休息を終えた晴風クルーは艦の応急修理に取り掛かっていた。特に修復が急務な機関部は機関員たちが急ぎで作業を進めているが麻侖無しでは丸一日はかかる。現場に行くだけというのも美波からのドクターストップが入り、麻侖は医務室に缶詰だ。
艦橋においては修理の進捗状況を逐次聞きつつ、陽野によるミーナへの事情聴取が行われていた。
「それでは改めまして、私は横須賀海洋女子保安部所属、陽野 ほまれ。晴風には教官として同乗させてもらっているわ」
「儂はヴィルヘルミーナ。もう艦長たちには伝えたがアドミラルシュペー副長だ」
互いに自己紹介する陽野とミーナ。このときましろはふと聞き慣れない単語が出て来た。陽野の所属が保安部であることだ。つまり陽野は学校近辺の海域警備を担当していることになるが、このことに何かが引っかかる。学校に出向してきている現職ブルーマーメイドの教官は皆そこに平時は配属されている。
「(であれば古庄教官と配属が違うという説明にならない。二佐であるなら艦が違っても少なくない接触回数があるはずだ)」
母譲りか、ましろは冷静に陽野の発言を拾っていく。信頼するのと信用するのは別なのだ。
ましろの疑念をよそに聴取が始まった。
「では質問を。アドミラルシュペーについてです。率直に伺いますが何が起きましたか?」
「率直に聞くな。だが儂が知っていることは多くない。はっきりと言えるのは一つ……シュペーが突如として我らクルーの操作を受け付けなくなった」
「待ってください。直教艦、航洋艦はコンピュータウィルスによる乗っ取りテロを防ぐために、主要動作部分は半分以上が手動です。機関部、火器管制、操舵特にこの三つはスタンドアロンです」
ミーナの言葉に幸子が直教艦の仕組みを告げる。これはこの場にいる全員が知っていることだ。海洋学校で使用されている艦艇は使い方を誤れば街一つぐらいは地図から消せるのである。それを防ぐために学校所属の艦は半自動化が限界であり、最低限の人員を必要としている。
そのため、艦が完全に自律して暴走することは絶対にありえない。
「暴走する前に艦内で反乱や騒ぎは?」
「あるわけなかろう。せいぜい艦内に紛れ込んだネズミを乗せていた猫が捕まえていたぐらいだ」
「ふむ。操作を受け付けなくなった状況を具体的に」
「テア……シュペーの艦長が見た限りでは見た目上全く問題がない。だがまるで幽霊でも憑いたかのように砲座は勝手に動き、機関室のハンドルは一人でに回る。舵は人が動かそうとしてもビクともせず、触らなければ自動で動く」
まるであの艦そのものが意思を持っているかのようだった。ミーナはそう語る。これを聞いて鈴は恐る恐るといった様子で晴風の舵輪を見る。いつもと変わらない手触りのいい木製の「晴風」と刻まれた舵輪。不気味な印象は受けない。
ミーナの話は続く。
「一つ異変があったとすればレーダーの表示画面を兼ねている艦橋のシステムコンソール画面に"RE"という赤い文字が浮かび上がっていたことぐらいか」
「RE……色々な意味に取れるけど、しろちゃんはどう思う?」
「艦長、わかりかねます。ですがそのような表示が出たということはやはりコンピュータウィルスの類ではないでしょうか」
謎のREという表示にそれぞれが頭を悩ます中、陽野は一瞬その話を聞いて目を細める。
「(なるほど、ね)それであなたはどうして一人で艦から離脱を?」
「艦長からの指示じゃ。レーダーでそちらをシュペーが捉えて艦が勝手に寄っていた。テアはシュペーの異常を同じ遠洋航海に出ていた晴風に伝えるべきだ判断して、儂を送り出してくれたのだが……」
「ある程度離れた瞬間からシュペーが撃ってきたと」
「小型の通信機をその時は持っていた。最後にテアからの声が聞こえた時"勝手に火器が動き出した"と言っておった。しばらくは通信機でシュペーの砲撃方向を聞いていたのだが途中で通信機を海に落としてな」
「ではシュペーは乗員自体は無事なんだな?」
「あぁ。全員無事だ。ただあのように勝手に動く艦に閉じ込められて参っている。すぐにでも助けにいきたいが」
ミーナが悔しそうに苦い表情を浮かべる。だが彼女の願いを聞けるほど晴風は余裕がない。次にシュペーと出会えばそれこそ絶対絶命だ。
明乃もその感情は理解できる。彼女にも気がかりなことがあった。幼馴染であり、大切な親友である知名 もえかが艦長を務め、成績上位者が搭乗している"航洋艦 雪風"もあの日何が起きたかわからない西ノ島新島沖に向かっていたのだ。
彼女はどうなったのだろう。不安を明乃はこれまで押し殺している。
「まとめると原因不明の制御乗っ取りがシュペー暴走の原因だね」
「その通りだ」
「本来なら生徒の保護を最優先すべきであると教官である私は思うけれど、晴風もそれは同じ。どうにか学園と通信をとってこのことを伝えないと」
陽野がまとめると、その場にいる全員が頷いた。しかし、芽衣が「とは言ってもどうやって」と方法を問うてくる。
「一番いいのはブルーマーメイドに保護を求めること、だけど丘の方でこっちがどういう扱いになっているかわからない。だからこれは却下。学校に直接戻るのが最優先だったけど、ミケちゃん、厳しいんでしょう?」
「はい、ほまちゃん。現状の艦の状態では他にも暴走の可能性がありうる艦が跋扈している周辺海域を踏破するのはリスクが高すぎます。明石か、どこかで一度ちゃんとした修繕と補給を受けないと戦闘になった場合、耐えきれません」
「そうなのよね。だからどこかで救援を呼びたいのだけど肝心の長距離通信装置は故障。衛生電話も下手に使うと危ないし。どっか適当な洋上商業ギガフロートにでも行った方がいいかな」
陽野の提案にすぐ幸子がデジタル海図を開きギガフロートを探すと現在位置から近いフロートを見つける。
「教官、ここから一番近い商業ギガフロートは南南西に15kmです」
「ナイスだね。じゃあそこの近くに行ったらスキッパーで上陸。公衆電話で校長に直通電話だ」
「校長に直通ですか?」
「私誰に言われてこの艦に乗ってると思うの」
陽野が笑みを見せる。ましろはそうだったと思い、少しだけ気が楽になる。母はこれを見越して行動していたんだ。一週間と少し、もう学校は何らかの対応をしているはずだ。
方針が固まったところで陽野は幸子に録音による記録を止めさせて会議はお開きムードになりかける。
だがその前にと陽野はミーナにもう一度質問する。
「それでさ、西ノ島で何が起きたの?」
幸子に話しかけらそうになっていたミーナがビクリとして陽野を見る。ミーナの表情は今までの自信に溢れたものではなく恐怖が張り付いている。
「ミーナちゃん……?どうしたの、顔が青いよ……?」
突然の豹変に幸子が恐る恐る問うがミーナには聞こえていない。
彼女は陽野に向けて震えながら答える。
「悪夢、だ。そちらの派遣した猿島から始まり複数の艦艇が突如暴走した」
「暴走した艦は覚えてる?」
「いや全ては……ただ有名どころだとあの武蔵と雪風。それに比叡や北上、大井。十五隻中、十三隻が暴走して健常な艦を攻撃した」
艦橋から音が消える。ましろは明乃の肩が上下しているのを見た。呼吸が荒くなっている。
「あ、あの!ミーナちゃん!雪風は、雪風はどうなったの!?」
「ゆ、雪風………あの艦はシュペーの至る所を砲撃してきた。シュペーの操舵がまだ効いていたおかげもあって優秀な操舵手が致命傷は避けてくれたが外部の通信機器が破壊された」
「そのあとは!?」
明乃がミーナに駆け寄り肩を揺らす。いきなりのことにましろも反応できず面食らう。
「お、落ち着け!?あのあとは知らん!こっちも命からがら逃げ出したんだ!火器管制は既に正体不明の何かに掌握され反撃もできなかった!」
「そ、そうなんだ。雪風も………」
陽野は今の話を聞き、頭を抱える。十五隻中十三隻が西ノ島で暴走し、逃げ出したシュペーも結局暴走。残りの暴走しなかった艦も無事とは思えない。
そして、今十五隻はこの日本近辺の太平洋を彷徨っている。
「民間船への被害が起きたら取り返しがつかなくなる。学校もさすがにこれだけの事態が起きていれば船の出入りを制限するよう働きかけていそうだが」
ましろも言いながらどうにかなりそうだった。大ごとなんてレベルではない。もはや外交問題や軍が出てくる話だ。
一刻も早く状況を学校に報告しなければならない。そう思っていた矢先だった。電信室の伝声管から電信員の八木の声が艦橋に響く。
『学校から広域の通信で声明が出ています!』
「陽野です。艦橋に流してくれる?」
『わかりました!』
陽野の指示後すぐに艦橋に放送が流れる。
『以上の通り、現在行方不明になっている我が校の艦艇には絶対に見つけても近づかず、直ちに退避して下さい。また発見した方は横須賀海洋女子へご連絡をお願いします。そして、最後に。もし無事な遠洋航海参加艦の生徒が聞いていたら聞きなさい。遠洋航海は中止。直ちに帰還可能な艦艇は横須賀へ帰港なさい。以上』
女性の声で告げられたことは至極真っ当な言葉であり何よりも晴風クルーが待っていた言葉だった。戻っていいということは嫌疑が晴れたことに他ならない。
「校長からの声明です。教官」
「これで胸を張って帰れるわけだ。ただどっちにしろギガフロートには寄ろう。晴風はその方が帰りが安全だ」
「………はい。では本艦はギガフロートに寄り学校に状況を報告。救援を待った後横須賀へ帰港します。異存は」
明乃の決を採る言葉に全員が首を振る。異論なし。これにより晴風の進路は決まった。
「それではこの方針で本艦は進みます」
そう言って明乃は制帽を被る。雪風。親友が乗った航洋艦の無事を祈りながら。
晴風の修理が完了したのはそれから約20時間後。既に夜がやって来ていた。航行が可能になったため、入江から出航した晴風は巡航でギガフロートを目指している。先日のシュペーとの交戦で学んだ夜戦の基本を踏まえ明かりは全て消し、どうしても明かりが必要な場所には窓に蓋を被せて外部に漏れないようにした。
艦橋には明乃と陽野、操舵に鈴の三人だけで他のメンバーは当直に備えて仮眠や夜食を取っている。
「静かだねー」
「はい。このまま何事もないといいんですけどねー」
陽野と明乃が二人でゆったりと話しているのを聞きながら鈴は方角がずれないようにコンパスを確認しながら舵を切る。
「それにしても雪風かぁ」
陽野が突然雪風の名を出して明乃は肩を跳ねさせる。
「航洋艦になる前も小競り合いでは全勝、なってからもブルーマーメイドでの数々の活躍から艦そのものに勲章。名誉艦だから成績最優秀者が乗らされる。性能に関しては晴風とほぼ同等だけどね」
「す、すごそう……」
「実際すごいからね~」
鈴の想像する凄さを陽野は聞かずとも認める。この世界でも雪風はデタラメなまでの奇跡を成し遂げている。
雪風がというよりも乗せられた乗員が必ず尋常ではない奇跡を起こす。生存が絶望的と言われた沈みかけの船から生存者を見つけ出し、救出。関わった海難事故では死者数が異常に減るなど、そういった伝説に肖って航洋艦となった今でも雪風に乗るのは優秀な生徒というわけだ。
だが陽野は知っている。本来乗るべきだった生徒たちを。
「首席は雪風、次席は武蔵。暴走している艦の攻撃には乗員のスキルは乗らないだろうけど、出会いたくないものね」
「…………はい」
明乃が重く頷く。本当は今すぐにでも助けにいきたい。でも自らの立場がそうさせてくれない。
海の仲間は皆家族。みんなが困っている時にはお父さんたる艦長が助けなくてはならない。明乃脳内で勝手に生み出された理想が現実とぶつかり合う。
まず家族を守るべきではないか。毅然とましろが明乃に告げた言葉は明乃の心に杭を打ち、麻侖により更に打ち込まれた。
明らかに口数が減った明乃に陽野は何かを察して口を閉ざす。一方で鈴はそんな明乃が心配になったのか「艦長…」と尻すぼみに明乃を呼んだ。
「鈴ちゃん?どうしたの?」
「い、いえっ!なんでも…艦長はなんで雪風をそんなに、気にしてるのかなって」
恐る恐るという声音で鈴が問えば明乃は意外にも迷わずに答える。
「雪風には…私の幼馴染が乗ってるの」
「幼馴染、ですか?」
「うん。知名 もえか、って言うんだけどね。お互い両親がいなくて、それで小さい頃は一緒に孤児院で暮らしてたんだ」
いきなりヘビーな内容に鈴はまずいことを聞いてしまったと思ったが明乃は懐かしむように語る事を止めない。
「私って、昔から頭が良くなくてさ、モカちゃん、あ、これはあだ名なんだけど。モカちゃんに迷惑かけてばかりで、私が失敗してたのをモカちゃんがよくフォローしてくれてさ」
今思えばそれはどこか、形は違えど艦長と副長のような関係だったと明乃は振り返る。誰かに教えてもらえず自分で考えて判断しなければならなかった孤児院での数年間。
それはまるで永遠に深い夜の航海のようで。でも、いつも隣には暖かい光があった。朗らかに柔らかく微笑んでくれていた彼女が。
「だから、今度は私がモカちゃんを助ける番なんだ。そう思ってる」
「艦長…………」
鈴は言葉にできない。悲痛な表情を浮かべている明乃はそれだけ言い切って制帽を脱ぐ。
これまでの二回の戦闘で死者が出る確率は高かったと直感的に明乃は思っている。誰も死なずに済んだのは奇跡だった。
そう、冷静に判断できる自分が怖い。
そしてその、冷静な自分がもえかも無事ではないと思わせる。暴走した艦で、今彼女はどうしているのか。明乃の空気が伝播し艦橋に重たい雰囲気が流れる。
しかし、それは強制的に伝声管からの声でかき消された。
『見張りの山下です!10時方向に戦闘光を確認!』
戦闘光。明乃は即座に双眼鏡で報告のあった方向を見て、確かに数度光が煌めいているのを確認する。
「砲撃の光……!電信室!聞こえますか!?」
『は、はい!八木です!』
「前方に戦闘光!IFF確認いそいで!」
『了解!確認します!』
「教官、総員起こしを!第二種戦闘配置!状況を把握次第行動を始めます!」
明乃の対応は早い。陽野はその様の在りし日の誰かと重ねて明乃の指示を実行する。艦橋の電話を取り全艦放送。
「総員第二種戦闘配置!本艦の進路方向で戦闘らしきものを確認!警戒態勢を取る!起きろー!」
陽野が最後に目一杯叫べば艦内で寝ていたクルー達は飛び起きる。
「第3戦速!面舵!距離を置きつつ接近!」
「第3戦速!距離を置きつつ接近しますっ」
鈴の復唱に続き晴風が進路を変えて加速する。IFF反応が返ってきたのはその最中だった。
『IFF応答あり!二隻共に海洋学校所属艦!』
「艦名は!?」
『横須賀海洋学校所属、不知火!もう一隻はパナマ共立海洋学校所属、フレッチャー!』
「どっちとも今回の遠洋航海参加艦よ。フレッチャーはシュペーと同じ留学艦だけど」
同級生の艦と留学艦が交戦している。明乃はどうすべきか思考する。割り込むべきか、それともどちらが動きを止めるまで待つか。
「遅れました!状況は!?」
ましろが艦橋に飛び込むように入り、志摩、芽衣、幸子が続き、何故かミーナも艦橋入りする。
全員パジャマ姿であり、何故かましろはサメのぬいぐるみ抱えているが緊迫した空気に当てられて誰も指摘しない。
「10時方向で、うちの不知火とアメリカのフレッチャーがやり合ってる」
「生徒同士で戦闘……!?そんな!」
ましろの絶叫は今入ってきた全員の心を代弁していた。
続けてミーナも声をあげる。
「フレッチャーだと!?アレは儂らのシュペーと一緒に西ノ島から逃げた艦だ!」
「ということはフレッチャーが味方ってこと?」
芽衣はミーナの発言に反応し述べる。確かにその可能性は高いと陽野も明乃も思い、明乃の指示を待たずに陽野は伝声管で電信室を呼び出す。
「電信室。直ちに今から言う通信コードでフレッチャーへ呼びかけよ」
『教官!?は、はい!』
指示が出れば慌てて八木が反応し、続けて陽野に指定されたコードを打ち込みフレッチャーへ通信を繋げる。
『フレッチャー、フレッチャー。応答せよ!こちら横須賀海洋女子所属、航洋艦晴風!』
八木の呼びかけにすぐ反応が返ってきた。
『助けて!早く!このままだと沈んじゃう!Help!Help!』
返ってきたのは必死の言葉。明乃が通信を変わるように指示しフレッチャーのクルーに声をかける。
「晴風の艦長です!被害は!?負傷者は!?」
『前部主砲全て大破!艦体側面に複数被弾!きゃあっ!?うぅ、負傷者多数!このままだと、誰かが……し、死んじゃう!』
「……あなたの名前は?」
『フレッチャー艦長のメアリー!お願い助けてぇ!』
フレッチャーの艦長の悲鳴に明乃の判断は秒とかからなかった。
「総員戦闘配置!直ちに不知火を無力化します!」
晴風の状態を理解していながら明乃は決断した。艦橋員も全員がこればかりはと頷く。
『ちょっと待ちなさい艦長!?機関の状態を忘れたの!?』
機関長代理を務める洋美が非難めいた声をあげる。それに対して明乃は毅然と言い放つ。
「目の前で誰かが助けを求めているんです!それを見捨てることはできなせん!私たちはブルーマーメイドになりたくてここにいるはずなんです!だからっ!」
それを理想といわずして何というのか。洋美は瞑目しわずかな時間を置いて明乃に告げた。
『……………了解。ただし出せて第四までよ』
「ありがとう。……第四戦速!砲撃戦用意!これより晴風はフレッチャーの後退を援護、不知火を止めます!取り舵一杯!」
『晴風に感謝する!生きてる武装使用は全部自由!当てどころに気をつけて撃ちまくれ!』
明乃の指示と手負いのフレッチャーの艦長の声が通信機を通して響く。
戦闘へと突入する晴風の医務室に明乃からの声が伝声管を通して美波に届いた。
『鏑木さん。これより本艦は戦闘を開始します』
その声音は緊張を孕んだもので同時に罪悪感すら篭っている。美波はちょうどコーヒーを飲みきりマグカップをデスクの上においた。美波の顔はいつも通りの冷静なまま。とても乗艦がこれから戦闘を行うようにはみえない。
「わかった。用意はしておく」
『すいません。宜しくお願いします』
艦長という役職が責任。それを感じさせる明乃の指示になんとも戦いとは非情なものだと美波は嘆息する。これから何が起こるのか彼女は覚悟している。この航洋艦もまた、戦闘艦であった以上“袋”は用意されている。それを使わずに済むのならなんていいのだろうか。
だが、現実はそうはいかない。何事にも不測の事態は起こる。せいぜい手術程度で済むぐらいの怪我で終わってほしいものだと美波は思わざるえない。
「まさか姉妹艦とドンパチやることになろうとはな」
病衣で未だに医務室にいる麻侖がやれやれといった様子で言う。悲鳴をあげる機関が息絶えるかもしれない、そう思っていて今すぐにでも機関室に飛び込みたいが目の前の医者がそうはさせてくれず、麻侖はわずかに不機嫌だ。
「晴風がやられちまったら麻侖たちはどうなるんだ」
「死ぬ、それだけだ」
「お医者様はどうしてこう、冗談の一つもとばせねーんだい」
「気休めを言ったところでどうにもならない」
「そうかい」
艦が大きく揺れる。ついに砲撃戦が始まったのだろう。麻侖は背中ベッドに預けて寝転がる。何もできないことがこんなにも辛いことだとは思わなかった。晴風が沈むという予感は一切麻侖にはなかったが、必死に戦う仲間を思えば麻侖はじっとしていられない。
「麻侖たちは、一体なんでここにいるんだろうな」
「あなたが言うには随分と哲学的な質問だ」
「うるせぇよい!麻侖だってセンチになることぐらいあらぁ!」
茶化す美波に麻侖は怒鳴ったが、すぐにまた気分は沈む。どうしてこんなことになったのだろう。なんでみんなが戦わなくてはならないのだろう。
「(一人はいやだ・・・・いやだよ・・・・艦長、洋美、みんな。絶対に、絶対に麻侖を一人にしないで)」
祈るように麻侖は目を閉じる。脳裏に彼女たちの笑顔を浮かべながら。
『不知火発砲!』
「回避!取り舵!」
艦橋では切迫した状態が続いていた。不知火へと接近した晴風はフレッチャーをかばうように射線へと割り込み、不知火と同航戦の状態で撃ちあいになっていた。不知火の砲撃が猿島同様どこか甘いためまだ直撃こそ受けていないが。
「とはいったものの、これでは盾になるだけ。艦長!」
「砲撃能力を奪います。主砲は不知火の砲を狙ってください。できるだけ根元は避けて」
ましろの呼びかけに明乃の指示は早い。もはや一刻の猶予もない以上、明乃の指示に迷いはなかった。同胞を撃つ、そのことに恐怖がないわけではない。だが撃たねばこちらの誰かが死ぬ。天秤にかけられた重石ははるかに晴風のほうが重いのだ。
「不知火の主武装はこちらと同じ12.7cm連装砲です。性能に関してもまったく同じと考えてください」
「うへぇ!ってことはこっちの装甲抜けるじゃん!」
「その逆も然りじゃ!」
幸子が不知火の性能をナビゲートし、芽衣とミーナが補足する。陽野はさらにそこに不知火の現状況を分析する。
「私から言わせてもらうと、あと武装の残弾数に関して魚雷は残ってなさそうだね。本来なら集合場所についてそのあと移動して補給するつもりだったから、演習用の魚雷1本しか積んでないはず」
「つまり条件としては一緒ということですか、教官」
「ただ晴風は手負い。損傷がなさそうな不知火とは雲泥の差があるよ。どう覆す、艦長」
陽野の指摘通り、晴風の損傷は戦闘行動に大きく支障をきたすレベルだ。機関は全開で回せず、それどころかいつ壊れてもおかしくない。主砲も一つ潰れ、艦体の各部にも損傷。まともにラッキーショットでも受ければ沈む。
明乃もそれはわかっている。であれば、やられる前にやるしかない。
「徹甲弾装填。右砲戦、タマちゃん」
「わかった。徹甲弾使用、前部主砲に照準」
寡黙な志摩は艦長の指示をそのまま実行する。彼女は冷静だ。冷静にことに対処しようとしている。本能がそうしろと志摩に訴えかけている。戦わなければならないと、今がその時だと。
不知火からの砲撃が徐々に近づいてくるが晴風はひるまない。鈴が逃げ出したい気持ちを抑えて艦を走らせ続ける。
『弾着!至近弾!右舷後方!』
『浸水発生!』
「ダメコンいそげ!」
確実に仕留めるために照準を絞る。志摩はここぞというタイミングを待つ。一撃で仕留めていかなくてはならない。その間に晴風の損傷はどんどん増していく。艦橋に届くのは悲鳴と怒号。至近弾などによる揺れで転倒して負傷したり、作業で軽微な傷を負うもの。
「・・・今」
「撃ち方はじめ!」
「てっー!」
だが、それをいつまでも甘んじることなく晴風の砲撃が開始される。志摩が狙ったタイミング通りに放たれた砲弾はわずかに不知火の前方に発射され、未来位置を捉える。志摩は自らの指揮する砲術員が優秀であることを知っている。射撃に必要な計算の素早さは感嘆に値しそれは正確。
射撃の心得を持っている彼女たちならばかならず成し遂げると思っている。
そしてその希望は見事に命中する。回避行動をとらずに攻撃を選択した不知火の前部主砲に晴風の砲撃は直撃し、徹甲弾が貫通。砲の内部機構を破壊し、使用不能にした。
『命中!不知火、前部主砲破壊されました!』
「面舵一杯!回頭して不知火の後部主砲を狙う!」
「おもかーじ!」
明乃の命令に迷いはない。その決断の早さにミーナは舌を巻く。艦はボロボロ、クルーたちも無傷ではなくなっている上に、あたりどころが悪ければ一撃で沈められる可能性が高い。というのに、明乃は迷わない。ミーナですら恐怖で胸が苦しくなるというのに。
真横に立つ、任侠モノ作品鑑賞という共通の趣味を持っていた幸子も揺れに耐えながらタブレット端末で常に艦の状況を確かめて副長であるましろに逐次伝えている。
誰もが必死に戦っている。個性の強いメンバーだというのに、なぜこうもあの岬 明乃という人物についていく。下手をすれば誰かが死ぬというのに。
「(しかし、そうか。正しすぎるからこそ鮮烈に映る・・・・・!)」
ほとんど殺し合いに近いこの状況下で正常に判断し、冷静に艦長をこなす明乃の異常なまでの正常さがクルーたちの心に錯覚を起こさせているのではないか。それはある種の説明出来ない“カリスマ”というものではないか。
人を惹きつける不可思議な魅力。特段、容姿が飛び抜けて美しいわけでもないがそれでも。
「(英雄・・・)」
人はそれを時に英雄、勇者とも呼ぶ。ミーナ自身を自己犠牲の上で助けた明乃はどこか時代錯誤な、そんな精神を持っている。簡単に命を投げ捨てる、その姿勢はとてもではないが十代の少女のそれではない。
『不知火発砲!直撃コース!』
「衝撃に備えて!」
晴風が完全に不知火の艦尾に対し腹を見せて、逆丁字の状態になった瞬間、不知火からの砲撃が襲いかかり回避はできず直撃を受ける。大きく艦が揺れ、転びそうになった幸子をミーナは抱きとめる。タブレット端末は床に転がってその画面が割れた。
「大丈夫か?」
「う、うん・・・・」
「被害報告急げ!」
ましろの怒声が艦橋に響き、伝声管からすぐに被害報告が帰ってくる。
『魚雷発射管に直撃!大破!されどそれ以上の被害なし!』
「装填してたらわたしたち死んでたよ!?」
芽衣の悲鳴に誰しもがゾッとする。魚雷が装填されていたら今頃晴風は大爆発を起こし真っ二つに折れて全員海の藻屑と化していた。陽野も今のはやばかったと冷や汗をかく。
艦上の構造物を破壊されただけであり、晴風はまだ動ける。明乃は即座に声を上げる。
「主砲照準!不知火後部主砲!艦体部への直撃を避ける為にズラして!」
「了解。小笠原」
志摩が照準担当の光へと声をかけ、返答が「必ず当てる!」とかえってくると心強く感じる。
晴風が不知火の後部を捉え、完全な丁字戦となる。砲身と不知火が直角に交わるがその点をずらす。そのまま撃てば砲を破壊するどころか直撃を与えてしまうからだ。
「撃てッ!」
「てっ!」
再び放たれた晴風の砲撃が不知火の砲を直撃し、貫通。煙あげて使用不能になる。
『命中!不知火の第二砲塔、止まります!魚雷発射管の稼働も見受けられず!』
「取り舵一杯!不知火の右舷につけて!」
「とりかじー!」
明乃はこのまま強制接舷して不知火内部とのコンタクトを取るつもりでいた。ミーナから聞いた限りではこの暴走は乗員のせいではないと思っていたのだから。しかし、往々にしてそのような一側面だけでの情報では全容を明かせるわけがない。そのことを彼女は忘れていた。
「終わったね。艦長はこのまま強制接舷する気?」
「はい教官。ミーナちゃんの言った通りなら、クルーはみんな無事なはずですから」
「ですが艦長、不知火そのものはまだ暴走しています。万が一特攻を受けたら」
「そうならないように少し様子をみます。不知火にもう武装は」
ない。ましろに明乃がそう言い切ろうとした瞬間、野間からの報告が明乃の見立てを覆す。
『不知火の機銃座に人影あり!こちらに発砲しようとしています!』
晴風の舳先が不知火の後部に到達しようとした距離で、機銃座の起動。反射的に陽野は叫んだ。
「みんな伏せてッ!」
その刹那だった。晴風の艦橋に対して7.62cmの銃撃が襲いかかる。ブリッジのガラスを破り、弾丸が壁を穿つ。割れたガラスが伏せた少女たちに降り注ぐ。反応が遅れた明乃はましろに庇われ押し倒されたが覆いかぶさったましろにガラス片がかかった。
「ぐっ・・・!?」
「しろちゃ、しろちゃんっ!?」
腿の裏に刺さったガラス片にましろが呻く、明乃が悲鳴をあげる。この状況の中、鈴は身をかがめながらも必死に操舵している。芽衣と志摩も屈んで健在だった。
「馬鹿な!対人兵器を使うとは正気か!?それに不知火は艦の暴走ではないのか!?」
「わ、わからない!どうして、なにが・・・!?」
ミーナによって強制的に床に伏せられた幸子が声を震わせる。一歩遅ければ死んでいた。死の存在が突如として明確に襲いかかったのだ。数十秒間の銃撃が続き、ようやく音が止まる。
『ブリッジ!聞こえますか!?返事をしてください!?ブリッジ!』
「死者なし!負傷者1!野間さんは!?」
野間からの確認の声に陽野がいち早く反応し、応え、同じ内容を返す。
『ライト、レフト、見張り台は負傷者なし!観測所は!?』
『こちら観測所、生きてるよ!』
ブリッジ上部の戦術観測所も損害が奇跡的にない。ましろの負傷で取り乱した明乃を見て、陽野が立ち上がって叫ぶ。
「速度このまま!不知火の右舷部分に艦を近づけて!」
陽野の指示に鈴は従い、晴風は不知火の右舷に並ぶ。相手の速度は落ちつつあった。速度を合わせ、完全に並んで陽野は双眼鏡を用いて不知火の艦橋を除く、すると驚くべき光景が見えた。
ぎょろりと、まるで機械のように不知火の艦橋員たちが“陽野”を見たのだ。あまりに気味が悪くギョッとしかけた陽野だったが堪える。さらに観察すれば全員ボゥっと目が光っており、正気とは思えない。
「(これは・・・・“蒼い海”の連中の仕業じゃない)」
シュペーの異常とは不知火は違うと陽野は判断し、双眼鏡から目を離す。晴風の損傷もひどく、艦橋機能が破壊されてしまった。これ以上、不知火をどうこうしようというのは無理だろう。
陽野は明乃に代わり、指示を出した。
「面舵、不知火より離れ逃げ延びたフレッチャーと合流する。負傷者の手当てを急いで」
指示しながら、陽野は腕につけた教員用の時計型端末にある操作を行い誰にも気づかれずにある信号を発信する。校長が帰還指示を出したということは、学校は味方だ。であれば、救援の一つや二つは寄越すだろうと陽野は踏んだ。
『教官!銃座にいた不知火のクルーが海に落ちました!溺れています!』
「っ・・・・!あーもー!浮き輪投げて!」
晴風を襲った銃撃の嵐の引き金を引いた不知火の女子生徒が海に落ち、陽野はやけくそ気味にまだ距離が離れていないため浮き輪を投げて助けるように指示する。甲板に出てきた戦闘中は手の空いている給養員の杵崎姉妹が指示を実行し、海に落ちた不知火のクルーは浮き輪をつかみ溺れ死ぬことなく済んだ。
「万里小路さん、聞こえる?不知火のを引き上げる前に甲板に。万が一に備えて」
『教官?わたくしはなにを・・・・?』
「適当な物干し竿でも持って不知火のクルーが暴走したら止めて」
『承りました』
晴風が不知火から離れていく。一先ずはこれで戦闘は終息したと見ていい。陽野はため息をつく。晴風はこれで満身創痍。完全に応急修理でどうにかなる域を超えている。
艦橋に美波が現れ、ましろへの応急処置を開始したところでドッと陽野にも疲れが出る。今回は本当に危なかった。誰かが死んでもおかしくなかった。それでも、得たものはあった。この事件の原因はどうにも、シュペーのタイプと不知火のタイプで二通りあるということだ。回収した不知火のクルーから何かを聞ければいいが、と損傷のない壁に寄りかかりながら思う。
「わたしの、わたしの、せいだ」
明乃の絶望にも似た声とともに晴風は夜の闇の中へと再び戻っていく。これからどうしたものかと、二進も三進もいかない損傷を受けた晴風に全クルーが頭を悩ませながら。
四面楚歌の航海を続けるかに思われた晴風に光が差したのは数時間後のことであった。