誰よりも嫌いだから、麻侖はなんとなくだが明乃の心がわかったような気がした。
きっと彼女は“知っているようで知らない”のだ。この泣いている理由を。
「ったく、副長ォ。場が湿っぽくなっちまってる」
「あ、あぁ。それよりも柳原機関長。本当に大丈夫なのか?」
「ダメだ。あと三日は安静にしてろとさ。その間は洋美にやらせる。腕に関しちゃ他のもべらぼうに良い」
「その点に関しては問題ないが。あと、あなたは」
ましろが泣きじゃくる明乃をひとまず放置して車椅子を押しているミーナに声をかける。艦長もひとまずは復帰できそうな以上、彼女からの事情聴取は急務だ。
「ん?儂はヴィルヘルミーナ・ブラウンシュヴァイク・インゲノール・フリーデブルク!アドミラルシュペーの副長だ!」
「晴風副長の宗谷 ましろだ。ヴィルヘルミー・・・・」
「ミーナでいいぞ。助けてくれて感謝する」
ましろとミーナが握手し、周囲から拍手があがる。それで状況にようやく気がついた明乃が慌てて麻侖から離れて立ち上がる。顔が酷いことになっている明乃に、ましろがハンカチを渡しどうにかまともな状態にすると、明乃もミーナに自己紹介した。
「晴風艦長の岬 明乃です!」
「うむ、ミーナだ。お主が儂を助けてくれたのだったな、これはお礼参せにゃならん」
「お礼参、ぜひ!」
「あぁ!首を洗っておけい!」
「?よろしくね、ミーちゃん!」
何かが決定的にかみ合っていないまま明乃ともミーナは握手する。この一連の会話に麻侖は笑いっぱなしだ。ましろも顔をなんとか真顔にしているが今すぐにでも笑いこけたい。
だが、その我慢も無意味なものになる。
「マロン、何がおかしいんじゃ」
「いや、だってよぅ!ミーナの喋り方、儂っておまえさん、あはははっ!」
麻侖が大笑いすれば周りもつられて笑い始める。ミーナは何がおかしいのかまったくわからず困惑する。
「み、ミーナ。日本語はかなりしゃべれているが一体何で覚えたんだ?」
「映画だ!」
「あぁ、なるほど」
ましろは遠い目をして空を見上げる。また変なクルーが増えたと。幸子は遠巻きにミーナへ熱い視線をぶつけていた。“同志を見つけた”と言わんばかりに鼻息を荒くして。
盛り下がったパーティーが再び盛り上がり、みなが思い思いに昼食をとり始める中、甲板の端に立っていた鈴はなんとか元気を出してくれた明乃にほっとして涙を流していた。
「よかった・・・・よかったよぅ」
「お、艦長もひとまずは元気そうだね」
「びえぇぇ!?」
そんな鈴の隣にヌッと現れた陽野に彼女は悲鳴をあげる。いつもの制服ではなくラフなタンクトップ姿に下はジャージのズボン。そのせいか余計に教官に見えない。
「きょ、教官〜。驚かさないでくださいよ〜」
「ごめんごめん。それで、ミケちゃんなんだか元気出てきたみたいだけどあの追いかけた時に何したの」
「え、えっと、特に何も、おかしなことは」
頬をかきながら鈴は今朝のことを思い返す。
「艦長!」
「え、鈴ちゃん?」
「艦長は、なにもまちがってません!助けに行くって言った時の艦長はとても、艦長らしかったです!」
本当にただ一言声をかけただけ。それだけだ。だから今の明乃の姿は彼女が自ら立ち上がった姿なのだと鈴は思っている。
「本当に、特別なことは何も。ただ、艦長らしかった、って言っただけです」
「なるほど、ね。そういうことか」
「そういうこと・・・・?」
艦長らしかった。明乃の目指す艦長らしさはあの家族宣言でほとんどのクルーがわかっていると思う。いささか、手段と目的が逆転していたが概ね陽野はあの発言で全てを察している。校長からの特命を受けている以上陽野には通常の教官以上の情報の開示権限があり、クルーたちのプロフィール、家族構成はある程度把握している。経歴さえも。
「柱も一本じゃ倒れちゃうからね、ちゃんと骨組みがないと」
「え?えぇ?どういうことですかぁ!?」
「いずれわかる。でも今日じゃない。さぁご飯を食べよう!」
「わわっ!?またひっぱられるー!?」
つかの間の休息を晴風のクルーは楽しみ。しかし、あっという間に戦禍の炎は彼女たちを囲い込もうとしていた。