TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

124 / 130
第五頁 あり得ざる迷宮

『――という訳でもう一組賓客(ゲスト)をお招き致しました。此度(こたび)もショーの幕開けで御座います』

(グランター(与える者)、楽しそうね)

『それは勿論、この迷宮の支配人たる私が心の底から面白いと思えるものでなければ貴方様がたにお楽しみ頂けませんので』

(「面白くなる」なんて観察する上で不要な先入観。私達(ミリア)はただ思考するだけ)

『……唯一の観客がこれでは私もやり甲斐が無いというものです』

((自我)のことなんて気にしなくて良い、有って無い様なモノだから)

『ご謙遜(けんそん)を――仮にも宝珠ヘブンリーブの主でしょうに』

 

 

 

《第二記憶元素迷宮 サーキュライツライブラリー》

 

 

 

「ここは……」 

 エッジ達が目覚めたのは綺麗に磨かれた白菫色(しろすみれいろ)のとても広い床の上だった。

 石材らしきそれは透き通っていたが、礫岩(れきがん)ではないのか粒が全く見えず、さながら色硝子(ガラス)の様でもあり何なのか判別がつかない。

 が、辺りを見回すとそんな些細な事は皆の頭から吹き飛んだ。

「どうなってんだ」

 クリフの呟きは当然のものだった。

 彼らが居たのは幾何学模様(きかがくもよう)の刻まれた床の上だったが、正確にはこの空間には「床」以外の建物に必要な構造物が見当たらなかった。

 今彼らが立っている床と同じものが幾枚(いくまい)幾枚(いくまい)も宙に浮かんで見渡す限りの空間を埋め尽くしている。

 距離感がおかしくなりそうな光景だった。

「僕らが落ちてきた所は……おかしいね、見当たらない」

 ラークの指摘に皆も上方(じょうほう)に目を向ける。

 彼らの頭上は曇りの日の空の様な、ぼんやりとした明るさをしていた。

 よくよく目を()らせば確かに、頭上を始めとした視界の彼方には「天井」や「壁」らしきものが見える。

 けれどそれらはあまりに遠く、もしこの空間が見たままの巨大な建造物なら、かつての王城どころか王都全体でも到底足りない程の容積がこの空間にはある事になってしまう。

 さっきまで居た闘技場から落ちてきたとは到底信じられない状況だった。

 皆が混乱しているところに、先程と同じ男の声がする。

『ようこそ我が迷宮へ、歓迎致します。勇敢なる方々よ』

「誰だ……?」

 エッジ達は声の主を探すも、相手の姿を見付けることが出来ない。

 それを見かねたのか、声の主は(うやうや)しくお辞儀をしながら一行の前に姿を現した。

「失礼、申し遅れました。(わたくし)の事はグランターとお呼び下さい」

 白一色の燕尾服(えんびふく)に身を包んだ礼儀正しそうな老紳士――一見(いっけん)するとそう見えたが、よく見ればその服には黒い水滴をボコボコと(こぼ)した様な模様が浮かんでおり、きっちりとした印象を大きく損なっていた。

 警戒を緩めぬまま、エッジが尋ねる。

「グランター、あなたが俺達をここに落としたのか?何の為に?」

「それは最高の勝ち抜き遊戯(ゲーム)をする為で御座います。不躾(ぶしつけ)ではございますが是非ご参加いただければ有り(がた)いです」

 (うやうや)しく頭を下げたまま、グランターと名乗った男はそう口にした。

 ラークが軽く全員とアイコンタクトで意思を確認する。

「申し訳ないけど遠慮しておくよ、特にこちらにメリットも無いしね」

 ふむ、とグランターは考え込んだ。

「リターンでしたら勿論できる範囲でご用意させて頂きます。さて、どの様なものがよろしいか……差し当たり準備と致しましてこの様なものは如何(いかが)でしょう」

 エッジ達の目の前に立て続けに三つの大きな宝箱――としか形容しようの無い豪奢(ごうしゃ)な箱が現れ、ひとりでに開く。

 驚いた事に中身は新鮮な食材の山、グミを始めとした実用的な薬品の山、そして一行の装備に合わせた新品の武器や整備の為の品だった。

 唐突な展開と、その豪華さに一行はしばし言葉を失う。

 グランターは更に続ける。

「一応、そちらから飛び降りてこの世界から退去(ログアウト)して頂いても問題無い様にはさせて頂いておりますが……心理的にはあまりお(すす)め出来る方法では御座いませんし、やはり勝ち残って頂くのが――」

 と、滔々(とうとう)と語るグランターの言葉をラークが遮った。

「待って貰っていいかな。確かに悪くない提案にも聞こえるけど、今君がこちらへの報酬として出して見せた宝箱は何も無い所から現れ、明らかに危険な高さに見える所から落下しても平気だと言う。この空間はどう考えても普通じゃない」

 ほう、とグランターは続きを待った。

「君が提示したのは、まずここがどういう場所なのか教えて貰ってからでないと価値が計れないものばかりだ」

 彼は感心した様に目を細める。

「……(おっしゃ)る通り、少し(はや)ってしまった様です。では、改めまして――」

 老紳士は大仰な仕草で、この広々とした迷宮を示した。

「ここは二つの世界の狭間に在る『記憶』の第二元素サーキュライツの集う場所、記憶の集合地(サーキュライツライブラリー)に御座います!」

 そして、と彼は続けた。

「ここに在るモノは全てが記憶。我々の目に映る床も、宝も、そして――私と貴方がたさえも」

「!」

 その瞬間、幻覚なのか全員に同じ光景が見えた。

 床に刻まれている幾何学模様(きかがくもよう)が拡大されて浮かび上がり、文字の列へと変わる。

 それと同時に確固たる物に見えていた「石の床」そのものも只の文字の集合へと変わり、それら全てが『情報』にすぎないと理解させられる。

 次に「グランター」にも同様の変化が起こり、瞬く間にエッジ達自身も――この空間の全てが理解できない無数の羅列になっていくのを知覚した所で、その光景は終わりを告げた。

如何(いかが)でしょう、私の権限で得られるのと同じ視点を、皆様にも視覚的に共有させて頂きましたが」 

「今、のは……?」

 まだ現実感が無いまま、エッジは自身の指を動かしてみる。

 その感覚は、不気味な程にいつも通りだった。

 リョウカも混乱した様子のまま、グランターに尋ねる。

「さっきの飛び降りても『安全に退去出来る』っていう話から総合すると……ここにいる『私達』は一種の再現の様なもので意識だけの様な状態だと?」

 グランターはその問いに満足そうに微笑む。

「ええ、そう御理解頂いて構いません。なのでここで何が起きようと皆様の現実でのお身体の安全は保証されております、どうぞ安心して他の参加者と戦って頂ければ」

 そう言いながらグランターは出てきた時と同様、音もなく消えようとしたがクロウの方を向くと思い出した様に付け加えた。

「そうそう、クロウ・グレイス様。この遊戯(ゲーム)にはルクター様もご参加なされていますよ」

「え……?」

 目を丸くするクロウを置いて、今度こそグランターは消えた。

「結局、最後は強引に参加する流れにさせられたね。まあどの道、今はそれ以外無さそうだけど」

 ラークはため息を吐くも、唯一の情報源であった相手が居なくなっては仕方なく、皆この奇妙な空間を調べる準備を始めた。

 

 その中でクロウはこっそりと、同じスプラウツ出身のルオンに近付き小声で尋ねる。

「ルクターの事、覚えてる?」

「?強かったよね」

 何を問われているのかよく分からない様子で、少年はそう返答した。

 クロウはその答えに複雑な表情を浮かべる。

「そう、だね。確かに……強かった」

(あの時、何も選べなかった私よりずっと――)

 

 ―――――――――――

 

「とりあえず、さっきの贈り物も罠では無かった様だから当面食料や補給は何とかなるけど、グランターが言った『他の参加者』が何処にどれだけ居るのかも分からない……慎重に行こう」

 エッジの言葉に皆が頷く。

 幸いにして、この空間には壁が無いため見通しは比較的良かった。

 狙撃手としての能力も持つルオンが氷を透鏡(レンズ)代わりに弓を携え、他の「床」の様子を観察する。

 床同士は必ずしも同じ高さに存在しない為、遮られて見えない所も多かったが、通路が繋がれている隣接した数フロア程度であれば彼の視力で十分に状況を確認することが出来た。

「……モンスターがいる。矢は十分あるけど、()る?」

「それが例の参加者、か?てっきり人間かと」

 その報告にクリフが困惑する。

「……攻撃して良いと思う。今のところ他の気配も無いし、もし今別なヤツに襲撃されても私とリアトリスが対応できる」

 ルオンと共に索敵(さくてき)をしていたクロウは、彼の意見に賛成した。

 (あらかじ)め敵が居ると分かっている今回は、彼女も既に黒鳥(ラーヴァン)を実体化させ黒い霧(ディープミスト)を発動させ感覚共有で索敵の補助をしている。

 ルオンは頷くと弓を引き絞った。

氷屑の破者(ブレイクシュート)

 温度変化によって弓の威力を上昇させられるフレキシブルスナイプの性能を限界まで引き出した一撃。

 常人離れした彼の腕力で放たれた矢は、その低温も相まって冷気の風を巻き起こしながら一直線に飛ぶ。

「――!!」

 人の倍ほどの大きさの鳥は反応して振り向くも、声も上げずに倒れる。

 ルオンはそのまま二射目、三射目を放ちその場にもう二体いたモンスターも(まと)めて倒した。

「……」

「どうかした?ルオン」

 何かが腑に落ちない様子のルオンに、クロウが質問する。

「……見たこと無いやつだった」

 

 一行はそのまま数フロアの敵を倒しつつ進んだ。

 モンスターの亡骸(なきがら)は彼らが到着する頃にはいつも無くなっており、代わりの様に最初のフロアでグランターに直接贈られたものと似たような宝箱が置かれていた。

 中身が有益なものに違いはなかったが、今度の箱の質にはばらつきがあり薬品だけのものや武器だけのものもあった。

「このランダム性も遊戯(ゲーム)の一環――のつもりなのかな」

 エッジは中から出てきた長剣を試しながら呟く。

 彼が普段使っている方の剣は取り立てて特別なものでも無い。

 その為、より馴染むもの、質が高いものに適宜(てきぎ)持ち替えていた。

 ダート、杖、手甲――比較的ありふれた武器を使用しているクロウ、リアトリス、クリフの三人も同様にしている。

「武器を持ち替えて大丈夫かい?特に体術なんかは僅かな差でも感覚がかなり変わるだろう」

 そう言ったラークは、身の丈に合わない折り畳み式のダブルブレードを持ち替えなかった。

「そう思ったんだけどよ……(あつら)えたみたいにピッタリだぜ。これもここが作りモンだからって事なのか」

 先程手に入れた新品の手甲を傾けつつ、気味悪そうにクリフが答える。

「この先、白い狼がいる。かなり大きい」

 先行するルオンがそう口にして停止した。

 続く皆も目を凝らしたが、彼らにはその姿はまだ見付けられ無い。

「待って私も――ああ、確かに居るね」

 その言葉を受けたクロウも目を閉じ、ルオンの報告内容を確認する。

「そんなに大きいのか?」

「いつぞやの鉱脈齧り(ナーリーフ)並み」

 見えていないエッジの質問に、クロウがため息まじりに答える。

 鉱脈齧り(ナーリーフ)といえば地上ではまず出くわさないサイズの相手であり、エッジ達一行が戦った中では最大級のモンスターだった。

「それは……厄介だな」

 苦戦の末、全員の協力と深海の剣の力を合わせて(ようや)く倒した相手を思い出しエッジも顔を曇らせる。

「心配しなくても先制攻撃で一気に終わらせる――合わせるよ、ルオン」

「分かった」

 (つが)えた矢と、黒い巨鳥が生み出した無数の槍。

氷屑の破者(ブレイクシュート)

「ブラッディランス!」

 其れらが同時に放たれた衝撃だけで、二人は僅かに後退する。

 狙いは寸分(たが)わず三つのフロアを越え、宙に無数の細い雲を描き、白銀の背中を直撃した。

 しかし――

「なっ……」

「え……」

 まるで表面で滑るかの様に二人の攻撃は巨狼(きょろう)の毛皮の表面で逸れ、傷一つ残すことが出来なかった。

 敵対者に気が付いた獣の咆哮が響く。

「今の感触、あいつまさか冷気に対するほぼ完全な耐性を……!?」

 クロウが困惑するのも無理はなかった。

 アエスラングの大地で最も冷気に強いモンスターですら、これ程の耐性は持ち得ない。

 皆が言葉を失うなか、ラークだけは落ち着いた様子で呟く。

「あれは、エルシク雪原の生き物か」

「せつ……?」

 首を傾げるクロウに一瞬戸惑いながらもすぐに彼は何かに納得した様子を見せる。

「……ああ、ごめん。『熱』の力を持つ火と光の宝珠の恩恵(おんけい)があるアエスラングには雪原という概念が浸透してないんだね」

 遠くでこちらを探し始めた狼の方を警戒しつつ、ラークは補足した。

「雪原は雪が沢山積もっている地帯の名称――あれはイクスフェント側の生物だ」

 その言葉にエッジが考え込む。

「もしかして、ここには色んな地域のモンスターが集められてるのか?」

 一番はっきりとモンスターを観察できていたルオンが、それに付け加える。

「多分……年代もばらばら」

 そこまで話した所で、遠くから微かに聞こえていた巨狼の足音がはっきりとしたものに変わり始める。

 匂いか気配でエッジ達の位置をおおよそ掴んだ様だった。

「迎撃するしかなさそうだな」

「私とルオンは下がって補助に回る……残念だけど、私達の攻撃は効かないのが多いみたいだし」

 悔しそうな表情を浮かべながら、クロウが下がる。

「なら、ついでに私も貴女達の護衛に回るわ。防御はともかく、冷気の『(よい)地衣(ちごろも)』より熱気の『(あけ)天傘(あまがさ)』の方が攻撃には向いているでしょう」

 リョウカはそう言いつつ、後を妹に託した。

 残ったメンバーは顔を見合わせる。

 エッジ、アキ、クリフ、ラーク――防御・回復を担当するリアトリスを除けば武器での近接戦闘を得意とする者ばかりが残った。

「何か珍しいな。まあ、あんだけデカい相手じゃなきゃそうそう並んで戦う訳にもいかねぇしな」

 クリフの言葉に、ラークが口の端に笑みを浮かべる。

「慣れないからって、うっかりこっちを攻撃して来ないでね」

得物(えもの)が大きいのはそっちだろ、いつもそんな馬鹿デカい剣振り回しやがって」

 以前ほど険悪ではないものの、こんな時まで言い合う二人に苦笑しつつエッジが言う。

「俺が少し下がって戦うよ」

「なら、私は必要ならエッジさんの盾になります。術が有効だと判断したら私の後ろに」

 見かけからは想像もつかぬ重さの武器を構えつつ、アキはフォローを申し出た。

 回復を担当するリアトリスは彼ら全員に声をかける。

「向こうの動きが分かるまで、無理しないでね」

 と、一際強い咆哮が響く。

 下方のフロアから伸びた勾配(こうばい)を抜けて、白銀の巨体が姿を現す。

 

 大きい――というのは勿論だったが、それ以上に力強そうなシルエットが目を引く。

 通常の狼から進化したモンスターと比較して明らかに四肢や胴が太い。

 よくよく観察すれば頑丈な毛が巻き付く様にその体を覆っており、その毛の内部にうっすら氷が蓄えられているのが見えた。

(何だ?……冷気に強いのは分かるけど、だからって氷が体表に付着してたら体温が奪われるんじゃ)

 無論モンスターの中には死体が動いている様なものや無機物の様に体温が低い例外も居たが、この狼には温かい血が通っている様に見えたのがエッジには少し引っ掛かった。

真空破斬(しんくうはざん)

 離れた間合いからラークの放った斬撃が、巨狼の胸元を切り裂く。

 が、体毛が激しく舞ったのに反して血は見えずダメージはほぼ無い様だった。

轟裂破(ごうれっぱ)!」

 間髪入れずクリフが両掌を叩き付ける。吹き飛ばす事に主眼を置いた一撃は相手の巨体を下がらせた。

 彼の追撃が少しでもこちらが一方的に攻撃できる間合いを保ち、ラークが続けて攻撃できる状態を作る。

 が――

「ぐあっ!」

 二度目の遠距離攻撃を放つ事は出来なかった。

 ラークとクリフの連携は確かに相手を一時足止めし、下がらせたが、この獣の一度の突進はそれを遥かに上回る距離を一瞬で詰める。

 間近に居たクリフは彼の倍近い高さの巨駈(きょく)にはね飛ばされ、その爪は本命のラークの元へと振り下ろされていた。

「ぐっ、ぅ!」

 素早い反応でラークはそれを武器で防御したものの、ある程度の柔軟性を持った巨大な生き物の爪は彼の細身の武器ではガードし切れなかった。

 ラークの肩にそれとほぼ同じ大きさの爪が食い込み、彼は一瞬武器を落としかける。

(まずい、一気に間合いを詰められたせいで陣形が崩された!深海の剣を使うか……?でも、クリフがあの高速移動で割り込んできたら?角度がずれてラークに当たったら?)

 僅かな逡巡(しゅんじゅん)の末、エッジは深海の剣を鞘ごと外した。

 二振りの剣を持ったままでは、戦闘中は動きが大きく鈍ってしまう。

魔神剣(まじんけん)!」

 走っては間に合わないと判断したエッジは、時間を稼ぐ為に斬撃を飛ばす。

 その一撃は巨狼の後肢(あとあし)を捉えるが、相手は眼前の獲物から目を逸らさない。

「ラークさん!」

 アキも駆け寄りカバーしようとするが、それよりも狼の爪が再び振り下ろされる方が早かった。

「吹き飛ばすだけなら――マディ・ストリーム!」

 黒い波――液体の状態で実体化させられた多量の闇のディープスの流れがラークのすぐ後ろから発生し、強引に巨狼と彼を引き離す。

 刺突(しとつ)、薙ぎ払い、超低温……普段の攻撃手段の(いず)れも通らないと理解したクロウは、コントロールし辛く滅多に使用しない大質量の術で相手を大きく吹き飛ばし援護する。

「大丈夫か!?――治癒功(ちゆこう)

 駆け寄ったクリフの手から「気」の青い光が放たれ、ラークの身体に吸い込まれる。

「これは……」

「『ごまかし』だ、傷はあんま治らねぇだろうけどその分、活力を分けてるから、すぐ動けるだろ」

 ラークは口の端に笑みを浮かべて、武器を構え直した。

 

 不意に、まだ持続時間中の筈のクロウの深術の勢いが目に見えて落ちる。

 見る間に勢いの落ちていくその濁流は、よく観察すればまるで発動の逆戻しの様に細かなディープスに分解されていく。

 そして次の瞬間、狼を押し止めていた術は完全に消え去り、代わりに先程まで無かった氷の鎧がその狼を包む。

 そこでようやく、エッジは先程目にした体表と毛の間に蓄えられていた氷の正体に気付いた。

(このモンスター、ただ耐性が強いだけじゃない……!冷気を分解して吸収してたのか)

 通常、既に発動した術を分解する事は出来ない。

 けれどこの生き物は極寒の地で生き抜くためにこの稀有(けう)な能力を獲得した様だった。

「ごめん……余計な事したかも」

「いや、正直助かったよ」

 謝るクロウに、助けられたラークは首を横に振る。

 

 巨狼の周囲の床に霜が降り、それが輪の様にフロア全体に広がっていく。

「ぐっ……これは……」

 それが到達すると同時にあまりの寒さにエッジ達の動きは鈍り、歯が震える。

 寒冷地の生物からすれば普段の環境と変わらないかもしれないが、十分な装備のない生身の人間には攻撃と変わらなかった。

 冷気の拡散は一度では終わらず、二度目の更なる寒波が広がり始める。

 先程より格段にこちらに不利な状況で、再び巨狼が突進の姿勢を取った。

 今のエッジ達の低下した運動能力の前でそれは致命的な驚異となる。

「……勢焔(せいえん)来たりて時節(じせつ)を巡らせ――」

 防御の姿勢を取ろうとする仲間達の中、ただ一人アキが武器を構えた。

 獣の疾走がフロアを揺るがし、迫る。

「――詠技(えいぎ)歳流陣(さいりゅうじん)陽炎(かげろう)!」

 風と炎を操る「(あけ)天傘(あまがさ)」が、その二つを推進力に変える。

 広範(こうはん)に炎の(わだち)を残しながら、アキが正面から突進し巨狼と激突する。

 蒸気と閃光が上がり、一瞬全員の視界を塞ぐ。

「――――!」

 競り負けた巨狼は怯んだ様に下がる。

 跳ね飛ばされた狼の氷の鎧は一部溶けていた。

 それだけでなく、アキが進んだ距離の分だけ霜が降りていた所は完全に融かされ、代わりに余熱が空気を揺らめかせる。

「火のディープスの領域です。これなら皆さん動けますか?」

 彼女の言葉通りエッジ達の手に体温が戻り、攻撃や移動に掛かっていた制限が解除される。

「ああ。ありがとう、アキ」

 好機と判断したエッジは詠唱を開始する。

 ラークも飛び出し、クリフが更にそれに続く。

「さあ、借りを返そうか」

「なんだよ、負けず嫌いか?」

 「歳流陣・陽炎」から得た火のディープスを二人はそれぞれの武器に集束(コレクト)する。

 同時に振りかぶった二人の武器の間を赤い光が繋ぎ、互いの呼吸が一時的に完全に合う。

 

本能共鳴技(インスティンクティブ・リンクアーツ)

 

衝破炎十字(しょうはえんじゅうじ)!」

 飛び蹴りと、突進突き。

 二人の炎を纏った攻撃が交差し、巨狼の身体が大きく仰け反る。

 そこへ、エッジの詠唱が完了し止めの一撃が放たれる。

「ここに結実(けつじつ)せよ、招雷(しょうらい)(いの)り――サンダーブレード!」

 十字に伸びた雷が、剣の模倣(もほう)の様に密度を持って落ちる。

 床にまで(ひび)を入れる程の衝撃が響いた。

 最期の咆哮と共に、敗れた巨狼の姿は空気へ溶けていく。

 驚異が去った一行は、ようやく一息つく事が出来た。

 

 ―――――――――――

 

「大分進んできたね」

 ルオンが前方に敵影が見えないことを確認し、(かたわ)らのクロウに声をかける。

 が、彼女はその問いにすぐに答えなかった。

「何かおかしい」

「?」

 クロウ自身、戸惑いながらも続ける。

「……いや、何か見えた訳じゃないけど、この先に私じゃ感知できない範囲がある」

 先頭を行く二人が足を止めた事で、後続のみんなも(そば)まで来た。

 リョウカがその報告に腕組みする。

「これもこのライブラリー特有の現象かしら、有りそうな話ではあるけれど」

 アキも不安そうな表情を見せた。

「とはいえ他の道も無い様ですし、あのグランターという男が罠を仕掛けてくるには少し今更すぎる気がします」

 この完全に作られた空間の中では、他に進める道は無い。

「……仕方ない、行こう」

 エッジの言葉を最後に一行はこれまで通り慎重に、一際広い無人のフロアへと歩み出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。