「だ、大丈夫でござるか?」
「ふえ?」
傘を差し出すブタオと雨から助けてもらったフランドール。互いに何事かと現状を把握できずにいた。
ブタオにしてみれば、突然少女が悲鳴を上げて泣き叫んでいるし、フランドールはどうして妖怪の自分を人間が助けてくれるのかと不思議に思った。
暫くの間、二人は見つめ合い続けたが、フランが小さく礼を言った。
「あ、ありがとう……」
「あ……えと……どういたしましてでござる」
「……」
「……」
また始まった無言の見つめ合い。 さすがにこの沈黙の空気は居心地が悪いと思ったのか、ブタオは恐る恐る尋ねてみた。
「その……一体どうしたのでござる? 何があったのでござるか?」
「えと……私、雨に弱くて……。木の下に避難してたんだけど、水しぶきが激しくて……」
「雨に弱い?」
一体どういう事かと頭をかしげていると、ふと少女の背中から枝の様な何かが生えているのが目に映った。何かのアクセサリーかとも思ったがこんなアクセサリーあるのだろうか? と、この時ブタオは間抜けにもそんな事を考えていた。
「私、吸血鬼だから……。雨に打たれると火傷しちゃうの」
「ぶひ? 吸血鬼?」
「う、うん。吸血鬼――あ」
無意識的に理由を話してしまったが、ここでフランは大きく後悔した。思わず、あッと声に出してしまうほどに。
(うわ、どうしようッ! なんで私、自分が吸血鬼だって言ったしッ!? や、やだ……もしも今この人に離れられたら……)
吸血には人間の血肉を貪り、生き血をすする典型的な人喰い妖怪の一種。人にとっては天敵に等しい存在。そんな存在に誰が近寄りたがろうか。尻尾を巻いて逃げるが普通である。
今ブタオに逃げられたら、確実に雨に打たれる。もしくはこの状況が利用されて、弱っている所を嬲られるかもしれない。フランの頭におぞましい可能性がグルグルと回っていた。
しかしどうした事か――
吸血鬼だと知っても目の前の男は、逃げない。それどころか、
「きゅ、吸血鬼!? 真に吸血鬼なのでござるか!?」
「はえ? えと、う、うん……」
「凄いでござる! 吾輩、この幻想郷に来て初めて妖怪に出会ったでござる! しかも吸血鬼とはッ! 感激でござるッ!?」
「え? え? え?」
燦々と目を輝かせ、子供の様なはしゃぎ様である。その様子は決して吸血に怖れを抱く様なモノではなく、あこがれの存在に出会ったミーハーなファンの様。
そんなブタオの様子に、フランはたじろいだ。
(え? 何この人。私吸血鬼なのに、なんで怯えないの? 怖くないの?)
たじろぐフランに気付いたのか、ブタオははっと正気に戻った。今のこの状況――客観的に見て、巨漢の自分が小さな女の子に迫っているようにしか見えない。ブタオは少し焦りながら弁解した。
「す、すまんでござる! 吾輩、吸血鬼に出会うのは初めてで……そのつい歓喜してしまって……。驚かせるつもりはなかったのでござる。本当でござるぞ」
「え、あ、うん……」
「吸血鬼でござるか。と言うとその背中に付いているのは本物の羽でござるか? 随分変わった形をしているでござるが」
「ほ、本物だよ?」
「あ、自己紹介がまだだってござるな! 吾輩、ブタオと申す者でござる。良ければ、名前を聞かせていただけぬでござるか?」
「――フラン。フランドール・スカーレット……です。はい」
「フランドール……。フラン殿と呼んでも構わぬでござるか?」
「う、うん」
少しは落ち着いた様子ではあったが、それでも興奮を隠し切れていない様で、やはり子供の様にはしゃいでいる。あれこれ質問をするブタオに、フランは恐る恐る聞いてみた。
「ね、ねえ。私の事、怖くないの?」
「怖い? 怖いとは一体どういう事でござるか?」
「だって、私吸血鬼で……人の血を吸うんだよ? 人を襲うんだよ?」
フラン自身、どうしてこんな事を確認するのか分からないまま問うた。吸血鬼の恐ろしさを確認させて、もしもブタオが恐怖しここから居なくなったら自分は本当に融けてしまうと言うのに。しかしブタオは首をかしげながら答えた。
「だって吸血鬼ですぞ? 吸血鬼と言えばファンタジーの王道。数々の創作物で主役かそれに準ずる立場に必ずなる存在。吾輩からすれば恐怖の対象と言うよりは、信仰の対象でござる」
「信仰って……私たちは人を襲うんだよ? 人間を餌扱いしてるのに……」
「吸血鬼が人を襲うのはあくまでも食事目的でござろう? そういう存在なのだから仕方がないと思うのでござるが……。むしろ生物全体からみれば、吾輩たち人間の方がよっぽど他の生き物の命を貪っていると思うのでござる」
「あ、あはは……」
フランは引きつった顔をして、乾いた笑いをする。
目の前に居るこの男は、今まで出会ってきた人間達とは違う。根本的に何かが違う。説明できないけど決定的に違う。
たぶん理屈ではないのだろう。ゆえに理屈でものを言っても無意味なのだろうと、フランは考えるのを止めた。目の前の男が他の人間と違う。その事実だけ把握できていれば良かった。
「おじ様って変わった人ね。普通なら吸血鬼って聞けば、みんなウサギさんの様に逃げるのに。うふふ」
今度は自然に笑えた。不思議と今のこの状況が愉快に思えてくる。激しい雨に打たれかけていると言うのに。
「ねぇおじ様。おじ様ってもしかして外の人?」
「外来人と言う奴でござるな。そうでござるよ」
「やっぱり。他の人達とは違うなって思った。――ねぇおじ様。雨が上がるまで一緒に居てくれない? 私、吸血鬼だからさ、雨とか流水が駄目なの」
「勿論良いでござるぞ」
「やった。ねぇおじ様、暇つぶしにさ、外の世界の話とかしてよ。外の世界の物語とか。吸血鬼も出てくるんでしょ?」
「勿論でござる! 吾輩に語らせたら一晩では終わらぬでござるぞ。そうでござるな、吾輩の国にはライトノベルと言う物があって――」
二人は木の下で傘を前に出しながら腰かけ、和気藹々とラノベの話で盛り上がった。ブタオは大好きなラノベを熱く語り、フランはその熱と話に魅入られていた。
すぐ目の前には雨が迫っていると言うのに、そんな恐怖はどこ吹く風か。二人とも、今この時この瞬間をとても幸福な時間だと感じていた。
フランは、すぐ隣でラノベなる外の世界の物語を熱く語るブタオを見て、とても温かな気持ちになっていた。
(なんでだろう。お外は雨が降っているのに、全然寒くないや。むしろ温かい……)
熱くラノベ語りをしているブタオをちらりと横目で見ると、ちょうどブタオもこちらの方を見ていた。
「――ッ!」
その時フランの胸がドキリと大きく高鳴った。とっさに視線を外しブタオから顔をそむけた。
(な、何今のッ!? この人と目があったら急に胸が高鳴って……す、凄く顔が熱い)
「フラン殿。どうしたのでござるか?」
「ふえ?」
さすがに挙動が不審であったのか、ブタオは何事かと尋ねた。フランはテンパりながらあたふたと答えた。
「あ、いやその……ちょ、ちょっと肌寒いかな~なんて。あ、あははは……」
「ふむ確かにでござるな」
フランは、なんとか誤魔化せたかとほっと一息ついた。その横でブタオが羽織っていた肩掛けをフランに渡し、笑顔で言った。
「この肩かけを貸すでござるよ。少しはマシになると思うでござる」
「え、だってコレおじ様の……。おじ様は寒くないの?」
「だてにメタボではないでござるぞ。この程度の気温、へっちゃら――ぶひっくしッ!」
「……」
「……」
紳士らしく肩かけを貸そうと思ったが、まるで決まらなかった。間抜けなクシャミで二人の間に僅かな沈黙が流れた。しかしその沈黙はすぐに笑い声に変わった。
「ぷ……うふふ。おじ様も寒いんじゃない」
「ぶふぅ。紳士の様に格好良く渡そうと思っていたのに……。情けないでござる」
「紳士ってビジュアルじゃないよね。おじ様には似合わないよ」
「容姿の事は言わんでくだされ。顔は豚でも心は紳士なのでござる」
「うふふ。でも凄く嬉しかったよ。ありがとね、おじ様!」
「ッ!?」
天使の様なフランの笑顔に、ブタオはドギリとしてしまった。しかし胸を高鳴らせたのはほんの一瞬。すぐに彼は冷静になり、念仏を唱えるように頭の中で猛省していた。
(か、可愛いでござる! しかしいかんでござるッ吾輩は何をドギマギしているでござるか!? こんな小さく無垢な少女に劣情を催すとはッ! 吾輩は顔は豚でも心は紳士ッ! YESロリータNOタッチッ! でござるッ!)
この間、僅か0,2秒。何とか、ニチャァ…とした笑顔で誤魔化す事が出来た――
はずであった。
ブタオは自身の劣情を理性で抑えられた。そのはずだったのに――
「ほらおじ様。こうすれば二人とも温かいよ」
「ふ、フラン殿ッ!?」
フランがブタオの股の間に腰かけ、背中を体に預けてきたのだ。
フランの柔らかな髪が鼻先をかすめ、甘ったるい香りが鼻孔をくすぐる。さらにそのうなじからは、フランの小さな体からは考えられない様な妖艶な色気があった。
それはロリコンと呼ばれる人種からすれば、絶命はまぬがれぬ破壊力を秘めていたであろう。しかしそれでもブタオは慈愛に満ちたニチャァ…とした笑顔をしながら言った。
「ぶひひ。フラン殿は甘えんぼさんでござるな」
しかし内心はこんな感じであった。
(ふおおおぉぉぉッ! はわわわッ! これはヤバいでござるッ! こんな体を、密着させ……ぶひいいぃッ! そ、素数を数えるのでござるッ! 2、3、5、7、11――)
対しフランも、無邪気な子供の様に頬を膨らませ、
「もう! 私は立派なレディなんだよ。子供扱いしないで」
と子供らしい小さな癇癪を起して言った。しかし彼女の内心もこんな感じであった。
(ひええぇぇッ! あわわわッ! なにこの格好ッ凄く恥ずかしいッ! こんなに体くっつけて……ッ。やだッ絶対にばれる。心臓バクバク言ってるッ! 背中から絶対に気付かれちゃうッ)
顔をブタオから背けているので何とかばれずにいるが、フランの顔は火が付いた様に熱く、また真っ赤に染まっていた。
二人は暫くの間、黙りこくっていた。互いに冷静さを取り戻すのに暫くの時が必要であったのだろう。雨の音だけが二人の空間を包んでいた。
暫くして――
ようやく、二人とも冷静になっていた。尤も冷静になっただけで体の火照りと羞恥心だけは火鉢の様に熱を灯しているわけではあるが。
いつの間にか、ラノベ談義は終わっており、二人は身を寄せ合いながら静かに雨が上がるのを待っていた。時計は無く、太陽も今は雨雲に隠れている。おおよその時間も分からない薄暗い空間ではあるが、結構な時が経ったのであろう。雨足がかすかにだが弱まってきたのだ。
そんな中でフランは思う。
(雨が弱くなってきた。――なんでだろう、早く上がってほしいって思っていたのに、今はまだ、もう少しだけ降っていてほしいって思ってる)
ふと頭の中で過った疑問。しかしその答えを既にフランは見出していた。
もう少しだけブタオと一緒に居たい。その答えを。
フランは少し態勢を崩し、よりブタオに寄りかかる様な形で密着した。耳元がブタオの胸元に触れて、彼の心音がはっきりと聞こえてくる。自分と同じくらいドキマギした高鳴りを。
「おじ様?」
「ん? どうしたでござるか?」
「おじ様って、凄く温かい……」
「はは。そうでござろう。メタボは脂が乗っているだけに、体温維持だけは秀でているのでござる」
ブタオの声は子供と接するかのような優しい声であった。しかし、その胸の高鳴りからフランはブタオの内心を知る。
(おじ様、凄い鼓動……。耳元まで心音の振動が伝わってくる。――なぁんだ。おじ様も私と同じくらいドキドキしてるんだ。ふふ)
恥ずかしいのは自分だけじゃない。ブタオも自分を子供扱いしている節があったが、やっぱりどこかで自分を異性として感じている。
子供ではなく一人の女性として見られている。その事実が――フランにこう言わせた。
「ねぇ、おじ様」
「どうしたのでござるか?」
「私――おじ様の血を飲みたい」
ここまで読んでくださり誠に感謝です。
フランちゃんに、ブタオの事をなんて呼ばせよう・・・。
この話を書いていて最も悩んだ部分です。
フランちゃんのような妹キャラに『お兄ちゃん』もしくは『お兄様』と呼んでもらうのは、凄く心にくるものがあるのですが、『おじ様』も捨てがたかったのです!
どうしようと悩んだ末に、私はダイス神にすべてを委ねました。
悩んだときは神頼みというのも良いですね。
次話もよろしくお願いします。