「なぁなぁ、あんたもモサなんだろ?」
喧噪に沸く人波の中をかき分けるようにして進む。熱さと視線を逃がすように見上げれば見える通天閣を、千綾はカメラで撮る。
かつて文化財として認められた大阪の名物とは中も外も違うものになっている。大決戦前、東京の東京タワーロボ、スカイツリーロボに対抗して造られた。
賛否両論の嵐は大阪中を巻き込み、暴動が起きる寸前までになってしまったが、「東京に勝つ!」という、当時のお偉いさんによる鶴の一声でほぼ強制的に改造させられたのだ。今は名所の一つとなっているが、その根元にある問題はいまだ解決していない。
笑が案内する小さな劇場を回った後、ぶしつけに質問したのは逢衣だった。その問いに、笑はえへんと胸をそらした。
「大阪のお笑いという文化を守る自警団お笑いフラワーズのモサ、杉田笑とはうちのことや!」
国家自警団の団長と副団長を務める橋下親子に目をつけられているにも関わらず、お笑いフラワーズが運営する劇場のどこもかしこもが超満員だった。
おまけに、道行く人も笑顔で笑に話しかけてくることも多々あり、争いが起きているだなんていうことは微塵も感じられなかった。
人懐っこい。おおらかで、元気で、いい意味で遠慮がない。そんなパワフルな国だからこそ、カミトラとハンネコも受け入れられたのだろうか。
びしっと自分を指差す笑の頭がきらりと光った。
「あ……」
「どうしたんですか?」
口を開けた千綾に結季奈が反応すると、千綾が笑の頭を指差した。正しくは、頭の上に乗っかっている小さな王冠だ。
そこにはピンクのハート型石が添えるように飾り付けられている。
月明かりの石、ヒロイック・ガーネット、コア、ドロム・バーサーカー、サーキットの星、しゃちぽこ石、忌み石……人によって呼び名が変わるそれがそこにあった。
「石……ですね」
「ん、ああこれ」
結季奈と千綾の視線に気づいた笑が王冠を手に取る。
「笑石っていうんや。貰いもんやけど、一番大切なもんなんや」
にっと笑う笑の手元にあるのは、やはりモサが持つハート型の石だった。
「わらいし……」
望未が石の名前を復唱する。
石につけられた名前は、その人にとって大切な意味を持っていることが多い。この石の意味は……と問う前に、笑が口を開いた。
「うち、お笑い芸人目指してんねんやけど、これはその夢を持ったときにある人から
「お父さん?」
「ん、そう」
何やら歯切れ悪そうに笑は頷く。
大阪の文化と言えば、食に並んでお笑いというのは旧都道府県の時代から知られていることだった。東京大決戦の後、独立した各国は内向きの発展を遂げたいまでは、お笑い戦国時代と言えども、お笑い芸人になる人は後を絶たない。大阪が一つの国となってからは、その動きはますます顕著になっていた。
そんな大阪国民にとって、芸人になるということは他の国とも比べてとくに憚られることでもなく、むしろ歓迎されるものだが、なにやら話しづらそうに口ごもる。
「ツッコミ法……でしたっけ。結構無茶な法がありますね」
少しの沈黙を破ったのは、結季奈だった。
「そうなんや!」
さっきと打って変わって、いまにも飛びかからん勢いで笑が結季奈に詰め寄る。
「大阪の文化向上なんて言うくせに、うちらのことやたら敵視してくるし……今日だって「路上ライブするなら申請書書いてからにしろー」って言うから、従ったら「お笑いフラワーズの路上ライブは認めません」言うてきてんで」
笑はむすっと頬を膨らませた。
その話はすでに、「阪神猫」で聞いていた。とある時から強引な法をいくつも作ってきた橋下鉄率いる国家自警団「大阪レボリューションズ」を疑問視する国民は多い。
特に、この杉田笑は激しく毛嫌いしているようで、モサになってからは表立ってたてつくことが多くなった。
「あ、だから……」
「そ、こっちで勝手に路上ライブしたってん。まさか地味障子さんでも止めにくるなんて予想外やったわ」
「地味障子……?」
「おと……かじかさんに次ぐベテランのお笑い芸人さんや。
そんな有名人だからこそ、さしもの大阪レボリューションも手を出せまいと笑は考えていた。ご当地色が色濃くなった現代で、その色を消してしまうことは諸刃の剣だった。
望未たちが先日訪れた京都での争いの火種がまさにそれだった。観光客や修学旅行生による収益が大半だった京都の寺や神社は、簡単に他国に移動できなくなった道州制崩壊以降、音楽という力を借りてその立て直しに成功した。
その経緯があるなか、いくら因縁ある相手とはいえ、国家自警団である「舞妓どすどす」が無理に「鴨川ロッカーズ」ひいてはロックを封じていれば、黙っているものは少なかっただろう。喧嘩っ早い連中が多ければなおのこと。
望未たちは旅をしてきたぶん、その恐ろしさをわかっているつもりだった。東京でコミマがなくなるようなもの、愛知三重でレースが禁止されるようなものである。
げんに、お笑いフラワーズに所属している芸人たちは「ツッコミ法」が公布された時以上にいきり立っている。若い衆も多く、血の気も多い。国柄、喧嘩を止めるものは少ない。
一見明るい賑やかさを放つこの国はその実、一触即発の危険とともにある。
「はぁ~あ、うちが団長権限持っとったらなぁ」
「モサなのにヒラの団員なのか?」
逢衣ハンネコを抱き上げて、頭を無遠慮に撫でる。
「団長が認めてくれへんの。何をするにもあーだこーだ言うてきて、お笑いフラワーズに入れたんもごく最近のことやし」
小さい女の子に戦わせるなんて、ということだろうか。先ほどのかじかを見る限り、喧嘩そのものをしようともしないようにも思える。あくまでも話し合いでの解決を望んでいるのだろうか。
たとえ崇高な意図があるにしろ、お笑いという文化を愛している笑は蚊帳の外であるという疑念を持たざるを得なかったが、あらゆる発言や行動を制限してこようとするかじかの前では、大人しくなるしかなかった。
むすっとしている笑を見て、望未はつい自分と重ね合わせてしまった。母にも最後まで反対され、憧れである真茶未にも『本部の留守番と町の美化運動』
だがどんな理由にせよ、それは夢を追う高校生を納得させるのに足るものではなかった。
「うちが団長なら、すぐにでも問題解決できんのになぁ」
笑はわざとらしくため息をついた。
「でも、相手のモサにやられてたじゃん」
「うっ」
逢衣のツッコミに、笑はわずかにうめく。モサと言えどもその実力はピンキリ。流れモサである執行久仁子や所沢の平和請負人であるマッチャグリーン=宇徳真茶未などは、その高い実力ゆえに他自警団から依頼を受けることが多い。
モブである望未たちにはその実力の違いを目にするまではわからないが、少なくとも笑と徹子の戦いは目の前で見た。圧倒的な差があったのは素人でもわかる。
「あ、あれは油断してただけや! ほんとやったら勝ってた!」
「ええ?」
逢衣が首を傾げた。まあ、強がりだというのは目に見えている。抗議したが、すぐに悔し気にうつむく笑の様子がそれを物語っていた。
「次こそは……ってあれ?」
次にぱっと顔を上げたとき、笑はぽかんと口を開けて望未たちの顔を見比べた。
笑の目には望未、逢衣の首をかしげる姿が映っている。望未、逢衣の……
「あれ?」
二人も振り向いて、そろって声を上げる。
一番後ろを歩いていたはずの結季奈と千綾の姿がいつの間にかなくなっていた。
徹子は無力を握りしめて、怒りを噛みしめて、悔しさを隠そうともせずずんずんと歩を進めていた。
油断してしまえば泣きそうになる心を必死に殴りつけ、身体の内に涙を引っ込める。
いつまで子どもに見られるんや。私はいつまで子ども扱いさせられるんや。
実の父親からも認めてもらえず、かじかにも憐みの目で見られた徹子にとって、実力の差を見せつけられたことは何よりの屈辱だった。
モサになってしばらく経つが、かじかのそれは経験も技量も段違い。いくら周りのモブや笑を蹴散らせるとはいえ、そのことは鉄を満足させるには程遠い。
あくまでお笑いフラワーズの解体、ひいては大阪の実権を握ることが鉄の望みだ。
きっとそれが、大阪の行く末をより良いものにしていくに違いないと、徹子は自分を無理やり納得させていた。
たとえ疑問に思う指令が下ったとしても、完璧にこなしていく。心の内にあるものをしまい込んで、淡々と。
歩いているうちに、徹子は視線を感じて我に返った。
悔しさから離れたい一心で、いつの間にか通天閣近くまで来てしまったのだ。特にお笑いフラワーズの支持者が多いこの通りは、手を出してこずとも、明らかに敵意のこもった目で見てくるものがほとんどだ。
立ち止まって、通天閣ロボを見上げる。
展望台である頭部分には、本当に頭(といっても、夜になれば光る緑の目に、たらこ唇のような大きな口だけ)がついていて、巨大ハリセンを持った右手は、まるでそれが当たり前と言わんばかりに振り上げられた姿勢のまま止まっていた。
あんなものがなければ、と目にするたびに思う。あんなものがあるからこの国はどこかでねじれておかしくなったのだと、思わずにはいられなかった。
自覚しているよりも感情が昂っているのか、それとも単純に人の多さによる熱気か、熱く感じた身体を冷やそうときびすを返したその瞬間だった。
「みなさんどこに行ったんでしょう……」
「見失っちゃったね」
見慣れないロングスカートの少女とグリーンのジャケットの少女が目にとまった。
徹子はその役職ゆえ、良くも悪くも人に顔を覚えられ、人の顔を覚える機会が多い。だが、目の前の少女たちは記憶を探っても出てこない。それに、困り顔で左右をきょろきょろとしているその姿は地元の人間でないことを示していた。
「迷子?」
先ほどまでの浮ついた心はどこへやら、徹子は気持ちを仕事モードへと切り替えてたずねた。
少女ははっと気づいて徹子を見る。
「あなたは……」
どうやら、相手は徹子のことを知っているようだった。だが徹子には覚えが無い。外側から来た人物が徹子を目にするような、最近あった事件といえば……笑と喧嘩したこと。
観光客ならば人の波に流されて、あれを見てしまったとしても不思議ではない。
「連れとかはおらへんの?」
歳のころは笑と同じくらいだろうか、徹子は小さな子に話しかけるように少し目線を落とした。
「いたんだけど、はぐれちゃった」
答えたのは緑ジャケットの子だった。
「あ、あと……杉田笑って人に案内してもらっていたんですが……」
続いてロングスカートの子が答える。
「う……」
どうやら笑の名前を聞いて、顔をしかめてしまったようだ。ロングスカートの子が少し怯えたような目をする。
一度表情をリセットして、笑顔とはいわないまでも威圧感を消した。
「えっと、どこ行くとかは言ってへんかった?」
できるだけ明るめの顔でたずねると、おそるおそるといった感じでロングスカートが手を挙げた。
「ついていってただけなんで……あ、でもバイクはあの店に置いてきたままですね」
「店?」
「うん、虎と猫がいる店」
緑ジャケットの言葉に、思わず頭を抱えそうになる。
この子達が言ってる店は阪神猫。カミトラとハンネコが名物となっているそこは、お笑いフラワーズ御用達の喫茶店だ。
敵である私が近づけば、またいらない争いが生まれてしまう。
仕方なく店の方向を指差して、
「あっちに行けば見えてくるから、それで行けるやんな?」
「はい。わたし、方向音痴とかじゃないんで」
自信満々に答えるロングスカートを、え、という疑問符とともに目を丸くして見つめる緑ジャケット。
何を言っているんだというその目で、はぐれた原因がわかった。
方向音痴とかじゃないんで。方向音痴が、いや自分が方向音痴だと認めたがらない人の言い分だ。
おおかた緑ジャケットはロングスカートの背中についていっただけだろう。
だとすれば、二人をこのまま行かしてしまうのは危険かもしれない。
これから日が暮れてきて、しかもこの混雑の中迷わないで阪神猫にたどり着けるかはかなりの賭けになる。なにせ、案内役がいながらもはぐれたのだから。
徹子はわかりやすくため息をついて、指差した方向とは違うほうへと身体の向きを変えた。
「ついてきて。とりあえずうちに案内するわ」