ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー   作:五河 緑

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 前回から大分、空いてしまいました。申し訳ありません。これからも、モチベーションの続く限り書いていきたいと思いますので、お付き合い頂けたら幸いです。


観測者達の宴編
観測者達の宴編Ⅰ


 

〈キーストーンゲート〉 屋上

 

 

 普段は、管理公社がヘリポートとして活用している〈キーストーンゲート〉の屋上エリアだが、数分前まで続いていた魔導犯罪者〈メイヤー姉妹〉との戦闘により、現在では瓦礫の積もる廃墟のような様相となってしまっていた。

 

 そんな廃墟同然の屋上にあるの三人の人影。

 

 小国アルディギアから来た白銀の髪を持つ王女――ラ・フォリア・リハヴァインとその護衛である〈獅子王機関〉の〈舞威媛〉――煌坂紗耶香、そして菫色の髪を持ち扇情的な服装に身を包んだ女吸血鬼――ジリオラ・ギラルティである。

 

 「二人とも〈メイヤー姉妹〉討伐の助太刀、感謝いたします」

 

 戦いが終わり、無力化した〈メイヤー姉妹〉の二人が特区警備隊の護送車によって連行されたのを見送ってからラ・フォリアは、自らの戦いに加勢してくれたジリオラと紗耶香に頭を下げて感謝の意を示していた。

 

 「いえ、王女の身を守ることが仕事ですから。お気になさらず」

 

 頭を下げてくる一国の王女に恐縮だと言わんばかりに首を振る紗耶香。ジリオラも大したことじゃないと苦笑いを浮かべる。

 

 「あんたの身になんかあったら、わたしがキリヲの奴に殺されちゃうわよ。お姫様」

 

 茶化すようにジリオラが言うとラ・フォリアも困ったように苦笑を浮かべる。

 

 「ジリオラ・ギラルティ、貴女と肩を並べて戦うのはこれで二度目です。事情はあれど、わたくしの私的な戦いに貴女は二度も加勢に駆けつけてくださいました。………わたくしは、貴女のことを一人の友だと思っています。ですから、王女ではなく気軽にラ・フォリアとお呼びください」

 

 優し気に微笑みながら言うラ・フォリアにジリオラも意外だったのか一瞬目を丸くして目の前の銀髪の少女の顔を眺めた。

 

 長年吸血鬼と終わりなき戦いを繰り広げてきたアルディギアにとって吸血鬼とは種族を問わず、忌むべき怨敵だった。近年は、聖域条約により軟化してはいるが未だにアルディギアでは反吸血鬼主義が根強く残っている。

 

 そんなアルディギアの王女が旧き世代の吸血鬼を友と呼ぶこと自体が極めて異例なことであり、ジリオラにとっても驚きを隠せないことだった。

 

 「友……ね」

 

 久しく聞いていない言葉だったなと感慨深く一度呟くと、ジリオラはラ・フォリアに向き直って言葉を続けた。

 

 「なら、貴女もわたしの事を一々フルネームで呼ばなくても構わないわよ」

 

 「………ええ、分かりました。ジリオラ」

 

 ジリオラの答えに満足したのか、大きく一度頷くと今度は紗耶香に向き直るラ・フォリア。

 

 「貴女もですよ、紗耶香。王女などと堅苦しい呼び名はやめてくださいな」

 

 「へ?わたしもですか!?い、いえ、あの……わたしは職務上、そういうわけには……」

 

 ジリオラとは対照的に遠慮すると首を横に振り続ける紗耶香にラ・フォリアは、不服そうに頬を膨らませる。

 

 「つれないですねぇ、同じ寝台で夜を過ごした仲ではありませんか………一糸まとわぬ姿で」

 

 「ちょっ!?王女!?」

 

 わざとらしく悲し気な表情を浮かべながらもとんでもないことを呟いていくラ・フォリア。その一言に紗耶香が慌てふためいた様子でラ・フォリアの口を塞ごうとする。

 

 しかし、すでにジリオラの耳には入っており……。

 

 「あら、貴女ってそっちの気もあったのね。ラ・フォリア」

 

 意外そうに眉を吊り上げるジリオラ。それに悪乗りをするようにラ・フォリアも言葉を続ける。

 

 「いえ、わたくしにそのつもりは無かったのですが………紗耶香に『ラブホテル』なる所に連れ込まれまして。そこで、無理やり……」

 

 「なに適当なこと言ってるんですか!?冤罪ですよ!?むしろ、わたしが脱がされた方じゃないですか!?………っていうか、結局なにもしてないですし!」

 

 ラ・フォリアの言葉を全力で否定する紗耶香。しかし、ラ・フォリアとジリオラの悪ふざけは止まらない。

 

 「抵抗するわたくしを押さえつけて…………初めてを散らされてしまいました」

 

 「今の話、キリヲにも聞かせてやりたいわぁ。絶対、物凄い顔するわよ、あいつ」

 

 もはや悪戯っ子の笑みを隠そうともせずに好き放題言い始めるラ・フォリアとジリオラ。流石の紗耶香も堪忍袋の緒が切れたのか、〈煌華麟〉を洋弓型の広域殲滅形態に変形させて叫び声を上げる。

 

 「だああぁ!いい加減にしてください、王女!あんたも悪乗りするな、犯罪者!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ紗耶香にラ・フォリアとジリオラは、さらに愉快そうに笑みを深くする。

 

 「紗耶香、もし今度同じベッドで泊まる機会がありましたら、その時には試しに少しシてみましょうね。ジリオラもご一緒にどうです?」

 

 「しませんっ!」

 

 「いいわねぇ、そういうのは得意だから色々と教えてあげられるわよ?………気持ちいい所とか」

 

 「結構よ!」

 

 脳内でその光景を想像してしまったのか、本格的に羞恥心に満ちた表情を浮かべる紗耶香にラ・フォリアとジリオラも堪えきれなくなったのか遠慮せずに声を出して笑い始めた。

 

 そんな二人を前にますます顔を赤らめる紗耶香だった。

 

 「……で、冗談はこれくらいにして。これから、貴女はどうするつもりなのよ?」

 

 ひとしきり紗耶香をいじる冗談で笑った後、ジリオラがラ・フォリアに問い掛ける。

 

 「そうですねぇ……。わたくしは、一度〈聖環騎士団〉の待機する飛空艇に戻ります」

 

 ラ・フォリアは、紗耶香に向き直りながらそう口にする。その真意を察して紗耶香も表情を真剣なものに切り替える。

 

 護衛対象であるラ・フォリアがアルディギア王国の管轄内に戻るということは、自動的に紗耶香の任務が一度終了することを意味する。すなわち、紗耶香は彼女の判断で同じ〈獅子王機関〉の攻魔官である雪菜の援護に迎えることになる。

 

 「………感謝します。王女」

 

 「礼には及びません。………こちらの方こそキリヲを頼みます」

 

 頭を下げてくる紗耶香に一言そう告げると、ラ・フォリアはジリオラに向き直る。

 

 「貴女は、どうなさるのですか?」

 

 ラ・フォリアの言葉に一瞬、口を閉ざして自らの体を見下ろすジリオラ。数秒ほど考えた後に海岸沿いに見える〈監獄結界〉に視線を向けて言葉を紡ぐ。

 

 「………一度、退避するわ。ホムンクルスのメイドと合流して叶瀬夏音の護衛につく」

 

 その言葉にラ・フォリアが怪訝そうに目を細める。

 

 「………紗耶香と共に〈監獄結界〉に乗り込まないのですか?」

 

 「悪いけど、あそこに行くのだけは御免被るわ。………それにさっきの戦いで魔力をあらかた使い切っちゃったのよ。一旦どこかで補充してこないと、まともに眷獣も出せないわ」

 

 悪びれる様子もなく、肩をすくめてそう口にするジリオラに今度は紗耶香が疑問に満ちた表情でジリオラに問いを投げ掛ける。

 

 「魔力切れ?………旧き世代にしては随分と魔力量が少ないのね」

 

 言いながら紗耶香は先の戦闘を思い返していた。〈図書館〉所属の〈メイヤー姉妹〉、世界中で名の知れた危険な魔導犯罪者であることには変わらないが、それはジリオラにも同じことがいえた。………いや、むしろジリオラはそんな〈メイヤー姉妹〉以上に危険視されてきた魔導犯罪者なのだ。本来ならば、紗耶香やラ・フォリアが手を貸すまでもなく、ジリオラ一人で〈メイヤー姉妹〉を片付けていてもおかしくはなかった。

 

 しかし、戦う様を見た感じではジリオラの召喚していた眷獣は、どれも魔力消費の少ない〈意志を持つ武器〉の眷獣ばかり。大量召還できるはずの〈毒針たち〉も量を抑えて召喚しており、切り札である〈アスクレピオーネ〉も使わなかった。

 

 旧き世代の吸血鬼にしては、消極的すぎる戦い方であり、なにより過去に報告されていたジリオラの蛮行と比較して今の彼女の戦闘力は明らかに弱体化していた。

 

 「嗚呼、それは………」

 

 紗耶香の言葉に不愉快そうに表情を歪めながらジリオラは、右手を二人に見えるように掲げた。

 

 「………コレのせいよ」

 

 ジリオラの言葉が終わると同時にヴォンッ、という駆動音と共にジリオラの右手首に現れたのは魔力で構成された手枷だった。

 

 使われている手枷の装飾や発している魔力からこれが南宮那月の用意したものだというのは、紗耶香とラ・フォリアにもすぐに分かった。

 

 「南宮那月がわたしに掛けた保険よ。わたしの眷獣は、一度解き放てば短時間で大勢を殺せる。だから、万が一にもわたしが歯向かってきた時のことを考えて、あの魔女がわたしを外に出す条件として付けさせたのがコレよ」

 

 旧き世代の吸血鬼としてのプライドとして余程不愉快だったのか、忌々しそうに手枷を睨むジリオラ。

 

 「おかげで魔力の最大値は激減するし、霧化とか眷獣の能力にも少なからず制限が掛かってるのよ………」

 

 本当に腹立たしいわ、と悪態をつくジリオラにラ・フォリアも納得したように頷く。

 

 「………なるほど、それならば確かに一度貴女は後退したほうが良いですね。紗耶香、〈監獄結界〉までの移動には下の階にある車両を使ってください。特区警備隊の備品や〈波隴院フェスタ〉のパレード用などに色々と取り揃えてあったはずです」

 

 「分かりました」

 

 ラ・フォリアの言葉に頷き、〈煌華麟〉を片手に紗耶香は〈キーストーンゲート〉の下層目指して駆け出す。そんな紗耶香を見送ったラ・フォリアも後方で待機していた三人の宮廷魔術師達の元に向かい、飛空艇へと移動するための空間転移魔術の準備に入る。

 

 「さて、わたしも移動しようかしら………………………あら?」

 

 紗耶香とラ・フォリアが移動を開始したのを確認し、ジリオラも霧化を使ってアスタルテと夏音の元に移動しようとした直後だった。

 

 

 ピシッ

 

 

 妙な音と共に違和感を訴えてくる右手首にジリオラは目を向けて驚愕に目を見開いた。

 

 「枷が………緩んだ?」

 

 完全に砕けたわけではないが、ジリオラの手首に繋がれていた金属製の手枷の表面に罅が入り、ジリオラの魔力を制限する拘束の力も微弱なものになっていた。

 

 この状況で那月がジリオラの拘束を緩めるとは考えにくい。そうなると、他に考えられる可能性は………。

 

 「南宮那月が倒れた………………いえ、まさか」

 

 あり得ないと否定しつつも、相手があの〈書架の魔女〉ならばその可能性も零ではない。

 

 「……………どう動くべきかしらね」

 

 なんにせよ、南宮那月が窮地に立たされているのは事実だろう。

 

 それを好機と見るか否か………。

 

 

 

 

 視界の先にある〈監獄結界〉を睨みながらジリオラは、静かに思案するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈監獄結界〉 最奥部

 

 

 「くそ………」

 

 〈白狐〉に貰った膝蹴りにより鈍い痛みを訴える腹部を左手で抑えながらキリヲは悪態をつく。しかし、今のキリヲにとって一番受け入れがたい現実は〈白狐〉に敗れたことではなく、恩師である南宮那月を守り切れず、暗い表情で項垂れる古城の姿だった。

 キリヲの視線の先では、元の体に戻った古城が胸から鮮血を流し、身動き一つしない那月を抱えている。キリヲと雪菜は先の戦闘で受けたダメージで動くこともできず、その姿をただ見ていることしかできなかった。

 

 「…なんで……なんで、こんなことを……優麻……」

 

 「………ごめんよ、古城。必要なことだったんだ………………身体は返すよ」

 

 古城と同様に元の体に意識を戻した優麻は、那月を抱えて嗚咽を漏らす古城を静かに見下ろしている。その声音は、罪悪感と憐れみを孕んだものではあったが、後悔の色を含んではいなかった。

 

 「先輩………」

 

 「古城………」

 

 雪菜とキリヲもかける言葉を見つけることができず、ただ茫然と古城の名を呼ぶことしかできなかった。

 

 「………勝負、あったみたいね」

 

 誰もが口を閉ざし、室内に古城の嗚咽だけが響いている中、最初に言葉を発したのは白い狐の面を被った〈六刃神官〉――〈白狐〉だった。

 

 「こっちも決着を着けようかしら………」

 

 〈白狐〉は、得物である霊槍〈乙型呪装双叉槍〉を構えなおしながら、キリヲ目掛けて歩みを進める。その迷いのない足運びから、数秒後には一片の容赦もなくキリヲの命を摘み取るであろう殺意が伺えた。

 

 「おい……待てよ」

 

 自らに近づいてくる〈白狐〉に抵抗らしい抵抗もできないキリヲが険しい表所を浮かべると、今まで那月を抱えて押し黙っていた古城が唐突に口を開いた。

 

 「那月ちゃんだけじゃなくて、キリヲまで殺す気かよ。………なんで、そんなことするんだよ!?もう、十分だろ!?やめてくれっ、優麻!」

 

 かつては揺るぎない信頼を寄せていた親友であったはずの優麻に古城は懇願するように叫ぶ。その悲痛な叫びに優麻は表情を歪め、〈白狐〉も足を止める。

 

 「………仙都木優麻。まさかとは思うけれど………邪魔をしたりしないわよね?」

 

 〈白狐〉が威圧感を伴う低い声音で優麻に問い掛ける。その言葉に優麻は数秒ほど押し黙り、脳裏に葛藤が浮かんだようだが、やがて決意したように答えを口にする。

 

 「もちろん、邪魔なんかしないよ。………君は君の成すべきことをすればいい」

 

 その答えに古城は唖然とし、〈白狐〉は満足気に一度頷いて再び歩みを進める。

 

 「………俺の息の根を止められるのが、そんなに嬉しいか?」

 

 眼前にまで迫った〈白狐〉を見上げながらキリヲは皮肉気に表情を歪ませて問い掛ける。その言葉に〈白狐〉は動きを止め、仮面の奥から言葉を発する。

 

 「ええ、もちろんよ。十年以上募らせてきた恨みをようやく晴らせることができるのだから………嬉しくない訳がないでしょう?」

 

 心の底からこの瞬間を待ち望んでいたと言わんばかりに恍惚とした声音で告げる〈白狐〉。その言葉にキリヲは顔を怪訝そうに歪めながら再び口を開く。

 

 「十年以上前…………少年兵のころか……」

 

 まだ人殺しの技を得ておらず、〈黒死皇派〉の元で剣の腕を磨いていた日々を思い返しながらキリヲは呟く。それを聞いた〈白狐〉は、嬉々とした声音で声を発する。

 

 「そうねぇ………最後にもう一度だけチャンスをあげるわ。………わたしがどこの誰か、思い出せたかしら?」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉の切っ先をキリヲの脇腹に突き付けながら〈白狐〉が問い掛ける。

 間違えれば碌なことにはならない、そう思うとキリヲの顔に冷や汗が流れた。

 

 「………カザフスタンか?」

 

 かつて〈黒死皇派〉の行った大規模テロの標的となった街の存在する国の名を挙げる。キリヲも本意ではなかったが、ガルドシュの指示のもと参加していた。その時の被害者かとキリヲは考えたが………。

 

 「ブブー。残念、不正解よ」

 

 ふざけた様な口調でそう告げると〈白狐〉は躊躇うことな〈乙型呪装双叉槍〉をキリヲの脇腹に突き立てた。

 

 「ぐああぁっ!?」

 

 「ほら、次は?他にもあるでしょう、心当たりは?」

 

 苦悶に喘ぐキリヲを見下ろしながら〈白狐〉は〈乙型呪装双叉槍〉を引き抜いて、今度は右肩――義手である右腕の付け根に狙いを定めた。

 

 「…………スロバキア………俺と同じ、〈黒死皇派〉の少年兵か?」

 

 今度は、〈黒死皇派〉が主要拠点としていた国家の名を挙げる。キリヲ以外にも〈黒死皇派〉が使っていた少年兵はいくらかいた。その中でもガルドシュに気に入られていたキリヲは、やり方は歪んでいただろうが確かな愛情の元に育てられていた。しかし、他の子達は違った。世間一般的に知られている少年兵と同様に劣悪な環境下での生活を強いられていた。彼らから見れば、キリヲは妬ましく、同時に許しがたい存在であったのは間違いないだろう。

 しかし、それに対する〈白狐〉の返答は………。

 

 「外れよ。残念だったわね」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉の矛先がキリヲの右肩に突き刺さる。

 

 「ぐうぅっ………!」

 

 肩からは筋肉繊維がブチブチと切れる音が響き、どす黒い血が噴き出ていた。そんなキリヲの肩から〈乙型呪装双叉槍〉を引き抜くと、〈白狐〉は再び問い掛ける。

 

 「この調子じゃ、まだまだ掛かりそうね。………次はどこを狙おうかしら?」

 

 どうやら、このいかれたゲームはまだ続くらしい。刺された箇所が訴える激痛に耐えながらキリヲは胸中で悪態をつく。

 〈白狐〉の方は、次にどこを刺すかで迷っているらしく、キリヲの体の各所を〈乙型呪装双叉槍〉で突いていた。

 

 「その金属でできた紛い物の足かしら?それとも、その憎たらしい顔にしようかしら?もしくは………」

 

 嬲るように槍の切っ先を目の前で動かす〈白狐〉。やがて、〈乙型呪装双叉槍〉の槍先はキリヲの体のある部分で止まることになる。

 

 「………まだ義肢になっていない貴方の左腕かしら?」

 

 「くっ………」

 

 義手と違い感覚を遮断することのできない左手の甲に〈乙型呪装双叉槍〉を当てられてキリヲは誤魔化しようのない恐怖に表情を硬くする。

 

 「これを失えば、貴方は四肢を完全に失うのね………。もう、貴方は誰かの手を握ることも、誰かの温もりを感じ取ることもできなくなる。………だって、貴方自身の手なんて一本も存在しなくなるのだから」

 

 嗜虐的な声音で告げる〈白狐〉。

 その時だった。

 

 「てめぇっ!いい加減にしろっ!」

 

 ついに見ていられなくなったのか古城が立ち上がり、雷の形を象った魔力を帯びた拳を振り上げて〈白狐〉に殴りかかっていった。

 しかし……。

 

 「ふんっ」

 

 「がっ!?」

 

 〈白狐〉は、難なく古城の拳を避けると〈乙型呪装双叉槍〉で魔力を帯びた古城の拳を叩き落とした。

 古城の拳に宿っていた魔力は〈乙型呪装双叉槍〉の矛先に触れると、まるで最初から存在しなかったかのように跡形もなく消滅していった。

 

 「神格振動波よ。〈剣巫〉から頂戴したこの力で、しばらく大人しくしていなさい」

 

 そう言うと〈白狐〉は神格振動波を纏った〈乙型呪装双叉槍〉を古城の胴体に向けて突き出す。

 

 「がはっ!?」

 

 魔力を消滅させる神格振動波を伴った一撃をもろに受けた古城はそれだけで、しばらくは行動不能に陥る。

 古城が大人しくなったのを確認した〈白狐〉は再びキリヲに向き直り、〈乙型呪装双叉槍〉の矛先をキリヲの左腕に向ける。

 

 「さあ、答えなさい。………わたしは、誰?」

 

 〈白狐〉の向けてくる殺意を孕んだ冷たい眼差しにキリヲは、数秒ほど自らの記憶を掘り起こして考え込む。僅か数秒が、とてつもなく長い時間に感じられた。

 やがて、一つ思い浮かんだのか、ゆっくりと口を開いて答えを口にする。

 

 「……………ルーマニア」

 

 ルーマニア、それはかつてキリヲが家族と共に暮らしていた〈戦王領域〉の内部に位置する国だった。キリヲがまだ〈黒死皇派〉に入る前にいた場所であり、その頃は戦争なんかとは無縁の暮らしをしていたため誰かの恨みを買った覚えはないが………もうキリヲの思いつく『かつて自分がいた場所』はそれくらいしかなかった。

 

 「……………」

 

キリヲの答えを聞いた〈白狐〉の動きが唐突に止まる。

 数秒ほどキリヲを見下ろした後、キリヲの左腕に向けていた〈乙型呪装双叉槍〉を退けて屈みこみ、目線をキリヲに合わせる。

 

 「………思い出してきたかしら?」

 

 キリヲの顎を左手で優しく掴みながら満足気に言う〈白狐〉。その様子から、キリヲも今の答えが間違っていなかったことを確信する。

 しかし。

 

 「………あそこで誰かを傷つけた覚えはないぞ」

 

 ルーマニアはキリヲにとっての故郷だ。そこにいた頃は、まだ少年兵になってはおらず人殺しに手も染めていない。誰かの恨みを買うようなことはしていないはずだった。

 しかし、その言葉は目の前の〈白狐〉にとって愉快なものではなかったらしい。

 

 「………本当にいないかしら?一人も?」

 

 キリヲの顎を掴む〈白狐〉の左手に力がこもる。

 

 「………ああ。あそこで、俺は家族を失った。奪われる側にいた。誰も…………傷つけてなんかいない」

 

 思い出したくない記憶が蘇り、不快そうに呻くキリヲ。対照的に〈白狐〉は、懐かしむように仮面の下から小さく笑い声を漏らす。

 

 「ええ、そうね。確かに貴方は奪われる側だった。わたしも覚えているわ。街中で眷獣が破壊の限りを尽くしていた。炎を纏った猛禽が家を吹き飛ばし、貴方の両親を焼き殺した」

 

 「待て…………」

 

 「そして、貴方は逃げた。幼い妹の手を引いて」

 

 「なぜ、それを…………」

 

 全てを見透かしたように言葉を紡ぐ〈白狐〉にキリヲは目を剥く。

 

 「でも、次第に疲れて足が動かなくなった妹の手を貴方は、振りほどいた。……………助けを呼んだら必ず戻ると言い残して…………貴方はわたしを………置き去りにした」

 

 淡々と語っていた〈白狐〉の口調は、次第に低くなり怨嗟に満ちたものへと変わっていく。

 そして、同時にキリヲも目の前の少女の正体に感づき、目を見開く。

 

 「まさか……………」

 

 「ずっと…………ずっと…………待っていたのに……信じていたのに……」

 

 怒りと哀愁の入り混じった声音で言いながら、〈白狐〉ーー否、霧葉は狐の仮面を自ら剥がした。

 

 「…………久しぶりね」

 

 仮面を取り払い、キリヲの眼前にさらされた黒髪の少女は喜び、悲しみ、憎しみ、怒り、様々な感情が混ざり合った表情をしていた。

 

 「馬鹿な…………霧葉…………」

 

 もう二度と会うこともないと思っていた肉親との再開にキリヲは、言葉を失う。

 二人の様子を伺っていた古城と雪菜も驚愕に目を見開いていた。

 そして、驚きと混乱に満ちたキリヲの顔を数秒ほど見つめた後、霧葉はゆっくりと立ち上がり、手にしている〈乙型呪装双叉槍〉を頭上に振り上げた。

 

 「ずっとその顔が見たかった。…………わたしを見て欲しかった。でも、もういいわ」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉を振り上げる霧葉の瞳に暗い殺意が宿る。

 

 「よせ…………やめろっ!」

 

 これから起こることを察した古城が必死の思いで叫び、未だに傷で思うように動かない体で手を伸ばす。

 しかし、

 

 「さようなら………」

 

 古城の叫びに動じることなく、霧葉の手に握られた二刃の霊槍が無慈悲に振り下ろされる。

 

 

 

 

 

 

 

 「…………兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 観測者達の宴編に入りましたが、本編に入る前に二、三話ほどキリヲと霧葉の兄妹喧嘩の展開を挟もうと考えています。

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