四月二十日。月曜日。二十一時。
ごく一般的な二階建ての一軒家。木々が壁のように囲い、それをさらに石塀が囲う。家の姿を見るには、門の前から覗くしかないだろう。近くに民家は見当たらない。一番近くて百メートルは先だろう。
門の前には道路が横に伸びている。車二台がやっと通れる程度だ。舗装されてはいるものの、それなりに劣化が進んでいた。かなりの年月が経っているのだろう。
道路を挟んだ反対側に電柱がある。防犯灯の真下に、彼女がいた。パウラ・シュペーアだ。
彼女はジッと一軒家を見つめている。思い詰めたような顔つきをしていた。
「パウラよ。いつになったら踏み込むつもりだ」
パウラのすぐ後ろにランサーが出現した。彼女は眉間にしわを寄せて、振り向いた。
「この異様な魔力の気配。確実にサーヴァントがここを根城にしている。貴様自身、それなりの下調べをしていたのだろう? 確信したからこそ、ここまで来たのであろう? 今更、迷う必要はあるまい?」
「迷ってはいません。ただ私は、あなたの心配をしているのです」
「
怒気を孕んだ声音でランサーは言う。
パウラは気圧されて一歩だけ退いた。顔色は悪くなり、心臓が高鳴る。しかし、なんとか踏みとどまる。彼女にも譲れないものがあったのだ。
「ランサー、誤解をしないでください。実力ではなく、あなたの気性が心配なんです」
「気性だと? それこそ心配することなど、なにも――」
「あなたは今朝、無断でセイバーと交戦しました。それも、私が仮眠している間、勝手に!」
「……興が乗っただけだ」
「相手の陣地内で興に乗られても困るんです!」
やれやれ、とでも言いたげにランサーはそっぽを向き、ため息を吐いた。
パウラは深呼吸をしてから、ランサーに詰め寄る。
「いいですか、ランサー? 私たちは
「分かっている。理解している。貴様の方針に背くことはしない。これでよいだろう?」
ランサーは投げ遣りに答えた。これ以上の譲歩はありえない。そう判断したパウラは気持ちを落ち着かせた。
「……私の信頼を取り戻してください、ランサー」
「造作ない」
二人は踏み出した。門を通り抜け、家の玄関前までやってきた。なんら異常を感じないことに、パウラはかえって不安を覚えた。
「結界がありませんね……まるで無防備です」
「だが空気は重い。気を抜くな」
ランサーは気付いていた。相手は、すでに戦闘態勢に入っている。
玄関は金属製の引き戸だ。パウラは軽く引いてみる。鍵はかかっていない。戸はガラリと音を立てて開いた。
家の中へと入る。室内は静寂そのもの。不気味なまでに人の気配がせず、明かりはついていなかった。入ってすぐ右手には階段。奥へとまっすぐ伸びる廊下。左手側にいくつかドアが見える。
「こっちだ。あの部屋に何か気配を感じる」
ランサーが先頭を歩き、奥の部屋へとパウラを導く。
彼女は慎重にドアを押し開ける。
異臭が鼻を突いた。すぐさまハンカチで口と鼻を抑える。さほど効果を感じないが、気持ちの面ではしないよりは良い。我慢するしかなかった。咳き込みながらも室内へと進んでいく。
まず目についたのは数十のモニターだ。壁一面にぎっしりと、規則正しく並んでいる。そのモニターが映し出すのは、どこかの部屋や廊下などだ。いくつかはスノーノイズとなっていた。
そして、右側の壁に人影があった。壁に寄りかかり、足を投げ出す形で座っている。
パウラは左側の壁を手で探った。スイッチを見つけ、部屋の電気をつけた。
改めて、右の壁を見る。
そこにいたのは、人で間違いなかった。正確には人だったモノだ。黒いスーツを着た、人の形をしたモノ。顔に当たる部分は黒く焼けただれて原形をとどめていない。右手首から先は無く、床にはおびただしい量の血痕があった。
パウラは静かに近づき、死体をよく観察した。
「殺されてから、一日か二日は経っています。服があまり乱れていない……ろくな抵抗もさせて貰えなかったのかもしれません。右手が無いのは、もしかしたら……」
「令呪を奪われた、か」
コクリ、とパウラは頷く。
彼女は立ち上がり、モニターの方へと近づいた瞬間、家が揺れた。地震かとパウラは思ったが、すぐに違うと気付かされた。
突如として室内の壁が塗りかえられたのだ。白の壁紙が石壁へ。無垢材のフローリングは石の床へ。壁にはいくつか燭台が追加された。部屋の構造と家具やモニターはそのままに、材質や装飾が変化したのだ。
「結界か……魔術師の罠か……あるいは……」
壁を見つめるランサーがぼそりと呟いた。
パウラは首を傾げる。ランサーの雰囲気がいつもと明らかに異なっていた。覇気は全く感じられず、表情もどこか虚ろだ。
「どうやら閉じ込められたようだな。向こうは戦闘体勢のはずだ」
パウラの方へと向きなおったランサーは、いつもの調子に戻っていた。威厳と威圧を兼ね備えた皇帝の姿だ。
「力を示さなければ、交渉もままならんだろう。さて、どうする? マスター?」
「……突破するしかありません」
「ふん、その意気を絶やすなよ」
マスターである自分ですら知り得ない何かがあるのだろうか、とパウラは不安になった。しかし、今は目の前の異常事態に対処しなくてはならない。自分にとっては、おそらく最初となるサーヴァントとの交戦。少しの油断、判断ミスが命取りとなるだろう。
感情を捨てる。余計な思考を捨てる。
ふと、澪の顔が思い浮かんだ。なぜかは分からない。もしかしたら、別れの言葉ぐらいはちゃんと残したかったという後悔があったのかもしれない。
だが、彼女は無情なまでに想い出までをも捨て去った。機械のように淡々と切り捨てた。
残されたのは、色のない表情と冷たい瞳。そして遂行するべき使命。
ここはすでに死地だ。パウラはランサーと共に、行動を開始した。