夜、真っ暗な中、いつ魔物が出てきてもおかしくはなかった。さっきまで出ていた月の光は雲で隠れており、聞こえてくるのはカストコの息遣いだけだった。この辺りはスライムやドラキーなどの、油断しなければ勝てるといった弱い魔物しか出ないことは知っていたが、それでも三人は警戒しなければならなかった。
「もうすぐで洞窟かな。このまま何事もないといいけど」
「ああ、そうだな明かりが見えていたし」
「ええ……そうね」
ふとラルスが沈黙を破った。だがあとの二人は曖昧な返事をした。
アドリスクは魔物の生息地に入ってからずっと違和感を抱いていた。夜は魔物が最も活発になる時間帯である。昼間よりも凶暴化し、夜に好んで町や村を出る冒険者はまずいない、全滅する可能性が高いからだ。だがソルクトルムからここまで一切魔物が出ていない。そのことがアドリスクの警戒を強めていた。
「こんなに歩いて出てこないってのはどっかの商人が聖水をぶちまけたのかそれとも……とんでもなく強い魔物がうろうろしてんのかのどっちかだな」
「私としては商人のうっかりに期待を寄せるわ」
「みて、二人ともチャランだよ」
アドリスクとマルカが可能性について思案していると、ラルスが明かりの方を指して、笑顔で駆け寄っていった。ゆっくり荷物を引いてくれているカストコに合わせ進むと、洞窟の前には制服に身を包んだ兵士の姿があった。チャランは『賢者の使徒』ではなく兵士になることを選んだ青年で、アドリスクに例の薬を届けた張本人であった。
「チャランだったら何か知っているんじゃない? あんたの推理が正しければ王様とグルってことだし」
近くまで行くとアドリスクにマルカが耳打ちした。彼もそれは考えていたようで、何故か苦笑いを浮かべるラルスを押しのけて切り出した。
「おい、チャランお前がくれた例の薬だけど……」
「よくぞきた賢者の使徒よ、さあ中に進むがよい!」
「いやだからお前がくれた……」
「よくぞきた賢者の使徒よ、さあ中に進むがよい!」
「こうなったら」
「よくぞきた賢者の使徒よ、さあ中に進むがよい」
「んん、魔法のカギをつかいまほう!」
「よくぞきた賢者の使徒よ、さあ中に進むがよい!」
アドリスクの渾身のダジャレも空振りに終わり、ここでようやくラルスの表情の意味がくみ取れた。
「僕も話しかけたんだけどね、同じ話しかしないんだ」
チャランのことをよく知る二人は眉をひそめた。これはもう異常であった。魔物がいないことと何か関係があるに違いない、しかしここで足を止めれば『賢者の使徒』に追いつく事が出来ない。どうしたものかと悩んでいるとマルカがカストコの手綱を離し、チャランに詰め寄った。
「私ってほら自分で言うのもなんだけど馬鹿じゃない? 時間もないしね」
「よくぞきた賢者の使徒よ、さあ中に進むがよい」
「だからさあこういう解決方法しか思いつかないんだよね」
「おいまて、マルカまだ何が原因かわからないんだぞ……」
「フンッ」
こうしてマルカはアドリスクの予想通り、うわ言のように繰り返すチャランのみぞを殴った。正確にはこぶしを突き出したという方が正しいだろう、ともあれ彼は白目になり胃の内容物を吐き出した。正面にいたマルカは長年の経験からか、すぐに横にスライドするように立ち退いたので被害は皆無だった。
「……」
二人が呆然と立ち尽くしていると、マルカは悪びれもせず「やっぱり兵士の服って耐久性低いわね」などとぼやいていた。
「どうすんだよこれから」
アドリスクは額に青筋を立てて、見下ろしていた。完全にのびたチャランをどうしようか。恐らく魔物などに操られていた友人をこのまま置き去りにする訳にもいかない。
アドリスクがうなっていると、ラルスがカストコから荷物を降ろし始めた。
「だって僕たちもどるわけにもいかないし、かといってチャランをこんな魔物の生息地に置いていくわけにもいかないからカストコに連れて戻ってもらおうよ」
「確かにそれしかないかもな、それにもし魔物と戦闘になれば巻き添えを食うだろし」
アドリスク達はカストコを見送ると、そのまま洞窟に入っていった。
「洞窟の方が明るいとは……」
「ここは普段、ソルクトルムと他の土地を繋ぐ唯一の道だからね。なんでも道を照らす明かりは特殊な鉱石が使われているらしいよ」
「でもなんでこんなに穴だらけなわけ?」
「もともと軍隊アリの住処だったみたいで、その名残が今でも残っているみたい」
その洞窟は一本道だが、左右には穴が開いており好奇心で進もうとすれば、後に骸骨となって発見されることがあるほど入り組んでいる。馬車が四台平行できるほどの巨大な道は舗装されているものの、今は三人の足音しか聞こえてこない。
「なあラルスいつになったら出口に着くんだ?」
「入ってから、ずいぶん経ったから……皆静かに」
言うとラルスは口元に人差し指を置いた。いつになくこわばった顔に二人も口を閉じた。
「ズズズ、ズズズ、ズズズ……」
「……なんだこの音は、何かをひきずっているような」
音が聞こえる。三人は入口の方を振り返った。