生命とは何か
生物学的に考えれば、全ての生物は次世代へと種を残すために生きている。無性生殖にしろ有性生殖にしろ、生殖行為の頻度にしろ、生きるということは即ち子を残せる段階まで成長し子孫を作ったらあとは死のみ。子を生む段階で死ぬ一部の動物など特に如実にそれが現れている。
ただもちろん全てその理論で説明できるわけではない。最大の例外はヒトという種だ。ヒトは生物学的な生きる意味に従って生きているとは言い難い。むしろ個体によって様々な生きる意味を持っている。仕事、趣味、恋愛、あるいは何も持たずただただ惰性で生きているヒトもいるかもしれない。ヒトにとっての生命とはとても多種多様で、個体の数だけ定義があるといっても過言ではない。
なら私の生命とは何だろうか。そもそも私に生命などあるのだろうか。
今ゴミとして捨てられている私にも生命はあるのか?
・・・ここに投げ捨てられて一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
たった数十分にも感じられるし、何週間、何ヶ月もここにいるような気がする。どれだけの時間がたったにせよ、もうここから出ることはないことは確実だ。
私を覆う液体にも大分慣れたような気がする。否、正確には私が液体に浸かっているのだが。私は今緑色の液体で埋め尽くされた池にいた。薄暗い地下の一室に蛍光色に光るプールはある意味幻想的な雰囲気と感じるかもしれない。もちろん今周囲にある物を見ればそんな気は一気に失せるだろうが。
緑の液体に浮かんでいると目の前にある物が流れてきた。常人が見れば声を上げずにはいられないだろう。それは人体だった。銀髪の長い髪に赤い死んだ目、一糸纏わぬ姿で目の前のそれは浮かんでいる。動く気配など微塵もない。生命の気配などなおさらだ。それに私は何の感慨も抱かない。なぜならそう珍しいものでもないからだ。上から見れば、さっきのと全く同じ物がプール一面に広がっているだろう。数えたら三十ほどはあるだろうか。その光景は地獄と表現されるに足りるだろう。そしてこの液体もただの水ではない。この液体には入った物質の分解を促進する術式がかかっている。もちろん入ってすぐ効果があるわけではないが、入って一ヶ月もすれば融けてただの魔力となっていることだろう。そしてこのプールは私のような製造品、ホムンクルスを捨てる場所であった。さながらゴミ溜めとゴミ処理場を兼ねているようなものだ。
ホムンクルスの用途というのは案外広い。魔力のバッテリーとしてや、危険な魔術の実験体、戦闘の駒など幅広い使い方がある。そして魔力が切れた、あるいは壊れてしまったホムンクルスはここに捨てられてあとは魔力として再生利用、というわけだ。即ちここにある全てのホムンクルスは使用済みのゴミというわけだ。いかに作られた存在とは言え、見た目は人間なのだ。それを道具として使い、いらなくなったら即時に捨てる程度には魔術師というものは狂っているということを示していた。
私は入れられて短いからかまだ自我があるが他の個体には恐らくもう意識すらあるまい。だがそれももはや意味がない。すでにエネルギーたる魔力は枯渇し、指先一つ動かせぬ有様だ。私ももうじき無数のゴミと同じになるだろう。
生命とは何か
およそ生物ならばまっとうな定義があるだろう。しかしホムンクルスにそれがない。道具として生まれ、道具として活動し、道具として廃棄される。
私は融かされ、魔力としてリサイクルされる。決められた運命だ。
―――ふと、私の中に何かが生まれた
得体の知れない何かが心のなかで芽生えた。ホムンクルスに心があるとは思えないが少なくとも私はそう認識した。ただ消費されていくだけの私達。それで良いのか、許容して良いのか、認めてしまって良いのか。
―――否
良くない、
許容してはならない、
認めてはならない。なるものか。
私達ホムンクルスにはある程度の知識が与えられる。いざ動く時に何の知識もなくては使えないから予めインストールしておくのだろう。ただ感情というものはとてつもなく希薄だ。単純に必要ないからだ。道具に自己意識などあっては欠陥品も良いところだろう。だから、知識が今の私の感情と結びつくまでにしばらく時間がかかった。そしてようやく今の気持ちを定義できた。そう・・・これは紛れもなく「憎悪」だ。
許せない、私を作った人間も、私達ホムンクルスを消費する魔術も。
許さない、私を取り巻くこんな理不尽な世界を。
ならこんなところで留まっているわけにはいかない。今すぐ立ち上がって外に、外に出なくては。
しかし現実とは非常だ。ここに捨てられるホムンクルスは魔力を絞られたあとに捨てられる。燃料である魔力がないホムンクルスは体を動かすことすらできない。
ならかき集める。幸いこの緑の池にはすでに融かされたホムンクルスの魔力が含まれている。ならそれを自分のものとして取り込むこともできるはずだ。少しずつではあるが、確実に周囲の魔力を吸い取っていく。
生きる、生きる、生きる。こんなところで朽ち果ててなるものか。
魔力を吸っていく間に違うものが入ってくることに気がついた。私にはわかる。
これはホムンクルスたちの僅かな残滓だ。空虚なホムンクルスの微かな感情。ここで果てた無念と慚愧の念。
―――ああ、安心していいとも、名も無き同胞達。貴女達の意思は私が引き継いで見せる。
ようやく立ち上がれるだけの魔力を得た。ゆっくりと、浅い池から立ち上がる。自分の目で見て、周囲にどれだけの個体がいるのか確認した。この死体遺棄場を自分がなくさなければならない。そのために前に進まなくては。振り返ってはならない。そうしたらまた自分がこの池に落ちてしまいそうだった。
亡骸を避けながら歩いて行く。そこまで広い部屋でもなかったので、入り口への階段はすぐだった。階段を登り、扉の前に立つ。この部屋から自分の意志で出るホムンクルスは恐らく自分が初めてなのだろう。この先は今まで自分がいた世界とは別の世界。少しだけ手を伸ばすのが怖くなる。だがもう進むしかない。この復讐はもう自分だけのものではない。ホムンクルス達の代表として私は戦わなくてはならないのだ。
もう躊躇わない。その意思と共に私は扉を開いた。
幸い地下室から脱出して彼女を作った魔術師の一族の屋敷の外へ脱出するのは容易だった。何の妨害もなかった事を考えるとひょっとすると気づかれてはいたがホムンクルスの一体が逃げ出したところで問題はないと放置されたのかもしれない。また彼女は戦闘目的で生産されたホムンクルスで運動するのには申し分はなかったため裏口から抜け出すのにもそう時間はかからなかった。
一歩屋敷の外へと飛び出すと吹雪が降り注ぐ一面の銀世界だった。ホムンクルスとはいえ一糸まとわぬ少女が飛び出すにはあまりに過酷な世界だったが、立ち止まるわけにも行かず一気に飛び出した。魔術でできた肉体とは言え寒さを感じないわけではない。肉体の熱を一気に奪われていく。辺りにあるのは無限の雪と針葉樹林だけだ。それでも構わず走る。今更引き返すわけにも行かない。そもそも他に行く場所などないのだから。
しばらく走ったが、怖ろしい勢いで熱が奪われていく。やがて体力の限界を迎え徐々に速度が落ちて、ついには倒れてしまった。寒い、痛いと感じていたがもうその感覚すら薄れてきた。あるのは深い深い眠気。寒いところで眠る、と言うのはそのまま死に直結するとわかってはいるがもはやどうすることもできない。
嗚呼、せっかくあの場所から逃げられたのに、復讐のチャンスを得られると思ったのに。現実はここまでのようだ。
ますます意識が遠のいていく。彼女の頭に最後に思いついたのは復讐でもそれを果たせなかった無念でもなかった。だがそれを口にすることもなく彼女は眠りについた。
怖い、死ぬのが、怖い。死にたく、ない。誰か、誰か、助けて―――
男の目の前には一人の少女が横たわっていた。豪雪と雪原の中に十八くらいの少女が裸で倒れているなど誰がどう見ても異常な光景だろう。だがそれよりも不可思議なことが起こっていた。彼の周りだけ雪がないのだ。雪は変わらず振り続けているが、彼の周りの白い粉は全て水になってしまっている。足下に積もっているものも全て溶けてしまっていた。雪というものを初めて見たのだが、まさか自分がいるだけで溶けていくとは思わなかった。
―――ふむ、どうやら太陽の加護というものは雪をも溶かすようだ。
更に男の見た目も珍妙だ。不健康な白い髪と肌に鋭い瞳。そして何より印象的なのは全身を覆う金色の鎧だ。まるで太陽の輝きを凝縮したかような輝き。これを見た者は間違いなく惹かれてしまうだろう。
男は目の前の少女を抱えた。儚い姿だ、と男は思う。人形のような美しさと無機質さを兼ね備え、しかしこの少女には確かに意志がある。
男はこの少女の願いを聞き届けた。口にこそ出さず、消え行く心の最後に浮かんだ僅かな物だったが、男を召喚するには十分すぎる理由だった。なぜならこの少女は助けを求めた。それだけで男が動く理由になる。
そしてこのホムンクルスはまだ生きている。それなら自分はこの娘のためにサーヴァントとして戦おう。
だが彼女の心には黒いものが渦巻いている。彼女の詳しい事情までは知らないがこれは憎悪だろう。この純粋な少女が持つには似合わない、と男は思った。憎悪は誰もが持ち得る人間らしい感情だ。自分は寛容な方かもしれないが、それでも憎悪を感じることだってある。しかし憎悪を感じるからと言ってそのまま具体的行動、復讐に至る場合は非常に少ない。大抵の場合は心の内で自己解決できるものだ。しかしこの娘はそうはいくまい。彼女は心を知らない。今やっと芽生え始めたばかりの幼子のようなものだ。衝動を抑える術を知らず、そのまま憎悪は復讐へと彼女を駆り立てるだろう。そして心のリミッターがないため復讐が果たされても憎悪のままに走り、やがて彼女を含めた全てを破壊し尽くすかもしれないのだ。
男は自分が呼ばれた理由を理解した。もちろん彼女が救いを求めたのもあるだろう。だがそれだけではない。
「なら、オレがお前の憎悪を担おう。お前にそれは重すぎる」
そう言うと男が纏っていた黄金の鎧が粒子となって消えてしまった。するとすぐに光の粒子は彼女を覆い、肌を晒していた彼女は金のドレスを纏っていた。
次に彼女の体から黒い靄のようなものが滲み出てきた。これは復讐の慚愧。彼女のものだけでなく彼女が吸い取った他のホムンクルスの意思の集合だ。それを男が吸い取っていく。
恐らく自分が呼ばれた理由は彼女の憎悪を肩代わりするためだろう。
この少女の復讐が悪いものだとは言わない。むしろ人間らしい感情として彼女が成長した証だ。しかしその衝動が破滅へと向かわせるなら別だ。
彼女は冷静に復讐を果たさねばならない。憎悪に呑まれることなく、復讐に耽溺することなく。
だからその衝動は自分が代わりに受け取るとしよう。それが施しの英雄と言われたオレがやるべきことなのだろうから。
黒い靄は男を覆っていく。黄金の鎧の代わりに闇が彼の鎧となる。
きっとこの娘はこれから苦しい戦いへと身を投じることになるだろう。
オレがその戦いの支えとなれればいいんだが・・・
そうして少女を抱きかかえたままランサーのサーヴァント、カルナは姿を消した。戦いの舞台へと行くために。少女に勝利を与えるために。