「──・・・ん」
カーテン越しに伝わる太陽の光を受けて、セリューは特に何の予兆も無く目を覚ました。
目覚めて一番にまず、すぐ側にある兄の身体をぺたぺたと触る。半ば日課と化しているそれは、いわばセリューの精神安定剤だ。掌から伝わる熱にひどく安心感を覚える。
元から眠りが浅い方のミラルドは、そうしてセリューが起きて僅かに動き出すだけで目を覚ました。
「・・・おはよう」
「おはようっ、お兄ちゃん」
セリューは相変わらず、朝から元気いっぱいだ。昨日の酒で二日酔い、なんてことにはならなかったらしい。
目を擦りながら、ゆっくりミラルドは身体を起こした。
彼に続いてセリューも起きて、枕元の時計に目をやる。
「まだちょっと早いね。・・・あっ、でもお兄ちゃん。二度寝はしちゃダメだよ」
「セリューに躾られたから、もうしない」
学校の先生のように注意するセリューに、ミラルドはゆるゆると首を振る。
正義を名乗るセリューは、寝坊や夜更かし、勿論二度寝も許さない。ミラルドはよくセリューに叩き起されたものだ。正義の味方は兄に対しても厳しい。
しかし、起きるには少々早い時間だろう。二人は僅かに悩んだ後、早起きは良い事と結論づけて起きることにした。
「うふふ。なんかお兄ちゃんと一緒にお仕事って、変な感じだね」
「まあ」
「嬉しいなぁ」
甘えるように肩に頭を乗せてくるセリューを、軽く撫でてからシャワーを浴びるよう促す。
言われてから、セリューはそう言えば昨日は風呂に入った記憶がないと思い出す。そもそも昨日の記憶が殆どない。最後に覚えているのは、やたらと上機嫌なスタイリッシュとエスデスに酒を飲まされたところで──。
(あれ?じゃあ私何で着替えてるんだろう・・・?)
内心首を傾げて、昨夜の記憶を辿る。しかし、どうにもこうにも自分で着替えた記憶はない。そしてセリューは意識が朦朧としたなか、自らの力で着替えられる自信はない。
となると、誰かに着替えさせられたのか。考えられるのは、セリューの寝巻きの場所を知っていて、尚且つセリューを着替えさせれる状況──つまりひとつ屋根の下で暮らしている人物。
・・・一人しかいない。
「昨日ってあの・・・私その」
しどろもどろになり、目をあちらこちらに泳がせながら自分のネグリジェと兄を見比べた。
聡明なミラルドはそれでセリューの言わんとすることを悟ったのか、サラリと、
「何も覚えていないのか」
「・・・え、じゃあ着替えは」
「俺にやれと、お前が言ったんだがな」
正確には言った、というか行動で示したと言うべきか。何にせよ、ぼんやりとしているセリューの許可を取らずに、ミラルドが勝手に服を脱がせたと思われたら、たまったものじゃない。一応、ミラルドが進んで行動したのではないと明言しておくことも忘れない。
しかし、よくよく考えてみると年頃の娘の着替えをいくら兄だとはいえ、男が手伝うのは良くなかったかもしれない。その証拠にセリューは、愛らしい顔を怒りで赤くしている。顔から火が出そう、という表現もあながち間違っていないだろう。
ミラルドはそれが憤怒ではなく、羞恥なことに気づかない。そして、気づかないままセリューの羞恥をおいて話は進んでいく。
「悪かった。考えが足りていなかった」
頼まれてやった事だという弁解も出来るが、セリューは言い訳を嫌う。セリューを怒らせてしまったら、とにかく潔く素直な心で謝ることが大切である。優しい妹はこれで許してくれるだろう。
許してくれなかったら、もうそれまでだ。自ら首を掻っ切って死を迎えるまで。嫌われたら確実に生きていけない自信がある。
なんて、妹を怒らせただけでここまで重たいことを考えるのが、ミラルドという狂人だ。しかもその妹は怒っているのではなく、ただ恥ずかしがっているだけだというのだから、もはや救いようがない。
兄の頭の中がスプラッタになっているとは知らず、セリューは慌てて首をふり『ミラルドは悪くない』という内容を伝える。
「べっ、別に怒ってるんじゃないんだよっ?えと、それに昨日のは完全に私の自業自得だと思うし・・・私は、その、お兄ちゃんなら・・・い、嫌じゃないし・・・」
どうせならもっと大人っぽい下着を着けていれば良かったか、なんて考えるがこれは心の中に留めておいた。
最後のほうは、声が小さくなってミラルドの耳には届かなかったが、何にせよセリューは無意識のうちに兄の自害を阻止することに成功したのである。これが妹ぱわあ。
頬を赤く染めて琥珀色の瞳を潤ませつつ、チラチラと自分の様子を伺うセリューに、ミラルドは遅れて妹が怒っていないことを理解し、一安心。
ちなみにだが、ミラルドが死ぬとセリューは正義の心やら何やら全てを忘れて、後追い自殺をするため結果的に彼女は自分と兄の二人の命を救ったことなった。
「・・・遅れるとエスデスに怒られるな。朝食作っておくから、早く着替えて支度してこい」
まだベットの上で、百面相をしてアワアワしているセリューに声を掛けてから彼はカーテンを開ける。眩しいが、これぐらいが目が覚めて丁度いいのだ。
頬を赤らめながら、逃げるように着替えを抱えて浴室へ行ってしまったセリューに、少々心を痛めつつミラルドも一階へ向かい、朝食の準備をする。
朝は洋食、夜は和食。昼はその日の気分による。
これは、ユビキタス家の暗黙の了解である。本日もいつも通り、朝食は小洒落たカフェで出るような洋食だ。
献立は、野菜とローストビーフが挟まれたライ麦パンのサンドイッチに、具沢山のミネストローネ。黄金色をしたふわふわのスフレオムレツ、それからヨーグルトサラダ。栄養バランスまでしっかり考えられ、その上見栄えの良いメニューだ。
自分一人ならばここまで凝った料理はしないだろうが、セリューが居るならば話は別。ミラルドは料理が好きなのではなく、妹の為に尽くすのが好きなのである。
これをセリューのシャワータイムを終えるまでに作り、尚且つスープを沸かしている間には自分の身支度もしているというのだから、器用なものだ。そんじょそこらの主婦にも劣らないだろう。
ちょうど、ミラルドがスープを器によそっているときにセリューが浴室から出てきた。
「──・・・わ、美味しそう」
二人分のランチョンマットの上に、綺麗に食器に盛られた朝食を見て、セリューは呟いた。料理からでる湯気と共に鼻孔をくすぐる温かい匂いに、頬が緩むのを感じる。
セリューの言葉にミラルドは満足そうに、僅かに表情を柔らかくした。他人から見れば特に変化のない無表情だが、これが兄なりの笑顔だ。それを知っているのは世界中探し歩いても自分だけだろう、そう思うとセリューは言葉に出来ないような幸せな気持ちになる。
二人揃っての朝食は意外に珍しい。何だかんだ言って二人共──特にミラルドが忙しく、のんびり食事している暇が無かったのだ。
食べ終わると食器を片付けて、セリューをソファーに座らせた。ミラルドはセリューの髪の毛をタオルで丁寧に乾かしてから、後頭部の高い位置で一つにくくる。
そこまでやってくれなくても、とセリューはいつも言うが、妹の世話焼きはミラルドの唯一の趣味なのだ。
特に慌ただしくすることもなく、少しだけ早めに家を出てイェーガーズの詰所を目指す。
「おはようございますっ」
中に入ると、ミラルドとセリューを除いたメンバーが既に揃っていた。集合時間の十分前についたので、遅れたということはないのだが。
ペコリと頭を下げて相変わらず元気ハツラツなセリューに、エスデスはひらりと片手を上げて答えた。
「ん、おはよう。これで全員揃ったな」
今日がイェーガーズとしての初出勤だからか、はたまた隣にミラルドが居るからか、セリューは鼻息を荒くして気合いは充分。しかし、エスデスの言葉はセリューの想像の斜め上をいくものだった。
「暇つぶ・・・、おほん。五日後、帝具の適応者探しに武芸会を開催する」
机に積み上げられた紙の束を、その白い手でバチンと叩いて──、
「──最初の仕事はビラ配りだ」
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