私基準の長めだから、そこまで長くないと思いますが。
「はあぁぁぁああ」
広々とした地下の実験室。鉄製の冷たい机に突っ伏した少女の、やけに大きく、そして深い溜め息が響く。
笑えばさぞ愛らしい顔をするであろう彼女は、ひどく陰鬱な雰囲気を纏っている。端的に言えば、顔が死んでいる。
いつもならば、後頭部で結ばれている明るい茶色の髪は机の上に散らばっており、琥珀色の瞳には光がない。口は間抜けにも、溜め息をついた状態で空きっぱなしだ。
少女の名前は、セリュー・ユビキタス。帝都警備隊に所属する、少々ブラコン気味の帝具使いである。
「はあぁぁ」
無意識のうちに再び、大きな溜め息を一つ。溜め息をつくと幸せが逃げると言うが、それが本当ならば今セリューの周囲には、沢山の幸せが漂っているだろう。出血大サービスである。
セリューは焦点の合わない双眸を宙に向け、やっとの思いで声を絞り出した。
「・・・・・・お兄ちゃんが・・・足りない」
その言葉に側にいた白衣の男性、通称『Dr.スタイリッシュ』は思わず顔を引き攣らせる。
とある事情により、両腕を失ったセリューに義手をつくったスタイリッシュは、アフターケアということで警備隊の地下に来ていた。
彼は科学者であると同時に医者でもあるのだが、これは相当重症だ。自分では手に負えない。
「はあぁぁ」
「・・・ちょっとセリュー。溜め息ばっかりつかないで頂戴。こっちまで気分が暗くなるじゃない」
普段の彼女なら、ここで元気よく「すいません、ドクター!」と、謝るはずなのだが、生憎今セリューは兄欠乏症によって正気ではない。
自分の恩人であるスタイリッシュにも、容赦なく噛み付いた。
「ドクターもおかしいと思いませんか!?・・・そりゃあ確かに仕事で北に行くとは聞きましたよ!聞きましたけど!?でもまさか、その次の日に出て行くとは思わないじゃないですか!」
長い髪を振り乱し喚き散らすセリューは、どんどんヒートアップしていき、しまいには顔を赤くして地団駄を踏みだす。
思わず、机を握りしめた拳で叩いてしまう。金属の机と、同じく金属の義手が全力でぶつかり合い、甲高い音が鳴る。
やり場のない怒りを物にぶつけた形だ。
怒りでスタイリッシュの存在すら忘れていそうな彼女に、彼は「まさか」と、ある一つの仮説を立てる。
「・・・もしかしてだけど、セリュー知らないの?」
「何がですか!?」
「──アンタのお兄サマ、今日
「・・・へ?」
口から零れた様な、意味の無い音がセリューの驚きを物語っている。まさに、開いた口が塞がらない。
スタイリッシュの言葉を聞き、ゆっくり脳内で噛み砕き、理解し、思考におよそ2秒ほどの時間を使い。
そして、行動に移すまでに約0.3秒──。
「どうしてもっと早く言ってくれないんですかー!!」
セリュー・ユビキタスは地下を飛び出した。
「そりゃ、ずっと地下に籠って特訓(という名のストレス発散)ばっかりしてたら・・・俗世間には疎くなるわよねえ・・・」
■ ■ ■
──感情に任せて、後先考えずに行動してしまうのは、自分の最大の短所だとセリューは自覚していた。
自覚しているつもりだったが、だからといって改善できるかと言われれば、それはまた別の話である。
そして今回も、その欠点が原因でやらかしたのだった。
「・・・よく考えてみたら、普通に詰所か家で待ってた方が早く会えた気がする」
兄、ミラルドを探し始めてもう20分は経つ。一度家や警備隊の詰所に戻ってみたが、行き違いになったのかミラルドはいなかった。どう考えても、あそこで地下を飛び出してきたのは間違いだったろう。そもそも、彼が外に出ているかすら分からないのだ。
まあ、今更後悔しても全て遅い訳だが。
「お兄ちゃん、腕斬られたって言ったら・・・怒るかなぁ。・・・怒るだろうなぁ」
自分の失態から意図的に意識を逸らし、溜め息混じりにそう零す。
おそらく、セリューには怒らないだろう。せいぜい無理ばかりして、と眉間に皺をつくる程度だ。
ミラルドが怒るのは、セリューの両腕を奪った殺し屋『ナイトレイド』のシェーレに対してだ。
セリュー自身も帝具使いであるが、あの日セリューが遭遇した殺し屋は帝具使いが三人だ。
彼女の帝具が生物型である故、実質二対三に持ち込めたが、それでも不利なことには変わりがない。
結果は惨敗。両腕を犠牲にしたにも関わらず、一人として殺すことが出来ず、自らの力不足を強く感じた。
人数の不利など言い訳には出来ない。なにせ、自分は正義を名乗っているのだから。
応援に駆けつけた同僚達のお陰で、命こそ助かったものの、負けたという事実はセリューの心に大きな決意を宿らせる。
───人体実験。
科学者であるスタイリッシュに頼み込み、なくなった腕の代わりになるような兵器を義手としてもらった。強くなりたい、ただその一心で。
結果的には彼女の戦闘力は大幅に向上。
ミラルドがセリューに対して怒るとしたら、ここだ。
危ないことはするな。
無理をするな。
勝てそうにないなら、全力で逃げろ。
これが帝都警備隊に入る時にミラルドと約束した、否、約束させられた条件である。
はて、人体実験は『危ないこと』に入るのだろうか?
「・・・いやでも今後のことを考えると、強くなっていて損はないし・・・。むしろ改造した方が生き残れる確率上がるし・・・」
顎に手を当て、スラム街をパトロールしつつ呟く。
既に何人か出会った盗人は悪と判断し、断罪。勿論、罪悪感など欠片もない。自分は正義で、間違ったことなど一つとしてしていないのだから。
最も、もはやそんな些細なことは覚えていない。今彼女の脳内を占めているのはただただ、兄の事だけだ。
「お兄ちゃん怒らないといいなあ・・・」
「──怒られるようなことをしたのか」
「・・・うん、まあ・・・」
そこで、セリューはピタリと動きを止める。
独り言のつもりが、気づけば誰かと会話しているのだ。それも、聞き慣れた声と。びっくり、なんてものじゃない。
ぐりんっ、首がねじ切れそうな勢いで後ろを振り返る。
後ろにいたのは一人の青年。
自分と同じ琥珀色の瞳に、焦げ茶色の髪。張り付いたように動かない、感情が読めない無表情。
整った顔立ちも相まって、人形のようだと言われる彼が、自分に接する時だけ僅かに声音が優しくなることを、セリューは知っている。
世界で一人だけの、自分の肉親。
「っ、お兄ちゃん!!」
考えるより先に身体が動き、兄に抱きつく。
勢いをつけて飛びついたにも関わらず、ミラルドはふらつくことなく、しっかりとセリューを抱き締めた。
「探した。家にも、詰所にも居ないから」
ポンポン、と二回ほどセリューの頭を撫でるミラルドの胸板に額を押し付ける。
「ふぁああ・・・お兄ちゃんの匂いだぁ・・・」
「セリュー」
「っふふ、うへへへぇ」
「セリュー、落ち着け」
鼻息を荒くして変態チックな笑みを浮かべる妹は、数ヶ月ぶりに見てもやはり可愛い。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ちゃんっ」
「なんだ」
「うふふー」
可愛い。物凄く可愛い。
なんだこの可愛い生物は。本当に人間なのか。
ぎちぎち音が鳴るほど強く抱きつかれていても、文句を言う気にもなれない。
表情には出ないが、そんな思いがミラルドに心を駆け巡り、大洪水を起こした。
「ごめんなさいどうかしてました」
それから、数十分してようやく正気を取り戻したらしいセリューは、恥ずかしそうに顔赤くして先ほどの奇行を謝罪する。
セリューは兄のことが異常なまでに好きだが、ここまで変態のような行動に出たのは初めてだ。
今まではせいぜい、ミラルドの洗濯物を隠れて奪って匂いを嗅ぐ程度だったのだから。
「落ち着いたか」
「う、うん」
「そうか。じゃあ、」
彼は一度言葉を区切り、セリューの腕、つまりは義手を掴んだ。
はっ、と気が付く。手袋で隠していたが、ミラルドに通用する訳がない。それに、あれだけしっかり抱きついたのだ。
バレた。いずれ知られてしまう事だとはいえ、まだ色々と心構えが出来ていない。義手が知られたのなら、人体実験の事も話さなければならないだろう。
まずい、頭の中で警報が鳴り響く。
冷汗が止まらない。
奥底が冷えきったミラルドの目とセリューの目が合った。
「──何があったか、兄ちゃんにきちんと説明出来るな?」
さり気なくシェーレの生存報告。
後でお兄ちゃんにぽかぽかしてもらいます。