「あの、起きてくださーい」
「あと・・・五分・・・」
起床を促す声が神崎嗣音の意識を現実へと引き戻した。凛とした綺麗な声だ、と寝ぼけながらもそう感じる。寝起きの悪い嗣音でも不思議と嫌悪感を感じない穏やかな声音だった。しかし彼女は決して朝は強いわけではない。起きようと思っても温かいこたつから抜け出すのは至難の業だ。しかし起こされたからには起きなければならない。そう思ってなんとか意識を覚醒させようとする。
はじめに、そもそも自分はいつ寝落ちしたのだろうか、というところから思考が始まる。
昨日はそう、ガチャで大爆死して嫌気が差して寝落ちしたんだった。
思い出すと再び暗鬱な気持ちになる。せっかく寝ている間は忘れていたのに嫌な現実と再びこんにちはする羽目になってしまった。全く起こされなければまだ現実逃避は続行できていたであろうに――――
そこではたと思考が止まった。
なぜ私は起こされたのだろう。
徐々にだが思考が鮮明になっていく。
今日は特に別段用事もない、誰かと合う予定もないし講義もない、今日も昨日に引き続き暇な一日を満喫する予定だった。起こされるような理由など―――
そこで彼女は最大の疑問にぶつかった。今までむしろなぜ気づきもしなかったのだろう。
予定はないので目覚ましをセットしていないし、このアパートは一人部屋だし誰かと同居もしていない、合鍵を持っているような人間もいない。
なら当然湧き上がる疑問は一つ。彼女はようやく目を開け、乾いている口を開いた。
「・・・・・・・誰?」
「あっ起きた、おはようございます!」
問いが聞こえなかったのか嗣音を起こした声の主は快活さ全開で挨拶をしてきた。とりあえず寝ぼけ眼だったので手で目をこする。そしてこたつに潜り込むという情けない格好から座椅子に座り直した。改めて声の主を見る。寝起きの目でも思わず目をみはるほどの美少女だった。短く纏まった薄い桜色の髪に、なんとも時代錯誤なハイカラ衣装。そして特徴的なのは腰に帯びている刀だ。柄を見るに日本刀のようだ。
「貴方が私のマスターですね!サーヴァント、セイバー。召喚に応じ・・・って、召喚されたわけでもないですが、とにかく参上しました!これからどうぞ宜しくお願いします!」
「えっと・・・・・コスプレ?」
「コスプレなんかじゃないですよ!これは私のちゃんとした服装なんですから!お気に入りなんですよ~」
どこか気が抜けた調子で話す目の前の少女。正直嗣音は突然の出来事に頭がついていけていなかった。
なぜなら、目の前にいる少女は、先日ガチャで引こうと思って爆死した「沖田総司」そのままの姿なのだから。
だから当然コスプレなのかと考えた。他人の部屋にコスプレした女性が勝手に上がり込んで来るなどどう考えても不審者の所業だが、少なくとも彼女は不審者という感じには見えない。それに彼女の自己紹介、何の違和感も不自然な様子もなく、自分が知っているゲームの中の沖田総司と同じ顔、同じ声でふるまった。これでコスプレならなるほど素晴らしい演技力と言える。
どういうことだ、まさか本当にこの科学技術が発達した世界で魔術なんてものがあるとでも言うのか。
あまりの唐突さに呆然としていると、ふいに右手の甲に違和感を覚えた。どこか寝ている間にぶつけてしまったか、と見てみると、そこには三つの赤い痣があった。彼女はもう知っていた。これこそ、聖杯戦争に参加するマスターの証、令呪であることを。
目前にはゲームの中の美少女、右手には令呪、本当に聖杯戦争のマスターのような現実。あまりに非現実的な事象に彼女はこう推測した。
―――――これはきっと夢だ。
自分はまだ夢の中にいるに違いない。
そう考えると彼女は再び眠りの世界に入ろうとこたつに潜り始めた。
隣のサーヴァントがそれを必死で止めようとしたのは言うまでもない。
「というわけで、改めてよろしくお願いしますね、マスター」
「よろしく・・・と言われましても。あ、粗茶でいいかな」
あのあと眠りの世界への移住を妨害された嗣音は渋々こたつから顔を出し、とりあえず彼女と話し合うことにした。
二次元のキャラクター(それも大好きな)が寝起きドッキリよろしく目の前に現れたかと思いきやいきなり、貴方が私のマスターか、みたいな感じで口を開き、気がつけば右手には聖痕である。
正直パニックに陥っても何ら不思議でない状態だったが、あまりに状況がぶっ飛びすぎていたため一周回って冷静になるというよくわからない状態になっていた。
話し合うのに何も出さないのも失礼だろうと、とりあえず二人分の緑茶を用意、急須で入れたものではなくペットボトルからコップに入れただけだがそこは我慢してほしい。そして座椅子に再び座り、その向かい側に彼女も腰を下ろしたところだった。ちなみに最初は敬語を使おうとしたが堅苦しいのは無しで、というオーダーだった。
この時代のお茶って美味しいですね~、なんてのんびりしている剣士とは逆に、嗣音の頭は疑問符まみれだ。彼女を見るとまるでゲームのように彼女のステータスなどが視界に表示される。サーヴァントというのは間違いあるまい。
「とにかく、一体どういう状況なのか説明してもらえないかな?」
「わかりました、とりあえず説明していきますね。えっと、マスターは聖杯戦争ってご存知ですか?」
「聖杯戦争って、聖杯を求めて魔術師が殺し合う儀式のこと?」
聖杯戦争、七人の魔術師と彼らが使役する神話や歴史上の人物、サーヴァントが聖杯を求め覇を競う殺し合い。魔術師は他のマスターとサーヴァントを全員始末し、最後に残った一人のみが聖杯を得る。聖杯は「万能の願望器」とも呼ばれており、どんな願いをも叶えるまさに奇跡の存在だ。
「それで、今度聖杯戦争が行われるんです」
「はぁ・・・」
彼女の答えは予期したとおりだった。
実際に聖杯戦争が行われるなどありえない話だ。なにせ、聖杯戦争とは「Fate」というゲームの中の話、フィクションなのだ。さらにこの科学文明の時代に魔術師が戦う、など到底考えられない。しかし自分の右手には確かにマスターの証、令呪があり、目の前にはどこから現れたのかもわからない英霊がいる。
「しかし、聖杯戦争が行われるって言ってもいまいち信じられないっていうか・・・」
「まぁ突然言われてもわからないかもしれません。じゃあ少し外を見てみましょうか」
「外?何で?」
「まぁとりあえずとりあえず」
そう言うものだから嗣音は立ち上がって窓へと歩く。窓からはいつものように光が入ってきている。窓はこの数日開けていなかったためカーテンを開き鍵を開けて窓を横へとスライド。少し肌寒い空気が外から入り込んでくる。早くもこたつが恋しい。そこからあまり広くないベランダへと出る。
そこには見慣れた街の風景が広がって―――
「え?」
彼女は思わず声を漏らした。それは視覚に入ってきたものが予想と大いに異なっていたからだ。彼女が住んでいた街はどちらかと言えば田舎の方で、アパートの周囲も古びた駅やそこらに一軒家が並ぶ住宅街だった。それが今では、周囲には大量のビルが森を形成し、道路には多くの車が群れを作っている。以前の風景とは異なる圧倒的な都会。
慌てて振り返り自分の部屋を見る。こんな都会が外だと言うのに自分の部屋だけは以前と何ら変わらない。まるでこの部屋だけがワープでもしてしまったかのようだ。
「マスター、たしかに間もなく聖杯戦争が行われます。でも今回の聖杯戦争は、少々特殊な物なんです」
「特殊?」
「はい、と言っても最後の一人になるまで争う、という部分は変わっていません。従来の聖杯戦争ではマスターが聖杯によって選ばれ令呪を授かり、サーヴァントを召喚していました。しかしこの聖杯戦争は違います。簡単に言えば『サーヴァントがマスターを連れてくる』んです」
「サーヴァントが、マスターを連れてくる・・・?」
思わず復唱してしまう。確かに嗣音が知っているいかなる聖杯戦争でも、サーヴァントはマスターによって召喚されるものであった。
はい、とサーヴァントが答えると彼女は続けた。
「詳しい原理はよくわからないんですが、聖杯の中には無属性の霊基、魂のようなものがあって、その霊基が聖杯によっていろんな世界に飛ばされるんです。それでその先で見つけた人をマスターにする、という感じです」
「つまり、私は君に選ばれてマスターになった、ってこと?」
「はい、そういうことです!」
ようやくわかってもらえた、とばかりに嬉しそうに答える。とにかく自分がマスターに選ばれてしまった、ということは理解できた。しかし逆に言えばそれ以外のことは未だちんぷんかんぷんだ。
「というか、そもそも私魔術師ではないないんだけど」
そう、神崎嗣音は魔術師ではない。生まれた時から魔術とは縁のない生活をしている。魔術という言葉はゲームの中でしか聞いたことが無いし、それが実際にあるとは夢にも思っていなかったのだ。
「大丈夫ですよ。貴女には微量ながら魔力があるみたいですから」
「私に魔力が?魔術師でもないのに?」
「少なくとも私を現界させている、ということはそういうことですよ。もちろん聖杯のバックアップもあって現界できているんですが、本人の魔力も消費してるのは間違いありません。ちょっと集中してみてください。魔力のパスが通じてるのがわかりませんか?」
つまり、自分は魔術師ではないがなぜか魔力がある人間のようだ。なぜ魔力を持っているのかは不思議だが、どうも自分からサーヴァントにエネルギーのような物が流れている感じはある。これが魔力のパスなのだろうか。
とりあえずこの疑問は頭の隅にでも置いておくことにする。
「それで、あなたの名前は沖田総司で間違いない?」
「あれ?私真名名乗りましたっけ?」
目の前のサーヴァントが首を傾げている。彼女は自分のことをセイバー、としか名乗っていない。しかし目の前の少女は、外見から性格まで自分の知るサーヴァント、沖田総司だった。反応からしても相違ないようだ。
「そうです、私はセイバー。真名を沖田総司と言います。まぁしがない人斬りです」
「そう、よろしくセイバー。ところで霊基がマスターを選んで連れてくるんだよね?何で沖田さんなの?」
「さぁ・・・。基本的に霊基は選んだマスターの精神性によってどの英霊になるか決まるんです。悪い人を選んだら悪い英霊になるし、聖人みたいな人を選んだら聖人のサーヴァントが召喚されるでしょうね」
「つまり、マスターを選ぶ前の霊基は自我がないってことか」
「そうですね、そしてマスターを選ぶとそのマスターの精神に近い英霊の姿を取ります。ただマスターが英霊を決定する要素を持っていたら話は別なんですが」
どうやら順序こそ違えど、マスターの精神構造がサーヴァントを決定するというのは自分が知っている聖杯戦争と同じようだ。しかし幕末の新撰組で活躍した侍と、ただのゲーム好きの私が精神が似ているとは考えにくい。なら私は無属性の霊基に沖田総司を決定させるほどの要素を持っているのだろうか・・・?
はっ、と思いつきテーブルの上にあったスマートフォンを手に取る。電源を入れると昨日寝落ちしたので、Fate/Grand Orderがそのままついていた。無慈悲な聖晶石(ガチャに必要な石、課金アイテム)が0という表示と沖田総司ピックアップの画面が映されていた。
どうかしたのかと眼の前にいる沖田総司が画面を覗き込んできた。
「私だ!」
と目を輝かせている。どうやら、聖杯はサーヴァントに現代社会の知識を与える、というもともとの設定はあるらしい。そのため携帯端末にも驚いている様子はない。だが自分がゲームに出ているという現象は面白いのかもしれない。
もちろん突然嗣音が端末を起動したのにも理由がある。先日自分は財産をかけて沖田総司をガチャで引こうとして失敗した。心の中には沖田総司という人物が印象に残っていた。つまり、寝落ちする前に爆死したことで脳内に残っていた沖田総司が呼び出されたのかもしれない。
「ところで、ここはどこなの?」
部屋の中だけ同じ空間で外は全く別世界。部屋ごとワープしたとしか説明できない状態。ここはどこなのだろう?
「ここは聖杯戦争のために特別に作られた世界だそうです。霊基に選ばれたマスターは聖杯によってこの特別な世界へと飛ばされ、そこで戦うことになっているんです。」
「じゃあここは元の世界とは別の世界ってこと?どうやったら元の世界に帰られるの?」
「聖杯戦争が完結したら、ですね。聖杯戦争のルール通り、最後の一人のマスターになるまで殺し合います。つまり、この世界から元の世界に帰られるのは一人だけ、ということですね」
―――どうやら想像以上に大変な事態なようだ。セイバーはなんでもないことかのように話した。しかし冷静になって考えてみれば聖杯戦争は魔術師同士の殺し合い、純粋なバトルロワイヤルなのだ。さらにこうやって異世界に飛ばされてしまった以上、元の世界に帰るならば戦いは避けられない。全くとんでもないことに巻き込まれてしまった。
―――なら、戦うしかない。戦う以外に生き残る道がないというならば、戦うだけだ。
決断を迫られたら即座に決める、というのは彼女の美徳だった。他のマスターを全員倒し、最後の一人となって元の世界へと帰る。今はとりあえずこれを目標とするとしよう。
「わかった。それじゃあ改めてよろしくね。セイバー」
そう言って嗣音は右手を差し出した。沖田も快く握り返す。
「はい。よろしくお願いします。マスター。聖杯を手に入れるためにお互いに頑張りましょう!」