TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第四話 明けない幻夢

 襲撃者の姿はその速度も相俟(あいま)って森の中では視認が困難だったが、シエルディートの眼はその姿を鮮明に捉えていた。

 背を丸めた四足歩行と、木々の枝を巧みに使って素早い移動を繰り返す様は猿に近い。

 けれど、ぼろ切れの様であっても衣服を身に纏(まと)い、刃物を手にして集団で襲い掛かってくる様は断じて野性動物では無かった。

 順手(じゅんて)持ちにしろ逆手(さかて)持ちにしろ、刃は概(おおむ)ね握った腕と垂直方向を向くものだが、この生き物達は手に無理に武器を固定でもされているのか、妙な角度で刃を保持している。

 未だロイが立ち上がらない内、二度目の攻撃が女戦士を襲った。

 同時でも無く、かといって一人ずつでも無い、四方八方からの不規則な波状攻撃がただ一ヶ所目掛けて殺到する。

 

「――一度にたった七体とは舐められたものだ」

 しかし、それらが到達したとき既に輪の中に彼女は居なかった。

 

 最初に飛び掛かってきた襲撃者とすれ違う様にして、僅かな包囲の隙間から外に滑り出たシエルが武器を引く。

 彼女の得物を覆い隠していた布は既に引き裂かれて地に落ちていた。

 市場に出回る物に比して明らかに金属の割合と柄の直径で勝る大槍。

「瞬迅槍(しゅんじんそう)」

 強烈な踏み込みと打撃武器としても通用する重量の槍の突進が、一ヶ所に集った生き物の群れを根刮(ねこそ)ぎ吹き飛ばし、その骨をも貫いた。

(何だよ……こいつは。人の形をしてる相手をこんなに平然と殺せるのか)

 一撃の元に味方全てを失ったブランドン・シェイは目の前の相手の実力に震える。

 格好や動きを他の「初期体(テストケース)」達と同じ様にカモフラージュして、彼はそれらの統制をとっていた。

「立て、少なくともお前は普通の人間だろう」

 イリクサに戦闘員として所属し、それなりの腕はあったものの、ブランドンの命懸けの戦いの経験は然程多くは無かった。

 少なくとも彼が今までに相手してきたのは野生のモンスターや、生活の為になし崩し的に野盗となった素人であり、この様な化け物では無かった。

(動け……動かないと、殺される)

 鈍い身体を奮い立たせたブランドンは両手のナイフの刃に付いた宝石を打ち鳴らし、それを投擲(とうてき)した。

 

 暗い森の中に赤い光を放つ軌跡が二つ。

 鋼索(こうさく)に繋がれたその刃は彼の操作によって速度を維持したまま角度を変え、白緑(びゃくろく)の女狩人を急襲する。

 回避出来ないかに見えた攻撃を彼女は難なく打ち払った。

 が、槍と刃とが接触した瞬間、ナイフに埋め込まれた宝石が赤く発光する

 金属が高速で振動する様な甲高い音。

 それを追ってシエルの至近距離で爆発が起きる。

 その光量と熱波に思わずブランドンは目を閉じた。

 

「……刃物をわざわざ縄などで繋ぎ止めて投擲(とうてき)する場合」

 背筋が凍る程、明確に聞こえる女性の声。

 僅かな焦りも見せずその声は続ける。

「その目的は軌道を不規則にする事か、回収を容易にする事。しかし、普通はこの様な方法はあまり採(と)られない。牽制目的でも無い限り、下手に軌道を変えれば本来の殺傷力を損なう事になるからだ」

 目を開いたブランドンの前には、平然と近付いてくるシエルの姿があった。既にその腕の出血も止まっている。

(本当に……人間、なのか?)

 彼女は目の前の敵以外の相手に話し掛けている様だった。

「つまり警戒すべきは相手が「武器を当てる事」を重視している可能性だ。刃の毒、次点で深術による通電あるいは爆発等の追撃――一度攻撃を防いだだけで油断するなという事だ。分かったらいい加減身を起こせ、ロイ・ジアーズ」

 その言葉で茂みの中から、のそのそと起き上がる人影が一つ。

 この場にもう一人が居る事実をブランドンは半ば失念していた。

 髪に刺草(いらくさ)が絡まったままの少年は無防備に起き上がり周囲の状況を見回す。

(この女は子供の護衛なのか?だったら)

 一瞬の逡巡(しゅんじゅん)はあったものの、ブランドンの判断は早かった。

 

 低い軌道で掬(すく)い上げる様な一投、女戦士の死角を掻い潜り、森の茂みに隠す様に不意を突くコースを頭の中に思い描く。

 化け物じみた槍の戦士と違い、ロイと呼ばれた方の少年は隙だらけで――

「っ!?」

 少年の銀の双眸(そうぼう)が彼を捉えた。

 いざ攻撃の動作に入るという直前にいきなり彼が石を投げつけてきた為に、ブランドンは動作を中断せざるを得なくなる。

 何が起きたのか分からず混乱するブランドンの隙を突き、シエルが再び距離を詰める。

 長槍が無防備な彼の喉目掛けて放たれ、その余波で木々が揺れた。

 

「――申し訳ないが、ここから先は私有地だ」

 その槍の一突きを、割って入ってきた男が細身の長剣で止めていた。

(この男――)

 乱入してきた相手にシエルは微かに驚きはしたものの、その言葉には答えず一度下がり再び槍を振るう。

 ブランドンに向けた先刻までの攻撃では手加減されていたのがはっきりと分かる鋭い一撃。

 大人一人を軽々吹き飛ばす威力を持った其れと、防御の構えを取った男の剣とが触れ合った。

 剣の柄で赤い宝石が揺れる。

 

 その瞬間、剣そのものが炎と化したかの様に高く火を吹き上げ、突進していったシエルの方が膂力(りょりょく)で勝っていたにも関わらず弾かれ後退させられる。

 割って入ってきた男はそれ以上追撃しようともせず、何事も無かったかの様に話し続けた。

「如何(いか)なる正当な理由があって、この先に進もうとしているのか聞いても?」

 二度の攻撃を防がれたシエルは深呼吸をして、状況を整理する。

(先に攻撃してきたのは向こうとはいえ、こちらもロイの勘以上の根拠は無い。それに、この男を排除するには少し骨が折れそうだ……今ここで我々だけで動くにはリスクが大きすぎるか)

 シエルは槍を下げた。

「いや、すまなかった。どうやら道に迷ってしまった様だ」

 対峙する槍使いにこれ以上の戦闘の意志が無いと納得したのか、後から戦闘に加わってきた男も剣を納め、周囲の人とも獣ともつかない者の死体の群れを見回す。

「こちらも手荒な歓迎をしてしまった様で申し訳ない、出来ればそのまま来た道を戻って貰えると助かる」

 不承不承(ふしょうぶしょう)、シエルはロイに声を掛け踵(きびす)を返す。

 先に進むものとばかり考えていた少年は意外そうな顔でそれに続き、こっそりと尋ねる。

「この人達の潔白を信じるの? シエル」

「まさか、何も後ろ暗い事が無い人間が味方を殺した相手を容易く見逃すものか ……ただそれが我々が追っている者か否かは別だろう」

 後には茂みの中に尻餅を着いたブランドンと、乱入してきた長剣使いの男だけが残された。

「悪い、リペル。俺のせいで……」

「いや、俺ももう少し早く気付くべきだった。君が無事で――」

 ブランドンの方を振り返りかけたリペルはそこではっ、と何かに気が付いた様子で顔を押さえる。

「お前、仮面は?」

 彼の顔を初めて見たブランドンは荒い息のまま、微かな驚きを示す。

 リペルと名乗っている若い男は素顔を見られた事を快(こころよ)く思っていない様子で溜め息を吐いた。

「……彼らを闘技大会で見た気がする。同じ仮面の姿を晒す方が今はリスクがあると思ったが」

 いつも通りに鳥の骸骨(がいこつ)の様な仮面を身に付けた彼は自嘲気味に呟く。

「屋敷までは見られていないがどうする、リペル?」

「すぐにまた来る事は無いだろうが、とはいえこの数の初期体(テストケース)を易々と蹴散らすとは厄介だな」

 奇妙な姿の屍を改めて確認し複雑な表情を仮面の下に浮かべながらも、リペルはそれを悟られない様に唇を引き結ぶ。

「計画を次の段階に進める時が来たという事なのかもしれない」

 何もかもを偽るその男の口から出た言葉には決意が滲(にじ)んでいた。

 

 ―――――――――――

 

「ほらほら、急いで!二人が来ちゃうよ、ルオン」

「ん、でもこれ今仕上げた方が」

 慌ただしく室内を駆け回って部屋を片付けるリアトリスの方を向きながら、ルオンは鍋の傍を離れない。

「それはそうなんだけど、片付けや飾り付けは来る前に終わってないと意味無いでしょう?勿論お肉の状態も大事だけどね」

「……そういうもの?分かった、一旦鍋下ろすから待って」

 獲物を前にした時と同じ様にルオンは一度真剣な表情で考え、それからすぐに彼女の作業を手伝い始めた。

 

 椅子の配置を変え、卓を拭き上げ、燭台を配置する。この住居には深術式の灯火設備も備え付けられており、ここから更に日が暮れて夜を迎えても支障は無かったが、大型の燭台が食卓に等間隔で並ぶだけでやはり雰囲気は違った。

「折角クリフさんが立派なのくれたから、使わないとね」

 蝋燭に指から出した火で着火していき、リアトリスはその出来映えに満足げに微笑む。

「大きくて食事の時に邪魔じゃない?」

「ええ、そう?この綺麗な螺旋が、蔦(つた)とか一角獣の角みたいで私は好きなんだけど」

 丁度一通りの準備を終えた所で、玄関の方で重い靴音がした。

 二人が同時にそちらを振り返ると、大きな麻袋が二つ並んでこちらに歩いてくる所だった。

 リアトリスは慌てて背の低い方に駆け寄る。

「うわあ、大丈夫!?すごい荷物」

 彼女が支えると、大きな袋の上から眼鏡の少女の理知的な顔が覗()く。

 一見すると華奢なアキだったが、彼女は意外に力が強い。

「平気です、ここまでずっと持ってきましたから。ありがとうございます」

 その言葉を裏付ける様に彼女は難なく切り株の椅子までそれを運ぶと、仮漆で仕上げられた滑らかな表面に置く。

 重さの余り、麻袋はひしゃげた寸胴(ずんどう)になった。

「これ、全部食べ物?」

 袋の入り口から覗(のぞ)く、瓶詰めの果実煮を見たルオンがもう一人の来客に尋ねる。

「まさか、こっちは主に消耗品よ。温熱筒や照明用の予備の鉱石、油、紙、消費が判らなかったから少量だけど矢もあるわ。足りなければ次から量を増やすから言って頂戴」

 妹が持ってきたのに負けず劣らずの大荷物を隣の椅子に置いて、リョウカは大きく伸びをした。

 三年の時を経てかなり背の伸びたアキやルオン達と比しても未だ彼女は長身だったが、その彼女からしても尚この空間の天井は遠い。

「ありがとう。じゃあ、とりあえず食事の準備しちゃうね!待ってて、もうすぐに食べられるから」

 

 久々の大人数で囲んだ食事は宴の様な様相を呈したが、終わったあとは皆自然と手分けして片付けに動き出す。

 共に旅をして当番制で食事の準備や片付けをしていた頃からの習慣だった。

 アキとルオンの二人が食事の片付けに残り、リアトリスとリョウカの年長者二人は食料貯蔵庫等に土産の荷物を片付ける流れとなる。

「よっ、と……本当にいつもここまでしてくれなくても良いのに。行き場の無かった私達に雨風を凌げる場所をくれただけでもう十分すぎる位なんですから」

 リアトリスがそう言う横で、リョウカは真剣に冷蔵容器の内部を点検していた。

 専門知識の無いリアトリスは何をしているか分からず、見守る事しか出来ない。

「私は自分が利用する別荘に相応の手間を掛けているだけ。むしろ、常に行き届いた管理をしてくれているあなた達に感謝をしなければいけないのはこちらの方よ」

 陶磁(とうじ)の様に表情を崩さぬまま、リョウカはそう言い切った。

 けれど、この家屋に住んでからリアトリス達は消耗品にも、食料品にも何一つ不自由した事は無い。

 ほんの少しでも好みの食べ物の名前を口にしただけで、翌日にそれが大量に届いた事もある。

 それは明らかに別荘に必要な備品の範疇を超えていた。

「じゃあ、今度からリョウカさん達の分だけにしましょう。私達が生活するのに必要な分は私達で何とかしますから」

「なら、来る頻度を高くしましょう。それなら丁度良い筈よ」

 滅茶滅茶だ、そう思ってリアトリスは呆れてしまう。

 そもそもリョウカ達は二人暮らしなのだから、勝手に家を空ける日を決めてはアキだってきっと困るだろうと彼女は思う。

(それは、アキも頼めば最終的に来てはくれるだろうけど……)

「流石に悪いですよ」

 そうして居心地悪そうに目を逸らす彼女を見つめて、今度はリョウカがふと尋ねた。

「どんな時でも、どんな服に着替えても、貴女常にその衣だけは身に付けているわね」

 見るからに不吉な漆黒の衣。

 翅(はね)の様に薄いそれは確かに重ねても暑くはないかもしれないが、その色合いは弔事(ちょうじ)の場でも無い限り何処へ行っても敬遠されるだろう。

 不意の言葉に戸惑いながらも、彼女は目に見えて沈んだ様子でそれに答える。

「掟、ですから」

 リョウカは以前にその服の意味を聞いていた。

 世界の理(ことわり)を守護するべき「シン」の一族が、禁忌を破った者に課す罪の証。

 この服を身に着ける者は決して里に戻ってはならず、両親にさえ会う事は許されない。

 かつて共に旅をしたラークとも、今は会えば命を奪われても文句は言えない関係になったのだという。

「秩序、それを守る為の規律。世の中には守らなければならないルールがある――ええ、それもとても大事なものよ。けれどね」

 一度、シンの一族の側の理屈を肯定した上でリョウカは続けた。

「それを破り自身の心に従った貴女に私は感謝しているわ。あの時、貴女が助けてくれなければ私は間違いなく死んでいた」

 慰める様な彼女の言葉に、リアトリスは首を横に振る。

「私が勝手にやった事です」

「そうね、だから私はその力ではなく『貴女に』感謝するのよ。誰に言われた訳でもなく、代償が必要だと分かった上であの選択をしたリアトリス・フローライトにね」

 リョウカは、いつも相手を言い負かした時に見せる自信に満ちた笑みを浮かべた。少し違っていたのは、その笑みが相手にも自信を持たせるものであった事。

 未だその言葉を正面から受け止められないリアトリスは、またも目を逸らして黙り込んだ。

 今これ以上言葉を重ねても然して意味を成さないと判断したリョウカは、殆ど空になった麻袋の中から紺碧(こんぺき)の液体の入った瓶を取り出してリアトリスに手渡す。

 中身をよく見た彼女はまずそれが果実を加工した物である事に気付き、それから段々と目を丸くする。

「スカイハイ、ベリー!?え、これどうしたんですか」

「嬉しそうな反応で何よりだわ、そんな刺激の強いもの好むの貴女位よ」

 強い酸味と清涼感を持つその果実は生で食すのは些(いささ)か厳しい為、砂糖と共に煮たり酒と共にほんの一切れ供(きょう)されるのが一般的だった。

 綺麗な空の様な色は確かに見目には一級品だが、それでもリョウカが顔を顰(しか)めた様に味を知った上で好む者はなかなか稀だった。

「だって、これこっちの世界には自生してる場所なんて――」

 言い掛けて、漸(ようや)くリアトリスはその意味に思い当たる。

 これを手に入れられるのはもう一つの世界の存在を知っている一族の者だけ、いくらリョウカに様々な手蔓(てづる)があるといっても容易に手に入れられる物ではない。

「……ラーク、なんですか?」

「ええ。三年越しに急に現れたかと思ったら人にこんな口に合わない物を押し付けて行くなんて相変わらず勝手な男よ。本当、貴女が貰ってくれて助かったわ」

 呆れた様に大袈裟に手を上げてみせるリョウカ。

 そんな彼女の反応とは正反対にリアトリスは手にした瓶が急に黄金と化したかの様に大事そうに両手で包むと、居間へと戻る方へ足を向ける。

「お茶にしましょう、リョウカさん。これ、美味しいうちに味わわないと」

 元気を出した彼女の様子を喜びながらも、リョウカは苦笑いしてその後に続いた。

「……私は遠慮しておくわ」

 

 ―――――――――――

 

「ルオンさんは凄いですね」

 二人で一通り皿洗いを終え、一息ついた所でアキがふっと笑みを溢す。

 手分けしたとはいえ、大半の作業は殆どこの無口な少年がこなしていた。

「何が?」

「私がルオンさん位の年齢の時はまだ全く家事など出来ませんでしたから」

 今もそれほど得意ではありませんけど、と含羞(はにか)むアキ。

「嫌いだったの?」

「いいえ、嫌いではありませんでした。むしろ幼い頃から何でもやって貰ってばかりな事に嫌気が差して家出した位です。自分で何でもやるんだ、と」

 彼女の言葉には幾分後悔の色があったが、それと同時に懐かしい思い出話をする様な響きも含んでいた。

 もう彼女の中では既に整理がついた事なのかもしれないと、ルオンは思う。

「でも、駄目でした。いざ自分で何もかもやらなければいけない段になって初めて、私は何も知らなかった事に気が付いたんです」

「……」

 白髪の少年は暫し考え込んで、それから言葉を選びつつ口を開いた。

「僕は出来る事をやってるだけ……最初は獣を殺す事しか出来なかった。エッジが教えてくれたから獲物をきちんと処理できる様になった。リアが教えてくれてきちんと料理が出来る様になった。今だってアキが色々教えながらやってくれたから分担して出来た」

 正しい表現が見付からないのか、えーと、と言葉に詰まりながらも、彼はアキの瞳を真っ直ぐに見据えてこう纏めた。

「アキには、アキは居なかったから出来ることもきっと違う」

 彼の中ではその言葉が全てだったが、目の前の少女がまだ話をじっと聞く姿勢を崩さないのを見て話の切り方が唐突だった事に気付き「と思う」――等と小声で付け足す。

 獲物との距離を測る時には無感情な白銀の瞳が、今は困った様に揺れていた。

 それが何でも器用にこなしてしまう彼の普段の姿とあまりにかけ離れていて、アキはつい笑みを溢す。

「謙虚ですね、ルオンさんは。ありがとうございます」

「何でお礼?」

 相手の笑みの理由が判らずに、少年は首を傾げる。

「ふふ、気を遣ってくれたのでしょう?」

「違う。ただ……僕だけが褒められのは違うと思っただけ。僕がそれに値するなら、みんなもそうだよ」

 二人は歩きながら話を続けた。

 漆喰(しっくい)で塗り固めた真っ白な調理場を後にして建物の入り口側、玄関と繋がった居間へと戻る。

 リョウカとリアトリスは未だ戻ってきていなかった。

「謙遜も度が過ぎると心証が良くありませんよ」

 言葉が難しかった事もあり、何を指して「謙遜」という表現をされたのかも分からずルオンはまたも眉間に皺を寄せる。

「いえ――今のは少し意地の悪い言い方だったかもしれません」

 姉さんとずっと二人だと口の悪さが移ってしまいます、とアキは苦笑いする。

「謙虚さはあなたの美徳です。でも、時々はご自身の事をもっと認めてあげて下さい。でないと……」

 そこでふと、何を言いかけていたのかに気付いて彼女は口を閉ざす。

(ああ、今日も本当はエッジさんが一緒に食卓を囲めればもっと良かったのに)

 

 皆がこうして集まる時、或いは何も無くとも気が向いた時。

 何時でも此処に来て欲しいと皆がエッジを誘っていた。その為の部屋数は充分に確保されている。

 この森の中の家屋にはその気になれば六人程が一緒に暮らす事が出来るだけの広さがあった。

 けれど彼がここに顔を出すのは滅多に無い事で、もう随分と長くそんな人数が此処に揃った事は無い。

(クロウさんと一緒に、エッジさんの心も何処か遠くに行ってしまった)

 いつしかずっと追っていた彼女の背中をアキは思い出す。

 アキが見る彼女の姿は何時でも力強かった。

 最期に自分を『友達』と呼んでくれたクロウの存在は、今でもアキの中に傷を遺している。

 それでも、アキは彼女の存在を思って悲嘆にくれる事はしなかった。

 涙を溢しそうになる度。

 泣き言を口にしそうになる度。

 「それは正解ではない」とアキは思う。

 そんな自分では彼女に胸を張って友達等とは言って貰えない、と。

 

 クロウとの思い出はアキにとって、鈍い痛みを伴いながらも背中を押してくれるものへと変わっていた。

 けれど、きっとエッジの中では――

「アキ?」

 不安そうな少年の声に彼女は我に返る。

 話している途中で突然黙り込んでしまったのだから、彼の反応は当然だった。

「い、いえ、何でもありません!温熱筒に火を入れておきましょう、きっとお湯がすぐ必要になります」

 

 ―――――――――――

 

 昼下がりの窓際。

 貴重な日光の熱を取り合う様に、二人で宿の椅子を並べて眼下の景色をぼんやり眺める。

 

 寝坊してきたクロウが後から割り込んできた為スペースはかなり狭かった。

「ねえ、エッジ」

 ごく軽い調子で彼女は尋ねる。

「もし、私が死んだらどうする?」

 

 俺は言葉に詰まった。

 ただ聞き流すにはあまりに重い。

 

 けれど、彼女にとってはそうでは無い様で、こちらの反応には構わずそのまま続ける。

「別に私に限った事じゃないけど。戦ってるんだから、そういう事だって普通に有り得るでしょ」

 

 それはこちらを試していたのかもしれない、或いは何か期待している答えがあったのかもしれない。

「私が死んだら……どうする?」

 

 どう答えるのが正解だったのかは、今でも分からない。

 当時の時の自分は何と答えたのだったか。

 そんな事にはさせないと、現実から目を背けたのか。

 そんな事は考えられないと、問いからも逃げたのだったか。

 

 それとも或いは――君が死ぬ瞬間を思い出さない日は無いと、本当の結果を答えられたら良かったのだろうか。

 

 ―――――――――――

 

 日が落ちると、森の中では星も見えない。

 昼間でさえぼんやりとしか陽の光が届かない家の周囲の森に、見通す事さえ叶わない夜の帳(とばり)が下りた。

 其処(そこ)へ一人の男が真っ直ぐに近付いていく。

 間近にまで来れば鎧戸から漏れる微かな光も視認できたが、それが見える前から男は淀(よど)みの無い足取りを崩さない。

 戸口に立った男は扉をノックする段になって初めて躊躇(ためら)い、それから遠慮がちに小さく戸を手の甲で叩いた。

 中でどたどた、と音がして「大丈夫、私が出ます」と誰かに呼び掛ける声の直後、扉が少しだけ開く。

 誰が来たのかと中から覗(のぞ)く澄んだ橙(だいだい)の瞳は用心深くも半分期待を含んでおり、知己(ちき)の姿を見付けると彼女は直ぐに警戒無く扉を開け放つ。

「エッジ!来てくれたんだ、良かった」

 その余りの眩しさに彼は思わず手で庇(かば)った目を眇(すが)めた。

 すぐに他の誰かを呼ぼうとする彼女をエッジは制止する。

「リアトリス、良いよ。遅い時間だし、みんなの邪魔をしたら悪い」

「邪魔だなんてそんな――」

 言い掛けた彼女は目の前の青年の表情が酷く沈んでいるのを見て口を噤(つぐ)む。

「どうしたの?何かあった?」

「何も無いよ。剣技大会に出た直後からまた乱入者の件であちこち走り回ってちょっと疲れてるだけ」

 苦笑いしながらエッジが口にした件についてはリアトリスも聞いていた。

 ラークが突然また姿を現した事。

 その彼とエッジ達兄弟がそれぞれ戦った事。

 そして、思わぬ乱入者が現れ、それを追って結局エッジも暫くして居なくなった事。

 

 リアトリスが聞きたいことは山の様にあった。

 けれど、それはぐっと堪(こら)えて彼女は優しく言葉を掛ける。今の今まで仕事だったのならその疲労は想像して余りある。

「取り敢えず中に入って休んでいって――皆に挨拶はしなくても良いから」

 複雑な顔になった相手の表情の変化を見てリアトリスは一言付け足すも、エッジは首を横に振った。

「またすぐに帰らないといけないんだ。みんな元気かだけ確かめたくて……ラークとも、結局殆ど話せなかったから」

 彼の名前を出すのをエッジは少し躊躇(ためら)った。

 エッジの予想通り、リアトリスの表情がやや曇る。

 

「そんなに許されない事なのか? リアトリスの使ったっていう術――再現構成(リジェネレイト)は」

 その単語を聞いたリアトリスは今度は確実に身を強張(こわば)らせた。

 名を聞くことも、その話をする事自体耐えられないという様に。それはいつか禁忌とされる深海の剣を前にした時の彼女と同じ反応だった。

 

「ごめん……確かにあの時リアの治療を受けた二人の傷は凄く深かったって聞いてる。でも、それを治した事がそんなに許されない事だとは俺には思えなくて」

 エッジが謝りつつ発言を補うも、リアトリスは暫(しば)し返事をしなかった。

「治したんじゃないよ、私は創ったの。リョウカさんとラークのもう絶対治らない部分を」

 今度はエッジが言葉に詰まる。

「作った、って、でもリョウカはもうずっと普通に生活してるし、ラークも剣を振るう様は少しも変わってなかった」

 ほんの一瞬だけ、彼女の顔に誇らしげな色が浮かんだ。

「エッジの目から見ても変わりないのならそれは良かった。一度再現構成(リジェネレイト)で作られたものはもう独立した生命だから、私が作ったイメージが元をきちんと再現できていたなら、私が何度も術を掛け直したりしなくても前とそんなに変わらない様に機能するの」

 エッジの目の色が微かに変わる。

 説明を続ける内にリアトリスの声はまた段々と曇った。

「でも、あの術は生命の境界を曖昧にしてしまう……宝珠の絶大な力と同じ様に、人の世界に知られてはいけないものだから、だからやっぱりあれは使ってはいけない術だった」

 

 沈黙が重く、その場を支配する。

 エッジはまだ本質的な部分に触れていなかったが、目の前の女性の険しい表情がこれ以上この話を続ける事を拒んでいた。

 一瞬の逡巡(しゅんじゅん)があり、エッジはそれ以上踏み込むのを止めた。

「ごめん、聞くべきじゃなかったな。これ薬少ないけど持ってきたから、何かの時に良かったら使って。グミとかボトルとか適当な数を揃えてきたから、きっとルオンにも役に立つ」

 リアトリスは素直に礼を言って、彼の差し出した革袋を受け取った。

 リョウカも常に必要な物を持ってきてくれていたが、エッジの選択は街の外での暮らしに慣れた人間らしい視点で彼なりに考えてくれた事がよく分かる。

(どんな事があっても、やっぱりエッジはエッジだね)

「ありがとう、来てくれて」

「……こんな差し入れで良いなら何時でも」

 リアトリスが土産など無くても良い、と伝える前にエッジは笑顔で扉を閉じる。

 

 扉越しに離れていく足音は瞬く間に遠ざかっていった。

 

 ―――――――――――

 

「良かったの?ラークに話さなくて」

「……せめて様を付けろ」

 宿の一室で尋ねてきたロイの言葉に、シエルディートがベッドに身を預けたまま諦めた様に言った。

 荒れた旧市街に取り残された閑散とした宿屋を見付けた三人は、幸いとばかりにそこで部屋を取っていた。

 当初ラークはシエルの部屋を分けようとしていたものの、彼女は『また一人で何処かへ行くつもりですか』と意見を譲らず全員で同じ部屋に宿泊する事となっていた。

 そのラークは早々に入り口から一番遠いベッドで眠っており、今起きているのは既に二人だけだった。

「話してどうする、収穫は無かった。無為な戦闘があっただけで、今相談した所でディエルアーク様を混乱させるだけだ」

 目を瞑(つむ)ったまま答えながらも、シエルは隣のベッドに居る主が目を覚ましていないか常にその呼吸に気を配る。

「それより、だ」

 肉食獣を思わせる彼女の鋭い眼がロイの方に向けられる。

「何故森へ行こうと思った、何の確信があってお前はあの場所へ向かった」

 少年は質問の意図が分からないという様に首を傾げた。

「えっと……あの先にサーリスが居たかを疑ってるって事?」

「何故そんな確証がある様に話す?あれはお前が行ったことの無い場所、知る筈の無い情報だ」

「知っている人間は必ず居る、その時点でそれはもう誰も知らない場所じゃない」

 噛み合わない会話に、シエルは彼を叱った。

「いい加減にしろ、私が聞いているのは奴の居場所が外へ漏れた理由ではなく、お前がその情報を手に入れた方法――根拠だ。出所が明確で無い情報を鵜呑みにして、確実に敵を作ると分かっている案を採(と)る事は出来ない」

 シエルの中で、この奇妙な少年に対して二つの感情が大きくなりつつあった。

 

 一つは行動への不信感、今までもロイは突飛(とっぴ)な行動を取ることがあったが、今回明らかに彼は先に何者かが待ち受けていることを事前に予期していた。

 それが彼の独力に依(よ)るものなら彼は、ラークやシエルの予想を越えた能力を持っている事になる。逆にそうでないなら――それはこの少年が一族の外部の人間と繋がっている事になる。その可能性は万が一にも彼女が無視できるものでは無かった。

 

 一方でシエルはロイの素直さにはある種の好感を持ち始めてもおり、彼が間者の様な事をやってのける狡猾さを持ち合わせているとはどうしても思えずにいた。

「これ以上の根拠を挙げられないなら良い。明確な理由がない限り当分あの森には近付くな」

 いきなり毛布を被って会話を打ち切ったシエルの行動に目を丸くしながらも、ロイも仕方なく眠りに着いた。

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