「せんせー! 理由はわかんないけど、帰りにバナナを買うといーよー! きっと運気が上がるよ! じゃ、さよならー」
澪の走る姿を見送った神々廻誠は、深いため息を吐いた。
「なんでバナナ……?」
(……マスターは生徒に慕われているようだな)
ラーマの声が頭に響いてきた。ハッとした誠は背筋を伸ばしてあらたまる。
「これは慕われていると言うんですかね……?」
(少なくとも余は慕われていると感じたぞ? さきほどの子は自然体で話していた。警戒心や敵愾心のようなものがないということだ。ある程度の信頼関係を築いていなければ、こうはならないだろう)
ただ単に、舐められているだけなのでは? 警戒するほどの相手ではない、ということでは? そういった言葉はなんとか飲み下した。
「……まぁ、さっきの子は――七次は、ちょっと変わった子ですからね。それはそうと、今朝の話の続きをしましょうか」
(忙しそうに見えるが、よいのか?)
(こうして念話もできることですし、歩きながらでしたら少しは。今日のところは、頭を使うような仕事は残っていませんからね)
とは言いつつも、誠にはやるべきことと考えるべきことが山ほどあった。聖杯戦争のことはもちろん、破損した家のことや仕事のこと。頭の痛くなる現実を直視したくなかっただけだ。
職員室へと向かうべく、廊下を歩み進んだ。
(そうか。ならば、遠慮なく聞かせて貰おう。マスターは魔術師ではないと言ったな? 聖杯戦争についての知識はどれだけあるのだ?)
(おそらく、最低限の知識は持っているかと……最終目標も知っています)
(うむ、なるほど。では聞こう。この聖杯戦争をどうやって勝ち抜くつもりだ? 戦略や策はどんなものを用意している?)
(あー……戦略ですか……策ですか……)
(生半可な気持ちで聖杯戦争を勝ち抜いていくことは難しい。むしろ、死を伴う脱落すら考えられる)
死を伴う、という言葉に背筋が凍る思いをした。聖杯戦争というのは殺し合いすら行われる儀式。そういう認識と知識は持っていたが、実感は湧かなかった。ラーマの力ある言葉によって、初めて意識することが出来たのだ。
(いや、その。正直に申しあげて、なにも考えていないです……戦うための用意もありません……というより、その、サーヴァントの召喚は勢いでやってしまって……)
(ほう、勢いか。聖杯戦争の恐ろしさを知りながらも、後先を考えずにサーヴァントの召喚を行ったのか。それだけ叶えたい願いがある、ということだな?)
誠の足がピタリと止まった。
願い。
誠は考える。
(……僕の場合、願いというよりは……あなたを……ラーマーヤナの主役たる、ラーマ王を召喚したかっただけかもしれません)
(余を召喚したかった、
(僕はあなたに直接聞きたかっただけなんです。あなたが愛する女性を救おうとした時、どんな気持ちだったのかを。それを知りたかったんです)
誠はラーマが即座に答えてくれるだろうと予想していた。現代に伝わるラーマーヤナの物語通りであるのならば、誠が欲する言葉を与えてくれると信じていた。
しかし、いくら待ってもラーマからの返事がない。誠は不安になった。
(あの、ラーマ様?)
(……ああ、すまない。うかつにも、少し想いを馳せていた。あの頃の余の想いは、一言では言いあらわせなくてな。語れば長くなりそうだ)
(そ、そうですか……それなら、家に帰った時にでも、ゆっくり聞かせて貰えればと思います)
(うむ。それが良いだろう)
(すっかり話が脱線してしまいましたね。ええっと、聖杯戦争の話でしたよね)
誠が聖杯戦争について考えようとした時、不意に「おーい、誠くーん!」と、自分を呼ぶ声が届いた。
油断していた誠は、心臓が飛び出るんではないかと思うほど驚いた。
(すみません、ラーマ様。また後ほど……!)
(うむ、余はかまわないぞ)
慌てて声の方向を見ると、宮崎ローランドが手を振りながら向かって来ていた。
「ローランド先生! 部外者が勝手に入ったらダメですよ」
「ちゃんと許可は取ってるよ」
受付を訪ねたのだろう。来客者であることを示す名札をピラピラと見せつけた。
「ローランド先生がアポなしで来るなんて珍しいですね。初めてのとき以来じゃないですか?」
「いやー、アポを取るのちょっと失念しちゃってたよ。面白そうなネタがあってね。早く誰かと共有したかったんだ。というより、誠くんに伝えたくってさ」
「俺に?」
ローランドは口元を緩めた。
「ここ、春戸市の南側には何があるか知っているかい?」
「春戸市の南側? 梨畑がほとんどでしょう? 他に何かありましたっけ?」
「うん、その通り。梨畑や田畑とかがほとんどだ。農家が多いね。手を付けていない余った土地もかなりある、という感じかな? その中に、外国人が住み付いている場所がチラホラあるんだ。彼らはスクラップの売買や中古自動車の修理、販売。故郷の料理の店を開く者もいれば、勤め人もいる。様々な形で生計を立てている。そうそう、外国人の国籍も色々で、ホントに多くの――」
「よく調べてますね。でも、ローランド先生。今日はちょっと、やること多いので……」
誠は話を切り上げ、立ち去ろうとした。急いでいるように装って脇を通り過ぎたが、すぐさまローランドに回り込まれた。
「おっと、ごめんごめん。つい興奮しちゃってさ。手短に、手短にね。実は、その外国人の中に魔術師が紛れ込んでいるんだ。そのうちの一人が僕の知り合いでね」
「……それは初耳です」
「言ってなかったっけ? まぁいいや。噂の聖杯戦争の件も、彼らから聞きだした。そして今日、新しい情報を貰ったんだけど……それが面白いことになってきたんだ」
「面白い?」
ローランドは子供のように無邪気な笑顔を作った。
嫌な予感がする。誠は少し身構えた。
「春戸市の南側。梨畑のすぐ横。林に囲まれた、とある一軒家。築三十年を過ぎているそうだ。十年近く前だろうか? そこに若い夫婦が越してきた。奥さんの姿は引っ越し作業をした時に見かけたのみ。それ以来、外出した姿を見たことがない。旦那は外国人。近隣の住人とは、ほぼ交流がなく――」
「あの……その話、すでに長いんですが……」
「オーケーオーケー。わかってる。要約すると、その怪しい家の住人が聖杯戦争のマスターかもしれないっていう情報を貰ったんだ」
「聖杯戦争の……?」
「理由はいくつかあるんだ。家主である旦那が活発に動き始めたこと。家の周辺で異様な魔力の気配を感知したこと。あとはなんだっけ? とにかく情報をまとめると、聖杯戦争のマスターである可能性が高い」
「随分と不確かな情報ですね」
「でも、虚言であると断定はできない」
ニヤリとローランドが笑った。心の内側を見透かすような目つきだ。ほとんど反射的に誠は視線を外した。
「……それだけをわざわざ伝えにきたんですか?」
「いやいや、まさか。はい、これ」
ローランドは四つ折りの紙を差し出してきた。誠は思わず受け取ってしまう。
「なんですか、これ? 住所?」
その瞬間、誠はハッとした。彼が
「件の魔術師と思われる夫婦の家の住所だよ」
「いや、こんなもの押しつけないで下さいよ」
「今度、暇な時でいいから一緒に行ってみようよ? なんだったら、先に一人で様子を見にいってもいいよ?」
「肝試しみたいなノリで言わないで下さい」
「それじゃ、用事は以上だから。また今度!」
「ちょっと! ローランド先生!」
ローランドは手を振りつつ、にこやかに去っていった。誠は特に追いかけもせず、呆れ気味にため息を吐いた。
(どうやら、今後の方針は定まったな。その魔術師とやらの工房に出向くとしよう)
(真偽も定かではないですけど……)
(外れなら仕方なし。当たりならそれでよし。仮に罠だったとしても、突破すれば良いだけのことだ)
ラーマの言葉からは自信が溢れていた。情報の真偽を確かめるだけでなく、その先の展望まで見通しているのだろう。例え戦闘になったとしても、勝ち抜く算段もすでに用意しているのかもしれない。誠にそう思わせるだけの力があったのだ。
(それより気になるのは……先ほどの人物はマスターの友人か?)
(うーん……友人と呼ぶほど深い関係ではないと思いますが……)
(そうか。マスターの交友関係に難癖をつけるつもりはないのだが……さっきの男には用心した方がいい。嫌な気配がした。魔術師とも違う。言い表しようのない、不気味な気配だ)
(嫌な気配、ですか……?)
(ほとんど直感だよりなのだがな。不快にさせてしまったのなら、すまない。しかし、これは余の……マスターの身を案じるサーヴァントとしての、重要な忠告だと受け取って欲しい)
重みのある口調でラーマは言い切った。
ローランドとの付き合いはそれなりにある。変わった人物だとは思ったが、危険な人物だと思ったことはない。しかし、サーヴァントであるラーマの直感も無視はできない。誠は戸惑いながらも、返答をした。
(……わかりました。一応、気を付けてはおきます)
(うむ。そうするといいだろう。ところでマスター)
(はい、なんでしょう?)
(帰りにバナナは買っていくのか?)
「はい?」
思いもよらぬ問いかけに、誠はつい口を出してしまった。
(サーヴァントは基本、食事を摂る必要はない。だが、気分転換や士気向上には繋がる。まぁ、気分の問題だから無理して購入する必要は一切ないが……)
とは言いつつ、買って欲しいということが伝わってくる。
良くも悪くも、ラーマの発言には感情が乗りやすいのかもしれない。聡明でありながら純粋さを持ち合わせた人物であると、誠は評価した。
(け、検討しておきます)
(うむ、そうか! よろしく頼むぞ、マスター)
嬉しそうにラーマは言う。話せば話すほど、少年らしさが垣間見えた。もしかすると、ラーマの精神性は生徒たちと近いのではないだろうか? と誠は思ってしまった。
それは、とても口には出せないことだ。胸の奥の方にしまい込み、今日の献立でも考える。再び現実逃避を計ったのだった。