徹子と少女たち―結季奈と千綾―は形だけの自己紹介を終えて、特に寄り道もしなかったはずなのに、大阪レボリューションズ用のマンション「大阪塔」につく頃には、外はすっかり暗くなっていた。
結季奈が何を考えているのか、ふらりといなくなってしまいそうになっていたからだ。目を離しているわけでもないのに、気づけば近くにいない。
本人からすればちゃんとついてきているはずなのだが、それでもするりと抜けていくのだ。
聞けば、結季奈は歩けば三十分もかからない所へ向かうのに三日かかったという。よくもまあ、「方向音痴とかじゃない」と言えたものだ。
そのことに呆れながらも逐一注意する徹子に苦手意識を持ったのか、たこ焼きのことを訊いてくる千綾に比べて、結季奈はほとんど口を開かなかった。
元々喋ることが得意ではなさそうな雰囲気だが、徹子の表情が拍車をかけた。徹子は怒っているわけではない。しかし無表情になったとき(大半のときが無表情だが)に現れる、鋭い目つきや長年の苦労がつくった眉間のしわは相手に誤解を生じさせてしまうにはじゅうぶんだった。
実際、本人の感覚で言えば、結季奈は方向音痴ではなく、迷っているのを認めているわけではないが、萎縮してしまってそれを言うのは憚られた。
こんなとき、千綾や望未、逢衣のような臆しない性格がうらやましく感じる。
「お帰りなさいませ!」
マンションの入り口を固める黒ずくめの団員がずらりと並び、綺麗に礼をして、徹子を迎える。
団員への挨拶もそこそこに、地上50階、約600戸を誇る高層マンションにあっけにとられる結季奈と千綾を中へ呼び、豪華なエントランスを抜けてこれまた搬入用かと見まごうほどにバカでかいエレベーターへ乗る。
「す、すごいところですね」
徹子が49階のボタンを押し、扉が閉じたところでようやく結季奈が口を開いた。
「国家自警団たるもの、相応の場所に住めってね。とう……鉄団長が建てたんや。大阪レボリューションズが国家自警団に認定される前から団長は有名人やったし、振舞い方については注意を払ってるらしいよ」
結季奈の恐れを感じ、笑顔でとはいかないまでもできるだけ明るい声で徹子は答えた。
「ということは、団長さんもここにいらっしゃるんですか?」
「いーや、鉄団長は本部で寝泊りしてるわ。最上階が団長の部屋なんやけど、帰ってきたことはしばらくない」
徹子がそう言ったところで、エレベータの扉が開いた。と思いきや、廊下を挟んでさらに扉が現れた。
鍵で扉を開けると、徹子はさっと中に入る。
「わあ……」
続いてそろそろと中に入った結季奈と千綾は感嘆のため息を漏らした。
黒を基調としたシックな家具が並ぶ部屋は、若い女性が住むには広かった。こまめに掃除されているのか、清潔感に関しては申し分なかった。
それよりも二人の目に飛び込んだのは、大きな窓から見える大阪の街並みだった。あらゆる場所で点けられている明かりが、綺麗に大阪という国を彩っていた。
ここで見る景色、昼間下で経験した喧噪のようすとは全く違う神秘的とも言えるその景色に、二人は息をのんだ。
「綺麗やろ?」
「うん……」
結季奈はすっかり見とれているようで、答えた千綾でさえも口を開けたままだった。
「さ、ご飯作るから座っといて」
ありがとうございます。と言いながら振り向いた二人は、さらに驚いた。
仕事モードからすっかり力を抜き、ジャケットとネクタイ、そしてヘアゴムを外した徹子がまるで別人に見えたからだ。
鋭い目つきはそのままだが、先ほどとは違って威圧感はない。まるで妹を見るような、親しみを感じる柔らかい笑みすら浮かんでいる。
胸まですらりと伸びた髪も、硬い印象があったポニーテールにしていた時と比べて、心なしかしなやかに見える。
「どうしたん。そんな固まって」
「いえ、その……」
「ああ、よく言われた。雰囲気違うやろ? 私は別にそんなつもりはないんやけどな」
徹子は奥のキッチンに向かいながら、二人を椅子に座らせた。
高級そうな椅子に座らされて、なんだか落ち着かなくなる結季奈だったが、千綾は特に気にすることもなく外の景色をカメラで撮っていた。
「はい」
「いただきます」
徹子が点けたテレビに映るコント番組を見ながら待つこと十数分。
出てきたのは大阪の名物……ではなく、肉じゃがにほうれん草の胡麻和え、味噌汁に白ご飯という昔ながらの和食だった。
昨夜に材料の分量を間違えて多くつくってしまい、仕方なく置いていたものだったが、今日一日ソースのにおいと味にまみれた二人にはちょうどよかった。
「明日、笑を呼び出すかなにかして、あんたたちを会わせるわ。迷子の呼び出しなら、たぶん、つっかかってくることはないやろうし」
料理を温めている間に思いついた策を、徹子は箸を動かしながらつぶやいた。
最後のほうは自信がなくなってきたのか、尻すぼみになっていった。しかし、この二人をこのままにしておくわけにはいかない。
行くべきところがあるようだし、さっさと立ち去ってもらい、大阪のいざこざから遠ざかってもらったほうがいい。
その人にはその人のやるべきことがある。
「笑さんとはお知り合いなんですか?」
「知り合いどころか、腐れ縁や。あの子はほんとに昔から……」
途中で口を閉じると、徹子の視線はテレビの横に置いてあるものへと移された。
そこには高校の制服に身を包む徹子と、「父」と書かれたシャツを着ている小さな女の子が笑顔で並んでいる写真が立てかけられていた。
「ほんまごめん! 確認すべきやったわ!」
「いいっていいって、結季奈の迷子は今に始まったことじゃないし」
はぐれたことに気づき、通ってきた道を中心に結季奈と千綾を探した望未たちだったが、結果は見ての通り空振りだった。
望未たちは阪神猫に戻ってきていた。
外はすっかり暗い。旅のものだといえば、ほとんどが泊めてくれる。お笑いフラワーズのメンバーも探してくれているようで、すぐ見つかるはずと笑は言った。
経験からして、まあなんとか戻ってくるだろうと、逢衣は楽観的に笑いながら出された料理をほおばる。
だが望未はいてもたってもいられなかった。この国の雰囲気を考えれば、行き倒れは心配しなくてよさそうだが、最悪を考えれば名古屋のときのように二人が別々の迷子になってしまうおそれがある。
「心配しすぎなんだって、望未は。あのときも結局は帰ってきただろ?」
「そう、だけど……」
目の前の料理にいまいち手を出せずに、望未は眉をしかめた。
たしかに、結季奈は結果的には目的地にたどり着く。だが、日吉町プロペラーズ本部に来たときのような、バイクで数分のところを三日三晩かかるようなことはぜひとも避けてほしい。
「にしても、あんた結構慕われてんのな。あんたが言った瞬間、さっきの団員さんたち笑顔で探すの手伝ってくれたし」
「いやぁ、あれはみんなが良い人ってだけやて。うちは別に、そんな……」
褒められて嬉しい、だが何故か悔しいという相反した感情を半分ずつ入り混じった表情を見せて、それを隠すように笑も料理を平らげる。
お笑いフラワーズや笑自身のことを訊こうと、望未が口を開いた瞬間、こちらがお願いする前に店を宿として提供してくれた店主がキッチンから現れた。
「逢衣ちゃんやっけ? 団員よりも食うてくれるから、作り甲斐があるわ。ほらお代わりや」
「あざっす!」
「ほんま、うちの団員もあんたみたいにもっと食ってくれへんとなあ。最近の男連中はだらしがないわ」
店主とその奥さんはすっかり逢衣を気に入ったらしく、どんどんと料理を追加していく。
ハンネコとカミトラを撫でる笑を見て、なんだかタイミングを逃した望未はようやく料理に手をつけた。
一口目を口に入れたそのとき、バンと扉が開いた。
「笑、やっぱりここにおったんか」
お笑いフラワーズ団長、笹野かじかだった。鋭い眼光を宿して、笑をまっすぐ睨んでいる。
「パパ……」
「パ……?」
大阪の言葉を知っているわけではないが、少なくとも「パパ」なんて言葉が飛び出すなんて思ってもいなかった。
パパ、つまり笹野かじかが笑の父親だということだ。
二重のショックで、望未たちは言葉を失った。
「おまえ、また手ぇ出したんやってな」
「う……」
さっきまでの威勢はどこへやら、笑はうつむいて口をもごもごさせた。
「あれはあっちが先に……」
「笑、おまえをお笑いフラワーズに入れたのは、お前に喧嘩させるためやない」
昼間、徹子にしていたような柔らかさは微塵もなく、顔も言葉も棘を帯びている。
徹子の睨みさえものともしなかった笑も、そんなかじかを正面から見ることなく、終始顔を下に向けていた。
「今度喧嘩したら、団から追い出すだけやない。芸人になることも諦めてもらう」
「そんな!」
笑はぱっと顔を上げた。その目は潤み、同時に絶望の色に染まっていた。
「うちはただやれることをやろうとしただけや! 大阪を元に戻そうと……」
「その意志は認める。やけど入団のときに約束したはずやで」
「せやけど……」
「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。やってしもたんはしかたない。やろ? かじかさん」
必死の叫びを上げる娘と、変わらない冷たい表情と言葉を交わすかじかの間に店主と奥さんが割って入る。
できるだけ両者を刺激しないようにゆっくりと明るい声で近づきながら、かじかの肩をぽんぽんと叩く。
この店主の行動が功を奏したのか、それともこれ以上言うことはないということなのか、かじかは厳しい顔をそのままに、無言で店を出て行った。
ぱたんと扉が閉じられるのを見て、望未たちは大きく息を吐きだした。
「こ、怖かったぁ」
威圧感を前に、思わず固まってしまったのだ。
昼間に見た限りでは親しみやすそうな柄だったが、目の前にするとまったくと言っていいほど別人に見える。
拳を握って、肩を震わせた
「うち……うちかて……みんなの役に立ちたいのに……」
笑は拳を握って、肩を震わせた。大粒の涙がぽろぽろと落ちていく。
「うちだってなにかやれることを認めてほしいのに……」
奥さんが胸を貸すと、笑の泣き声はいっそう大きくなり、店中に響いた。
そこにいたのは、モサでもなく、無力を感じるたった一人の少女だった。
店主に目くばせした後、奥さんは笑を連れて奥の部屋に引っ込んだ。
「笑ちゃん、すごく泣いてたね」
望未がぽつりと言った。望未には笑の境遇が少し理解できた。
少しでも力になりたいという気持ちと、周りがそれを止めようとする状況。心配してくれてるのがわかっているから、余計に何も言えずに心を押し殺す。
その留めた心が、ついにパンクしてしまったのだ。理解できるから、なんだか胸がざわつく。
「笑が娘だっていうのは驚いたけど、にしてもあのおっさん、むちゃくちゃ言うよな。芸人になることを諦めてもらうーなんてさ」
「いまは芸人にとって、笑ちゃんにとっても一番やりづらい時期やからなあ、かじかさんも心配なんやろ」
「やりづらい時期……」
「そうや。徹子ちゃんと笑ちゃんはめちゃめちゃ仲良かったんやけどな……」
そう言うと、店主は遠い目をして、部屋の端にある箪笥からごそごそと何かを取り出した。
目当てのものを見つけた店主がおもむろに戻ってくると、すでに冷めてしまった料理がある机の上に置いた。
それは写真だった。
学生服に身を包むにっこり笑う徹子と、花束を抱えてピースしながら笑う幼い笑がそこに映っていた。