よろしくお願いします!
1話 普通の男子高校生が「艦娘」になってみた
それは英語の時間だった。
いつも通り予習を済ませ、しかしノートを忘れた自分にできることは一つだけだ。
鬼教師後藤のランダム指名を掻い潜ることを必死に祈る。
「……それじゃあこのthatの働きはなにか答えてね~。……雪平勇吹君?」
しかしその祈りは無惨にも打ち砕かれ、ねっとりとした声で俺の名前が呼ばれる。
頭を抱えたい衝動を抑えつつ、高速で頭を働かせ、答える。たぶん…
「指示形容詞、です」
「じゃあ修飾先はなんだ?」
「直後の previous study です」
「じゃあ文中におけるthatの働きを全て答えろ」
よし!当てた!
そう思ったのも束の間、更なる難題をぶつけられてしまう。
――やっぱこいつ鬼過ぎるだろ!
「ええと……指示代名詞、指示形容詞、従位接続詞、関係形容詞……」
言葉が詰まる。教室全員に馬鹿にされているような感覚に陥る。
思い出せねーー。
「それで全部か?」
後藤の言葉に再び思い出そうとするが、全く思い付かない。
「雪平君もまだまだだねー」
嫌みたらしく笑う顔が憎らしい。心が折れそうだ。
「わからないやつは全員英文法プリント二番の裏面を開け。文中のthatには六つの役割がある。それは……」
そして後藤は解説に入った。オーバーヒート気味の頭が冷えていく。
どっと疲れたなぁ……
そのまま机に突っ伏したい気持ちを抑え、後藤の言葉を聞く。
ああ指示副詞と関係副詞かーーって分かるかい!
ふと視線を感じ横をみると、三つ隣の席に座る小出陽太がニコニコしてこちらを見ている。
……あの笑顔、殴りたい。
すると次の文を読み上げた後藤が再び処刑の鎌を振るう。
「じゃあ次。このthatは従位接続詞で副詞節をとっている。ここでの意味とthatが従位接続詞の副詞節でとりうる意味を全て答えろ……小出陽太君」
それはまるで、朝が過ぎて昼へ向かう朝顔の映像の早送りのようだった。
満面の笑みを浮かべていた小出は一瞬にして顔を曇らせるとしどろもどろになり、答える。
「同格……ですか?」
「副詞節で同格はとらないと教えただろうが!できないやつこそちゃんと聞け!」
あまりの剣幕に皆が騒然となる……はずもない。これが後藤劇場の日常だった。
「はい……すいません」
力なく答える小出。
ざまぁ!と思う一方で少し可哀想に思う。明日は我が身だ。
そして救いの鐘がなる。待ちわびた解放の鐘。
「今日はここまでだ。全員予習復習を怠るな!」
「はいっ!」
全員が返事をし、日直が号令をかける。
「起立!気を付け!礼!」
「ありがとうございました!」
後藤執行官は狩り場を後にする。今日もなんとか心を繋げられた。
ここ私立大塚高校は東京の中堅中高一貫校である。
中堅ならそこまで勉強しなくてもついていけるかもしれない……中学入学時に描いたそんな考えは入学してすぐに破られた。
一番勉強に厳しいのは中堅上位。そして私立大塚高校は中でもスパルタ教育で知られていた。
……さて、介抱でもしてくるかね。
席を立つと小出の席へと向かう。
「おーい大丈夫か小出」
机に突っ伏す小出に声を掛けるが返事がない。ただの屍のようだ。
「災難だったねー」
斜めに振り返り、榊詠美が優しく励ます。ちょっと羨ましい。
「いや、こいつ俺が答えられなかったときニコニコしてこっち見てたからな。自業自得だ」
「あの先生そういうとこ厳しいもんねー」
「あと三分だし、次の文入らないと思ったんだよ……」
小出が顔を上げる。
「たしかに。普段は終わるタイミングだな」
「ねー」
「はぁマジついてないわ」
小出は落胆しつつもプリントをノートに挟み、教科書と共に鞄に入れる。
「お前らも帰りか?」
「今日は部活ないしな」
「私もー」
「じゃあ帰ろうぜ。待ってるわ」
手早く支度を済ませた小出に促され、帰り支度をしに席へと戻った。
「しっかし寒くなってきたなー」
「もう十一月だもんねー」
「だなー」
校門を出ると風が冷たい。もう十一月から冬休みにしてくれよ。とは思うが、さすがにそれを口に出すほど馬鹿ではなかった。
「もう冬休みにしてくれてもいいんじゃね?って感じだよな」
馬鹿がいた。
「さすがにそれは……宿題とかたくさん出ちゃいそうだよね」
「あ、そういえば小出、漢文の宿題出したのか?夏休みの」
「あーー!すっかり忘れてたわ!」
「え!まだ出してなかったの!?」
「そうそう。それで中間赤だったから期末の分には加算されるように出す、ってこないだ言ってたんだけどな……」
そう言って小出を見ると三人で笑う。
どこにでもある日常。平凡な毎日。
だが、そんな中でも特別ななにかが自分にあるんじゃないかと思って、それが無くて。
そんなことも含めて自分がよくも悪くも普通の人間だなと感じ、努力する。
「じゃあまた学校でなー」
「おう」
「またねー」
学校の最寄り駅、池袋駅に到着し別れる。
丸の内線に向かう小出と山手線に向かう榊に別れを告げ、西武線の改札へと向かった。
今日も一日、楽しかったな。
「もう半か……はやいなー」
気付くと日付をまたいで三十分が過ぎていた。明日も早い。テレビと電気を消してベッドに入り、眼をつむる。
授業で習ったことを反芻しつつまどろみに身を任せると、強い眠気に襲われる。
獰猛な睡魔と戯れ、まどろみの縁から押し出されると、心が沈み、意識が遠退く。
――しかしそこで急激に意識が揺り戻され、目に光が差し込む。
眩しい!
「なんだ……電気は消したはずなのに……」
いつもより数段高い声が出る。
「寝ぼけているの?可愛いのね」
だ、誰だ!
自室に突然女性が来る。ということを妄想したことがある者は多いだろう。
もちろん自分もその一人だ。
しかし実際に起こると勝手が違う。焦りでどうにかなりそうだ。
だが、相手が誰なのかは聞かなくてはいけない。
「誰だ?」
「ずいぶんな口の聞き方ね。私は花音結衣。提督よ」
やっと焦点があってきた。周囲を見回すと、見慣れぬ調度品、見慣れぬ家具。どう考えても自室ではなかった。ここは一体どこなんだ!? なぜ俺はこんなところに……
「今日からよろしくね。吹雪」
眼を前に向けると花音が続ける。
セミロングの黒髪がさらさらと流れ、目鼻立ちがくっきりしていて美しい。身長は百八十cmくらいはあるだろうか。スタイルがよくて美しい……て、吹雪!?
「俺の名前は雪平勇吹なんだが……」
「え?そんな艦いたかしら……いや、間違いないわ。あなたは吹雪よ!」
そう言い切ると、花音は腕を組み、端正な顔をしかめる。組まれた腕によって胸が強調され……いかんいかん!
「でも変ね。同種艦はクローンで一卵性双生児と同じだから、ある程度の性質は似るって聞いていたのに。あなたは他の吹雪とは全く別人のようだわ。容姿以外」
そらぁ俺は雪平であって、吹雪じゃあないからな。
「うーんでも気に入ったわ!これからよろしくね、吹雪ちゃん!」
ちゃん!?
そう言われて自分の体を見回す。
上半身は水兵のようだった。
だが、下半身はスカートだったのだ。……セーラー服着るとか恥ずかしすぎる……!
「失礼ですが、花音さん。あなたの身長はおいくつぐらいでしょうか?」
「一気に下手に出たわね……私の身長は百六十六cmよ。ああ大丈夫!あなたもすぐ伸びるわよ。この戦いが終わって、普通の少女に戻れたらね」
そう言われて姿見を見ると、困惑した表情を浮かべた中学生くらいの少女が立っている……これが俺の姿だっていうのか!?
「あと、今はいいけど他の艦娘が来たら私のことは『提督』と呼びなさい。いいわね?」
「……はい」
全然よくねーよ!
だが今は詳しい事情を聞いていくためにも話を前に進めなくてはいけない。
自分はどうしてこうなったのか?ここはどこなのか?
これから何をするのか?させられるのか?
疑問は尽きない。
しかし目の前の美女は自分の娘を見るかのような視線をこちらに送り、微笑んでいる。そして手を一度叩くと口を開く。
「そうだわ! 現状の説明をしなくちゃならないわね。この鎮守府の所有する艦娘はあなた一人よ。あと、まだ海域攻略はどこもできていないわ。それから……」
「いや、その前に」
申し訳ない。
しかしそんなことを言われても何がどうなっているのかわからないから仕方ない。
「艦娘とは一体なんだ?」
その質問に花音の微笑みが凍りつく。
「あなた私が新米提督だからって馬鹿にしているでしょ!艦娘が艦娘のことを知らないはずないじゃない!教練で習ってるんだからね!」
突然キレだした。
――キレたいのはこっちだよ!
「すまない。本当にわからないんだ。頼む、説明してくれ」
俺の信念の一つに、真摯な態度は相手を動かす。というものがある。
相手が冷静でないときほど冷静に、真摯に向き合うことの大切さを俺は知っているのだ。
あと、キレた女性に正論ぶつけてもこじれるだけだってこともね。
「え……そうなの? 勘違いしてたわ……ごめんなさい」
意外にもあっさりと怒りを納める。
誤解は解けたようだ。
物分かりがいいのかもしれないな。
「あと、突然大声出して、ごめんなさいね。驚いたでしょう?」
「いや、そんなことないよ。これくらい平気だ」
「そう?……話を戻すわね。艦娘というのは……」
そうして花音は語りだした。
深海棲艦によってシーレーンが破壊され、文化レベルが後退した世界のことを。
深海棲艦との不毛な消耗戦の末に壊滅的な被害を受けた、各国の海軍のことを。
数多の艦娘が提督達と共に行った数多の戦い。そして……
「艦娘は轟沈すると深海棲艦になる。逆に深海棲艦は、倒しても艦娘になるとは限らない」
花音はやや低い声で語った。
「だから提督は深海棲艦と戦う時、細心の注意を払わなくてはならないの。深海棲艦全員を艦娘に変えるその日まで、誰も轟沈させない」
最後の言葉は、俺への説明というよりは自分に言い聞かせるかのようだった。
「吹雪」
短く名前を呼ばれる。
「力をかしてくれる?」
そう言って手を差し出す彼女の背中を朝日が照らす。
どこまでも広がる空と海が花音結衣を祝福しているかのようだった。
「ああ。任せてくれ」
俺は柔らかい手をとり答える。
花音は微笑むと、口を開く。
「よろしくね。吹雪。一緒に『暁の水平線に勝利を刻みましょう』!」
「おう!」
こうして俺、雪平勇吹と花音結衣の戦いが始まった。
お読みいただき、ありがとうございました。