ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー 作:五河 緑
二年前 〈監獄結界〉 独房
「………クソ、あの女」
〈空隙の魔女〉が支配し、現実世界とは異なる次元に建造された石造りの刑務所――〈監獄結界〉。その最深部周辺に設けられた独房の中で黒髪の少年が地に伏していた。
少年は、体のいたるところから出血しており肌の大部分も打撲痕によって変色していた。
「……噂には聞いていたが、想像以上にひどい所だな」
傷だらけの体を横たえ、首だけを動かして周囲を見渡しながら少年は愚痴をこぼす。
少年の出身地域である〈戦王領域〉だけに留まらず、欧州全域で恐れられている〈監獄結界〉とその看守。少年は、先月この〈監獄結界〉に投獄されたばかりだった。
投獄されてすぐ、少年はこの刑務所が数多の国で恐れられている理由を知ることになった。脱出不可能な監獄や冷酷無慈悲の看守も恐ろしいが、真っ先に少年に襲い掛かったのは同じ境遇にあるはずの他の受刑者だった。
通常の手段では拘束できず、他の刑務所では収容できなかった選りすぐりの凶悪犯達が跋扈する檻に少年は放り込まれたのだ。
暗く、娯楽も何もない檻に長いこと幽閉されていた囚人達は腹いせと言わんばかりに新入りの少年に牙を剥いた。
無論、少年も一方的に嬲られるつもりは無く、応戦した。
結果的に狭い檻の中で気の立った犯罪者達による無秩序の乱闘騒ぎに発展し、見かねた看守が駆けつけて持ち前の銀鎖で暴れていた囚人達を滅多打ちにして事態は収拾したのだが、少年を含む多くの囚人が半死半生の体になり各々独房に放り込まれていた。
耳をすませば少年と同様に痛みに呻く他の囚人の声が聞こえてくる。
少年も全身を苛む痛みから逃れるためにさっさと意識を手放そうと目を閉じる。
その直後だった。
「……………騒々しいな」
少年のいる独房、その出入り口である鉄格子の向こう側から澄んだ女の声が響いてきた。
「外で何かあったか?」
少年は声のする方向に目を向ける。
声の主は、少年のいる独房の向かい側に置かれた檻の中にいた。長く、黒い髪と対照的に陶磁器のように白い肌。身に纏っている服は黒と白で彩られた和装。両手には枷がはめてあるのか、身動ぎするたびに重い鎖の音を奏でる。
鉄格子越しに見ても分かるほど、人形のように整った端正な顔立ちをした女だった。
「答えろ少年、何があった?」
厳かな口調で女が問う。
そこでようやく少年も女が自身に話しかけていると気付き、億劫そうに口を開く。
「………ただの喧嘩騒ぎだ。〈空隙の魔女〉の折檻でお開きになったけどな」
「嗚呼……なるほど」
苛立たし気に口にする少年に女も納得したように頷いた。
「……あんたは、なんでここにいる?」
話から察するに目の前の女は、先ほどの乱闘には参加していなかった。ならば何故、この独房に放り込まれているのかと少年は疑念に満ちた表情を浮かべていた。
「わたしは、ずっとここにいる」
「………なにをやってこの刑務所に?」
少年の問いに僅かに動揺したように眉を顰める女。
やがて、その口から出てきたのは哀愁を漂わせた言葉だった。
「………自ら正しいと思ったことをしたまでだ。もっとも、我が盟友によって阻まれた末にこの檻にいるのだがな」
苦々しい表情で語った後に女は、少年に視線を向ける。
「私の名は阿夜。………仙都木阿夜だ。少年、お前の名は何という?」
「俺は………」
これが異界の監獄に捕らわれた少年――九重キリヲと〈書架の魔女〉の出会いだった。
〈絃神島〉空港 到着ロビー
いつもは、比較的に静かな絃神島の空港だが、今日に限っては祭りを前にして訪れた観光客達により普段は見せない活気のある姿を晒していた。
「優麻の奴、遅いな」
喧騒に満ちた空港にて天井から吊り下げられた電光掲示板に目を向けながらぼやく古城。
そして、その隣には終始彼と行動を共にしている獅子王機関からの監視者――姫柊雪菜と、全身に包帯を巻いた黒髪の少年ーー九重キリヲの姿があった。
「そろそろ着いてもいい頃なんだけどね」
古城の呟きに答えるように彼の後ろに立っていた凪沙も溜め息混じりに言う。
くたびれたように言う凪紗を宥めるように苦笑を浮かべたのは、銀髪を肩の辺りで切りそろえた同年代の少女ーー叶瀬夏音だ。
「………というか、古城。俺が来ても良かったのか?」
古城の隣に立つキリヲが少し申し訳なさ気に言う。古城曰わく、今から絃神島に来るのが彼の古い友人だというのはキリヲも聞いていた。
久しぶりの再会に水を差すことに負い目を感じていたのだった。
「ん?ああ、大丈夫だ。気にすんなって。キリヲも波朧院フェスタは今年が初めてだろ?優麻に紹介するついでに案内もするから、任せとけって」
大した事じゃないとでも言うように笑いかけてくる古城にキリヲも自然と表情が、和らぐのを感じた。
「………そうか、助かる。ありがとう、古城」
「おう。……………それよりも、あいつらは何やってんだ」
キリヲの感謝の言葉に相づちを打った後に古城は、一番後ろにさり気なく立っていた二人組に目を向けた。
「げっ、バレた」
「やっぱ、この程度の変装じゃダメか」
古城や凪紗の後ろにいたのは、帽子やら付け髭やらで粗雑な変装をしていた男女の二人組ーー藍羽浅葱と矢瀬基樹だ。
「……………それで変装してたつもりなのかよ。で?何しにきたんだ?」
呆れた様子で古城が問い掛けると二人は、揃って得意気に笑みを浮かべる。
「そりゃあ、古城の本土の友人と聞いたらなぁ?」
「顔を拝まないわけにはいかないでしょ」
野次馬根性丸出しで言う二人にガクリと肩を落とす古城。
「いっそ清々しいな、お前ら」
「あっ、良かったら写真見る?昔のだけど」
疲れ果てた表情を浮かべる古城とは対照的に嬉々としてスマホで以前撮った写真を表示して見せる凪紗。
「ほうほう?」
「これは………」
凪紗の出した写真を古城以外のその場にいた全員が覗き込む。
映し出された写真には、幼い容貌の古城と同じく幼さを残した茶髪の子供が見て取れた。
「へぇ?結構、イケメンじゃない」
写真に写る古城の幼なじみと思わしき少年に目を向けて浅葱が感嘆したように口にする。
「………こんな大人数で出迎えて、流石に優麻さんもビックリするんじゃないでしょうか?」
この場に集まった計七人の姿を見回して雪菜が不安そうに言う。
「まあ………大丈夫だろ」
雪菜に指摘されて僅かに考える素振りを見せる古城だが、最終的には諦めたように嘆息する。
「そうそう、わたし達のことは通行人かなんかだと思ってくれていいから」
調子の良いように軽く言う浅葱と同意するように頷く基樹。
「お前らなぁ………」
あまりに軽い調子で言ってくる同級生二人に再度古城が呆れたと口にしようとした時だった。
「古城っ!」
突如、頭上から快活な声が響きわたり、その場にいた全員の顔が上に向く。
そして全員の視線が一点に集まると同時に、声の主は躊躇うことなくロビーの二階から身を放り出した。
「おわっ!?」
重力に逆らわず、真っ逆さまに落下してきた人物の身体を両手で受け止める。
「古城!久し振り!」
「痛てて………優麻、お前なぁ」
落下してきた旧友を受け止め、床に倒れ込んだ古城に跨がる少女に古城が顔をしかめながら呻く。
「何やってんだ、危ねぇだろ」
「だって早く古城に会いたかったんだもん」
苦言を言う古城に茶髪をショートにした少女ーー優麻は、悪びれずに微笑みながら言う。
「ね、ねぇ古城………」
一連の二人のやり取りを見て唖然としていた六人の中で真っ先に口を開いたのは、浅葱だった。
「ん?どうした?」
「いや、どうしたって……………誰、その子?」
プルプルと細かく震える指で優麻を指す浅葱。
「いや、誰って……………優麻だよ。さっき、写真見てたろ?」
当然のように言い放つ古城。
「…………………女の子………だったんですね」
雪菜も浅葱と同様に驚きを露わにした表情で口にする。
「写真で見た感じで、てっきり男かと………」
「ビックリ……………でした」
基樹と夏音も目を丸くして古城の隣で無邪気に微笑む優麻を見つめる。
「古城、古城。彼らを紹介してもらっても?」
「ん?ああ、そうだな」
古城の袖を引っ張って目の前に立ち並ぶ面々の紹介を求める優麻に古城も一度頷いて、友人の紹介を始める。
「えっと、そこにいるのが姫柊だ。それと、後ろの叶瀬。二人とも凪紗のクラスメイトで、姫柊はうちの隣に住んでる」
「よろしくお願いします」
「お願いします、でした」
古城に紹介された雪菜と夏音が礼儀正しく頭を下げる。
「で、そいつはキリヲ。この前、転校してきた奴なんだ」
「よろしく頼む」
古城の紹介を受けて、握手を求めるように手を伸ばすキリヲ。
「…………………すごい怪我だね、君」
キリヲの手を取りながらも、全身包帯だらけのキリヲの姿に目を丸くする優麻。
「原付きで事故ったんだ」
とっさに思いついた嘘を述べる。
「そ、そうなんだ…………」
「そうだ」
若干引きつった表情を浮かべる優麻に、それ以上追求しないでくれ、と無言の圧力をかけるキリヲだった。
「で、最後にそこの二人なんだが……………」
キリヲと優麻のやり取りが終わったのを察し古城は、最後に浅葱と基樹に目を向ける。
「……………ただの通行人だ」
ボソリと一言だけ古城は言った。
「おい!?」
「ちょっと古城!?」
すかさず、基樹と浅葱が抗議の声を上げる。
「冗談だよ。こいつらは、俺のクラスメイト。藍羽と矢瀬だ」
「ふふっ、みんな面白い人達だね」
一通り古城の紹介が終わったところで、愉快そうに笑いながら優麻が口を開く。
「仙都木優麻です。よろしく」
可愛らしくお辞儀を交えながら自己紹介をする優麻。そんな彼女に雪菜や他のメンバーも口々に、よろしくと挨拶を交わす。
ただ一人を除いて。
「…………………仙都木?」
優麻が雪菜や浅葱達と親睦を深めている最中に突然、キリヲが怪訝そうに問い掛けた。
「ん?」
「仙都木………………なのか?」
首を傾げる優麻に再度問い正す。
「…………………ボクの名字がどうかしたのかな?」
ジッと目を逸らさずに自分を見つめてくるキリヲに優麻も困ったような苦笑いを浮かべる。
「……………………………………………いや、なんでも」
数秒ほど優麻の顔を凝視した後、キリヲは無愛想に一言だけ、そう言った。
「どうかしたのか、キリヲ?」
どこか様子が変なキリヲに古城が声を掛けるが、それに対する返事はなく、キリヲの視線は優麻の顔に向いていた。
〈絃神島展望台〉 最上階
およそ絃神島の中央付近に位置し、二十八階の高さを誇る絃神島有数の展望台。
最上階は、見晴らしの良さを最大限に活かすために窓だけでなく床もガラス張りにされており、眼下に広がる絃神島全体を見下ろすことができる観光スポットである。
「わあ、すごいね!」
いつも溢れんばかりの元気を見せる凪紗だが、今日の彼女のテンションは更に磨きがかかっていた。
級友である夏音の手を引っ張り、展望台をあっちこっちに駆け回っている。
「まさか、古城の幼なじみがあんなに可愛い子だったなんて…………」
「油断ならないなぁ、浅葱」
別の場所では、古城と優麻を交互に見比べる浅葱とそれを茶化す基樹の姿が見て取れた。
「だ、大丈夫ですから先輩…………決して怖いわけでは………………ただ、床のガラスの強度が心配なだけで……………」
そして、展望台エリアの入り口付近、エレベーターの出入り口前では顔面蒼白になった雪菜が震える足で床のガラスをつついていた。
「そう言えば、高い所ダメだったな……………」
この前、小型機に乗った時に見せた雪菜の顔を思い出して古城も苦笑いを浮かべる。
「ほら、掴まれよ。そうすれば安心だろ?」
怯えた表情の雪菜に優しく手を差し伸べる古城。
「し、しかし…………」
「いいから」
震える手を躊躇うように伸ばす雪菜の手を掴むとエスコートするように優しく、数歩前に歩く。
そんな古城にされるがままの雪菜の顔は羞恥とその他色々な感情で真っ赤に染まっていた。
「ハハッ、あの二人って凄い仲がいいんだね。いつも、あんな感じなのかい?」
仲むつまじい姿を見せる古城と雪菜を傍目に優麻は隣に立つキリヲに笑いながら問い掛けた。
「………………大体、あんな感じだ」
そう答えるキリヲの目は、古城や雪菜でもなければ展望台から見える景色でもなく、隣に立つ茶髪の少女に向いていた。
「多分、今なら何話しても古城達には聞こえないよ?」
表情を変えることもなく優麻が唐突に言う。
「ボクに何か聞きたいことがあるんじゃないのかな?……………さっきから、凄い見つめてきてる」
「…………………」
横目でキリヲを見つめながら涼しげな笑みを浮かべる優麻。
キリヲは、一瞬迷うような素振りを見せたが、やがて決心したように口を開く。
「………………単刀直入に訊く。君は魔女か?」
射抜くような鋭い視線を向けながら問い掛ける。
「…………………また、随分とストレートな聞き方だね」
肯定も否定もせずに優麻は、苦笑いを浮かべる。
しかし、その毅然とした態度にキリヲは自分の憶測が的中していたことを確信した。
「回りくどいやり方は、苦手なんだ」
「正直だね」
その言葉を最後に二人の間に僅かな沈黙が流れた。
「ボクの方こそ聞いてもいいかい?………なんで、ボクが魔女だって思ったのかな?」
沈黙を破るように今度は、優麻がキリヲに問いを投げ掛けてきた。
「………俺の目は相手を分析する魔具だ。隠していようが零れ出ている魔力くらい感知できる」
自らの左目を指さしながらキリヲが言うと優麻は、嘲るような笑みを浮かべる。
「そんな玩具で見破られるほどボクも素人じゃないつもりなんだけどな」
疑いの念を含んだ視線を向けてくる優麻にキリヲは、言葉を続ける。
「あと………」
一瞬、言うべきかどうか迷うような素振りを見せた後、キリヲは言葉を続けた。
「………母親と瓜二つだ」
「………っ!?」
『母親』という単語が出た瞬間、初めて優麻の顔に動揺が現れた。先ほどまで浮かべていた笑みが消え、複雑な感情が混じりあったような歪んだ表情が浮かび上がる。
「………そっか。君は知ってるんだね。あの人を」
どことなく悲しさを孕んだ声音で言う優麻にキリヲも怪訝そうに表情をゆがめる。
しかし、やがて話を進めるために次の言葉を口にする。
「…………………何しに絃神島に来た。なぜ、古城に近づく?」
「…………………心外だな。古城とは、本当に友達さ。昔からね。ボクは彼に会いに来ただけだよ」
またしても哀愁漂う顔を見せる優麻。しかし、その目はキリヲを警戒するように鋭さを増していた。
お互いに相手を牽制するかのように視線が宙で交差した。
険悪な雰囲気と重苦しい沈黙が二人の間に生まれた。
「………」
「………」
沈黙を破ったのは、キリヲのポケットから鳴った小さな振動音だった。
バイブレーションで着信を知らせる携帯にキリヲは、一旦優麻から視線を外して携帯に表示された液晶に目を向けた。それに合わせるように優麻も鋭い視線を引っ込め、先ほどまで浮かべていた陽気な笑みを顔に張り付ける。
「優麻!悪いな、ほったらかしにして」
タイミングよく古城も雪菜を連れて優麻とキリヲの側に駆け寄ってくる。ようやく慣れて落ち着いてきたのか、雪菜の顔も色も元に戻っていた。
「キリヲと何話してたんだ?」
「ん~……古城と姫柊さんのことかな」
おどけたような口調で言う優麻に古城と雪菜が気まずそうに視線を逸らす。
「………悪い、古城。ちょっと話してくる」
今しがた着信の来た携帯を古城に見せて、キリヲは三人のもとから僅かに離れた場所まで移動してから通話を開始する。
「………何の用だ?」
『………いきなり、随分な言い様ね』
通話相手は、キリヲと同じ〈監獄結界〉の囚人――ジリオラだった。
開口一番に不愛想な言葉を投げかけてくるキリヲにジリオラも呆れたようにため息をつくが、キリヲは大して意に介さないと言った風にジリオラに返答を促す。
「どうでもいい。さっさと要件を言え」
『はいはい………』
ジリオラも諦めたのか一度大きく溜息をつくと言葉を続けた。
『緊急事態よ。南宮那月が消えたわ。通信も届かないし、魔力も感知できなくなった。……文字通り、姿を消したわ』
「………くたばったか?」
万一にもあり得ないことだが、とっさに脳裏に浮かんだことを思わず口にするキリヲ。
『まさか。あり得ないでしょ』
那月の化け物じみた強さを知っているジリオラが鼻で笑うと、同じく那月の強さを知るキリヲも、確かに、と思い直す。
『なんにせよ嫌な予感がするわ。…………こういう時は、叶瀬夏音の身の安全を守ることが最優先っていうのが南宮那月の指示よ』
ジリオラの言葉にキリヲは、展望室の窓から景色を楽しんでいる銀髪の少女に視線を向ける。
実の父の手によって禍々しき天使へと変貌させられた悲しき少女ーー叶瀬夏音。
父である賢生が投獄された今、彼女は後見人である那月によって引き取られていた。
「……………ジリオラ、今どこにいる?」
『南宮那月の部屋よ。ホムンクルスのメイドも一緒にいる』
よし、と小さく呟くとキリヲは古城達のいる方に足を進めながら言葉を続ける。
「今、叶瀬といる。こっちで確保するから、古城の自宅に向かってくれ。そこで合流する」
一方的に告げると電話を切り、古城と雪菜に事の詳細を小声で口早に伝える。
「えっ!?那月ちゃんが失踪!?」
「………何か事件に巻き込まれたのでしょうか?」
目を見開いて驚愕を露わにする古城と怪訝そうに眉をひそめる雪菜。
「まだ、分からない。ただーー」
一瞬言葉を切って、一歩離れた場所に立っている優麻を横目に見る。
「ーー気を付けた方がいいかもしれない」
低い声音でキリヲが呟くが、その真意を古城と雪菜が察することはなかった。
〈絃神島〉 ラブホテルの一室
「これが日本のホテルなんですね!」
大きなダブルベッドが部屋の真ん中に設置されたホテルの一室にて長い銀色に輝く髪を持つ少女ーーアルディギアの王女ラ・フォリアは、部屋の内装に目を輝かせていた。
「はあ……なんでこんなところに……」
ピンク色の照明やら天井のミラーボールやらに嬉々とした視線を送るラ・フォリアとは対照的に彼女の護衛役である獅子王機関の舞威媛――煌坂紗耶香は、ダブルベッドに突っ伏して心の底から疲弊したような声を漏らしていた。
「全然……辿り着けない」
「それは仕方がありません、紗耶香。この謎の現象……空間転移は不規則です」
本日の早朝、本国アルディギアに帰国すべく空港を訪れていたラ・フォリアとその付添人である紗耶香が突然、島の正反対に位置するサブフロートに飛ばされてから数時間、二人はその後も移動するたびに謎の空間転移に巻き込まれ、〈絃神島〉の各地を転々としていた。
当初はラ・フォリアの正規の護衛である聖環騎士団が待機している絃神島空港にまで戻ろうとしていた二人だが、法則性の読めない空間転移によってその目的は未だ叶わないでいた。
「もう何時間も歩きっぱなしです。偶然とはいえ、この部屋に転移できたのはむしろ僥倖でした」
長々と続いた移動による疲労を癒すため、ラ・フォリアもベッドに腰掛ける。
「ちょうど良いので、少し休んでいきましょう」
「そう……ですね」
柔和な笑みを浮かべるラ・フォリアに紗耶香も力なく溜息をつきながら上体を起こす。
本来ならば一刻も早く王女であるラ・フォリアを安全な場所に誘導しなければならないが、終わりの見えない移動により紗耶香の体にも決して無視できない疲労がたまっていた。
「確かに無為に動くよりもここで一度休憩したほうが――」
心なしかラ・フォリアはこの状況を楽しんでいるような表情を浮かべているが、紗耶香は極力意識しないように苦笑を浮かべながらこの場での休憩に同意しようとする。
「テレビでもつけましょう」
紗耶香の返答を最後まで聞かずに自由奔放な姿を見せるラ・フォリア。ベッドの上に転がっていたリモコンを手に取り、部屋の壁に貼り付けてある液晶画面に向かって電源を入れる。
『―――――!!―――――!』
画面一杯に映されたのは、裸で激しく愛し合う男女の姿だった。
てっきりニュース番組か何かが映ると思っていたラ・フォリアと紗耶香は画面に映し出されたものに絶句する。
元々、そういう目的で利用されるホテルによるサービスの一環なのか、テレビに映し出されたのは一般的に放送されている番組などではなく、未成年厳禁のいかがわしい内容のビデオだった。
部屋中に大音量で女の悲鳴に近い嬌声と淫らな水音が響き渡る。
「ぎゃあああああああ!?」
突如、目の前に広げられた見るに堪えない映像に紗耶香が乙女が到底出すとは思えない絶叫を迸らせて、目にも止まらない速度でラ・フォリアからリモコンを奪取し、電源ボタンを押す。
「はぁ……はぁ………はぁ………」
「あらあら………」
画面の電源を落として荒い息をつく紗耶香を見てラ・フォリアも苦笑いを浮かべる。
「なるほど、ここはそういう……」
ようやく今いるホテルがどのような目的で利用されているのか察したラ・フォリアは、今度は意地の悪い笑みを紗耶香に見せる。
そして、ベッドから立ち上がると部屋の中に設置されたタンスの引き出しを物色し始め、中から見つけたモノを興味深そうに取り出す。
「これは……」
「王女っ!?お願いですから、これ以上部屋の中のものに触れないでください!」
ラ・フォリアが取り出したゴム製避妊具を力ずくで奪い取って部屋の隅にブン投げた紗耶香は、色々と物凄い形相でラ・フォリアの肩を掴む。
「もういいです。早く出ましょう、こんな場所!」
これ以上この場には居られないと言わんばかりに紗耶香はキーボードケースを手に取り部屋の出入り口に向かう。
「何を言うのですか紗耶香。こんなに面白そうな場所なのに」
「王女!?」
駄々を捏ねるラ・フォリアを無理やり立たせようとベッドに歩み寄る紗耶香。しかし、続いてラ・フォリアの口から出た言葉が紗耶香の動きを止めた。
「真面目な話、今はこの場を動かないほうが良いと思いますよ」
ラ・フォリアの顔に先ほどまではなかった真剣さが現れる。
「この空間転移は全くと言っていいほど法則が読み取れません。今のところ面倒な場所には飛ばされていませんが、この次はどうなるか分かりませんよ?下手をすれば島外や海の上に飛ばされても不思議ではありません」
「うっ……」
ラ・フォリアの言葉に紗耶香の脳裏にも嫌な想像が鮮明に浮かび上がった。
「幸いこの場所は、長時間居座っても問題なさそうです。迂闊に動くよりも、状況が整理できるまで留まることを推奨しますが……」
自身の考えを述べ終わったラ・フォリアに紗耶香も納得したように低く呻く。
「………紗耶香、貴女はこの空間転移をどう見ますか?」
ラ・フォリアの問いに紗耶香も数秒ほど考える素振りを見せる。
「……最初は何者かによる魔術的攻撃かと思いましたけど、それにしては規則性がありません。どちらかといえば、自然発生……もしくは副作用的に発生した空間の歪みに近い気がします」
今まで身に起きたことを顧みて紗耶香が返答する。
「……やはり、貴女もわたくしと同じ考えのようですね」
満足げに微笑むとラ・フォリアは部屋に備え付けられた窓に歩み寄り、眼下に広がる景色を見下ろす。
「自然発生したものならば良いのですが、何者かによる行いの余波なのだとしたら………少々、面倒なことになりそうですね」
声音を低くし、太もものホルスターに収められた〈アラード〉を指先でなでるラ・フォリア。そして、その姿を目にして、紗耶香も自然と闘気に近い雰囲気を纏う。
「………ところで紗耶香」
「はい」
相変わらず真剣味を帯びた声で言葉を発するラ・フォリアに紗耶香も目つきを鋭くして応える。
「………先ほどのビデオの続きが気になってしまいました」
くるりと振り返ったラ・フォリアの顔には、先ほどのような険しさはなく、悪戯っ子が浮かべる笑みを携えていた。
紗耶香の方に振り向くと同時に左手に隠し持っていたリモコンでテレビの電源を入れるラ・フォリア。
再び室内に響き渡る嬌声に紗耶香の顔が青ざめる。
この後、気が動転した紗耶香は後ろ回し蹴りでテレビ画面を粉々に粉砕し、後日その賠償金を支払わされた彼女の師匠によって散々搾り上げられるのだが、それはまた別のお話。