「ブタオさんの能力?」
「そッ。みんなに愛されるって言うけど、具体的にどんな効果があるわけ?」
一体、何を真面目な顔して言うのか。紫は面倒臭く説明する。
「“癒やし系”って呼ばれる人間いるわよね? 近くにいると不思議と落ち着く様な、そんな体質を持った人」
「まぁ、いるわね。そう言う人間」
「具体的にはそんな感じ。相手の緊張やストレスを和らげる“波”と言うか“波長”と言うか……。そういうのを体から発せられるよう彼の境界を弄ったのよ。――で、それがどうかした?」
「……」
幽々子は、訝しく口元に手を添える
「……本当にそれだけ?」
「それだけって……それだけよ?」
「相手の感情を操作するほど強い効果があるとかは……」
「あるわけないじゃない。私の能力で創ったオマケの様な能力よ? 効果のほどは、アロマとどっこいどっこいじゃない? その程度の弱い力よ」
首をかしげる紫に、幽々子はますます顔を難しい顔をする。
(本当にそれだけなのかしら……?)
嘘や冗談を言っている風のない紫に、幽々子は自分の身に起きている“違和感”について訝しんでいた。
(何だろう、この甘酸っぱい気持ち……私は今、ブタオさんに恋をしている?)
実に奇妙な事だ。出会ってまだ数時間。常識から考えて恋に落ちるなんてあり得るはずがない。
だが、ブタオに対して強力なまでの好意を持ってしまっている。
色気やフェロモンとか、そう言う生易しい要因ではない。もっと別の――
『私を愛せ』と魂に訴えかける様な、強力な命令が体を支配している様だ。
実に奇妙な事だ。そして実に恐ろしい事だ。
自らの異変に気付きながら、その事にまるで忌避感がない。恐怖も何もない。あるのは甘酸っぱくて、手放したくない言いようのない温かな気持ち――。
(一目ぼれ……あり得ないわよね?)
幽々子は、ブタオに一目惚れでもしてしまったかと考えていた。
紫に言った通り、自分が男の温もりに飢えているのは事実だし、少ししか話してないが、彼の人となりが良く分かった。
ブタオは誠実な人間だ。少し自虐的な所はあるが、それは陰惨な過去が起因するもので、今の充実した日常を繰り返していればいずれは治るだろう。
誠実で面白みのある人間。逢瀬を繰り返せば、あるいは恋に発展するかもしれない。そんな魅力が彼にはある。
だが、一目惚れはない。
いくら男に飢えているからと言って、一目で欲情を催すほど、自分は節操なしじゃない。
しかし、事実――。自分は欲情している。
ブタオに愛して欲しいと持っている。ブタオに抱いて欲しいと思っている。
(紫は、嘘をついた様子はないし……。いえ、そもそも紫は、自分の変化に気付いているのかしら?)
ブタオへのアプローチに対する、紫の嫉妬の混じった強い視線。
“アレ”で彼を何も思っていないなんていうのは、少し無理がある。
もっとも、その事を指摘しようものなら、ムキになって否定するのが目に見えているわけだが……。
(これは……確かめる必要があるわね)
自分の身に異変が起きていると自覚しつつ、幽々子は楽しげだった。
そしてその表情は、何かイタズラを思いついた子供のように笑っていた。
◆
「――ひぐ、ぐす……」
草葉の陰で、妖夢はすすり泣いていた。
自分の勘違いからのブタオへの非礼の数々。
容姿の醜さと過去の陰惨さから、ブタオは幽々子たちの好意に甘えた思い上がった男――そう思っていた。
しかし、実際は違っていた。
思い上がりなんてとんでもない。彼は誠実な人間だった。言われもない侮辱に対し、相手の真意を思い遣る心優しい御仁だった。
思い上がっていたのは、自分だった。
ブタオに対する後悔の念と自分の未熟さの嘆き。幽々子の従者としての誇りと節度を自分で穢してしまったことへの自責。
いろんな感情が入り乱れて、妖夢はただただ涙を止める事が出来なかった。
(幽々子様……知ったら、絶対に怒るだろうな。そしてブタオさんに深々と謝罪するんだろうなぁ……。幽々子様にも恥をかかせてしまって……グス)
自分のせいで主が頭を下げる。従者としてこれほど情けない事はない。
いや、それ以前にブタオに謝罪してない。主の前に自分が謝らなければならないのに――。
そう思っているのに、何もかもが怖い。ここから動きたくない。
しばらく、ぐずっているとガサガサと誰かが近づいてくる。
隠れるように妖夢は身を伏せるが、どうやら見つかったらしい。正確にこちらにやってくる。
「――ここにいたのか妖夢」
相手方は藍だった。
見つかって、ほっとした様な顔をしながら、彼女は手を差し伸べて言う。
「さ、こんな所にいては風邪を引いてしまうぞ。屋敷に戻ろう」
優しげに言う藍だったが、その優しさがかえって妖夢の心をえぐる。
ブタオや幽々子だけじゃない。本来は客人であるはずの藍にまで迷惑をかけてしまっている。
その事実を認識してしまい、妖夢はさらに泣きじゃくるのであった。
「ひぐぅ、ひっく……うぐ」
「……」
泣きじゃくる妖夢に、藍は優しく笑いながら彼女の隣に座りこむ。
「妖夢。ブタオ殿は、お前の事を非礼ではないと言っていたぞ。全部正論だとさ」
「……そ、そんなわけ……ないじゃないですか。あんなに酷い事言って、絶対に……怒ってます……」
「彼は怒ってなどいない。むしろお前の事を心配してたんだぞ? 私に追ってくれと言うくらいに」
「それは……あの人が、お人好しだから……」
「はは。そうだな、ブタオ殿はお人好しだ」
藍は、どこか懐かしそうな表情をしながら妖夢に笑いかける。
「妖夢。私はな、今のお前の気持ちが分かるよ」
「え?」
「ブタオ殿の外面だけを見て、その人柄を見抜けずに侮辱した事を後悔しているんだろう? 私も同じだ。私も、初めてブタオ殿に出会った時に彼を侮辱した」
「藍さんも?」
「ああ。本人に直接言ったわけじゃないが、お前よりも過激な事を言ったと思うぞ? それで紫様から御叱りを受けてしまった……。紫様の言うとおりだった。彼は誠実な人間だ。何も知らずに彼を侮辱した事を……私は後悔してる」
藍は顔を俯かせながら告白した。
その様子に妖夢は藍が心から悔いていると感じ取る。
「なぁ妖夢。月並みではあるが、やってしまった事は仕方がないんだ。――今、我々に出来る事は、素直に彼に謝罪し、そして改めて紫様達の御客人として最高のもてなしをする事だ」
藍は再び立ち上がり、妖夢の前に手を差し伸べた。
「――妖夢。私も一緒に謝るさ。だから行こう」
「藍さん……」
一人じゃない。
後悔の念を共に背負ってくれる存在に、妖夢は手を差し出し立ち上がった。
◆
「お待たせしたでござる! 紅魔流トマトリゾットの完成でござる! トマトの酸味とチーズのまろやかさが卑怯なほど食欲を湧かせるでござる!」
紅魔のイメージカラーとして赤色の料理を出そうと作ってみた。肝心の幽々子と紫の反応ではあるが――
「あら美味しそう!」
「これは見事」
中々の高評価。これはブタオも一生懸命作った甲斐があったと言うものである。
少しはにかんでいるブタオではあったが、その目は少し赤くなっていて、さらには気落ちしている様な雰囲気を持っていた。
一体どうしたのかと、紫は首をかしげながら尋ねる。
「あら……。ブタオさん如何されたの? 目も少し赤くなってて……」
「へ? あ、これはその……。玉ねぎが目にしみてしまっただけでござるよ。何でもないでござる」
「そう……?」
袖で目を擦り、にこやかな笑顔で返すブタオではあったが、少し無理している様な気がする。
不審に思い、紫はさらに尋ねてみようとしたが――
「紫っ! コレ、すっごいわよ! とても美味しい! あなたも食べてみなさいな!」
「え、ええ~?」
幽々子の空気を読まない追い打ちに、タイミングを逃す紫であった。
「ここの台所は食材が豊富でござるな。――何かオーダーがあれば、他にも何品か作ってくるでござるよ?」
「え!? 本当!?」
キラキラと目を輝かせる幽々子に対し、ブタオは少し和やかになっていた。
あんなに嬉しそうに自分の手料理を食べてくれるのだ。ブタオもまんざらではなかっただろう。
ブタオの好意に、幽々子は遠慮なくアレ食べたいコレ食べたいとオーダーを繰り返す。
あの細い体のどこに収納できるのか分からないが、幽々子の我儘はブタオの心を落ち着かせるよう作用していた。
(鬱な気分は、体を動かして忘れるに限るでござる。しかし幽々子殿……少し食べ過ぎでは?)
いかんせん、量が多すぎる。
一人では手が足りないかもしれないと思った矢先――
「――ブタオ殿。我々もお手伝いしますよ」
後ろから藍とその影に隠れている妖夢の二人がやってきた。
「藍殿。それに妖夢殿も……」
「……」
まだブタオを直視出来ず、藍の尻尾に隠れて目を背ける妖夢ではあったが、先ほどの青ざめた表情はもうどこにもない。
ブタオも彼女の表情を見て、ほっと安心した。
「よろしいのでござるか?」
「一人では手に余るでしょう。どうか我々をお使いください」
「では……お願いするでござる」
少しはにかんだ様子で、ブタオは二人にお願いした。
先ほどの悶着から、そんな時間が経過したわけではないが、少なくとも三人の間には嫌な空気は漂っていない。
三人は、台所へ向かおうと幽々子たちに背を向けるが――
「あ、待ってちょうだい」
幽々子から制止の声が発せられる。一体、何かと三人とも振り返る。
「妖夢は残ってちょうだい。私と紫の酌をして欲しいの」
徳利を回しながら、妖夢を指名した。
ブタオ達三人はそれぞれ目を合わせる。
確かに屋敷の主人と主賓である紫を二人っきりにして、誰も相手をしないと言うのはマズいかもしれない。
「妖夢。紫様達の相手を頼む」
「え。でも……」
ちらりとブタオを見るが、ブタオも笑顔で――
「ここは吾輩と藍殿だけで大丈夫でござるよ。紫殿達を退屈させてはいかんでござる」
ほっこりとしたブタオの笑顔に、妖夢の先ほどまで持っていた不安は消え、
「は、はい! 任せてください」
声に元気が戻った。年相応の若々しい声に。彼女はもう大丈夫。そう思わせるほど頼りがいのあるいい表情だった。
そう思いながら、ブタオと藍の二人は台所へ戻っていった。
◆
台所で再び、二人っきりとなる。
何から手をつけようかと、相談し合っている最中、ブタオは藍との先ほどの悶着が脳裏をかすめた。
途端、赤面する。
(ぶひぃ……。やけになっていたとはいえ、あの時吾輩……藍殿に壁ドンしたのでござるよな……)
壁ドンなんて、イケメンだけが許された行為だ。
ふと、藍の顔を覗きこむ。
紫にも勝るとも劣らない美貌。キツネを彷彿させる耳と尻尾。そして妖しい色気。
妖怪は、人間を惑わすために美しい容姿をしていると言うのが鉄板の設定ではあるが、その設定は真実なのだと、今ほど思い知らされることはない。
「では、私は大根をかつら剥きに……。ブタオ殿? どうかされましたか?」
「ぶひッ!? あ、いや、その……」
すぐさま、藍から目を背けるブタオ。
一体どうしたのかと思う藍であったが、ブタオの赤面した顔を見て、彼女もブタオに壁ドンされた事を思い出し、ボンと顔が沸騰した。
そしてすぐさま、藍もブタオから目を背けた。
「あう……」
「ぶひぃ……」
何とも甘酸っぱい空間ではあるが、先に拮抗を破ったのはブタオだった。
「ら、藍殿……。その、さ、先ほどはその……すまなかったでござる。あの時の吾輩は、どうかしてたでござる。あ、あははは」
「い、いいえ……その……。わ、私は気にしてません。ブタオ殿こそ、お気になさらずに……」
「す、すまぬでござる。藍殿の様な麗しい婦女子に対し……。不快でござったろう」
「い、いいえッ。そんな事は――ッ。ただ、驚いただけで……。あんなふうに殿方に迫られたのは初めてでしたから……」
またも沈黙。
お互いに、これは埒が明かないと思ったのだろう。
自然とどちらかともなく同じことを考えた様で――
「と、とにかく今は手を動かしましょう」
「そそそそうでござるなッ。紫殿達を待たせては申し訳ないでござる」
と今は目の前の仕事をこなそうと結論を出して、この事は心の片隅に置いておいた。
◆
一人外れて妖夢は幽々子たちの酌をしていた。
これと言って、何か大変だったわけでもなく、幽々子たちの酒盛りは静かに続いた。
これなら自分も台所にいって二人の手伝いをした方が良いのではないかと思った。
ブタオの件もある。
まだ、彼にきちんと謝っていないのだから。
そんな心ここにあらずの妖夢をよそに、幽々子が酒のかわりを持てと言わんばかりに、空になった盃を妖夢の前に差し出す。
(やっぱ手伝いにいけないよね。幽々子様達の相手をほっぽって……)
ブタオに謝るのは後にしよう。
あの時のほっこりとした笑顔を返してくれたブタオだ。きっと恨んでいないのだろうが、ケジメだけはつけなくては。
そう思った矢先、幽々子は話題を妖夢に振り、突然変な事を言い出した。
「ねぇ妖夢」
「はい。何でしょうか幽々子様」
「あなた……。“ナデポ”もしくは“ニコポ”って単語を知ってる?」
「な、ナデポ……ですか? 聞いた事ありません」
首をかしげる妖夢に、幽々子は説明を続ける。
「外の世界の言葉らしいんだけどね。男性が笑いかけたり頭を撫でたりするだけで、女性が『ポッ』と惚れる現象を指すらしいの。外の世界の創作物ではけっこう使われる趣向らしいわ」
「な、何ですか。そのたちの悪い洗脳能力は……」
素直にそう思った。
そんな趣向を好むなんて、現代人の闇は深いと、この時妖夢は思った。
「それで、その“ナデポ”がどうかしたのですか?」
「いやね、そんな現象が現実に起きるのかなぁって、ちょっと思っただけ♪」
「そんなの起きるわけないじゃないですか。人には“理性”ってものがあるんですよ? その程度で恋に落ちるなんて、そんなこと――」
鼻で笑う妖夢に、幽々子は、そうよねぇと笑って返した。
しばらくして、ブタオと藍が出来上がった料理を運んでやってきた。
それもこれも見事なもので、幽々子らは勿論のこと、妖夢も感嘆の声を上げる。
「す、凄い……。これ、ブタオさん達が?」
「そうでござるよ」
舌鼓を打つ幽々子たちに、ブタオと藍は互いに目を合わせ、それぞれ健闘をたたえ合う。
妖夢も気にいってくれたのか、ブタオ達の料理を頬張ってくれている。
料理も結構な量が出そろい、これ以上は作る必要が無くなった。
ブタオも藍も席にお呼ばれして、互いに酒を酌み交わす。
この場は、皆が笑顔になれる良い宴会場に変わったのだった。
◆
宴もたけなわ。料理も酒も随分減った。
ブタオ達は、空になった皿を台所に片付けに行こうと席を立つが――。
「あ。ブタオさん、ちょっと――」
「ぶひ?」
幽々子に呼びとめられた。
藍は、先に行きますと台所へと行く。
「なんでござるか幽々子殿」
「いい感じにお酒が回ってきたみたいなの。ここいらでちょっとブタオさんに余興をして貰おうかなって思って」
「よ、余興でござるか?」
これは現代社会で社会人の新人が暑気払いや忘年会等で、酔っ払いの上司や先輩方に一発芸を披露しろと無茶ぶりをされる“アレ”では、とブタオは戦慄した。
しかし、そう言ったものではないらしい。
幽々子は、ブタオに一切れの布を手渡した。
「これは……布?」
「そ♪ これをこうやって――。はい、目隠し」
ブタオは布で目隠しされた。
(一体、なんでござろう……?)
そう思うと幽々子が説明をする。
「ブタオさんには、これからあるものに触って貰います。目隠しした状態で、“ソレ”が何なのかを当てて見せてね」
「は、はぁ……分かったでござる」
芸人とかが箱の中に入ってるモノに触れて、それが何のかを当てるゲームと同じかとブタオは思った。
こう言うゲームでは、カエルとかナメクジだとか、気色悪いモノが多い。芸人は本当に体を張ってるんだなぁと、この時ブタオは思った。
しかし、同時に楽しみではある。一体、何を触らせられるのか。
「さ、ブタオさん。手を出して」
「ぶひ。分かったでござる」
幽々子の誘導で、ブタオは“ソレ”に触れる。
ワシャワシャと。温かくて柔らかな毛並み。何かの動物か。
(何かの動物でござるか? しかしとても柔らかな感触でござる。ずっと撫でてたいでござるな)
それに何やら良い匂いがする。何かこう……甘い匂いが。
ブタオはそれを撫でまわしている内に、何か小さな突起物が手に触れた。
プ二プ二と不思議な弾力。
しかし、ブタオはそれに覚えがある。
と言うか、“自分も持っている”。
(ぶひ? こ、これは……まさか……)
その突起物に指をかけた時――
『――んッ』
すぐ目の前で、女の子の小さな喘ぎが鳴った。
(まままま、まさか――これ……ッ!?)
ブタオが、戦慄した瞬間、彼の目隠しが外された。
その目の前には――
同じく目隠しされた妖夢がいた。
一瞬、時が止まった。
その手は、彼女の耳元に添えられていた。
柔らかな弾力のある突起物は、彼女の耳だった。
目隠しされていた妖夢の顔は、少し赤かった。
ブタオが、茫然とした刹那――
幽々子は、今度は妖夢の目隠しを外した。
「――ん」
部屋の光に一瞬だけ目がくらむが、それもすぐに収まり――。
彼女は、目の前にいる者を見る。
自分の頭や耳を撫でていた者。ブタオの姿を――。
「――え?」
彼女も、一瞬だけ思考が停止し。
二人は目があった。
そして、思考が再稼働した時。
二人は、悲鳴を上げた。
「ぶひいいいいぃぃぃッッ!!!」
「あばあああああああああッ!!」
妖夢は耳が弱い(確信)