東方偏執狂~ブタオの幻想入り~   作:ファンネル

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第三十話 僕

 

 

 一同は居間に集まり、妖夢はその真ん中で正座で座らされていた。もちろん服は着ている。

 その肝心の妖夢の様子だが、彼女はブルブルと震えており、顔は真っ赤で目に涙を浮かべている。

 “悲しい”と言う感情よりは、“恥ずかしい”と言う感情が彼女を支配しているようだ。

 そんな妖夢を見て、幽々子は大層ゴキゲンだった。普段の彼女からすれば考えられない様なハレンチな行為を行ったわけなのだから、からかわずにはいられない。

 

「妖夢ったら大胆ね~。まさか順序を飛ばしていきなり夜這いをかけるなんて♪」

「――ッ」

 

 幽々子のからかいにさらに妖夢は涙目になって顔を俯かせるのであった。

 

 そして、そんなゴキゲンな幽々子とは裏腹に、紫は不貞腐れていた。その横で藍は、そんな紫を心配そうに横目で見ている。

 

 そして肝心のブタオではあるが、ブタオは一体何が起きてるのかとまるで状況を把握できずにいた。

 

「あの……一体、何が起きてるのでござる?」

 

 妖夢の夜這いからしておかしい所が多々あり、さすがのブタオに不審に思う。

 ブタオのその問いにブタオ以外の者は皆一同に目を合わせる。その視線から、互いに同じことを考えていると察し、幽々子が代表で語りだした。

 

「――何が起きているのか。……ブタオさん。私たちもソレが分からないのよ」

「ぶひ……? どういう事でござる?」

 

 反芻するブタオに対し、幽々子は今度はフルフルと震えている妖夢に目をやり問いただし始めた。

 

「ねぇ妖夢。貴方、ブタオさんの事、好きになった?」

「――ッ!?」

「ぶひッ!?」

 

 ビクリと体を強張らせる妖夢。元々真っ赤だった顔はさらに真っ赤に。脂汗もにじみ出て、それが涙と交じり、もはや妖夢の顔はグチャグチャになっていた。

 ブタオは、そんな妖夢を見て唖然とする。幽々子は一体、何を言っているのか。

 妖夢には、あれだけ負の言葉をぶつけられ、さらにセクハラまでしてしまい、好かれる部分など微塵もなかったはずだと言うのに。

 

 しかし、どういうわけか、妖夢は幽々子の言葉を否定しないのだ。

 

「妖夢殿……?」

「――ッ」

 

 ブタオは、妖夢の方を見る。妖夢もブタオを見遣り、二人は自然と目が合った。

 もうどう形容していいか分からない妖夢の顔だが、その視線はどこか切なく、されど熱っぽい。

 顔を赤く染め、羞恥から目を背ける妖夢には、鈍感なブタオもまさかと気付く。

 

「妖夢殿……?」

「………」

 

 彼女は変わらずしゃべらない。否定しない。俯くだけだった。

 

「妖夢殿、何か言ってくだされ。これは、何の冗談なのでござるか? それに……あ、あの夜這いも一体、どうしたのでござるか?」

 

 さすがに普通ではないこの状況。ブタオは妖夢を追い詰めるつもりは微塵もなかったが、状況の分からないこの事態に、ブタオは狼狽した。

 妖夢は、そんなブタオの問い詰めに――

 

 またも逆切れした。

 

「ブタオさん、貴方は……ッ。貴方って人は、本当に女心を解さない人ですねッッ!!」

「ぶ、ぶひッ!?」

「好きじゃない人に、誰があんな真似をすると思うんですかッ! 好きですよッ! ええッ好きですともッ! 私はッ貴方の事が好きになっちゃったんですッ! 悪いですかッ!!?」

 

 羞恥を含んだ妖夢の怒鳴り声に、ブタオは茫然とした。

 一体全体、何が起きているのか?

 混乱しているブタオをさらに混乱させたいのか、幽々子が横から口を出す。

 

「ブタオさん。私も貴方の事が好きですわ。もちろん恋愛的な意味でね♪」

「ぶひッ!?」

「ちなみに紫も貴方の事を好いてるみたいよ? 私に嫉妬の視線を送るくらいに」

 

 今まで誰かに好きだと言われた事の無かったブタオ。

 しかしこの状況はあまりにも普通ではない。嬉しさよりも戸惑いと困惑の方が大きく、ただただ言葉が出ない。

 幽々子は、実ににこやかな笑顔で藍を見遣り、その視線に藍はギクリと体を強張らせる。

 

「藍ちゃんの気持ちは分からないけど……。ねぇ藍ちゃん。貴方、ブタオさんの事、好き?」

「ちょッ!? 幽々子様ッ!」

 

 その問いに藍は、顔を真っ赤に染めて視線を俯かせる。その反応に、幽々子はご満悦の様だ。

 

「ねぇ見てブタオさん。あの藍ちゃんの反応を。うふふ。まるで恋する乙女の様ね。あのクールビューティな藍ちゃんが――」

「一体、何がどうなってるのでござる……?」

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 

 幽々子の説明はブタオを驚愕させた。

 ほんの僅かな邂逅で、ここにいる全員がブタオに対して好意に近い感情を抱いてしまっている事。

 一目惚れの様な感覚。明らかな異常。

 その原因はブタオが関係している事は間違いない。それを確かめる為に妖夢をけしかけた事。この事については妖夢も寝耳に水だったわけだが。

 

 しかし理由が分からない。

 

 ブタオが会得した【誰からも愛される程度の能力】が元凶ではないかとも思ったが、送った本人である紫からその可能性は無いと断言されている。

 

「……確かに、幻想郷に来る時に紫殿からそのような能力をいただいた記憶があるでござる」

 

 しかし、意識的に行う様な能力ではない為、今の今までブタオは失念していた。

 

「吾輩はてっきり相手と仲良くなれる様な……。会話が弾むようなそんな力だと」

「その認識で間違っていませんわブタオさん」

 

 紫がブタオの能力について説明する。単に癒やし系になる程度の弱い力であると。

 

「でも、それじゃ私たちの陥っている状況の説明がつかないわよね?」

 

 幽々子がここで茶々を入れる。

 しかしその茶々に誰も何も言わない。彼女の言っている通り、何も分からないのだから。

 

 

 紫たちは、一同にブタオの能力について仮説や推測を立てていく。

 

 ブタオは元々能力持ちで紫と接触、能力を与えられた事で眠っていた力が覚醒、変質したのではないかと言う説。

 守谷の巫女が良い例である。彼女は現代人でありながら能力持ちだったのだから。現代の人間でも能力を持っていても不思議はない。紫と接触した事で覚醒し、力が変質したとしても筋は通る。

 

 もしくは、ブタオの精神的な成長によって能力も一緒に成長したのではないかと言う説。

 異能の力は、精神の強さに依存する。心が成長するにあたり能力も強くなり応用が増えていく。その過程で相手を癒やす力から愛する力に成長したのではないかと言う説。これも考えられる説である。

 

 推測は幾つも立てられる。どの説も可能性としてはあり得る話である。

 

 

 

 しかし今更、原因を究明したところで何の意味があるのか?

 

 

 

 ブタオを除く一同はそれに気付いている。

 

 一番重要なのは、ブタオは他者を魅了する洗脳的な力を有し自分たちはその力の影響下にあると言う点。

 

 原因の究明よりも先に決めなければならない事がある。

 

 これからどうするか、だ。

 

 その事を最初に口にしたのは幽々子だった。

 

「ねぇ? ブタオさんの事だけど……これからどうしようかしら?」

「………」

「………」

「………」

 

 誰もその問いに応えない。視線を逸らすなりブタオを心配そうに見るなり口を開こうとしない。

 幽々子も誰も何も言わないだろうなぁと薄々気付いていた。

 これからどうするか、なんてもう“決っている”のだから。

 しかし、“ソレ”を実行するのはとても苦しい。ゆえに誰も答えない答えたくない。

 

 皆一同に苦虫を潰した様な苦しい顔つきになりブタオは不安げに周りを見渡す。

 

「あ、あの……。吾輩、一体どうなるのでござるか?」

 

 一同が解している中、ブタオだけは自分がどうなるのかを理解できなかった。

 不安げにあたりを見渡すブタオを宥めるかのように、紫は優しげな笑顔で答える。

 

「何も心配いりませんわブタオさん。私たちは、貴方に対してどうこうするつもりなんてありませんわ。――問題なのは、貴方ではなくて私たちの方なの(・・・・・・・・・・・・・・・)

「ぶひ? 紫殿達……? それは一体……」

 

 改めて尋ねるブタオに、紫は何とも答えにくそうな顔をしていた。

 しかしその顔はほんのり赤くなっており、何やら難しい話と言うよりは恥ずかしい話である故に話しづらそうな雰囲気であった。

 幽々子は、そんな恥ずかしそうにしてる紫に変わり代弁する。

 

 

「心地良いのよ。とても……」

 

 

 幽々子は儚げな笑顔で答える。ブタオはその答えに首をかしげるだけだった。

 

「ブタオさん。貴方は洗脳にも似た力があって、私たちはその影響下にいますわ。私たちは貴方の事を愛している。そして貴方に恋をしているというこの想いがとても心地いいの。明らかに異常だと分かってても手放したくないと思うほどに」

「そんな……。わ、吾輩はそんなつもりは……」

「分かってますわブタオさん。貴方に悪意はないって事くらい。でもこの想いはとても強くて……。今はこうして平静を装っているけど、内心は穏やかじゃありませんわ。貴方が好きで……。本当に好き……。滅茶苦茶にしたいくらいに……」

 

 荒い息遣い。幽々子は顔を発情させ、腕を組んで悶える。その目は野獣を彷彿させる様なものであり、ブタオはその恐怖と色気から思わず身震いした。

 幽々子は大きく息を吐いて平静に戻る。そして疑いの目を持って紫に問いただした。

 

「ねぇ紫。貴方、本当にレミリアにブタオさんの外泊許可を取ったの?」

 

 一同の視線が紫に集まる。紫は酷くばつが悪そうに冷や汗を流している。

 

「あ、あの……紫殿? レミリア殿は吾輩に楽しんで来いと言ったのでは……」

「ご、ごめんなさい。実はその……嘘なのよ。許可は貰ってないの」

 

 やっぱりか、と一同は紫に対して呆れる様なため息をつく。

 

「な、なぜその様な嘘を……」

「だ、だって……。貴方が凄く乗り気で、もし断られたらきっとショックを受けると思って……。レミリアには事後報告でも大丈夫かなぁって……。ごめんなさい」

 

 弱々しく言い訳をする紫にブタオはそれ以上問い詰める事が出来なかった。

 あんなにも行きたいとはしゃいだのは自分だ。断られたらきっと残念がる自分を思っての事だったのだろう。

 

「ブタオさん。紫のした事は最低な行為だけど、結果的に貴方は助かったのかもしれませんわ」

「ぶひ?」

 

 思わぬ幽々子の援護射撃にブタオは首をかしげる。

 

「どういう事なのでござるか幽々子殿」

「さっき言った通り、私たちはみんな貴方に誘惑されているわ。私たちよりも長い期間共に過ごしてきたレミリア達が貴方の能力に影響されないはずがありません。たぶんだけど、あの子たちはもう正気じゃないと思いますわ」

「な、何を言うのでござるか! 言うに事欠いて正気ではないなどとッ。いかに幽々子殿とは言え失礼でござるぞ! レミリア殿は、レミリア殿は……吸血鬼で……。誇り高い種族で……」

 

 次第にブタオ口調が弱まる。レミリアの事を思い返し幽々子に激昂したものの、身に覚えのある出来事がいくつも脳裏をかすめたからだ。

 

 あの満月の日の突然の吸血――。

 

 当時はそこまでレミリアとの交流はそれほどでもなかった。

にもかかわらず血走った目で突然襲われ――

 

(ま、まさか本当にレミリア殿……。では他のみんなはッ!? 咲夜殿はッ!? 美鈴殿はッ! フラン殿ッパチュリー殿はッ!?)

 

 興奮気味だったブタオの頭から血の気が失せ始める。

 嫌に冷たい汗が頬を伝う。

 

 まさか、そんなはずは――と。

 

 自分は成長出来たはずだ。肉体的にも精神的にも……。

 

 他人との関わり合いに悦を感じる事が出来るようになって――。

 

 他者とのコミュニケーション能力も上達して――。

 

 多くの人と仲良くなった。

 

 そんなはずは無い! 断じて無い! 今、連想している事が事実であるはずがないッ!

 

 彼女達が――。自分に良くしてくれたのは……。

 

(ち、違う……違うでござる。吾輩は、吾輩はそんなつもりは……ッ)

 

 ブタオはふと備え付けの鏡を見た。

 そこに映るのは酷く醜い容姿をしたブタの姿。

 誰からも愛されず、気味悪がられ接触されず、毎日のようにからかわれ大声で馬鹿にされてきた姿がそこにある。

 

 

 そうだとも。最初から分かっていた事ではないか。

 どうしておかしいと思わなかったのか。優しくされて勘違いしたのか。

 

 

 彼女達が自分に良くしてくれたのは、人としての魅力が増したからなどではなく――

 

 本当の本当は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洗脳されていたからだって(・・・・・・・・・・・・)

 

 

「うぐッ――おぼえええぇおろろろぉッッッ!!」

「ブタオさんッ!?」

 

 ブタオは吐いた。吐しゃ物と一緒に涙と鼻水まで流れ出る。一同はみんな驚愕し、すぐ隣にいた紫がブタオの介抱に回る。衣服に吐しゃ物が跳ね返ろうが構わずブタオの体を支える。

 

「ブタオさん。しっかりッ――」

「ち、違う……。違うでござる」

「え……」

「吾輩は、吾輩はッゲホゴホォッ――はぁッはぁ……そんなつもりで無かったのでござるッ! 吾輩はッ――ごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさいッごめんなさぁいッうげえええぇぇッ」

「ブタオさん……」

 

 紫はブタオの心情を察した。

 酷く残酷で報われない話ではないか。努力し自らの力で勝ち取った信頼の全てがまやかしだったなんて――。

 

 

 

 

 いや、違う。

 

(手にした信頼や愛情が偽物だった事に嘆いているんじゃない。彼は……。彼が本当に嘆いているのは――)

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい――。吾輩のような……()みたいな醜いブタを愛させてしまって――。ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 洗脳によって矮小な自分を無理やりに愛させてしまったと言う事実。

 他者に愛を強要させた事への罪悪感がブタオの心を蝕んでいる。

 

(ブタオさん……)

 

 そんな様子のブタオを見て紫は己を恥じた。

 ブタオに誘惑されている心地よさに浸り、この問題を解決する方法を知りながらも手を拱いていた自分を。

 

「ブタオさん。もう大丈夫ですわ。もう大丈夫ですから……」

「ゆ、紫殿……わ、吾輩、()は……」

「大丈夫ですわ。ブタオさん。全部、元に戻して差し上げますから」

 

 涙と鼻水でグチャグチャになった顔を上げ、紫の顔を見る。とても穏やかな表情だった。まるで泣きじゃくる童を宥める母親の様な――。

 

 

「――紫。想像はつくけど敢えて聞くわ。何をするつもり?」

 

 

 尻目の幽々子に紫は凛とした態度で語る。

 

「ブタオさんの持つ洗脳能力の一切を消し去るわ」

「………」

 

 幽々子も予想していた事のようで何も言わない。しかし幽々子の尻目は鋭く、不愉快さを隠しもしない。

 紫は、親友の見せた事のない表情に臆することなく語る。

 

「そんな顔をしたって駄目よ幽々子。ブタオさんに魅了されている今の状況に悦を感じるのは自由だけど、それはブタオさんの心を傷つけてまで得る快楽じゃない。私たちの邪な想いにブタオさんを巻き込んじゃ駄目」

「………」

 

 幽々子の表情は変わらない。だが雰囲気だけは明らかに圧が上がっている。殺気にも似たチリチリとした空気が紫と幽々子の間に漂う。傍にいる従者の妖夢と藍も冷たい汗が流れだし緊張が走る。

 しかし紫はその事を気にも留めず、優しくブタオと接するのであった。

 

「ブタオさん。貴方のその力は危険なものですわ。貴方の意思とは無関係に相手を魅了し洗脳するとても禍々しく歪んだ――これから貴方の内からその力を封じます」

「吾輩の力を……」

「ええ。それで誘惑された者が元に戻るかは分からないけど、大元を断てば時間が経つにつれて影響も薄くなっていくはず……。そうすれば全部元通りですわ」

「元通り……全部?」

「はい」

 

 元通り――

 目の前の女性はそう言った。

 

 元に戻る? 『元に戻る』とは何か? 何を元と言うのか……。

 

 昔の自分を元と言うのか

 あの誰からも愛されず必要とされず、自分を変えようとする気概も湧いてこず、ただ肥え太っていくだけだったあの時に戻るのか?

 

 

 

 

 誰からも愛されなかったあの頃に――

 

 

 

 

「貴方の影響を受けた者が少ない事は不幸中の幸いですわ。――さぁブタオさん。私の手を握ってください」

 

 そう言って紫はブタオに手を差し出す。

 母性に溢れる笑顔で手を差し伸べる紫の姿は――

 

 

 

 精神的に追い詰められたブタオの目には、酷く醜い“ナニカ”に見えた。

 

「――ひぃッ!」

「きゃッ!」

 

 ドンッとブタオは紫を突き飛ばした。

 お互いに信じられないと言った表情をしながら時間が凍る。

 

「ブタオ、さん?」

 

 紫が恐る恐るブタオの名を呼ぶ。

 ブタオは、フルフルと震えながら、今にも消え去りそうな辛い表情をしながら叫んだ。

 

「い、嫌でござる……」

「え?」

「嫌でござるッ! 吾輩は元になんか戻りたくないでござるぅッ!」

「ブタオさん何を言って――あ、貴方のその力は危険なものなの。誰もが貴方を欲するようになって……いつか自身の身を滅ぼす事になるのよ!?」

「いやだ嫌だイヤだッ! 元に戻りたくないッ! 愛に飢えたあの頃に戻りたくないッ!吾輩は愛されたいのでござるッ誰にも愛されないなんて嫌だぁッ!」

「ぶ、ブタオさんッ落ち着いて……ッ」

「紫殿は酷いでござるッ! 人の愛の素晴らしさを知った吾輩から愛を奪おうとしているでござるッ! こんなにも吾輩は愛されてるのに、それを奪おうとしているでござるッ!」

「ブタオさんッその愛は偽物ですわ。ブタオさんならそんな力に頼らなくたっていつか本当の愛を――」

「こんな醜いブタみたいな吾輩をッ誰が愛してくれると言うのでござるかッッ!!」

 

 ブタオはボロボロと大粒の涙を流しながら叫ぶ。自分の内にある今までの感情を吐き出すかのように。

 

「こ、この力があればみんな吾輩を好きになってくれるのでござる……。紫殿だって、吾輩に洗脳されているからそんなに優しいのでござろうッ!」

「違うッ! わ、私は――」

「この力があるからみんな優しくて……この力が無くなってしまったら、みんな吾輩をあの頃のような目で見るに決ってるでござるッあんな目で見られるのはもう嫌でござるッ!」

「ブタオさんッ貴方は変わったはずよ!貴方は成長したのッもう昔の貴方じゃないッ!」

 

 紫はそれ以上は言葉が続かなかった。

 どれだけ言葉を贈ろうとも、今のブタオには届かない。ブタオは今疑心暗鬼の塊になっている。

 心配そうに声をかけるのは洗脳されているからだと。力がなくなったらきっと嫌われると。

 紫自身、ブタオに対する感情が本当に洗脳によるものなのか分からない。

 だが彼は幻想郷に来て確かに変わったのだ。それを間近で見てきた自分にはよく分かるそしてブタオを心配するこの想いも本物だ。ブタオを危険な目に合わせたくない。この想いだけは本物の――

 

 泣きじゃくるブタオを前に、心を鬼にしてブタオの力を封じようと紫は歩み寄る。

 

 

 

 

 

 しかし瞬間――

 

 

 

 

 

「――え?」

 

 目の前にこの場に似つかわしくない“蝶”が視線を横切った。

 途端に紫の手足がマネキンのように動かなくなり、その場に倒れ込む。

 

「――か、かはッ!?」

 

 声が出ない。息もだ。脳に送られる血液が止まったかのように急激に思考能力が低下し目の前が暗くなっていく。

 

(な、何がッ い、息が、でき――)

 

 一体何が起きたのか。

 目の前のブタオも状況が把握できずにただ茫然としている。

 

 薄れゆく意識の中で紫は、その蝶の行き先を見る。その蝶は幽々子の指の上で止まった

 

「ゆ、幽々、子……?」

「酷いわよ紫。ブタオさんはあんなにも嫌がっているのに無理強いするなんて♪」

 

 一体何を言っているのか。

 親友の変わらない笑顔に、紫は言いようのない怖気を感じた。だがもう声が出ない、紫の意識は、そのまま闇の中へと消えていった。

 

 紫が倒れて時間的には一秒も経っていない。

 その間、ブタオを含め妖夢も藍も何が起きたのか把握できずただ唖然としていた。

 その中で藍はいち早く我に返り、自分の主人の名を叫ぶ。

 

「ゆ、紫様っ!」

 

 傍から見ていた藍は全部見ていた。幽々子が死蝶を発言させ、それを紫に送り付けたことを。

 

「幽々子様ッ! 紫様に何を――」

 

 藍は激昂し叫んだ――が、言葉は最後まで続かなかった。

 

 

 『――妖夢』と。

 

 

 ただ一言を幽々子は発した。白玉楼の主である幽々子のその一言は、唖然としている妖夢から迷いを無くさせ――

 

 無意識的にすでに妖夢は藍に斬りかかっていた。

 

「かッはッ――ッ!?」

「ご安心ください藍さん。みねうちです」

 

 だがただの“みねうち”であるはずがない。

 妖怪の鍛えた名刀“桜観剣”。人外に対し圧倒的な攻撃力を誇る刀でのみねうち。

 藍の体に深いダメージが刻まれる。足元がおぼつかず立っていられぬほどに。

 薄れゆく意識の中、目の前で佇んでいる妖夢を見上げその顔を見る。

 妖夢の顔は酷く平静なものだった。同じ従者として交友のあった者を斬りつけておきながらとても平静な――

 

「妖、夢……。お、お前……」

「ごめんなさい藍さん。でも、幽々子様は“コレ”を望んでおられる。そして私も……。ブタオさんへのこの想いを消させるわけにはいかない」

 

 妖夢の言葉を最後まで聞けたかどうかは分からない。藍もまた紫と同様に深い眠りに落ちていった。

 

 僅か数秒の間の出来事――。

 

 いまだにブタオは唖然としており、状況が追い付かない。

 目の前には倒れた紫の姿。生きているのか死んでいるのかも分からない状態で――

 ブタオは思わず紫に手を差し伸べようと腕を伸ばした。だがその前に幽々子はそっと近づいていた。

 

 彼女は終始笑顔で――

 親友を手にかけてなお笑顔だった。

 

「もう大丈夫ですわブタオさん。貴方からその魅力を奪おうとした悪い女は、私たちが黙らせましたわ」

「ゆ、幽々子殿……? ゆ、ゆ紫殿は……」

「心配には及びませんわブタオさん。紫は大妖怪ですもの。この程度で死んじゃったりしませんわ。――尤もちょっとやそっとじゃ目覚めませんけどね♪」

 

 幽々子は小さく指を鳴らすと、屋敷の外から何匹かの人魂がやってきて、倒れた紫と藍の二人を運んで行く。

 ブタオは、その様子を黙って見ている事しかできなかった。

 

 

「――さて、ブタオさんっ♪」

「ぶひッ?」

 

 幽々子はブタオの胸に飛び込み、頬をすりよせて来た。女性の膨らみと香りにブタオは断続的にクラクラさせられる。

 

「ゆ、幽々子殿ッ? い、一体何を……」

「野暮な事は言いっこ無しですわブタオさん。ここには男と女がいて、お互いに意識している。邪魔者もいなくなった。それでは何も起きないはずがありませんわ」

 

 幽々子の甘い香りにブタオは顔が沸騰するほど顔が熱くなった。鏡を見なくたって分かる。自分は顔が真っ赤になってると。

 でもそれは幽々子も同じようで、彼女もまた顔を紅潮させながら迫ってくる。それが一層ブタオの心を誘惑する。

 

 そんな二人を妖夢が指を咥えながら物欲しそうに見ていた。

 自分もして欲しい。そんな想いがダダ漏れだった。

 幽々子は、そんな妖夢を見て笑いながら手招きする。

 

「ふふ。妖夢。貴女もいらっしゃいな」

「ふぇッ? ゆ、幽々子様?」

「一緒にブタオさんに甘えましょう?」

「は、はいッ!」

 

 妖夢は持っていた桜観剣を投げ捨て、ブタオの胸に抱きついた。その顔はとても安心しきっていた。まるで親の胸元で眠りこける童子のように。ブタオの暖かみを全身で妖夢は感じ取っていた。

 

 少女二人が全身を密着させてくる。時折上目遣いされ目が合った時は、恥ずかしさでとても視線を合わせられない。

 

「ブタオさん。ブタオさんも……私達を抱きしめてください。ぎゅーって強く抱きしめて」

「幽々子殿……。し、しかし幽々子殿、貴女方のその想いは……ッ」

 

 少女二人に抱き締められている。本来ならば思い上がる程の幸せに違いない。しかし彼女たちのその想いは本物ではなく、洗脳によって無理やり創られた感情で――。

 その事実が、ブタオの手を幽々子たちに回せていなかった。

 葛藤しているブタオに、幽々子は優しく諭す。

 

「ブタオさん。私たちは今こうして貴方に触れててとても幸せよ? 洗脳されていると分かっていても本当に幸せ……。貴方は幸せじゃない? 気持ち良くないの?」

「いや、とても……嬉しいでござるよ。しかし――」

「ブタオさん。私たちは貴方を愛しているわ。とても深く……。もしも後ろめたさを感じているのなら、貴方も私たちの事を愛して。そして私達を強く抱きしめて。私達を幸せにして……。」

 

 たとえ自然な形でないにしろ、愛される事を互いが望んでいる。

 ああ。本当にどうしようもない。

 彼女達は洗脳されている事に気付いていながらその事に幸せを感じ――また彼女達が洗脳されていると知りながら、彼女たちの想いに嬉しさを感じるなんて。

 

 

 もうどうでもいい。

 

 

 真実の愛なんて分かりやしない。歪んでいても愛は愛だ。ブタオは腕を彼女たちの肩に回し強く抱きしめる。

 

「ブタオさん……」

「幽々子殿、妖夢殿……。わ、吾輩を……愛してくださるでござるか?」

「もちろん。だから貴方も……私達を愛して」

「大好きです。ブタオさん」

 

 熱い視線が三人の間に走る。誰からともなく互いを求め合った時――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界が切り離された(・・・・・・・・・)

 

「――ッ!」

「――これはッ!?」

 

 白玉楼が現世からも常世からも――いや、世界そのものから切り離されていた。

 真っ先に異変に気付いた幽々子と妖夢の二人は縁側に出て外を見上げる。月夜の明るい夜だったその空は、見た事もない魔法陣で埋め尽くされていた。

 

「一体、何が起きたのでござる?」

 

 異常に気付けなかったブタオは、二人に尋ねる。

 

 

 瞬間――

 

 

 白玉楼の入り口で大規模な爆発が上がった。地を揺らすほどの大爆発。遠目にも見えるほどの爆炎に幽々子は舌打ちして呟く。

 

「――紫の奴、もうちょっと上手くやりなさいよ」

 

 その呟きの後、白玉楼の卿内で怒号が響き渡った。

 

 

 

『八雲紫ッ! 西行寺幽々子ッ! ブタオを返してもらうぞッ!』

 

 

 

 その声は、ブタオにとっても忘れるはずもない。

 ブタオの主、レミリア・スカーレットの声だった。

 

 

 





・・・紫様しばらく退場です

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