藍が白玉楼に戻ってきてしばらく――。
居間には、藍と幽々子と妖夢の三人が、紫の帰りを待っていた。
そして数分後、居間の空間からスキマの穴が展開された。
紫が戻ってくるのだ。その件の“ブタオ”と言う男性を連れて。
一体、どんな人物なのか。
幽々子はワクワクしながら。
妖夢はドキドキとしながら。
藍はハラハラとしながら。
三者三様、想い想いに紫を待つ。そしてとうとう対面の時が来た。
「さぁ、ブタオさん。足元に気をつけてくださいね」
「ぶひ。すまんでござるな」
紫にエスコートされて、ブタオはスキマから出てきた。
紫に手を引かれてスキマから現れた男は、贔屓目に見ても容姿の整った人間ではない。醜い容姿にだらしのないお腹。ヒゲや髪の毛はきちんと整えてはいるが、どこか体臭が濃そうで不潔なイメージを持たざるをえない雰囲気を纏っている。
そんなブタオを見た、紫以外の三人は、これまた三様に各々に反応する。
幽々子は特に思うところがないようで表情に変化はないが、藍は少し不安そうな様子でブタオ達を見ていた。
中でも妖夢の落胆は激しく、紫が連れてきたブタオを見て、目を見開きながら驚愕していた。
(え……? あの人が紫様の想い人? 嘘……な、なに? “ぶひ”って言った? 気持ち悪い……)
ぐうの音も出ないほど的確な所感ではあるが、失礼極まりない感想である。
「おかえりなさい紫。その人が例の“ブタオさん”って方かしら?」
「ええ」
幽々子はブタオの前に対面し、優雅な作法であいさつをする。
「初めましてブタオさん。ここ白玉楼の管理人を務めさせていただいております西行寺幽々子と申します。貴方の事は、紫から常々――」
「こ、これはご丁寧にどうもでござる」
幽々子の優雅な立ち振る舞いに、ほんの数瞬だけ視線を釘付けにされたブタオ。その横で紫がどこか面白くなさそうに二人をみている。
幽々子は、そんな紫を見てはますます愉悦に思ったらしく、上機嫌にブタオを客間の方へと案内した。
「さぁブタオさん。立ち話も何ですから、どうぞこちらに。色々と話を聞かせていただけたら嬉しいわ」
「は、はいでござる!」
幽々子の手招きにデレながらついて行くブタオ。その途中、幽々子は妖夢に茶と菓子を持ってくるように命ずる。
「妖夢。お茶と菓子の準備を――」
「……」
幽々子の返事に返答の無い妖夢に、幽々子は首をかしげる。
「妖夢。聞いてるの?」
「――はッ、も、申し訳ありません。お茶とお菓子ですね。すぐにお持ち致します」
オタオタとしながら、妖夢は台所へと向かった。
なんとも様子のおかしかった妖夢に幽々子は首をかしげていた。
「あの子ったら、どうしたのかしら……?」
◆
台所で湯を沸かしながら、妖夢はブタオについて考えていた。
醜い容姿にだらしのないお腹。ブタを連想させる様な気持の悪い口癖。おおよそ紫の様なの美しい女性と釣り合いが取れているとは言い難い。
(あ、あの人が紫様の想い人……? そんなぁ……。イメージと全然違う)
紫に大きな憧れを抱いていたからこそ、紫の想い人について、妖夢は少女チックな想いを馳せていた。
一体、どんな殿方なのだろうか?
男性らしく頼もしさと力強さを兼ね備えた方なのか。
まだ頼りないが若々しく、未来に見通しのある若者なのか。
紫は長い年月を生きた妖怪だから、高齢な方もあり得る。その場合、自分の祖父みたいにお髭の素敵なナイスミドルだったり――。
もしくは以外にも、チャラい現代風の男性か。でもそう言う人に限って、心が優しかったりするものだし――。
妖夢は紫が戻ってくるまでの間、ブタオの人物像について色々と夢想していた。
それは、一種の“憧れ”とも言える様な感情であった。
紫ほどの女性が好きになった殿方。さぞかし立派な御仁に違いない――。
そう思っていたのに。
スキマから出てきた男は、名前の通り“ブタ”だった。
外見で人を判断するなんて失礼な事だとは、妖夢とて当然理解している。
しかし、人は想像していたイメージとかけ離れ過ぎていた場合、“憧れ”と言う情景の念は“落胆”に変わる。
妖夢もその例にもれず、ただただショックだった。
(紫様ほどの女性が――。あんな人を……)
“憧れ”を“落胆”に。
憧れが大きければ大きいほど、落胆の落差も大きくなる。
そして落胆させた原因となった男。妖夢のブタオに対する感情は、嫌悪から僅かな敵意に変わり――。
あんなの紫様に相応しくない。
そんな事を思った時、やかんが沸騰しピーっと音を出す。
その音にはっとしたのか、妖夢は首をぶんぶんと横に振り、我にかえった。
(わ、私は何を思ってたんだろう? 仮にも御客人に対してあまりにも無礼な……)
早くお茶をお持ちしなければ――。そう思った時に、台所の暖簾から藍がやってきた。
「妖夢。何か手伝う事はあるかな?」
「あ、藍さん。いいえ大丈夫ですよ。藍さんもお客様なんですから、幽々子様達と寛いでください」
「あ……。うん。すまない、実はあの場に居づらくてな。手伝いを理由に抜け出してきたんだ」
「居づらい……ですか?」
「ああ。あの“ブタオ”と言う御仁が、どうも私は苦手なんだ……はは」
少し自虐を含んだ笑いをする藍に、妖夢は気になっている事を尋ねた。
「あの……」
「ん? どうした妖夢」
「あのブタオさんって方は……その、どんな方なんですか?」
「……気になるのか?」
「それはまぁ……。たぶん幽々子様が紫様をからかっての事なんでしょうが、紫様の想い人とか何とか言ってましたし……」
「……たちの悪い冗談だ」
藍は少し不愉快そうに、幽々子のからかいを非難した。
同じ従者として、互いの主を尊敬しあっている者として、藍の非難は妖夢にとっては言葉が詰まる程の驚きだった。
藍の方も少し言い方がきつかったかと、すぐに反省し頭を下げる。
「あ、いやすまない。幽々子様は紫様の御親友。私の私情なんて入る余地なんてないのに……。すまないな」
「あ、いえ……」
「――ブタオ氏の事だったな。私も詳しく知っているわけじゃないが、知っている事を教えよう」
藍はブタオについて、自身の知っている事をかいつまんで話した。
現代社会に絶望し自殺しようとした事。
自殺するくらいなら幻想郷に来ないかと誘われた事。
紫に気に入られて、能力持ちになった事。
ブタオを侮辱した事で、紫の逆鱗に触れた事。
藍が知っているのは、ここまでだった。幻想郷に来てからのブタオの経歴はまるで知らない。
「まぁ私が知ってるのは、こんなところだ。私が彼を苦手としているのも、侮辱してしまったが故に紫様の叱責を受けたからで……。そうだな、私は彼に対し後ろめたいんだな。うん、きっとそうだ」
ブタオを苦手とするのは、侮辱してしまったが故の後ろめたさであると。藍は自分の感情を再確認する。この奇妙な不安感も、その後ろめたさから来る影響なんだと。
ブタオについて軽く説明した藍ではあったが、現在のブタオを知らない彼女は、事実の中に己の主観を混ぜて話したため、やはり少しはブタオを悪く言う形になってしまった。
藍の主観性は、妖夢のブタオに対する敵意を肯定するものとなり、ブタオへの敵視を益々強める事となる。
(やっぱあの人、ただの甘ったれのごく潰しじゃない。それなのに紫様に――)
「妖夢?」
藍は、何やら妖夢が義憤を覚えたような難しい表情をしている事に気付いた。
きっと自分の説明のせいで、ブタオに対して悪いイメージを持ってしまったのだろうと思い、フォローをするかのように、自分が分かっているブタオの良い所を話し始める。
「なぁ妖夢。今の私の説明で、ブタオ氏に良くないイメージを持たせてしまったかもしれない。だがな、ブタオ氏は、臆病なれど心優しい御仁だ。紫様もそのブタオ氏の心の優しさを認めてるが故に彼を気に留めているのかもしれない」
悪意のない心優しい人物である。それは信用できる。
やはり自分はどうかしている。一体、何をこんなに不安がっているのか。
(そうだとも。彼は普通の人間で……。紫様にどうこう出来るはずもない。ブタオ氏の事を気にしてたのは、ただのお戯れ……。そうに違いない)
藍もブタオに対する苦手意識を早く克服し、愛すべき幻想郷の住民として受け入れなければ、と自分に反省した。
しかし、妖夢は藍の話を聞いていたのか聞いていなかったのか、ブツブツと独り言を繰り返していた。
自問自答していた藍は、そんな妖夢に気づかない。
台所は、自分の心に悩む少女が二人佇んでいた。
今回ちょっと短め。
妖夢ちゃん、作者のお気に入りだから期待しててね(ゲス顔)