東方偏執狂~ブタオの幻想入り~   作:ファンネル

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第五話 「……食べたい」

 

「わ、吾輩! いま猛烈に感動しているでござる! 親以外の女性の手料理など、生まれて初めてでござる」

「大げさな奴だな。こんなの大した事ないだろうに」

 

 この夜は、ブタオにとって人生最良の夜であったに違いない。慧音の様な美しい女性に食事を作ってもらっただけでなく、共に食卓を囲み舌包みをうちながら楽しい会話が出来ているのだから。

 舌包みの最中、慧音はブタオに何杯かの酒を勧めてきた。ブタオは結構イケる口であり、勧められた事もあってつい調子に乗ってしまった。そして案の定酔い潰れてしまう事になる。

 

「ぶ、ぶふぅ……も、もう飲め、んでござる……」

「結構イケる口だな。しかしもう限界か?」

「げ、限界でござる……。目が回るでござる……」

「それはいかんな。――どれ、部屋まで案内しよう。今日はもう遅いから、そのままおやすみ」

「きょ、今日は、何から何までありがとうでござる……。慧音殿には、感謝しても……しきれんでござる」

 

 自殺から始まり、紫に出会い幻想入りに至るまでの間、まだ一日しか経過していない。何と濃い一日であっただろうか。自分でも気付かず、ブタオの体は相当疲れていたようであり、酔っていた事も相まって布団に潜った瞬間にその意識を手放した。

 

「ぶほおおぉッ! ぶおおぉッ!」

 

 部屋を響かせるほどの大きないびきを出すブタオを見て、慧音は完全にブタオが眠った事を確認した。

 しかしそのまま部屋から出ていくこと無く、慧音はブタオのすぐ横で彼を見下ろしながら佇んでいる。

 

 ジーっと。見下ろしている。

 

 その顔は、すやすやと気持ちよさそうに眠っている子供を愛しむかのような優しいものでは決してなく――。

 

 罠にかかった獲物を値踏みしている狩人の様な――。

 

 部屋の中はブタオのいびきしか聞こえない真っ暗な空間。その中で慧音はそっと呟いた。

 

「……なぜだ?」

 

 それは言葉の返ってくる事のない自問自答。

 

「なぜ私は――『嘘』をついた?」

 

 慧音は思い返していた。ブタオに背信した事を。

 ブタオに金がない事を理由に同棲を勧めた。しかし現実は違う。

 

“ブタオは、金が無くとも生活できたのだ”

 

 人里には、幻想入りした外来人の為の宿舎が存在している。そこは基本無料で使用でき、幻想入りした外来人の殆どは、その施設で暮らしている。

考えてもみれば当たり前の事だ。幻想入りする人間は決してブタオだけではないのだから。たとえ金を持っていたとしても、彼ら外来人の寝泊まり出来る施設が無くては、保護なんぞ出来るはずもない。

 慧音は、ブタオにその宿舎を教えるだけで良かったのだ。

 

 しかし、慧音は嘘をついた。

 

 金がないからどこにも寝泊まり出来ない、と。

 

「どうして、私は……」

 

 慧音は己の内にある感情に戸惑っていた。 

ブタオを哀れと思ったのは間違いない。彼の為に出来うる限りの援助をしようと思ったのも本心だ。

 しかし恋仲でもない――今日会ったばかりの男に同棲を勧めるなんて普通はあり得るのだろうか? 自分は女でブタオは男である。明らかに普通から逸脱している。ブタオの言った通り、モラルが欠如している。

 

(分からない。どうして私はあんな事言ったのか。でも……)

 

 真っ暗な部屋も次第に目が慣れてくる。

 慧音はブタオの顔のすぐ横に座り、ブタオの顔にそっと手を置いた。

 

「ぶ?」

「――ッ!?」

 

 リズムに乗っていたブタオのいびきが止まり、慧音は、一瞬ブタオを起こしたかとたじろいだが、ブタオは再びいびきをかき始めた。

 

「だ、大丈夫か……お、起きてないよな……?」

 

 ブタオが起きていない事を確認し、ほっと慧音は胸を撫で下ろした。

 驚いたためか心臓が大きく脈打っている。気持ちを落ち着かせようと、深く呼吸するが一向に収まらない。むしろ不思議と気分が高揚してくるかのような。

 いつの間にか呼吸は荒く大きくなっていた。

 駄目だ。

 落ち着かない。落ち着けない。

 

(なんだこれは……。夜更けに男の部屋で何を――これでは夜這いではないか。私はこんなにもはしたない女だったのか? なぜ、なぜ私は……)

 

 こんなにドキドキしているのか。

 自分は半妖である。人間とは比べ物にならぬほどの長い寿命を持っている。人里の守護者としてずっと人間を守り続けてきた。寺子屋の教師も兼任し、数多の生徒を育て上げ、立派な大人に成長させてきた。人里の中には、一族三代揃って生徒となり、そして卒業した家もある。

 人間が好きだ。人間を愛している。

 しかしその感情は、恋愛と言う感情とはほど遠く、慈愛に近いものであったはずなのに。

 でもこの感情は――。

 

「ブタオ……」

 

 慧音は再び、ブタオの額に手で触れた。今度は慎重に花を愛でるかのように。

 今度はブタオは反応しない。眠り続けている。

 

(はぁはぁ……。ブタオ、ブタオ……ッ!)

 

 慧音は吐息がかかるほど顔をブタオに近づけた。ブタオの寝息が慧音の鼻をくすぐる。

 酒混じりの吐息。微かな男性の持つ汗臭さ。ブタオの匂いに満たされ、慧音は自らの高鳴りを隠せない。いつの間にか慧音は、顔を紅潮させ淫靡な笑顔を浮かべている。

 こらえ切れず、慧音は舌を出した。ネットリと滴るその舌でブタオの頬をなぞった。ほのかな塩気に慧音のタガは外れた。

 

 

(ブタオッ! 私はお前を知りたい。どうしてこんなにも私を狂わせる!? お前は一体なんだ? 彼を知りたい……知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい食べたい知りたい知りたい知りたい知りたい知りたい)

 

 

「ブタオ。お前の歴史が見たい……」

 

 慧音は自らの能力を発動させた。

 『歴史を喰う程度の能力』 それが慧音の能力。

 “食べる”と言う行為の前提として、慧音はその歴史を知る事が出来る。有り体に言えば、他人の過去を見る事が出来る。

 慧音は、この能力を人間を守るためにのみ使ってきた。一つ使い道を誤れば、この能力は他人の過去や記憶を閲覧する事ができ、それを喰う事でそんな過去など無かった事に出来る。記憶操作どころの話ではない。過去と言う歴史そのものを改竄する危険な能力。今までとして、緊急的な場面以外で使用した事は無い。まして自分の知識欲を満たすために許可なく、その者の過去の歴史を覗き見るなど、あまりにも無体と言うもの。

 

 危険な能力であるが故、自らを自制してきた。

 だが己を律し続けた堅子な理性はもうどこにもない。

 

「――見える。これが、ブタオの歴史……」

 

 慧音の脳髄に、ブタオの過去の歴史が流れていく。

それは走馬灯に近い速度であった。ブタオの三十数年間と言う過去の歴史が、慧音の全身に流れ込む。まるでブタオと一つになったかのような感覚に慧音は酔いしれていた。

 

 ブタオの過去――。

 

 それは何と哀れなものか。誰からも愛されず必要とされず。何のために生きているのか意義すら見つけられず。物語の世界に没頭し、夢想にふける事が苦しみから逃れられる唯一の手段。

 卑屈で甘ったれで――何て絶望的なものか。

 ブタオはこんなにも絶望していたのか。こんなにも自分が嫌いだったのか。八雲紫の言葉でこんなにも救われたのか。

 

「すごい……これが、これがブタオの歴史。何と酷いものか。何と哀れなものか。そして――」

 

 何と美味そうな。

 

 憐憫と絶望のスパイスに彩られたブタオの歴史。一体、どんな味がするのだろうか。

 

(はぁッはぁッ! 知りたいッ! どんな味がするんだろうッ!? いや、待てッ……歴史を食べてしまえば、その過去は無かった事になるのだぞ! 駄目だッ!駄目だ駄目だ駄目だッ! 記憶の改竄なんてッ過去の改竄なんてッ! 私にそんな権利は無いッ! でも、知りたい……食べたいッ! ちょっとだけでも)

 

 慧音の欲望は、今にもはち切れんばかりに膨張していたが、最後の一線だけは踏みとどまっていた。

 人の歴史を喰う事は、ブタオから過去を奪う事。

 過去が未来を作り出すと言う言葉がある。その過去を奪うと言う事は、ブタオの積み重ねてきた人生そのものを奪うと言う事と同義だ。

 

(わ、私は何を考えているんだ!? ブタオの歴史を勝手に見ただけでなく、それを食べたいなどと……) 

 

 理知的に倫理感を元として慧音は踏みとどまっていた。しかしその彼女の倫理観はあらぬ方向へと彼女の意志を引っ張っていく。

 

(そ、そうだ! ブタオは、こんなにも悩み苦しんでいるんだ。こんな残酷な過去はむしろ消してやった方が……。そうだ。これはブタオの為だ。こんな歴史はブタオには必要ない。必要無い必要無い必要無い。だから……ちょっとだけ……彼を助けるために!)

 

 ブタオを助ける為に。そう自分に言い聞かせ――

 

 

 慧音はブタオの歴史を喰った。

 

 

「――ッ!?」

 

 人の歴史とはどんな味なのか。そもそも味などあるモノなのか。大抵の人はそう思う事だろう。

 しかし慧音には分かる。人の歴史の味が。

 そしてブタオの歴史の味は――この上なく美味であった。

 

(な、なんだこれはッ! う、美味いッ美味すぎるッ!? こんな歴史は今まで食べた事がない! こ、コレが……ブタオの歴史か!?)

 

 ブタオが学校で苛められた歴史。長い間、苛めが続いていたようで、その味はとても熟成されたものだった。

 高校受験に失敗して落ち込んでいた時の歴史は、驚くような味だった。たぶん本人もこの時は驚いたのだろう。

 滑り止めの高校で不登校となり中退した時の歴史は、深みがあってまろやかな味わいだ。

 

 慧音は、ブタオの苦しんだ時の歴史を喰った。

 喰って喰って喰って喰って――その表情は恍惚としたものへと変わっていった。

 

(こ、これはブタオの両親が死んだ時の歴史か。そうだな。この親どもはブタオを導きもせず、ずっと放置していたクズ親だ。こんな親の記憶もいらないよな。うん、喰った方が良い)

 

 これはブタオを助ける為。再度自分に言い聞かせて歴史を貪る。

 そして満足いくまで、ブタオの歴史を喰った慧音は、荒い息遣いをして、顔を真っ赤に紅潮させていた。ほんのりと汗を湿らせ、妖艶な表情をして悦に浸っていた。

 

「ブタオ……」

 

 すぐ横には寝息を立てているブタオの姿がある。

 慧音はブタオの額に、口づけをした。その後、ブタオが起きないように小さく、それでいて耳元で囁いた。

 

「こんな気持ちになったのは生まれて初めてだ。お前のせいだぞ。責任を取れ」

 

 自身の内にある、ブタオに対する感情。慧音はこの感情が分かってしまった。これは女が男にする恋慕の情。

 自分はブタオに恋をしている。

 きっかけは分かららない。だが最早きっかけ等何の意味も持たない。ブタオを愛してしまっていると言う結果が既に出てしまっているのだから。

 

「ブタオ。私はお前を愛している。お前は、私のモノだ」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「ぶっふぅ~ッ! 爽やかな朝でござる!」

 

 実に清々しい朝であった。起きた時の気だるさがまるでない。まるで体に取り憑いていたものが抜け落ちたかのよう。生まれ変わった様な気分であった。

 

「ブタオ。起きた様だな。入っても良いかな?」

 

 襖の奥から慧音の声が聞こえてくる。ブタオは慧音を部屋に向かい入れた。

 

「おはようでござる慧音殿」

「おはよう。朝食を用意した。準備が出来たら居間に来てくれ」

「おお! ありがとうでござる。すぐに準備するでござる」

 

 朝起きて、綺麗な女性とあいさつを交わすだけでなく、朝食まで用意されている。これはまるで夢にまで見た夫婦生活のようだ、とブタオは頬を緩ませながら上機嫌で準備を進めた。

 準備するブタオを後に、慧音は居間へと向かおうとするが、何かを思い出したかのようにブタオに問いただした。

 

「あ、そうだ。ブタオ。突然の質問で悪いのだが――」

「ん? なんでござるか?」

「君の両親の名前を教えてくれないか? 昨日の話の続きで気になってな」

「昨日でござるか? いや、しかしそんな話等したでござるか? 吾輩には“両親なんていない”でござるぞ?」

「おや。私の勘違いだったようだな。すまないな、忘れてくれ」

 

 慧音は満足げにブタオの部屋を後にした。

 突然の質問の意図が良く分からず、ブタオは首をかしげた。

 

「変な慧音殿でござる。吾輩には親は居ないのに――ん? あれ? そう言えば――」

 

「吾輩、親がいないのにどうやって生まれたでござるか?」

 

 




 

 ブタオさんの歴史は喰われ、記憶の欠落が発生しました。
 これもブタオさんを救うためだからしょうがないですよね(ゲス顔)

 上白沢慧音の能力について、かなりの独自設定があります。
 二次創作だからしょうがない。うん。
 
 次回もよろしくお願いします。

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