「っはぁ、はぁ」
──アイツは、マジでやばい。
どれぐらい走ったか。奴はまだ追ってきているのか。部下は何処へ行ったのだ。まさか全滅か?ありえない。何人いたと思っているんだ。あの数をたった一人でどうにか出来るはずがない。違う、認めろ。どうにか出来るから今自分は追われているのだ。痛い。怖い、死にたくない。
何がなんだか、さっぱり理解出来ない。気づいたら血の海で、無我夢中で走り出して来たのだ。
分かることは、奴と自分には天と地程の力の差があるということ。
──そして、捕まったら絶対に殺されるということだ。
「ぜぇ、ぜぇ・・・。ここ、まで来れば、もう大丈夫だろ」
大樹に身を隠しつつ、寄りかかる。本音を言えばこのまま倒れ込んでしまいたいが、何処に奴がいるか分からないためそうもいかない。
走り過ぎたせいで、肺はズキズキと傷んで口の中は鉄の味がする。乗っていた馬は奴に殺され、途中からはずっと自らの足で逃げてきたのだ。この有様も納得だろう。
それでもかなり長い距離を走った。奴は馬にすら乗っていなかったし、流石にもう追いつくことは不可能であろう。
そう思うと急激に身体が疲労を訴え始め、糸が切れたように座り込んでしまう。恐怖のあまり気づかなかったことに、緊張がほぐれ意識が向くようになったのだ。
それが、良くなかった。いや、もうこの時点で何をしようと無駄だったのかもしれない。
逃げられるはずが、無かったのだ。
「──なんだ。もう走らないのか」
ぞくり。
全身を舌で舐められたような、言葉に出来ない恐怖が身体中を駆け巡った。心臓がはち切れんばかりに、音を鳴らし、頭の何処かで「もう、駄目だ」そう思っていた。
追いつかれた、奴だ。逃げないといけないのに、身体が動かない。膝がガクガクと笑って、滴り落ちるほど汗をかく。息の仕方が分からなくなるような、圧倒的なまでの恐怖。
彼が強いから、怖い訳じゃない。強いだけの人間なら他にも沢山遭遇した事があるし、その度なんとか生き延びてきた。
彼が怖いのは、恐ろしいのは、もっと別の理由だ。
自分は知ってしまった。彼の怖さは強さではない。この怖さを知らないで死んでいった部下達は、ある意味では幸せだったかもしれない。
自分は、帝具を持っている。その名はスペックテッド。五視の能力の中一つ、洞視を使った時に自分は彼の奥底に眠る深い闇に気がついてしまった。
心を読む、それが洞視の能力。
彼の心の中には、
喜びも、悲しみも、憂いも、優越も、同情も、怒りも、嘆きも、幸福も、絶望も、希望も、食欲や睡眠欲さえも。
凡そ感情と呼ぶべきものが、彼の心には一切なかった。
こいつは一体何なんだ。
何を考えているんだ?
まさか本当に何も考えていないのか?
───コレは本当にニンゲンか?
そんな考えを最後に、男の意識は掻き消されるようにきえていった。
■ ■ ■
首のなくなった男の死体を足でどけ、額に付いている帝具『スペックテッド』を回収する。これが、今回のミラルドの仕事だ。革命軍の地方チームの皆殺し、これはあくまでオマケに過ぎない。ついでに殺してきて、程度に頼まれた事だ。
ミラルドは本当なら、長い休みに入っているはずなのだが、三獣士が殉職したこともあり尻拭いにこうして働いている。まあ、実際家に居てもセリューは警備隊の仕事があり家を出ているので、そこまで不満はない。どうせ家に居てもする事など、特にないのだ。
まさかこれが、ワーカーホリックだろうか。
なんてことを考えながら、テキパキと手を動かす。
丸い瞳の形をしたアクセサリーのような帝具は、所有者だった男の血で赤く濡れている。流石にこのまま持ち帰るには抵抗があるので、ハンカチで適当にふいてコートにしまう。ついでに、返り血でべっとりと汚れたミラルドの黒い手袋も外し、放り捨てた。値が張るものではないし、躊躇いはない。
アジトが森にあったこともあり、死体は放置していても危険種が勝手に美味しく頂いてくれるだろう。
ミラルドは何かを悔いたように悲しそうに、死体を見つめる───なんてことはなく。仕事が終わった瞬間、コートを翻し一度も振り返ることなくその場から立ち去った。
ナイトレイドが仲間部隊を一つ壊滅されたと聞くのは、この数日後である。
ミラルドの心がスッカラカンなのは、セリューがいない時だけです。
セリューがいる時はあの子への愛情で満たされていますよ。逆に言えば愛情しか、ありませんが。
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