先手は笑だった。身の丈ほどのハリセンをぐわっと振り上げ、鉄骨の足へと振り下ろす。徹子もそれに続いて、同じところを自前の扇子で殴りつける。
生み出される衝撃波が満開の花のように咲き誇り、散っていく。しかし徹子ははっとした。いまの攻撃、少しへこむ程度にしかなっていない。
それもそのはず、通天閣はただの塔ではなく、あの東京大決戦時からの戦闘用ロボットなのだ。モサの攻撃にも耐えうるようになっている。
その通天閣の目が二人のモサへ向く。ぎらりと光って、その姿を逃すまいと捉えていた。
初撃が大したダメージを与えられないのはわかっていた。本番はここからだ。通天閣ロボが、その身に合った巨大なハリセンを持った右手を振り上げる。
ズパン。弾けるような音がしたと思ったら、笑の視界は一変していた。
目の前には通天閣はおらず、建物は九十度傾いている。空は右にあった。
「笑!」
吹き飛ばされたと気づいたのは、徹子の声を聞いてからだった。
巻きあがる砂埃の向こうから駆け寄ってきた徹子に支えられ、立ち上がる。
油断していた。前時代のロボットだからといって、大した動きはできないだろうと。
しかし通天閣ロボットは予想以上に速かった。それに重い。ぐわんぐわんと揺れる頭を振って、焦点を合わせる。
折れそうな心を必死で繋ぎとめる。独りだったら、ここで諦めていたかもしれない。
「大丈夫?」
「いつでもオッケーや!」
毅然として武器を構える笑を見て、徹子も改めて気を引き締める。
二人は同時に駆け抜け、跳ぶ。
ロボの突きが飛ぶ。徹子は空中で身体をひねり、間一髪で避けた。それだけでなく、ロボの腕に着地し、駆け上がっていく。
同じくもういっぽうの腕に足をつけた笑も上る。ここなら攻撃は届かない。
頭へとたどり着き、ロボが対処する前に凄まじいスピードでそれぞれの武器を叩きつける。真正面から顔を殴られたロボの首がぐらぐらと揺れたかと思うと、身体を高速で回転させて二人を振り払う。
その図体に似合わない速さにあっけにとられ、あっさりと飛ばされた二人はなんとか足をつけて着地した。
徹子が立ち上がって扇子を構えるのと、通天閣ロボがこちらを睨みつけるのは同時だった。
「来るで」
「うっ」
注意を促したが、笑が頭を抑えてうずくまる。先ほどの攻撃はやはり相当に身を削られたらしい。頭がふらつき、視界がどろどろと歪む。
当然待ってはくれず、通天閣ロボが攻撃を繰り出してくる。
「危ないっ!」
徹子がここで避けてしまうのは、そう難しくない。
だが笑はそうじゃない。しかも、祭り気分でできてしまった人だかりが、周りには何十人、何百人といるのだ。
振り下ろされた一撃を、徹子が受け止める。
重すぎる質量に膝をついてしまうが、なんとか攻撃の軌道を逸らした。
ハリセンは誰に当たることもなく、地面をえぐり、砂ぼこりをまき散らした。
△
遠目でも、笑と徹子が苦戦しているのは見てとれた。
巨大さゆえの広範囲の攻撃が大阪国民を巻き込もうとしているのを防いでいる。
はた目から見れば、通天閣ロボが大阪を壊しているように見えるだろう。いや、実際そうなのかもしれない。
なぜこうなってしまったのか、鉄にはわからなかった。
自分が造りたくなかったロボが、結局大阪のシンボルとして佇んでいることの理由がわからなかった。
その通天閣が、自分の娘とその親友を傷つけ、大阪を蹂躙している理由がわからなかった。
「もうええ加減認めたらどうや。間違いやったって」
轟音が耳に届いてくる中、やけにはっきりとした声が聞こえる。
かじかだ。
鉄の隣に立つ彼は、責めるでもなく、敵意のない目で見てくる。
「俺もお前も、固執しすぎてて未来のことなんてなんも考えてへんかった」
かじかは大きなため息をつく。
「子どもでもわかるくらい簡単なことやのにな」
年がら年中喋り続け、いつも元気なかじかの声はひどく小さく、落ち込んでいた。
この男は自分の間違いを認めている。鉄はそう感じたが、彼には罪を受け入れる強さもなければ、準備もできていない。
「俺は……大阪を良くしようと……」
「あれが、大阪を守ってるように見えるんか?」
かじかが指差す先は、もちろん通天閣ロボ。
その腕で、足で、大阪の地を踏みつぶそうとするそれの姿は、むしろ悪魔にも見える。
「意に反して作ったもんが、大阪の象徴になれるわけがあらへん」
かじかは再び鉄を見た。
「ほんとは通天閣壊してほしかったんやろ」
「っ!」
かじかの言葉は、鋭利な刃物となって鉄に突き刺さる。
いいや、すでに突き刺さっていたのだ。翠が死んだ時に、通天閣ロボが完成した時に、徹子に宣戦布告された時に。
鉄はその痛みから目を逸らして、感じないようにして、そもそも刺さっていないようなふりをして、強い人間を演じた。
大阪の代表であるがゆえに、弱くあってはならないと自分に言い聞かせた。
それは間違いだった。
突き立てられた心は、また治って正しく立ち上がる力を生み出す。そこから逃げた鉄は、ただただ沈んでゆき、間違ったことに気づかないで落ちていくだけ。
「大阪を語るのは物やない。培ってきた歴史や文化、それを受け継いで後に伝えていく人や言葉こそが、大阪の象徴やろ」
かつて大阪は大きな災害に見舞われたこともある。それでもここまで発展していったのは、そこに住み、後を継ぐ人間の強さがあったからこそ。
在る物に縛られ、誇りを捨ててしまえば、発展はない。
いまの惨状がその結果だ。もはや過去の遺物である通天閣ロボに、未来の代表である笑と徹子が追い込まれている。
「いまそれをわかってるのは、あの二人だけや」
すでにぼろぼろになっている二人の姿を、鉄は直視できなかった。
△
爆音と地鳴りは国境手前まで来ていた望未たちにもよく感じられた。
「どうしたんですか、望未さん」
一足先に境の向こうへ踏み出している結季奈が待っている。それを見てバイクを押す腕の力を強める。
あそこに行ったとしても、ただ巻き込まれて吹き飛ばされるだけだ。力にはなれず、手助けにはなれず、何も変わらない。
何かを探すとかならともかく、純粋に戦うことだけなら、モブは何の役にも立たない。
しかし望未は、どうしても境目を越えることができなかった。
昔から仲良しだという笑と徹子の二人に、自分と真茶未を重ねた望未は、同時に羨ましくも思った。
力があれば、真茶未は正体を隠そうともせず、望未は一緒に戦えていただろう。
あの二人にはモサとしての十分な力がある。隣に立てるだけの強い意志と実力がある。
自分がモサだったら……そこまで考えて、望未は勢いよく首を横に振った。
たとえモサでなくても、真茶未のように人の力になると決めたのではないのか。
たとえモサでなくても、胸を張って真茶未の隣に立てるようにと決めたのではないのか。
「ごめん、みんな。私行くよ!」
「ちょ、ちょっと!」
逢衣の制止する声を無視して、望未はバイクに飛び乗ってUターンした。
何をすべきか、何を誰に言うべきか、まったくわからないけれど、胸の中にある熱い思いが彼女を動かしていた。
△
かじかはどこかへ行ってしまった。
いついなくなったのかわからないほどに、鉄は目を背け、考えることをやめて、ただ立ちすくんでいた。
ずっとそうだった。
何年も、何かをしているふりだけして、その実何も成し遂げられてはいない。
妻が亡くなってから一歩も進めていないまま、一人でずっと立ち尽くしていただけだ。
一度認めてしまった心は急速に冷え、肩を落とす。その後ろから、エンジン音を轟かせて、一人の少女がやってきた。見ない顔だ。よそ者だろう。そういえば、四人組の観光客がいたという報告があったような気がする。
「あ、あの!」
「何や」
やってきた少女とは対照的な小さくて力のない声が漏れた。
「の、乗ってください!」
「いまさらどこに行けっていうんや」
鉄はうつむいたまま口を開く。
知らない奴のバイクに乗って、この国から逃げてしまえとでも言うのか。
「あそこです」
少女、望未が指差したのは、あろうことか通天閣ロボだ。
その瞬間、ぷちんと鉄の中の何かが切れた。
「見ぃや! あんなもんを大切にして、娘にも愛想尽かされて、挙句の果てにこのざまや! 俺が行ったところで何が変わるんや!」
「それ、は……わかりませんけど……でも!」
大阪の歴史なんてわからない。鉄の過去に何があったのかも、鉄と徹子になにがったのかも。誰がどれだけ苦しんで、どれだけ泣いて、どれだけ足掻いたのかも、望未は一切知らない。
だけど、でも、それでも……
「必要なんです! あの二人には、いま、あなたが!」
望未にとって真茶未が必要だったように、真茶未にとって望未が大事だったように。
杉田笑と橋本徹子。その二人には大阪が必要で、大阪には二人が必要なのだ。そして、その間には誰かが、彼女たちを大事に想う誰かが必要なのだ。
「あなたが行かなかったら何も変わりません。でも、行けば変わります。きっと、何かが!」
△
通天閣ロボは中に人が入って操縦するものではない。起動すれば勝手に考え、勝手に動き、敵を排除する。
その冷たい目が真っすぐに徹子と笑へ向き直る。
大阪を守るためのロボだ。人や街を直接傷つけることはない。だが衝突によって生み出される衝撃がもたらす被害は別だ。徹子や笑との立ち回りに巻き込まれた人たちは眼中に入っていない。
モブであるその人たちを守っているのは、いまや敵としてみなされている二人だ。
地に足をつけて耐えることは許されず、人のいないところへ攻撃を誘導し、防御もまともにできないまま叩かれる。傷は増えていくばかり。
いくらモサといえども、息は切れ、服はぼろぼろ砂ぼこりまみれ。立っているのがやっとのところを、気力で踏ん張っていた。
「し、笑……」
「ま、まだまだ……」
明らかに強がりなのは見てとれる。
笑は膝に手をあて、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返し、徹子も地面に膝をついていた。
限界だ。しかし、通天閣ロボはそんな事情を汲んでくれるわけもなく、足を上げた。
二人を中心に濃い影ができる。見上げれば、大きな足が迫ってきていた。
どうしても覆せない質量の差に絶望を感じて、笑は身を縮こまらせる。
こんなところで終わりなのか、と悔しさに歯噛む。歪な現実に負けてしまうのか。
しかし、衝撃に身を固めているが、いつまで経ってもこない。
半ば目を閉じていた笑が、ゆっくりと目を開く。
「と、止まってる……?」
巨大な足が笑と徹子に影を落としている。しかしそこまでだ。眼前で静止している。
そんなことより、笑は腰の抜けた自分とロボの足の間にいる人物に目を見張った。
かじかだ。たった一本の腕で、塊を支えている。
「お父ちゃん?」
笑なら歯を食いしばってようやく流せるかという攻撃を、かじかは飄々と受け、にっと笑った。
「ええタイミングやったやろ」
「遅すぎ」
「主役は遅れて登場するもんや」
「はあ? 主役はうちに決まってるやん!」
「なら……」
かじかはぐいっと腕を上げた。
圧倒的な重量をもつロボは押し返され、なんとか地に足をつけてバランスを取り戻そうと空を掴む。
「はよ終わらせえや」
笑はぐっとハリセンを握る。
おそらく、全力で殴れるのはあと一回くらい。だけど、そんな一発程度で……
「頭のてっぺんを強く叩け! それで強制停止するはずや!」
突然の声に、びくっと身体が反応した。
他の人の声だったら、ここまで驚きはしなかっただろう。それが鉄でなければ。
振り向けば、望未のバイクのサイドカーに乗っている鉄がこちらに向かって叫んでいるところだった。
なんで望未がここに、とか、一瞬感じた疑問は隅に追いやって、徹子は迷わずに言われた箇所を見た。
強制停止なんて聞いたことがない。鉄がそれを言ってくる理由もわからない。
しかし、徹子はそれを信じることにした。
「笑、行くで!」
「任しとき!」
二人は跳躍し、バランスを崩したロボの足へ素早く着地する。
「大阪を守るはずのあんたが、みんなを傷つけようとするなんて、それこそツッコミ待ちやったんやろ!」
「お望み通り、きっついの一発いくで!」
底をついていた体力も傷の痛みも関係なく、二人は通天閣を駆け上がっていく。
お互いがお互いを、国民が彼女たちを、まるで流星のようだと思った。
空へと昇っていく願い星。それはついにロボットの頂上へ、その上へ飛んでいく。
ハリセンと扇子。道具は違えど同じツッコミ。ぴたりと止まった通天閣の一番上、頭の頂点へ、勢いよく振り下ろされた。
スパン、と綺麗な音が鳴った。
△
笑と徹子が、まるで星のように綺麗な軌跡を残しながらロボの身体を上がっていくのは、鉄にも見えた。
そして、これまた綺麗な音が鳴って、二人のツッコミが入る。
通天閣ロボは頭から煙を噴出させたあと、あっけなく膝をついて、そのまま……倒れなかった。
最後は、建物も人も巻き込むことなく途切れた。
戦いはこれで終わった。
通天閣は崩れ、娘は自分のもとから離れた。
これでよかったのだろうか、と鉄はひとりごちる。
自分が作ったものが否定され、跪かされ、壊される。なら、自分がやってきたことは、何の意味があったのだろうか。
それが移り変わりというものなのだろうか。歴史とはその繰り返しなのではないだろうか。
時代は変わるというが、それは違う。勝手には変わらない。人が時代を変えるのだ。
新しい人が生まれ、新しい人が今に異を唱え、新しいものをつくり、新しい時代を築く。
歴史とは、そういうものの積み重ねだ。大阪はそうやって栄えてきたのだ。
鉄も、かつては過去を守り、あるいは否定した一人だった。今は、否定される側になっただけのこと。
一つの時代が終わって、また新しい時代になろうとしている。
ならば俺は、喜んでその礎になろう。
風が吹いた。
怒りか、それとも謝罪か感謝か、声が聞こえたような気がした。
この澄んだ空は、翠が思い描いたものに、どれだけ似ているだろうか。
△
通天閣の肩の上で、二人は動けずにいた。
怪我や疲労もそうだが、やることをやり尽くしたせいでやる気が燃え尽きたのだ。
仰向けに寝転がりながら、息を整える。
戦っている時は……いや、朝起きた時から気づかなかったが、今日は雲一つない晴天だ。暖かい日差しが、二人へ注がれている。
どれだけぼうっとしていただろうか、徹子はゆっくりと身体を起こした。
隣の笑は、相変わらず仰向けのままだ。それを見て、ゆっくりと微笑もうとするが……
「くっ、ふふ……」
徹子は俯いて、身体を震えさせる。彼女の異変に、笑はがばっと飛び起き、顔を覗こうとする。
「ど、どうしたの徹子ちゃん。まさか怪我とか……」
「くふふっ、んははっ、あはははっは! もうダメ! 耐えられんわ! あんた煙で顔真っ黒やで、あははは!」
心配した笑はきょとんとした。徹子は笑の顔を指さして、腹を抱えて笑っている。
最後の攻撃のときに通天閣ロボが出した煙を、笑は思いきり浴びていたのだ。そのせいで、顔は肌色と呼べる部分はなく、明るい色の服もくすんでいた。
あまりに徹子が笑うせいで恥ずかしくなった笑は、袖で顔を拭いながら徹子を指差す。
「そ、そんなこと言う徹子ちゃんかて、髪ぼっさぼさやで!」
確かに、いつもくくっていた髪はいつの間にかほどけて、スーツもぼろぼろ。
しかし煙を防いでいたのでそれほど不格好なわけでもなく、自覚している徹子はまだ笑っている。
「もー、急にお腹抑えるから何かと思たら……心配して損したわ」
「ごめんごめんて」
と言いつつもまだ笑みが崩れない徹子。ひとしきり笑ったあと、脱力してその場に寝転がる。
「あーあ、ついにやっちゃったなぁ」
「これからどうするよ。国家自警団の権利手に入れても、ついてきてくれる人はいんのかなぁ」
「まあなるようになるやろ」
「なるように任せてたら、また同じようになるで」
最後の声は、笑でも徹子のものでもなかった。
見上げる二人の前にいたのは、かじかだ。
「あれだけの人をまとめるんや。成り行き任せやったらすぐ文句出るで」
「人……?」
かじかの目線の先を向く。
そこには、笑と徹子の名前を叫ぶ大阪国民の姿があった。
ロボの周りに群がって囃し立てる顔は、みな一様に笑顔。
暴れまわる通天閣と国民を守る二人の姿は、戦う前からの印象を百八十度変えてしまった。
「これより、俺ら大阪レボリューションズとお笑いフラワーズは、お前たち二人の傘下に入る」
さらに違う声。かじかの後ろから、鉄が姿を現す。
どこか晴れやかな表情は、娘である徹子すら長らく見ていなかったものだ。
「それって……」
「実際にこの国を引っ張ってきた実績と、お笑いを守ってきた実力がお前らを支えるっちゅうことや」
「代変わり、やな」
抱えていた印象が変わったのは、かじかと鉄も同じだった。
子どもだからと小さく見られていたのが、ようやく、ようやく一人前として認められた。全国民の万雷の拍手の中で。
「笑、ほらお客さんに応えるのが芸人やろ」
「前に立って説明責任果たすのが政治家さんやないの」
嬉しさのあまり軽口を叩き合いながらも、涙を流しそうになる。
「ええから、二人で行け」
大人二人がその背中をとん、と押し出す。
バランスを崩しそうになりながらも、笑と徹子は半ば無理やり前に立たされた。
歓声と拍手がより一層沸き立ち、彼女たちの勝利を称える。
大阪が、二人を快く迎え入れながら、次の言葉を待つ。
いつまでも待たせるわけにはいかない。未来はもうすぐそこまで来ているんだから。
笑と徹子は手を繋いで、空へ掲げる。
その頭上で、ピンクに光る星が流れた。