神谷弥生は所謂、幼馴染だ。保育園の頃から一緒にいる。家も近所でお互いの家を行ったりきたりしていた。弥生の家は僕の家と反対に母親がいない。父親と2人暮らしだ。僕の家と違って弥生の母親は死別らしい。弥生が保育園に入る前に病気で亡くなってしまったとか。
保育園に通っていたころから弥生は本が好きで遊びに混ざるより絵本を読んでいることが多かった。おとなしい性格で男の子はもちろん女の子とも遊ぶことは少なかった。女の子が遊びに誘っても
「いま、ごほんよんでるの」
と取り付く島もない。最初は遊びに誘っていた子たちもだんだんと弥生を誘わなくなった。弥生ははっきり言って孤立していたが、それを気にすることもなかった。
その頃の僕はまだ前世の記憶と今の体の折り合いかついてなく、他の事に構っている余裕はあまりなかった。精神年齢は28歳、体の年齢は3歳程度。周りは保育園児ばかり。どうしろというのか。一緒に遊んでみようとも試みたが、羞恥心に耐えられなかった。箸が転ぼうが、風が吹こうが面白かったり悲しかったりする生き物だ。まったくついていけない。結局、僕は馴染むことができずに孤立していた。ぼっちだ。同じぼっち仲間として弥生のことは少しだけ知っていた。
そんなある日、ちょっとした事件が起こる。その日も弥生はいつものように絵本に夢中だった。僕は周りに馴染めずに苦悩していた。といっても1人でぼうっと立っていると心配して余計な気を利かせた先生が遊びの輪に混ぜようとしてくるので危険だ。そこで手慰みに積み木を積んだり、崩したり、並べたり、倒したりしている。そうしていると1人で遊びたい子、とでも思ってもらえたのか先生も世話を焼いてこない。ずっと繰り返しているとなんだか気分が沈んできてしまうが。
そうして延々と遊び続けているとふと周りが騒がしいことに気づく。見回してみると本棚あたりに人だかり。女の子がしゃくりあげるように泣いている。弥生が泣いていた。女の子座りしている彼女の周りに広がる水たまり。独特の臭気が漂ってくる。
(読書に夢中になりすぎて漏らしたのか)
ありえない、と思いつつもまだ3歳の子供。自分の事がコントロールできなくても仕方ない。まぁ、すぐに先生が来るだろうから大丈夫……って遅いな。あれ、こない?
遊びの時間とはいえ、いつも2人くらいはいてくれる先生がいない。たまたま外しているのか。まぁ、理由は分からないが、泣き続ける弥生をほっておくわけにもいかない。男の子はおもらしというハプニングに興奮して囃し立てているし、女の子はどうにかしようとしているみたいだがどうしたらいいのか分からずに一緒に泣き出す子もいる。しゃくりあげながら泣いている弥生。あぁ、仕方ない。
部屋の隅にあったバケツと雑巾を手に取る。大人なら余裕なんだろうけど、3歳児ボディにはちと辛い。人だかりを押しのけて弥生のそばに寄る。靴下にまだ温かい液体がしみ込んでくる。
「なくな、だいじょうぶ」
舌ったらずな声をかけ、弥生の頭を撫でる。
「ふぇ、だれ?」
弥生が少しだけ泣き止み、こっちを見上げた。それにできるだけ優しく微笑んでやってから雑巾で弥生が漏らしたのを拭いていく。
「え、え? なにしてるの?」
「よごれたからそうじしてるだけ、まってて」
まぁ、自分が漏らしたのを自分と同じくらいの子が拭き始めたのは予想外だったのか、目をぱちくりさせて泣き止んだ。その間にさっさと済ませる。そんなに量もなく、数回雑巾を絞るだけで済んだ。決して変な性癖に目覚めたりしない。この手は終わったらすぐに洗うし、なんの問題もない。
「おわった」
「えと、ありが、と?」
「どういたしまて。せんせのとこ、いこ?」
手を引いて立ち上がらせる。あとは先生のところに連れて行って着替えさせればいい。と、先生たちが戻ってきた。騒ぎに気付いてこっちに来てくれる。先生に事情を話して弥生を渡す。舌ったらずのせいでまるで小さい子が一生懸命に話しているようになってしまった。実際、僕も3歳の小さい子だけど。
騒ぎはそれで収まった。僕のざっくりな掃除は先生が後始末をしてくれたし、集まった子たちもたといが連れていかれると散っていった。先生には偉かったね、と褒められた。
「どうしたの?」
「ごほんよんでるだけ」
次の日、遊びの時間に弥生が寄ってくるようになった。いつもなら本棚の近くで読んでいるのに積み木をいじっている僕のところまできて座った。
「おもいよ」
「おもくない」
弥生は僕と背中合わせで本を読み始めた。子供特有の高い体温が伝わってくる、僕も子供か。まぁ、なぜだか知らないけど、弥生に懐かれた、のかもしれない。
「やよい」
「え?」
「わたし、かみややよい」
「あぁ、なまえ。ぼくははるかわあおばだよ」
「あおば」
自己紹介されたので僕も名乗ると弥生は僕の名前を小さな声で繰り返した。何度も何度も唱えている。
「ん、あおば。おぼえた」
「? まぁ、よろしくね」
「ん」
弥生は本を読み始めた。僕も積み木をいじる。それから次の日も、その次の日も弥生は僕のところにきて本を読んでいた。たまに弥生が泣きそうな顔をしている時にのぞき込んでみたら読めない字があったらしい。というか3歳ってこんなに字を読めるものなのか。みるみる目に涙をためていく弥生をほっておけなくてつい絵本を読んであげた。するとさっきまで泣きそうだった顔があっという間に笑顔になった。
「これもよんで」
「はいはい」
たぶん、今まで読めなかっただろう本を持ってきて僕に読むようにせがんだ。ふたりで絵本を読む。読めるところは弥生が声に出して読み、止まったら僕が読んであげた。なんだか先生の目線が生暖かい。ぼっち同士がくっついてちょうどいいって感じなのだろうか。
そんな感じで僕と弥生は友達になった。