Fate/Kaleidoscope   作:リク@物書き初心者

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二章
漆黒と日輪


言うまでもなく、夜は日の光が届かぬ闇の時間だ。電気がなかった時代は夜は僅かな火と月の光のみを光源としており暗いのは当たり前だった。そのため夜は人間にとっては睡眠の時間であり、休息の時でもある。

しかし現代ではそうとも限らない。電気の発明は人間の夜の過ごし方を大きく変えた。人は夜の暗さを恐れることがなくなり、夜間の商売なども容易に行えるようになった。更にそこから科学技術も発達し、人間は車という便利な足を手に入れた。都会の夜は今日も多くの車が氾濫し、数多の人工の光が夜道を照らし出す。また酒を目当てにうろつく若者や社会人、多少ガラの悪い男たちなども住み着いている。現代の夜とはそういう時間だった。

アランはその闇の世界を歩いていた。電気で光る夜の街に似つかわしくない修道服姿で街道を闊歩する。アサシンのマスターである彼だが側にはアサシンの姿はない。もちろん霊体化して付いてきているわけでもない。今アランは一人だった。

「まったく、空気が悪い空間だ」

知らぬうちに思わず独り言を漏らす。

アランはこう言った都市空間に来た事はほとんど無い。彼の所属する教会は都市にあるというわけではないし、任務で行くことも珍しかった。アランはむやみやたらと人が集まる場所は好まない。そもそも人間自体あまり好きでないからだ。異端審問が専門の聖職者はやはり化物を相手にするほうが性に合っている。

―――さっさと情報を集めて帰るとしよう

アランとてこの時間に外に出たのは娯楽のためではない。アランは突然この世界に飛ばされて何もわかっていないのだ。ここは何処なのか、どんな世界なのか。聖杯戦争とは本当にあるのか。何としても知らねばならない。

 

 

 

 

あの場所、死体共を処理したところでアランは彼に出会った。

髑髏の暗黒騎士。重厚な存在感を放つ黒い剣士。血に濡れた大剣を持ってアランの目の前に現れた暗殺者、ハサン・サッバーハ。

彼の姿を視認した後、アランは意識を失った。そして次に目覚めたら見知らぬ洞窟にいた。洞窟と言ってもそこそこの広さで、怪しげな紋章などの魔術工房の跡が見られた。そこにはアサシンの姿はおらず、簡易なベッドに一人寝かされているだけであった。そして洞窟を出ると、辺りは森林に囲まれた空間だった。

 

聖杯戦争、アランはその言葉に聞き覚えがあった。万能の願望器である聖杯を巡って魔術師とその使い魔たるサーヴァントが殺し合う戦い。しかしアランはそのような魔術儀式など眉唾だと考えていた。聖杯戦争が行われるのは決まって極東の島国。教義における『聖杯』とは、かの聖人の血を注がれた杯であり、未だ見つからぬ伝説の聖遺物だ。それが極東にあるとは考えにくい。またもしその聖杯が本物なのだとしたら教会は黙ってはいまい。例え略奪や戦争になったとしても、是が非でも聖杯を奪取しに行くことだろう。しかしそれをしないということからも、聖杯戦争における聖杯は偽物の可能性が極めて高かった。

しかしアランは現に聖杯戦争に参加している。未だアサシンと会話をしていない故に断言はできないのだが、右手の奇妙な聖痕がその予想を裏付けていると感じる。恐らくあのアサシンがサーヴァントなのだろう。

あまりにもわからないことが多すぎる。そして、万が一聖杯があらゆる願いを聞き届ける杯なのだとしたら。レオンには是非とも叶えたい願いがあった。叶えたい願い、というよりは、聖杯に問いたいことがあると言った方が的を射ている。

 

そう考えながら歩いていると左肩に何かがぶつかった。振り返るとお世辞にも良識があるとは見えないゴロツキ三人がいた。明らかに天然のものではない金髪。きっちりしているとは言い難い乱雑な服。どうやら面倒な奴らと接触してしまったようだ。無視して進もうとすると後ろから肩を掴まれた。

「おい兄ちゃん、てめぇ誰の肩にぶつけたと思ってんだ?あ?」

「おいおいこりゃ重症だぜ。こりゃ慰謝料払ってもらわねーとなぁ?」

「・・・残念だが手持ちはない。諦めろ」

早速予想通りの展開が訪れる。綺麗に三人組に囲まれて金を要求される。そのやり方を見ても、どうやらこの手の行為には慣れているようだ。

「おいおい!怪我させといてその態度はね~だろ!」

そう言ってこちらを睨みつけてくる。

凶悪で下品な面だ、とアランは思う。慣れてない人間なら恐怖して腰を抜かしてしまうかもしれないが、人外を相手取るアランがこの程度で狼狽えるはずもない。

「どうするよ?やっちまうか?」

「そうだな、おいてめー、ちょっとこっち来いや」

三人に引っ張られて道の端の方へと連れられる。そこから狭く暗い裏路地へと入っていく。表では流石に人の目があるため、裏の目が届かないところで私的制裁、いわゆるリンチを行おうという算段のようだ。よく見ればこの三人組は顔が赤い。酔っている状態ではまともに話し合いで解決できるはずもない。

 

しばらく進むとゴミ捨て場のような場所に連れられた。先程の輝く街道と打って変わった空間。それにこのような悪性を持った人間。まるで街の闇の部分を一気に見せられたかのようで気分が悪い。

すると三人組は再びアランを取り囲む。三人で挑めば負けるはずがない、という心理のようだ。それを裏付けるかのように、彼らは汚らわしい笑みを浮かべている。

「おい兄ちゃん、あんま調子に乗ってんじゃねえぞ!」

一人がアランに踏み込んでくる。左足を前に出し握りしめた拳を顔面に入るように勢い良く飛び出させる。

狙いが良いこともあるが、殴ることにまったく躊躇いのない様子から手慣れているようだ。もちろん黙って受けるアランではない。風を切って迫る拳。それをアランは容易く受け止めた。

「なっ、てめえ離しやがれ!」

アランは男の拳を手で掴んだまま離さない。そしてそのまま掴んだ手に力を込める。

「あああああああ!!!!手が、手があああ!!!」

たまらず殴ってきた男が叫び出す。そして必死で掴まれた右手を離そうと暴れまわる。必死の抵抗を受けアランは男の手を離した。もっとも男を抑えきれなくなったのではなく、これ以上する必要が無いから離しただけなのだが。

男は右手を抑えて地面でうずくまった。男の手はアランに握りつぶされ、血が飛び出し指が本来あり得ない方向へと曲がってしまっている。恐らく骨も数本は折れていることだろう。

ただ手を握っただけで戦闘不能にさせる。その恐怖に残りの男たちは数歩後退した。そのうちサングラスを掛けたチンピラが辺りを見渡す。そして壁に長い鉄パイプが立てかけられているのを見て急いでそれを掴んだ。

「こ、この野郎!やりやがったな!」

ステレオタイプな台詞と共に獲物をこちらに振りかざす。鉄パイプはアランの頭を狙っている。もし常人が直撃すれば脳震盪くらいは起こすかもしれない。

アランは即座に腕を頭上にかざした。そのまま迫る鉄パイプとアランの前腕が衝突した。腕と金属の棒がぶつかる鈍い音が鳴る。全力で振られた鉄パイプが腕に直撃すれば骨折とはいかずとも、痛みや麻痺などで動けなくなるのが当然だ。しかし異端を狩る戦士である彼にとって金属の棒で殴られるなど大事ではない。彼の鍛えられた腕は鉄パイプの攻撃を完全に防いでしまった。

間髪入れずにアランは鉄パイプを握る男に拳を叩き込む。チンピラたちの喧嘩のそれではなく、戦闘に特化した攻撃的な一撃。それは恐ろしい速度で男の腹部に吸い込まれた。一般人にすぎない彼らにアランの一撃を防ぐ手段はない。サングラスの男は後ろへとふっとばされ壁に叩きつけられた。そのまま力なく地面に座り込んでしまう。恐らく気を失ったのだろう。

「ひっ、化物だこいつ・・・!」

そう言って残った一人は仲間を見捨てて走って逃げようとする。だが男は千鳥足だった。満足に走ることもできない。それをアランは後ろから肩を手で掴む。ここで逃げられてはわざわざ裏まで来た意味が無いからだ。

「待て、お前に聞きたいことがある」

「待ってくれ!俺はあんたに手を出してないだろ!」

「そうだな。だからお前には質問したいだけだ。大人しく答えれば危害は加えない」

「な、なんだよ、聞きたいことって!」

アランは、とりあえずここはどこなのか、というところから次々と疑問をぶつけていった。アランからすればただ尋問しているだけだったのだが、チンピラからすればそれは詰問されているのも同義であり、またモンスターに質問されているようなものであった。

 

 

 

「それじゃあ、おやすみなさい」

女性は笑顔で口を開いた。声をかけられた対象である弱った老人は何も答えない。否、正確には答えられないという方が正確なのだが。老人は寝転がったまま女性の声を聞く。

「早く良くなるといいですね」

女性はそう言って年寄りの手を握った。男は目もよく見えないし感覚もあまりない。だが自分の皺だらけのやつれた手を通して得られる熱は少しだけ心地よかった。

そう言うと看護師の女性は部屋から出ていった。部屋の電灯が消され一切の光が消える。もっとも男は光を感じ取ることはできないのだが。

ここは街の中規模な病院だった。中規模と言っても病棟があり多くの患者を入院させることができる。またこの病院は患者の面倒をしっかりと見てくれると評判だった。そして男は数か月前からここに泊まりきりだった。

きっかけは数ヶ月前に突然高熱や咳など風邪のような症状が現れ始めた。しばらくすれば治るだろうと思っていたが一向に症状は改善されなかった。そこで病院に行くと肺炎と診断されそのまま入院することとなった。しかし入院しても既に米寿を超えていた男は一向に回復せず悪くなるばかり。今は全身に点滴の針が刺され様々な栄養剤や何やらを投与しているがやはり寝たきりの状態は改善される見込みはない。数週間おきに家族が会いに来るものの意思疎通すら困難で、老人の口から漏れるのは言葉ともつかぬ僅かな音のみ。つまるところ男はもはや死を待つのみだった。

・・・みじめだ。男はそう思った。

日々動くことも叶わず、身体を横にするだけで何をすることもない。無駄に金を使い、ただ外部から供給される栄養だけを糧に生かされている。こんなの生きているだなんて呼べやしない。死んだほうがよほどましだと言うものだ。しかしもはや男には自ら死を選ぶという選択肢すら残されていない。彼の筋肉は完全に腐ってしまっているのだから。

・・・死にたい。男はそう思った。

この世から消えてなくなりたい。今の自分は無駄に生きている。助かる見込みもなく半ば植物人間として生き、意味もなく時間と金を浪費する。家族には心配と迷惑をかける。恥の上塗りを見事に重ねている。

誰か、誰か自分を殺してくれないだろうか。それが男の切なる願いだった。これ以上の生活はもう耐えられない。

―――ならば、首を出せ

重厚な声が個室に響く。看護師の声とは明らかに違うし誰かが入ってきた様子もなかった。男はゆっくりと目を開ける。

そこには黒い何かがいた。視覚も弱っている男は詳しく見て取れないが、それでも何かがいることはわかった。そして直感的に理解した。この存在は人間ではないのだと。

「汝に死を齎しに参上した。暗殺者、ハサン・サッバーハである」

謎の黒い存在は荘厳な声で老人に語りかける。

「汝に問う。この狭き部屋で虚無と共に現世に留まるか、或いはその肉体の軛を断ち其の魂を天へと返すか。選ぶが良い。これが、汝が人間らしく死を迎えられる最後の機会である」

赤く光る目でこちらをじっと見据えてくる。そして男は確信した。この者こそ、自分を現世に繋ぎ止めている鎖を断ってくれる者だと。唯一自分を救うことができる天使なのだと。

「承諾した。ならば我が剣を以て汝の魂を労おう。安らかに眠るが良い」

黒い天使がおもむろに近づいてくる。そして剣をこちらに向ける。その大剣もまた黒く血に濡れている。

嗚呼、これで、ようやく―――

 

 

 

アサシン、ハサン・サッバーハは大剣を収めた。目の前の老人の絶命を確認したからだ。

「さらばだ老人よ」

老人の骸に向かって独り言を漏らした。老人の骸には剣を向けたものの、その体には傷一つない。彼にとって剣とは単に斬るためにのみ存在するものではない。

彼にとってその大剣とは信仰の証。彼の生涯をかけた愚直な信心が形となったものだ。それも彼は人生で腐敗した教団を暗殺する暗殺者であった。つまり彼にとって死ほど身近なものはなく、死の概念を相手に与えることこそ彼の本来の存在理由なのだ。剣はそれを媒介しているだけに過ぎないのだ。

月光と外の明かりが部屋を照らす。もしこの空間に他に人間がいれば腰を抜かすだろう。淡い光で薄っすらと見える黒い騎士は、もはや死神以外での何者にも見えないのだから。

 

アサシンはサーヴァントとして現界してから常にこうして単独行動をしてきた。何も他のサーヴァントと戦っていたのではないし、他のマスターの暗殺を企てていたわけでもない。彼は自分の殺す人間を自らの意志では決して定めない。自分が殺すべき者は天命によって死ぬべきとされた者、つまりはもし自分が手を下さなければ、人間としての尊厳を保ったまま死ぬ機会を手放す者だけだ。人間ではない英霊ならともかく、アサシンが他のサーヴァントのマスターを殺すことは、人として生きられている内は決してない。

つまり彼は街にいる、『死にたくても死ねない人間』を殺してきたのだ。ほとんどは意思疎通すらできない老人だが、再起不能な程に追い詰められた鬱病の人間も天に返した。なぜそうするのか、それが彼の信仰だからだ。

いつまでも部屋に居座っているのもまずい、そう考えアサシンは姿を消した。

 

 

―――あの男はどうしているだろうか

アサシンは先程の病院の屋上で町並みを見下ろしながらそんな思考がふと浮かんできた。アサシンのマスターである、アラン・リンドバーグのことだ。

こちらの世界に飛ばされた直後は、アランに意識はなかった。急に飛ばされて気を失ったのだろう。とりあえずアサシンは手早くアランを安置できる洞窟を探し出しそこに寝かせておいたのだ。

アサシンにとってアランは異教徒だった。それはアランが身につけていた十字架から見ても明らかだ。アサシンは異教徒であるからと言ってマスターを無下にする事はない。ただしそれは自分が剣を預けるに足る人間であればの話だ。彼が山の翁を真に欲するならば、その時はサーヴァントとして力を振るおう。果たして彼がそこまでの男かどうか・・・。

そうして山の翁は霊体化し病院の屋上を離れた。月光は変わらず病棟を照らしていた。

 

 

 

 

 

温かい、人造の生命体はそう感じていた。

冬の夜に吹く風は人間の体温を奪うものだが、ホムンクルスはまるでシエスタでもして太陽の優しい光を浴びているかのような感覚だった。もっともそれはあながち間違いでもないかもしれない。なぜなら彼女はある意味、日輪そのものをその身に纏っていたのだから。彼女を包む金色のドレス、派手な装飾もなく簡素なものだが、これには太陽の輝きが凝縮されている。

これは彼女のサーヴァント、ランサーが施してくれた物だ。

ランサー曰く、私は生まれたままの姿で雪原で倒れていたそうだ。そこで彼は自らの武具である黄金の鎧をドレスの形にして暖を取らせたという。ドレスの恩恵か、体温は無事に回復し今こうして動いているし、それに今も快適だ。

冬の寒さは太陽によって打ち消される。彼女は今十分に暖かかった。

「・・・ここからなら街を一望できそうですね」

「ああ、サーヴァント達が戦っていたら認識できるだろう」

ホムンクルスとそのサーヴァント、ランサーは街の高台にある小学校に来ていた。校舎や体育館は比較的新しく塗装も剥げていない。校庭や運動場含めてかなり広く、これなら生徒たちが遊ぶ分に支障はあるまい。もっとも今は夜で人間は誰もいない。その為校舎の屋上まで二人は難なく登ることができた。

ホムンクルスとランサーは何も景色を求めてわざわざ学校に来たわけではない。街から少し離れたところにある校舎は街全体を見渡しやすい。また、もしサーヴァント同士で戦いがあれば発見することもできる。要するに地の利を活かしに来たというわけだ。ここに人払いの魔術を使って工房にしてもいいかもしれない。

「そういえばマスター。二つほど聞きたいことがあるのだが」

「どうしました?」

突然ランサーがホムンクルスを向いて問いを投げてきた。

「まず一つ目、マスター。お前に名前はあるのか?」

ランサーはホムンクルスの目をじっと見つめる。

威圧的でも攻撃的でもない強い瞳。こちらの中身まで見られているような感覚に陥る。

名前。人として生きているならば誰もが持つことができる物。どんな境遇で生まれようとも、名前は必ず与えられる。それは人として当然の事であり、また権利でもあった。

だがホムンクルスにそんなものはない。所詮道具は道具であり、個体としての識別番号はあるが具体的な名前は持ち合わせていない。

「いいえ、持ってません。ホムンクルスは作られた存在なのでそういうものを持つ必要がなかったんです」

ホムンクルスは静かにそう答える。ようやく自我を手に入れたランサーのマスターだったが、名前が無いことを悲しむほど心は成長していなかった。

「そうか、そうだろうな」

ランサーは案の定、という風に答える。

ランサーは以前、別の聖杯戦争でもホムンクルスと出会ったことがある。その時は自分のマスターとしてではなく、敵として出会い、覇を競った。通常サーヴァントは座と呼ばれる場所から現界する存在であり、座に戻る度に、以前参加した聖杯戦争の記憶はほとんど消失する。だがカルナの魂が覚えている。自分と全力を尽くして戦い、自分を下したホムンクルスがいたと。そしてそのホムンクルスも元は名前もない無名の人造物だったのだと。

「しかしマスター。名前がないのは少々やりづらいのだが」

「好きな呼び方で構いません。マスターという呼称でもいいですし」

「ふむ・・・だが名前というのは個人を表す大事なものだ。・・・そうだな、クンティと言う名でどうだ?」

「クンティ、ですか。何か意味があるんですか?」

「意味があるかと言われればわからないが、俺の母の名前だ」

「そのような名前を与えても良いのですか?」

「ああ、あいにくあまり女性の名前は思いつかなくてな。だが俺の母は、息子を大事にしていた良い女性だった。悪い名前ではないと思うのだが」

息子を大事にしていた、という表現が少しホムンクルスは引っかかった。自分を大事に育ててくれだ、という表現にしては少し他人行儀なような気がしたからだ。だがそれはどうでもいい思考だと切り捨てた。

手を顎に当てて考える。確かに自分には名前はないが、名前が必ずしも必要かと言われたらそういうわけでもない。だが別段断るほどの理由もなく、名前があって損になることはあるまい。

「わかりました。では今から私はクンティです」

名付けられたホムンクルスは自分の名前を反芻する。不思議と悪くない気分だ。今まで希薄だった個人というものが、一気に濃くなったような感覚だった。

「ああ、改めてよろしく頼む。それでもう一つの質問なんだが」

「なんです?」

「クンティ、お前は聖杯を手に入れたらどう使う?」

先程以上にこちらに集中して目を向ける。だが不思議と答えづらさはない。ただありのままを話してくれればいい、とランサーの目が語っていたから。

「私はこの世から全ての魔術を消滅させます。私のような存在を二度と産まないために」

芽生えたばかりの感情を以ってはっきりと口に出す。自分が聖杯に託すべき願望を。自分が果たさなければならない義務を。

あの薄暗い緑のプール、ホムンクルスが捨てられる時は、機械が壊れてしまったときのそれと同じだ。用がなくなったらゴミ処理場。あれを決して認めてはならない。

「私はあの地獄を見た者として、もう私達のような哀れな存在を生み出さない義務があります。魔術がなくなればホムンクルスは作られなくなる。生贄も必要なくなる。それが私の聖杯へのただ一つの願いです。そのために、他のマスターを全員殺してでも聖杯を絶対に勝ち取ります」

ランサーは静かにクンティの言葉に耳を傾けている。そしてランサーは心底安堵した。今、己のマスターは復讐に突き動かされてはいないのだと。

カルナがクンティと初めて出会った時、彼女は自らと彼女の同胞達である無数のホムンクルスの慙愧の念に囚われていた。そしてカルナはそれを自ら取り込んだ。幼いホムンクルスが憎悪に呑まれないようにという配慮だったが、どうやら功を奏したようだ。代わりに自身の黄金の鎧を失ったが大した問題ではない。

そして彼女が真に自らの意志で戦うと決めたのならば、己の槍はマスターのために全て捧げよう。

「了解した。俺はお前の願いのために全力で力を振るおう。至らないところもあるかもしれないが、よろしく頼む」

ランサーは己のマスターをじっと見据えたまま微笑んで応えた。ランサーは自分を幸運だと思った。このような純粋なマスターと共に戦うことができるのだから。

「ん?どうしたマスター。頬が赤くなっているが不調か?」

指摘されて初めて、クンティは己の顔が熱くなっているのを感じた。突発的な体温上昇、これまでに起こったことがない。ランサーの凛とした声、穏やかな微笑み。それらを認識した瞬間に、突然胸に不可解な感情が湧き上がる。だがそれは不快ではなかった。強いて言うならば、彼のことが急に気になったとでも言おうか。

「い、いや。なんでもありません。大丈夫です」

ひょっとすると何か己の内側に不具合が生じたのかもしれないと考えたが、特に問題はないだろう、と未体験の心情を胸の内に封じ込めた。

「それで、何か見えますか?ランサー」

軽く咳払いをしてからカルナに問う。ここに来た目的はあくまで街を見渡すためだ。己の義務を果たすために何としても勝たねばならぬのだ。そのためには少しでも有利に事を運ばなくては。

「そうだな・・・。北の方向に魔力の増大を感じる。少なくとも二騎分のだ。間違いなくサーヴァントのものだろう」

「そうですか。どの程度のサーヴァントかはわかりますか?」

「いや、ここからでは詳しくはわからない。ただその内の一騎の方は凄まじい。ここからでも禍々しい気を感知できる」

ランサーはそう感じるのであれば、よほど強力なサーヴァントなのだろう。クンティはランサーのサーヴァントとしてのステータスを大凡知っている。全てのステータスでBランク以上、宝具に至ってはA++ランクもある。対魔力に高い神性も持っている非の打ち所がない戦力だ。強さで言えば全サーヴァントの中でもトップクラスだろう。

「わかりました。乗り込んでそのサーヴァント達を討伐しましょう。一騎、あわよくば二騎とも」

「承知した」

クンティの言葉にランサーは逡巡なく承諾する。ランサーにとって主に従う事は当然のことであり、また一切の異存はないからだ。

せっかくサーヴァント同士で戦っているのだ。みすみす逃すわけにもいかない。急いで出発しようと校舎の屋上から出ようとした。その瞬間。

「マスター!」

ランサーが叫びクンティを庇うように、咄嗟に後ろに退かせる。そしてランサーは即座に槍を実体化させ、空中から出てきた何かを弾いた。

尻餅をついたクンティは突然の出来事に唖然としてしまった。今クンティの目の前には長槍を構えるランサー、そして大剣を持った得体の知れない存在がいた。彼もサーヴァントだと理解はできる。だが本能が警鐘を鳴らす。あれは、凡百のサーヴァントではないと。ランサーに匹敵する、あるいはそれ以上の英霊だと。

「見事な隠蔽だな。だが俺の目が黒いうちはマスターを殺させはせんぞ、アサシン」

ランサーは獲物を、己のマスターを暗殺しようとしたアサシンに向ける。アサシンは大剣を立てたまま静かに佇んでいる。クンティには目の前の存在がとてもアサシンには見えなかった。アサシンと言ったら暗殺を得手とする暗殺者。そして暗殺と言ったら、毒殺、謀殺、刃物を使うにしても短刀だろう。大剣で首を狙う暗殺など聞いたことが無い。それにアサシンの装備。全身を黒い甲冑で覆っているのだ。これでは暗殺者というより騎士だ。

「晩鐘はその娘の命を指し示した。退け、槍兵よ。汝が主はここに死ぬ運命にある」

暗殺者は厳かに口を開いた。ただ存在するだけで周囲を威圧する圧倒的な気配。アサシンから漂う濃厚な死の臭い。クンティは思わず萎縮しそうになってしまう。

「天命など関係ない。俺は俺のマスターを守る。それだけだ。邪魔をするなら容赦はしない」

ランサーは改めて槍を構え、毅然とした態度でアサシンと向かい合う。そしてランサーの身体を黒い靄が覆う。次の瞬間にはランサーの身体は、黒光りする鎧に包まれていた。

「ランサー、その鎧は?」

「ああ、自前の物はお前にやってしまったのでな。これは代わりの品だ」

ランサーが纏っている漆黒の鎧。しかしてその正体はそれはランサーが吸い取ったホムンクルス達の怨念だった。クンティを蝕み、ランサーが請け負った負の感情の集合体。それをランサーは自分の装備として具現化したのだ。ホムンクルス達の純粋な憎悪は確かな力を持っている。そしてそれはランサーの内面に存在する。ならあとは手綱を握ってやればいい。流石に元から持っていた黄金の鎧には劣るだろうがランサーにとっては問題ではなかった。

「愚かなり。その娘は所詮人造物。人として生きる道など無い。その生命を永らえる術も無し。日輪の子よ。汝が阻むならば、我はその日輪を覆い隠そう」

あくまで敵対する意思を見せるランサーに対してアサシンも答える。これで両者の戦いは必至となった。

どうする、とクンティは内心葛藤していた。戦う事に迷っていたのではない。ここで戦うのは不利、ということだ。

今いる場所は校舎の屋上。それにしては広いものの、やはり狭いことに変わりはない。サーヴァント同士が近接戦闘を繰り広げて自身が巻き込まれる可能性もある。更にアサシンの狙いは自分だ。戦闘中に隙ができればこちらを即座に殺しに来ることもあり得る。

なら、もっと広い場所に移動すれば良い。単純なことだ。

クンティは屋上の外側に一目散に走り出した。自身の脚に強化の魔術を行使し、とてつもない速度で駆ける。そしてそのままの勢いで屋上の柵を飛び越え、空中に身を投げた。

四階建ての校舎で下は校庭。戦闘用ホムンクルスとは言え、運が悪ければ即死すらあり得る高度からの飛び降り。だがクンティも考えなしに飛んだのではない。

「ランサ-!」

地面に引き寄せられながら自らのサーヴァントを呼ぶ。すると空中からランサーが出現し、クンティの身を抱きかかえた。そしてランサーはマスターと共にゆっくりと校庭に着地する。クンティは、自分の狙いが伝わったことにほっとした。

「大丈夫か」

己のマスターを心配するランサー。途中でしっかりとランサーに抱えられたので全く怪我はない。だがクンティはそこで気づいた。自分は今、いわゆるお姫様抱っこの状態であることを。触れている身体は結構鍛えられているし、意外といい匂いがする。何よりいつもより顔が近づいていることを意識すると、再び顔が真っ赤になってしまった。

「だ、大丈夫です!」

そう答え、急いでランサーの腕から自分で立つ。心臓がドクンドクンと脈を打ち、体中が熱い。もちろん高いところから飛び降りたあと、というのもあるだろうが、それだけではないだろう。

「いや、それよりアサシンは!?」

しかし今はアサシンを何とかしなくてはならない。周囲を見渡すとアサシンはランサー達とは少し離れたところに立っていた。恐らくアサシンも屋上から飛び降りてきたのだろう。

「マスター。お前は遠くにいたほうが良い。下手に近くにいては最悪巻き込んでしまうかもしれない」

「わかりました、ランサー。必ず勝ってくださいね」

そう言ってクンティは校庭の外へと走った。サーヴァント同士、それもインドの二大叙事詩の英雄と、それに勝るとも劣らない謎のアサシン。下手を打てばカルナが負けてしまう可能性もあった。だがランサーには負けてもらっては困る。ここで負けては聖杯を手に入れるのはほぼ不可能になる。それに、ランサーを失うというのは、考えるだけで胸が痛くなる。とにかく死なれてしまっては困るのだ。

背を向けて走るクンティの背後で、激しい衝突音がした。振り返って見ると、アサシンとランサーが互いの獲物を接触させている。

「マスターに手出しはさせん。お前の相手はこの俺だ」

「良いだろう。怨恨を纏いし槍兵よ。汝が槍を我は断ち切ろう」

ここで立ち止まってはランサーの意思を無駄にしてしまう。クンティとてこの場において自分が足手まといになることくらいわかっている。余計な感情で留まってはいけない。少しでも安全なところへ行かなくては。

そう思いクンティは胸の疼きを抑えながら再び背を向けた。

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