TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第三話 二世界深術融合研究組織イリクサ

「星ってさ、動かないよね」

 草原に寝転んだまま二人で夜空を見上げ、ふと傍らのクロウがそんな事を言った。

「この前、ラーヴァンに乗ってる時にずっと星の位置を見てたんだけど、山も塔もどんどん動いて消えてくのに星は全然動かない。あれ、何でなんだろうって思って」

 

 村からさえ(ろく)に出た事の無かった俺も、その質問の答えは持っていなかった。

 

「アキに教えて貰ったんだけど、あれは遠いからなんだって。空より、雲より、もっとずっと遠くにあるから動いてない様に見えるんだって」

 そう口にしながら、彼女は星に手を伸ばす。

「昔は昼の空も、夜の星も同じ様なものだと思ってた。雲まで翔べたら、天蓋(てんがい)に触れるみたいに星にも手が届く気がしてた」

 空の砂を(すく)う様に一本一本指を閉じたクロウは、何も無い手の平の中を見つめた。

「でも今は空を飛べる様になった分だけ、もっと星が遠くなった気がする。結局少しも近付いてなんて無かったんだ、って思い知らされるみたいで」

 

 何となくだけど、と笑った彼女の言葉が今になって俺はよく分かる気がした。

 

 ―――――――――――

 

「リペル!お前よくもこんな手間掛けせてくれたな。あんな人数に追われる事になるのも予定の内だったのかよ!」

 走り続けて息切れした赤髪の男がつい先程合流し、共にここまで駆けてきた仮面の人物に文句を言う。

 一方のリペルと呼ばれた男は視界を遮る仮面の上から更に外套の頭巾を被るという格好をしているにも(かか)わらず、さしたる疲労も見せない。

 決して赤髪の男も体力の無い方では無く、むしろ二十代半ばの中でも相当に鍛えている部類に入るのだがこの仮面の男の体力が常軌を逸しているのだった。

 ただ、流石にリペルも体温は上がった様で衣服に手で隙間を作って熱を逃す。

 仮面の男――リペルは飽くまで顔が隠せれば良いのか、それ以外の部分に関しては少し服を(まく)れば鍛えた肌が見える程に案外動きやすそうな格好をしている。

「すまない、イリクサの中でもこんな事を手伝って貰えるのは君だけだったんだ、ブランドン」

「そんな信頼は要らん」

 二人が居るのは立派な屋敷の前だったが、その立地は少々特殊だった。

 周囲に他の建造物は無く今しがた二人が駆けてきた後方には森、屋敷のある前方は切り立った崖、そしてその向こうにはどこまでも海が広がっている。

 海を望む崖上の豪邸。

 俗世と切り離されたかの様なその佇まいは、武器を携帯し泥にまみれた二人の姿とはやや不釣り合いだった。

 門衛に軽い挨拶を交わした二人はそのまま草が伸び放題の道を進み、屋敷の中へと遠慮無く進む。

 

 エントランスは意外な程に薄暗い。

 海からの照り返しで眩しい程だった外との明度差に目が慣れるまで、二人は(しば)し待った。

 設備としての照明器具は規則的に並ぶ柱に備え付けられているが、その大半は使われておらず必要最低限の箇所だけが灯されており、まるで鉱山の内部の様な暗さだった。

 床に敷設(ふせつ)された細長い金属の管を踏まない様に(また)ぎながら、二人は奥へ奥へと進む。

 時折すれ違う人々の格好は雑多で学者の様な者、二人と同様に武器を携行した傭兵らしき者も居れば、身形(みなり)の整った召使いも居り、一目では判別出来ない者も居る。

 特に数が多いのは学者と召使いらしき者達で二人とあまり視線を合わせようとしないのが前者、衣服の泥に厳しい目を向けて来るのが後者だった。

 ただ、そのいずれも声を荒らげて(とが)める様な事はしない。

 まるで墓の中。

 この場では沈黙を守る事が義務であるかの様だった。

 

 と、何人かとすれ違う内に一人の研究者然とした女性が足を止める。

 杏色の長髪を邪魔にならない様に一本にまとめた彼女は、特徴的な黒い衣を身に着けていた。

「戻ったのですね、リペル、ブランドン。確か今日は武器の試験でしたか」

 仮面の剣士リペルは頷く。

「ああ、そうだ。アンモビウム」

「あなた方傭兵を快く思っていないメンバーも居る様ですが、我々イリクサはあくまで研究組織……いずれかの勢力に目をつけられる可能性を考えれば、性能試験も重要な任務であると私は考えます。お疲れ様でした」

 そう言って軽く頭を下げる彼女に対し、ブランドンはこれが社交辞令なのか考えてしまう。

 そんな彼の内心など知る由も無い彼女は、二人の目的を察して告げる。

「サーリスへのご報告でしたら、今は再現機の作業中かと」

 リペルがアンモビウムに礼を言うと、二人はそのまま建物を更に奥へと進んだ。

 

「無事に戻った様で何より」

 ひどく抑揚を欠いた声。

 声の主は学者の中でも取り分け酷い格好をしている人物だった。

 研究の過程でそうなったというより、そもそも服装をある程度綺麗に保つという考えが欠落しているらしい。

 服に空いた穴に工具を保持するベルトを通している事からもそれが窺える。

 彼は大人一人が入れそうな巨大な砂時計の様な容器を作っている真っ最中だった。

 探していた主を見付けて二人は歩みを止める。

「それで、霊獣は?」

 抑揚の無い声で尋ねた男は質問しながらも作業の手は一切止めず、リペルとブランドンの顔を見ようともしない。

 仮面の男リペルは剣に巻き付けていた三色の宝石を外して彼に手渡した。

「問題ないです、これなら実戦でも十分に使えます」

 そうか、と答えながらも伸び放題の髪の間から覗く瞳は動かない。

 この人物――サーリス・カートは深術の研究を行っている組織イリクサの中心人物でありながらも、他人と言葉を交わす時には(ろく)な興味も示さないのが常だった。

(何かいつ見ても、もぐらみたいだよな)

 薄暗い空間にいつも(こも)りきりの彼に対し、ブランドンは何処と無くそんな印象を抱くが流石に口には出さない。

 と、いつもは振り返りもしないサーリスが突然二人の方を振り向いた為、ブランドンは慌てて視線を逸らした。

「それにしても珍しいね、リペル君。きみから頼み事なんて」

 彼の目は仮面の男へと向いている。

 戦闘能力は折り紙付きでも素顔を隠してまで他人との交流を避けるリペルが、わざわざ闘技大会に割り込んでの武器の性能試験を提案してきた事が意外だった様だ。

「すみません、けれど必ず役に立つ筈です」

 ふむ、と唸りながらサーリスはその言葉の意味するところに思いを巡らせていた様子だったが、すぐに興味を失って、受け取った三色の宝石を別々の硝子(ガラス)製の箱の中に仕舞って脇に除ける。

 そのままサーリスは手元の作業に戻り、いくら待ってもそれ以上何も語らない。

 そこでようやくこの男がもう会話を終えたつもりである事に気付いてブランドンとリペルは、顔を見合わせてその場を後にする。

 彼がマイペースなのもまたいつもの事だった。

 

 ―――――――――――

 

 森の空気が張り詰める。

 先程まで暖かだった空気が、音も無く葉に滴となって凍り付いた。

 その中心で白髪の少年が弓を携えている。

 彼は凍結した葉を踏む足音を頼りに、冷気で少しずつ位置を絞り込む事でまだ視認出来ない獲物の居場所を把握する。

 忍び寄る様に、獲物が気付かない程にゆっくりと、段階を踏んで円環状に森の温度が下がっていく。

 

 冷気に対する動物の反応は様々だ。

 冬場になれば冬眠する動物が居るのは言うに及ばず、逆に夏場であれば温度を下げた場所へ積極的に移動してくる事もある。

 また、光の宝珠サンクォーリストの影響の強いこの中央大陸では少ないものの、偏ったディープスに適合した種であれば驚くほど早く深術による変化に対応する。

 過去、彼は水の宝珠フラッディルージュの地脈に近いカースメリア大陸でそうした氷獣に遭遇した事があった。

 

 そろそろ視認出来る距離に獲物が来たと判断した少年は、氷の透鏡(とうきょう)を作り出して対象を確認しようとしてすぐに止める。

 一度視界に入れば、その予想外の獲物は遠目にも見間違え様の無い輝きを放っていた。

 天を衝く一本角。

 さながら太陽の光の一部を借り受けているかの様なそれは、その主の巨体と相俟(あいま)って王冠の様でもあった。

 一本角の牡鹿、というのが近いその巨獣は真っ直ぐに弓を構えた少年の元へと向かって来ている。

 深術によって発生した冷気に反応しているのは殆ど間違いない様だった。

 少なくともまだ待ち構える狩人が居るとは気付いていないらしく、その歩みはゆったりとしている。

 

 と、その堂々とした歩みが止まる。

 三倍近く背丈の違う少年と獣とが無数の木々越しに睨み合った。

 静寂は短く、牡鹿の疾走が大地を揺らす。

 先程までの優雅な動きが嘘の様にその速度は速く、少年の十歩分の距離が僅か一跳びで消えていく。

 少年はそれに対し、背負った矢筒から三本の矢を引き抜き同時に(つが)えて放つ。

 弦の力をそれぞれ異なる位置で受けた矢は区々(まちまち)な放物線を描き、落下地点に次々氷の壁を造り出す。

 が、獣の方はそれを意に介す様子も見せず頭の角から氷壁に向けて突進した。

 太陽の光を蓄積した角が触れると氷はそこから容易に(ほど)け、残った残骸も(ひづめ)で蹴散らされて消える。

 人間であれば一枚でも十分な足止めになる氷壁も、この牡鹿相手には殆ど意味を為さなかった。

 最後の氷壁が散り、牡鹿の疾走が少年の元まで届く。

 

 けれどその時には既に狩人の少年もその場には居なかった。

 獣の背後で宙に跳び上がり、ぐるりと旋回した小さな身体が弓を引き絞る。

氷瀑閃(ひょうばくせん)

 上空に向けて放たれた矢が急角度の放物線を描き落下する中で更に温度を下げ、それを呼び水に周囲の水分まで凝固させて瞬く間に氷柱となった。

 落下時間に比例して巨大化した氷柱は、相手を見失って僅かに脚を止めていた牡鹿の背を直撃し、その膝を折らせる。

 その一瞬の隙を狙って、少年は中空から止めの一矢を放つ。

氷屑の破者(ブレイクシュート)

 折れ曲がった脚の関節の隙間を縫う様に撃ち下ろされた矢はそれ自体が氷の楔となって、牡鹿をその場に釘付けにする。

 力を十分に入れられない体勢で動きを止められた巨獣は暴れるが、その間に次々に他の脚も凍り漬けにされ身動きがとれなくなった。

 

 何処か焦りにも似た感情を動きに(にじ)ませながら、牡鹿は先程と同様に角から熱を発して氷を少しずつ溶かそうとする。

 その白銀の毛並みの藻掻(もが)く様に他の狩人であれば歓喜の声を抑えられなかったかもしれないが、少年は相手が障害で無くなったと判断するや興味無さそうに牡鹿に背を向けて歩き出す。

 背後から怒りの(いなな)きと、今にも氷の戒めが解けそうな振動が響く中で、少年はふと思い出した様に振り返って呟いた。

「……他の生き物が来ない所探してるなら他所(よそ)を当たった方が良い」

 それで本当に心残りが無くなった様子の少年は二度と振り返らず、あっという間に見えなくなっていった。

 

 

「おかえり、ルオン」

 少年が軽量な木の扉を開くと、若い女性の弾んだ声が出迎える。

 明るい日溜まりを思わせる橙色の髪。

 三年前より成熟し、大人となった今でも彼女の瞳はこの世界の良い面だけを見つけようとする子供の様な純真さに満ちていた。

 リアトリス・フローライト――元はサーカスの看板娘であった彼女と、家族もなく行き場を失った少年ルオンは、共にこの腐りにくい針葉樹の丸太造りの家で暮らしている。

 見れば彼女は料理の真っ最中であったらしく、今日家の前の畑で収穫したと思わしき巨大な野菜達と格闘している所だった。

 それに気付いた少年は弓を片付けながら言う。

「今日だったんだ、手伝ったのに」

「出来ることは、なるべく一人でやらないと。狩りもモンスター退治も何もかもルオンに頼りきりって訳にはいかないよ」

 そう言いながら彼女は、一般に出回っているものよりかなり大振りな野菜を手際よく下拵(したごしら)えしていく。

 この家は二人だけで生活するにはかなり広く作られており、それに比例して今彼女が作業台にしている机も相当に大きい。

 この数年間で彼女の料理の腕前はかなりのものになっていた。

「それで今日の獲物は?」

「カモ三羽。一回凍らせたけど、もうリアが嫌いそうな所は()いであるからすぐ使えるよ」

 その言葉にリアトリスは包丁を持つ手を止めて、目を丸くする。

「え、もう?どんどん(さば)くの上手になるね」

「エッジが丁寧に教えてくれたから」

 ルオンはそう答え、そのまま半地下階の食料貯蔵庫に向かう。

 

 そこでは米、小麦、豆類などの主食をはじめとして、乾燥させた無花果(いちじく)葡萄(ぶどう)等の果物から稀少な蜂蜜等まで様々な食料を備蓄していたが、この家にはそれ以上に希少な物があった。

 部屋の二割程を占める石棺の様な箱を開いたルオンは四隅の冷水の状態を確認し、中央の空間に今しがた運んできた物を仕舞う。

 複数の石材を組み合わたこの棺の様な物は、大陸全体でもかなり珍しい食品の低温保存を可能にしている。

(ここまでしてくれなくても良いのに)

 この建物を作った人間の事を思い、少年は感謝しつつ保存箱の蓋を閉じた。

 

「うーん、ねえそっちにチーズまだあった?使い切ったと思ったんだけど、もしまだ残ってたら使わなきゃだよね」

 貯蔵庫からルオンが戻ると、リアトリスは木の鉢に積まれた赤と緑の野菜の山の前で腕組みしている所だった。

 見たところ香草と共にこのまま煮込むつもりで作業を進めていたらしい。

「大丈夫、もう無かったよ」

 こういう気を回しすぎて色んな事を考えすぎてしまう所は相変わらずだと思いながらも、少年はふと今日遭遇したものの事を思い出して質問する。

「そういえば、リアは綺麗な毛皮とか欲しかった?今日変わった色の鹿見たよ」

 え、と彼女は不思議そうな顔で振り返った。

「毛皮?うーん、要らないかな。このお家防寒対策もしっかりしてるし、服にしたってそこまでお洒落して出かける機会も無いし」

 森から一切出ずに生活している彼女は苦笑いし、一族の裏切り者の烙印である黒い衣を揺らす。

「私は狩りで頂く命は最低限にしたいかな――って、狩りしてるのはルオンなんだけど」

 微笑む彼女を見て、少年はやはり先の牡鹿を射止めなくて正解だったと感じた。

「ううん、リアならそう言うと思った」

 

 ―――――――――――

 

 初めて訪れる町の雑踏(ざっとう)を観察してロイは疑問を感じていた。

 思った事をそのまま口には出さず、頭の中で言葉にする。

(同じ人混みでも闘技大会の時とは随分違うのはどうしてかな)

 そうして心に浮かべた思考に答える声があった。その返事もまた音ではなく、周囲を行く誰にもその言葉は聞こえない。

 端から見れば少年は唯、ぼんやりと路地の隙間から道行くシントリアの人々を眺めているだけに映った。

『目的の一致か、不一致かの違いではない?周囲の人間と同じ目的で動いている時は人間はある種の一体感を感じるものだし、それが闘技大会の時は熱狂というものを生んでいた。或いは単に遊楽(ゆうらく)の時間か平時かの差なのではないかしら』

 少年の頭の中に響く声は女性的だった――少なくとも男性の身体を持つ彼はその様に感じた。

 生きている自分と比べて無機質で、

 感覚的な自分と比べて論理的である様に感じた。

 勿論そんな事は全て彼の主観に過ぎず『彼女』曰く、それは意味の無い事だという。

 彼女が存在するから、自分は存在し、

 自分が問うから、彼女は答える。

(それだけ、なのかな。あの興奮の渦の中心には特別な人が居た)

『人々の中心に居たから特別に映っただけかもしれない』

(確かに、そうかも)

『そうだとすれば、人々の関心の中心にあるのは誰でも良い。或いは何でも』

 まるで自問自答を繰り返している様。

 無音のやり取りを続けている内に少年と彼女の境界線は曖昧になる。

 彼が初めは他人の声だと確信していた頭の中の声も、今は自身の声と区別がつかなかった。

 

「――こんな所で何をしている、ロイ」

 名前を呼ぶ声が、彼の意識を現実に引き戻す。

「あぁ……シエル?」

 見知った顔をすぐに判別できなかったロイを、同郷の女戦士は厳しい眼で見下ろす。

「眠っていたのか、こんな所で」

 まだ意識がきちんと戻っていないロイは、頭を二、三度振って頬を自分の掌で打つ。

「周遊しているのでは無いのだぞ、未だあの男の手掛かりも見つからないというのに」

「……サーリス・カート」

 必死に何かの研究をしていたという事以外漠然としか知らない男の事を考えながら、ロイが呟く。

 シエルは頷き、無言で肯定を示した。

「ねえ、どうして彼を殺すの?」

 ただでさえ悪かった彼女の機嫌が余計に悪くなる。

「まさか、殺すことに抵抗があるのか」

「『みんな』は秘密を守る為、誰かを守る為に人を殺すって事をあまりしないみたいだから」

 そう言って先ほど(ぼう)と衆人を眺めていた少年は、再びその目を往来の人々に向けた。

「シエルはその方が確実だって言ったのにね」

 (およ)そ感情の波とは無縁な鏡の様な瞳。

 それを正面から覗き込んでしまったシエルは、ロイが決して良心の呵責からこの問いを投げかけてきたのではない事に気付く。

「……我々の歩む道は必ずしも正道ではない、それは我々が守る人々が歩む道だ」

「不思議な言い方をするね。自分の行く道は正しい道じゃないと思ってるみたい」

 自らの矜持(きょうじ)にもとる事だったのか、シエルは表情を再度険しくする。

「一応言っておくが、私は我らの生き方を間違っているとは思わない。ただ齢百も超えればそろそろ赤の他人から客観的に見た自分がどう映るのか全く分からぬ訳でも無いさ」

 時間を掛けて今の言葉を噛み砕いているのか、ロイはすぐに返事をしなかった。

 しばらくして、ようやく彼は納得したのか微かな笑みを浮かべて頷いた。

「教えてくれてありがとう、シエル」

「同族の(よし)みで無ければ教えるものか」

 彼女の声には既に一切の興味が無かった。

 と、唐突に先程まで動かなかったロイがふらりと歩き出す。

「何処へ行く」

 それが宿とは違う方向だったので、シエルは(いぶか)しむ。

 足を止めて振り返った少年の服の袖が、時計の振り子の様に揺れた。

「会うんだよね、サーリスに」

 あっさりと街の外へ彷徨(さまよ)い出たロイの背中を追って、シエルは渋々街の外へ出た。

 

 先導する少年の迷い無い歩みを辿る内、瞬く間に人工の建造物は視界から消え、代わりに整然と並ぶ木々の群れが辺りを埋め尽くす。

 明らかに王都から離れていると気付いた女戦士は、ラークに何も言わずに来てしまった事を不安に思い始める。

 しかし、そんな思考はすぐに目の前の事実に上書きされた。

(明らかに道が整備されている……?)

 踏み固められ土が剥き出しの道路と自然に生え育った草との境は明確で、よく見れば道の両脇の木々も人の手で列植されたものだった。

(適当に歩いている訳ではないのか?だが何時(いつ)そんな手掛かりを)

 ロイの正確な年齢をシエルは知らない。

 ただ、身体の成長から見るに彼女やラークより年少であるのはほぼ間違いなく、その彼が共に着いたばかりのアエスラングの地理に明るいとは考え難かった。

 人の流れを観察している内に手掛かりを見付けたとするならまだ納得もいくものの、それにしてもとうに人の気配が無い場所を迷い無く進んでいくロイに対し、やはりシエルは違和感を拭う事が出来ない。

「こっち」

 先を行っていたロイがまたも唐突に立ち止まり、道から外れた木々の方を示す。

 一見すれば道も何もあったものでは無かったが獣道らしきものは確かにあり、姿勢を低くすれば微かに使われたらしき地面の窪みが見て取れる。

 慣れない足取りではあったものの躊躇(ためら)い無くそこへ踏み入ってゆく少年に無言で続きながらも、一方のシエルは微かに警戒を強めた。

 

 

 一歩進む度、陽の光が遠ざかる。

 生い茂った木々の陰が足元の凹凸を覆い隠し、二人は度々立ち止まらなければならなかった。

 特に歩き慣れていないロイは幾度も(つまず)きそうになり、場合によってはその場に屈み込んで木の根の間に挟まれた足を引き抜いていた。

 

 そうして何度目にか少年が無警戒に屈み込みその首筋を露にしたタイミングで、シエルが突然その後頭部を片手で鷲掴みにした。

「そのまま頭を上げるな!」

 いきなり顔を地面に押し付けられたロイは一瞬だけ反射的に抵抗する。

 ほんの一瞬前まで彼の首があった所を何かが通過し、ロイの代わりにシエルの腕から血が飛ぶ。

 その刃は一つではなく、魚群の如く次々草むらを跳ねては押し寄せ二人を取り囲む。

(一つ、二つ、三つ……計十六、八人か)

 視認だけでは把握が困難な襲撃者の武器の数を、草むらを掻き分ける音と合わせて正確に把握し、女戦士は左腕の流血にも構わず敵の数を分析する。

 その僅かな間にも二人を包囲する輪は形を変え、剥き出しの刃物に削られた下生えが宙を舞った。

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