TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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TALES OF CRYING After
第一話 見上げたはじまりの空


 いつの事だっただろう。

 ずっと上、遥かな空の上に伸びていく炎の揺らめきを僕は見ていた。

 どこまでも伸びていく様なその炎には、果てがあった。

 空の天蓋かの様に広がる大地。

 逆さまの大地、逆さまの海。

 そこで黒い何かが何度もぶつかるのが見えて、何故だか怖くなった

 最後に光った青い光が黒をかき消していくのを見て、理由も分からず安堵した。

 心の底から安堵して、もう大丈夫なんだと確信した。

 ただ。

 ただ、それを見て誰かが悲しんでいるのを感じた。

 その悲しみは、誰のものだったのだろう。

 

 

《イクスフェント――風の郷 ウィージンド》

 

 今日も風車が回る。

 高低差の激しい山奥の、木々に囲まれたシンの一族の隠れ里には今日も穏やかな安定した風が吹いていた。と、いってもそれは普段と比べればの話であって、空を挟んだ向かい側の世界アエスラングのものと比べると主な移動手段の一つとして滑空機が発達するイクスフェントの風はとても力強い。

「ロイ、また空を見ていたのかい?」

 呼び掛けられて、少年は振り向いた。

 鏡の硝子の様な透き通った銀の髪。

 全てに興味を持っていて、それでいて執着せずに遠くを見ている様な瞳。

 初めて会った時から変わらぬその姿にラークは苦笑いする。

 三年前、唐突にこの隠れ里に現れた彼を当初、身の一族は排除しようとした。

 風の宝珠を守るこの里の事を人間に知られる事は掟に反する。けれど、失われていた闇の宝珠を持ち帰ったラークがそこへ割って入り、色々と調べる内にこの少年にも「シン」としての力が備わっている事が分かった。

 けれど血縁でしか備わる筈の無い力を持つ彼を知る者は、里には居なかった。

 それからというもの一応は「仲間」という事に落ち着いたものの、一族の使命にあまり理解を示さない少年に誰もあまり関わろうとはせず、毎日彼と話すのはラークだけになっていた。

 そのせいでラークは幼馴染みのシエルディートに度々小言を言われている。

「あれからまた見えなくなったね、焔の螺旋」

 一週間ほど前に唐突に再生された焔螺旋の事をロイは気にしていた。

 それは即ち、アエスラングとイクスフェント二つの世界が三年ぶりに、僅かな時間とはいえ往き来が可能になっていた事を表している。

「その事で話がある」

 

 ―――――――――――

 

 

 海水を巻き上げる竜巻の音が煩かった。

 

 剥き出しの島の上では海からの風を直に受けるせいで、あらゆる音が全部混ざりあい目の前のクロウの声も聞こえない。

 

 否、本当はそのせいにして耳を塞ぎたかった。この後に続く言葉を彼は知っている。

 

 それでも彼女の囁き声は優しく、残酷に耳に届く。

 

「ねえ……エッジ」

 

 最期にクロウは笑っていた。

 

「―――」

 

 最後の言葉と同時に波の音は消え、意識が一気に覚醒する。

 頬を流れる涙の感触だけが夢と同じである事を感じながら、エッジは目を覚ました。

 

 ―――――――――――

 

 火の宝珠シーブレイムスの暴走で王都シントリアが崩壊してから三年。

 人口の半数以上を失った街は無事に残った部分を旧市街として、そこに隣接する形で新市街を形成していた。

 とはいえ都市機能の低下は著しく、日々の生活にさえ窮する者も少なくない状況で治安は確実に悪化していた。

「あ、待って! 返してそれは私達の夕飯なのよ!」

 二つの市街を繋ぐ大通りの真ん中で買い物帰りの少女が荷物を奪われ憤慨する。

 けれど、誰もがもうこの様な事態には慣れっこで被害者には誰も目もくれなかった。代わりに自分の荷まで奪われまいと皆必死に自分の荷物を抱きかかえ、走り去っていく犯人の道を空ける。

 少女の荷を奪い去った人物は古びた外套の頭巾で顔を隠したまま、凹凸の激しい石畳を駆ける。

 不意に一本隣の通りでも同じように悲鳴が上がった。

 荷物を奪われた少女がそちらに目を向けると、同じような格好の人物がまた別な誰かから盗みを働いて逃げる所だった。

 最近ではこうして共謀する事で注意を分散し、窃盗の成功率を上げようとする者も珍しくは無い。

 更なる盗人が現れた事でいよいよ周囲は混乱の様相を呈し、喧噪が辺りを包む。

 もう無視でも何でもなく、誰も最初に荷を奪われた少女の事など見ていなかった。

 と、誰かが安心させる様に少女の肩に手を置く。

(え……?)

 彼女が振り返った時、既にそこには誰もおらず少女は困惑する。

 皆が盗人から逃れようと道を空ける中で、青銅色の甲冑を身に付けた若い騎士が一人。

 いつの間に現れたのか、二人の犯人の行方を遮る様に立っていた。

 それを目にするなり彼らは懐からナイフを取り出す。生活が懸かっているが故の必死さか、或いは手練れか、その動きには迷いが無い。

 騎士も相手が武器を手にしたのを見て、剣の柄に手を掛けた。

雷点衝(らいてんしょう)

 一閃。

 それは本当に一瞬の事だった。

 その騎士は一歩もその場から動いていないのに、間合いにさえ入っていなかった筈の二人の手から武器が弾き飛ばされる。

 彼が剣を納める動作をしていなかったら、武器を抜いた事にさえほとんどの者は気付かなかっただろう。

 痺れた手を庇いながらも尚そのままの勢いで騎士の横をすり抜けていこうとする犯人達に対して、彼はすれ違いざま流れる様な動きで荷物を奪い返し膝の裏から踏みつける様な蹴りを加える。

 あっという間に武器も収穫も奪われた犯人達は、走っていた勢いそのままに石畳に突っ伏した。

 その際、顔が露になり見知った顔だったのか群衆の何人かが息を飲む。

 興奮した様子の何人かは犯人に私刑を加えようとしている様子だったが、若い騎士はそれを無言で制する。

 それから更に何人かの騎士が応援に駆け付けてくると、その騎士は犯人達の処遇を同僚に任せ、手にした荷を奪われた少女の所まで持ってきた。

「はい、これ」

 ごく当たり前の様に荷物が差し出された事に少女は目を丸くする。

 窃盗事件で犯人が持っていた荷は証拠が足りなかったり、自分のものと主張する人間が多過ぎて元の持ち主の所へは帰らない事が多いと彼女は知っていた。場合によってはどさくさ紛れに着服する騎士が居るという噂さえある。

(この人、ちゃんと私が盗られたって見てたんだ)

 食べ物の入った麻袋を受け取りながら、少女は甲冑から覗く橙の髪に相手が有名人である事に気付く。

「英雄さん……?」

「無事で良かった」

 彼はそう言って笑って見せると、もう一人の被害者の方にも荷物を返しにいった。

 余りに突然の事で、少女は家に帰る途中だったのも忘れて暫し立ち尽くし、それから彼の表情に感じた違和感について考えてしまう。

(何でだろう。あの人……強いのに、笑ってるのに全然嬉しそうじゃない)

 「魔女殺しの英雄」とまで呼ばれる青年が何故それほど迄に孤独な表情を浮かべるのか彼女には理解できなかった。

 

 

 

 剣を振るうのを止めると途端に記憶が甦る。

 何百回、何千回――或いは一万回。

 エッジは毎日毎日悪夢を振り払う様に剣を振り続けた。

 素振りは実戦には無意味だという者も中には居る。

 けれど、彼が目指すのはそもそもそこではなかった。

 二度の攻撃で打ち倒せる相手なら、次は一度で打ち倒せる様に。

 斬り伏せた相手を、次は傷付けず圧倒できる様に。

 より速く、より強く、より正確に。

 敵対する者も味方も、視界に入る者全ての生殺与奪の権を握ろうとする様にエッジは際限なく力を求め続けた。

 かつては出来なかった深術の理論も改めて学び直し、ディープスのコントロールの速度と精度を高め、その上で独自の術を体系化して剣術とより深いレベルで融合出切る様に研鑽(けんさん)を積んだ。

 出切る事を全てやっていても、それでも尚エッジの心は満たされない。

 強くなればなる程に夢に見るあの日の虚しさは増していくかの様だった。

 

 ―――――――――――

 

「トウカ? 私この書類には死んでも署名なんかしないって言ったわよね」

 新市街の共同住宅の中の一室。

 きちんと整理された新築の室内は掃除も行き届いており清潔ではあったが、調度品は中央の二名が対面して仕事が出切る机と曲木椅子、二人の着替えをいくつか収納した衣装棚程度しかなく、姉妹の身分を知る者が見れば目を疑う程質素であった。

 表面上は笑みを浮かべながらも、とある貴族の建築確認の書類を手にして青筋を立てる実姉を眼鏡越しに確認したジェイン・アキは、興味を無くした様子で自分の仕事に戻る。

 同年代の他の家の女性と比べて体を動かすのを好むアキは、普段はきちんと結わえている髪を後ろで一本に結び、真綿から紡いだ糸を平織りした丈夫な服を身に付けていた。

「それ前のとは別の申請です、前回のはちゃんとお断りしてますよ」

 けれど、リョウカの腹の虫は治まらない様だった。

 アキと違い日頃から「何時如何なる時も正装として通じる服装を心掛ける」と口にする彼女は、こうして二人だけの時間でも公務の時と同じ様に光沢のある絹織物を着崩しもせずにいるので、その迫力は相当なものだったが、彼女の負けず嫌いな性格を知っているアキにはそれが却って子供っぽく見える。

「あの馬鹿、低層住宅ばかりの地域に八階建ての邸宅建てようとしてたのよ。貴族学校で一体何を勉強してたのかしら」

 姉の愚痴にアキは溜め息を吐く。

 わざわざ気兼ねなくお互い本名で呼び合える様に部屋を借りたというのにこれでは息が詰まるばかりだった。

「文句言わないでさっさと片付けて下さい、元はといえば姉さんが自分で増やした仕事なんですから。一日皆さんの建築申請眺めてるつもりですか」

「まさかきちんと規則が決まってる部分でチェックがこんなに(ざる)だなんて思わなかったわよ」

 リョウカは不満そうな顔のまま違反の旨を書き綴って、捺印した上でその紙を封筒に入れる。

 向かい合って事務作業ばかりをするせいで、世界地図を丸々広げて余りある広さの机はインク瓶や幾つかに分けられた書類の山等で一杯で、少し片付けを怠った週にはお互いの顔も見えない程だった。

「そういえばもうすぐだったかしら? 例の大会は」

 その話題にアキの手がぴたりと止まる。

 リョウカが話に出したのはシントリアの騎士達を中心とした剣技大会で、一般からの参加も認められており少額だが賞金も出る。未だ復興の真っ只中で娯楽の少ない住民達への慰労という名目だった。

「そうですね、seab(火の月).12だったかと」

 アキに日付を聞いたリョウカはそれがもう翌週である事を知る。

「……みんなエッジに勝って欲しいんでしょうね」

 そう口にしたリョウカの表情は険しい。

 勿論、応援していない訳ではなくこの場合の眉間の皺は彼を心配してのものだとアキは分かっており、彼女自身も同じ気持ちだった。

「世界を救った英雄が戦う姿が皆の希望になる――と言えば聞こえは良いけど、それは同時に無様な戦いは見せられないって事でもある……英雄なんて名前だけでもあの子にはきっと重すぎるのに」

 三年前、一連の混乱の最中で指名手配犯となっていたエッジの汚名を(すす)ぐため、彼の兄と父親達はエッジが『ジード』を討った功績を広め、彼が常に闇の宝珠アスネイシスの引き起こした混乱の最中にあった理由をその力に立ち向かっていたが故として指名手配の解除を求めた。

 実際、その殆どは事実であり初めはエッジに疑惑の目を向けていた人々も彼が騎士として誠実に責務を果たす姿に少しずつ認識を改め、エッジは名実ともにアクシズ=ワンド王国の復興の象徴となりつつあった。――ただ一つ、『ジード』と同じ闇の宝珠の力を行使した少女の存在に対する誤解だけを残して。

 国内での目撃例の大半と、火の宝珠による被害の記憶から同じく指名手配犯であったクロウという名の少女は人々にとって恐怖の対象として残っていた。

 結果としてエッジは「魔女殺しの英雄」と呼ばれる事になる。

 アキは握ったペンがインク溜まりを作るのも気付かない様子で、微かな憤りの混じった沈痛な表情を浮かべる。

「エッジさんがクロウさんを殺す訳が無いのに」

 リョウカもそれに頷き、同意を示す。

「そうね、なのに他でもないエッジ自身がそれを否定しようとしない」

 それどころか人々の為、自責の為に積極的にその重荷を背負おうとしている――とは流石にリョウカも口にしなかった。

「エッジさんは他人にばかり優しすぎます、それに見合うだけの対価も無いのに……そんなのはあまりに、あまりに」

 報われない、と呟いたアキを諭す様にリョウカは優しく言葉を掛ける。

「なら、せめて私達だけでも応援しに行きましょう、英雄としてではなく共に戦った友としてのエッジを」

 そう口にしながらもリョウカは、クロウを失って何日も墓石の前から動こうとしなかった少年の後ろ姿を思い出す。

(エッジ、貴方は本当に歩き出せているの?)

 

 ―――――――――――

 

「ロイ、落ち着きなく視線を彷徨わせるのは止めろ」

 鋭い声が、慣れない都会を興味深げに観察していた少年に向けて飛ぶ。

 声の主は白緑(びゃくろく)の短髪に長身、女性としてはかなり筋肉質なのが古びた外套の上からでもよく分かる恵まれた体格をしており、布で覆ってはいるものの何らかの武器だと一目で分かる長物を背負っていた。

 軽い注意でも、その威圧感は野生の豹の様であり銀髪の少年は困った表情を浮かべる。

「シエル、肩肘張りすぎだよ。僕達は闘技大会を見に来た普通の観光客なんだから」

 そんな彼女より頭一つ分は背の低いラークが笑みを浮かべながら、普通の観光客はまず口にしない様な発言で彼女を窘める。

 三人は武器を携帯していても怪しまれない様に最低限の荷物と、適度に使い込まれた旅具とで近場の街から来た傭兵か狩人かといった風を装っていた。

「申し訳ありません、ディエルアーク様。少し声が大きかったでしょうか」

 シエル、と呼ばれた長身の女性は彼の言葉に直ぐ様目を伏せて頭を下げる。

「そんな事は無かったけど、その呼び方やめて欲しいな。それと敬語も無くて良い、大体君の方が歳上だろう?」

 そんな彼女の態度にラークは苦笑いするが彼女は生真面目な恭順の姿勢を崩さない。

「六つだけです、貴方は常に私に友人の様に接して下さいますが、我らの長たるヘルトガード家を継ぐ『ラーク』様にその様に気安く接する訳にはいきません」

 呼び名だけは改めたものの、シエルディートの口調は先程までと殆ど変わらない。

 二人が話すのを黙って見ていたロイがふと横から質問する。常に油断なく神経を張っている二人と並ぶと彼は極めて自然体で、このシントリアの雑踏に一番馴染んでいた。

「ラーク、僕も話し方変えた方が良い?」

「君はそのままで良いよ」

 ロイが頷くのを見て、シエルは顔を顰める。

「お前は逆に普段からラーク様に馴れ馴れしくし過ぎだ、誰のお陰で今こうしていられると思っている」

 正直どちらも両極端なのではないかと感じながらも、ラークはその言葉を飲み込む。口に出せばシエルのお説教が終わらなくなるのは目に見えていた。

 話しながら歩いている内に、三人は効率を重視して画一化された東側の新市街を抜け、未だかつての火事の爪痕が色濃く残る西の旧市街に入る。

 一度殆どの建物が石も残らない程の高熱で凪ぎ払われた為にこちら側の多くの土地は更地となっており、無事な建物と新たに建造された建物、それに剥き出しの地面とがあちこちで混在している。被害が少なかった貴族街に住んでいた者以外で改めてこの区域に居を構えようとする者は少なく、結果としてこちらに新たに建てられているのは商店が多かった。

 そんなツギハギの様な街並みの中で、一際目を引く人だかりがある。

 そこは剥き出しの地面が意図的に残されており、広場の様に開けた空間が確保されていた。木の杭と鉄の鎖で作られた低めの柵が円形にそこを囲い、出入り口が向かい合う様に二ヶ所確保されている。

「闘犬か何かでしょうか、いやそれにしては――」

 三人は断片的に耳に届いていた周囲の会話に耳を澄まし、暫し口を閉ざす。

 幸いにしてここに集まった者は皆これから行われる催しに興奮した者ばかりで、話題は殆ど同じだった。

「どうやら、剣技を競う大会らしいですね、大半は参加者では無い様です」

 直ぐ様そう報告するシエルにラークは感心する。

「よくこの人数の会話まですぐ聞き分けられるね、シエル」

「いえ斯様な事、然してお役にも立たないでしょう」

 そんな事は無いよ、と笑みを浮かべながらも、ふとラークは何かを思い付いた様に人混みの中へと踏み込んでいく。

 あまりに突然の事で二人が制止する間もなかった。

「ちょっと知り合いが出るみたいだから、挨拶してくるね。シエルとロイは客席で見てて」

 その言葉でシエルはようやく、この次期族長が大会に参加する心積もりである事に気付く。

「な……ここで剣を振るうつもりですか? ラーク様!」

 張り上げられた声には明らかに呆れの色があった。

 事情がよく理解できていないロイは首を傾げる。

「駄目?」

「当たり前だ、ラーク様が出場されたら優勝を他の参加者から奪ってしまう」

 彼の参加を詮無いと考えているシエルの言葉にラークは面白がる様に呟く。

「……案外そうはならないかもしれないよ」

 彼の瞳には何処か期待の色があった。

 

 

「強い! 飛び入り参加の剣士ディール、とうとう精鋭の騎士までも倒し怒濤の三連勝!」

 実況の屈強な男の声が会場内に響き渡り、ものの数秒で対戦相手を組伏せてしまったラークがその声援に応える。

 観客は等間隔に配置された階段場の客席と、その合間の立ち見のスペースとに別れており、立ち見で遠くからその様子を見ていたシエルは頭を抱えた。

「だから言ったものを……」

「シエル、『ディール』って誰?」

 ラークの偽名にロイは首を傾げるが、尋ねられたシエルにはそれが本名の「ディエルアーク」をまた適当に捩った(もじった)だけだと解説する元気も無かった。

(奴を一刻も早く見付けなければいけない事はディエルアーク様も分かっている筈、なのに何故こんな事を? こんな大会に戦うに相応しい戦士が居るとでもいうのか)

 実際の所、彼女の目から見ても別にこの国の騎士達は決して弱くは無かった。

 一対一の戦いに特化した剣術ではないものの、隊として機能させる事を考えればそれは問題点ではなく練度も低くはない。一攫千金を夢見て参加してくる素人や賞金稼ぎにはまず遅れを取らないだろう。

 けれど、それだけ。

 シンの中でも戦闘に特化した能力を持つ身の一族のラークやシエルとは生まれ持った能力が違い、百年を超える時を使命の為に費やしてきた覚悟が違う。

 (おご)りでも何でもなく彼らは単純な事実としてラークに勝てないと、共に育ってきたシエルは確信していた。

「さあ、次の準決勝は優勝候補同士の対戦です! 全く無名でありながらここまで圧倒的な力で勝ち進んできたダークホース、疾風の剣士ディール!」

 観客席から一体感のある歓声が上がる。

 圧倒的な実力で大会を掻き乱す者は嫌がられる事も多いが、優勝候補が決まりきったこの大会では好意的に受け取られたらしかった。

 当のラークがそれに気負うでもなく自然体で手を振り返している事もその一因かもしれない。

「対するはアクシズ=ワンド王国騎士団の団長の中でも屈指の実力者! その剣は苛烈にして変幻自在、千の太刀筋のアズライト!」

 先程以上の歓声が場を満たす。

 ラークの登場が好意的に受け取られたのは、彼との対戦を期待してというのが一番の理由であった様だ。

 陽光を受けた彼の橙色の髪は、その祝福を受ける様に輝く。動作一つ一つから滲む  堂々たる自信は、とかく象徴的に扱われがちな騎士のイメージに嵌まっていた。

 その揺るぎ無い眼差しが対戦相手の姿を目にするなり、少年の様に丸く見開かれる。

「……ラーク? 何故」

 呟きは歓声に掻き消され客席には届かなかった様だったが、会場の反対側のラークはそれに応えて頷いて見せる。

 かつての師の登場にブレイド・アズライトは、先程までと比較にならない気迫を以て剣を構えた。

「それでは準決勝二回戦、開始です!」

 開始の合図が成されるや否や、ブレイドはかき集められるだけのディープスを集束(コレクト)して間合いを詰めながら炎の一閃を放つ。

 「(いち)太刀(たち)烈火(れっか)」――火のディープスを纏った刀身と、爆発に()る加速を合わせた突進。

 ここまで全ての試合を決めてきた大技の行方を観客は息も忘れて見守る。

 けれど、それを注視していた観客の大半は、その一撃が決まるにしろ防がれるにしろ派手な展開を予想していただけに、何が起きたのか理解できなかった。

 端から見れば、ブレイドの技はまるで当人が止めたかの様に威力を減じて対戦相手の目前で霧散してしまったからだ。

「くっ!」

 若い騎士の表情に焦りの色が浮かぶ。

 今しがたの深術の力を上乗せした一撃は、膂力(りょりょく)で彼を上回るラークですら受け止められない威力を持っている筈だった。三年前に一度手合わせした際にもそれは証明されている。

 けれど、ラークはその攻撃の軌道を後出しでなぞる様にして受け流していた。

 幾度か目にした技とはいえ、剣を振るう速度が、爆発の加速の乗った剣速を上回っていなければその様な芸当は出来ない。

 客席のシエルは予想通りの展開に眉をひそめる。

(れい)太刀(たち)残光(ざんこう)――夏雪草(なつゆきそう)!」

 ブレイドが今度は光のディープスを剣に集束し、続けざまに突きを放つ。

 先程使用した技と異なり動作そのものには影響しない「零の太刀」は、ブレイドの連続突きを部分的に実体化させ空中に鋭利な光の花を咲かせた。

 一度、二度、三度。

 瞬く間に二人の間で剣が交差する。

 流石にラークも剣と光の残像の両方を捌ききる事は出来ず、そこで一旦跳んで距離を置く。

 その判断は正しく、直前まで彼が居た場所を光の花が包囲する。

真空破斬(しんくうはざん)!」

 離れた間合いから振るわれたラークの剣により、光の花が舞い散る。

「操作まで出来るのは面白いけど、やっぱり残像は残像だね?」

「いいや、『だからこそ』の使い方がある」

 愚直に正面から間合いを詰め、光を纏ったままの剣でブレイドは再び斬り掛かる。

 時間差で残像の追撃が来るとはいえ、その速度はブレイド自身が振るう剣の速度には及ばない。

 先程以上に単調な攻撃にラークは間髪入れずに反撃を挟もうとした。そこへ、有り得ないタイミングで「二撃目」が来て彼は咄嗟に剣を引く。

 一撃目で生み出した光の剣をブレイドは空中で掴む事で、瞬間的に攻撃手段を二刀流へと変化させていた。

(不意打ち――成る程、出し惜しむ訳だ)

 同じ失敗をしない様ラークは一歩後退し間合いを外すが、それだけでは充分ではなかった。

 ブレイドは今手にしたばかりの剣の残像を今度は投擲し、それによって一瞬足を止めたラークに追い縋り、再び術を纏った剣を振るう。

 立て続けの攻撃にラークは防戦一方に回らざるを得なくなる。

千刃(せんじん)連投射(れんとうしゃ)!」

「!」

 振り下ろされた剣から、新たな太刀筋が生み出され、僅かにでも間合いを離そうとすれば次々投擲された光の剣が襲い掛かる。

 まるで舞いの如く、事前に練習していたかの様な流麗さでブレイドの攻撃は続く。

 けれどその一つ一つの動作は、確実に目の前のラークの動きに対応しており、特に投擲の正確さは並外れていた。

 ラークもそれに対し思い切った跳躍をし、後方へ一気に距離を離す。

 当然、空中にいる間は無防備になりその放物線軌道に向けて次々「残光」で生み出された剣が飛来する。

 それをラークも身体のバネだけで放った「真空破斬」で空中に居ながら迎撃する。

 闘技試合で流血は厳禁――既に二人はそんなルールを忘れていた。

 ただ、ブレイドはこの程度ではラークを止められない事を確信しており、ラークもまた既に次の行動を頭の中で組み立てていた。

 しかし、そんな二人の胸中など知る由も無い観客だけが生死のやり取りの様な剣戟の応酬に息を飲む。

 ざり、と地を蹴る音がしてラークが着地と同時に再び前方へ飛び出す。

 一度離した間合いを再び詰める行動は一見無駄な様にも映るが、先程までとは状況が違った。

 ラークの最大の武器は敏捷さであり、動き回る為に十分な空間を確保した彼は(まばた)きする間に次々位置を変え、観客の大半はそれを追うブレイドの投擲が地面に突き刺さった位置で何とかラークの居た位置を推測した。

 ブレイドの連撃はいよいよその速度を増し、その必死さに平時の彼を知る者は戸惑う。この一時、彼は唯々がむしゃらに師に向かっていった少年の頃に立ち返っていた。

 とはいえそれは精神面のみの話で、鍛錬を積み重ねて来た技は確実にラークを追い詰める。

「そこだ!」

 血が飛ぶのと、剣が落ちるのは殆ど同時だった。

 二人の剣が同時に地に着く。

 放たれた技に自ら飛び込む様にして傷を負いながら肉薄したラークが、相手に流血させた事に戸惑うブレイドの両腕を押さえ付けていた。

「!?」

「そこまでだ、この勝負にそれ以上を賭ける価値は無い」

 有無を言わさぬ声で、ラークが告げる。

 一度、二度なら然程では無くとも、幾度も高熱を放つ光の刃を投げたブレイドの籠手は革の部分が焼け、彼の手に火傷を残していた。

 先に攻撃を当てたのがブレイドであること、相手の身動きを取れなくしたのはラークである事から審判も判定を躊躇う。

「……私の負けだ」

 ブレイドが自らそう宣言し、腕の力を抜いたのを見て(ようや)く判定が下る。

「勝者! 剣士ディール!!」

 歓声と落胆の嵐が巻き起こる中でラークは暫し目を丸くする。

「負け、のつもりだったんだけど」

「そんな勝ちを譲られる様な形があるものか。自分の力でお前を捉えられなかった時点で俺の負けだ」

 ブレイドの素っ気ない返事にラークは苦笑いした。

「君の真面目さには敵わないよ」

 

 大番狂わせに盛り上がる会場の中で、シエルとロイは完全に置いてけぼりにされていた。

「次の決勝戦、お前はどう見る」

 この歴戦の女戦士にその様な問いを向けられるとは思ってもいなかったロイは戸惑って聞き返す。

「どう、って? さっきシエル自分でラークが優勝するって言ってなかった?」

「ああ、次の対戦相手のエッジという青年、今の試合の相手の様に明確な武器となる技を見せないままここまで勝ち上がってきている。我らが里の裏切り者ジード・カルサイトとの戦いで深海の剣を担ったとされる者……本当に見たままの実力なのかと思ってな」

 深海の剣はシンの一族に伝わる二振りの禁忌の剣の中でも制御が困難で破壊力に秀でた剣であり、使うことさえ出来れば使用者の力量に関わらず十分に武器として機能する。

 それ故、エッジという少年の活躍を伝え聞いていたシエルも彼の実力には然して期待していなかった。

(心の一族の血を半分引いているだけでは戦闘に向いているとは言えない、年齢的に肉体もまだ成長途中だろう……要素として見れば突出したものは何も無い)

 有るとすれば個人の才か、と自答しながらも未だラークが執心するものが何なのかシエルには判然としなかった。

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