恐らく帝国側の報道カメラマンが撮影したものだろう、当時の彗星接近を映した写真が残っている。
茜雲の狭間に見え隠れする星空の中、長く尾を引いた彗星「ソーン」が、月の半分ほどの大きさに写っている。
朝焼けか夕焼けかは判別できないが、かなり地平線から近い位置にあるため、それを見つめる多数の人々の姿も同時に収められている。
人影の遠く離れた奥に、小さく輪郭となった無数の鐘楼のような影がある。共和国軍最終上陸部隊を迎え撃つため、エントランス湾周辺に結集した帝国軍ゾイド部隊だ。
まるで描かれたような幻想的な写真だが、その後に起こる血塗れの戦いを予想するかのような赤い空をしている。エントランス湾の東、アンダー海に突き出た半島に広がるビフロスト平原は暗黒大陸ニクスの中でも南方に位置する温暖な地域であり、ガイロス帝国の当時の首都ダークネスとの間に中規模の町々が連なるように点在していた。
しかし共和国上陸によって居住地を奪われた人々は、戦線の変化に合わせ移動する難民の群れと化していた。
写真に写っているのは兵士ではない。中には子供を抱いた女性や、携帯食らしきものを頬張る老人の姿も覗える。その不安な表情から、彼らが興味本位で戦場に佇んでいるわけではないのがわかる。後方にはキングゴジュラス、前方には上陸部隊。
戦場に囲まれた彼らに逃げ場所はないのだ。ダークネスから避難してきた首都住民も加わって、難民人口は膨れ上がっていた。
巨大彗星ソーンは、共和国科学省が表明したように、当初ゾイド星の第二衛星軌道をかすめて飛び去るはずだった。
通過による重力変動や大気の乱れ、第二衛星軌道への干渉など、ゾイド星に大きな影響があることは予測していたが、計算上では衝突の可能性は薄かった。
だが、彗星のゾイド星の公転軌道通過に至るまでに、幾つかの悪意のある偶然が重なっていた。
共和国天文台が破壊され、観測不能の時期に変化は起きていた。
まず大型外惑星の重力圏に捉えられたソーンは、外宇宙からの接近速度を削ぎ落され、本来であればゾイド星を通過するはずの速度を充分なまで減速されていた。加えて、減速され変化した進路とゾイド星の公転軌道面が重なっていた。
皮肉なことに、これまで多くの小惑星や隕石の落下を防いできた外惑星は、ゴルディロックス帯の防衛線ではなく、外宇宙からの脅威を導きいれていたのだ。それは天体運行の結果起きた、誰にも責任を問えない事態である。だが、続いて起きた事態は、人の生み出した悪しき偶然だった。減速されたソーンは、ゾイド星の重力圏に緩やかに捉えられ、場合によっては衝突せずに第四衛星になる可能性さえあった。ところが、接近を続けるソーンに、不必要な重力変動を与えてしまった物体が、ゾイド星地表面に存在したのだ。
それが、共和国が放った最終ゾイド、キングゴジュラスであった。
重力制御システム内を循環するエキゾチック物質は、安定しようとするソーンの軌道を揺り動かした。忽ちソーンはゾイド星目掛けての進入角を取り、緩やかに衛星軌道を狭める螺旋を描きながら、地表へと落下を始めたのだった。
何を幸いと呼べばいいのか難しいが、不幸中の幸いともいえることは、この時ソーンが充分に減速しており、ゾイド星の赤道面への直接突入だけは回避されたことが、惑星規模での大絶滅を避けられた要因であった。
もしも、音速の数百倍で飛来した大質量物が、そのまま惑星赤道面に衝突していたら、恐らくゾイド星は内部のマントルまで吐き出して、その全てが宇宙の灰燼と帰していたはずである。しかし、まだこの宇宙的悲劇は終わってはいない。
徐々に軌道を狭め、地表に迫るソーンが、約18万㎞の第三衛星の公転軌道に差し掛かった時、彗星の落下軌道と、第三衛星Deとの衛星軌道が、互いに呼び合うように接近を始めたのだった。
衛星の公転軌道上の重力の安定点、いわゆるラグランジュポイントが、ソーンとDeの中で重なっていった。
不規則な重力干渉の中、二つの天体は時速数千㎞のゆっくりとした速度で接近し、そしてDeの表面に、ソーンがめり込むように衝突を開始した。
金属を主とする二つの天体の破片が、ゾイド星の重力に曳かれ、緩やかなワルツを踊るように、南北回帰線に挟まれた赤道周辺に向け公転軌道から灼熱の塊を降り注いだのだった。
北緯40°・東経50°付近、共和国領ゴルゴダス海峡周辺を警戒していたゴルヘックスの搭乗員、ジャック=ペンバートンの報告。
「最初は帝国の攻撃と判断し、駐屯地への緊急伝を送るためクリスタルレーダーの電源を立ち上げる準備に入った。
幾つかの赤い何かが頭上を通過した。雷雲の中を、雨のように降ってくる。
今までの流星とは違っていた。首都のある南方向に向かっている。
最初数分に一度の割合だったが、やがて数秒に一回になり、地平線がどんどん赤く染まっていった。遅れて腹に響くような振動が地下から突き上げてきた。
何が起きたかわからなかったが、とにかく恐ろしいことが首都周辺で起きていることだけはわかった」
彼らの部隊は中央大陸の最北端に位置していたため、降り注いだ月と彗星の破片の直撃を避けることが出来た。しかし北緯30°付近から赤道にかけての中央大陸地域と、ほぼ赤道上に位置する西方大陸地域は、破片落下の洗礼を大量に受ける事態となっていた。
北緯20°東経80°付近、共和国領セシリア市。医師ダニエル=シモンズ。
「空中で何かが爆発したと思った。
勤務していた病棟の窓ガラスが最初の衝撃波で殆ど割れてしまったが、続いて起こった第二、第三の衝撃波で、窓ガラスどころか保管してあった薬剤瓶も砕け散っていた。
空襲だと思った。
看護師が走り回っているのだが、みんな口をぱくぱくさせるだけで何も聞こえない。その時は衝撃波で耳がおかしくなっていたようだ。
鼓膜が破れたかと考えたが、数分すると音が拾えるようになったが、とても会話が出来る状況ではなかった。
割れたガラスの破片に注意しながら窓の外を見ると、美しかったセシリアの街並みが、鋸の歯のように切り刻まれていた。
街の至る所に火の手が上がり、消火に出動したエレファンタスやハイドッカーも、出火地点が多すぎて手の下しようがなくなっていた。
普段から空襲に備えて避難経路の確認を訓練していたにも拘らず、通路に散乱した瓦礫と、降り注ぐ隕石群の爆発と振動に阻まれて、全く行動できなかった。
隕石は落下地点に数メートルから数十メートルのクレーター状の穴をあけた。
雨が降り続いていたので、粉塵が舞い散って呼吸ができなくなることはなかったが、代わりに高温で蒸発した蒸気が肺に取り込まれるとむせ返るようだった。
街の象徴だった、教会の尖塔が崩れ、幾つもの建物を薙ぎ倒していた。
地下シェルターに避難しようと降りたのだが、1階部分は中の物が散乱して歩けなかった。助手のクリス(クリストファー=サイモン)と顔を見合わせた。
衝撃波の轟音の中、たどたどしい会話を交わして事態が分かってきた。彗星が衝突したのだと」
北緯25°・東経60°付近、共和国領グレイ市。学校勤務、ケニー=サバー。
「まだ生徒たちは始業前でした。数人が校庭に入っていたと思います。
覚えているのは、突然真っ赤な壁が目の前のベランダを突き抜けていったことです。
私は爆風に吹き飛ばされ、続いて倒れてきた棚の下敷きになって一瞬意識を失いました。
数秒か、数分か、それほど長くはないはずです。全身の痛みと、息苦しいほどの熱さを感じて気が付きました。
吹き飛ばされて倒れていた廊下の向こう側、部屋の中が燃えています。そして横には無数のガラスの破片が散乱していました。
私は倒れた棚の影になって、被害を受けることはありませんでしたが、起き上がってみると破片が壁に無数に突き刺さっていました。爆風によるものです。
校庭の半分が吹き飛んで、校舎一つが丸ごと消滅していました。
クレーター状になった隕石孔の中で、溶岩のような何かが燃えています。消滅した校舎の姿だと思いました」
北緯15°・東経20°付近、旧ゼネバス帝国地域、ガニメデ城下、団体職員、ブルーム=ベッテルハイム。
「まだ早朝で、ようやく目が覚めたころだった。気味が悪い風を切るような音が聞こえたかと思うと、寝ていたベッドごとひっくり返された。
シャッターが下ろされていたのに、窓枠も窓も内側にめり込んで、室内は床板から吹き飛んでいた。
普段から準備していた緊急避難用具を探そうとしたが、部屋の仕切りも吹き飛んでいて物が散乱し、靴を見つけるのがやっとだった。暗闇の中、街のあちこちに火の手が上がっている。攻撃があったかと思ったが、火の玉は空から無数に降ってくる。これが彗星衝突と分かった時、もう一度近くで隕石が落下した。そこにあった高層住宅が根こそぎ無くなっている。
数秒後、空から黒いものがバラバラと落ちてきた。
目を凝らすと、それが吹き飛ばされた人間だったことに気が付いた」
ソーンとDeの降り注いだ破片の運動量の総量は凡そ10の34乗ジュール。生物を絶滅させるには充分なエネルギー量である。だが、ソーンの突入速度の減速と破片となって均一に降り注いだ結果、惑星破壊に至ることはなかった。
大量の破片は、陸上と同様に海上にも降り注いだ。海底地殻に達した破片は、海洋底のプレートを刺激し、マントルプルームの上昇を引き起こした。
激しい地殻変動とともに、中央大陸が所属するフロレシオ・ダルダロス・デルポイプレートが活動を始め、中央山脈東方のトランスフォーム断層面から破断が始まった。
海洋底の移動に伴い、惑星規模での海水の移動が始まっていた。
惑星規模の、津波発生の前兆であった。