大阪国。
いまや食と芸の聖地として全国に名をとどろかせるこの国は全国に類を見ないほどのにぎやかさを誇っていた。
京都と同じく、道州制時代から観光客が多かったこの国であるが、大阪国民のおおらかな国民性、また隣接し毎日のようにライブをする京都国との親和性もあり、年々他国よりも観光依頼が多くなっていた。
演芸やお笑いのライブ、コント劇は通りから商店街、劇場、ドームと国の各地で毎日行われ、並ぶ屋台の食べ物を片手に見るものも少なくない。
それによって、上京していたお笑い芸人の大半も東京からUターンし、いまや『お笑い』という文化はほとんど大阪国のものとなっていた。
そんな大阪国に問題が発生したのは、東京大決戦が終わってしばらくしてのことである。
かつて道州制があったころ、歯に衣着せぬ物言いで一躍有名になり、知事まで上り詰めた現在の国家自警団「大阪レボリューションズ」の団長
「ボケに対して、大阪国民は必ずツッコまなければならない」という、目的も理由も不明なまま公布されたこの法に、国民の反応は二分された。
「ボケにツッコむなんて、今までもそうだったんだから、別に困りはしない」として問題はないとする国民と、「お笑いは強制するものではない」として全力で抵抗する国民。
後者は、お笑い怪獣として全芸人から畏敬の念を集める
京都国の一事件を解決、というより見届けた一行は最後の依頼の場である広島国を目指していた。はずだった。
関所を越える香ばしいにおいにつられて、予定の順路から外れて大阪へ寄ったのだ。
大阪と言えばたこ焼きが有名ですよね。という
観光をしている暇はないんだけど、と急かす
「わあ……」
関所の受付からパスポートを返されてすぐ、千綾は緑のジャケットと金髪を揺らし、目を輝かせながら右往左往させた。
見渡す限りずらりと並ぶ屋台である。しかも、確認できる限りすべてたこ焼き屋のようだった。
トッピングやソースが各々の店によって全く違うのだろう。どの店にも行列ができて、店員は客とだけでなく、隣店の店員とも大口を開けながら笑っていて、競合しているといった空気は見られない。
看板はたこ焼きの文字がでかでかと書かれているが、お好み焼きや焼きそばも一緒に売っている店も多く、お腹がすいているのに立ち往生してしまう。
道路に出てたこ焼きを手売りしている者も見受けられ、話し声が絶える場所がない。
「のんたん、うーたん、ゆきっぺ、早く」
スクーターを押しながら、心なしか足早に人ごみを抜けていく千綾についていきながら、逢衣は目を丸くした。
人々の熱気がこもる東京国の熱は段違いだったが、大阪国も負けず劣らず熱気がすごい。
他よりも露出度が高い逢衣でさえ、ため息をつくほどである。
「すごいな……」
「これだけあると逆に迷っちゃうよね……」
望未がカバンからタオルを取り出し、汗をぬぐいながら逢衣を見る。
タイツにショートパンツ、上半身は、上着は着ているが、一番上でしか留めていないせいで下着(もしくは水着か。そういえばいまだに聞けずじまいでいる)がほぼまるまる見えている。
いつ見ても自分には真似できない格好だが、今はそれが少し羨ましい。
「たこ焼き……」
本場のたこ焼きが珍しいのか、後ろをついてくる結季奈が呟く。
そう言えば、望未の実家であるだんご屋「もりとも」でもたこ焼きは売っていたが、その望未もここで見られるような大きなたこ焼き器は見たことがない。
結局、なにが食べたいか決まらずにてろてろと歩いていると、なにやら周りが騒がしくなってきた。
「なんやなんや?」
「ケンカやケンカ!」
「
それまで談笑していた客たちが、『ケンカ』という言葉を聞くなり、食べながら大移動を始める。
いや、客たちだけじゃない。店員すらも目を爛々とさせながら調理器具を置いて走りだそうとする。もちろん、火もガスも消すという安全は忘れずに。
「た、たこ焼き……」
空腹で手を伸ばす千綾だけでなく、望未たちまで手で押していたバイクごと人の波に飲み込まれてしまった。
「大阪レボリューションズ」副団長である
王に付き従い護衛する兵のように、彼女の後をついてくるかっちりしたスーツの団員にも。いつも変わらずケンカを興味本位で囃し立てるこの大阪国民にも。そして自分のやっていることに。一番は、やることをやらなければならない自分の立場にだ。
ぴっしりとしたパンツスーツに身を包まれた彼女の目は不機嫌そうに鋭く、ポニーテールは熱気で揺れた。
ある少女の前に対峙すると、徹子はサングラスを外した。威圧するほどの眼光が宿っていたが、それを目の当たりにしても周りの熱気は収まらない。
どこから聞きつけたのか、大勢の人々が叫び、祭りと見紛うような熱い空気を作り上げ、浮かされた人々がさらに熱を増していく。
「またあんたか。ええ加減にしてくれへんか。私かてそう暇なわけやあらへん」
「好きにやらせてや。もともと路上でお笑いライブやるのは構わへんはずやったやろ!」
冷たく言い放つ徹子に物怖じせずに答えたのは、自警団「お笑いフラワーズ」の団員である少女、
白のワンピースの上に水色のジャケットを肩掛けし、手のひらサイズほどの小さな金の王冠が頭にちょこんと乗っていた。
幼さの残る顔を精一杯にすごませるが、かえって愛嬌のある表情になってしまう。
だが、上から下まで青と白のボーダー服で揃えられた自警団員を後ろに従わせ、先頭に立つその姿は堂々としている。
「お笑いフラワーズに属してる団員はナンバーフラワー劇場でしか自由に芸を行えない。他でやる場合は申請が必要やてちゃんと通達したはずやけど」
「申請をことごとく却下してるのはそっちやろ。それに自由に芸をやるのはお笑いフラワーズの理念や!」
両者とも下がる気はない。
徹子は自分よりも頭一つ分小さな少女の目に諦めがないことを悟ると、両腿の革製ホルスターから武器を引き抜いた。
「本来、ツインタワー宣言によるとこういった"交渉"は前日までに日時と場所を決めなあかんけど……これは争いやない」
徹子はその武器―なんの模様も描かれていない二つの扇子―をくるくると器用に手先で回すと、ぐっと逆手に持った。
「粛清や」
熱気を伴った突風を発生させながら一瞬で距離を詰めた。腰を低くし、扇子を突き出す。
しかし、笑はそれを読んでいた。背中に背負っていた巨大なハリセンを瞬時に抜き、盾にした。
衝突の衝撃で光が迸り、生まれた爆風が周りを囲んでいた野次馬を自警団員ごと散らす。
だが頭上を飛び交う熱気と大声は止まないどころか増していく。
飛ばされるとわかっていても、お祭り好きの血が騒ぐ。二人を取り巻く輪は一定の距離を保ちながら遠ざかることはない。
笑はハリセンを大きく振りかぶった。花びらが舞いながら振り下ろされる。
対する徹子は両手に持った二つの小さな扇子で、流すのではなく受け止めた。
再び爆発が起こり、人が吹き飛ばされる。だがやはり、人の波は変わらずに押し寄せる。
笑は歯ぎしりした。徹子は苛ついた顔をしているが、堪えている様子はない。こちらが全力で攻撃したのにもかかわらずだ。
いつもそうだった。徹子は笑の全力の訴えをいつも冷たく受け、はね飛ばしてきた。
「ふんっ」
最大出力もむなしくハリセンを弾かれ、笑はバランスを崩してしまった。
その隙を突かれ、広げた扇子で顎をはたかれる。
「きゃっ」
可愛らしい悲鳴とともにその身が宙に舞った。
花を浮かせながら、身体が落ちていく。
「わあっ!」
「ちょっと待ってー!」
勢いよく落下していく笑の身体はまっすぐと人ごみに飲まれていく形で連れてこられた二人―望未と逢衣―へ向かっていく。
「うげぇっ」
ぶつかってしまった三人が痛打の悲鳴を上げながら、地面に倒れた。
「ぶつかってしもたで」や「おい、大丈夫か」という三人を気遣う周りの数人とお笑いフラワーズ団員以外はこのケンカの行く末に興奮したらしく、すごいものを見たという歓喜の声と徹子に対するブーイングの真逆の反応が混じりあう。
「はい、排除しました。すぐに戻ります」
右肩に掛けた無線とそこから伸びる左耳にかけたイヤホンに手を当てながら、徹子はサングラスをかけた。
混沌としたこの場の反応を無視して、なんでもなかったように大阪レボリューションズの団員を従えて去っていく。
その耳元がきらりと光った。
「おかわり!」
逢衣は口元にソースとつけながら、空になった皿を掲げた。
円テーブルにはすでに同じように空になった皿がいくつも重ねられている。
もともとにおいと空腹につられて大阪国に入ったのだ。それがいつの間にか人の波に押し寄せられ、ケンカに巻き込まれた。
望未たち一行はお笑いフラワーズ団員と一緒に気絶した笑を運ぶついでに、たどり着いたカフェ『阪神猫』で話を聞くかたわら食事をとることにした。
「ええ食いっぷりやなぁ。ほれ、大盛サービスや」
「あざっす!」
がはははと豪快に笑う四十を過ぎたほどの店主のおじさんに出された焼きそばはさっきよりも二、三倍は大きく盛られている。逢衣は疑問も抱かずに手をつけた。
千綾も目の前に積まれた香ばしいにおいを漂わせるたこ焼きを幸せそうにほおばっている。
そういえば、千綾は所沢でも名古屋でもたこ焼きを頼んでいた。よほどの好物であることは疑いようがないようだ。
「あ、あの……」
「この子は……」
極上の料理を口に運びながら望未と結季奈が心配しているのは、今も気絶してソファに寝かされている笑……ではなく、頬ずりをしてくる虎だった。
やたら人懐こく、笑顔で襲ってくる様子もない。しかしやはり虎というだけあって、黒と黄の縞模様の大きな身体に怯えてしまう。
「大丈夫大丈夫、その子うちの嫁はんより大人しいで」
「なにバカ言ってん」
キッチンからのぞかせた店主の嫌味っけのない顔を、横からにゅっと現れた手がはたく。
「ほらな」
ぱこんと良い音がなったが、店主は気にしていない様子で、いやむしろ上機嫌そうに再び豪快に笑う。その様子を千綾は不思議そうに見ていた。
まだ東京にお笑い芸人が残っていたころ、テレビかなにかで小さい頃に見た覚えがある。いわゆる『ツッコミ』というやつだ。
いままで各国の行き過ぎた地元色やあるいは個人の珍妙な言動にツッコんだこともあるが、大阪のそれは速さも力強さも違う。
「そういやさ、あのスーツの女の人はモサってわかるけど、その子もモサなの?」
逢衣は箸で笑を指した。
ソースのにおいが漂う中すやすやと寝息を立てている。そのかたわらには虎と同じ模様の猫が心配そうにのぞき込んでいた。
ハンネコという名前のその猫は、なぜか一緒に捨てられていた虎とともに何年も前に笑によって拾われた。
ペットを飼うことに親は反対し、困っているところにこの店の店主が引き取った。
笑と一緒に散歩する姿は愛らしく、その阪神柄も相まっていまやこの店のマスコットとして大阪国民に愛されている。
「この国でモサ言うたら、笑ちゃんか徹子ちゃん、それかかじかさんくらいやな」
お好み焼きを団員がいる別テーブルに乗せながら、店主が答える。
それを聞いたとたん、望未と結季奈の顔が虎からそちらへ向く。
「かじかって……」
「あの伝説のお笑い芸人の?」
「やっぱ知ってるんか、さすがやなぁかじかさん」
大阪国民でなくとも、お笑い怪獣の二つ名をもつ芸人「笹野かじか」のことは知っている。
三本の指に入るほどの「お笑いに貢献した人物」であり、その芸風は広く、司会、落語、舞台。本人はトークが大好きらしく、崩されたテンポすらにもツッコみ、あるいはノることができる。現在もお笑い第一線で活躍し続けている芸人のあこがれであり、その名前は望未たちも知っていた。
小さい子どものときから、両親が幾度か名前を出しながら笑っていたのを思い出す。その伝説の人がモサだなんてことはひとかけらも知らなかったけれど。
「何を隠そう、うちの……お笑いフラワーズの団長なんやで。んで、そこの笑ちゃんが団員」
望未たちは目を丸くした。圧倒的な力をもつモサとはいえ、見たところは彼女たちと変わらない少女なのだ。それがモサとは恐れ入る。
東京では羽原アキという小さいモサ団長と出会ったが、少女がモサだなんて、珍しい気がする。少なくとも、望未たちが今まで出会ったモサは年上ばかりだった。
「へぇ……の割にはやられてたけど」
「あー無理無理。徹子ちゃんには勝たれへんわ」
逢衣に答えたのは、隣のテーブルにいる団員だった。
「何年も前からモサとして長いこと戦ってたからなぁ。ええ子なんやけど、いまじゃあっちの団長の言いなりや」
「あっちの団長?」
かつての活気と誇りのある大阪を目指して、政治家となった橋下鉄は若さに任せて勢いのある政策と言動を繰り返し、それを大阪の人々は支持した。
彼が四十になったころ、冷静さと情熱さを持ち合わせた彼は当時の大阪府の知事に就任。
道州制が崩壊して大阪が国となる前から自警団を新設し、それが今や国家自警団として認められ、団長である鉄は大阪のトップとして君臨している。
問題となっているのは、彼が半ば強引に推し進めた法にあった。
お笑いの空気を強制するような「ツッコミ法」、対抗するように現れたお笑いフラワーズに対するいくつかの制限。
他では有能な手腕をいくつも見せた鉄とはいえ、疑問や反感を抱くものも少なくはない。
「お笑いフラワーズの路上ライブ、中止にさせてきました」
格式高い机に向かって、ぴしりと足をそろえて徹子は言った。
仕事だからか、父親に敬語で報告する徹子に対して、彼女に負けず劣らずの鋭い眼光を向ける鉄。
かっちりとしたスーツという、団員にもさせている凛とした恰好は窓から見える大阪のもつ雰囲気とはかけ離れている。
「今回で二十二度目。相変わらず懲りへん奴らやな」
モサではなく、全盛期より歳老いてはいるが、鉄の威圧感はまだまだ健在だ。
ただ漫然とのさばっていた権力者たちに噛みついていった命知らずの熱さはいまだにその全身から読み取れる。
以前と違うのは、しっかりと大阪の民に耳を傾けていたことだ。かつては大阪の代表として大阪とともに戦ったその真摯さがあった。
だがいまは仲間であるはずの団員、娘である徹子ですら、鉄に意見することはほとんどない。
というよりも意見を耳に入れてくれなくなったのだ。
大阪に波紋を広げているいくつかの件は、そのほとんどがお笑いレボリューションズというより、橋下鉄が独断で決めたことだ。もちろん団内でも抗議するものはいたが、鉄はそう言った意見をことごとく追い払っていた。
「このままですと、大阪国民の反発がより強くなると思われますが」
「大阪をまっすぐに直すには致し方ないことや。現状、観光客の増加、土地の拡大、治安もろもろは上り調子やろ」
「ですが……」
「いまさらやめるわけにはいかへん。それもお前はわかってるはずやろ。信念をもって事に当たるんや」
反論しようとした徹子に、有無を言わさず鉄が口を挟む。
鉄は眉間にしわを寄せたまま、徹子のそのあとの言葉を聞くでもなく、さっと立ち上がって部屋を出た。
「父ちゃん……」
誰もいなくなった団長室で、徹子はうつむいた。
手にはハート型の石が装飾された、地味なイヤホンが握られていた。