Dr.スタイリッシュが消えた。
この知らせはミラルドにとって、タツミが逃げたということより大きな問題だった。
非戦闘員ではあるものの、彼の持つ帝具は医療用と全帝具の中でも極めて稀有である上、なんたってセリューが気に入っている人間だ。タツミを欲している人間はエスデスだが、今回スタイリッシュが消えて悲しむのはミラルドの妹である。繰り返すようだが、可愛い妹である。
故にミラルドを動かす理由が異なるため、彼のやる気にスイッチが入るのも至極当然の事だった。
エスデスとセリュー。ミラルドにとってこの差は大きい。
しかしながら、ここ数日危険種の背に乗りスタイリッシュ探しに東奔西走する彼に現実は優しくなかった。彼の姿は見つからないし、情報もない。加えて、彼の強化兵は地下からごっそり消えていた。
交戦し、殺された。そう考えるのが妥当である。
無駄足だったという倦怠感。反面良かった、とほんの少しだけそう思った。
これで、セリューが二度と人体実験なんて馬鹿なことに手を出さなくなるからだ。そもそも、スタイリッシュの手でセリューが人体実験を行うことが出来たのはあくまでそのコネがあったからだ。そしてそのコネは既にナイトレイドによって殺されている。
もちろんセリューが悲しむことは、ミラルドにとって生きたまま内臓を引きずり出されることよりずっと痛い。けれど、それ以上にスタイリッシュという人間は彼にとって不快な存在だった。医療目的であろうと、セリュー自身が望んだことであろうと。スタイリッシュはセリューの体にメスを入れたのだから。
生きていても構わないけれど、死んでいるならそれはそれで都合が良い。軍人としては失くすに惜しい人材だと思うが、一個人としては特にこれといった感情を抱くことは無かった。
懸念があるとすれば、セリューがスタイリッシュの死に嘆き、より一層危なっかしい行動をしださないかだが──それを止めるのが兄であるミラルドの役目だ。
■
父は正義の味方だと、そう教えてくれたのは兄だった。
いつの事だったか。仕事で家を空けてばかりの父は自分のことが嫌いなのかと、そう聞いた時に言われたのだ。
正義の味方だから忙しいけれど、本当にセリューが困っている時には何時でも助けに来てくれると。
兄があまりにも上手に話すものだから、当時の自分はその答えに満足して父のように正義の味方になりたいと思ったのだ。
だけど、結局いくらセリューが困っても寂しがっても父が助けに来てくれることはなくて。
学校に迎えに来てくれるのは兄で。ご飯を作ってくれるのも兄で。近所の男の子にからかわれた時に助けてくれるのも、誕生日にぬいぐるみをくれるのも、寂しい時に抱きしめてくれるのも、全て兄だった。
父は正義の味方だと、そう教えてくれたのは兄だった。
───けれど、セリューの正義の味方はいつだってミラルドだけだった。
「───・・・」
目に映る天井がいつもと違う。ゆっくり浮上していく意識で、ここがイェーガーズの宿舎であることに気がついた。
傍にはセリューが眠る前と変わらず長椅子に座っているミラルドがいて、セリューは思わず安堵のため息をついた。
装いが先程と違うから、セリューが眠りについてからまたスタイリッシュを探しに出かけていたのかもしれない。それでもセリューが目を覚ますときにはしっかりと傍にいるのだから、兄らしいと思う。
部屋にたった一つだけある時計に目を向ければ、最後に見た時より短い針が二つほど進んでいた。寝すぎたからか、少しだけ頭痛がする。
帝都警備隊員であったころの上司オーガ、両腕を失くした自分に戦う術を与えてくれたスタイリッシュ。
立て続けに知人を亡くしたセリューは、少し休んだ方が良いと言いつけられ宿舎で仮眠をとっていたのだ。
「・・・お兄ちゃん、ドクターは・・・」
諦めたつもりだった。これだけ探してもスタイリッシュの手がかりは出てこないし、地下の強化兵たちがいないことは彼が交戦した何よりの証拠。生きているのであれば何かしら連絡を寄越してくるのが普通だ。それが無いということは、想像出来るのは死の一択だった。
だけど、まだ諦めきれない気持ちが顔に出ていたのかもしれない。ミラルドは何か言おうと口を開きかけ、結局何も言わずにただ首を横に振った。
「・・・・・・そう」
自分でも驚くほど低い声がでた。
悔しいのか、悲しいのか、怒っているのか、或いはその全てか。自分で自分の感情が分からなかった。ただフツフツと腹の底から湧き上がるような感情のままに、セリューは温度を感じる事がなくなった両手をきつく握りしめる。
そうして暫くすると、鉄の義手がミラルドの手で包まれた。ミラルドの両手がゆっくりと固く結んだセリューの指を解いていく。
いつの間にかベッドの近くまで来ていた兄は、自分の前で跪くように片膝をつけてしゃがみ込んだ。
「悲しいか」
自分と同じ琥珀色の瞳が真っ直ぐに見つめてきて、セリューは俯いた。
悲しい、というのは間違いではない。もちろん悲しいし、それを上回る悔しさがある。スタイリッシュを殺した賊が恨めしい。
だけど何より、
「悲しい・・・けど、でも違う。───怖いの」
悲しい、悔しい、怒りもある。黒い感情が心を渦巻いているのは確かだった。
だけど、その全てを押さえつけるような底知れない不安があった。
「お父さんも、オーガ隊長も、ドクターも、み、みんな死んじゃったでしょ」
どうしてか声が震えて、途切れ途切れ言葉を紡ぐセリューの話をミラルドは辛抱強く聞いた。
「・・・・・・お兄ちゃんも、どこか行っちゃわないか、怖い」
つまりは、そういう事だった。
自信が無さそうに、徐々に声が小さくなったセリューの声は、しかし兄にはしっかり届いていた。ミラルドはどんなに小さな声だろうと、セリューの声は、セリューの言葉だけは聞き逃さないから。
いつも通り妹の言葉を脳に刻みつけたミラルドは、セリューの義手を緩く包んでいた両手を離して、
「───俺は死なない」
ゆっくりとセリューに言い聞かせるように言った。
さほど大きくはないその声は、自然とセリューの耳に入って、そしてたった一言で底知れない不安を払いセリューの気持ちを静めた。
安心したかった、安心させて欲しかったのだ。この不安をミラルドに払って欲しかった。他でもない、彼の言葉で。
「セリューが俺に生きていてほしいと願ううちは、死なない」
じゃあセリューが死んでほしいと願ったら死ぬのか、そう聞こうとしてやめた。ミラルドの答えは分かりきっているし、そもそもセリューがそんなふうに思う日は永遠にやってこないのだから。
問いかける代わりに手を伸ばして、お返しと言わんばかりに今度はセリューが鉄の義手でミラルドの両手を包んだ。否、包んだというよりは、ミラルドの両手首をセリューが握りしめた、に近い。妹の奇行に目を瞬くミラルドにセリューは悪戯っぽく子供のように笑って言った。
「逮捕」
キチキチと義手の部品が擦れて音がなるくらいキツく握りしめられていても、ミラルドは眉一つ動かさなかった。どころか、セリューの手を解こうともせず握られた両手首を目を落として小さく呟いた。
「・・・俺は囚人か」
「そう。だからお兄ちゃんは一生私の檻から出られません」
「随分愛らしい看守だ。幸せな牢獄だな」
怖い看守だもん、と『愛らしい』という部分に反応して頬を赤く染めてセリューは視線を逸らした。
それでもセリューの手には変わらず、ミラルドの手首に赤く跡が付くほど強い力が込められていた。
セリューがこんなふうに小暴走するのは、さほど珍しいことでもない。昔から精神が不安定な時はこうしてやたらとミラルドを束縛したがるのだ。治し方は簡単で。ただミラルドが寄り添って傍にいてやればいい。
おいで、とミラルドが声をかければセリューは嬉嬉として肩に擦り寄ってきた。仕草がどうにも犬っぽくて、ミラルドは珍しくほんの少しだけ笑ってしまう。もちろん本人には言わない。
レアな兄の笑みが嬉しかったようで、満足そうに微笑んだセリューはミラルドの耳元に口を寄せた。やや擽ったいけれど、動かぬが吉と判断したミラルドは自分の膝に身を乗り出してきたセリューを支えることに徹する。
そうしてミラルドの耳に噛み付くような距離で、セリューは勿体ぶるように口を開いた。
「──離さないから。絶対離さないから、
そう囁くセリューの瞳はどこまでも濁っているけれど、その瞳に宿るのはただ純粋な愛だった。